小学生・中学生 不登校修行体験の感想文
10代 体験修行 男性
私は今回、法話で学んだこと、行を通して感じたことについて今の私がどう思っているか書きます。
法話で感じたこと、学んだことは、六つあります。
一つ目は、行着を着て行をやる意味です。今までは何も考えずに行着を着て行をやってきました。法話で住職さんのお話を聞いた時、「行着を着る事で、空海様のもとで修行をしている意味になる」という事を学びました。今後は、その事を意識して行を取り組みたいと思います。
二つ目は、瞑想をする際にする手の型の意味です。この五泊六日間、意識せずにただ手を組んで瞑想してきました。お話を聞いて「母親のお腹の中をイメージしている」と言われました。何も知らずにただ行をやるのではなく意味などを理解して取り組みたいと思いました。
三つ目は、空海様についてです。空海様がどんなふうに生まれてどのように育ったのかを知る事ができました。空海様が一番最初に建てた寺である東寺は小学校一年生の旅行で行ったことがあります。小さいころなので、全部覚えているわけではありませんが、行ったことは覚えています。今後機会があったら行ってみたいと思いました。理由は、小さい頃に行った時と、今の年齢で行った時の見方がかなり変わると思ったからです。住職さんのお話も聞いてかなり興味は湧きました。今後、アルバイトをしてお金を貯めて、京都と奈良で寺巡りをしたいです。
四つ目は、仏教の歴史についてです。私は、幼稚園と高校が仏教に関係ある場所でした。幼稚園では朝、開経偈を唱えました。高校では、月曜日の一時間目に瞑想という時間があり、そこで紫部声願を歌っていました。それぐらい仏教には関わる学校だったのに仏教の歴史や仏様の生涯については何も教えてくれませんでした。住職さんのお話で、仏教の深さ、日本人の歴史について感銘を受けましたし、ずっと気になっていた仏教についても知る事ができてスッキリしました。
五つ目は、住職さんの経験話についてです。法話のお話の時に言っていた「人脈」について私は興味を持ちました。私は人と関わり協力して、物事を達成する事が大好きです。理由は、私の小学校は寮生活で、クラスはたった二つでした。そこに一~六年生の子供達で色々な事について学んでいました。一年生の時に色々な寺をクラスで見に行った際に東寺に行きました。この学校には上下関係というものはありませんでした。なので学年関係なく親しかったので、クラスで目標を決めてクラス全員で楽しく達成する事ができました。一~六年生の間に知り合った人達ちは今でも連絡を取るくらい仲が良いです。「人脈」の大切さを住職さんがお話になられていてとても共感しました。
六つ目は、積極的な姿勢についてです。住職さんのお話では、何度も何度もその言葉が出てきました。なので私は住職さんが一番伝えたい事なんだと解釈をしてお話を聞いていました。私は私生活でもそうですが、好きな事には積極的に参加しますが、苦手な事からは逃げる癖があります。苦手な事にも積極的に取り組もうとする勇気が欲しいです。住職さんの法話を聞いてせっかく天光寺で学ぶチャンスを頂けたのでこのチャンスを活かしたいと思いました。
次は行を通して感じたり、学んだ事です。色々な行を体験しましたし、天光寺でお掃除や布団の畳み方、洋服の洗濯、ゴミ出し、他にも色々とやり方を学びました。
まずは滝行です。私はこの五泊六日間の間に滝行を2回経験しています。最初に経験したのは、天光寺に来て二日目の日に行きました。その時は今まで経験もした事がなかったので、とても軽い気持ちで行ったのですが、体が水に当たり始めると「南無大師遍照金剛」と言ううので精一杯でした。滝行が終わった後は、とても気持ちが良かったです。二回目は、自分の中で「水に負けないようにする」と考えてとにかく大きな声で「南無大師遍照金剛」と叫びました。二回目は水に負けず意識を保ってやりきることが出来ました。ですが、私は一つ勘違いしていることがありました。その事に気付いたのは、住職さんが法話で言ってたお言葉でした。「滝行は水と一体になる」この言葉を聞いて滝行のイメージが変わりました。今後は自然と一体になることを意識して取り組もうと思います。
次にお百度参りです。お百度参りは、滝行の前にやる短いやつを二回と百八回やるやつを二回やってきました。法話を見ていてあのコンクリートの床を作るだけでセメントをものすごい量を使ったと住職さんがいおっしゃっていました。私は、小学校一年生の時に学校の校舎よりも十二センチ高い塔を作る際に柱を固定するために下にセメントを流して固めました。その時クラスの皆でやって丸二日以上かかってしまいました。なのにあのセメントの量を「人が運んでひいた」とおっしゃっていました。私は凄く驚きました。多くの人数の人が汗水を流して作った所で修行をさせていただいているんだなと思いました。お百度参りは、とてもきつくて大変です。何が大変なのか、私がやってしまった問題行動を「南大師遍照金剛」と唱えながら吐き捨てようと意識しながら、百八回数えて走ることがとても大変できついです。
次に天光寺での生活習慣についてです。天光寺の生活と家での生活を比べると、朝起きる時間は一緒ですが、それ以外例えば、掃除、洗濯、洗濯畳み、食事の準備、食器の片づけなど、今思えば全部できるようになったと思っています。ここを出たら学校に通いつつ、家で母の手伝いを積極的にして今までの私のせいで迷惑をかけた分、楽させてあげたいなと思いましたし、今までやってもらていたことが当たり前じゃないんだなと思い、両親に感謝をするようになりました。ここで学んでいると、色々な事で歳が近い子供たちが来ます。中には、反省をしなければならないのに反省している風貌がない人もいます。ここにいる期間が延長になったおかげで私も私自身、最初の三泊四日はただ過ごしていただけだと思いました。延長になって改めて自分を見つめなおしています。今思えば反省していなかったんだと思います。この期間で学んだ事を、ここを出ても続けてもう二度と同じ過ちをしないためにも両親に感謝して今後の生活を送って行こうと思いました。
私は、七泊八日間で、普段やってもらって当たり前と思う事が、ここでは私がやらないと誰もやってくれません。家族が注意してくれているのに聞かず自分自身が思うように動いていたらこのような結果になってしまいました。両親にはとても感謝しています。もし延長がなかったら私は気付く事が出来ませんでした。天光寺に行かせてくださりありがとうございました。今後は、私が出来る範囲は自分でこなし、もう二度と同じ過ちはしません。ありがとうございました。そして迷惑かけてしまい、申し訳ございませんでした。