体験修行の感想文・体験談
天光寺 体験修行・滝行 感想文|20代 男性
新人研修のようなもので今回ここ天光寺に連れてきて頂いたわけだが、僕自身、今の今までの全くと言っていいほどお寺とか、神社とか、宗教とかに興味を持ったことが無かったので、そんな人でも果たして大丈夫なのだろうかと思っていた。事前に送っていただいた天光寺のホームページを見てみるとなるほど、会社や企業の新人研修および、今後の社会へ出て戦っていく若者たちの度胸付けのようなもの(プラン)があることを知り、こういうものとしてお寺に入ることも出来るのだなあとここで初めて知った。
ならば自分は「この与えられた2泊3日をどれだけ意識的に取り組めるかだ」と言う気持ちで過ごすことを決めた。初日。
なれない正座にすぐしびれが来たが、勝手に体制を崩すようなことはしなかった。
お百度参りも真剣にやり、滝行も限界の限界まで滝に打たれた。そうした帰りの下山の気持ちは晴々でなによりちゃんとやれた自分にほっとした。
半強制的に始まったとは言え、こんな気持ちにさせていただいた会社やお寺の環境に自然と感謝した。ところが二日目。初日ではやらなかった掃除や瞑想までは良かったのだがお百度参りと滝行はあまり気が乗らなかった。一回目で気合を使いすぎてしまったのだ。それでもとりあえず両方とも行った。そしてやるからには真剣に走ったし、限界まで滝に打たれた。ただ、その後の達成感はあまり無く、「自分は1回やれたことは2回目もなんなくやれる人だな。」と自分のことを分析した。
そんなことを思っていたらふと「3回目もどうせやれる力はあるのだから最終日はやらなくてもいいのでは?」という感情が芽生えた。寺に帰ると、部長の高尾さんに「明日は社長さんと滝行やられますか?」と聞かれたので「やらなくてもいいならやらないでいいです(笑)」
と答えた。「変われていない」と思った。多分、もともと2日連続でお百度参りと滝行をやるくらいの度胸は持っていて、自分はそれで十分だと自分の成長を自分で止めてしまっていたことに気付いた。すると、明日もお百度参りと滝行をやる意味が見えた。自分の感情だけで自分のことを決めないことだ。2回できたことは3回できる。わかっていてやろうとしなかった自分を成長させるチャンスを頂けたことに苦しいけど感謝して、しっかりやり遂げたいと思う。生意気言ってすみませんでした。