企業研修の感想文・体験談
企業研修 20代 男性
私は入社以前には寺で企業研修を行うなど考えてもおらず、仏教の教えに明るくないこともあり、不安を強く感じていました。しかし、実際に研修をやり通し、ここでは仏教の考えを通して世の中のあらゆることに適応される真理、また同様に多くの物事をやる際に必要なる精神を人に伝えているのだと気付きました。
例を挙げるならば初日に行った挨拶の練習です。ここでは、これから社会に出て働くものとして必要となる挨拶の練習となっていただけではなく、自分を訪れてきてくれる方に当然持つべきである敬意を分かりやすく挨拶という分かりやすい形で行動に移すことにより、常に忘れないようにするべきであるということを学ぶことが出来たと感じます。
また、お百度参り、滝行、三禮といった肉体的な辛さを伴う行を通して「今まで経験したことのない道の物事でも積極性と精神力でやり通すことができる」という事を学びました。
正直に申し上げると、前に名前を挙げた3つの行は特につらそうで、二十二年間で一度も発したことが無い説明が無ければ意味も分からない言葉を覚える必要もあり、やる前は「できればやりたくない」と考えていました。しかし、一度やり始めると「最後までやり抜こう」という思いが自然に頭に浮かびました。ここで、積極的に行動すること、とりわけ実際に行動を起こすことの重要性に気付かされました。そのような積極性をもったおかげで「辛い」という気持ちは達成感に変わり、このことは行のみならず、あらゆることに通じると感じ、仕事にも生かしてゆこうと感じました。加えて、件の3種の行は特に仏教色が強く、仏教について表面的な知識しか持たない私にとっては、どのような意図を持って企業研修のメニューに組み込んでいるのかが理解できていませんでした。しかし、前述したように実際に行ってみると日常にも広く通じる学びを得る頃が出来ました。このことから、一連の物事の中で、自分にとっては一見無意味に思えることでも重要なことが隠れているのだということを身をもって学びました。研修以前に聞いていた「自分がとった電話の重要度が低そうだったのでとりつがなかったが、後に重要な電話だったという事が分かり、大目玉をくらった」という体験談が上がりリアリティを持つものとなって聞こえるようになりました。このことから、仕事中一見大事そうに見えない工程があっても、長年培われてきたものだということを念頭に置き、サボったり、自分の判断のみで省いたりすることをしないようにしなければならないようにしなければならないという事を強く肝に銘じました。
また、瞑想の時間は、普段暇があればスマートフォンを手に取り、いくらでも時間を潰すことができ、悩みがあればすぐにインターネットで解決策を探そうとする私にとって自分ついて考える良い1時間となりました。
自分の将来などについて悩みがあったり、躓いたりすると投げやりになってしまう一面がある私は
無意識に語りかけながら、これから先自分が幸せになるにはどうしたらいいか真剣に考えたことがありませんでした。今回の短い時間では答えを探し出すことはできませんでしたが、これから意志を持って選択をしていこうと思い直すきっかけとなりました。
再三ですが最後に今回の研修で学んだ事は、万物に通じるものである種の真理であるのだと感じたという事を改めて述べさせていただきます。
今回はそのような教えを仏教の道を通して教わりましたが、本質を見れば仏教のみならず、形は違えど他の事を通してでもこの考えに辿りつくのではないかと感じます。
本当に最後になりますが、今回様々な学びを得る手助けをして下さった天光寺の住職並びに職員の皆様に感謝を述べて結びとします。本当にありがとうございました。