企業研修 感想文 20代 女性
二泊三日の体験修行を通して学んだことは三つあります。
一つ目は積極的に行動することの大切さ、二つ目は全ての出来事は自身の受け止め方次第で変わる(良くも悪くも)、三つめは、当たり前の事に感謝する気持ち・謙虚さが今の自身に欠けていることに気づいたことです。三つのことについてなぜ印象に残っているのか?
それを踏まえて、今後の人生においてどのように活かしていくのか記していきます。
一つ目の「積極的に行動する」は法話の中で先生がお話されていた言葉です。当たり前のように世間で言われていますが、日常生活で取り組めているのか疑問に感じていました。というか疑問に思うくらいなので、言葉の意味や背景まで考えようとせず、日々の忙しさを言い訳にしているのではないかと心のどこかでは思っているタイミングでした。仕事では中堅になり、後輩に教えたり、上司から期待されプレッシャーを感じつつも何とか毎日をこなす自身に嫌気がさしているもののチャレンジしていない焦りがありました。法話の中で焼き鳥屋さんの話から素敵な出会いがあったのも「三千円あるから入ってみよう」と思ったからこそ起きた出来事であって、もしなかった時の事を想像すると人生違ったんだろうなと直感が働きました。法話を見終わった後、急きょ二回目の滝行に参加することが出来たのですが、せっかくの機会、これも神様が与えてくれたチャンスだと思い、一回目に出来なかったことを早速やろうと「岩に背中をつけて滝行する」を決意しました。また八人参加中、一人目の滝行順だった為、皆のお手本になろうとも思いながら入りました。滝に入っている最中は願い事の内容を忘れるくらい必死でしたが、一日目とは異なり水の中が心地よく感じられました。
慣れのおかげもあるかと思いますが、大きな違いは決断をして入ったことだと個人的には思っています。一日目は二分ちょっと長そうだけど頑張れるかなと中途半端な気持ちだった為、頭がかち割れるくらい激しかったのですが、二日目は滝と向き合って岩に背中をつけると決心したからか、水の中に入っても痛みを感じずむしろ気持ちよかったのが不思議でした。
水に馴染もうと心がけたので神様が受け入れてくれたと勝手に解釈しています。この小さな小さな積極的な行動ですが、滝行で岩に背中をつける→できた時ちょっとした達成感・有言実行できた→自信に繋がる→もう少しハードルの高いとこに挑戦してみようと思うといったサイクルができるのだと感じました。この経験を通して日常生活では普段やらない新しいことをどんどん取り入れていきます。
例えば今まで話しかけなかった会社のメンバーに挨拶+αで話しかけてみるや、学生時代の友人に数年ぶりに連絡してみる、朝に散歩してみる、気になっている本や映画に触れる、、、
などできることや可能性は広がっていると思うので、今から実行していきます。
二つ目の「全ての出来事・事象は自身の受け止め方次第で変わる」は一日目に聞いたことです。まさにこれは日々感じていることで、ポジティブな言葉に変換し前向きに捉えようとしています。ただ、二泊三日で色んな人と話す中で自ら希望して来ている人・研修で来ている人・親に言われて仕方なく来ている人と様々な理由でこちらに来ている背景を伺い、「全て自身がどう意味付けするかなんだよな」と思っていました。
そう感じる出会いがあったのも、「何か気づきなさい」と天から言われているからだと感じているので、このタイミングで修行に参加できたことは大変嬉しく思っております。
一つ目の「積極的に行動する」の根源にあるのは自分の気持ち次第だと信じていますし、それが言霊になるため、マイナスな気持ちを言葉に出したくなったときには一度立ち止まって自身に何か原因はないか?本当にマイナスな側面だけなのか?を考えなおした上で言葉に出そうと思いました。
悪い・ネガティブな経験ばかりだと振り返った時に嫌な経験だったと植え付けられてしまう為、自身の中での意味付けは重要ですし、もし悪いことがあったらそれは今自分にとって必要な経験だったと思っているので、この考え方は引き続き継続していきます。もし周りにネガティブな発言をする人がいたら、幼少期に辛い経験をしている可能性が高い為、言葉のままではなく、その背景やその人の表情に注目しながら話を聞くことを意識していきます。
三つ目の「当たり前のことに感謝する気持ち・謙虚さが今の自分に欠けていることに気づいた」は携帯に二日間触れなかったことが大きく影響しています。仕事はリモートワーク中心で対面で話すのは週に一日あるかないか、家族や友人との連絡もSNSのため、どれだけ携帯電話に依存しているのか気づかされたと同時に、挨拶・食事・掃除・感謝・謙虚さの大切さを思い知った貴重な時間でした。「遠隔でやりとりしているからテキトーでいいや」、「あとで返事すればいいや」と相手の連絡を自己都合でないがしろにしていたことを恥ずかしく思いました。デジタル文化の発展を言い訳に身近な大切な人の気持ちを簡単に傷つけてしまえるからこそ、私自身の言動の軽率さや丁寧さも一発で分かられてしまうのだと感じました。
掃除で道具やモノがあることの大切さ食事の際の食材があること、盛り付けるお皿を選ぶ楽しさ、食前の言葉の意味、皆で集まって食べることの温かさ、写経や写仏で集中することの難しさ・苦しさあってこその達成感、初めましての人たちとの会話の楽しさはデジタルに触れてない温もりを久しぶりに感じられたとても私にとってかけがえのない時間でした。普段思うけど言葉に出さないことが多いのですが、敢えて言葉にすることで距離を縮められたりするのだと当たり前の事すぎてこう書いているのが恥ずかしいのですが、大切さに気付かされました。今後において、リモート会議やSNSでのやりとりでもきちんと挨拶・感謝・謝罪・謙虚さを忘れずに人と関わっていきます。また掃除の楽しさに目覚めたため、これから毎朝部屋を掃除して気持ちをリセットします。
最後になりましたが天光寺の皆さま、先生ありがとうございました。自分自身と向き合うとてもとっても大切な時間だったことは間違いなかったと感じています。お風呂掃除が満足にできなかったのが心残りですが、次回の宿題とさせてください。