体験修行の感想文・体験談
体験修行 感想文|40代 女性
体験修行では外界との別離があり、社会の情報に振り回されずに心安らかに修行できると聞き、申し込み参加しました。都会の中で日々生活している私は、どうしても多くの情報(要らない物が多い)に左右され、落ち着くことも許されず流されていました。
そんな私が、体験修行して何か変われることができようとは思いませんでしたが、初めは話の種と軽はずみな考えから体験することになりました。日時は、有給休暇もあり行く宛てもないのですが、四泊五日を申し込んでの体験でした。交際相手もいなく、独り部屋で過ごすことが多い私は、ささやかな希望を胸に秘めての修行でした。
修行先では、一泊二日や二泊三日や一週間と様々ですが、多くの方々体験修行に参加されていました。年齢的には、中高学生もいれば大学生もいれば、主婦や成人の若者や同年代の方々や、先輩の方々を千差万別でした。みなさん、体験修行で何かしらを得ようとしている方々ばかりでした。
私のような不埒な思いで、体験修行に参加されている方はいないような雰囲気に、私は恥ずかしくなりました。旅先で受け入れられる体験修行などがあるとは聞いていましたが、多摩にある天光寺での体験修行は、厳粛な中にも荘厳な格調あふれるものであり、生唾を飲み込んだのを覚えています。起床から就寝の間に繰り広がれる、精神修行と肉体修行にただただ驚きの連続でした。
お経を教えられ読めば良いと言うものではなく、写経に至っては心の現われが露見してしまい、滝行や三禮では身体の冷却に凍えたり筋肉痛との葛藤に苛まれました。観光気分もすっかり消え伏せ、寺院内外での修行では軽はずみなことは出来ないと言う、修行本来の環境でした。
御宝号や般若心経や光明真言を初め、その他お経の腹から出す声を震わして体験を過ごしました。されど、修行ばかりでなく、寺院で出される食事には精進料理ですが、日々の楽しみなりましたし、同じ修行を体験している方とは交流できたことでの、楽しさと嬉しさが出来た副産物がありました。
瞑想や法話では、意味深い感じ入ることばかりで、お香が芳しい中での一時であり自分見直しでした。ありがとうございました。