臼杵山 真言宗 天光寺

東京都西多摩郡檜原村にある天光寺では「企業研修」「社員研修」を行っております。「除霊」「お祓い」や「水子供養」「先祖供養」「護摩焚き(供養)」のご相談はもちろん、「ヒーリング」「体験修行」「滝行」「写経」「瞑想」といった半日体験修行ができます。

感想文・体験談

  • 仕事の立場が上がるため自分の中で区切りとして精神を見てもらうために天光寺に来させてもらいました。最初にやった瞑想から周りの空気と合わさって、頭がすっきりする気持ちになりました。 発声と合わせてやることで自分の声がよく聞こえて頭の中に反射しているような感覚になり、手に汗をかいて活性化された気分になりました。 お百度参りでは暑い中での修行であったので学生の頃を思い出し、 滝行は初めての体験であり体に自然の力を感じたことが初めての感覚でした。 一番驚いた感動したことは子供たちが積極的に動いて自分たちのことや指示をしていたことでした。 周りを見て手伝いをしたり、次何をやろうかと考えて手を持て余している人に指示を出してあげることは、その子にとっては普通かもしれないですが、技術ばかりで管理能力が足りていない自分にとっては素晴らしいことだと思いました。 遊んであげているだけかもしれないけど下の面倒を見て大人にもバシバシ口を出して指示をしてくれるのは素晴らしい子供達だと思いました。自分もコミュニケーションを取って周りと楽しく、ただ上の立場としてしっかりとした指示を出せる人間になろうと改めて感じました。とても過ごしていて心が癒される 2泊3日となりました。ありがとうございました。

    先生の法話を聞かせて頂き有難うございました。沢山の気付きや再確認教えを頂きました。90分の教えの最中雑念無く聞けたことが一番の収穫でもありました。こちらにお世話になることのきっかけが知人の天光寺での修行体験を聞いたこと、そして心身ともに整った現状でチャレンジしたいと思い休みを利用してこちらで三泊四日お世話になることを決意して参りました。初めての業を通して困難に打ち勝つ重要性、無になることで己をみつめること、集団生活において他者に気を配る大切さ、助け合い等を再認識出来ました。特に滝行は私だけの力では決してやり遂げることが出来ませんでした。共に業を受ける仲間の立ち向かう姿を見て動じない自分をその時だけ作ることが出来ました。私は長い間自念障害のものを持ち長い人生損をしてきました。昨年母を看取り、初めて一人で暮らし始めました。昨年は私の人生の節目を迎えた年だったので今年は新規一転、前だけを見て人生を歩もうと思い、その年にこちらで体験修行が出来たことに嬉しさ、感謝を深く感じました。この気持ちを一生忘れないようにしたいです。また、法話で授かった教えの一つ一つも忘れないよう日記に記して事あるごとに心に留めていきます。教えでけがれを取り、常に積極的に生きる積極的な心を持つ、打ち勝っていく、日々ざんげ反省し今以上に進化し光輝く存在に戻らないといけない常に一歩先を読む、舞台で演じる役者になり、人脈で役者を作ってもらう、新しく授かった教えは私の財産です。新しく授かった財産を大切に使って参ります。最後に業に精進する機会、場所、人を与えて頂いたこと、私の食物アレルギーに寄り添って頂いたこと、優しく笑顔で教え導いて下さったことに感謝いたします。同じ業を受けた仲間の優しさ、気遣いに感謝いたします。本当に有難うございました。

    この度は貴重な二日間の修行が出来たことを大変有難く存じます。住職はじめ、初日修行の説明や滝行などのご指導を頂いた天光寺の皆様に御礼申し上げます。

    この二日間は心身のリフレッシュ・命の洗濯を意図として修行にうかがいましたが、修行を終える直前の住職の法話を拝聴し、自分の悩みを見抜かれて激を頂けたと感じました。リフレッシュ・命の洗濯はもちろん、激励頂けたことに厚く御礼申し上げます。

    修行の最後に拝聴した法話でうかがったことは自分で意識したり、実践できている事項がある一方、負の連鎖に陥ってしまう事項を自分の内包しておりました。

    一般的に思い変われば行動変わる、行動変われば結果が変わると言われています。意識の変用・体の変用はその一般的に言われている事の必要性を暗示されたようで繰り返すことが自分の思考・行動を変える道かと考えますが、自分に不足している、自分を愛する、舞台で演じる役者になることなどの意識をインプットしていきます。また自念障害について、自分の思考に存在しており、自問自答しながら法話で頂いたいいお言葉を自分のいいマインドセットに活かして行動の変化につなげていきます。

     

    私が体験修行に参加した理由は「前に進むためのきっかけが欲しかったから」です。

    今年の初めに自分の中で大きな出来事を経験しました。当時はすごく落ち込んでなかなか相談することも出来ず、自分で乗り越えようとしているうちに気がついたら生活に支障をきたすようになっていました。体調が回復した後も気持ちの落ち込みが続いて、何をしても喜べない、楽しめない、ちょっとしたことでもイライラするといった状態でした。そんな自分をどんどん嫌いになっていき、他の人とのコミュニケーションも上手くいかず、更に自分に嫌気がさすといった悪循環に陥ってしまいました。何か自分を変えるためにヒントを探しているうちに天光寺の体験修行のホームページに辿り着きました。様々なことを体験させて頂きましたが、中でも印象に残っているのが、挨拶の作法の練習と法話のビデオです。挨拶で自分の名前を言ったときに、はっきりと伝えることができず聞き返されるということがありました。自分が伝えたと思っていても、相手に伝わっていなければ“つもり”になっているだけだと教えて頂きました。当たり前のことが今の私には出来ていなく、反省とともにこの先どんな場面でも大切にするべき言葉だと実感しました。法話のビデオでは、仏教の成り立ちなど、これまで聞いたことのないお話ばかりで感心深く、とても勉強になりました。「志向が人生をつくる」という言葉が深く印象に残っています。自分が発した言葉に影響されること、ネガティブな言葉はネガティブな気持ちを引き寄せると教えて頂き、まさに今の自分自身だと思いました。不満を抱えないために、今すぐに出来ることは感謝の気持ちを忘れないことであり、今の自分に欠けていることに気付かせていただきました。

    今回の体験で、天光寺の皆様には大変お世話になりました。たくさんの事を親切に教えて頂き、充実した時間となりました。自分を変えるためのきっかけを頂いたので、明日から頑張れそうです。ありがとうございました。

    今回修行にこさせていただきありがとうございました。
    感想を記載していきます。今回の法話では天光寺の特徴、即身仏の話が聞けました。そこから仏教の発祥の地がインドだというのを聞きました。今のインドには仏教が無いことを知り、仏教は日本でこの先も継承されていくべきだと感じます。私も小さい頃から葬式の場等で南無阿弥陀仏という言葉を聞いてきました。その言葉の意味は理解できていませんでしたが、今回は言葉を知り、南無大師遍照金剛という言葉も知ってこれから誰かを応援、自分を応援する時は南無大師返遍照金剛という言葉を心で唱えたいと思います。
    また自分には、心の持ち方の考えも響きました。常日頃、文句を言ってしまう事や不平不満を感じることもありました。ただそんな自分を受け入れつつ感謝や許すというポジティブな考え方は是非これからの人生でも続けていきます。そうする事で人生が豊かで幸せになれるだろうと信じます。
    空海が日本に戻って来て初めて建立した京都の東寺にも一度行ってみたいと思いました。私は父を中学生の時に亡くしています。その葬式のシーンで自分は真言宗だと知りました。ただ自分が真言宗だという事実をここに来るまで忘れてしまっていました。今回友人に誘ってもらってこちらに来させていただきましたが、真言宗のお寺で修行中のお経にききなじみがありました。そこで思い出したのです。このタイミングで真言宗のお寺に来させていただいたのも何か縁を感じます。なので今回学んだ心の持ち方と南無大師遍照金剛を胸にこれからも過ごしていきたいと思います。最後に天光寺を建立された住職の言葉がすごく響いたので記載したいと思います。「人生の主人公は自分」「輝くために生まれてきた」「人は皆目標目的を本当は持っている」住職の言葉は今を生きる人たち、特に日本人には必要なのだと感じました。私の主観もありますが今の日本には相手と比べる、相手の顔色を伺うという人が多くいると思っています。なので、人生の主人公は自分なので相手と比べず今日の自分から明日へ一歩一歩進んでいけたらと思います。

     

    都会から離れて、電波もとどかない山の中での生活は色々と我慢することが多く、普段の生活がどれだけ自由であるかを感じましたし、自分がどれだけガマンが出来ない頭になっているかも思い知らされました。新しい体験をもとめて、今回修行に参加しましたが、けっして楽しいことではありませんでした。自分がどう思うのか、どんなものがキライなのか、好きなのか、ガマンできるのかなど「自分自身」を少しだけでも考え、思うことが出来たように思います。また自分の思考や言葉が自分自身に影響される、運勢を悪くするなど自分自身の内心面を知ることが修行の一つなんだと感じました。
    滝行や走ることや登ることなど体力的な面は自然の中で肌で感じることができリラックスすることができました。しかし繰り返していくうちに新鮮味がなくなり楽しめなくなることがあります。また終わりが分からないこともガマンがつづかない要因の一つだと感じました。あきやすく集中力がつづかない。気がちって眠くなってしまいます。
    何の為に修行をしなければならないのか、色々なかんがえがあると思いました。二日の中ではあまりきびしく、時間にそって、細かくすることもありませんでした。いそぐ必要もありませんでした。
    自分を本当に変えるには自分に合った方法が必要とのことでした。自分を知り、良くない習慣に気づく事、外と中へのアンテナを磨き受けとめることが出来るよう今後に生かしたいです。

    まずこの度は貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。日常生活の中では中々出来ないこと、触れることのできない環境に身を置くことができ、あっという間に時間が過ぎていきました。
    今回この体験修行に申し込んだ理由は、自分自身を見つめ直し、自己成長につなげていきたいと思ったのがきっかけでした。挨拶などの作法からはじまり、お百度参り、滝行、写経、仏経、めい想、法話、般若心経を唱え続けると一通りの体験をさせて頂いた中でとくに印象に残っているのは滝行と法話の二点です。滝行では水(自然)と争うのではなく受け入れて一体となることで呼吸のしづらさから解放され、逆にパワーをもらえているような感覚になりました。法話では自分自身が物語の主役。より良い舞台で活躍していけるかは努力と知恵をセットで活用していく必要があるという言葉が心に響きました。

    私は天光寺に生活習慣を改善するためと感情をコントロールするために来ました。
    二週間天光寺で修行してみて、人間として成長できたと感じています。以前は出来なかった朝一人で起きることや夜早く寝ることが出来るようになり、生活習慣を改善することが出来ました。また、瞑想を毎日行ったことでマイナスな気持ちや雑念を吐き出すことができ感情をコントロールできるようになってきました。家に帰った後もイライラした時や、心が晴れない時に瞑想をして自分をコントロールしていきたいと思います。
    天光寺には毎日国籍を問わず多くの人が修行しに来ており、色々な人と関わることが出来てとても楽しく貴重な経験をすることが出来ました。
    法話の中で先生が話していた、積極的な心を持ち生きる、努力と知恵を使え、何事も今の心に始まるという言葉が心に残り、私もそんな生き方のできる人間になりたいと思いました。
    これからは人を傷つける言葉や悲しみなどの消極的な言葉は使わずに勇気や喜びを与えられる言葉を使っていきたいと思っています。また下を向かないようにして前を向いて頑張っていきたいと思います。
    食事の前と後に必ず食前の言葉と食後の言葉を唱えるという決まりがありその言葉を毎日唱えることで食事の大切さや食べ物に対する感謝をより深く知ることが出来ました。これからも感謝の気持ちを持って毎食を大切にしていきたいです。
    天光寺で学んだことを頭に入れ、これからの生活に生かしていきたいと思います。また学んだことをしっかり復習して、その先の新しい収穫や新しい物を発見していけるように継続していきたいと思います。天光寺に修行に来たことで悪いものがとれスッキリした気分になることが出来ました。以前の自分とは違った自分になれた気がしています。親への感謝の気持ちを忘れずにこれからも努力し、立派な人間になれるよう頑張っていきたいです。また天光寺で働いている人達への感謝も忘れずに生活していきたいと思います。

     

    この度はありがとうございました。私が体験修行に参加した理由は、日常で感じているモヤモヤやあせり、イライラなどのネガティブな感情と向き合い、落ち着いた気持ちを取り戻すためでした。日々会社員として働いていると、周りの人がどう思っているかや「使えない人」と思われているのではないかと心配してしまい、自分の気持ちを内にかくすようになってしまいました。常にネガティブな心の中にいるようで苦しかったです。
    今回体験修行に参加して自分の軸のようなものを少し取り戻した気がします。自分の中で一番効果があったと感じたのは滝行です。山に登るときは目的に向かってまだ終着点が見えずとも歩くことの大切さと、周りについていきながらも無理をせずに時々休みながら自分のペースを保つことの大切さを思い出しました。(道中の山の景色もきれいでいやされました。人生においても目的への道中を楽しみながら生きるのが必要)
    滝行に関しては、見ているだけよりも何十倍も冷たく辛かったです。滝に入っている間はこごえてしまい、「ここから出たい」としか考えられませんでした。瞑想をしている時はたくさんの雑念が浮かんでしまったので、本当に心の中が“今”に集中できたのはかなり久しぶり(もしかしたら初めて)かもしれません。そのおかげで出来た後は頭の中がスッキリしました。モヤモヤも晴れた気持ちです。今回だけではまだ雑念が浮かんでしまうので、時々心を無に出来る時間を日常でもつくりたいと思っています。瞑想もしてみます。
    ありがとうございました。

    お寺に到着した時は何をするのか正直よく分からなかったです。
    先生方のご指導のおかげで一日規律正しい生活を送ることが出来ました。子供達と食事、掃除、修行する機会があり、その際に歳や職業、生まれなどに捕らわれず、共同生活の中ではみんな一人一人、一つの労働力あるということを実感しました。滝行でも自然の前では一人の人間としてみんな同じなのだと感じました。また、日頃忘れてしまっている何事に対しても謙虚に前向きに取り組むことの大切さを思い出せました。あいさつや食事の片付けなど小さなことに対しても、そのような姿勢で取り組むことで自身の人生の軸もぶれずに生活していけるのかなと思いました。
    一日という短い時間でしたが忙しい日々で忘れてしまったこと、自分と向き合う時間、有限の時間である人生をどう過ごすのかという基本の心の持ちかたを学べました。
    この経験を修行体験という思い出にするのではなく、日々の生活の中で少しずつ取り入れていきたいと思います。呼吸を整える事や瞑想など、数分でも自分の心が整理できない時や仕事の合間など意識して取り入れていきたいと思いました。
    短い間でしたがあいさつから修行のお手伝いまで色々とサポートして頂きありがとうございました。

    天光寺様、この度は年末のお忙しい中、貴重な経験をさせて頂きまして有難うございました。
    私は2019年に今の会社に入社してから、様々な企業様やお客様との交流、そして国内外への数多くの旅行をする中で、学生時代では感じる事のなかった世の中の厳しさや理不尽さ、一方で面白さを沢山経験してまいりました。特に海外においては日本がいかにめぐまれた国であるかを痛感するとともに、厳しい環境でも明るく前向きに生きて仕事をする外国人のたくましさに感動することが多々ありました。そういった経験をするうちに、もっと自分が知らないことを知りたい、もっと今まで経験したことのないことに挑戦してみたいと思うようになり、今回人生で一度はやってみたかった“お寺の修行”に参加させて頂くことに致しました。実際に修行を体験させて頂いた素直な感想は”想像よりも厳しかった“というものでした。参加当初はある意味一つの人生経験としてしか考えておりませんでしたが、一つ一つの行いにきちんと意味があり、かつ自らを内省する貴重な機会でした。単純に”滝に打たれる“だけでなく、まずは自然と一体になり身をあずけ、そして厳しさの中で自らを省みることが人生を豊かにすることにつながっているのだと身にしみて感じる事が出来ました。また、今回体験させていただいた三礼、お百度参り、滝行、読経、写経、朝の清掃で共通するのは”繰り返し“の動作だと感じました。繰り返しの動作というのは一見決められた動きをただひたすら続けるだけにも見えますが、手を抜くか、努力をするかを決められる分、自分を試すことができる行為なのだと実感致しました。法話でもございましたが考える前にまずやってみる、そして心が折れそうになってもとりあえずやれるだけやってみる。そんな精神は今思えば小学校のころに当たり前のように教えられてきたことですが、大人になった今改めてその大切さ(まさに人間力)を思い出すことが出来ました。
    改めて、この度はこのような貴重な経験をさせていただき誠にありがとうございました。
    下山し、普段の生活に戻ってもこの2日間での気づきを忘れることなく肝に銘じ、そして周囲にも還元する努力をおこたることなく続けていきたいと思います。

    今回の修行を通して、前の自分より強くなれたと思う。今まで辛い事から逃げてばかりで楽な道を選んできたけど、今回の修行はどれも辛くてキツくてしんどかったけど乗りこえられた時の達成感は凄く良くて気持ち良かった。これから先、ちょっとやそっとの事ではあの修行よりはましか!ぐらいでやっていけそうな気がする。年齢も境遇もバラバラのみんなで集まって色々な事を経験できて凄くいい思い出になりました。この修行を通して過去の自分を見つめ直す機会が多く、改めて前より精神的にも肉体的にも強くなって帰る事ができて良かったです。色々パニックになった時には、ここで学んだ呼吸法を思い出してリラックスして落ち着きたいです。楽しい時を過ごすよりも辛い時を一緒に乗り越えられた時の方が絆が深まったと思う。一緒じゃなかったら乗り越えられなかったし、この修行に誘ってくれた彼には感謝しかないです。

    天光寺様、この度は年末のお忙しい中、貴重な経験をさせて頂きまして有難うございました。

    私は2019年に今の会社に入社してから、様々な企業様やお客様との交流、そして国内外への数多くの旅行をする中で、学生時代では感じる事のなかった世の中の厳しさや理不尽さ、一方で面白さを沢山経験してまいりました。特に海外においては日本がいかにめぐまれた国であるかを痛感するとともに、厳しい環境でも明るく前向きに生きて仕事をする外国人のたくましさに感動することが多々ありました。そういった経験をするうちに、もっと自分が知らないことを知りたい、もっと今まで経験したことのないことに挑戦してみたいと思うようになり、今回人生で一度はやってみたかった“お寺の修行”に参加させて頂くことに致しました。実際に修行を体験させて頂いた素直な感想は”想像よりも厳しかった“というものでした。参加当初はある意味一つの人生経験としてしか考えておりませんでしたが、一つ一つの行いにきちんと意味があり、かつ自らを内省する貴重な機会でした。単純に”滝に打たれる“だけでなく、まずは自然と一体になり身をあずけ、そして厳しさの中で自らを省みることが人生を豊かにすることにつながっているのだと身にしみて感じる事が出来ました。また、今回体験させていただいた三礼、お百度参り、滝行、読経、写経、朝の清掃で共通するのは”繰り返し“の動作だと感じました。繰り返しの動作というのは一見決められた動きをただひたすら続けるだけにも見えますが、手を抜くか、努力をするかを決められる分、自分を試すことができる行為なのだと実感致しました。法話でもございましたが考える前にまずやってみる、そして心が折れそうになってもとりあえずやれるだけやってみる。そんな精神は今思えば小学校のころに当たり前のように教えられてきたことですが、大人になった今改めてその大切さ(まさに人間力)を思い出すことが出来ました。

    改めて、この度はこのような貴重な経験をさせていただき誠にありがとうございました。

    下山し、普段の生活に戻ってもこの2日間での気づきを忘れることなく肝に銘じ、そして周囲にも還元する努力をおこたることなく続けていきたいと思います。

    お寺はお墓参りの時か観光ぐらいでしか訪れたことがなく、キリスト教のプロテスタニト教会に通ったことはあるのですが、考え方があまり肌に合わなかったのでより日本人に身近な仏教に触れてみる機会が欲しいと思っていたところ友人が誘ってくれたので、今回天光寺に滞在させていただきました。
    滝行や写経にも興味があって、実際やってみていい経験になったし楽しかったのですが、何度も繰り返したりお休みなしで六時に起きて、、、という生活をするのは本当にしんどいだろうなと思いました。
    仏教徒の方も身近にはいないので、滞在中お寺の方と接する中で、仏門に入っている方と私のようにあまり詳しくない私ではお経や仏様に対する気持ちや見え方といったものが結構違ってくるんだろうなと思いました。滝行の時に山や川に唱える言葉もあまりピンと来なかったので、いろんなところに仏様や神様がいるという考えがあることを知ってはいたものの、実際に唱えてみて初めて実感しました。
    初日に護摩焚きを見る事ができたのも貴重な経験だったのでとっても良かったです。
    法話のビデオも面白かったです。(でもできれば修行の最初の方に見て仏教やお寺のことを知ってから行をしたかったです、、、)
    滝行ですが、元々川や海に入るのが好きで、山の空気も好きなので少し楽しみでありつつ、水がとても冷たいと聞いて少し怖くもありつつ、いざ入ってみると確かに水は冷たく、滝に入ると水の勢いと冷たさで御宝号を唱えるのが想像よりもずっと大変で驚きました。考える事もままならないくらいの水にもまれることはもちろん初めてだったので、終わった後はすっきりして気持ち良かったものの、何度もできるものではないな、、、と思いました。
    普段たくさん触れているインターネットや好きなものを好きなように食べることができないのはとっても不便で常に修行の生活を送ることはできないけれど数日だけでもそういう生活を送り、仏教を少しだけでも知ることができてとてもいい経験になりました。ありがとうございました。

    今回は自分のメンタルを鍛える為に調べて修行に参加しました。
    目標は「なるべくキツイ修行を乗りこえる」でした。また一人ではなく彼女と一緒に体験することも自分の中で一つの大きなポイントでもありました。楽しいことを共に経験することも良いですが辛いことを共に乗りこえた方が二人の絆が深まると考えたからです。滝行、三禮、お百度参りとすべて厳しいもので二度としたくはないですが、一生の思い出に残る経験が出来ました。また精進料理を食べてたり、都会から離れたことで普段の生活がいかに充実していたかを感じました。これからはどんな些細なことも幸せと感じ成長につなげていける人間になるのが目標です。人生は長い修行!!

    2泊3日の体験修行を通して感じた事は修行は、この3日間で終了ではないと言うことです。 多くの事を体験させていただきましたが全てをするうえで一番大切な事は、自分自身がどのように取り組むかが一番大切だと感じました。
    特に実感したのは写経をした時です。初めは早くやろうという気持ちで行っていました。途中で見返した時に自分の字のきたなさに驚きました。一字一字丁寧に気持ちを込めて写経をしたら、その後の達成感、気持ちの良さは格別のものでした。物事を取り組むうで、どの様に取り組み、どの様に感じたいか、また、自分が出来る事を自分が出来る事を探し積極的に行動するか今後、日常生活を送るうえで気を付けて行動していきたいとおもいます。
    また、テレビでの報道が有ったので修行にくるのが少し不安でしたが、報道で有った様な事は一切なく、3日間の体験修行を有意義に過ごすことができました。
    この事は住職先生以下スタッフの皆様の指導のおかげです。
    ありがとうございました。

    一泊二日という限られた時間ではありましたが、貴重な時間を過ごさせていただけました。同時に、ふだんの生活がいかに恵まれた環境であるかということも行をとおして体感することができました。
    もともと、暗く内向的かつ人と話をするのが苦手でしたが、写経や滝行により、余計な事を考えず、何かに没入するという時間をすごせ、むき出しの自分の姿を垣間見ることができ、久しぶりに生き生きとした感覚を感じることができたと思います。
    人生は、山あり谷ありと思いますので、またどこかで立ち止まったり落ち込んでしまうようなことがあった際には、改めて行に戻ってきたいと思います。
    9月からの新しい仕事も、しっかりとこなせるよう頑張ります。本当に素晴らしい時間と機会をありがとうございました。

    はじめは滝に打たれて五感六感を研ぎ澄ます事が目的で来たけれど一泊二日の内容は盛りだくさん。お百度参りやお経を読んだり写経をしたり瞑想や腹式呼吸の発声練習など初体験をたくさんできました。

    楽しみにしていた時は思った以上に勢いが強くまだまだ自然と一体になるまで体感出来ずひたすら頑張った時間になりました。周りは大好きな自然や緑でいっぱいなのにそこを楽しむ余裕は無くて勢い強さに耐えるのに精一杯普段の生活でも何か頑張ってつらい時まわりにあるステキなものを見過ごしているのかもという気づきがありました。我慢して踏ん張ることも大切だけどその時にだけ見たり感じたり出来る事も見逃さないようにしていきたいです。

    お百度参りが百回きちんとした訳ではないけど一番お気に入りでした。滝では何かを願う余裕はなかったけどお百度参りでは大好きなペットを想って走りました。一番集中できて優しいほっこりした気持ちになれました。意外と朝のそうじの時間も仏様の水を替える時に丁寧な気持ちでしたり、家や仕事場もお手洗いは一つなのでたくさんあるトイレ掃除が学生以来で楽しすぎました。今に集中する体験を一泊二日で数多く体験できてしっかり集中して楽しめたものもあるし、お経とか眠たくなってしまうのもあったけどとにかく新しい発見をいっぱい出来て嬉しかったです。もっと自然や緑を全身で感じながら滝に打たれるようになりたいのでまた来たいです。

    滝行の辛さ、怖さと住職さんが実演してくださった“氣”がこの二日間で強く印象に残りました。ただ滝へ行き、水に打たれ、自然と一体になるのではなく、修行前に滝と山の神様への挨拶・感謝をすることや入水中に南無大師遍照金剛と唱えるのは空海の教えを授かろうとする意図があると教えて頂き、作法一つ一つの意味や神様を敬う姿勢など興味深く感じました。

    入水前はおじけずいてしまい、おけの水を頭から浴びた時に呼吸が乱れてしまい、パニックに陥ってしまった時はどうなることかと思いました。入水中は痛い、苦しい、冷たいの感覚しかなく、それ以外何も考える余裕がなく、必死に南無大師遍照金剛と唱えていました。正直なところ、水に頭を打たれた時、頭痛に耐えきれずに前に逃げてしまい頑張り切れなかった部分があり後悔を少ししています。終了後には達成感と不思議な全身に走った温かみを感じましたが、もう少し逃げずに向き合っていたらまた違う感覚が得られたんだろうなと思うと同時にまた滝行に挑戦しようと決意しました。

    住職さんが自ら“氣”を見せて下さった時は、失礼を承知の上で書きますが、全く信用出来ませんでした。といいますのも自分自身そういった類のものを目の前で見るのも初めてで、周りに霊感がある人もおらず、新しいものを受け入れることが出来なかったんだと思います。後に住込み修行僧の方々に、本当に身体が自分の意志とは関係なく動いたという話を聞き、見た事の無い世界を見せて頂いた気分で感動しました。

    これはこの体験修行全体を通して感じた事でもあります。目にする仏像や写真の一つ一つ、それらに敬意を払う仏法や所作、それらを行っている方々とお話して、自分が今まで持っていなかった新しい世界の見方を学びました。仏教や宗教自体を身をもって体感するのが初めてな自分には今日聞いたお話全て丸のみにして信じきるのは抵抗がありますが、自分が見ている世界を見る別な視点、そして世の中の力全般(人間力、対人力など)をこれらを通して学ぶことが出来る一つの考えのようなものだと今の段階では解釈しています。自分が知らない世界、理解できない世界があると肌で感じられただけでも来て良かったと実感しています。

    また一つ、この二日間を通して自分が受けた恩恵として、とても集中することが出来たということがあります。スマホから離れたというのも大きいかもしれませんが、写経や般若心経一時間唱えた時など時間があっという間に過ぎ、普段集中力が途切れ途切れになってしまう分、自分でびっくりしました。スマホ生活で失われていたものが少しだけ取り戻せたような気がします。集中できたことに加えて、心が浄化された感覚もこの滞在中にありました。自然に囲まれた静寂の中、瞑想や滝行をして心が軽くなった気がします。心が疲れた事もここへ来た理由の一つだったので、そういった意味でこの恩恵を受けられて良かったです。

    住職さんが法話の中でおっしゃっていた自分が舞台と主役になれというお話から特に学ぶものがありました。舞台、役者になるために人脈の大切さ、人脈を得るためには他人への礼儀作法の大切さを説かれていましたが、自分にはまだしっかりとした礼儀や利他的な行動が出来ていないので住職さんのお話は自分への戒めとなりました。自分の事ばかりに目が向き、意識も内向的になりがちなのですが、自念障害のお話を聞いた際、やはり攻めないといけないなと感じました。

    二日間はかなり短く、もっと居ればもっと得られるものもあるだろうという実感があるのでもう少し居たかったという思いもあります。貴重な体験をさせて頂き感謝しています。お世話になった方々に感謝しています。ありがとうございました。

    近頃自分の本当にやりたいことや好きな事が分からず無気力で目標の明確でない日々を過ごしていました。インターネットでたまたま滝行の存在を知り、天光寺を知りました。直観で「すぐにやりたい」と思い、十分に自分と向き合えるように二泊三日での修行体験を申し込みました。結果的に、とても良い決断だったと思います。自分が今後どのような人生を歩みたいのか、そのために今何をやればいいのかが見えてきました。その大きなきっかけとなったのは滝行と写経、お寺での日常生活だったと思います。

    滝行では、自分の恐怖心と向き合うことができました。修行中の三日とも滝行に参加しましたが、一回目と二回目では全く違う感覚になりました。一回目は、滝行の大変さが分かっていなかったため、ドキドキワクワクという感じでした。実際に滝に入る順番が来ると「怖い」という気持ちになり、無我夢中で耐えたという感じでした。それに対して二回目の時は滝に向かう時に緊張や怖さがあり、滝に入っている時は少し心地よさを感じました。滝と一体になっている自分を見ることができた気がします。この一回目と二回目の変化を感じた時に、私は今、人生において二回目の滝に入る前のようなタイミングなのだと思いました。本当はやりたいことが分かっているのに、怖くて見ないようにしていたのだと分かり、すごくスッキリしました。また、滝行の後に一時間ひたすらお経を唱える時間がありました。集中していたり、少し気が散ったり波がありましたが、頭がぼうっとして何をしているのか分からないような不思議な感覚になりました。その感覚でいる時に今後の理想の自分像が少し見えたり、やりたいことが浮かんだりして、楽しい気持ちになることもありました。ひたすらお経を読むことでよけいな事を考えにくくなるため、素直な自分の気持ちが分かるのかなと思います。

    天光寺の宿泊中は、食事の用意や朝のそうじなどのお手伝いもさせていただきました。日常の事一つ一つを丁寧に行う事の大切さを感じ、自宅での生活にもいかそうと思いました。

    今回の研修を終えて、改めて自分自身の人生の主役は私であり、そのためには物事に積極的に取り組む必要性を再認識しました。

    今回、人生で初めて滝行や瞑想、お百度参り、写経を経験する中で、これまでの社会人人生や私生活を振り返り、数々の反省が頭の中を巡りました。また、食事の配膳や就寝の準備をする中で、チームワークの大切さや仲間の手助けを何度も受け、有難さを実感しました。特に滝行の際は、滝までの道中でも助けてもらい、冷たい滝に打たれている最中でも、声援を送ってもらい、くじけそうな気持ちを支えてくれました。またお百度参りでは、二人一組で走り、「南無大師遍照金剛」と唱えるのですが、独りで走っていたのでは、絶対に心が折れていたと思います。やはり、チームワークや仲間の存在がとても大きいと実感しました。

    日常生活の中ですと、自身が未熟なため、感謝を忘れがちになり、「物事がスムーズに進んで当たり前」と思ってしまう傾向がある私ですが、感謝の気持ちを忘れないようにしようと思います。また、ご住職のお言葉にあった、「心と身体は一体であること」「利害と関係なく行動すること。利害で行動すれば怨念が生まれる」、「ここ一番という時に必ず結果を出すことを信じて行動し、自分自身を信じる強い気持ちを持つ人間になる」、「そのためには自分自身をコントロール出来る人間になることも必要」という言葉が強く印象に残りました。今後の人生に活かしていきたいと思います。

    最後になりましたが、この二日間お世話になりました。天光寺の皆さま、研修を企画くださった統経部の皆さま、有難うございました。

    一泊二日の修行を経て、自分の心が大きく変わりました。お百度参りでは何度も走り、「南無大師遍照金剛」と言うたびに強くなっている気がしました。そこで一つ大事な事にも気づきました。

    お百度参りの終盤に一緒に来ている体験修行の方が「あと少し!がんばろう。」と声をかけてくれました。その言葉に救われました。応援されるということはすごく嬉しくがんばれる動力になります。滝行では、山登りの時点できつく、ここに来たことを後悔しました。そしてやっとついた滝では、順番も早く、心が出来ないまま、滝行に挑みました。水浴びの段階では、まだ余裕でしたが滝に入っていくと、正直な感想では早く出たい。手を前に出すか迷いました。しかし滝行に入る前に、同行した体験修行の方に言われた言葉を思い出しました。「なりたい自分を思い浮かべて」という言葉です。私は小さいころから全てお母さんにやってもらい、学生時代も友だちに頼りっぱなしで一人で何も出来ませんでした。他にもダンサーを目指して頑張っていた時も、何度もオーディションに落ち、周りの友だちが合格して輝いている友だちを見て私には何もできないと自信を無くし諦めてしまいました。また、去年の教員採用試験では、大阪府の試験に落ちてしまい、倍率の低い他の地域の教員に逃げてしまいました。私の人生は、諦めて、逃げて苦よりも楽をとっていた人生だと気づきました。だからこそ、滝行では逃げず諦めないようにしよう。そう意気込んで挑んでいたことを思い出しました。また、私は強くなりたい。その思いから滝行で最後まで頑張ることが出来ました。終わった後は、達成感でいっぱいいっぱいでした。私の頑張っている姿を見て体験修行の方は「泣きそうになった。がんばったね」と声をかけてくれました。着替えの場所に向かう際も「おつかれさま。」と沢山の人が声をかけてくれました。応援は本当に大きな力にもなり、独りじゃないんだなと思うことが出来ました。また滝行が終わった後は、心も体も軽くなり楽になりました。通ってきた道も一緒なはずなのに、怖かった岩場も軽やかに下山することができました。心も変われば体も変わるということがわかりました。この言葉は忘れないようにしたいです。夜の般若心経では、一日疲れていたのか無の感情になりすぎてしまい、美味しそうなご飯が浮かび上がってきました。すごい不思議な感覚でした。写経もずっとやってみたかったのですることが出来、夢が叶いました。

    この一泊二日の修行でさまざまな経験ができたと同時に新しい自分に出会い、もっと自分が好きになりました。ネガティブな自分を滝行で流すことも出来、明日からはポジティブで人を応援し、応援してもらえるように精進してまいります。この恵まれている環境に感謝し命ある限り人の為、自分のために頑張り、一つでも多くの夢を実現できるよう努力していきたいです。私は幸せです。二日間お世話になりました。ありがとうございました。

    私は天光寺に落ち込みやすい自分を変えたいと思い参りました。きっかけが家族のすすめだったこともあり、最初は四日間修行についていけるか不安な気持ちがありました。しかし修行を終え、来る前の自分と比べると、少し自身が持てるようになっていました。

    以前の私は、自分を甘やかしていたのだと、滝行を通して気が付きました。初めて滝行に参加させていただた日、始めに滝行された方を見て、とても私にはできないと思いました。水の勢いに負けず、ハキハキと「南無大師遍照金剛」とおっしゃっているのを見て、私にもできるのか不安になったからです。いざ入水すると、経験したことのない冷たさと、まわりの人に見られている緊張で、呼吸が上手くできませんでした。滝に打たれると、呼吸は荒く動悸は激しくなり、過呼吸で手がしびれるまで泣いていた日々を思い出しました。滝行を中断したい、もう辛いことはしたくない、と一度滝から出ようと身体を前に出すと、押し戻されました。今思い返すと、あの時逃げていたら私は泣きじゃくっていた時から一歩もすすめずにいたと思います。滝から出た時、私はまだ水が冷たかった、息がうまくできなかった等、目の前のことしか見えていませんでした。しかし、一緒に滝行に参加された方が晴れやかな顔で「スッキリしたね!」と声をかけてくれたのです。「思考が人生をつくる」という言葉がふと浮かび、自分自身でふさぎ込んでしまう原因をつくっていたんだと気づきました。

    二回目の滝行、トップバッターはもちろん緊張しました。それでも昨日のことを思い出し、自身を鼓舞すると、とても落ち着いて滝行にいどむことができました。「良かった」とおほめの言葉もいただけて、前向きに残りの時間を過ごすことができました。天光寺を訪れたときの不安は消え、今は明るい気持ちで帰ることができます。「思考が人生をつくる」この言葉を常に意識し、落ち込んでしまった時は腹式呼吸、瞑想を行い、昨日よりも少し成長した自分を考えながら生活していこうと思います。

    大変お世話になりました。ぜひまた滝行だけでも参加させていただけたらと思います。ありがとうございました。

    一度で良いから滝行をやってみたいという軽い気持ちで今回滝行をやらせて頂いたのですが、実際にやってみると滝に入ってすぐに息の仕方がわからなくなり恐怖を感じました。滝行に行く前に「入ってすぐに苦しくなったりする事もあるし、頭が痛くなる事もある、だけど入って少したら辛くなくなるかもしれないからすぐにあきらめて滝から出るのはもったいない」という話を聞いていたので何とかふんばる事ができました。自然の恐さをこんなに身近に感じたことは今までになく、あきらめずにやりとげられた事の嬉しさ、滝行が終わった後の体のすっきりした感じや清々しさ、様々な事を自分の肌で感じる事ができました。

    めい想も聞いた事はあったのですが、実際にやった事はなく、きれいな空気を吸っているイメージで、吐く時は過去のあやまちや反省を思いながら吐くのを続けていると、終わったあとに体の芯が温かくなってきて気持ちも落ち着き、滝行の時の様な清々しさも感じられました。呼吸一つ意識するだけでこんなに気分が変わるものなんだなぁと思いました。これは普段でもできるので、少しの時間を見つけてこれからも自分の心身の為にめい想をやっていきたいと思います。その他にも、法話など貴重なお話をたくさん聞けました。中でも心に残っているのが「消極的に生きるのと積極的に生きるのでは、運も人生も変わる」「努力と知恵を使って、人脈を大切に、人に感謝して生きる」「発する言葉がことだまとして残ったり耳に響いたりするから、プラスの事を発する。発言で気持ちが変わり、考え方が変わると行動が変わり、行動が変わると人生が変わる」「人に認めてもらえない事を不安に思うのではなく、相手を認められない事を不安に思え」です。仕事をしていく中や、日々日常を生きていく中で、教えて頂いた言葉を大切にしていければ今よりももっと人生を豊かに、清々しく、強く生きていけると思いました。

    他にもみなさんとても優しく接して頂き、とても楽しかったです。食事も、いつもは白いごはんにおかず一品だったので、ここでたくさんのおいしいおかずやスープを頂き、心身ともに健康になった気がします。ここに来なければ体験できなかった事、感じられなかった事がたくさんありました。これからも、自分が興味を持った事ややりたいと思える事に積極的に取り組み、何か問題が起きた時も、消極的になるのではなくどうしたら良いのかプラスになる為に積極的に生きたいと思います。とても貴重な体験、ありがとうございました。

    一泊二日、お寺で修行をさせていただいて、これまでの生活や学んだことを振り返るきっかけになりました。

    今年の四月から、社会人になり小学校の先生をしていますが、この一学期は、何事も初めてで、やりがいを感じながらも本当に苦しかったのが本音です。夏休みに入り、仕事に余裕ができると「子ども達の為に何ができたのか」担任としての反省点は多く、改善するという向上心を修行を通してさらに与えてもらいました。礼儀の大切さも、分かっているつもりでも、大切さを丁寧に教えていただくと、大切さの意味を理解し自ら取り組もうという気にもなりました。子どもに対しても「あいさつをしなさい」と言うだけでなく、なぜ大切なのかを伝えながら、自主的に行動する子どもを育てたいと思います。

    滝行では、仲間の頑張りを見て、頑張ろうという前向きな気持ちになれたり、応援されることでこれまで以上の自分の力を出せたり中高生時代の部活動がなつかしくなりました。また、それぞれの想いや考え、悩みを持った方が、何かを変えようとして参加しているのだなと思い、自分だけではなく他の人もいろいろなことを抱えて生きているんだなと、心強くなりました。現代社会にはおいても、孤独を感じている人が増えているように感じます。

    学級をもつ私にとって、クラスに一人でもそのような思いをする子どもがいないように、中高生時代での部活動や滝行をしたからこそ子どもに伝えられることもあると思います。今回の修行で感じたことを、そのままにせず、次は教育現場の子ども達に伝えていきたいと思います。

    講話でもおっしゃっていたように、ポジティブ思考、向上心はとても大切だと思います。私自身も大切にしている生き方です。生まれつきそのような思考ですが「ことだま」本当にあるなと思えました。「できる」と思い続ければ、何でもできるし、そのように思える自分は、普通だけど最強なんだなぁと自信がつきました。本当に、周りの友達や上司には恵まれており、孤独とおもうどころか、やっていること目指していることが違えど、高め合える存在で感謝の気持ちでいっぱいです。その感謝も気持ちだけでなく、言葉や行動でさらに相手に伝えていきたいと思います。この修行を通して、自分を振り返るきっかけになっただけでなく、初めての経験をしたことによる新しい考え、感情、自分にも出会うことができたと思います。

    一泊二日という短い時間でしたが、ありがとうございました。

     

    私は先生の法話を見て思ったことが三つあります。

    一つ目は、積極的に生きることの大切さ重要性を改めて再確認させて頂きました。無意識の中や自分自身の言動を思い返すと自分自身の消極的な発言や思考でもこれはだめだなと思って動けない場合がものすごく多かったです。積極的に生きるには消極的な言動や思考をしたらそれを無くして勝ってやるなどの積極的な思考や言動をしていけたらなと思いました。どんなに絶望的な状況でも、これは無理だと思わず積極的に努力と知恵を振り絞って、粘り強く生きていこうと思いました。

    二つ目は、分かったふりをしてしまうことはだめで直していかなければいけないと再確認させて頂きました。普段の仕事で分からないのに分かった風に仕事をして失敗したりしていました。何でそんな事をしてしまったかと言うと分からないことがだめで人に聞くのが恥ずかしいと思っていたからです。

    三つ目が、思考が人生を作ると聞いて、本当にその通りだなと思いました。思考を変えて行くには日々の行動やほんのささいな事でも気をつけていきたいと思いました。

    法話を聞いて特に印象に残っていることは、新しく生まれ変わった人間になるために、積極的に行動するということです。自分の中で悩んでいた何事も上手くいかないというものを根本からくつがえされたような感覚でした。そもそもネガティブな結果ももたらし、さらに悪化していくと法話で学びました。新しい出会いや人脈を見つける為にも、色々な所に行って、感じて、学んでいける人間になりたいです。その出会いによって今まで負けてばかりいた人生がガラリと変化したらいいなと思っています。また人脈を作るために、感謝や礼儀が大切だということも学べました。名刺の裏に感謝など、ちょっとした気遣いで、信頼ができるものだと知れました。気遣いで良いなと思われるような人になりたいです。この二つは私が今までできていなかったものばかりです。これらを積極的に行い、新しくポジティブな人になっていきたいです。

    法話をきいて、これから「どのように人と、そして自分と関わりを持っていくべきなのか」の道すじがはっきりしたように感じました。この法話で印象に残っているのが、人生の主人公か負け犬どっちになりたいのかという言葉でした。法話の始めと終わりで2回この問いがでてきたのですが、一回目に聞いたときに私はどちらでも構わないと思いました。「負け犬」という響きは良くない言葉でも人生何をしても失敗ばっかりだった私にとっては、負け犬の人生でたとえそれが辛くともそこには学びがあってそれが糧となり「人間力」の底上げにつながっているという思いがあったからです。しかし、先生の話を聞いていると、この法話での「負け犬」とは、ネガティブを口にし、消極的に生きる人のことでした。それとは真逆の生き方をしたいともがいている私は「主人公」になりたいのだと気づくことができました。何があっても負けないぞという強い心をもち、ネガティブは口にせず、何事にも積極的な姿勢で生きていこうと思えました。最近は人との関わりもほとんどせずに生きていたので、積極的に関わりを持ちたいと思いました。

    この文章を書いているまさに今、とても頭がすっきりしています。こちらへ来てから短い時間の出来事、経験が、今後の私にとっての大きな力になってくれるような気がしています。

    ~めい想~

    とても好きな時間でした。正直眠くなってしまうのかと思っておりましたが、その逆で頭がすっきりとし、集中力が増したような不思議な気持ちになりました。先月まで勤めていた職場での約九年間のせわしない生活、逆に今の時間がありすぎてだらけてしまった生活、どちらも良くないと今になってわかります。バランスも取り、心にゆとりをもち、かつメリハリのある人生を送るためにも、めい想は今後も私生活に取り入れようと思います。

    ~写経~

    自分の体(手)を使って仕事以外の何かに集中するのは、とても久しぶりでした。完成した時の心の満たされ具合は大変すばらしいものでした。こういう何かに追われず、焦らず、集中する何かを趣味にしたいと思います。

    ~お百度参り・滝行~

    お百度参りはやっているうちに「無」になっていくイメージで、体も温かくなりました。滝行はとても寒かったです。やっている時は正直手も震え「無」にはなれなかったです。しかし、背中をつけ、腰をつけ、後半に行くにつれ、心地よくなっていき、上がったときには最高な気持ち良さを感じることができました。

    他も早寝早起き、お掃除など、少したるんでいた自分にとても良い刺激になりました。この一泊二日での経験は、自分の見方、生き方、とにかく「自分」を考え直し、一歩二歩先に進むきっかけになってくれたように思えます。また天光寺の皆様と、合間合間たくさんお話をさせていただいた事も、大変私にとって貴重で心に残るひと時となりました。二日間本当にありがとうございました。また必ず、次は前向きな心でここに来ようと思います。

    今までを振り返ると、消極的に生きていたように思える。実際、日々の中でたびたび「もうだめだ」や「もう無理だ」と言ってしまっていることが多い。しかし、滝行や瞑想をしている最中はそのようなことを思うことはなく、「負けてたまるか」や「弱い自分出ていけ」といった積極的なことを無意識に考えることができていた。これは積極的に生きることの大切さを体験を通して学ぶことができたと同時に、そういった人生を送るための最初の一歩をふみ出せたように思える。この歩みを続けていくためにも、積極的に生きることの大切さを忘れずに、消極的になりそうになった時も今回の体験や乗り越えられないことは神様は与えないという言葉を思い出し、人生の主人公になれるよう精進していく。

     

    私は今回初めて、一泊二日で修行を行いました。正直来る前は滝行などをやってみたいという気持ちもありつつ、心のどこかで不安な気持ちもありました。ですが、実際にこの二日間で体験したことはそのほとんどが人生でやった事のないものばかりで、なおかつ、その一つ一つが自分と向き合う、雑念などを取り払い、前向きに何かを取り組むための修行のように感じ、本当に有意義な時間でした。

    具体的にはこの二日間で、瞑想、書経、お経を唱える、お百度参り、滝行、寺全体の掃除、そして先生からの教えを学ぶなどを行いました。実際にこれらの事を体験し、自分が何か困難なことや苦しい事があった時にも背中を押してもらい、前向きになれるものであったと思います。また、先生からの教えで特に印象深かった部分として①人生を積極的に取り組むか否かで運を左右する。②人間力とは困難に立ち向かう力のこと。③マイナスの事を考えたり発言などはせず縁(人脈)を大切にする。の三点です。実際に今を生きている中で決して今の状況に不満を抱いている訳ではありませんが、今回修行の目的でもあった「今の自分を磨き、人間として成長したい」という目的を果たすための今後の考え方を学べたように思います。

    実際にこれまで24年生きてきた中でも、自分が何かに積極的に取り組み行動した時、また困難な事に挑戦した時に、大きな成長が出来たと思い、今後も自分自身の人生をより良いものとできるように、仕事面では独立開業等でより自分らしく生き生きとしていきたいと思いました。また、仕事面にも関連することでもあり、今後関わる人との人間関係に恵まれるかどうかに関係しますが、自分の発言や姿勢など他の人から見ても素敵だなと思われるような、良い縁に恵まれるような人間にこれからも成長し続けたいと思います。

    長くなりましたが、二日間で学びを得た事は非常に大きかったです。本当にお世話になりました。ありがとうございました。

    今回の法話を聞いて、大きく分けて二つの事を考えました。
    一つ目が「徳を積む事の大切さ」二つ目が「努力することの大切さ」です。
    まず、「徳を積む事の大切さ」についてですが、お話の中にもあったように天光寺での教えである「きくばり」、「礼儀」、「ふるまい」などその一つ一つの行動や言葉が人間を作り上げているのだなと行を通じて思いました。はじめこちらに来た時は緊張しており、修行僧の方々と話すだけで精一杯でしたが、夕方以降はルールを教えて頂いたり、会話も多くなり、おひとりおひとりのお人柄を知る機会も増えました。私が何をすればよいか分からず立っていると優しく教えて下さったり、そうじの際も先に一通りやり方を見せてくださいました。言葉で指示するだけでなく行動を見せてくれることでとても安心できましたし、親切心や優しさを肌で感じることが出来ました。全ての行動が丁寧で、愛が宿っている気がして一緒に過ごす中で、自分がいかに時間を言い訳にして丁寧さを失っているかをひしひしと感じ、恥ずかしさまで感じるほどでした。

    人間というのは誰しも自分と他人を比べながら生きるものだと私は考えます。昨日たった一日ですが、実際私は修行僧の方と自分を比べました。生き方の違い、発言の違い、心の余裕の違い様々な角度からです。比べて感じたのはやはり「時間の使い方」でした。仕事においてもプライベートにおいても自分ばかりを優先して、周りの人に時間を使えていなかったと、そしてそれが原因で自分の人間力が下がっていたのだと感じました。小さいころから両親には「徳を積みなさい」とさんざん言われていたのに、すっかり抜け落ちていたのです。天光寺へ来て、きちんと挨拶をしたり、洗い物やそうじをしたりと、普段の生活に応用できることを沢山教わりました。ぜひ今回学んだことを人のために使えるような人間になりたいと思います。

    そして、二つ目の「努力することの大切さ」についてですが、お話の中にあった空海の修行法である、死と隣り合わせになりながら洞窟の中で修行するというのが、昨日体験したお百度参りと滝行と重なりました。滝までの急な坂道、ドドドと音のなる強い水圧の滝です。
    困難に立ち向かい、負けない精神力を持つこと、それが努力だと私は考えます。滝を見た時、一瞬やめようかなと怯みましたが、終わった後は非常にすっきりして、達成感がありました。社会人になり、人間関係や、立場、場所など選択肢が広がり、「楽に楽に」と自分を持って行ったように感じます。お百度参り中、息が上がって来た時、「辛い」、「苦しい」という感情になったのは果たしていつぶりだろうと思いました。中学生の時に体育の授業で行った12分間走のことを思い出し、頑張るだとか、努力するようなことがここ数年無かったなと実感しました。そして、努力することでこんなにも心が晴れやかになることを感じ、これから何事も努力を惜しまずに積極的に挑戦していきたいと思いました。

    法話の中で「前世-現在-来世」全てつながっているというようなお話がありましたが、徳をつめばつむほど来世の自分の魂は輝くでしょうし、努力すればするほど、来世の自分は幸せになれると思いました。

    この度は、貴重な体験をありがとうございました。次回来るときは子供を連れてきたいと思います。

    近頃自分の本当にやりたいことや好きな事が分からず無気力で目標の明確でない日々を過ごしていました。インターネットでたまたま滝行の存在を知り、天光寺を知りました。直観で「すぐにやりたい」と思い、十分に自分と向き合えるように二泊三日での修行体験を申し込みました。

    結果的に、とても良い決断だったと思います。自分が今後どのような人生を歩みたいのか、そのために今何をやればいいのかが見えてきました。その大きなきっかけとなったのは滝行と写経、お寺での日常生活だったと思います。

    滝行では、自分の恐怖心と向き合うことができました。修行中の三日とも滝行に参加しましたが、一回目と二回目では全く違う感覚になりました。一回目は、滝行の大変さが分かっていなかったため、ドキドキワクワクという感じでした。実際に滝に入る順番が来ると「怖い」という気持ちになり、無我夢中で耐えたという感じでした。それに対して二回目の時は滝に向かう時に緊張や怖さがあり、滝に入っている時は少し心地よさを感じました。滝と一体になっている自分を見ることができた気がします。この一回目と二回目の変化を感じた時に、私は今、人生において二回目の滝に入る前のようなタイミングなのだと思いました。本当はやりたいことが分かっているのに、怖くて見ないようにしていたのだと分かり、すごくスッキリしました。

    また、滝行の後に一時間ひたすらお経を唱える時間がありました。集中していたり、少し気が散ったり波がありましたが、頭がぼうっとして何をしているのか分からないような不思議な感覚になりました。その感覚でいる時に今後の理想の自分像が少し見えたり、やりたいことが浮かんだりして、楽しい気持ちになることもありました。ひたすらお経を読むことでよけいな事を考えにくくなるため、素直な自分の気持ちが分かるのかなと思います。

    天光寺の宿泊中は、食事の用意や朝のそうじなどのお手伝いもさせていただきました。日常の事一つ一つを丁寧に行う事の大切さを感じ、自宅での生活にもいかそうと思いました。

    日常生活と異なる修行のおかげで、気持ちを改めることができたので、良い体験になりました。そして、中学生と一緒に生活することも新鮮でした。

    滝行は、人生で2回目でしたが、しっかりと最後までやりきれ、終わった後は清々しい気分になりました。

    瞑想は、普段からおこなっていますが、お寺での瞑想は集中でき、手汗がでるほど効果を実感できました。

    また、住職のお話は大変興味深く、貴重な時間でした。宗教の話だけではなく、政治や世界情勢の話なども聞くことができて勉強になりました。もっとたくさんのお話を聞いて学びたいなと思いました。また、「氣」については、不思議な感覚があり、新たに興味を持ちました。

    あっという間に感じた一泊二日の体験修行でしたが、有意義に感じたことは、今後の生活に取り入れていこうと思っています。

    私はこの三日間人生の記憶に残るきつい体験をすることができました。ただ、この体験は一人では乗り切れないようなものが多かったです。励まし合うことでなんとか負けずにやれました。

    先生からのお話では、私は特にあいさつの大切さに気付かされました。単純に普通に生活や仕事をしていて、ここまで真剣にあいさつをしたことはありませんでした。すべてはあいさつで決まるし、あいさつがチャンスを呼び込むということも納得しました。

    また、負けないことという言葉はちょうど今の私の状態にぴったりな言葉でした。いつもポジティブな思考と行動をしていくことで前向きな人になれるし、自分を負のスパイラルへ向かわせることもなくなると感じました。

    滝行では、自分と向き合うとても良い時間を過ごすことができました。生まれてから今までの覚えていることがあふれ出てきました。だけども一つとして良くない記憶が出てきませんでした。そのため、滝行終了後は、こんなに恵まれているんだと感謝することを心の中で考えていました。感謝することで、一つ一つの動きが気持ちのこもったものになるのではないかと感じました

    自分自身を見つめ直すとても充実した三日間でした。ヨガや座禅も自分の生活に取り入れたりして、ストレスフリーな状態を維持しようと感じました。食事に関しても、普段好きなものを食べられていることに感謝せねばならないと感じました。しっかりと「いただきます」ということはとても大事なことです。

    さて、ここで自分の普段を振り返ってみようと思います。私は普段ストレスに対して食べる事で解消してきました。しかし、その食事のとり方によって、血圧もまだ22歳なのに高くなりつつあります。ここでは普段と違うという時点でストレスではありますが、身体を動かしたり、声を出すことでストレスを解消できていました。運を動かすと書いて運動ですが、本当にその通りだと感じました。適度な運動は私にとってですが、大切なことであると思いました。

    また、掃除に対しての意識が、変わりました。掃除をすることで、それが自分の心も綺麗にしているという点です。一つ一つの基本的な行動に対してこだわりを持ち、感謝した行動を実行していきます。

    二日間の体験をとおして自分に心のゆとりのなさがあることが改めて分かりました。

    滝行では、寒かったですが、やってみて体が引き締まる思いがしました。そして、自分の事が改めて小さい人間だと感じ、自分を見直していく良いきっかけになりました。

    食事の時も、あいさつをするなど普段では意識しないような事も意識することが大事だと感じました。

    お百度参りでは滝行の前にやりましたが寒い中でしたが身体も温まり滝行に行く前に集中できたと思いました。

    三禮では、自分の体力のなさと集中力のなさを実感できました。ふらふらになりながらですが、できた時の充実感と達成感を感じて心が満たされた感じがしました。

    全体を通してふだんできない体験ができたことを会社にも感謝したいです。

    1日目は、あいさつの一連の仕方を教えていただき、その後、「いらっしゃいませ。ありがとうございました」の丁寧なあいさつの仕方を学んだ。その時思ったのがこんなに頭を下げなくてはいけないんだと思った。今までを振り返って考えてみると、あんなに深々と頭を下げたことがない事に気づくことができ、改めてあいさつの仕方について考え直すことができた。その住職のご祈祷をしていただき、初めて本物の仏壇とお坊さんのお経を聞いてすごく神々しいと感じた。

    その後は、光明真言を2時間ぶっ通しで唱えた。自分は、今までずっと運動部で体力には自信があったが、正座、あぐらでずっと2時間お経を読んで思ったことは、じっとしているのも辛いことなんだと分かった。光明真言を唱えた感想としては、難しい漢字ばかり書いてあって読み仮名は書いてあるが、独特なリズムでなれるまでなかなか時間がかかった。これを暗記しているお坊さんはすごいなと思った。

    その後は、南無大師遍照金剛を数珠を使って1500回唱えたが、頭がおかしくなりそうだった。その後夕食を食べ、写経をし、1日を終えた。1日目の感想としては慣れない環境で不安だったが、初めてのことがたくさんあって楽しかった。

    2日目は、6時に起きて、掃除から1日が始まった。掃除が終わったらみんなで食前の言葉を唱えて朝食を食べ、1時間半瞑想をした。瞑想をするのは初めての経験で、最初は落ち着かなかったが、徐々に呼吸が落ち着いていって、心が安らかになるのを感じた。瞑想が終わって目を開けるとスッキリしているのが分かった。体も少しポカポカしてすごく心地よかった。

    その後、十三仏真言を唱えてお百度参りと滝行のあいさつを教わってお百度参りと滝行をした。お百度参りでは裸足でコンクリートを走って足の裏が痛くなった。滝行では、自分の前の人が先に打たれる姿を見て少し怖くなったが、気合を入れて水をかぶり、その一瞬は冷たいと思ったが、入ってみると案外余裕で、すごく気持ち良かった。帰ってきたら、1時間光明真言を唱えて夕食を食べて写仏を書いて2日目を終了した。

    3日目、6時に起きて6時半から掃除して朝食をとり、前日の使った行着をたたんだ。その後お百度参り108回をした。お百度参りの終盤につれて、みんなの顔が険しくなっているのがわかって、みんなも辛いんだから自分も頑張らないといけないと思って頑張った。走り終えると、足のうらが痛くて苦しかった。でも、みんなで辛いことを乗り越えた達成感はすごく気持ちよかった。お百度参りが終わったら、川行をした。汗もかいてて、気温もあたたかくて修行というよりは、リフレッシュに近いくらい気持ちよかった。川行が終わって昼食を食べて十三仏真言を唱えて三禮を108回した。この5日目の中で、一番つらく感じた。徐々に足が痛くなって、声も出なくなっていて、となりを見ると苦しそうにしている仲間を見ておれががんばらないといけないと思って人一倍声を出して、鼓舞してなんとか5人そろってやりぬいてとても達成感がわいてきて高校の部活を思い出して楽しかった。でも、またやりたいかと言われたら、正直やりたくない。三禮が終わったら夕食を食べて、般若心経を書いて、3日目は終了した。

    4日目も、6時に起きて、6時半に掃除をして、朝食を食べて行着をたたんで瞑想と声出しをした。その後、十三仏真言を唱えた。その後、昼食を食べて、お百度参りをして、雨の中滝行をした。雨の中のお百度参りは、足の裏は痛いは、足元はすべるはで、大変だった。お百度参りが終わった時には、体が温かかったが、車に乗って移動して山をのぼるころには、体が冷たくなっていて本当に滝行をやるのかと思った。4日目の滝行は、1回目と違って雨が降っていて寒かったから、前よりも何倍も気合を入れて滝行にのぞんだ。入ってみると思ったより冷たくなくて終わった後は体がポカポカした。帰りの下山が一番寒かった。帰ってきて般若心経を唱えて夕食を食べて写仏を4日目終了。

    5日目最終日も、6時に起きて掃除をして、朝ご飯を食べた。その後瞑想して、お経を唱えてお昼ご飯を食べた。その後、先生の講和を聞いた。乾燥としては、人間幸せになるために生まれてきたのだから、何事にも負けん気を持って、積極的に生きようと思った。最後に、5日間を終えてみて思ったことは、辛いことを5人で分かち合えたのは、これからの仕事に役に立つ経験になったと思う。

    2日間ありがとうございました。
    呼吸法や発声法にはじまり、お百度参りなど様々な修行を体験させて頂く中で、あいさつの大切さと繰り返しやり続けることの大切さについて学ばせて頂くことができました。
    「あー」という1つの音を出すのにしても思っていたより全然息が続かなくて驚き、だからこそ先生方の安定感のある、心地よい音がどうやったら出せるんだろうどれくらいの時間をかけて体得なさったんだろうと鳥肌がたつ思いでした。
    お百度参りでは、コンクリートの熱さに、最後まで続けられるか不安でしたが、皆と一緒にがんばっているという連帯感のおかげでやり遂げることができました。
    般若心経をとなえ続ける修行は、正直一番辛かったです。時間がとても長く感じて「もうやめたい」という自分との戦いでした。その反面、何度繰り返してもなかなか覚えられないことがくやしかったり、やっぱりここでも「継続は力なり」を実感し、私今まで何か1つでも自分の納得いくまでやり続けて達成した事はあったのかな?今やっていることも、もっと努力をできることがあるはずだと気付くきっかけになりました。

    また修行ではありませんが、今回宿泊させて頂く中で、ご飯や掃除など日々の生活のひとつひとつに心を込めること、与えていただいてるものに感謝することの大切さにも気付かせていただきました。心を込める余裕のある生活をしたいです。
    ご飯とっても美味しかったです。
    本当に貴重な体験をありがとうございました。

    「本当にしんどい時は笑える」「日常こそ修業の場」この2つが、今回修業に参加して得た私の学びです。元々、天光寺は半日滝行に参加した友人に話を聞いて知りました。そこで昨年からどうも完治し切らない心身の不安定さの解消と、今年始めた琥珀ジュエリーのプロデュース事業成功を願って参加を決めました。最も楽しみにしていた滝行で冒頭一つめの学びを得ました。まさかのトップバッターとして滝行に臨んだのですが、水に入る時、かぶる時、自然と恐怖心はなく目の前の水に対してほぼ『無』の状態で滝を浴び始めました。結果、笑いが止まらない状態になり、水圧が強くなればなる程どんどん笑ってしまう自分がいました。この時「本当にしんどい時、私は笑える人間なのだな」と思えこれからの人生における困難な事も怒る前から恐れる事なく只受け止め、渦中になったら笑いながら乗り越えようと決意しました。二つめは、この期間で「繰り返し作業」を繰り返しながら感じたことです。私自身、自分の中に怠惰な性格を自覚していた為、つい「面倒くさいな」「まだ終わらないかな」という気持ちでやってしまった時に、意識してとにかく『無』になる事(集中すること)や願い事で心の中を満たすようにしました。こういう気持ちになることは日常においても掃除や皿洗いなど多々あります。そういう時でも「面倒くさい」に負けず、只行為に集中することで日常にも修業の場をつくることが出来ると感じました。特別な時だけ調子の良い時だけでなく、日常辛い時にこそ心身を鍛えるチャンスがあると教えて下さった天光寺の皆さまにこの場を借りて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

    今回、初めて体験修行に参加させてもらい、一番得たいと思っていた煩悩からは少し離れられたように感じます。また、仏教の教えから、気持ちが穏やかになったように思います。

    どうしても人と比べてしまい、努力不足なのではないかと自分を追い込み、結果につながらないことが多くあります。他人をうらやむ気持ちがとても強く、気持ちが乱れてしまい、目の前の大事な事に集中できず焦ってしまい悪循環になってしまいました。瞑想や滝行など時折違うことを考えてしまったこともありましたが、全体的には目の前の行に集中することが出来、自信になりました。また、一泊二日と短い期間でしたが、仕事から離れ、今まで当たり前だった食事や生きていることへの感謝をもう一度見直す機会が得られ、気持ち的に余裕が出来たと思います。もっともっととどうしても欲を限界なくもとめてしまい、欲と現実の差に苦しんでおりましたが、現状もとても幸福であり、あまりにも自分が消極的な思考で生きていたと感じました。努力はこれからももちろんしいていきたいと思いますが、方向を間違えず、自分の圧に苦しむことはないよう感謝の気持ちを忘れないように生活して参りたいと思います。ほかにも細かい事ですが感じたことはいくつかありました。一度経験したいという興味本位から参加させていただきましたが、仏教のことは殆ど勉強したことがなかったので、今までの想像と違う点がいくつかありました。教えや行から努力をする、辛いことが有っても負けない精神力を得る事が出来るんだなと思いました。

    一泊二日の体験修行を終えて、努力をする所はしっかり努力して、自分の日常人生をよりよくしていきたいです。また、滝や空気等自然から力を与えてもらったのも事実でしたので、苦しみや辛さを感じた際には自然に触れエネルギーを頂きたいと思いました。短い期間でしたが天光寺の皆さま、素晴らしい機会を与えて下さりありがとうございました。

    ゆっくりとした時間と厳しい修行で自分自身を見直す大変良い機会となりました。私は今年で社会人二年目となり、日々の忙殺された仕事にあとを追われ、あっという間に過ぎていく時間に少々病んでいました。その中でお百度参り、滝行、瞑想と心・体整う内容に感謝申し上げます。

    また、朝・昼・晩の出して頂いた食事には正直感動しました。普段自炊をするものの、人様が出して頂いた食事は、やっぱり良いものだと実感しました。健康的な三食の食事、十分な睡眠をとる事で朝から活動的に生活できる事も改めてこの機会を通じて、実感することができました。

    今回の体験、経験を基に今後、実行、実践していきたい事は二つあります。一つは、心に余裕がない時こそ、十分でも五分でも、呼吸を整える、瞑想を行っていくことです。考えすぎるな、自分を一度リセットする事で、自身をコントロールできるように今後とも訓練して参ります。二つ目は自分自身をしっかりと認める事です。「なら、ねば」の生き方では苦しい、自分自身を愛し、肯定し認める事で、より生きやすい自分を創っていきます。

    短い時間ではありましたが、自分を律し、見つめ直し、振り返る事のできる機会となりました。重ねて感謝申し上げます。今後とも、体・心の面で迷いや悩みがありましたら、再びお世話になるかもしれません。その時は、どうぞ宜しくお願い致します。ありがとうございました。

    就職が決まり、新たな出発を前に自分の惰性を直したいと参加してみました。いきなりの遅刻、皆さんを待たせてしまい、ごめんなさい。あれだけ親に「待たせる人間は話にならない。待つ人間でいろ。」と言われてきたのに、遅刻してしまったことがとても悔しいです。大切な場面で失敗が出ないように、心から反省します。滝行は、思った以上に滝の強さがあり、喝を受けた気がします。学生気分ではだめですね。少し舐めている自分がいるので、生まれ変わります。滝行やって良かったです。

    彼氏に振られ、ずっとずっと引きずっていました。辛くて辛くて泣いてばかりいました。こんなんじゃダメだと思って、滝行を申し込みました。弱い自分を受け入れつつも、変わりたいと思いました。リサーチ不足で、いきなり滝行かと勘違いしていましたが、指導者の説法が心にしみました。お百度参りも良かったです。いよいよ滝行です。心願は「自分を磨いて、ぜったいに幸せをつかむ。」でした。今は自分のことで精一杯ですが、きっと相手の幸せをのぞめる日が来るような気がします。ありがとうございました。

    テレビかユーチューブか忘れましたが、滝行に興味があり申し込みました。免許取り立ての親の車のため、遅刻をしてしまいすみません。4名が参加されていました。遅刻のダメ男の印象を払拭したいと、全てにおいて真剣に取り組みました。若い男性の指導でした。お経がまじないにように感じて新鮮でした。この日は大雨でした。お百度参りからずぶぬれでした。滝行は雨でも雪でも台風などの災害危険がなければやるということだったので、雪でもやる人ってすごいなぁと感じました。滝の水は、雨の影響があり増水しているようでした。冷たい、入るのに勇気がいりました。「精神を鍛えたい」と参加した滝行、滝に打たれ、しゃがみ、合図があるまで着水できました。途中で諦めなくて本当に良かったです。達成感というか、やりきった感というか、すっきりしました。天光寺での滝行、おすすめします。また滝行参加したいです。

    一度申し込みをしたのですが、勇気がわかずキャンセルしました。でもやっぱりの気持ちが強く、申し込みました。結果、とにかく良かったです。

    当日は、他にも4名体験修行の方がいて、初対面でしたが、すんなり打ち解けられました。一人で参加を躊躇している人がもしいらしたら、ぜんぜん心配はいらないと思います。お百度参り、声が小さいよりは大きい方が良いと、中学生以来の大声を出してみました。滝行、爽快でした。マイナスイオンすごいですね。

    自分を変えたいと参加してみましたが、友達や会社の人の反応がとても楽しみです。でも、周りの反応に左右される生き方はやめようと思ったので、どうでもいいですが、とにかく参加して良かったです。ありがとうございました。

     

    心身共に成長したくて、天光寺の滝行に申し込みました。当日は気温がそれほど高くなく、少し怖気付きましたが、他の参加者の方に励まされ入水できました。自分に甘い生活に喝を入れ、すこしづつ人間らしい生活ができるよう頑張ります。来て良かったです。

    ホームページを拝見し、数年前に体験した天光寺の体験修行。月日が経過し、自己成長を確認すべく再度体験修行に申し込みました。滝行はやはり爽快です。自分と向き合う時間って必要だなと改めて再確認しました。百歩は進んでいませんが、十歩は進めたように感じます。仏門に触れることは、天光寺の修行に参加するまでは正直ありませんでした。私生活に沢山活かせる教えを大事にまた自己成長の確認を楽しみに参加させていただきます。ありがとうございました。

    インスタの滝行がずっと気になっていました。滝行だけやりたくて申し込みましたが、心構えや作法、お百度参りをさせていただきました。私以外にその日は6人くらい参加されていました。ひとりひとりをしっかりみていただき、言いかたが思いつきませんが「やっつけ感がなく、寄り添ってくれた。」感じがして嬉しかったです。参加して後悔はなく、またお世話になりたいと思いました。

    お寺での修行をしたく、首都圏で行けそうな場所を探していました。ネット検索してホームページを見て直観で決めました。

    1人での参加は寂しいと思っていましたが、他の参加者の人も単独の人が多く、安心しました。

    自分と向き合い、鍛錬を経て爽快と言いますか、とても良いリフレッシュになりました。また絶対来ます。

    今回12月31日~1月1日にかけて、滝行をはじめ修行体験をさせていただきました。年越しということもありましたが、何かといろんなことをしていると時間もあっという間に過ぎ、気付けば年も変わってしまいました。はっきりとした目的で今回は修行体験を申し込んだ訳ではありませんでしたが、充実した年越しを過ごせました。
    滝行では、一度秋の終わりに体験していましたが、水のつめたさが全然違い、打たれている間、「どのくらい経ったのか」「後どのくらい?」と思ってしまいました。終わってみて、「よくあのつめたい水に入れた」と思い、自分の中には何か踏み切れるものがあるんだと感じました。ただ、その踏み切る思い切りの部分がうまく普段の日常で活かせないのが新たな迷いであり、自分と向き合いたいところです。
    そして、今回自分なりの予想外に感じたことは、護守木でした。護守木に願いを書く際に、何にするか考えましたが、自分の中に明確な願望がないように感じました。周りを見て、うらやんだりしても『自分はこうなりたい、こうしたい』がはっきりしていないので、そういうところはもう少し欲をもって明確にするよう意識していきたいと思いました。
    今回は従来の修行体験だけではなく、貴重な年越し行事も体験(同席?)させていただき、一泊二日で大変お世話になり、ありがとうございました。

    私は良く言えば共感能力が高く、悪く言えば周りの影響を受けやすいところがあります。

    周りの環境が良いものばかりなら問題が無いのですが、人付き合いをしていく上で中々そう上手くいくことも無く、人のネガティブの言動に引っ張られる所があります。

    今の職場は決して良い環境とは言えず、人の悪口・噂話が飛び交っています。

    私は何も知らないのに人から聞いた話で偏見を持ってしまったり、人の悪口を聞く度になんだか自分がゴミ箱になったような気持ちになったり、何かが擦り減っていく気がし、そんな自分を変えたく今回天光寺さんにご相談させていただきました。

    修業の中でお百度参り、写経、滝行などを行いましたが、それらはきっと他の体験談も沢山あるでしょうから省かせていただきます。

    何よりも私は先生の法話にとても心打たれました。

    自分自身を変えるには、自分を愛し「自分を知る」こと、困難に負けない精神力、意識改革、善と悪の分別する心、積極的に生きること。お話のどれもが人間力を上げるためには必要なものでした。

    こちらでの修行を経験したことで、「私は私」と心を強く持てるようになりました。

    いや、正確にはまだなってないのですが、そう思えることが私にとっては大きな成長なのです。

    この気付きを大切にし、もう少し今の職場で頑張ってみようと思います!

    私は今回写経と瞑想の体験修行を受けにこちらのお寺に来ました。

    元々こういうのに興味があり近くで出来るところを探していた所こちらのお寺を発見しました。

    流れとしては、昼間に受付を済ませ、13時ころには写経を行いました。

    写経は、自宅で何度か行ったことがあるのですがそれとは全然違いました。同じ様にやっているはずなのに緊張感というかいつもよりも心が落ち着いて出来た気がします。

    15時には、瞑想を行いました。まず初めに、静かな部屋で一人になり、ゆったりと座り、深呼吸を繰り返しました。次に、軽く目を閉じて姿勢をただしながら、10分位同じ姿勢でいると鼓動の音が聴こえてきてそれに耳を澄ませていると、全身の筋肉がリラックスし気のエネルギーが広がっていくような感じがしました。

    私がなにより驚いたのが瞑想というとどうしても心から雑念を除くことだと考えがちですが初心者は雑念がどうしても出てきてしまうらしくそれを客観的に眺めるのも瞑想の一種だという事です。

    瞑想が終わった後は、解散です。

    私は、解散した後何とも言えない気持ちになっていました。住職さんのお話によると心の鎧を脱ぎ生きる喜びを感じていると仰っていました。これは、社会的に活躍している人ほど、現代社会のエゴの目的を追求する文化に染まっており、目に見えない「心の鎧(ストレス)」何着もまとっています。これを、肩の力を抜いて魂を癒すことで、人生の生きる喜びを感じられるというものです。

    「滝行してみたいなぁ」というとても安直な動機で、この一泊二日の体験修行にやってきました。仏教に関する知識も信心もあまり持ち合わせていない僕でしたが、自分の当初の期待をはるかにしのぐ、有意義で充実した時間を過ごさせていただきました。

    ここ天光寺での生活は、普段、ネオンと看板広告にまみれた「俗」の世界で悦に浸りながら無為に日々を送っている僕にとって、発見と自省の連続でした。

    まずは「挨拶」。普段の生活の中で、地面に額をつけるというのはもちろん(僕は学生の身ですので)そうあることではありません。それは僕らにとっては「屈辱」の象徴となっています。(そう、きっとあのドラマの影響でしょう)

    僕もはじめは、抵抗感と気恥ずかしさを感じていました。しかし何度かやっていくうちに、とても晴れがましい気持ちになっている自分に気がつきました。これが帰依の喜びというやつでしょうか。いや、それよりも「謝罪」の意での土下座はとても屈辱的なものであるけれど、それが「感謝」を伝えるものである場合は、とても気持ちが良いものになるのだと思います。これはとても新しい発見でした。

    次に「食事」。天光寺での食事は精進料理ということもあり、とても質素なものでした。

    正直、普段の自分なら「味気ない」と一蹴してしまったことでしょう。しかし、ここでの食味ほど有難く、そして身に滋養が染み入っていくような感覚を覚えたものは初めてでした。

    長時間の読経、座禅、瞑想・・・(これらの修行は軟弱な精神しかもち合わせていない僕にはとてもこたえました)によって疲弊ながらも研ぎ澄まされていった心身が、僕にその感覚を教えてくれたのだと思います。

    最後にこの場で出会った子供たちに、僕はとても感銘を受けました。自分よりも一回りも二回りも年齢が下の子ども達でありながら、とても立派に、そして実直に修行に打ち込む姿に接し、自省の念を覚えました。

    「自分はこのようにひたむきに日々を送っているのか」、「困難なことにめげずに立ち向かっているのか」 恥ずかしながら「否」という答しかさしだせない自問の連続でした。自分も、素直さと感謝を忘れずに、ここの子供たちに恥ずかしくないような日々を送っていこうと思いました。安直ですが、本当にそう思います。

    とても貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。

    一泊二日で体験修行をしました。都内在住二十代後半の会社員です。テレビやネットで滝行に興味を持ったのがこちらでお世話になるきっかけでした。テレビやネット経由で興味を持った程度ですので、体験修行を体験すること自体を目的としていました。私が行った体験修行は、お百度参り、滝行、写経、写仏、読経、瞑想、寺内掃除、仏壇のお水交換、法話です。同時期に一泊二日で申し込まれた方がいなかったため、濃密な体験修行をすることができました。私はこちらで修行とは何かを考える機会に恵まれたこともあり、二日間で断面的な知識を習得し、今後、可能な範囲で体系的、建設的に学び直し、知識を深めることで日常の中で知を実践し、徳を積みたいと考えるようになりました。半日修行もよいですが、お時間が許す方には一泊二日の体験修行を強くおすすめいたします。

    約三日間本当にお世話になりました。ありがとうございました。この三日間様々な経験をさせて頂きましたが、滝行が得に心に残っています。滝行ではトップバッターに立候補できたのが自分の中での大きな第一歩でした。私はすぐに周りに流されたり、回りに合わせてしまうような傾向があります。そんな中で滝行を最初にやるという事はかなりの不安でした。ですがこのお寺での生活で「一歩踏みだす勇気」を頂けたのでトップバッターで滝行が出来ました。実際近くで滝を目の当たりにした時は緊張と不安でいっぱいでしたがいざ入ってみると予想以上に楽しかったです。声を出すことで日々の色々なストレスが発散され悪い事が放出されたような気持になりました。勇気を持って行動することで得られるものがあるという事を学びました。今までなら絶対避けていたことを果敢にチャレンジする価値があると今なら挑戦できるかもしれません。

    この経験以外にもたくさんのことを経験させていただきましたがその全てに共通するのが「積極性」なのだなと考えました。講話なども話して頂きましたが「積極的に行動することで運も回って来る」という言葉が凄く自分の中に響きました。私の母は何事にも消極的な人です。思考も後ろ向きでいつもなにかあると「私のせいだ」と言うようになりました。いつの間にか母はうつ病を抱えていました。今はもう完治しているのですが母が病気だったころは家の雰囲気もどんよりとしてしまっていて私の心もあまり元気ではなくなってしまっていました。それからというもの、テスト。友人関係、習い事など私の身の周りの全ての調子が狂っていしまいました。今思えばこれは悪い気が溜まっていたのだというふうに捉えられますが当時はなぜ急にうまくいかなくなってしまったのかと更に消極的になってしまいました。この経験があったからこそ積極性の大切さが分かりましたし逆に言えば自分の積極性で誰かをいい方向に持って行くことだってできると感じました。積極性は誰もがやらないことを最初にやる、つまり一歩踏み出す力が重要であると考えます。そのためにも滝行のトップバッターや思った事をすぐに質問したり、そのような足掛かりをこの三日間で少しでも作ることが出来ました。

    この三日間自分を見つめ直しチームで励まし合い、得られたものがたくさんありました。それは指導、サポートして下さった皆様のお陰です。本当にありがとうございました。普段絶対に出来ないような貴重な体験を決して無駄にはせず社会人に、そして今後の人生に活かします。この三日間本当に有難うございました。

    法話のお話の中で、私は密教の歴史と考え方についての2つのお話が印象に特に残りました。

    1つ目の密教の歴史について印象的だったのは、私は高幡不動尊や京都の東寺などの密教の寺によく足を運ぶ機会が多くありながら、密教についてあまり知らないことが多く、今回のお話で今までの記憶が一つの線になったからです。密教はインドで廃れそうになった仏教が勢力をどうにか失わないようにと考え出された仏教の一つだと知って、現在の力が弱くなっている日本の仏教にも役立つ点が沢山あるだろうと思われます。この点において私は密教の抱えて来た背景が感じられ、お釈迦様がお広めになった原始的な仏教よりも広い範囲の人を救済しようという考え思想があるのではないかと推測されます。

    2つ目に、私は考え方についてのお話を聞いて、もっとポジティブな方向に考えていった方がよいなと思いました。私は最近就職について企業から採用してもらうのは難しく、多くの企業からお声がかかって二次面接に行ったり内定を頂くことは難しいだろうと思っていました。けれども、そのような考えは自分の好いチャンスを逃してしまう可能性があり、自分の人生を自分で台無しにしているのではないかと思いました。自分の縁を広げるためにも、人生に対してもっと積極的に考えていった方がよいと感じました。

    これからは、積極的にポジティブに考えて自分の人生や身内の繁栄や日本の人々の幸福のために自分の人生を自分のために使っていきたいと思います。

    滝行に興味があり、学生最後の夏休み悔いのないように挑戦しようということで、女一人で一泊二日申し込みました。不安もありましたが、他の参加者の方たちとも仲よくなることができ、とても充実した二日間になりました。滝行は、気温や季節も丁度よかったため、私が想像していたよりも苦ではありませんでした。ただ、滝に入った瞬間のゾッとする冷たさと、滝のすさまじい水圧に圧倒され、最初の5秒間くらいは息ができませんでした。しかし、しばらく滝に当たっていると、温度にも水圧にも慣れていき、心地よくなっていきました。

    滝行は、入る前の気合いが大切だと思います。滝に入ってしまえば、お坊さんや周りの参加者の方たちが、かけ声をかけて下さるので、大丈夫です。滝行に挑戦するか迷っている方がいれば、ぜひ参加してほしいです。根性がつきます。私も今度は真冬に挑戦したいです。

    滝行以外にも写経や写仏、瞑想など様々なことを体験することができました。ご飯も健康的でとても美味しかったです。とても勉強になりました。二日間ありがとうございました。

    近日、目標が特になくやる気がなくなって、どんどんマイナス思考になっていました。何か自分にとって刺激が欲しく、たまたま天光寺の修行体験のHPを見つけました。即座にこのプログラムに参加し、精神を鍛えようと決意しました。

    一泊二日の貴重な体験の中、最も印象に残ったのが滝行でした。人生初の滝行でしたが、冷たい水を水圧に負けなかったことで自分の殻を破ってやったと思えました。だからこそ、今後人生でつまずいた時は、この日のことを思い出したいと思います。私はできるんだ!と自信を持てたし、「何も不安など無い」「心配などいらない」「決意したことは揺らぐことない」と、身を持って確かにしたのは私だから。直後邪気が飛んでいくかのようにすっきりしました。「積極的な言葉を使おう」と試みてはいても、なかなかうまくは続かないのも悩みの種でした。それはきっと不安や迷いから来る揺らぎが影響していたのだと思います。

    前述のとおり、私はもう自信を持てているのだから、クリアになりました。これからは何があっても積極的に明るく生きていけます。多分それにも日常において訓練が必要になるので、本日学んだ瞑想を習慣化します。二日目の朝の瞑想、正座で唱える13仏真言、普段味わうことの無い貴重な体験をさせて頂きました。このように修行をしていらっしゃるのだと考えると、並みならぬ体力、精神力をお持ちなのだろうと身を持って考える事が出来ました。日常生活で楽を選んできている私が恥ずかしくなり、日常を改める機会とさせていただき、本当にありがとうございました。

    一泊二日間、お寺で修行させていただき、仏様についての知識も深まりました。

    元々漫画などを通じて興味は持っていましたが、それぞれに真言があることや、まさか自分がお経を唱える側になるとは夢にも思っていませんでした。

    お食事も健康的で美味しく、最近不健康気味だった食事内容を改める機会となり、心も体も浄された気分です。

    健康は食事から、本当にその通りだと思いますし、また明日から普段の生活に戻っても、この修行での経験を忘れる事はないと思います。これはもう仏様に誓います。

    最後になりますが、このプログラムで共に励まし合いながら過ごしてくださった住職のみなさま、ありがとうございました。今後人生に迷った時もそうでもない時も決して自分を甘やかすことなく美しく生きていく事を決意出来ました。貴重な体験させていただき、心より感謝いたします。

    一泊二日という限られた短い期間ではありましたが、優しさをもって接して頂き、また多くのことを教えて頂き本当にありがとうございました。また普段おろそかにしてしまいがちな礼儀、作法の重要さを再確認できました。

    今回、修行に参加させて頂いた理由は、自分自身が家庭、職場などの人間関係に悩みを持っていたからです。自分は怒りによって自分の感情をコントロールできなくなってしまったり、そうならなかったとしても、怒りによって他人のことを悪く思ってしまいます。そんな自分に対して自己嫌悪してしまい負のスパイラルに入りこんでしまっていると感じました。なんとか嫌なこと、自分にとって理不尽だと思うことも素直に受け入れられるようになりたい、怒りの感情が先に出てくるような人になりたいと思っていた所に、友人から今回の修行の誘いを受け、自分の悩みの答え、ヒントでも見つければいいなと思い参加させて頂きました。今回参加させて頂き、正直これが答え、これでもう大丈夫というものは見つかりませんでしたが、たくさんのヒントを得ることができました。まだ自分の中で消化、飲みこみきれていないものも多く、今の段階で心に残っているものをいくつか書かせて頂きます。

    まず、今回の経験で自分に一番必要なものは「積極性」だと思いました。自分の中で問題点はわかっているが、解決法がわからず、解決法がわからないのであれば自分にはどうしようもないと悪い開き直りをしてしまっていたと思います。今回の修行体験も友人の誘いですが、今後は受動的にいるのではなく、能動的に動くよう変わらないといけないと思っています。

    問題点がわかっているが解決できないなら、その問題から逃げずに、乗り越えられるまで努力を続けることが大事だと思い、今後行動に移す勇気をもらえました。長時間の読経や滝行も辛いと感じる瞬間はありました。しかしそこで諦めずに自分なりではあるけれども歯をくいしばって耐え続けることで達成感がありました。今後も辛くて嫌だと思う事があると思いますが、やり切ることで得られるものが絶対にあるとわかったことで勇気をもらえました。

    どうしてもここに書いておきたいことがもう一点あります。

    それはお坊さんがして下さった「成仏」の話です。仏を敬うことは誰しもがすることだけれども、人間もどんな人でも敬うべきなんだというお話です。

    死を迎えると人間は成仏する、つまり仏に成る、だから現世の生きている人間は必ず仏になる存在なのだから敬うべきだと言われ、感動しました。正直、自分の中でどうしても敬うことができない人や嫌いな人がいます。今まではその人たちと接していると負の感情を抱いてしまいそんな自分に自己嫌悪してしまっていましたが、今後過ごしていく上で素晴らしいヒントになりました。

    教えて頂いたことに対して感想文の内容がともなっていなければ申し訳ありませんでした。それでも今回のことは自分にとってとても重要なことでした。

    短い間ではありましたが、本当にありがとうございました。

    一泊二日、体験修行をさせていただいた中で、印象に残った修行は三つありました。

    一つ目は、滝行です。気温が高く、前日雨が降ったわけでもなく水量が多いわけではなかったため、それ程過酷ではないのかもしれないと思っていました。しかし、実際に滝行をしてみると、水温は低く、頭に降りかかる水の力強さが予想を遥かに超えており、その中で大きな声で念仏を唱えようとすると意識が飛びそうになりました。

    このような厳しい滝行を通して感じたことは、滝行は邪念を取り払うことのできる修行なのだということです。私は滝行をするまでの間、常に過去の辛い記憶に囚われ悩み、苦しい時間を過ごしていました。しかし滝行を終えた直後から、気持ちが軽くなり、嫌なことを考える時間が少なくなりました。一つのことに集中し、やり遂げようとする精神を持つことで、前に進む上で障害物となる邪念を取り払うことができるのだなと学びました。

    二つ目は、発声練習です。私は普段集中力が足りず、中々物事に持続して取りかかることが苦手でした。発声練習は四十分という長い時間の間、声を出し続けなければならないため、最後までやりきれるのか不安でした。しかし、声を出し続けていると、全身のエネルギーを使ってお腹から声を発するという感覚を徐々に覚え始め、集中して取り組むことができました。気づいたときには全身汗をかいていたため、これだけ全身のエネルギーを使うことができていたのだと、自分でも大変驚きました。

    三つ目は、瞑想です。この体験は、自分の弱点を改めて知らされる印象的な体験でした。初めは集中しようと、自分の呼吸の音に耳を傾け、吸う息吐く息が同じ長さになるよう、意識をしていました。しかし、時間が経つにつれ、足の痺れや肩の凝りに意識が傾くようになり、次第に集中力が切れてきました。また、気がつくと歯をくいしばったり背中に力が入っており、力を抜いて取り組むことが出来ていませんでした。このように「無」の境地に中々たどり着くことが出来ず、徐々に邪念が入るようになり、考え事をし始めてしまっておりました。

    この体験を通して、心を「無」にすることは大変難しく、思う通りに取り組めなかったのが一番心残りでした。講師の方は、邪念があると霊に憑りつかれやすいとおっしゃっていたので、私は危険な状態であることに気づかされました。一泊二日という短い期間ではありましたが、私は様々な体験を通して多くのことを学ぶことができました。日常生活の中では中々体験することのできない貴重な時間を過ごせました。今回学んだことを活かして、前に進み続けるエネルギーを蓄えていきたいと思います。ありがとうございました。

     

    二日間という短い間でしたが、日常生活では経験できないことばかりで、大変濃く、貴重な時間を過ごさせていただきました。

    今まで自分にとことん甘く、自己中心的であり、忍耐力や自制心、他人を思いやる心など様々なものが欠けており、それらがツケとして今回一気に大きな大きな困難な問題となってしまいました。その上、その問題に立ち向かおうとせずに逃げていました。

    そのような自分を変えたいと思い、体験修行に参加しようと決めました。直近の申込みにもかかわらず、快く受け入れてくださり、この二日間で自分を見つめなおし、一つでも多く学びとろうとしました。

    二日間で般若心経や十三仏真言を読んだり、腹式呼吸、発声、瞑想、写経、滝行、を体験したりしました。その中でも一番印象に強く残っているのは、やはり滝行です。人生初の滝行で緊張もありましたが、夏にもかかわらず水温がとても冷たく感じ、その寒さでふるえてしまい、声が大きく出せませんでした。それでも何とかやりきり、水の神様、山の神様に感謝した後は、とてもスッキリとした気持ちになりました。気持ちを強く持ち、やりきることの大切さを学びました。

    また、一泊したことで掃除や食器の片付け等、自分の身の周りのことをも見つめ直せたり、職員さんから様々なお話を聞かせていただいたりと、本当に貴重な時間となりました。

    今回の修行を通じて、教えを受けても、自分自身が変わろうとしなければ、当たり前のことですが、何も変わらないため、教えや学んだことを忘れずに、目の前のことから逃げずに立ち向かっていき、自立できるよう日々努力していきます。

     

    平成から令和へと時は流れ、10連休をどう過ごすか…

    仕事が休みなだけで、いつもとたいして変わらぬ日々を過ごし無駄に時間だけが過ぎてゆくというのが今までの私。

    なので、今年は何か一つでもこれをやったという充実感のある休日にしようと思い一泊二日体験修業を行うことにしました。

    予報に反し初日の天候は小雨の降る中、お百度参り、滝行など行いましたが、暖かい日よりも少し寒い日に行う事で更に修行となるのではという気持ちでした。とは思いつつ、息も白くなるし、どのくらいの間滝に入っていられるのか、30秒くらいしかもたないのではないかという不安もありました。

    でも、誰に言われた訳でなく自分の意志でここまでやって来たのだから出来る限り、やれるだけやるしかない。

    普段あまり大きな声を出すこともないのですが、必死の思いで「南無大師遍照金剛」を唱え5分程は滝に入っていられました。一緒に参加した方々の応援がとても有難かったです。本当に一人では5分もいられなかったかもしれません。

    かなりの勢いで滝が頭に当たり、血管がぎゅーっと縮むような感覚、あと一回お経を唱えたら手を挙げて辞めよう…と何度も思いました。が、あと一回あと一回と続けるうちに「ラスト」の声がかかり、なんとか一つやりきったと満足しています。

    滝から出ても手のしびれ、震えがしばらく止まりませんでした。

    私の中の悪いものが少しでも洗い流されたと同時に、何か一つ、どんな小さな事でも成し遂げられたという喜びが自信にも繋がるのだと思いました。

    朝や食事、1日の終わりの挨拶も大きな声ではっきりと。当たり前のようでいて、出来ていないことが多いので、これからは「積極的」に取り組んでいきたいと思います。

    人として人間力を高める努力が必要だと思いました。普段の生活の中でちょっとした事に気づきさっと行動する気配りだとか、自分の目の前しか見えていなかったり、人に迷惑をかけてしまうことも多々ありますが、意識して今までの習慣や考え方を変えていかなければと思いました。

    非日常体験をして色々考えさせられました。楽しいお話、お経のお話も沢山聞けて良かったです。本当にいい経験になりました。

    色々お世話して下さった聖覚さん、天光寺の皆様、一緒に体験した皆様、有難うございました。

    もともとあまり滝行には興味なかったが、テレビ番組で参加者がとても良かったと発言しているのを見て「なんだかつらいだけの苦行かと思っていたけど、そうじゃないのかな」とイメージが変わり、一度体験してみたいと思うようになった。番組を見たのは冬だったが冬にやるのは心臓に良くなさそうだと思い、先ずは夏にチャレンジすることを決めた。ネットで検索したところ何か所も施設が出てきた。何となく天光寺に惹かれるものがありどうせなら宿泊して都会から離れた自然やお寺の気分を味わおうとここに決めた。日帰りよりもさらに色々と体験できると思ったのも一因である。

    いざ滝行を体験してみるとこんなに山を登らないといけないのかというか滝場に行くまでの道の傾斜が急なことに驚いた。道も岩を乗り越えなくてはいけない箇所も幾つかありこういう舗装されていない場所を通ることも日常生活ではそうないだろう。正直滝行よりも私にとってはこの山道を登り降りする方が修行になった気がする。滝行は最初は軽く考えていた。皆が入滝している様を見るにつれだんだん不安になってきたがいざ入滝してみると思ったより辛くない事に驚いた。普段から水風呂に入る習慣が合った為か水の冷たさには慣れていたようだ。滝に入っている最中に急に視界がはっきりしてくるときがあった。応援の声もこんなに近くなのに滝の爆音の中ではほとんど聞こえなくなってしまう事も知った。

    さらにいままで不動明王だとか薬師如来だとかそういう名前は聞いたことがあったがどういう違いがあるのかよくわからなかった。それぞれつかさどる分野が違い、13体ごとに真言があることも驚きだった。

    今回の宿泊で仏像に関する知識と人生初の滝行経験を得られた。次回は冬にチャレンジしてみたい。

    本来の目的であった精神力の鍛錬はお百度参りや滝行を通じて達成できたと思います。特に滝行は非常に興味深かったです。感覚が研ぎ澄まされていくのが如実に分かりました。 修行は今回が初めてでしたが、職員さんをはじめ、貴重なお話や美味しい料理を作って下さった先生、一緒に宿泊した方々には、非情に感謝しています。他者を思いやる一方で、厳しい修行に打ち込む姿は勉強になりました。今後の人生を歩んで行く上で、くじけそうな時は今回の経験を思い出し、強く正しく生きて生きたいと思います。

    三日という短い期間でしたがお世話になりました。

    本来の目的であった精神力の鍛錬はお百度参りや滝行を通じて達成できたと思います。特に滝行は非常に興味深かったです。感覚が研ぎ澄まされていくのが如実に分かり、おかげさまで自身が霊媒体質であることに気づけました。今後は霊とうまくやっていける方法を模索していきたいと思いますのでまたお世話になることもあるかと思います。そのときはどうぞよろしくお願いします。 修行は今回が初めてでしたが、職員さんをはじめ、貴重なお話や美味しい料理を作って下さった先生、一緒に宿泊した方々には、非情に感謝しています。他者を思いやる一方で、厳しい修行に打ち込む姿は勉強になりました。今後の人生を歩んで行く上で、くじけそうな時はこ今回の経験を思い出し、強く正しく生きて生きたいと思います。

    三日という短い期間でしたがお世話になりました。

    私は今回の研修でまず人とのつながりの大切さを学びました。今までは同期の中でも特定の人との会話が多かったり、あまり話したことのない人とはあいさつ程度しかできていなかったりしたのですが、今回二泊三日の間同じ屋根の下で朝から夜まで生活を共にし、何かの作業の時にはお互いに声をかけあって協力したり、起床してから廊下などで会った時あいさつ以外に少し世間話をしたりと同性異性関係なくかなり交流を深められたように思います。顔と名前もしっかり覚えることができ、それが声をかけるきっかけになったりもしました。今まで会話をしたことがある人とも、一緒に過ごす時間が長い分いろいろな話をして、今まで知らなかった一面を新たに知ることができたりしました。研修が終わり、会社に戻ってからも同期のみんなとたくさん話ができたらいいなと思います。

    次に私が学んだことは、協調性と積極性の大切さです。短い間とはいえ家族ではない人達と生活を共にするにあたり、普段以上に気を遣ったり、考えなければいけないこともたくさんありました。例えばお風呂の順番だったり、寝る場所だったり、ご飯を食べる時の役割や座る場所だったり、普段家では深く考えなくていいようなことがほとんどです。どうしたら効率良く、みんなが納得した上で気持ち良く事が進められるか、正直考えてもわからない事やはっきりしない事もたくさんありました。そこで、周囲の人と話し合ってみたり、自分からとりあえず動いてみたり、できるだけ臨機応変を心がけながら行動したり発言したりしました。その結果スムーズに作業を進行できたり、良い感じに事が済んだりした時はとても嬉しかったです。これから仕事をしていくにあたり、今回学んだ協調性や周囲の人と協力すること、自分から積極的に行動を起こすことはとても重要になってくると思うので、今後もこれらを忘れずに仕事に励みたいと思います。

    大人数での共同生活に加え、お寺という慣れない環境、普段常に持ち歩いているスマートフォンが長時間手元にないという不安感、今まで経験したことがないくらい長い時間の正座、写経、写仏、読経、お百度参り、滝行の際の山登り、各時間のあいさつ、三禮、ヨガといった初めての体験など、二泊三日とは思えないくらい濃い時間を過ごし、筋肉痛や関節痛もひどくて正直かなり疲労感も溜まっていますが、それ以上に自分の中で得たものも多いように思っています。先述した人同士の関わりに関しても得たもののひとつですが、それ以外にも仏教に関する説明や法話を聴いて、自分自身の内面や考え方などを見直すきっかけになったように思います。私は元々あまりポジティブではなく、自分自身に与える影響の大きさについてだったり、積極的に生きることの大切さだったり、自分自身を認めること、信じることの重要さについて学び、一度今までの自分を振り返って、考え方や行動を改めたいと思いました。

    私は、今回のこの研修に参加して、自分はいろいろな面で少なからず成長できたのではないかと感じています。ですが、まだまだわからない事だらけで未熟な面も多くあるので、そういった面は今後、今回の研修で学んだことや得たものを最大限活かして、学び、補い、成長させていけたらいいと思っています。これから先、仕事に関しても私生活に関しても、立ち止まったりつまずいたりする事はきっと多くあると思いますが、そういった時はこの二泊三日の事を思い出して乗り越えていきたいと思います。

    前回、三日間の修行を終えた時に書いた感想文では、自分が今まで直せなかった問題の重さに気づきそれを受け入れることが出来た、ということを書きました。

    私はその後の三日間でその問題を改善するきっかけを掴むことを目標に修行に臨みました。その中で私は「恩返しをする」ということを意識して生活してきました。私はこの六日間の天光寺での生活でたくさんの方々にお世話になりました。修行の指導やその他の様々な話をしてくださった聖賢先生、職員さん、又、生活の中で寝食をともにし、修行や掃除、その他の行動を一緒に協力してやってくださった他の宿泊者の方々です。

    この人達へ恩返しする気持ちで修行や掃除に励みました。そうすることで私は人が幸せな気持ちになる為に自分に出来ることはないか、考えながら生活できるようになりました。私は「誠実で素直な人間」になる為にここで修行してきましたが先に述べたように、人の気持ちを考えて行動することで「誠実さ」の部分を体現できるという答えに辿り着くことができました。

    またその上で、自分の言動だけでなく他人の言動に対しても良いものは良いもの、悪いものは悪いものとしてしっかり区別をすることで自分の信念や目標に基づいた素直な言動をすることができる人間になれると感じました。私はまだ具体的な信念や目標を打ち立てられたわけではありませんが、「誠実で素直な人間になる」という今回の修行で得られた覚悟が揺らぐことだけは決してないように、家に帰ったら学業や生活面におけるそれを考えていきたいと思います。

    今まで私は嘘をつくなどの他に大学一年生の春休みに素行の悪いグループと交友関係を持ち、その中で家族や学校、友人に多大な迷惑をかけてしまいました。これは私の心の弱さが原因で目の前の享楽だけを考えた結果でした。天光寺を出たら生活の中でまたそのような人達からの誘いがあるかもしれません。しかし、ここで体得することの出来た「良いものは良い、悪いものは悪い」といえる素直さを決して忘れずに自分で決めた信念や目標を達成できるようにします。

    2泊3日の間、大変お世話になりました。

    本当に有難う御座います。こちらにいる間、修行を重ねる中で、自分が生かされていることのありがたさを身をもって感じました。自分が不足しているところは、陰でいつも誰かが補ってくださっている。目に見える世界においても、そうではない世界においても。いつも誰かに支えられて私のような一人では何も出来ない人間が幸せに生きることが出来ていることに、瞑想をして仏様の声を沢山きく中でありがたくて涙が止まりませんでした。こちらでさせていただいた修行は本当に苦しかったです。しかし心の中にたまっていた自分の犯した罪に対する罪悪感はもっと苦しかったです。こちらでの修行は、私の中の苦しさを未来への希望に変えてくださいました。二度と同じ過ちを繰り返さないようにすることを誓います。

    最後になりましたが、先生、職員の皆さん、一緒に修行して下さった方々、本当に有難う御座います。この感謝の気持ちを恩返しできるよう自分の心を常に正しく持って生きます。

    今回、二泊三日という短い期間でしたが、お寺での修行を体験させていただきました。

    修行中には仏様の教えだけではなく、瞑想やお百度参り、滝行を行い精神だけではなく、肉体も鍛錬することができました。今回の目的は精神的な成長をして、これからの社会人に向けて力を付けていくことでした。お百度参りと滝行を経て、改めて自分の精神の弱さを見つめ直すこともでき、これからどのように向き合うか考えていくキッカケになりました。また、今回は規則正しい生活と野菜中心の美味しい食事のおかげで健康的な生活を送ることができ、体の内側から浄化されている実感もありました。この三日間での私の一番の変化は「あたり前のことに感謝する」という考えができるようになったことです。修行の中では毎日食事後の片付けや掃除、洗濯などを行います。現在、私は実家で暮らしているのでそれらを自分で行うことは少ないです。そのため、自分が当たり前にやってもらっていることの大変さや苦労を知ることができました。いつも気持ちよく生活できている裏側にはたくさんの人の労があることを感じ、それら感謝して生きていこうと思いました。修行の中では宇宙を感じることはできませんでしたが、日常に戻っても隣の人を仏と考え接して徳を積んでいき、日々の修業で宇宙を感じられるようになりたいと思います。今回はこのような貴重な経験をさせていただきありがとうございました。

    二日間お世話になりました。ありがとうございました。今回私が天光寺さんでの修行体験に参加しようと思ったのは、滝に打たれてみたいという軽い気持ちからでした。就職の前に珍しい思い出を作れればいいと思っていました。実際に二日間を終えてみると、良い意味で期待を裏切られたと感じます。滝行だけでなく、声出しや読経お百度参りなど、様々な体験を通して、学ぶ事が多くありました。社会人になるにあたっての心持ちにも変化があったと感じます。

    やはり、最も印象に残ったのは滝行です。もともと、滝行目当てで来たこともあり、非常に楽しみでした。しかし、実際に滝に到着して、水の冷たさを確認して、正直やりたくないという気持ちになりました。滝行はもっと楽で楽しいイメージを勝手に持っていましたが、本当は修行の一つとして行うような、辛く厳しいものであるとそこで気付きました。3分程度入っていられれば上出来という話を伺ったので、3分経ったらすぐ出ちゃえばいいやと言う心持ちで滝行に臨もうと思っていました。しかし、私の順番の一つ前の中学生の男の子が、非常に頑張って、10分という記録を出していました。この姿を見て、私の気持ちは大きく変わりました。自分よりも年下の男の子がとても頑張っている姿に勇気づけられ、年も上の自分が負けていられないと思いました。すぐでてしまえばいいやと言う甘い気持ちを持っていた自分がとても恥ずかしく思えました。気持ちを切り替えて、新記録を出してやろうという気持ちで滝行に臨みました。滝に入ると、今までに感じたことのないくらいの冷たさに襲われました。銭湯の水風呂とは比べ物になりませんでした。早くも心が折れそうになりましたが、先ほどの気持ちを思い出し、我慢しました。滝に打たれている間も諦めようと思ったことが何度かありましたが見ている人達の応援に元気付けられ、またこれで辞めてしまったら社会人になっても頑張らないと自分を奮い立たせて耐えました。10分を過ぎた頃からは、自分に打ち勝ったかのような気持ちになり、滝行が楽に感じるようになりました。

    いくらでも続けられていけそうな余裕が生まれ、自信が出てきました。他人に励まされ、自分に打ち勝つことができ、自分にとって、自信を付けられるような貴重な体験になりました。また、今回の修行で、心に残った言葉があります。DVDを見た時に言っていた言葉で「舞台と役者を演じろ」です。この言葉は来月から社会人になる私にとってもとても為になる言葉でした。大きな企業に入れば人生も上手くいくだろうと思っていました。いわゆる舞台としては整っている状況で、普通に働けば充実した生活を送れると考えていました。しかしあの言葉を聞いたとき、自分の考えは甘かったと気付きました。舞台があっても、自分が舞台に見合う存在にならなければ意味がないのです。「大企業で活躍できる価値のある社員」を目指さなければいけないのです。企業を辞めたとしても、社会で活躍できる人材になれなければ多くの人が活躍できる舞台を演じるための力も付くと思います。この言葉を胸に刻み、新たな気持ちで社会人人生を過ごしていきたいと思います。他にも、ここには書ききれない学びが数多くありました。お寺で過ごすという、日常では体験できないような環境を通し、自分自身が成長できたと感じる点が多くあります。本当に素晴らしい経験が出来ました。最後になりますが、二日間という短い時間でしたが優しく指導していただき有難う御座いました。機会があればまたこれたらいいなと思います。

    一泊二日の滝行修行を申し込んだ。目的はいくつかある。誕生日前に滝に打たれることで、新たな気持ちで年を迎える。だらけた生活に気合を入れる事。辛い経験をすること。

    最後の目標は、中学時代の野球部の夏連の様な、あの経験の辛さに勝るものはない、そんな経験を得たかった。終わってみて思う事は、主体的に、積極的に滝行を選んで行動を起こした心が立派だったと思う。天光寺に仲間と向かう車中では、笑い混じりながらも「無理だ」「本当に入るのかな」「嫌だ」など後ろ向きなことばかり話していた。実はお百度参りが終わって、滝に向かう時にも同じような言葉を口にしていた。滝行は無事に終わったが、後ろ向きな言葉をやめて「やるぞ」「負けない」などの前向きな言葉を発しながら望めばもっとたやすく滝行を達成できたように思う。これは今後の生活でも同じ。実際に滝に打たれてみて感じた。体験前の想像では、寒い冷たい、そして痛い。この三つの感覚があるとばかり思っていたが意外だったのは息苦しさだった。水に足を浸し神に挨拶をして顔と胸に水をかけ、頭から水をかぶる。サウナの後の水風呂でさえ全身を付けられないほど冷たいのが苦手な自分にとっては、水をかぶった段階で自分を褒めたかった。滝に進める足も意気揚々となる。いける。そう思えたのはものの2~3秒だった。苦しい。冷たい。だが冷たさは想像の範囲内である。苦しい。頭に容赦なく浴びせられる水しぶきのせいか滝の流れのまわりだけ酸素が薄いのか先ほど生まれたばかりの「いける」という期待は滝に蹴落とされていった。息苦しさの為に、唱える御宝号もはっきりと一音一音の発声が叶わない。そんな自分の声を聴いて情けなさを感じる。こんな時でもともに参加している人からどう見られるのかを気にする浅ましさがなおさら情けない。

    いけるのか?いや、もうだめだ。いける。いや、無理だ何度も何度も自分の中で弱い気持ちと強い気持ちがぶつかる。辛すぎる。いや、待てよ。辛い体験を求めてここにやってきたのではないか。予想をはるかに越える辛さではあるが、望み通りのものを得ている。やるしかない。水の中でやっと覚悟を決めた。できることは叫ぶだけ。叫んだら終わった。

    滝行の後、友人は気分を悪くしていた。あの滝に打たれたついでに弱い気持ちを置いてきたような気はする。あれだけの辛いことは、この先出てくることはなかなかないだろう。

    しかし、人は忘れやすい。あの辛さを覚えていられるのはもって1ヶ月だろう。人は無意識をコントロールできない。呼吸、脈動、胃腸の動き。これは勝手に無意識がやってくれることだ。だが、共に無意識は気持ちを損ねる。体調不良になり、生活のうるおいが減る。無意識が上手く働いてくれるような生活をすればいい。運動や整理整頓気持ちをまっさらにすること。自分自身を愛しなさいという教えの中にはきっとこのようなことも意味として含まれているのではないだろうか。1日目の夜は疲れ切っていてすぐに眠りに落ちた。

    2日目の朝は気持ちよく目が覚めた。久しぶりに二度寝をしなかった。爽快で誕生日だということも忘れていた。参加者におめでとうと言ってもらえて思い出したそのくらいだ。

    修行の3つの目的は達成しそうだ。これからの生活をもって達成とする。そうそう、発声は持ち良かったので、どこかのだだっ広い場所でやってみる。

     

    一番体験修行の中で大きかったことは、三禮を108セットやり切れたことです。途中から頭がクリアになっていき、三回ずつの回数が意識して数えられるようになってきました。自分ではあと何回と数えることはできませんでしたが、気付いたら終わっていたのでもしかしたら意外と根性があるのではないかと自信になりました。三禮が終わった時にロウソクのロウが見たこともない形になっていたり大きい炎になっていたり驚きが多く不思議な事や目に見えないものはちゃんとあるのだなと思いました。

    また朝に掃除をして仏様のお水を交換するお仕事も、毎日の日課として生活を規則正しくしているとわかり、自分も生活のリズムやルーティンを大切にしたら良い暮らしができるのではないかなと思いました。

    自分の性格で、人と比べてしまって物事の実行が遅いことに自分自身がいら立ってしまう・・・と相談した時には、まずは人と比べないと成長はないから比べることも大切と教えて頂きました。また人は執着しすぎるから怒るというプロセスを知り、自分が何にとらわれているかをわかることが大切と教えてもらったことがとても心に残りました。

    社会に出る前に自分とちゃんと向き合おう、と思って修行に来てみて正解だったなと思いました。自律した人間になりたいという気持ちで来たので、その気持ちを四月からも自分を律することが出来るように今後も精進したいです。

    二日間ありがとうございました。

    今回の参加は二回目になりますが、前回と同じくとても良い経験になりました。

    今回は私の姉とその彼氏の三人で参加させていただきましたが、二人とも喜んで満足してくれたみたいで、私も嬉しく思います。

    今、感想文を書いている時の私の精神はとても元気になりました。というのも、参加するのは一月から決まっていたのですが、ここ最近は精神が不安定だったからです。

    特に過食、寝不足、仕事が出来ないことを会社の人に病気ではないか?と言われてから、

    一週間いろんな事をネットで調べて、自分はADHDという発達障害なのではないかと疑うようになりました。

    それからというもの仕事でミスをしたり、家が片付けられない、過食をしてしまうのもADHDのせいだ、と無意識に思うようになってしまいました。

    その結果、自分の行動を全てADHDの責任にしてしまい、改善しようとする意欲がなくなり、気持ちが落ち込んでいきました。

    自分では何が正しいのか分からなくなり、精神科の病院に行くと、うつの症状が少しあると判断されました。私生活に支障をきたすような時は病院に来るように言われました。

    その次の日から天光寺さんで修行を行いました。

    夜の先生の講話を聞ていてハッと思ったのです。

    私は自分でADHDだと潜在意識で思ってしまったのだと。それで調べていくうちに無意識に思うようになってしまったのかもしれません。

    それを聞いてからは、絶対自分は病気だと思うことは辞めよう・忘れようと思いました。

    そして先生がおっしゃっていた「腐っても負けるな」という何にでも負けない、成し遂げようと心の中で決意している自分がいました。

    今回、強い意志を持ちたいと思い参加しましたが、今は、自分は意志が強いと思うようになりました。

    まさに、滝行では強い意志を貫き通すことが出来た素晴らしい経験だったと思います。

    前回は去年のクリスマスに参加させていただきましたが、三十秒という短い時間でした。

    その時の目標は、そもそも滝行を経験する事だったので、それはそれで気付けることがありました。ですが、今回はもっと多くの時間、限界まで入りたいと強く思いました。

    自分はやれば出来る強い意志を持つには長い時間耐える忍耐力が必要だと思ったからです。

    実際に入ると、まさに自分の意志との戦いでした。

    前回同様、声を出すのもやっとな状況で三十秒頃で体はギブアップでした。

    ですが、ここを乗り越えれば、これからの人生何だって出来る、今困難の壁も乗り越えられる、と思ったんです。

    今までの人生でこんなに耐える経験は初めてでした。

    途中から頭痛がしたのですがここまで来ると止められませんでした。

    その後周りの方達には迷惑をかけてしまい、無理をした為に申し訳ないことをしたなと思いました。

    ですが、今までの頭痛とは違い、スッキリとした感覚でした。

    一緒に参加した方にもすごいと言われて本当に嬉しかったです。

    また何かあったら参加したいと思いました。

    腹式呼吸や発声練習も心が落ち着きます。私は普段声が小さいと言われるので、腹式呼吸を意識して声を出すようにしようと思いました。

    瞑想の時間は、自分でもすんなりと無になる事が出来ました。

    前回は色んな事を考えてしまって無になるのは難しいと思っていました。

    今回は呼吸することにとにかく集中しました。途中、足が痛くなりましたが、それでも呼吸に集中しようと、そこに思い出したのは「負けるな、成し遂げろ」と先生がいおっしゃっていた言葉です。

    ここで負けたら終わりだ、とにかく一時間、時間は忘れてとにかく呼吸することだけに集中しようと思ったら出来るぞ、というプラスな気持ちになれたのです。

    そこでまた元気になれたのは、滝行で自分は成し遂げることが出来ると強く思ったから

    気持ちも元気になったのだと思います。

    瞑想の後の十三仏真言も、全く同じで、途中から眠気と、集中力がなくなってしまい、

    本来だったらだらけてしまいますが、「私は成し遂げられる」と

    負けないぞ、と 強く思ったら元気になったのです。

    すごく自分にとっては不思議な体験で、やる体験全て意味があるし、やる時の精神的な気持ちでこんなにも違って見える。やり終えた後の感覚に達成感があるのが実感できました。

    来るたびに感じることがあって、

    都会から離れた環境でこうゆう体験をできるのは貴重だし幸せなことだと思いました。

    また、ぜひ機会があったら参加したいと思います。

    どうもありがとうございました。

    私が今回お世話になりましたのは、滝行を体験してみたかったことと、仕事柄自分の意志をあまり発言できなかったことの弱い意志を克服したいからでした。

    まず仕事の話からですが、金融機関人としてお客様第一の接客を心掛けています。

    しかし、上司からすると、「回転を上げるために時間を短縮して仕事しろ」と毎回のようにいわれます。そこで私も何か一言意見を言えばいい事なのにそれを溜め込んでしまう意志の弱さがあるのだと思います。それを、今回一緒に来た人達に相談したところ天光寺さんに行ってみようとなったのです。

    実際に天光寺さんを訪れてみて驚いたことは、「これまで当たり前に行ってることに感謝を表す」ということでした。

    私は普段ご飯を食べる際に「いただきます」という言葉を使っていますが、一人でご飯を食べる時には何も言わず食べている自分に恥ずかしさを覚えました。

    私は自分一人だけでは生きていけないのを分かっているにもかかわらず、他人が一生懸命作ってくれていることに「食前の言葉」で気付かされました。

    また、お百度参りや滝行、朝と夜の一日の始まりと終わりのあいさつにも初心に戻ることの大切さを学んだと思います。

    これは、滝行を行っている際に山の神様や水の神様にごあいさつすること、また大切さ、

    「南無大師遍照金剛」を唱えることで、無事に何事もなく帰って来ることができました。

    本当に大切なことでした。

    これは自宅で家から会社へ出掛ける時や、遊びに行く時にも両親に報告する意味で「行ってきます」「ただいま」の大切さに気が付きました。

    自分が今こうして健康でいられるのも両親のおかげであります。

    今までは親子同士なんだから言わなくてもいいと思っていましたが、今回ありがたい教えの中で、気付いたことをこれからは実践していきます。

    私が仕事で変わるために大切なことは「自分自身の今までの考え方」に依存するのではなく、「自分を知る」ことの大切さも学びました。

    そのためにはまず、自分自身を愛してみることから始めたいと思います。

    自分自身を考えが通らないから意見を出しても意味がないというこれまでの考え方は辞めて、新しい自分になるために、自分をもう一度しっかりと見つめ直し、今度の仕事に活かしていきたいと本当に思いました。

    滝行についてですが、以前から動画や友人の体験などを聞いていたこともあり、正直なことを言うと、「かなりなめてかかって」きました。

    実際に滝行の姿に着替えて滝に入ってみると、始まる前に「30分位余裕ですよ」と言っていた自分が恥ずかしいです。

    今回は一分と数秒でしたので、またの機会があれば、今度は3分を目指したいと思います。

    先生がおっしゃられていた「水と対立してはダメ」という言葉が分かりました。わたしの場合は、なめてかかってしまったということもあり、その時点で自分の考えが甘かったことに気が付きました。

    今度はこういった自分も直していきたいです。

    またこれら以外にも「仏前勤行集」や「瞑想」、「写経」などを行うことで気持ちを落ち着かせることも出来ました。

    瞑想は自分の家でも行うことができるので、継続していきたいとおもいました。

    料理にもすごく驚きました。自分の想像で料理はそれほど良い物はないだろうと思っていましたが、先生が全部作ってくれているという事にもびっくりしましたし、何より味がすごく美味しかったです。

    色々な事をしてきた先生だからこそ、出来る事であり先生が正直うらやましくなりました。

    またの機会がありましたら、もっと色々なお料理を食べてみたいです。

    今回天光寺さんで一泊二日の修行をすることができ、自分の人生においてかなり良い結果となりました。

    繰り返しになってしまいますが、一つ一つのあいさつの大切さが印象的でした。

    これからの長い人生の中でもっともっと自分を好きになりたいと思いましたし、そうした人生にしたいとも思いました。

    今から急には出来ないかもしれませんが、少しづつ今回の体験を活かしていきたいでし。

    今度は少しでも変わった自分の姿を見てもらいたいので、また天光寺さんにお世話になりたいと思います。

     

    私は、今回の体験修行を通じて、一歩踏み出す事により、成長を得る事が出来ると感じました。礼をするにしても、周りと同じ礼をするより、形が整った礼をすれば相手の視線を釘づけにすることができるし、滝行をするという人生の中で非日常なものに挑戦したことで、新しい出会いであったり、精神を鍛えられたり、どこか自分に自信を持つことが出来るようになりました。私の今回の目的は人を好きになることと社会人になって充実した毎日を過ごせるようになるという祈願でしたが、滝行や短い期間で多くの方と接することにより、まず自分を好きにならなければ自分の祈願は達成できないという事にも今回の体験修行で気がつくことが出来ました。これから先の人生で、自分を好きになるために自分に対して明るい言葉をかけたり、前向きに考えて行動すること、今の現状から一歩踏み出して新しい景色を見ることが大事だと思いました。

    食事では、肉が大好きで、毎日少しでも肉を食べなければいけないと思っていたけれど、今回の体験修行で素材の味を生かした肉を使わない料理も食べることで、毎日必ず肉を食べなくても問題はないということがわかったこと。素材の味を生かした料理は限りなく美味しいということもわかりました。

    腹式呼吸から発生する練習をずっとやっていると、反響なのか分からないが、自分じゃない声が聞こえているような感覚になったり、自分の声ではないような声が出ていて驚いた。

    滝行をする為に一歩踏み出した事で、一泊二日という短い時間でしたが、学ぶことがたくさんありました。ありがとうございました。

    自分を好きに、他人からも好きになってもらえるような人間になって充実した人生を過ごします。

    天光寺さんで一泊二日の修行体験をしようと思ったきっかけは、妹が去年体験修業をしてきたという話をきいて、私もやってみたいと思ったからです。

    昔からマイナス思考で失敗したり、些細なことで不安になってしまったりと、気持ちが落ち込んでしまうことが多々ありました。

    嫌なことから、すぐ逃げてしまうなど、精神的にも、あまり強くなく、どうにかしたいと思って生きてきました。

    お経や挨拶など、言葉ひとつひとつに、大切な意味があることを知りました。

    いつも普通に生活している中では気が付かなかったけど、朝起きた時、ご飯を食べる前と、後、行を行う前、行った後、夜寝る前、など一つ一つ敬意を持って挨拶し、すべてのことに感謝すること。これを改めてやってみて、いつも普通だと思っていた事を幸せに感じました。

    いつも朝食は時間がない中で、慌ただしく食べていますが、朝おかゆをみんなで食べて、とても幸せを感じました。

    今までこんなに朝食が待ち遠しく、感謝しながら食べたことはありませんでした。お昼も夜ご飯も、二日目のパスタもとても美味しかったです。レストランや、お店で食べるご飯よりも、何倍もおいしく、お腹だけではなく、心も満たされた感じがしました。

    いつもストレスで甘いものや、体に悪いと分かっていても、ジャンクフードや、スナック菓子をたくさん食べてしまうのですが、ここにいると、そのようなものが欲しくないことに、私もびっくりしています。

    他にも携帯電話やテレビなど、いつも夜遅くまで見ていたり、携帯がなくても、全然平気で、むしろそのようなものがない方が気持ちはとても前向きであり、一日が充実していて幸せを感じました。

    朝の掃除も、いつもは自分の家の掃除が面倒で、いやいやながらやっていて、少し汚れていても見ないふりをしていました。今回掃除をしてみて、とても気持ちがよく、朝の日課として家でもやってみようかなという気持ちになりました。

    滝行の時も、私は寒がりで、気持ちも強くないので、私にできるだろうかと、不安な気持ちがあったのですが、バスから降りて、先生や職員さんに迎えられ、不安な気持ちがやわらいだ気がしました。

    滝行に行く前に、仏様にあいさつし、お百度参りをしたことで、仏様に見守られていることを強く感じ、安心感と勇気がわいてきた感覚を強く感じました。

    今までお経は眠くなるし、何のためにやるんだろうと思っていましたが、今回、お経の意味や、写経、仏様のことを知ることで、瞑想をしたり、お経を読んだり、聞いたりすることで、気持ちが落ち着き、前向きになり、守られているような、不思議な感覚を感じることができました。

    家でも仏壇には、毎回お線香をあげ、自分の願いと共に、仏様や周りの人、またいつも生活していくうえで、当たり前だと思っていたこと一つ一つ感謝をしていきたいと思います。

    心の持ち方、姿勢もとても元気をもらいました。

    これから気持ちが落ち込んだ時や、不安な時、人生が上手くいかないとき、この言葉を胸に刻み、生きていきたいと思います。

    これから先、何があっても前向きで生きていける、そんな前向きな気持ちと、大きな希望で満ちあふれています。この体験は、私の人生での宝物になりました。天光寺さん、仏様、先生、職員さん、一緒に体験に来てくれた方にとても感謝です。

    ありがとうございました。

    この度は、このような貴重な修行体験を味わせてくださり、ありがとうございました。

    今回応募させていただいたのは、友達に誘われたことがきっかけではありましたが、自分の中で悩んだり迷ったりするようなできごとが1月、2月に多かったり、競技かるたへもより一層磨きをかけたいと心に思ったりと、自分の精神・内面に意識が強く向いており、一度自分自身に静かに向き合う時間が欲しいと思ったことが大きかったです。

    また以前から私は「精神」「無意識」「魂」といったものに深く興味を持っており、修行内容や先生のお話、資料から、今まで自分が考えたり、見聞きしたりしてきたことが、改めて思い出されました。

    今回、滝行をする、ということを主な目的として参りましたが、実際一泊二日の修行を体験して学んだことは、むしろ生活の細部に宿るものでした。

    何をするにも始めと終わりにはしっかりとあいさつをし、読経をする。

    このことは、いかに私が日頃、物事の始めと終わりというものをおろそかにしていたかということを気付かせてくれました。

    食事の前に皆で読む食前の言葉は、栄養のあるバランスの良い食事を満足に食べられることがいかに有難いことか、改めて思い出させてくれました。

    今後、このようなあいさつや読経や言葉を続けるとまではいかないにしても、今回感じた気持ちは忘れません。

    また、朝ごはんの前に掃除をするという習慣は是非見習いたいと思いました。

    自分自身の内面を見つめる、という意味でも、今回の修行は大きな収穫がありました。

    滝行やお百度参りといった肉体的修行は、むしろ我を忘れていましたが、

    写経、瞑想、写仏では、一度心を無にした後に浮かんでくるものから、今自分が本当に必要としていることが見えてきたように思います。

    瞑想や腹式呼吸は、集中しなければならないときの直前などによく行うのですが、今回はまた違った経験ができました。

    最後に、天光寺と日テレとの間に起きたことを高尾先生がお話しくださいました。

    このことについてもっと詳しく知っておきたいと思ったので、家に帰ったら情報を探してみるつもりですが、やはり感じたことは、ただひたすらに悲しいということでした。

    壊れた仏像を見たとき、心が泣きました。

    社会に出たら、こんなに汚いことが待っているのかと思うと心から悲しいです。

    でも、その壊れた仏像を見て涙を流した80歳の女性の方のお話を聞いたとき、何か救われたような気持ちになりました。

    私は、この80歳の女性でありたいし、高尾先生のように、不正義に立ち向かう人でありたいと思います。

    私は、競技かるたに行き詰まったときに、精神面を鍛えたいと考えていて、滝行を思いついた。

    何故精神を鍛えようと思ってすぐ滝行が浮かんだのかは分からないが、寒いであろう水の中で耐え抜くこと、心を無にすることは精神を強くすることにつながるのではないかと考えた。

    一月下旬の競技かるたの大会で負けた後、一緒に行こうと言ってくれ、すぐに予約を取ってくれた同行の二人には、感謝してもしきれない。

    滝行以外の修行もしてみたいということで一泊二日の予定としたが、その中で競技かるたにつながる一番の発見は、集中することの難しさと意義、である。

    競技かるたにはどこに集中をおくか、どれだけ集中できるかが非常に重要な競技だ。

    今回の修行の中で、最初に行なったお百度参りでは、声を出し願を請うことに集中しようとしたが、足が痛くなったり喉が枯れてきたりする方に意識が向きがちだった。

    滝行でも足が冷たいことに意識が向いて、結局一分も保たずに出てきてしまった。

    お風呂に入りながら、これでは何も得られないと思い気合を入れなおして臨んだのが写経である。

    墨をすり、最後の文字を書き終えるまでひたすらその文字を丁寧に書くことに注意した。すると、少しだけ、文字を書く意識すら消えて、脳内が真っ白になる瞬間があった。

    法話のビデオの中で聞いた言葉を用いれば、無意識になった瞬間だったのだろうと思う。

    また、二日目の瞑想では、数字を数えながら呼吸をすることで、空気や床と、自分の境界線が曖昧になる時間があった。

    雑念であふれている中で集中することは難しいが、集中していることすら気付かない集中は、頭の中を空にし、人間としての自分と向きあえる意味のある時間だった。

    特に数字を数えて、呼吸を調える方法は性に合っていたので、続けたい。

    競技かるたからはずれて、自分が生きていく上でとてもためになる話だったと感じたのは、法話のビデオの中の積極的に生きること、自分を愛すること、という言葉である。

    私は、自分のことがあまり好きではない。自分の良いところはなかなか思いつかないが、悪いところはたくさん思いつく。

    今まで、自分で自分の悪いところだと思っている部分に対して、どうにかしなければと焦ったり、なぜ変われないのかと自分に怒ったりすることばかりだった。

    しかし、ビデオを見て、悪い部分も自分であるのだとまず認めてあげることも大切なのではないかと思うようになった。

    ひたすら否定して、否定しまくっていたらそもそも何が悪いのかすら分かっていないことと同義ではないだろうか。

    まず認めてあげて、受け入れて、今まで積み上げてこなかった自分以外の価値観や考え方も受け入れて、すぐに愛することは難しくても少しずつ自分を好きになっていきたい。

    また、私は競技や勉強など人と競うことには負けず嫌いを発揮し、積極的になるが、

    どうしても一人のときや、特に誰かと競わないとき、楽な方へ流れてしまうことが多い。

    しかし、今自分が意識している生の中で、自分らしさを見つけられず、なあなあになってしまうのはとても勿体ないことだと思った。

    たくさん様々なことを見聞きし、経験して、本当に自分のやりたいことを見つけられるように、そしてそれを達成できるように、日々過ごしていきたい。

     

    二月二十三日から二十四日にかけて、天光寺で修行をさせて頂き、ありがとうございました。

    私は、大学に入ってからサークル活動で競技かるたを行っています。

    今まで、集中力を持って無心に札を取り続けていたことで、練習・大会で良い結果を出せていたのですが、ここ最近人間関係で悩むことがあり、かるたを集中して取れない時期が続いていました。

    どうにかこの気持ちを整理し、今一度かるたに真摯に向き合い強くなりたい、と思ったことがきっかけで、今回体験修行に参加させて頂く次第となりました。

    この体験修行を通して考えたことは多くありましたが、主に二つのことについて、感想を述べようと思います。

    一つ目は、「自分自身の気持ちに正直でいることの重要性」です。

    写経、写仏をしながら今の自分の思いを心にめぐらせていましたが、自分に嘘をつくことは自分を一番傷つけることになるのではないか、と感じました。

    どんな時も自分の気持ちに正直でいて、その気持ちを大切にしていきたいと思いましたし、その考えが芽生えたことで今悩んでいる問題が少し楽に捉えられるようになったので、この経験に心から感謝しています。

    二つ目は、「努力することの大切さ」です。

    努力することは、とても難しいことだと私は思っています。

    なぜなら、壁にぶつかる可能性が高いからです。

    時につまずき、めげそうになる中でも、その試練を乗り越え、常に高きを目指すことは容易ではありません。

    法話のビデオで、りんごの木の真ん中に実っているりんごが腐っていた場合、高いところのりんごを手にする必要があるといったお話があったと記憶しています。

    常に高いところを目指して努力することの大切さが分かった一方で、私は、たとえ真ん中あたりに実っているりんごが腐っていなかったとしても、てっぺんのりんごを取りにいく姿勢を大切に、貫いていきたいと思いました。

    私はどの物事に立ち向かっても、ゴールはないものだと思っています。

    だからこそ、途中で妥協することなく、平均を目指すわけでもなく、常に高いところを目指して努力して自分なりに物事に向き合っていきたいです。

    ここまでに記した二つのことが、私がこの体験修行にきて数多く学んだことの中でも、特に印象が深く、自分に影響を与えられた事柄です。

    また、私は実家暮らしなので、あまり家事をしませんが、洗濯や掃除といった日頃母親が行ってくれていることを自分でしてみて、改めて母に対する感謝が芽生えました。

    家で当たり前のように洗われた衣服があったり、綺麗な部屋で生活したりできることは本当に恵まれていることだと思うので、これからも感謝の気持ちを忘れず、そして時には手伝って生活していきたいです。

    お寺での修行は、自分で申し込まない限り体験できないもののように思います。

    今回の経験は貴重であり、今後の人生を豊かにしてくれるように感じています。

    この体験修行を忘れることなく、日々研鑽を積んで参ります。

    二日間、本当にありがとうございました。

    二泊三日で体験させていただきました。貴重な体験で自分自身にとって一生物になったと思います。
    修行の動機は、うつ病や引きこもりではなく、純粋な興味と何故か行ってみたいという気持ちが高まったからです。
    二十一歳という若さで来たので、先生は若いのに珍しいなと笑いながら気さくに話しかけてくださいました。
    私はお寺というのは少し堅いイメージがあって、初日は緊張していました。
    ですが先生を始め職員の方は普段見せてもらえないようなことや、仏教についてなど丁寧に教えてくださり自然と興味を持っている自分を感じました。
    滝行メインで来たはずがいつしかもっとたくさん学びたいと思うようになりました。
    日帰りで行うのと、止まるのとでは雲泥の差で学ぶことが多いと感じました。
    暮らしていく中で自然と考え方が変わっていくのです。
    仏教に携わり瞑想写経滝行等の修行を重ねていく中で、ご飯のある有り難さ、人との接し方、家族や友人、普段では当たり前すぎで感じないことに気づき感謝が生まれました。
    私はあまりこういった考えが変わるだとか、スピリチュアルのような物は信じない方でした。
    多くの方もそういう考えの人がいるかも知れません。実際に味わっていないからこそ理解できないことも無理はありません。
    ですが実際、体験すると本当に変わるんです。私が体験したことでいうと、朝太陽がのぼり日差しを浴びるとすごく暖かく嬉しい気持ちになり、有り難い気持ちになりました。
    一日の始まりをありがたく思ったことなど今までにありませんでした。私はこのように感じましたが、人によって感じることは多様だと思います。
    何よりも先生・職員の方は親身になってくれるのですごく話したい気持ちになります。宿泊したからこそ得られたことだったのかなと思います。
    朝昼晩の料理も先生がすべて手作りで作ってくださりどれも美味しかったです。
    先生が教えてくれたことで一番思い出に残っているのが「氣」でいろいろなことが理解できるということでした。
    私も体験しましたが本当にすごいという言葉しかありませんでした。
    言葉では表現できず是非体験してもらえば何かしらわかると思います。
    今回の修行は本当に自分にとって貴重な経験になりました。
    「自分を認めてあげる」一番心に刺さった言葉です。
    先生をはじめ天光寺の皆さん本当におせわになりました。
    ありがとうございました。

    今回私が滝行体験に参加したのは、春から新社会人になるのでここで気を引き締めて新生活を頑張っていくためです。

    無我夢中で就職活動をして、勝ち取った第一志望の企業で働けるというのに、大学の授業も終わり春休みに入ってからモチベーションを上手く保てなくなり、なんだか自分に甘えた生活を送るようになってしまいました。

    このままずるずるとした気持ちで社会人になったら、これから始まる40年以上?の社会人生活が気持ちよくスタートすることができないと思い、怖くなりました。

    そこで友人にこの話をしたら、友人も同じような気持ちを抱えていて、友人と話をしていくうちに、今までに体験したことのない事に挑戦してみたい!という話になりました。きっと働き始めたら毎日が挑戦になるから、今ここで大きな挑戦をして、新たな気持ちで4月を迎えたいと思いました。

    滝行体験はとある雑誌で取材されているのを見て以前から知っていました。まだまだ寒い時期で水もとても冷たいだろうし少し躊躇してしまいましたが、挑戦をするために行くんだから!と改めて決心して挑みました。

    いざ滝行がはじまるとなると、とても緊張しました。足だけ水に入った時に、背筋がゾワッとするぐらい冷たくて、思わず水から出そうになってしまいましたが、お寺の方が声をかけてくださったのでまた心を入れて、滝に近付きました。

    滝に打たれている時間は短かったようですが、私は長い時間滝の中にいたような気がしています。無我夢中というか、必死というか・・・煩悩がなくなりただただ滝と向き合っていれた時間でした。

    思っていた以上に爽快感もあって、寒さももちろんありましたが、とても良い時間を過ごせたと思いました。

    友人も来て良かった!!と笑顔で爽やかに話していました。

    新社会人として、これから一生懸命がんばって行きたいと思います!またリフレッシュしたいときには滝に打たれに来ようと思います!

    ありがとうございました。

    今回の寺修行の計画を聞いたときは、観光気分で修行するのかなと思っていたのですが、寺に着いて驚きました。まずは、もの凄く山奥にあり、バスも1時間に1本ほどの場所にある事。そして何より修行の内容です。山奥にあるので、電波は通じるのかと思いましたが、その不安はお寺に着いてから解消されました。最初にお寺の人に携帯や財布などを預けるため、修行に行ったみんなが携帯を使えない状態になりました。財布は、まず買い物をする場所がないので、必要ありませんでした。ここからお寺の修行となりました。着いてすぐに、寺の服に着替えをし、寒い部屋で2時間ほど正座をし、その上、三禮というハードなことをして足がしびれ、膝の皮をすりむいてしまいました。その後に、写経という筆を使いお経を写すという修行をしました。この日の中で、これが一番きつかったかもしれないです。三禮は、肉体的疲労があり、もう立てないほどでしたが、それをやった後に筆を使い文字を書く、かれこれ2時間ほど正座をしたので、ひざがやられてしまいました。1日目の修学の内容は、言葉だけ聞くとそんな大したことじゃなさそうですが、実際にやってみると、階段の1段も踏めないほど足がやられます。今回、僕を含め4人で、このお寺で修行することとなり、それぞれ目標がありました。一人はモテたいから。二人目は他の三人に連れられ、三人目は早口な所と親に内緒にしていることを直す、そして僕は根性を叩き直すでした。理由として、適当に人と接してしまい、そこを直したいと思ったからです。それなのに、最初お寺の方が人生の話をされ、「あなたは人生の主人公ですか?」ときいて、僕は「主人公です」と言い、「何の主人公なのですか」と続けて質問だった為何か答えなきゃと思い、「ハリーポッターです」と、まともではない答えをしてしまいました。それから、昼食の時に、みながお寺の方へ質問をしていたので、僕も質問しようと思い、印象に残る事を言おうとして「ハンバーガーなどは食べれますか」と質問をしました。それに対して、お寺の方は「修行中は食べれませんが修行の時以外は食べます」と答えてくれたので「お寺でハンバーガーは食べれますか」などと訳のわからない質問をしてしまい怒られました。こういった間が抜けることを日常的に言ってしまったりやってしまうので、一度心を改めなきゃいけない。そして、修行をするという機会を与えて頂いたので、この機会に人と接することを真剣にしようと思いました。もしかしたら、

    一緒の仲間の中で一番怒られた回数が多いかもしれません。それだけに、みんなも一緒に怒られ皆にも迷惑をかけてしまい、修行をしたことで身も心も引き締まりました。今までは何かを発言する時は、後先考えないですることが多く、それにより怒らせてしまうことが多かったので、これからは物事を一度考えた上で、発言することを心がけようと思いました。二日目の修行は、主に滝行とお百度参りでした。お百度参りの内容は、20メートルを走りながら行き来し、振り返るタイミングでお経を唱えるというものでした。お経こそちゃんと言えないときもありましたが、他の3人に遅れを取られないように今までやってこなかった「一生懸命に頑張る」というのをやってみたような気がしました。続いての滝行では、3番目に行ったのですが、前の二人より長い時間滝に打たれていようとしました。そういったことも含め、最後のあいさつで、お寺の方から、来たころに比べると変わった、と言われました。一泊二日の修行で本当に僕は変わったんだなと実感しました。今まで行ってきたこともこれからは新しい心を入れ替えたように生きていこうと芸人としても一歩踏み出せたような気がしました。

    私は先日より参加させていただいている企画でお世話になっている小藪さん、とろサーモンの村田さんより、お寺で一泊二日の修行をしてくるようにと言われ、天光寺に一泊二日の修行をしに訪れました。

    当初の目的はエピソードトークを話すときに早口になってしまうので、それを克服することと、芸人という仕事をしていることを両親に内緒にしているため、そのことについて見つめ直すことでした。

    天光寺を訪れ、お師匠様にお会いしたときにこの人はタダ者ではないなと感じ、お寺の雰囲気も神秘的なものを感じました。

    そして修行が始まり、真言宗のお経の唱え方を修行僧の方から教えていただき、三禮という礼拝の仕方を三百回繰り返しやることになりました。

    三禮はとても厳しい修行で体に物凄い負担がかかり、後半は自分でも何をしているかわからない状態になりましたがなんとかやり切ることができました。精神的、肉体的にも成長できたと思います。

    その後 夕食をいただき、お昼に食べたときと同様にお師匠様の料理への造詣の深さに驚き、ありがたいものを食べさせていただいているなと身も心も元気になりました。

    そして片付けも自分達ですることで感謝とスッキリとした気持ちになることができました。

    その後 写経を体験させていただき、三禮でヘトヘトになった足で正座をするのはこたえましたが写経をしていくうちに日頃余りある煩悩が少しずつ消えていく気がしました。

    その後お風呂を使わせていただいて一日の汗を洗い流してくうちに身も心もきれいになってく気がしました。

    そして一日を終えて自身の成長を見つめ直すうちに、早口のことの他に自信が如何に怠情な生活をしてきていたか、欲望を優先しておろそかになってしまったことを改めて考え、二日目はそういったことに打ち勝てるように修行をしていきたいと思いました。

    そして二日目 朝起床し、お寺の大掃除が始まり、普段自宅で清掃を怠っていることもあり、何度もご指導をいただいて細かいゴミや見落としがちな部分の清掃についてのご指摘を受け、身の回りを見渡して配慮することの大切さを学びました。

    次に発声の修行と瞑想について教えていただき、日頃芸人として大切な声を出すということについて改めて学び直すことができたのと同時に瞑想によって心の静けさを取り戻すころができ、普段持つことが出来ない貴重なひとときを得ることができました。

    その後、お百度参りと滝行の修行をやらせていただくことになり、お百度参りを通じて何かを願うということは気軽に出来るものではなく、しっかり真心をこめて仏様にお願いしなければならないということを学ぶことが出来ました。

    そして遂に滝行に行くことになり山の奥へ奥へと仲間達と共に修行僧の方に導かれて、山から流れ落ちるきれいな滝を目の当たりにすることができました。

    仲間が必死に滝に耐えている姿を見て自分にものすごい恐怖心が湧いてきましたが何とか勇気を出し滝行に挑むことができました。

    そこで全く滝に耐えることが出来ず自分の未熟さを感じました。

    また緊張が取れてしまい仲間の米村くんが必死に滝に耐えているのに笑みを浮かべてしまい後にお叱りを受けて自分は何て恥ずかしいことをしたんだろうと情けなくなりました。

    最後に護摩を見せていただき火の強さ、荘厳さに圧倒されました。

    最後に天光寺のお師匠様、修行僧の方にお別れの挨拶をする際の礼をあろうことか間違ってしまったのは本当に情けなく修行が足りなかったと感じました。

    一泊二日という短い期間でしたが、己の反省点を多く見つけ、今後芸人として成長していくにはどうしたらよいか本当に貴重な機会になりました。

    ご指導いただいた天光寺の皆様、本当にあるがとうございました。

    私は、今回人生で初めて寺修行というものに参加させていただきました。

    普段の生活でお寺に行く機会などは少なく、初詣で一年に一回行くか行かないかくらいのものです。あまり馴染みのない場所で一泊するというのは初めは少し緊張や、何をするかが分からない不安などもありましたが思えばあっという間に終わってしまいました。

    到着して早々、電子機器は使えないということでお寺にスマホを預け、

    「ああ二日も触れないのか、大丈夫かな」と心配していたのが懐かしいです。

    いつも肌身離さず持っていて、結構時間を食うスマホも、なくても全然生活には困らないということを学ばせていただきました。

    それだけでなく、一日の時間の長さというのに気付き、いかに自分がスマホに時間を割いてしまっているかも痛感しました。

    また、この2日で行った修行を通して、自分は少ししっかりしようとすれば出来るかもしれないということにも気付きました。

    普段の生活では自分はそこまでしっかりしている訳でもなく、どちらかといえば怠けただらしないほうの人間なのですが、一緒に修行をした僕以外の三人が、少し変わった怠けた人達だった為、僕だけでもしっかりてきぱきとこなそうと心がけていた結果、

    意外と自分はしっかり出来るのかもしれないと感じ始め、この修行を終えてからも心がけをしっかり持とうとすることを決めました。この修行で得た思わぬ副産物でした。

    今回得た大きなものは、全ての物事や人に感謝を忘れないこと。

    人への配慮、気遣い、精神的な人としての成長です。

    「思考が人生を作る」

    全ての自分の行動や言動は自分に返ってくる。その為、挨拶や感謝、気遣いは絶対に忘れちゃいけない。積極的に、今自分が出来ることを考え実行する。これはバイトなど、様々な所で実生活に役立つ考え方だと感じました。

    これは芸人である自分にも絶対必要な考え方であり、人からの信頼を得て、

    あ、この人なら仕事を依頼できるなと思ってもらえる様になる為には必要不可欠なものであるということが分かりました。

    また最後には、黙々と自分の仕事や割り振られた事を実行するのではなくもっと周りを見ることが出来、積極的にそれをやるべきというお言葉を頂きました。

    確かに自分は学生時代、部活の部長や応援団長をやっていたこともありましたが、これを今やっているバイトや芸人活動にも応用出来るかもしれないという自信が少しだけついたので、もっと自信をもって周りをよく見れる人間になりたいと思います。

    興味深い話を一つ聞いたのですが、「仏像が息をして肩が動いているのが見える」というものでした。これを聞いたとき、中学の修学旅行で行った京都のお寺での「仏像というのは自分が見た時の年齢や心情によって見える顔の表情が違う」という話を思い出しました。

    この一泊二日の修行を終えた今、あの頃行った京都のお寺にもう一度行ってみるという楽しみが一つ増えました。

    今回は修行のいろはを教えて下さってありがとうございました。

    これから頑張ります。

    進学で地方から出てきた私は、今思えば浮かれていました。大学生になって一人暮らしを始め、色々な事が自由になり、羽を伸ばしていました。友達と夜遅くまで一緒に過ごすこともありました。学校にサークル、バイトと忙しい日々を送り、五月病にもなったりしました。
    体験修行に参加したきっかけは、私の所属するサークルの歓迎会の一部だったからです。
    堕落した生活をしていた私にはちょっときつかったですし、なんでこんなことするんだろうと思いました。実際に体験修行をしてみると、お経を読んだり、瞑想をしたり、滝行をしたり、写経をしたり、初めてのことばかりでした。滝行は本当に水が冷たくて、早く終われと思っていました。生きた心地がしなかったし、寒くて震えました。でも終わった後、なぜかスッキリした気持ちになれて友達と驚きました。修行の中でサークルの同期の子たちとも、いろんな話をしたりして、仲良くなれたり、お互いのことを知ることが出来ました。また、修行にはほかの参加者さんもいて、意見交換をしたり、色々な事を話すことで、知らないことや世界を知ることが出来たと思います。社会人が多い中、学生の私たちが参加することもいい経験になっていいなと思いました。人生の節目節目で、ここに来れば気持ちがリセットされていい切り替えになると思うので、また何かの節目で凝れたらいいなと思います。
    最初は嫌だったけど、思い切って参加してみると心が洗われて綺麗な気持ちになれました。

    何も不自由なく生きてきて、社会人になるという節目に、何か自分に試練を与えたいと思い体験修行に参加してきました。天光寺さんは知り合いから話をきいていたので、知っていて、そういえば体験修行ができると思い出し、参加を決めました。
    日々の生活のありがたさや、当たり前のことに感謝すること、自分を見つめ直すことなど、たくさんのことを学ぶことが出来ました。写経やお百度参りなど初めてのことも多く、このような修行があるのだと人生の学びになりました。やりたくないことをやる、辛いとわかっていることをやる、など普段では踏み出せないこともこの機会に経験できたので、参加した甲斐があったなと思いました。
    滝行は一番興味があったのですが、いざ滝を目の前にすると怖くて、やり遂げられるか不安になりました。自分で参加して、リタイアするのは悔しかったので、思い切って入ってみたら、スッキリとした気持ちになれました。
    これから、どうしても嫌なことがあったり、できないことがあったり、辛い思いをしたり、どうにもならないことがたくさん出てくると思います。そのようなことも全て経験ととらえ、乗り越えていくことが大事なんだということを肌で感じました。
    普通に生活しているだけでは、この気持ちを得られなかったと思うので、参加して良かったと思うし、この気持ちを忘れないように社会人生活を過ごしていきたいと思いました。
    頂いた精進料理がとてもおいしくて、また食べに修行に来たいと思うほどでした。立ち止まってしまって初心に戻りたくなった時はまたお世話になりたいと思います。ありがとうございました。

    私が今回参加したきっかけは、会社の上司が自分の子どもと滝行に行って良かったと聞いたからです。頭がスッキリして見方が変わるといわれて興味を持ちました。今までの私は、周りの人に何かをすすめられても、関心が持てなかったのですが、天光寺さんの修行の体験は興味を持ちました。というのも、サイトを見た時に、まさに私が行くべきところだと思ったからです。私は、とても意志が弱く、人に流されやすいがために、だまされた経験があります。また、自信もなく、努力が嫌い、すぐに諦めてしまうなど、基本的な人間力が身についてないと思っていました。もちろん、今までの人生、こんな感じかなと損していると周りに言われながらも生きてきました。そんな自分でも、変わりたいと常に思っています。良い人生にしていきたいと思うだけで行動、実践は出来ないでいたのです。ただ、何事も経験だと思って思い切って参加を決意しました。
    結果、言葉では言い表せられないぐらい良い経験が出来たと思っています。全ての経験で特に感じたのはやればできるということです。一番楽しみでもあり不安でもあった滝行は、とても寒がりな私には出来るか心配でした。前日のお家のお風呂に入るときですら凍えていたので、無理かなと思っていたのでした。それが、少しの時間でしたが、実際に出来た時すごく感動したのは今でも忘れられません。終わった後は、視界がクリアで頭がスッキリしました。感覚的には、これからの人生何でも出来るとポジティブな思考になりました。それとお百度参りはとにかく足が冷たくて痛かったのが辛かったです。ですが、途中から慣れてきたのか、痛みを感じなくなりました。その感じが慣れると良いんだなと思い、、諦めない気持ちを持つことが出来ました。写経、写仏は集中力が続かない私には、最後まで最後まで書くのが大変でした。いかに集中力を付けた方が良いか、集中力が途切れてしまうと字も雑になったと思いました。また、、なにか違う考え事をしていても字が上手く書けないなと思いました。これも一つの経験ですが、これを通して普段字を書く気持ちがなかったと思いました。これからは丁寧に一字一字書けるようにしていきたいと思いました。修行中は当たり前のことを教えていただいたのですが、私にとっては学びだなと思うところがいくつもありました。部屋を出るときは電気を消す、食事をするときに感謝の言葉を言う、片付けた食器はあった場所に戻す、清掃は上から行う、といったことが当たり前のように修行の時には行うのですが、ここ最近の私は忘れていたなと思いました。当たり前のことだけど、仕事の忙しさで出来なかったり、後回しにしてしまったり、結果だらけてしまうなど悪循環な感じになってしまいます。それがこの基本的な事をやるだけでも、なぜか頭が整理されたり、出来るとポジティブになれたりそのような感覚がありました。清掃はやっている途中から心もきれいになっていくなという感じがしました。目に見えて綺麗になっているのが分かるので気持ちも晴れるし何よりトイレに行く時もルンルン気分な楽しい気分で行っていると気付きました。全ての体験に無駄なものはないんだと思う二日間でした。
    今回一泊二日の体験をして、同じ日に体験された方とも仲よくなれたのは、良い出会いだなと思いました。目的は違えどいろんな考え方を共有できたし、新たな受け取れるものもありました。どんな場所であれ、ご縁は大切にしたいなと思う二日間でした。これから人生が楽しみだなと思うし、また何か不安なことがあった時や落ち込んだ時には修行をしに来たいと思います。本当に貴重な体験をどうもありがとうございました。

    二十五歳になり、生まれて初めて修行と宿坊体験をしました。短い期間でしたが、なんだか生まれ変わったようなすがすがしいさがあり、心が軽く清められた気分になりました。
    最初はどきどきしていました。五日市に訪れるのは初めてで、そこから長くバスに揺られて辿り着いたのが天光寺でした。イメージ通りの静かな佇まいで、身が引き締まる感じでした。中に入り、所作や挨拶、色々と学び、食事を共にしていくうちに同じ体験の方と交流でき、仲良くなれたことで、ご住職とも会話が弾み、リラックスして楽しくできるようになりました。
    色々お話も聞けて嬉しかったです。

    私は今回天光寺さんにて体験修行を受けさせて頂きました。

    体験修行で一番心に残っているのはやっぱり滝行です。そもそも滝行が目当てで受けに行ったので一番心に残るのは当たり前の様な気がしますがそれ以上にとても印象に残りました。

    まず、見た目。滝って本当に水が落ちているのですね。大量の水が、落ちてきているのが見ただけで分かりました。少し、恐怖も覚えるほどでした。

    次に、音。これは、とても大きい音でとても水の音だとは思えません。

    これから、この中に入ってあれを受け止めるのかと思うと恐怖を隠せませんでした。

    意を決して入ってみると思っていたよりも優しかったです。そして、入っているうちは気付かなかったのですがとてもリラックスできていました。自然の中で日常では触れる機会のない滝にあたり心身共に癒されました。

    また、ここに来てみたいと思える修行でした。ありがとうございました。

    今回、私は体験修行を受けてきました。

    体験修行を受けようと思った理由は、興味本位でした。

    現在は、学生ですが来年にはもう就活も始まり社会人の仲間入りする予定です。そこで、自分を叩き直すという意味も込めてこちらに来ようと思いました。

    内容としては、挨拶等の礼儀作法を学びその後、お百度参りをして滝を浴びる流れです。

    まず、驚いたのが大自然です。ここまでの自然をこんなに身近に感じたのは久しぶりでした。

    なんだか、自然に触れていると不思議と心が癒されてきました。自然には不思議な力があるなと思っていました。

    次に、お百度参りでは全力で走りました。全力で走るのは普段なかなかしないことなのでとても疲れました。元々、身体を動かすのは得意な方ではないのでなんか嫌だなと思っていたのですが大自然に囲まれ全力で身体を動かすのはとても気持ちが良いものでした。

    最後は、滝行です。滝行では、お百度参りで出した汗を流すようで気持ちよく見えたのですがいざ入ってみると勢いが強く予想していたよりも大変でした。

    今回修行を受けてみて、普段生活しているだけでは見えてこない部分が見えてきて自分の新しい一面を発見することが出来嬉しかったです。また、なにか新しいことに挑戦したいです。

    今まで学生生活を送ってきて、自分なりに頑張ってきたつもりだったけど、周りの人に比べれば何も残っていないなあと思っていました。4年間いろんな経験、遊び、勉強をしましたが、まだまだ未熟な自分に喝を入れて、社会人をスタートさせたいと思い、参加を決めました。一人での参加だったので、不安でしたが、そんな不安を思い出す暇もないくらい密度の濃い時間でした。集中する場面が多く、受験勉強をしていた高校生の頃を思い出しました。あの頃より集中力がすぐ切れるなと感じ、4年間で衰えてしまって落ち込みました。生活の中で集中する時間を設けることは大事だなと思いました。一番楽しみでもあり、緊張していた滝行は充実感のあるものでした。すごい水圧と水しぶきの中、滝に耐えるというあの時間は一生忘れられません。自分に打ち勝ちたいという一心で耐えました。滝に入っているときはそればかりであまり覚えていないのですが、終わった後はとてもスッキリした気持ちと達成感で気持ち良かったです。さまざまな経験を短い時間の中でさせて頂きました。自分に自信がなくなった時は、この経験を思い出したいです。また、思い立ったら修行に来て気持ちをリセットさせたいなと思いました。初心を忘れないよう、社会人になっても頑張りたいと思います。お世話になりました。ありがとうございました。

    一日体験修行に参加しました。滝行を体験してみたいという気持ちから申し込んだ体験修行でしたが、想像以上で、参加してよかったと思いました。実際の滝行体験は、前日に雨が降ったので水量がすこし多いと伺って、始まる前に恐怖を感じてしまいました。やっぱり好奇心だけではなくて、覚悟も必要でした。それでもお寺の方や一緒に体験修行に参加していた他の方にもお声がけを頂いて、きちんと気持ちを作ってから滝行に挑戦できました。何秒ぐらい滝に打たれていたのか自分では定かではないですが、声掛けがあるまで滝の中にいることができたので満足です。滝行以外にも、お百度参りや写経を体験しました。お百度参りは日頃からランニングをしているのでそんなに苦ではありませんでしたが、普段いかに雑念を持ちながら走っていたのか分かったような気がします。心がスッキリする感覚でした。写経は集中して文字を書く事を久しぶりにしたので疲れはありましたが、貴重な経験でした。興味心からの参加でしたが、日常では体験できない様々なことをすることができて大変貴重な良い経験となりました。今後、モヤモヤすることなどがあったときにはまた体験修行に参加したいと思います。ありがとうございました。

    一泊二日の体験修行を初めて体験させていただきました。台風接近中という生憎の悪天候でしたがお百度参りも滝行も無事執り行われました。

    滝行前に、般若心境を唱えていた時は、あんなに声が出なかったのに、滝に打たれたら自分でも驚くほどよく声が出ていました。滝の迫力に負けじと感じたのでしょうか。次は写経と写仏ですが写経は何度かしたことがありますが小学生以来の毛筆には苦労しました。終盤になってやっと力加減や筆遣いがわかってきた始末です。

    写仏は初めてでしたが元々絵が好きなので正直写経より集中していたようです。最近何かと雑にすることが多くなってきたので自宅で続けてみようと思います。二日間という短い期間でしたので今抱えているすべての悩みやストレスがきれいさっぱり解消するとはいかないまでも、解消に向けて一歩踏み出したように思います。なんだか力が沸いてきました。どうもありがとうございました。それから御食事もとても美味しかったです。ごちそうさまでした。

    マンネリ化した日々をどうにか脱却したいと思い、最近話題の滝行に挑戦してみることにしました。いざ滝を目の前にすると大きな音や水しぶきで怖くなってしまい、足が震えました。大迫力の滝に向かっていくのは正直怖かったけど、自分を変えるという意味でもやってやろうと決意できました。水圧がすごくて、飛ばされそうになりながらでしたが、なんとかやりきることができました。終わった後は、スッキリしてとても気持ちが晴れやかでした。身体についていた余計なものが流れていったような軽さに驚きました。たまにやって、身体をリセットしたいと思います。

     

    最近は瞑想も人気だと知って、天光寺でもやっているとのことだったので体験してみることにしました。滝行とはまた雰囲気の違った修行で、静かに、指導されるがまま…といった印象です。エネルギーが体の中をめぐっていくような感覚と、内から何かが出てくるような感覚がありました。慣れるともっといろんなものを感じられるようなので、また修行に来たり、普段からも瞑想の時間を設けようと思いました。

    最初は、週末を利用して母と二人で高尾山に登る予定でした。

    そのついでにまわれるところや、美味しいものをネットで探していたところ、天光寺さんの体験修行を見つけて、少しためらい気味の母を説得して急遽予定変更で天光寺さんの体験修行にお邪魔しました。

    私は昔からパワースポットが大好きで、色々なお寺巡りをしてきましたが、檜原村にこんな素敵なお寺があったなんて驚きでした。

    そして体験修行の内容というのがこれまたすごく女性向きと言いますか、ヨガもあり、お寺の精進料理を頂けて、お百度参り、滝行ととても大満足な内容でした。

    今までもヨガはやったことがありましたが、お寺で、しかも禅ヨガという身を清めてから行うヨガは初めてで、とても神聖な気持ちになりました。

    精進料理は前にも別のところで食べたことがあったのですが、基本的にいつも肉や魚を食べている私にとってはあっさりし過ぎていて物足りなかったので、今回もあまり期待していませんでしたが、ここの精進料理はとても精進料理と思えないような内容で味付けにもこだわっているのかとても美味しくいただきました。季節によっての地元野菜などを使っているとのことで、また違う季節の精進料理を食べてみたいと思いました。

    そして、母がためらっていた滝行ですが・・・これが思っていた以上の大迫力でやる気満々だった私でさえ躊躇ってしまいました。しかし、ここまで来たからにはと意を決して滝に挑みましたが、水圧で飛ばされそうになる勢いでビックリしました。しかし本当に身が清められたというか、身体の中すべてが洗い流されたというか、ただただスッキリの一言につきます。

    母も「やってよかったー!すごく気持ちいい!」と私以上に大満足でした。

    そして、天光寺さんのお風呂に入らせてもらい、護摩祈願もしていただけましたし、最高に充実した週末を親子で過ごすことができました。

    このほかにも色々な体験プランがあるみたいですので、今度は父も連れて泊りの修行を体験したいなと思っております。

    貴重な体験をさせていただきありがとうございました。また行かせてもらいますので、宜しくお願いします!

     

    新人研修のようなもので今回ここ天光寺に連れてきて頂いたわけだが、僕自身、今の今までの全くと言っていいほどお寺とか、神社とか、宗教とかに興味を持ったことが無かったので、そんな人でも果たして大丈夫なのだろうかと思っていた。事前に送っていただいた天光寺のホームページを見てみるとなるほど、会社や企業の新人研修および、今後の社会へ出て戦っていく若者たちの度胸付けのようなもの(プラン)があることを知り、こういうものとしてお寺に入ることも出来るのだなあとここで初めて知った。

    ならば自分は「この与えられた2泊3日をどれだけ意識的に取り組めるかだ」と言う気持ちで過ごすことを決めた。初日。

    なれない正座にすぐしびれが来たが、勝手に体制を崩すようなことはしなかった。

    お百度参りも真剣にやり、滝行も限界の限界まで滝に打たれた。そうした帰りの下山の気持ちは晴々でなによりちゃんとやれた自分にほっとした。

    半強制的に始まったとは言え、こんな気持ちにさせていただいた会社やお寺の環境に自然と感謝した。ところが二日目。初日ではやらなかった掃除や瞑想までは良かったのだがお百度参りと滝行はあまり気が乗らなかった。一回目で気合を使いすぎてしまったのだ。それでもとりあえず両方とも行った。そしてやるからには真剣に走ったし、限界まで滝に打たれた。ただ、その後の達成感はあまり無く、「自分は1回やれたことは2回目もなんなくやれる人だな。」と自分のことを分析した。

    そんなことを思っていたらふと「3回目もどうせやれる力はあるのだから最終日はやらなくてもいいのでは?」という感情が芽生えた。寺に帰ると、部長の高尾さんに「明日は社長さんと滝行やられますか?」と聞かれたので「やらなくてもいいならやらないでいいです(笑)」

    と答えた。「変われていない」と思った。多分、もともと2日連続でお百度参りと滝行をやるくらいの度胸は持っていて、自分はそれで十分だと自分の成長を自分で止めてしまっていたことに気付いた。すると、明日もお百度参りと滝行をやる意味が見えた。自分の感情だけで自分のことを決めないことだ。2回できたことは3回できる。わかっていてやろうとしなかった自分を成長させるチャンスを頂けたことに苦しいけど感謝して、しっかりやり遂げたいと思う。生意気言ってすみませんでした。

    25歳になり、生まれて初めて修行と宿坊体験をして、短い期間ではありましたが、なんだか生まれ変わったように心と身が軽く、清められた気分になりました。最初はとてもドキドキしながら来ました。五日市自体訪れるのは初めてで、そこからまた長くバスで揺られて辿り着いたのが天光寺、イメージしていた感じの静かな佇まいで身が引き締まる感じでした。中に入り、所作やあいさつ、いろいろと学び食事や行動を共にしていく内に、同じ体験の方と交流でき仲良くなれてお坊様とも会話がリラックスして楽しく出来るようになり色々なお話を聴けたのが嬉しかったです。メインの滝行は、私の持病から少し緩やかにしていただきましたが無事体験できて本当に良かったです。滝に打たれるなんて滅多に出来はしないのでとても貴重で人生の良い思い出になりました。友人や家族にも話、興味を持ってくれたら今度は誰かを連れてまた来てみたいなと思います。もう夏ではないので水は冷たくて勇気が入り、頭から受けると骨折してしまう危険もあると聞いた時は帰りたくもなり、正直、山登りの時点からきつくて運動やハイキングをあまりしたことがない私はギブアップしたい気にもなりました。けれど、いざやりきるとスッキリし達成感があり2日目もやる気になりました。残念ながら体調が優れず写仏をしながら待っていましたが、五体の仏様を写すことができ、こちらもまたかなり達成感を得られ、集中力が磨かれたと思います。集中力はわりとあるほうなのですが、趣味で競技カルタをしているため更なる集中力をみにつけなくてはならなくて、その目的も理由の一つとしてきました。本格的に活動をしていて、全日協の所属会を通じて正月には武道館の大会に出場したり、連覇をかけた和装試合等も毎年あり、来月も控えています。同じ真言宗のお寺でも以前カルタイベントや貸し切り試合でよくお世話になっていました。真言宗とはそこからもご縁があったのではと思います。

    我が家は、先祖から代々、天台宗の檀家でそのお寺のご住職は幼稚園も経営されていて、私はそこに通っていました。幼いころ、私は今よりずっと病弱で通うことが本当にできず、友達も少ない大人しい子でした。けれど、その和尚様が先生であり友達でもあり遊んでくれたり、友人との輪を広げて機会も設けてくれたり私に大切なことを教えてくれました。

    人生の糸が強く太く、カラフルに結ばれた感じに思えました。それからも、私は短大に入学するまではずっと休みがちの学生生活でしたが、友人は多くなり、沢山の人に支えられてきました。大学、社会人になってようやく体力がつき治療も経過観察だけになり自由に何かを忘れたように出来るようになりました。思い立ったらすぐ行動で今までの反動からか大分アクティブになりました。その分家族はよく心配させてしまい申し訳ないのですがたまにうっとうしくなり仕事で疲れ持病から人より疲れ方やエネルギー消費が酷いので誰が悪いわけでもないのにあたってしまいがちになったり、自分の経験から病院の仕事に就いたので、時間に追われる内容ばかりでせかせかしてしまったり家でもろくに話をせず生返事、聞かれても答えずにさっさと支度をして家を出ることが多くなりがちでした。何のせいでもなく私の心の持ち方だと分かったのですが、ここでは、時間で動くけれど、あまり時計がないため、解放感と共に少し心配もありました。携帯も同じです。便利だけれど、時には面倒。連絡を溜め込むと返すのが大変になり相手もいることですから一つの人間関係手の中に納まるネットワークです。しかし、預けたことにより、ないなりには過ごせましたが、やはり物足りなさがあり、依存気味だったのだと分かりました。明日からは、いつもいじるばかりではなく家族とも話、いじるときは有難く使い、優しい気持ちにで、またコミュニティーを再開しようと思います。それから、時間を大切に、でき自分の心のゆとりとコントロールも忘れずに、いつどんな時も、と思います。家族だからこそ何でも言ってしまうことがありますが、この体験に来てから私には珍しく家族がちょっと恋しくなりました。全く連絡も取らないのは初めてだからかもしれません。ホームシックなんて子供の頃からなく柄でもなく

    どこかへ出かけたり宿泊をしてもこんな気分にはなりませんでした。私は、いつも頼ってばかいで甘やかされてワガママだったかもしれません。感謝と反省の気持ちです。帰ったら口できちんと沢山話したい。伝えたいことが改めてあります。仕事も引き続き好きで選び多分今が板につき一番楽しいので気を抜かずやっていこうと胸躍る気持ちになりました。生と死の現場、目まぐるしいですが。そして、私の病は父からの遺伝で完治はないですがまだ救われている点がたくさんあります。仏教を改めて学ぶきっかけは、かるた繋がりの他に、幼稚園の先生と父のがんが重なり切ない気持ちになり、ふと友人から誘われた寺カフェに行き、そこから癒され、更に求めイベントや色々なものに参加し、修行と宿坊もしてみたくなりました。一発でこちらが検索したら目に飛び込み、巡り巡って本当に縁を感じました。来れてよかったです。ありがとうございました。

    私は、短気で売られたケンカはすぐに買ってしまうところがあります。

    そんな自分が嫌いなはずなのにやめられなかったです。

    ここへ来た目的は、自分では気づかないところにありました。それは、自分の嫌いなところを自覚する・・・というものです。

    今回の修行で、私は自分がとてもワガママで、ただの甘ったれちゃんであることに嫌でも気づかされました。

    挨拶の声の小ささや、お行儀の悪さ、さらには、何をするにも「面倒くさい。」という気持ちがつきまとっていました。

    しかし、朝の掃除をしているときに、自分が汗を流して一生懸命やっていることに気付き、すごく驚いたし、嬉しかったです。

    知らず知らずのうちに、楽しくなっていました。

    何事にも積極的に行動するというのは、こういうふうに、面倒くさい事でもやれば楽しくなるとかもしれないし、自分の新たな発見が得られるチャンスなのだと感じました。

    私はここで得ることができた1つ1つの学びを大切に持ち帰り、日常で参考にしながら、生活をしたいと思います。

    失礼なことをたくさんしたと思います。

    本当にごめんなさい。

    次回はもっと人のために行動する志を持って参りますので、ご縁があったらまたよろしくお願いいたします。

    ありがとうございました。

     

    今回初めて天光寺さんにて、2泊3日の修行をさせていただきました。

    普段は長時間正座をすることもないので、久しぶりに辛い思いをしました。

    御宝号を初めて習いました。この8文字の力は素晴らしいと思います。

    何度も繰り返していると、自然と身体の力が抜けて心安らかになります。

    「南無大師遍照金剛」と唱えながらの滝行では、水と一つになろうと頑張るのをやめた時、つまり思考がストップした時に、これまた力が抜けて身を任せることでうまくいきました。

    読経、写経、写仏もいい経験となりました。

    日頃、仕事で集中するのとは違い、人里離れた大自然の中、自分と向き合う形で一つ一つを丁寧にこなしていくことで、色んなものを浄化できたように思います。

    大変お世話になりました。

    感謝致します。

    私は大学入学と共に上京し、勉強、サークル活動、バイトなどで、なんとなく多忙な毎日を送っていました。さらに3年生になると就活が始まり、目まぐるしい日々になり、「あれ、私このままでいいのかな?」と漠然とした焦りや、不安に襲われるようになりました。

    そんな中、ふと雑誌で目にした”滝行“…。その二文字にビビっときて、友人を誘って天光寺さんで半日滝修行をさせていただくことにしました。

     

    ただ最初は何となく、滝に打たれたら、身も心も洗われてなにか変われるんじゃないかという気持ちでしたが、私たちの想像を超える体験をさせてもらいました。

     

    まず白装束の行衣に着替え、基本の指導を受けて、その後にお百度参りをしました。

    熱いコンクリートの上をとにかく走り、途中何度も辛い!熱い!足が痛い!と思いましたが、不思議とやめたいとは思いませんでした。

     

    その後、滝までのかなか険しい山道を歩き、滝行に向かいます。いよいよか…と段々不安が募ってきましたが、滝を見た時のド迫力は凄かったです。

    滝に入る前に、桶で水をかぶりましたがそれだけで、息が止まりそうなぐらい冷たくて・・・

    ついに滝の真下に入った時には、もう、冷たいより痛い!

    とにかくすべての煩悩を流してください!と心の中で強く思いながら、「南無大師遍照金剛」と唱えるのに必死でした。

    不思議と体が冷たさに慣れてきているのか、それとも新たな境地に立つことが出来たのか?体の力がふっと抜けたような、心がまっさらになったような感覚にとらわれました。

    本当に身も心もスッキリ!というのはこういうことを言うんだと改めて思いました。

     

    友人と一緒ということもあり、最初は少し安易な気持ちで臨みましたが、この修行を終えた後の達成感は言い表しようがないです。

     

    すごく自信がつきましたし前向きな気持ちになれました。私のような悩める学生さんにも本当にお勧めしたいです。

     

    また社会人になり、困難に遭遇した時は是非お世話になりたいと思います。

    ありがとうございました。

    私は、今現在職についておらず親のすねをかじりながら生きています。

    家は比較的裕福な方で幼少のころから何不自由なく育ってきました。ですが親はとても厳しく、よい成績をとってこないと怒られていました。大学も親の望む大学には入れませんでした。そこで、親は私を見放したのか何も口を出さなくなりました。会社に入りましたが今まで親の望みをかなえようと自分のやりたいことなど考えずに生きてきたので入った会社も楽しくなくすぐにやめてしまいました。私は両親に甘えているんじゃない!と叱られました。私には姉がいます。姉は私と違って優秀でいい大学に入り自分のやりたい仕事をして毎日が楽しそうで本当に姉弟なのか不思議なぐらいです。そんな姉は、私に優しく両親に叱られ部屋で泣いていると慰めてくれました。勉強も教えてくれました。姉がいなかったら私はこの世にいないと思います。そして、その姉が結婚することが決まりました。私は、素直には喜べませんでした。姉はとても優秀なのにこんな駄目な弟がいるとわかったら姉が旦那さんに嫌われてしまうと思ったからです。

    そこで、私はまず自分の弱い精神を叩き直そうと思いインターネットで調べているとこちらのお寺にたどり着きました。

    修行はとても辛く厳しいものでした。ですが私は全力で行いました。きっとここで手を抜いたら今までと変わらないと思ったからです。

    修行が終わると私は生まれ変わったような感覚でした。

    修行をしたことで私の弱い精神は鍛えられました。ありがとうございました。

     

    三日間の修行を通して

     

    昨年の秋に今働いている会社で役職が上がりました。年内はうまく仕事を卒なくこなしていましたが、年末の多忙と労働時間が増えた事なども重なり、今年に入って、メンタル不調を起こし、会社に段々と行けない日が多くなりました。そのような生活が続いた為、会社の責任者と通院している医師から少し休んだ方が良いのではないか、ということで、自分もなるべく避けたかったのですが、話し合いの結果、1カ月の休職することになりました。

    1カ月という期間で本当に今の環境から1人になって考えたいという環境が欲しかったのと、自分の弱い部分を少しでも変えたいという思いが強くなり、何がしたい考えた時にお寺で修行しようという考えになりました。なるべくなら行くのに近い方が良いと思い、関東で探したところ、天光寺のホームページを見て、自分がしたいと思う修行内容と一致したことから、二泊三日での修行を申し込むことにしました。

    午前中に関しては、真言宗のお話と基本的なルール、作法についての教えを受け、昼食をはさんでお百度参りを行いました。早速、白い装束に着替えて説明を聞き始めました。その日は、台風の接近もあり天気は雨ですが、柱から像まで片道20メートルを裸足で往復するという修行でした。

    ほぼ全力で走る為、何往復したか記憶はありませんが終わったときは、汗をかきましたが大変すがすがしい気持ちになりました。その後すぐに車で滝に移動し、滝行を行いました。こちらでもまず同様に作法から学び、入ることになりました。滝行に関しては初の体験だったので不安でしたが入ったときは、これは見た目よりも水が強く体にあたり、きついなと思いましたが途中からうまく順応するようになりました。念仏を大きな声で出すように心の中で意識すると、水の冷たさと水の強さが気にならなくなり、何分ぐらい入っていたかは分かりませんでしたが、同じ滝行の方々に「頑張りましたねー」と声をかけられたのが印象的と思った以上に耐えられたので、少しだけでも自分に自信が持てました。その後一人になり写経、写仏を行いましたがかなり長時間の集中力をようするため、自分にとっては、長時間集中力を保つことが大変苦労しました。その後夕食をとり、DVDを見終わったときには、21時を過ぎていました。就寝は22時でしたが、疲れていたのですぐに寝ることが出来ました。

    次の日、朝6時に起床し、洗顔後清掃を行いました。1時間半程でしたが汗をかき、すがすがしい気持ちになりました。その後、朝食をとり、瞑想に入りました。そこでは、腹式呼吸を習い、自分でも驚くぐらいのでかい声をだし、読経に進みました。あっという間に昼になり前日同様お百度参り、滝行、写経、写仏をこなしましたが初日よりもこなせるようになり自分に少し自信が持てるようになりました。普段、時間と仕事に追われ生活を当たり前のように行って月日を過ぎていましたが、今回の二泊三日の修行は日数的には少ないかもしれませんが大変様々な事が学べ、自分にとって大変に勉強になり、見つめなおすいい機会を得ることができました。復職後は、こちらで学んだことを取り入れて自分をうまくコントロールできることに活用したいと思いました。

    あいにくの雨となりましたが滝行というものに興味があったので友人に誘われて、こちらで体験させて頂きました。滝行に入るには、入る前のお百度参りやごあいさつの作法を学び般若心経を唱えたりと日常生活では体験できないものがたくさんありました。本番の滝行では6月ということもあり、緑鮮やかな山の中を登ること4分で滝行の場所に到着しそこでも滝に入る前のお清めなどたくさんのお約束事があり、それを見るだけでも身が引き締まる思いがしました。

    いざ滝に入ってみると初めは冷たい水と水の勢いで驚いてすぐに戻ってしまったのですが落ちついて入りなおしてみるととても神聖な気分になりました。初めは、立って背を岩につけ数分、そしてあぐらになり数分、一人ずつのために他の方のことも考えて早めに出てしまったのですが、滝行はとても気持ちのいいものでした。時間が許せばまたゆっくり、体験をしてみたいと思います。滝行までの案内をして下さったスタッフの方にも感謝です。

     

    仕事で上手くいかないことが続き、上司に勧められ一日修行に参加しました。修行体験をさせてもらった今思うことは、あらゆる問題を人のせいにしている自分や嫌なことから勝手に逃げている自分がいたということです。

    住職の法話のなかで「人間力」のお話を聞き、自分に今一番足りないものだと感じました。いつからかマイナス思考になり、何事も後ろ向きに考えていました。そして仕事で思うような成績や結果が出せなかった時には周りのせいにして自分を正当化し守っていたように感じます。すべては自分が傷つきたくなかったからだと気づきました。

    お寺での修行はどれも自分自身を見つめる時間になりました。自分の頑張りだけで結果が見えるお百度参りも滝行も、今の自分にはとても厳しいものでした。逃げようという気持ちを抱いてしまう自分にショックを受けました。それでもお寺の方や周りの方の姿を見て、自分だけ逃げるのは嫌だと思い最後までなんとかやり遂げることができました。

    今の自分には積極性や自分を信じる力が足りないと教えられたように感じます。

    一日という短い時間ではありましたが、自分が知らない自分に出会えたように感じとても感謝しております。とても美味しい精進料理もありがとうございました。

    今後、部下に私と同じような子が現れた時には、この修行体験を必ず勧めたいと思います。

    また自分も参加できればと思います。ありがとうございました。

     

    以前に大学の先輩がこちらのお寺で体験修行に参加し素敵な経験をすることが出来たと言われていたので、今回友人とお寺での修行に参加することにしました。

    体育会系の部活に所属しているので体力や集中力には自信があり、とても軽い気持ちで参加しました。お寺に着くまでの間、ここは本当に東京なのかと考えてしまうほど自然豊かで日常からかけ離れた場所のように感じました。

    お百度参りでは、雨が降っていたせいでとても寒くて凍えてしまいそうでしたが、始まってしまうとすぐに集中することができました。それでも普段の試合の時のような集中力とは違い、上手く言葉には出来ませんが頭の中が無になり不思議な緊張感と共に集中できていたように感じます。

    その後の滝行は、一番楽しみにしていたものだったので、少しでも長い時間入ろうと考えていました。しかしいざ入ってみると水がとても冷たく、水の流れも強くて少し不安になりました。それでも自分の前にしている方が笑顔で出てこられたので自分も頑張ろうと思えました。実際に滝行をしてみると、水の冷たさや滝の強さ以上に達成感や爽快感を味わうことが出来ました。本当に体験してよかったです。

    写経では、気付けば夢中になり必死で書いていました。極限の集中状態になっていたと思います。

    一日体験修行は、振り返ってみるとあっという間の時間でした。日常では絶対にできないいろいろな経験をさせてもらえて、少し遠かったけれどもお寺まで来ることが出来て本当によかったです。

    ありがとうございました。

     

    私は幼い頃から人間関係に悩み続けていました。苦手な人や関わりたくないと思うとすぐに逃げてきていました。しかし来年から社会人になるので、少しでも自分自身を変えたいと思い、天光寺での修行を決意しました。

     

    天光寺での修行は挨拶や作法を学ぶところから始まりました。仏法に対して何の知識もないので不安もありましたが、丁寧に御指導くださり、私も全力で挑もうと思えました。

    お百度参りはゴールが見えず無限に続くような感覚にもなり、始まってすぐにくじけそうにもなりました。しかし、ここで逃げたら今までの自分と何も変わらないぞと自分に言い聞かせ続けました。途中からは辛さを感じなくなり、とても集中して無心になれました。

    その後の滝行は、もう春を迎えた4月とはいえ水温はとても冷たかったです。見た目の想像以上に水の勢いが強く、必死に立って呼吸をしないといけませんでした。自分の体感的にはとても長い時間に感じましたが、実際は短かったのだと思います。それでも必死に滝に打たれた後は身体と、心が、軽くなったというか要らないものが水と流されたような感覚になりました。

     

    貴重な経験をさせて頂き、とても感謝しております。ありがとうございました。

    私は小学生の時の5年の時、友達と休み時間にサッカーをして、ボールの取り合いになってしまって、押してころばせてしまいました。自分の中で、なかなかボールが取れなくていらついて押してしまいました。中学生の時、学校のルールでは、帰宅中に買い食い、より道はだめだと決まっていましたが、毎日中学校の目の前のコンビニに友達と行って、食べたり話したりしていました。だれかがやっているから、ばれなければいいやと思っていました。高校生の時は、サッカー部に入っていましたが、二年生で退部しました。一つ上、二つ上の先輩と遊ぶことが多くなり、絶対に国でのルールのタバコ、酒をやっていました。別にばれなければの考えで、ずっとやっていました。よくよく考えれば、ばれなければの考えは、最低だと思います。タバコもしっかりと、ことわれば毎日5百円がなくなる事もなく体を健康になっている人だと考えると、少しこうかいの気持ちもあります。

    昨日、二十年で初めて滝行をやりました。はっきり言ってなめていました。水に打たれるだけで、何かが変るわけでもないし、わざわざ山の中まで歩くのもめんどくさがっていました。実際に行ってみると、しっかりと行をやる事に代して仏様に、あいさつを行ったり、山の神様、滝の神様に感謝をこめてから行うことに驚きました。いざ水の中に入るととても冷たくて、すぐにでも出たくなりました。滝に入るとくるしかったり、少し痛かったり大変でした。しかし、打たれている最中は、なぜから分からないけど、無になれた気がします。少し前までは、だるい、めんどくさい、出たいがありましたが、無の心になれて自分が思っている以上に打たれることが出来たと思います。上がってからは、心がスッキリとした感じがありました。自分の中でのダルイがなくなり、もう一回やりたいと思う様になっていました。しかし、こう悔も有ります。自分の中では思っているより出来ましたが、コンタクトが外れそうという理由で上がったのが残念です。水の中に入るから最初からメガネで行き、少しでも長く打たれたかったと少しざん念です。

    人生で初めてのお寺での精神修業でしたが、思っているよりも、つらかったです。学生の時から、ろくたま正座など組んだ事もないし、ましてや、写経など絶対にきらいです。三禮も思った以上に過酷でした。

    私は、この度天光寺で精神修業を体験してみて行う事全てが初めての事でした。

    初日では、お百度参り、滝行、写経、「般若心経」を五十回唱えたりしました。

    お百度参りでは、雨が降ってきて、非常に寒かったですが、お百度参りを行っているうちに気にならなくなって今までにないくらい集中できたと思います。

    お百度参りの後、すぐに滝行に行きました。滝行は、途中まで車で後は歩いて険しい道を登っていきました。滝に着いて、他の人が滝行をしているのを見て少々不安になってきているうちに自分の番になってお清めをしていただいてメガネを外し、滝に向かいましたが、水は冷たく滝に近づく度に顔色が悪くなっていたと思います。しかし、滝行が終わってみると、清々しい気持ちで、他の人の滝行を心の底から応えんできました。研修生全員の滝行が終わり、下に降りて、テントで着替えて天光寺に戻りました。

    その後は、般若心経を五十回唱えました。般若心経を五十回唱えるのは大変で一時間以上も時間を使いました。途中から「自分は般若心経を唱えるために生まれてきたんじゃないだろうか」とさっかくするほど大変でした。その後は、夕飯でした。全員で準備して、食べた後、全員で片づけました。その後、その昼に五十回唱えた般若心経を写経しました。その日はとても大変な一日だったので写経中つかれでとても眠くてつらかったですが、何とか終わらせる事ができ、就寝の準備をして、シャワーを浴びて、一階の電気の確認やドアの戸締りをして眠りました。その日は本当に初めての事ばかりで、とても貴重な経験をさせていただいたと思っています。

    天光寺での二日目は、六時起床でお寺の方が起こして下さいました。その時に二日目のスケジュールを説明され自分たちが使った布とんを片付け、シーツをせんたく機でせんたくし、一階から三階の清掃を行いました。

    その後、朝食を済ませ、めい想をしました。

    めい想が終わった後、三禮が一番きつかったです。

    三禮は、三セット百回わりました。三禮が終わった後、休けいで、階段を使いましたが満足に階段を上り下りできなかったです。その後、先日にも唱えていなかった十三信を唱えました。十三人の仏の事を意味しています。その後、昼食を終え、に集まり天光寺の方に、とてもありがたい話を聞きました。真言宗は空海様という方がお作りになられたそうです。

    天光寺での経験は必ず、今後自分の役に立つと思います。

    私は今現在アルバイトをして暮らしており、このまま非正規の仕事で一生を過ごすことになるのではないかと不安を感じておりました。

    この事を両親に相談すると、一度お寺などで修行して自身と改めて向き合ってみたらどうかとアドバイスを頂き、インターネットで体験修行を一般の人向けに行っているお寺について調べ、その中で家から最も近いお寺として真言宗臼杵山 天光寺について知りました。

    天光寺のホームページを拝見させて頂き、体験修行の内容について調べさせて頂いたところ、他のお寺にはなかなかない滝行に興味を引かれ、家からも電車・バスで行ける距離でもあったので今回体験修行に申し込ませて頂きました。

    体験修行当日、最寄り駅に着いた時の感想はここは本当に東京なのかと思いました。

    見渡す限り山しかないことに驚きました。

    しかし、逆にそれほどにのどかで静かな場所だからこそ自分自身と改めて向き合うことができるのではないかと考えました。

    駅からバスに乗り、その思いはよりいっそう深まりました。

    駅以上に見渡す限りの山と川しかない自然の美しい景色に夢中になっていると、

    バスはあっという間に天光寺最寄りのバス停に到着していました。

     

    天光寺に着いてまず建物の見た目に驚きました。

    私の中でのお寺のイメージは大きい門があるものとばかり思っていたからです。

    とはいえ見た目は中身、ましてや自分の修行目的とは何の関係もないと思い直し、早速建物に入らせて頂きました。

    お寺の方に連れられ最初に今回の体験修行をするにあったってのお布施を行い、その後に

    光明真言・三禮・般若心経などについてのお話を聞かせて頂きました。

    ただ正直言って、自分の仏教に対する無理解と普段では行わない長時間の正座も相まって

    内容の理解を出来たとは言い難い結果になってしまったことは残念でした。

    お話が終わったころには、12時を過ぎており、そのまま昼食となったのですが、私は

    精進料理を食べることが初めてであり、野菜自体が苦手であるため、内心不安になりながらの食事でしたが、いざ食べてみると、特になんということもなく普通に完食出来、思った程の事はないと思いました。

    昼食後はまず、お百度参りを行うことになりました。体力に自信のない私は不安でした。

    案の条、他の参加者の方々のペースと比べるとかなり遅いペースにはなったのですが、苦しさがある程度を超えたところで、頭の中が澄み渡っていく感覚があり、少し修行について理解が深まったような気がしました。

    お百度参りの次は私が体験修行の中で最も興味を持った滝行でした。

    現代において、一般の人にとっては物語の中やテレビの中などの自分とは無関係な所で行われる物と例にもれず私もそう考えていました。車で山を登り、歩いて十分程度のところにある滝を最初見たときは、思った程ではないと思いました。しかし、それが間違えであったことにすぐ気づきます。

    ます水温、5月も終わりの暑くなってきている時期にしては、とても冷たく冬だったらと思うと少しゾッとしました。そして、滝自体も外からみるとこんなものかなと思っていましたが、実際に打たれると思った以上に強く息を吸うことも大変でした。

    結局声をかけられる前に滝から出てしまったことが少し悔しかったです。

    夜には写経を行いました。筆を持つということが十年以上行わなかったこともあり、最初の方の字は線もぐにゃぐにゃの自分で後に見返した時にひどいと思える出来になってしまいました。

    それでも続けていく中でたまに良く書けた字があり、次はもっと良い字をと考えていると

    あっという間に終わってしまいました。

    修行を始める前の自分と今の自分を比較してどこが変わったかはまだ自覚出来ていませんが、今回の体験修行で確実に変わった部分はあると思います。

    その自分をこれからの人生に活かして暮らしていきたいと思います。

    私は滝行に興味があり、雑誌で見かけたことのある天光寺さんで体験修行することに決めました。初めての修行体験にドキドキしながら参加したのですが、高尾住職やお坊さん方も親切で、他の参加者の方たちともお話する機会があり、とても有意義な時間を過ごせました。みなさんそれぞれ思うところがあって参加されているからか、真剣に修行体験に向き合っていました。

    お百度参りは走って行うもので、5往復したあたりから、すでにしんどかったです。あと何往復あるのだろうという思いが、ちらちら頭をよぎりました。しかしできるかぎり目前のことに集中して、先を考えないように、とにかく遅れないように頑張りました。かなり疲れましたが、走り終えたときは爽快な気分で、自然と笑顔になれました。

    楽しみにしていた滝行は、滝を見た瞬間、水圧が強烈そうでタジタジしてしまいました。この滝の中に入るのかと思いながら、住職の説明を聞いていました。滝に入ると、水の衝撃が強くて、流されるのでは?と思うほどでした。水の冷たさや水圧もすごかったですが、息がしづらかったです!これほどまでとは思っていませんでした。たぶん1分くらい入っていたと思いますが、1分入り続けるだけでも、生半可な気持ちではできないと思います。

    滝から出た後はさっぱりし、ものすごく達成感を感じました。わたしは普段は事務仕事をしているので、仕事での達成感というものが感じられません。それに趣味もないので、何かに挑戦するということもありません。たまには自分を追い込む、こういった非日常の場もいいものだなと思いました。一度体験するとクセになる人も多いと思います。住職とお坊さん方には、とてもお世話になりました。体験修行をさせていただき、ありがとうございました。

    友人に誘われて一泊二日で体験修行の参加しました。

    私と友人は、外国で仕事をしていて長期休暇が取れたので参加しました。

    私は、一番大変だったのがお百度参りでした。

    足は上がらなくなるし、息は上がるし、数が分からなくなったりと
    肉体的に大変でした。大人になってからこんなに走る事はありませんでした。
    ですが、終わってみると達成感で清清しい気持ちになったのです。

    心地良い筋肉の疲れもありその後の滝行は今度は最高の体験になりました。

    入水時間は滝の水が冷たくてすぐに出てしまいましたが、一瞬のうちの
    疲労した筋肉を落ち着かせてくれました。
    その瞬間、心の疲労も取れる感覚がありました。

    滝に打たれるって思いましたが癖になりそうです。

    食事は住職が出汁から取って作る本格的で大変美味しかったです。
    貴重な体験をさせて頂きました。
    また、日本に帰ってきましたら是非参加したいです。

    ありがとうございました。

    一泊二日で友人と二人で修行体験しました。
    私たちは日本人ですが、仕事先は他国になります。
    長期休暇を使い参加しました。

    やはり、他国での仕事や人間関係はとても難しく心が疲れて来てしまっていた所に
    こちらのホームページで滝行があることを知りました。
    お経を唱えるのは初めてで、恥ずかしくて中々大きい声が出せず、、、
    二日目にはちゃんと声を出せました。
    お百度参りでは日々の運動不足もありへとへとになりました。
    滝行は、水の冷たさに身も心も引き締められ、すっきりした気持ちになりました。

    ご住職のお話も大変面白く為になりました。

    お食事もとてもシンプルですが美味しかったです。
    ご住職が一人でお作りになっているそうです。
    お料理の勉強をなさったそうです。

    また、是非参加したいと思います。
    ご住職さまとスタッフの皆様大変お世話になりました。
    ありがとうございました。

    私は、五泊六日体験修行で天光寺に滞在させて頂きました。
    気持ちの弱い自分が嫌になり、無気力の状態を脱するため意を決して申し込みを
    したはずでしたが、天光寺に向かうまでの道中も「行きたくない」「失敗したらどうしよう」
    そんなことで頭がいっぱいでした。
    いざ修行が始まっても、一日目と二日目は初めてのお経がさっぱり覚えられず大苦戦。
    正座では足は痛いし、滝行も寒さと痛さにすぐギブアップ・・・
    情けなくて落ち込み、六日間もつのだろうかと不安でいっぱいでした。
    気持ちが徐々に変り始めたのは三日目からでした。
    全く覚えられる気のしなかった御鷹号や光明真言がなんとなくですが自分の中に
    なじんできて、唱えることに前向きになってきました。
    また修行それぞれの中に気持ちがすっきりする。これ好きだなあ。といった所を
    見つけられるようになってきました。私が特に好きになれたのが写経と滝行です。
    写経は墨をする所から気持ちが落ち着き、書き写している最中の集中し無になる
    感覚がとても心地よかったです。滝行では、お百度参りで声を張り上げ全力で走る
    滝に打たれて身を清める。そんな日常ではあまりしない体験ができとても達成感が
    ありました。
    また、お寺の掃除や食事等の後片付けを手伝わせてもらったのも気持ちが変化した要因
    の一つではないかと振り返ってみて感じます。
    毎朝一時間半ほどかけてお寺のお掃除をしたり、ご飯の準備、洗い物等をさせて
    もらったことで、何事も誰かの時間と労力があって始めて成り立っているのだなと
    分かっているはずだけど、ふと忘れてしまいがちなことを身に染みて思い出しました。
    そのおかげで以前よりも様々なことに感謝の気持ちが湧いたように感じます。
    五泊六日という滞在時間は自分の中でも勇気のいるものでしたが、この長さにした
    おかげでたくさんの日帰り修行の方ともお会いする事ができました。
    初めての体験で目を輝かせている人。何度も通われているベテランさん
    除霊の延長として身を清める目的で来ている人・・・たくさん良い刺激を頂ました。
    自分の気持ちを強くするという意味ではまだまだ修行は足りていないと思います。
    ただ、日常では絶対にできないかけがえない経験をさせてもらい今はとても気持ちが
    すっきりしています。
    お忙しい中、衣食住の世話をして頂いた先生、スタッフの皆様
    本当にありがとうございました。いつも優しく接して頂きありがとうございました。

    私は、会社でのミスで滝行に来る事になったのですが終わってみて、滝以外にも色々と体験出来て本当に良かったと思っています。

    滝はとにかく冷たいからキツイと思っていましたが、それ以上に入ってから息をするのが大変で出てしまおうとすぐに思ったのですが

    何とかコツをつかんで長く入ることができました。

    入っている間は、仕事のミスの事はまったく考えず、昔の自分の犯した過ちを思い出し謝っていました。

    この、行で償いたいと思い滝に打たれていました。そういった感情で滝行をやって良いのかわかりませんが

    本日の川もそんな思いで入っていました。懺悔した感じです。

    写経や写仏などの墨で字を書いたり、えんぴつで絵を描いたり小学生の頃自分まだ自身があった頃を思い出しました。

    絵を描くのは好きでしたので無中になれた感じです。

    それから、スピリチュアルな体験をした事がなかったので大変に驚きました。とりつかれた事が無いのか、とりつかれたとしても気が付かないのかは

    わかりませんが、目の前で当事者の方の話やら状態を見て本当になるんだなと、実感し少し興味も出ました。

    食事も本当に美味しかったです。薄味の料理なんだろうと予想していたのですが、ピリ辛だったり好きな味だったのも驚きです。

    みなさん、本当にご指導ありがとうございました。また来たいと思います。

     

     

    以前フェイスブックの知人の投稿を見かけて、初めて天光寺の滝行について知りました。そのときは、こんな体験ができるお寺もあるんだなぐらいに思い、気にとめていませんでした。むしろ知人のことを物好きだと思っていました。

    しかし最近仕事がうまくいっていないこともあり、自分の将来について悩むことが多くなりました。自分を変えたいという思いがあり、自己啓発本を読んだりもしましたが、何かしっくりとしません。本に書いてある内容は、読んでいるときはなるほどと思えるのですが、読み終えるとすぐに忘れたり実践できなかったりします。そこで、何か少しでもこれから先の考え方や、生き方のヒントになればという思いで、天光寺の修行に参加させていただくことにしました。

    私はとくに滝行を楽しみにしていたのですが、あまりの水の冷たさと勢いの激しさに、最初はすぐに出てきてしまいました。しかし滝行目当てで来たのに、これではもったいなくて帰れないと思い直し、再度挑戦しました。同じ体験修行の参加者の方たちが、声を上げて応援してくれていたことで勇気をもらえました。そのおかげで2回目は数分程度だと思いますが、念願の滝行を行うことができました。

    滝行では悩み事や、体の中の悪いものを、滝が一緒に流してくれたかのように感じました。滝から出た後は、不思議と空気が暖かく感じられました。気持ちが良い疲労感と達成感に包まれ、修行の疲れもあって、朝までぐっすりと眠れました。

    1泊2日ですごく変われたかはわかりませんが、少なくとも自己啓発本よりかはずっとためになりました。自分で行動して体験として得るものは、やはり重みが違います。高尾住職の法話もとても興味深く、これまでの自分を見つめ直す良い機会になりました。

    翌日の朝食のおかゆはとても美味しく、普段あまり自炊しない私にとっては、体に良いものが食べられてうれしかったです。1泊2日という短い体験修行でしたが、今度はもう少し時間を取って参加したいです。住職を始め、天光寺の方々には本当に感謝しています。貴重な体験をありがとうございました。

     

     

    私は以前から仏教の体験修行に興味があり、一度参加してみたいと思っていました。ネットで調べたところ、天光寺なら本格的な体験修行ができると知り、思いきって参加してみることに。

     

    最初は会社の有給を利用して3、4泊の修行にしようと考えていました。でも自分の体力に自信がなく根性もないので、軽い気持ちで行くと途中でリタイアすることになるかも…と不安になり、日帰りコースに申しこみました。

     

    体験修行はどれも、思った以上に密度が濃かったです。とくに走りながら往復する、お百度参りが一番辛かったです。途中から脇腹が痛くなり、正直リタイアしたくなりました。でも私よりかなり年配の方も一生懸命走っていて、私もがんばらないとという気持ちにさせられました。終わったときにはフラフラでしたが、なんとかみんなと一緒に走り終えることができた爽快感は忘れられません。滝行は夏だし気持ちがいいだろうと甘くみていたのですが、想像以上に水が冷たく、また水圧が強烈でした。

     

    普段小さなことでクヨクヨ悩んだり、過去にあった嫌なことを思い出しては腹を立てたりしている私ですが、修行中は苦しくてそんな雑念はちらりとも浮かびませんでした。仏教の「今ここに在る」という感覚を体感できたような気がします。

     

    心というものは常にあちこちに揺れ動くものです。好きにさせておくとすぐに腹を立てたり、悲しんだり、落ち込んだりとキリがありません。今回参加させていただいたことで、そんな心の持ちようを学ぶのが修行なのだと実感しました。常に目前のことに一心不乱に集中することで、心から怒りや悲しみ、迷いを消せるということを体感できました。

     

    1日の終わりにはホッとしたのと同時に、少し寂しさを覚えました。わりと軽い気持ちで参加しましたが、想像していた以上に学びがあったと感じています。今回の体験を、普段の心の持ちように少しでも活かしていきたいです。本当にありがとうございました。

    私はこの天光寺でお祓いをしてもらい住職からまだ身体の調子も心の調子も良くないから体験修行をした方が良いと勧められ体験修行をすることになりました。

    体験とは言えお寺の修行。

    とても緊張していました。

    四泊五日という長い期間だったのも不安を感じさせる要因の一つでした。

    体験修行でまず行ったのが滝行。

    滝行に行く前に住職から心を清浄に洗い流してくれるものと聞いていたので不思議と緊張感は無く、寧ろやる気に満ちていた状態だったことを覚えています。

    しかし、いざ滝に入ってみると水は冷たく勢いは激しく入る前の想像を超える苦しさでした。

    私は四泊五日の間で四回滝行をしました。

    毎日少しずつ長く入れるように挑戦する時間はとても充実していました。

    滝から出た後は必ずすっきりとした気持ちになれ良い経験でした。

    また入りたいです。

    その後体験したのが写経、写仏。

    ただひたすら文字や絵を写すことはとても心が落ちつきました。

    瞑想や読経もやりましたが正直とても大変でした。

    でも修行をしている充実感があってよかったです。

    修行のメニューは全体的に大変なものが多かったですがその分頑張り甲斐がありました。

    体験修行に来る前の心配事だったのですがお寺なので食事は白米と漬物のみとかを想像していました。

    しかし、実際は本格的な精進料理で味は最高においしく、衛生管理も

    しっかりしていて安心でした。

    日本テレビの報道であったようなことは一切無く安心して生活を送れる環境でした。

    住職が暴力を振るうようなことも無く、寧ろお忙しい中で空いてる時間にお経を教えてくれたりとても親切な対応でした。

    私にとって修行より貴重な経験になったのが人との出会いです。

    私のようにお祓いをきっかけに来る人もいれば自分を変えたいと思い来る人などいろんな人がいました。

    その人達と関わりあって話した時間はとても素敵でした。

    本当にいろんな経験が出来ました。

    ありがとうございました。

     

    二泊三日でお世話になりました。

    過去のトラウマとうつ病で数年間悩んできましたが、今回は逃げずに人生に立ち向かって自分のためになんとかしたいと思った上で、

    天光寺の体験修行に参加することにしました。

    最初はとても不安で「本当に来てよかったかな」と思いながら天光寺に参りましたが、お寺の方々と会った瞬間に不安感がすぐになくなりました。

    最初からお寺の作法をしっかり教えて頂き、とても勉強になりました。私は外国人でクリスチャンの環境で育てられましたが、仏教と似ているところがあると思いました。お経を覚えるのがとても大変でしたが興味深い経験でした。

    滝行と川行もできて体も心もスッキリしました。私にとっては、滝行よりもお百度参りの方が大変でした。運動が苦手で体が弱くて、これは絶対できないと思っていましたが、チャレンジできて本当に良かったです。最後の日は体調が悪かったですが、痛みを超えて最後まで走れて最高の気分でした。「頑張ればできる」、「痛みというのは超えられる壁だ」と分かって自分が強くなった気がします。

    瞑想もとても大変でした。「無」になることも出来ず、考え過ぎてしまい、心がとても疲てしまって、落ち込んでいました。あの時は先生に密教ヒーリングをしていただき救われました。言葉で表現できないぐらい感謝の気持ちで心が溢れました。誠にありがとうございました。

    お寺の方々の優しさとご配慮にとても感動して、本当に色々助けていただきました。皆様のおかげで心も落ち着いて体験修行を無事に終わらせることが出来ました。食事の時間も片付けと掃除の時間も楽しく過ごせてたくさんの貴重なお話も聞くことが出来、心から感謝しております。また、食事は大変美味しかったです!毎日楽しみにしていました。

    この三日間自分にチャレンジしたという気分が強くて、できないと思っていたことがたくさん出来て、何よりも自分と向き合うことが出来て本当に良かったです。

    新しい自分を見つける準備もでき、学んだこととお寺の方々と修行の仲間にもらったものを宝物にして前向きに進みたいと思います。

    貴重な経験をさせて頂き、誠にありがとうございました。Merci beaucoup !

     

     

     

    体験修行に申し込んだのが興味本位だったため、最初は浮ついた気持ちで本堂に座りました。しかし、発声や作法の修行をこなすうちに気持ちが切り替わりました。お百度参りや滝行も体験させて頂きましたが、初めての経験だったので、見よう見まねで何とか修了しました。お百度参りはは想像以上に過酷でした。体力には自信があったのですが、後半は上手く口が回らなくなるほど、疲労が溜まりました。滝行では、先ず滝が放つ圧力に驚きました。実際に、滝に入ってみると、最初は衝撃に心が折れかけますが、それはほんの一瞬で、慣れると自然と一体になったような感覚を得ることが出来ました。衝撃に耐えようとするのではなく、一体となって受け流すという考え方は、滝行だけでなく、社会の中でも大切な生き方になるのではないかと思います。様々な修行をこなす中で疲労も溜まりましたが、その分、夕食がとても美味しく感じられたのが印象に残っています。食事自体は質素で、素材の良さを生かす程度の味付けしかされていませんでしたが、充分満足することが出来ました。普段、食事の際には、味や見た目にばかりき気を取られ、食材そのものに感謝することを忘れがちです。今回の修行では、食材を育ててくださった方、また、食事を作ってくださった方、そして、栄養となる食材そのものへの感謝の必要性を再認識することができました。貴重な経験をさせて頂き、本当に有り難うございました。

     

    私は今回、勤務する企業の教育訓練として体験修行に参加しました。

    まず始めに作法について学びました。修行の時も、食事の時も、神様に感謝の気持ちを忘れてはいけないことを改めて学びました。お百度参りと滝行では、後半で全力で走ることが出来ず、滝行では滝につかるまで時間がかかりました。今後は、日常生活においても、全力で取り組めば、願いは叶うのもと、一日一日を大切にしていきたいと思います。今回、私は、企業教育の一環で、体験修行に参加しておりましたが、個人として考えなければならないことが多くあったことを痛感しました。残りの人生は、何事にも全力で取り組み、生まれてきたことを感謝できるようにしていきたいと考えました。

    一泊二日、体験修行、有り難うございました。

     

    読経は始めはテープの音に合わせていくことに精一杯で、足も痛く、のども痛くなっていき、お経を読むということがこんなにもつらいことだと思っていなかったので驚きました。法事の時にご住職方は動作も含めてなさっていることを思い出してすごいなと思います。

    なかなか覚えることは難しいのですが、ずっと読経をしているうちに歌を歌っているかのようにも思って、少しずつですが、お腹からも声が出せるようになり、スタッフの方から声を掛けられるまで集中して楽しくさせていただき、二時間があっという間でした。お経を読むことの楽しさが何となくわかって良かったです。

    お百度参りはホームページの動画を見て皆様頑張って走っているイメージでした。説明を聞くと全力疾走で百往復するというものでこれもつらいものだと思ってしまいました。今回は十三人の人でやったこともあり、自分がくじけそうになると他の人が頑張っている姿に勇気をもらって私も頑張れて良かったです。全力で精一杯、しかし、転んだら他の人に迷惑がかかるので転べない。

    回数を数えることさえわからず、精一杯がんばって走り抜けました。

    滝行はお百度参りとても温まった体を冷やせる夏場だから大丈夫だろうなと軽い気持ちでしたが、滝へ向かうまでの道のりの冷たさに驚きました。連日雨で水量も多くとても冷たい。滝の水圧の圧力の凄さに驚きの連続でした。とても痛くて冷たかったですが、終わった時の達成感はとても大きく自身が持てた気がします。

    法話ビデオでも多くのことを教えて頂きました。逃げるな!壁にぶつかっても乗り越えられないものは用意されていない。苦しくても絶対に乗り越えられる。その先にすごいプレゼントが待っているんだということがとても心に染み込みました。自信が持てない、心配症である私にどってとてもはげみになりました。積極的に生きて行こうと思います。人脈、ご縁も大切にすれば色々ことにつながっていくことも改めてわかりました。

    今回の体験で百聞は一見にしかずということが、経験しなければよさがわからないことを改めて学びました。とても有意養な時間をありがとうございました。

     

    「体験修行を終えて」

     

    「滝行をしてみたいんだよね。」友人とそんな話をしており、今回こちらの天光寺の行に参加させて頂きました。

    私は修行というものに参加するのは初めてのことでしたので、少々緊張していたのですが、挨拶の作法から教えていただき、安心して参加することができました。

    行についてですが、お百度参り・滝行共に、自身で考えていたより数十倍の労を感じました。百聞は一見にしかずと言いますが、実際に経験してみないと語れないことは沢山あるのだと実感しました。

    特に滝行においては、私が最も苦手な蛙がおり、参加を辞退しようと思ったほどではあったのですが、スタッフに助けていただき、行を終えることができました。人はどこに居ても誰と居ても、支え支えられ生きているのだと思いました。

    さて、私が行に参加しようと思った本来の目的ですが、私は自分の人生を積極的に生きることができていないと、日々感じていたからです。人間関係においても、上辺をなでたような付き合いかたしかせず、明確な目標もなく生きてきました。しかし、住職先生の法話で、「人間力」のお話しをきき、もっと自分の人生を積極的に生きてみようと思うことができました。

    人生は我慢であり、苦痛もたくさん伴うものだけど人との繁がりを大切に、また、今回の経験を胸に留めて豊かな人生にして生きたいと思います。この度は、住職先生を始めスタッフの皆さんには。多大なる感謝を申し上げます。ありがとうございます。

     

     

    「体験修行を通して感じたこと」

     

    私が今回、体験修行に行こうと持った理由は、もともと滝行というものに興味があったからです。そして、せっかく滝行を体験させて頂けるのであれば、他の修行も行ってみたいと思い、一泊二日と言う日程にしました。

    挨拶の仕方から始まり、昼ご飯の準備・お百度参り・滝行・ヒーリング・夜ご飯の準備と、一日目は心身ともに心地良い、疲れで満たされました。

    お百度参り・滝行はとてもつらく、めげてしまいそうな瞬間もありましたが、修行の為と心を強く持ち最後までやり遂げることができました。これは行の挨拶をし、向かったからには途中で辞める訳にはいかないと言う、思いからでした。

    行をやり遂げたあとには、普段あまり感じることのできない達成感を味わうことができました。そして、心がとても明るく穏やかになったような、気がしました。行の他にも、住職先生とのお話やスタッフとの生活の中でもとても学ぶものは多く、また楽しい時間を過ごすことができました。

    体験修行が終了したあとも、今回の経験で学んだ人への感謝・思いやり・強い心を忘れず、日々に活かして生きたいと感じました。

    住職先生はじめ、スタッフの方々にはとても感謝しています。貴重な体験をさせていただき、本当に有難う御座いました。

     

    今回私は、二泊三日でお世話になりました。

    初めての体験修行、それも女一人で滝行もある内容だったため、とても緊張していましたが、一緒に体験修行されていた方や、駐在されている皆さんのお陰でとても有意義に過ごさせて頂きました。

    私は千葉県在住で、結婚式場にて人材管理の仕事をしています。

    素敵な職場で、やりがいもありますが、やはり仕事である以上辛いことも多くあります。日々仕事ばかりで、「自分」と向き合って会話する時間が無く、いったい自分は何がしたくて、どんな将来を生きたいいか、そんな妄想をするばかりでした。

    そんな時に、宿泊修行が出来る天光寺さんの存在を知り、自分を見つめ直すきっかけと、自己成長のために、参加を決意しました。参加させて頂いた日程は、平日だったこともあり初日は私を含めて3人、二日目以降は私のみと、ゆっくりマイペースに過ごさせて頂きました。

    初対面の方とでも、お百度参りや滝行を通して打ち解け、達成感を分かち合い写経や瞑想では、ゆっくり自分自身と向き合い、精進料理で身体の中から栄養を頂きました。普段ばたばたと過ごしていると、気づけない風の音やヒグラシの声、人工的ではない山の冷たさや水の冷たさ、無理な調味料が加えられてない、身体を想った料理にすっかり心も身体も、デドックスされた気持ちです。

    駐在されていらっしゃる方々に、とても優しく、若いのに視野広く様子を見て下さる方や、ひょうきんな話で和ませて下さる方など、とても心温かく受け入れて下さいました。この三日間で、学ばせて頂いたことを忘れずに、日々の生活への感謝を持って過ごして参ります。

    日々に疲れ、温泉旅行を計画されている方がいましたら、身体だけでなく心も癒される、体験修行を強くお勧めいたします。本当にありがとうございました。

     

    この度の五泊六日の体験修行を終えて、最初は緊張と不安で胸が一杯でした。正座すれば直ぐに痺れて立てなくなってしまい、五泊六日も続けられるのかなと心配でした。

    一日目は、挨拶の作法をして、その後にお百度参りをしてから滝行にいきました。お百度参りでは、いきなり足にマメが出来てしまい、歩く度にビッコをひいていました。初っぱなからなので、少しお先真っ暗な気持ちになったんですが、痛みには強い方なので無我夢中で行に励みました。一日目の行が終わって緊張の糸が切れ、疲労感がどっと来てその日は21時前には、布団で寝込んでしまったのを覚えています。

    二日目は、本格的に読経を行いました。最初はどこを読んでいるのかもチンプンカンプンで、目で追うのがやっとでした。その後には声出しを行いました。大きい声を腹から出すのは、気持ち良かったです。午後は、お百度参りと川行でした。先日の足のマメが気になったのですが、走っていて不思議と痛みは感じなかったのを覚えています。

    川行は正直暑がりな自分にとっては、楽しみで仕方なかったのですが、実際にやってみると甘くはないと思いました。これがまだ夏だと思うと、ゾッとしました。

    その後の三日目、四日目、五日目も沢山の行をして、沢山の思い出がありました。辛いことは沢山ありましたが、心は充実しておりました。なぜかと言うと、それはもちろん住職先生はじめスタッフの方々が、とても温かい方々ばかりだったこと他ありません。皆様のお話を聞くのが楽しみになっていました。

    長い様であっというまの五泊六日でしたが、この経験を無駄にせず、今後も精進していきたいと思います。

    最後に、いつもそばにいてご指導頂いた、先生には本当にお世話になりました。皆様、本当にありがとうございました。

     

    二泊三日の体験修行を通して感じたことは、修行はこの三日間で終了ではないという事です。多くの事を体験させて頂きましたが、全てをするうえで一番大切なことは、自分自身がどの様に取り組むかが一番大切だと感じました。

    特に実感したのは、写経をした時です。初めは、早くやろうという気持ちで行っていました。途中で見返した時に、自分の字の汚さに驚きました。一字一字丁寧に、気持ちを込めて写経をしたら、その後の達成感や気持ちの良さは格別のものでした。

    ものごとを取り組む上で、どの様に取り組み、どの様に感じたいか、また、自分が出来ることを自分で探し、積極的に行動するか、今後、日常生活を送る上で気を付けて行動していきたいと思います。

    また、テレビでの報道が有ったので、修行に来るのが少し不安でしたが、報道で有った様なことは一切なく、三日間の体験修行を有意義に過ごすことが出来ました。

    この事は、住職先生以下スタッフの皆様の指導のおかげです。ありがとうございました。

     

    修行体験を通じて、感じたことがあります。修行の流れから、私の感じた修行の様々なことを書きしるします。

    挨拶:食事の前に手を合わせて「いただきます」と言って、食事をしたのはいつだったか分かりません。天光寺の美味しくボリュームある食事をしながら、改めて感謝の気持ちを持って挨拶することの大切さを再確認しました。普段は、私は社会人生活の中で会社の先輩から、挨拶が暗いと言われます。今晩、天光寺で練習した挨拶の作法を思い出し、暗いと言われた挨拶を変えていこうと思います。

    行:滝行・お百度参り・写経・写仏・瞑想・・・全てを通じて、心を無にすることの大切さを学びました。そして同時に、その難しさを実感しました。

    滝行やお百度参りは、強制的に心を無にすることが出来ます。そのことより、行を終えた後の邪念が無くなり晴れやかな気分になりました。写経・写仏・瞑想などは、どうしても行中に色々な考えが頭の中を駆け巡ります。しかし、瞑想中に腹式呼吸を意識しながら一点を見つめ、頭の中を無にしようとした時間は、とても落ち着きました。

    今後の生活の中で、忙しくも時間を見つけて心や頭の中を無にする、時間を作って生きたいと思います。

    住職:法話を聞いて、住職が実業家であったことに驚きました。住職のお話を聞いていると、自由でいいなと言うように感じました。私が思ったのは、お寺なのに料理でキムチや春巻きが出て来たときにお寺の料理のイメージを裏切られました。しかし、住職の生い立ちを聞いているうちに韓国と親交が有ったことや、料理店を経営してたことを知り納得しました。

    お寺だからということに縛られず、積極的にある程度は自由にやっていくことが、気を病まない秘訣ではないかと思いました。もちろん、自由すぎるのはよくないかと思いますが、住職に習った積極的なマインドを持っていきたいです。

    短い間ですが、大変お世話になりました。ありがとうございました。

     

    三泊四日の体験修行は、初日の挨拶作法では普段知っていながら実生活では行動できていない自分に思い当たり、大切だと考えたことを行動していくことがいかに大切か、しかもそれが基本的なことだと思い、いつの間にか基本も忘れていたのだと気付きました。

    写仏は集中力を高めることと、一つのことしか行わないということが、普段仕事や家庭や将来のことをあれこれ考えてしまう思考を止めて、脳の別の部分を使っている感覚が心地よかった。

    いつもの生活の中に写仏を取り入れても、同じ効果が得られるであろうか、法話は仏教がインドから来ていると知った。私はヨガなど遣っていることもあり、今回天光寺様にお世話になっているのも偶然ではなく、引き寄せられたのではないかと思いました。

    住職の話は一時間半有りまたがとても分かり易く、エピソードも交えて面白かったです。特に自分に残ったエピソードでは、「己を知ることが大切」と言うことでした。

    信念・気迫・根気~自分を知った上に構築していく瞑想は、無になる時間は一分も持たない。考え過ぎる、無とは何かと言うテーマになってしまっている。1-1=0、確かに0に成れば何でも受け入れられる。

    十三仏真言・般若心経は、私がカラオケに行くと寝たふりをするほど、音痴だということを思い出させてくれたりもしました。

    滝行・川行では、意識の使い方を他に向ける。意識と、身体を分ける。身体を、意識で使う。自分の意識を体現してくれているのは、自分の体だけだから身体は大切にする。本当に身体には感謝し、意識は身体と別に成長させる。

    全体を通して感じたのは自分は複雑に考えすぎだと言うこと、あれこれ有り過ぎて力が分散している。生きる目的をシンプルにとらえて行動したほうが良い。シンプルに考えれば私の体が全身全力で応援してくれる。五感を使うことで体を知ることが出来た。まだ未熟ではあるが、体内スイッチを押せば目的に近づくと確信をしている。等々でした。

    みなさん、ありがとうございました。

     

    平成二十九年五月四日より三日間、大変お世話になりました。滞在中は、お百度参りや滝行や川行や、写経・写仏を書き込み光明真言の復唱を体験させて頂きました。

    体験修行の参加目的は、「自分の内面を見つめ生きる目的と向き合う」ことでした。自分の人生において、何度目の修行か失念してしまったが、今回の修行は希望していた自分の内面と向き合うものでなく、外部の刺激などで肉体を行使する精神修行に、多くの時間を使いました。

    三日間の滞在で気付き得たことは、繰り返し行う力である。行う対象が、写経・写仏・お百度参りであろうと繰返すことで、前回の自分よりも微々たることながら自己成長を体感でき、無意識に自分のエネルギーに成っている感じを感じました。

    対象物が何であれ、極めた方が発するオーラや気概などは、繰り返し行われた修行の成果が生むエネルギーなのであろうか、そう強く感じることが出来る三日間の滞在でした。また、意味を理解できず繰り返して何かを行うことで、自分で意味や目的を見出し納得させることが出来ました。本当に体験をする炉いうことは、自分で意味を見い出すことなのかも知れないです。

    自分は東京を拠点にビジネスを行っており、日々の生活で修行を行うことは難しいが、日々の生活でも真摯に毎日を繰り返し、エネルギーの有る人間になって生きたいと、今以上に強く願えるようになった三日間でした。

    お世話になった皆様方、本当に有難うございました。

     

    人生初めての修行は、都内に住んでいる私にとってアクセツの便利さで選んだ天光寺だった。安易に予約したが、いざ訪問してみると線香の匂いと広間の真正面で静寂の中、存在感を放っている観音様に圧巻された。ここでようやく身の引き締まる思いと緊張感が出て来て、二泊三日乗り切れるか少し不安になった。

    だが、案内してくれるスタッフが気さくで、面白おかしく説明してくれたので、すぐに心配は打ち消された。受付用紙に名前や動機希望を記載後、さっそく修行がスタートした。まずは基本の挨拶から、叩き込んでもらった。とても大事なことで、日頃の多忙な生活ではついつい忘れがちである。

    私は今の職場に勤めて約一年が経つが、毎日の残業や上司の厳しい指導を受ける新人として、毎日を過ごしている。私はガムシャラにとりあえず仕事をこなすことだけが、精一杯だった。仕事の内容も特別やりがいの感じられるものではなく、ただただ会社に使われている機会人間のような気分でもあった。そんな私にも娯楽は必要であり、私の場合は飲酒であった。ここ一年、連休や平日や昼夜関係なく飲みに出ていた。

    仕事に遅刻したのは当たり前で、お金も無くなって行くし親しい人も離れていった。一年経った今、ふと去年の自分と比べると、いろいろ遣った年だった。小さなプラスになることを日々積み重ねて、大きな成長を成し遂げる人生を送りたいのに、このままでは真逆の道を歩むことになると気づき、今回の修行を決断したのだった。

    数ある修行体験のうち、最も印象に残ったのは「滝行」でした。一日目、負けないと覚悟を決め滝に入るも数秒でリタイアしてしまった。二日目は悔しかったので、腹式呼吸と「滝と一体化する」と言う、指導員のお言葉を胸に再チャレンジすると、宜しいと言われるまでずっと滝に入っていられた。このことが一番、自分で目に見えて分かった成長であり、嬉しかった。

    ケンカするぞと言う気持ちで滝に入ると、打ちのめされる様に人生もまた同じで、帰宅したら周りの人々をもう少し注意深く見つめ、同調する気持ちを大事にしてみようと思った。二泊三日、ありがとうございました。

     

    2017年5月2日からの体験修行で、目的は主に滝行を体験し、今まで体験したことのない感覚と見たことのない世界に、踏み入れることでした。好奇心と心身の鍛錬が混ざった行動です。

    着いてから、挨拶の作法の説明を受けた時、今更ながら挨拶の大切と見知らぬ初対面の方への

    自らの挨拶に未だ緊張してしまう「昔の」自分がいました。

    今の私は接客業に携わっており、従業員としてお客様や社内の方へは率先して緊張もなく挨拶できるのに、いざ職場から離れ身一つになると、今までウンザリするほど愛してもいたり嫌いになったり感謝したり申し訳ない気持ちになったりしていた職場が、私にとっては「鎧」となり「刀」となっていたんだなと感じました。

    職場で緊張してしまうということは鎧や刀は装備品なので、私は未だ血・肉・骨になっていないと言うことを痛感しましたので、自分自身に負けてたまるかと痛感し勤行に勤めました。

    光明真言や般若心経は何度も繰り返し唱えて行くうちに、最初は足がつらくて集中出来ませんでしたが、二日目の瞑想の時間には今まで出来なかった胡坐が出来るようになり、それ以降の勤行は唱えることに集中することが出来ました。瞑想の時には、自分の先祖や親戚の顔と声を思い起こしていました。

    本来の目的であった滝行は、声がかき消されてしまい水の勢い力に圧倒されました。身体は冷えましたが、滝から出た後は、滝行をする時間を作ってくれた職場の人への感謝や、今まで辛いことも沢山あったのに楽しい思い出とか笑顔とか笑い声が、脳内に心地良く響きました。体験修行から戻ったら、心から「ありがとう。これからも一緒に頑張らせて下さい。宜しくお願いします。」と挨拶します。

    この体験から世界は広く、自分が出会っていない人やこれから出会うっていく人も沢山いるんだと、今までのことが意味がない訳ではないと言うことも改めて分かりました。今まで、井戸の中の蛙の気持ちでしたが、こうして体験できて良かったです。今の会社の人達に、感謝します。そして、天光寺の皆様ありがとうございました。

     

    去年まで自衛隊で勤務していて、就職紹介で就職しましたが、高校を卒業して直ぐに自衛隊に入り、今では紹介された企業で勤務しています。自衛隊と違い民間の企業は、利益優先なので中々馴染めず、悩んだりすることもありますが緊張しながら頑張っています。

    天光寺での体験修行は、勤め先から新入社員のための企業外研修との意味合いもあり、参加しました。総勢6名での体験修行でしたが、初めは寺院での研修と聞いていたので、何をするのかが分かりませんでしたが、修行をしていく過程で社会人としての基本を教え込まれました。自衛隊との違いは、民間なので大らかな修行体験ですが、節度ある体験修行でした。

    内容は、挨拶に始まり所作に続き、お経の朗読や写経による心身の落ち着きを養うことや、瞑想による感情の落ち着きをも養い、お百度周りで足腰を使った走りこみの後の滝行で、全身を清める修行で体験した。

    今回は体験修行と言われましたが、奥が深い修行であり中身は広い修行でもあると感じ、何か引き込まれる体験修行に、参加して良かったと思うばかりでした。出された食事も美味しくいただき、想像していた食事と違い微笑ました。

     

     

    私は中国から結婚で、来日した者です。当初日本人の旦那さんとの生活も順調であり、これと言った問題も有りませんでしたが、2年3年と日本に滞在しながら結婚生活をしていると、どうしても国民性からか自分の培った習慣や常識が優先してしまい、旦那さんとの間に溝ができるようになりました。また、会話言葉の問題では短い会話はいいものの、家族以外の方との会話で上手く表現できず、勘違いされたこともありました。

    生活では料理の味付けに、旦那さんから意見が出て困り果てたこともあり、国際結婚の難しい現実を見ました。そんなことから半年前に旦那さんとは離婚し、今は独りで部屋を借りて生活しています。帰国も考えましたが、帰国しても面子のことなどがあり、中国の両親からも帰国しないでくれとまで言われ、日本での生活を続けています。

    仕事は、お定まりの夜の接客の仕事をして、夕刻から深夜まで仕事をしています。私の待ちでは、中国人お友達も居ないのでストレスがたまり、仕事先でも飲酒し過ぎて倒れたこともありました。店のオーナーからは、健康のことで友好的なことを言われますが、店を出れば他人のようです。相談する友人も居なく、お客さんに相談できることでもないので、体調も優れず生理がない月もありました。

    天光寺の体験修行は、お店に来ているお客さんの話の中に出て来たことから、内緒で申し込み参加しました。日本文化を知るには好いことでも有るし、仏教には親しみもあったので、参加しました。お経は漢字が多く意味は分かりましたので、発音は違いましたが受け入れることができました。

    参加している日本人からは、友好的な同じ参加者ということもあって、日本で初めての友人ができた思いでした。滝行では終始、驚きの連続でしたが、清められました。写経や瞑想では、帰国したことなど想い、少し涙が出てしまいました。住職の法話は難しいことが多く、直ぐに分かることが少なかったですが、法話の前後の話から幾分か雰囲気で感じとりました。

    今後は日本で生きていくことを決めているので、多くを知り学び体験して行きたいです。

    謝謝。

     

     

    海外に憧れ、或る外国で青春を過ごし帰国しました。私が海外に出たころと昨今では、国内事情もかなり変り海外よりも国内での生活や仕事を、優先する時代になっていました。海外での生活は多くの新鮮な刺激もありましたが、反対に個人主義の外国ならではの寂しさも感じ取れました。

    言葉や習慣や物の考え方の違いは知り得ていましたが、私の加齢からかなのか幾分か、考え方の変化を感じています。私は帰国子女では有りませんが、服装や化粧や雰囲気が周りの方からは異なものに感じられたのか、受けいられないことも多々ありました。

    初めに心に決めた志を最後まで貫き通すことが、海外生活ではよしとして生活していただけに、帰国後の違和感として私には感じられ苦痛になることもありました。このままではいけない心境から、天光寺での体験修行を受け心身を清める、修行参加となりました。

    修行では多くが知りえなかった所作や行で、数日間を過ごしました。数日間の中では、心身ともに教えをいただき、感心しました。写経では心の乱れを洗われ、滝行では肢体の感覚から自我を目覚めさせ、瞑想ではてひたすら思いにふけ入り現在過去未来など、物思いにもふけりました。

    自己自問では、答えは出ないものの精神修行になる、きっかけを味わいました。教えられた瞑想ですが、瞑想の神秘性を感じ法話で聞いたことなども思い出し、体験修行の醍醐味を感じました。

    体験修行では複数の体験者がおり、様々な方との懇談では知らない生活や環境や立場の世界にも触れました。実体験では、重みの有る修行であり体験でした。

     

    俺は家族や子供達と別れ故郷も離れて、都会に独り上京して来た者です。都会では知り合いもいないので、できる仕事を何ヶ所か探し回り今の仕事に転職生活しています。都会に出てきた理由は、私個人のこともありますが、大きな原因としては災害(地震)に見舞われた田舎での生活を諦めたことで、家族内で言い争いになってしまったからです。

    震災の復旧のめども立たず、呆然とした毎日に絶望感もあり、新天地を思いあまっての言葉から言い争いになり、むしゃくしゃした私は独りの決断で都会に出てきたのです。なれない土地と水で体調を壊したりもしましたが、今は生活に慣れるための頑張っています。

    上京して既に約三年経つも、心の中に開いた風穴ではありませんが、無性に寂しさも感じたりしもたので、強い精神力を付けたいためにも体験修行に身を置きました。修行では、宗教的なお経の朗読だけと考えていましたが、実際には滝行や写経や法話や瞑想で、心身を修行で洗われました。

    行では今までに知らないことばかりでしたが、こんなに素晴らしい教えがあったのかと感心し、今では何冊かの著書も読み、人としての歩みを考えたりもしています。家族や子供達との再会も、今では心なしか考えたりもしています。どのような結果になるかわかりませんが、私の人生内の出来事として、修行での教えを守り学んで行きたいです。

    天光寺での体験修行は、頭(頭脳)だけでなく身体に教え込むような教えがあり、新鮮さもあり感動もしました。今後は心眼を開かせる、修行にも参加したいと想っています。

     

     

     

    重たい女と言われ、異性との出会いがあっても長続きしません。天光寺で体験修行をして、自分お気持ちを整理して本当の縁ある異性との出会いを求めて、身を清めにきました。

    私にも夢や希望が有ったのですが、度重なる縁のなさや身の回りで起きる失敗で、ここの所落ち込んでいました。身を清め今までの生き方を改めて、修行を臨んだものです。数日間の体験修行で、すぐに変ったりすることでもないですが、何かのきっかけを掴み同じことを繰返さないため、縋るような体験でも有りました。

    早朝に起床し寺院内の掃除をして肢体に血液の流れを導き、朝食後には瞑想にして自我を顧みる体験もしました。その後にもさまざまな行があり、所作の挨拶を基本にお経の朗読や御宝号や光明真言の暗唱をかさねました。午後には、お百度周り後に滝行にて身を清めたりもしました。

    さらに、夕刻には食後の住職の法話を拝聴して、穏やかな気持ちになりました。そのような体験修行を数日間過ごし、私の中に芽生えた少ない変化を感じ就寝しました。

    今思うに、身勝手なわがままがあったことを指摘され、以前の行いを改める心境にもなりました。

    天光寺での体験修行では、今回全てを体得できませんでしたが、次回の参加を心に決めるきっかけにして、下山しました。ありがとうございました。

     

    人間不信から、天光寺で体験修行を行い、思い込みや自己否定を浄化し鍛錬したく、申し込みました。今回の体験修行で感想と言えば、今までの私の経験しなかったことばかりなので、初めは驚き馴染めませんでした。

    しかし、住職から言われた法話や同じく体験修行をしている修行者との会話などで、固まっていた心が少しづつ解ける糸のように、所作や修行内容に浸透することができました。心が表れる写経ではいみじくもお経であるものの深層心理までわかってしまうといわれ、書き進めながらオロオロしてしました。

    般若心経や光明真言では、朗読の中に感じた信仰の有難さを感じ、多くの挨拶を行うときの呼吸一つを上げても、一般社会でも通じる基本があると感じました。天光寺の体験修行に参加している多くの方は、何がしらの目標や思いを持って来ていますが、体験修行をすることで自我に目覚め明るい顔になり帰宅していく姿まで含め、問題の浄化が解消されたり薄らいだことでの感謝している会話に、心温かくなりました。

    人間不信とは、相手を受け入れることが出来ないことから始まると聞きましたが、不安を取り除くために自ら入り込んでいく積極性を育てることなど、心機一転しなければならないなども体験できて、思考も目覚めました。

     

     

    企業に入り中堅社員になるも、部下からの意見調整と上司からの圧力で、ここの所サービス残業も多く帰宅が深夜になることもあります。時には出張などもあり、気の休まる日にちが少ない毎日でもありました。

    惰性に流される仕事先で、いまひとつ気持ちの整理を思い、今回体験修行を思い立ち予約することにしました。上司には精神修行充実で、今後の部下教育になりうると業務参加を打診して、了解を得ました。

    業務参加であるため、体験修行の日程や修行内容の項目を体験後に提出しなければなりませんが、今回の参加では私費でなく業務参加なので、費用の面では助かりました。ただ、提出があり事後報告と今後の社内教育に使用できるかの、判断基準になるのかまで求められそうなので、無意識に仕事であることが露見してしまいました。

    スケジュール的には、三泊四日であり項目的には所作や写経・写仏や瞑想と法話からなり、屋外での修行体験では、お百度参りからの滝行や川行が用意されておりました。さらに規則正しい時間の進み方から、積極性のある修行体験で観光ではありませんでした。

    何のために修行体験するかなど、住職からの法話では気持ちの整理や平常心の自己改革もありましたが、主要なものは精神力の思考が重要であることなどが述べられました。

    職場の人生も、戦う相手を求めるのではなく、挑む相手を自分の中に見つけたときに成長するといった価値判断なども挙げられました。仕事先では、体験修行で感じた意見した報告書で、企業研修も受けられことを発表し、社内研修にも有益ということを付け加えました。

    今後お世話になる機会も考えて、私の体験修行は充実したものとして天光寺さんには、ご報告いたします。ありがとうございました。

     

     

    私は社交業でも、風俗の仕事をしています。社会的には夜の女としての仕事をして、生活させて頂いています。様々なお客さんが居る見返りの無い愛情を売る仕事です。時には開き直る現実もあり、想われている以上に精神的に経済的に充分ではない仕事です。

    日々変る仕事内容とお客様に合わせた仕事ですが、浮世に流されることもあり足を洗えば済むと思いつつ今の仕事にしがみ付いています。

    お姉(先輩)さんからは、早く今の仕事を卒業して、太陽の下で生きていける仕事や生活をするように言われていますが、年を重ねることに仕事から来る甘えなのか、踏み切れませんでした。

    風俗の仕事ではどうしてもお客さんとの駆け引きがあり、余計な力を入れてしまい嫌みや嫉妬を受けることがあります。さらに、未練や愚痴や価値のない事場に惑わされることがあり、一つとして同じことがありません。悩ましく精神疲労の多い、仕事なのです。

    職場にあった雑誌に、精神修行をして仕事にプライドを持ち、天職を全うする気合を見つけるための諸々の助言というものがあり、その中でお経の朗読とか滝行があると取材されてありました。

    特定の行き先や施設先は書いてありませんでしたが、仕事中にお客さんから幾つか参考になりそうな場所を聞き、奥多摩にある天光寺での精神修行・体験修行に参加することが出来ました。

    修行先では私を含め数人での体験開始でしたが、午前中に集合して寺院での所作や挨拶に始まり、昼食後には写経やお百度参りから滝行と、新鮮かつ初体験する行を初日から受けました。就寝も午後10時であり、今までの私の体内時計ではこれからと言う時間の就寝で寝付けず、翌日には睡眠不足にもなりました。つづけられる修行もあり、瞑想や写仏での落ち着きと外部からの刺激を排除した修行では、時間の忘れる集中が要求され最も厳しいものでした。

    しかしながら数日間が過ぎ、住職からの法話や修行者同志の意見交換などがあり、今までの自分とは体験で改まった、参加前には無かった感じたり考えられる思考を持てるようになりました。

    ありがとうございます。

     

     

     

    私は集団での仕事に違和感を感じて、一人での仕事と決めタクシードライバーをして数年経ちます。お客様を乗車から降車までの、ひと時だけの業務の繰り返しだけで、それ以外の業務は存在しないことから転職組みですが、現在の私の仕事なのです。

    お客様は、午前や午後や夜間や深夜では様変わりしますが、なるほどと感心しながら対処しています。中には、お客様らしからぬ方もいますが、短時間の我慢で済みますのでしこりも無く受け流しています。

    そんな私ですが、将来は法人タクシーでなく個人タクシーを希望していて、諸先輩からもお客様あしらいを学ばなくてはならないと、助言されました。助言の内容の中には、個人としてお客様に合わさねばならない注意点や対処が多くあり、今の自分には出来かねるのではないかと思い悩むような助言もありました。

    このまま法人タクシーのドライバーとして、生きて行くことも出来ますが、夢は夢として個人タクシーのオーナーとしての夢もあることから、今は夢追い人の一人としてハンドルを握っています。

    タクシードライバーには個人主義の方が多いですが、個人タクシーになると責任や営業に対して、決断力や不満なども抑えねばなりません。ここ一番と言うときに、個人事業主としての遣り甲斐だけでない判断が要求されます。

    学校では教えてもらえない、人としての社会で生きていく手法を天光寺で、絶対的な価値がある自分を仕事に反映出来るように、体験を通して知りえたこと体感できたことに感謝します。

    写経や写仏では何度も助言を頂き、冷水の川行ではしった激励をもらい、今では体験できた喜びに嬉しさを感じています。

     

     

    一人で卒業から、実家を出て憧れの都会に引っ越してきて、半年が過ぎたころでしょうか。如何にも判断できない、分からない落ち込みが目立つようになりました。

    職場での仕事も覚えたばかりでしたが、仕事に対しての不満もなくどちらかといえば楽しく、遣り甲斐さえ感じて来ているころでした。

    学生時代には感じられなかった、行き詰まりでもない体調不良に、社内の診療室でも問題無しでお墨付きをもらい、只の疲労なのかと自問自答していました。

    違いと言えば、好き勝手を行っていた学生時代と違い、規律正しくしなければならない社会人として、睡眠不足や通勤疲労で若干の疲労感はありましたが、私だけではないと言う現実からそのままにして置きました。疲れなので、栄養ドリンクを飲めばいいぐらいで、これと言った対処もせず数ヶ月過ぎました。

    物事原因があって結果があるはずなので、社外の医院にも行きましたが、結果は同じでした。これは何かの取り越し苦労なのか、自分で思考を改めなければならないと天光寺の体験修行に参加して、自分の有りのままを見詰めようと思いました。

    修行では、挨拶に始まり挨拶に終わるような、厳格で神妙な修行であり他には写経や写仏したり、お百度参りや滝行で精神統一したり本物の修行でした。教えの中には、積極的であり向学心を持ち決断力など、自分を成長させる意識変化を身を持って指導されました。

    さらに、不平不満を言わない消極的にならない、精神を鍛え精進することなども伝授されました。

    自分を信頼し自分を愛することができて、人生の主人公になれと力強い指導には、感動しました。

     

     

     

    初めての就職で、初めて知った社会の洗礼に会い右往左往していた私が、職場の先輩から聞かされた、先輩も体験して来た天光寺の体験修行に参加したのは、縁を感じたからでした。

    家族の居ない独りでの生活の始まりには、嬉しさもありましたが多くは不安でした。さらに仕事となれば、自分を押し殺さねばならないことも連続で、帰宅すればそのまま倒れこんだこともありました。

    先輩もそんな過去を持ち、経験者にしか分からないことなのでしょうか、休憩時間のときに私の変化が見えたのでしょうか近寄り言葉少なく心配して、相談にのってくれました。その相談のなかで、自分で人生の主人公になる楽しさと嬉しさと喜びを、お話下さいました。

    先輩はすでに何回かの体験修行されており、体験修行先の出来事や自分の変化や新しい刺激になったことなどを、教えて頂きました。初めは先輩と一緒に参加と希望していましたが、仕事の都合で私一人の参加になりました。見るもの聞くもの全てはじめてのことや物ばかりでしたが、三泊四日の体験修行を無事に終えることができました。

    先輩からも、私の頑張った賞賛を受け、感じ入るものが体験者でないと分からない実感として、分かち合えました。修行ではやはり鮮明に残るものとして、滝行で身震いしながらも頑張った実感があり、先輩共々見詰め合って感想を言い合いました。

    写経で書いた書は自宅に飾ってあるとか、瞑想時に感じた感想は何か今でも一念として残っているかとか、話がつきませんでした。次回は一緒に参加することを決め、今では私の右往左往も消え楽しく日々を送っています。

    今回、私がこの体験道場(修行)に参加させて頂いた目的は、自分自身の心の弱さの克服であります。デフレ進行下、価格破壊が進み、価値観のズレを中々埋め合わすことができない世の中になって参りました。そんな中、商売上、中々上手く行かないことが多く、ストレスが溜まり、家族には相当の迷惑をかけていたかと思います。ふと我に返ると自分自身のことしか考えていない自分がそこには居りました。

    長い間、家族旅行にも行っておらず、夕食も暗い感じになっておりました。このままでは、家の家族はダメになってしまうのではないかと思い、まず自分自身をもう一度再確認する為、そして自分が家族に対して何が出来るかを考える為、自分が大黒柱として、立派にみんなを明るく出来る様に、自分自身が変わらなければならないと思い、自分を磨く意味合いを込めて、やって参りました。

    修行一日目、二日目と進むに連れて、普通に生活出来ている「尊さ」「ありがたさ」を痛感致しました。家では全て、女房まかせにしている自分を腹立たしく思うと共に、感謝の気持ちでいっぱいになってきました。そう私には人を気遣い、思う気持ち、そしてやさしさが足りなかったのです。天光寺のご住職、そしてスタッフの方々と接してみて、特にそう感じました。

    人間はひとりでは生きていけない。皆さん、そして家族、友人、知人、恩人、ありとあらゆる方々の御力をお借りしなければ生きていけないのです。
    今後とも難しい局面は多々あると思います。
    そんな時には、ご住職の仰った不撓不屈の精神で無理難題に、情熱的に取り組んで参りたいと思います。決して後々を振り向かず、前を見て、陽転思考で、積極的に、明るく取り組んでいきたいと思います。と、同時にやさしい慈悲の心を常に持ち合わせていたいと思います。

    今回天光寺さんを訪れた目的は、日ごろついダメと分かっていても楽な方を選択してしまう自分の甘さ、弱さを正すために、転職によってもらった長期休暇を利用して渇を入れることです。
    気合いを入れて、次の仕事はもちろん、私生活もより充実して過ごせる様にしたいと思いました。

    自分で言うのもなんですが、私はとても幸せな環境で生きていると思っています。両親、妻、友達、同僚、上司、出会う人皆、素晴らしい人ばかりで、みんな自分に優しくしてくれて、想ってくれて、何不自由なく生きてきたと思っています。

    でも普段、その幸せになれてしまって、幸せを幸せと感じなくなっている時がある事に気付きました。こんなにも幸せにもかかわらず、だらだらとゲームをして過ごしてしまうことがよくありました。生活を充実して過ごすことで改めて幸せを感じる事ができるようにと思いました。

    初日、お百度参りと川行をして、生きていることがどんなに素晴らしいことか、切に感じることができました。お経を唱えている間も、ほぼ無のような感覚になり、とても安らぎを感じました。
    初日に行を行ったことによるものなのか分からないのですが、2日目の午前に瞑想をした時に今まで出会ってきた人達を思い浮かべて、みんなに感謝した時にあふれるほどの涙が止まらなくなってしまいました。今まで、どれだけ自分が幸せだったのか、心からみんなに感謝の気持ちが湧いてきて感じる事ができました。
    今までは感謝はしていてもこんな気持ちになることはなかったのでとても不思議でした。

    2日目の滝行で身を清め、心がとてもきれいな落ち着いた状態になっているのが分かります。
    瞑想をしている時に浮かんだ感謝の気持ちを忘れずに、明日からお世話になったみんなにちょっとずつ恩返しをしていこうかと思います。ちょっとした事で精神を乱されずに、人の事を考えながら充実した日々を送りたいと思います。

    天光寺でお世話になった三日間、色々な方と触れ、色々な話をして頂き、私の悩みを丁寧に聞いて下さったことを心より感謝致します。

    私は、人一倍マイペースで、人一倍頭が悪く、人一倍焦りやすく、何をやっても失敗ばかり。毎日失敗続きで、どうしようもない自分を責め続けることしか出来ず、泣いてばかりの自分でした。途方に暮れた時に、インターネットで『相談・寺修行』の文字を拝見し、この今の自分を何とかしたいと思う一心で、ダメ元で前夜に電話しました。 こちらに来てから、信じる事、念ずる事、仏様や宗の事について深く知る事が出来ました。

    座禅を組んで、お経を唱え続けた2時間、雪の中、足を冷たくして走り続けたお百度参り、滝、自然を一体となり行を終える事が出来た事、ここで教えて頂いた全てが私の自信となりました。
    自分に出来る事がある、達成する事が出来る。負けそうな時には、ここでの日々を思い出して、自分を奮い立たせていきます。

    最後に、ここまで来れたのも、今自分自身を強く持っていられるのも、ここで出会えた、支えて下さった皆様のお陰と思います。本当に感謝致します。

    体験修行に行こうと思ったのは、転職の合間に何か自分を成長出来る事ができれば良いなと安易な気持ちでした。しかしながら本当は来るべきして来たのだと感じました。自分の事、自分が考えている事、自分自身を見失っていたのだと分かりました。

    体験修行を通して何が変わったか、また何が成長できたのかは言葉に表現できません。一つ言えるとすれば、少しだけ自身が大きくなったと感じています。厳しい修行の一つ一つを乗り越える度に大変大きな満足感と達成感を感じました。修行中、何度も諦めそうになりました。『ここで諦めたら今までの自分と何も変わらない』の一心でふんばりました。ここぞという時の良い意味での開き直りと『俺は死んでも鯛だ!』と言う根性が自分にも有るのだと言う事に気付き、本当に嬉しく思いました。

    これからもまた、生活していく上で様々な壁や問題にぶつかると思います。その時はこの体験修行を思い出し、集中すれば必ず乗り越える事が出来ると思っております。
    最後にこれからも自分に正直に厳しくまっすぐに、そして真っ当に生きて行きたいと思います。

    何かあるとすぐにマイナスに考え、弱音を吐いてしまう自分の悪い癖、弱い根性を叩き直す為に今回修行に参加する事を決心しました。 今までも何度も変えようと試みていましたが、結局何も変わらずここまで来てしまいました。

    たった3日修行を受けるだけで変わる事なんて出来るのだろうか、変われなくてもせめて少しでも変わる切欠になればそれで良い、そんな思いを抱いていましたが、3日間の修行を終えた今、自分の中で何かが大きく変化している事に驚きでいっぱいです。

    こんなにも自分自身と素直に向き合えた事は今まで一度もありませんでした。向き合おうとしても結局言い訳ばかりで、これが私なんだから仕方無いと逃げていました。そんな自分が大嫌いでした。
    行はどれも精神的にも肉体的にもきついものばかりでしたが、辛い、辛いと思えば思う程強くなりたいと言う思いも強くなりました。今は、絶対に強くなってやる!と思っています。何事にも前向きに積極的に生きて、もっともっと自分を愛せる、そして人を愛せる人間になりたいです。どんな事にも負けない強い心を持った優しい人間になりたいです。

    ここに一人で来て、弱音を吐かずに行を受けられた自分の力をもう少し信じてみようと思います。
    負けそうになったら、ここでの事を思い出して頑張ります。先生達から頂いたお言葉、絶対に忘れません。今の気持ち、絶対に忘れません。ありがとうございました。

    天光寺に来て三日目。まもなく修行も終わります。

    私がここへ来たのは、色んな気持ちを抱えていたからです。今の自分の状態を変えたくて、どこか切羽詰まっていた矢先でした。自己啓発など様々な本を読みあさっている時、こちらのお寺の事をホームページで知りました。見た瞬間、あ、これだと思ったんです。修行体験はまさに私が求めていることそのものでした。自分を変えたい、強くなりたい、ネガティブな自分を少しでも前向きにしたい、自信を持ちたかったからです。非常に不安ではありましたが、今の私はその不安よりも、現状を変えたい気持ちの方が強く、勇気を出し、天光寺へ行く事を決めました。

    修行の初日は、慣れない環境と日頃経験しないことが辛く、正直無事二泊三日を乗り切れるだろうかと不安しか感じる事が出来ませんでした。

    そして二日目、一番怖いと感じて滝行はとても辛かったです。最初は息が出来ず、このままやめてしまいたいと本気で考えたけれど、ここで逃げたら何も変わらない、と自分に言い聞かせてやりきりました。終わった後、生きている事をとても実感して、普段の生活がいかにありがたいか本気で考えさせられました。滝行の後から、よし、残り今日と明日、最後まで頑張ろうとやっと思えるようになりました。最終日、今日の瞑想の最中で涙がこみ上げて来るような感じになりました。

    今まではあまり感じる事のできなかった感情が自然と湧いてきたのです。以前は憎い気持ちや、やるせない思いを持つ事もあったけど、ここまで育ててくれた両親に感謝の気持ちや色々な気持ちが出て来ました。普段生活していると、仕事や日々の生活に追われ、なかなか自分と向き合う時間が持てなかったと思います。もう少しで三日間の修行体験も終わります。今は心からここへ来て良かったと思います。ここへ勇気を出して来た自分の事も少し、認めてあげようと思えました。

    法話を聞いて前向きに生きる大事さをとても知ったので、このお寺を出た後から今より前を見て、進んでいきたいです。人を憎んだり、起こったりするより、今ある事に感謝して、人に優しい、そんな自分でいつもありたいです。本当にお世話になりました。ありがとうございました。この経験は忘れません。

    現在大学三年生で、体育会の部活動に所属しております。自分が天光寺に体験修行に来た理由は、部活動で壁にぶつかり、その壁に負けかけている弱い自分を心の面で変わりたいと思ったからです。また、自分は精神面で弱く、些細なことを引きずったりとてもネガティブで、色々と嫌な事を溜め込んでいたので少しでもそれが張れればいいなと思っていました。

    いざ、体験修行に来て初日、挨拶の面で自分はまだまだだと実感しました。声があまり出なく辛かったですが、何回も練習していく内にだんだん出るようになって来ました。その後、お経を読み、お昼御飯を頂き、初めてのお百度参りと川行を行いました。
    お百度参りは裸足で行い、疲れたと同時に足の裏にマメがたくさん出来て、とても辛かったです。そして川行ですが、とても冷たくきつかったです。でも、だんだん気持ち良くなり、日頃の生活で溜まっていたストレスや嫌な事が全て洗い流されていく感じがしました。
    夕食の後、法話を聞きました。その中で、先生がおっしゃっていた、思考が自分を作ると言う言葉には深く考えさせられました。自分はマイナスのことばかり考えたり溜め込んでいたので、これからは前向きに物事を考え、えっ曲的に生きて行こうと思いました。

    二日目、朝六時に起き、朝食まで掃除をしました。家の中が終わると外の道を竹ぼうきで掃きます。長時間ほうきで掃くのは辛かったですが、周りには自然がいっぱいで気持ち良く、掃除が終わった後の道を見ると、こんなにきれいになったんだと感動しました。朝食の後、二時間光明真言を唱えました。酸欠になり、おしりも痛くとてもつらかったですが、終わった後の達成感は凄かったです。
    その後、三禮を百回やりました。物凄く辛かったです。でもこれをやりきった事は凄く自信になりました。その後、お百度参りと滝行を行いました。滝行は想像よりも遙かに過酷でした。痛い、冷たい、息ができない、本当にきつかったです。でも滝行が終わった後、凄くすっきりしましたし、滝からエネルギーを貰いました。

    三日目、朝起きると体中が筋肉痛におかされていました。特に腿、お尻は酷く、座るのが痛かったです。それでも、掃除と朝食のあと、また光明真言を二時間唱えました。凄い辛かったです。考えてみると普段なら絶対に出来ない事だなと思いましたが、それを二回やりきった事、それは本当に自信になったし、集中力がついたのかなと思いました。
    午後には写経とヒーリングを行いました。写経では久しぶりに筆を使ったので、あまり上手に書けませんでしたが、自然と凄く集中しました。またヒーリングでは途中からぼーっとしてきて、眩しい光のような物が見えました。何か見えない力を感じました。終わった後はとてもすっきりして、肩が軽くなった感じがしました。

    そして最終日、掃除をして、朝食を済ませ、お経を唱え、今この文章を書いています。
    振り返ると三泊四日はとても短い物でしたが、とても辛く、とても考えさせられ、また、とてもすっきりした充実した時間でした。色々な辛い事をやり遂げたからこそ、自分がこれから頑張っていく自信にも繋がりましたし、これからは前向きに積極的に毎日を少し、自分の壁を乗り越えたいと思います。
    『思考が人生を作る』これを忘れずにこれからも人間的に成長していきたいと思います。ありがとうございました。

    私が修行に参加したいと思った切欠は、28歳になり、このまま今の仕事を続けていて良いのか、自分の進みたい道はどこなのか前が見えなくなってしまい、このままだと流されてしまうと思ったからです。
    今の生活が不満と言う訳ではありません。仕事も更なるステップアップの場を与えて頂き、有難いと思っています。ですが、新しい仕事の量と内容を考えると、どうしてもマイナスな事を思ってしまいます。
    頑張るしかないのは分かっているのですが、頑張ってもお給料が上がるわけでもなく、自分が本当にやりたい事なのか分からなくただ流されているのでは?と考えてしまいます。

    「このままでは自分がダメになる」と思いました。こんな事をふつふつと思っている時、たまたま見ていたインターネットでプチ修行と言う書き込みを見ました。そこから色々調べこちらの天光寺体験修行のホームページを見付け、自分と見つめ合う為参加しようと思いました。

    二泊三日と短い期間でしたので、何か変わるきっかけが作れれば良いなと言う位の気持ちでした。
    ですが実際二泊三日を終え、得た物はとても大きなものでした。滝行では、堪え忍ぶことと気持ちをしっかり持つと言う事、禅は心の平常心を保つこと、写経は丁寧さと集中心。その他にも声出しやお経、お百度参り等、普段の生活からでは経験できない事が出来、普段の生活に活用できる事が沢山ありました。

    修行をしたからと言って、私の仕事がうまくいく訳ではありません。保障もありません。ですが、根本的な考え方が変わり、仕事を行う際の気持ちの持ち方が大切なんだと気付きました。

    出来ないかも…と考えるのではなく、前向きに立ち向かう心が大切です。千回を唱える時に感じたのですが、どんなに先が長く辛くても、必ず成し遂げることが出来ます。下手でも息が続かなくても、必ず終えることが出来ます。終えた時は最後まで頑張って良かったと、心から思う事が出来ました。気をしっかり持ち、目の前のことを少しずつでも良いから行えば、結果はちゃんと付いてくるのだと思います。

    修行は大変で楽ではありませんでしたが、私はとても楽しかったです。同じように何かを得たくて修行をしに来た方々とお話出来、皆同じように何かしら悩みがあるんだと知りました。

    お寺の作法も修行の行い方も全く分からない素人の私に優しく一から教えて頂きお寺の皆様にも感謝しております。 自分らしく生きる事は簡単ではないけれど、自分に負けず生きる事は出来るのではないかと自信が付きました。

    流されるのも良いと思います。そこにちゃんと「自分」があれば流れ着く先は自分で決める事が出来るのだと思います。二泊三日の修行体験ありがとうございました。

    私が今回天光寺の体験修行に参加した目的は「動じない強い精神力を身につける事」でした。昔から心配性で非常に細かいことで悩んだり、自分を追い込むことが良くあり、特にここ数ヶ月間は自分自身の知性、能力に自信が持てず、将来について本当にくよくよと悩んでいました。また、他人と衝突した場合などにおいても、その人からどう思われているか、今後どう接していったら良いかなど、長期にわたって悩み引きずり、精神的に疲れることが多々有ります。そんな気にしすぎ、心配性な性格を少しでも改善し、強く明るく前向きな心に少しでも近付けたらとの思いで体験修行に参加させて頂きました。

    体験修行を通じて、自分なりに学び、感じた事を綴ります。

    修行初日、まずはあいさつの仕方から始まりました。はじめに先生のお手本を見せて頂いた際、普段と変わらないあいさつ言葉ですが、いかにこれまで自分が挨拶に気持ちと力を入れていなかったかに気付かされました。「おはようございます」「ありがとうございました」これまでは、ただ何となくそれらの言葉を発するだけでしたが、今後は、腹の底から言葉を発声し、気持ちと力を込めて挨拶出来る様、少しずつ改善をしていきたいと思います。

    三禮を百連続で続けた時の事、五十回を過ぎた頃から、膝も腕も赤く腫れ上がり、精神的にも相当キツくなった時「足の痛みも限界だし、ここで諦めてしまおうか」と何度も思ってしまいました。しかし、せっかくの修行の機会ですし、形が崩れても、途中腰を上げられなくなっても最後まで続けようと思い、結果最後まで続ける事が出来ました。通常の生活でもこの様な苦しい場面はたくさんあります。常に人生における修行なのだと心に留め、最後までやり抜く癖を付けたいと思います。

    修行中は、他の方との共同生活ですし、一日の流れ、食事、就寝時間も決められたものだった為、いかに普段の生活が自由でありがたいものなのか改めて考えさせられました。今後は一日一日の有り難みを感じ、時間を有効的に使っていきたいと思います。

    リーマン・ショック以後の就職氷河期と言われる中、就職活動を経て、私は社会人一年目を迎えました。これだけ辛い思いをして会社に入ったのだから、きっと充実し希望に満ちた日が過ごせるのだろうと思っておりました。しかしながら今感じるのは、日々の業務に追われる忙しさと、仕事しかしていない毎日に対する虚無感でした。つらいことしか無いという訳ではありませんが、自分の心持ちや言動に「余裕の無さ」が現れる様になっていることに気付きました。そこで夏期休暇のこの機会に心をフラットにし、余裕ある心持ちを取り戻そうと思い立ち、天光寺の体験修行を申し込みました。

    私が行を通じて学んだことは「無心で物事に取り組むこと」「心の拠り所を持つこと」の大切さです。
    読経、写経、写仏などの行においてはただ無心で一点集中し、取り組む訓練をさせて頂きました。それらの行は単純なものであるが故に手を抜こうと思えばいくらでも楽をすることができるものでありました。しかしそれを手を抜かず真剣にやり遂げることが精神力を鍛えるのだと感じました。これは人生そのものと同じで、いくらでも手を抜けるが真剣にやるからこそ意義があるのだと思います。仕事に置いてもあれこれ考えて妥協しないよう、まず目前の物事に無心で全力であたる精神力を持とうと思います。

    来週から仕事に戻りますが、今の自分の環境を悲観するのではなく、まず目前のことに妥協せず、全力であたり、何事にも真剣であることを心懸けようと思います。この二泊三日で学ばせて頂いた事を大切にして参ります。ありがとうございました。

    ここ天光寺において、2泊3日の研修の中、とても貴重な体験をさせていただくことができました。この3日間の中で、仏教については、まだ正直ピンと来るものがありません、けれど、あいさつの仕方、声の出し方など、一般でも有用していけることも教わり、再確認することが出来ました。更に三禮、滝行、お百度参りなど、なかなか体験出来ないことをさせていただくことが出来ました。

    特に滝行は、自分が想像していた以上に過酷で、そして素晴らしいものでした。入る前は、冷たさへの恐怖がありましたが入ってみると冷たさ以上に、痛みの方が大きいことに気付きます。首、頭、背中、両肩、耳の裏等に、まるで砂袋で叩き付けられるように水が襲い掛かってくるのです。これはかなりこたえました。正直滝から逃げ出そうとも考えました。けれどここで逃げ出すのもくやしいので、耐えることを選びました。そしてあぐらをかくころ、不思議なことに、叩き付けてくる滝の痛みが、体にまとわりついて、一体化するような感覚になりました。むしろ心地良いものに変わっていました。正直ずっとあたっていられると思ったくらいです。住職の弟子の方に出るように言われたので出てみれば、体の芯から熱を発し、頭の中がスッキリしている自分がいました。底知れぬ解放感が自分にありました。自分はあまり精神論のようなものは信じていませんが、この滝行には、何かあると思いました。

    自分は、今の会社に入社して3ヶ月、まだまだ新参者で、先輩や上司には怒られながら、呆れられながらの毎日です。新人ですので仕方がないこととはいえ、やはり逃げ出したくなる時や、辞めたいなと思う時があります。これからもそういったことがくることだろうと思いますが、これからは、そのような辛いこと悲しいこと腹立たしいことがあった時、ここでやって来た修行、そして住職から頂いた誓いの言葉を胸に刻み、思い出しながら、これからの仕事、私生活,対人関係に一層励んでいきます。この3日間ありがとうございました。

    私の中で特に印象に残っているものをランキングで書かせていただきます。

    第三位は食事です。一言で表すと「すごく美味しかった」です。食材が高級なものというわけではありません。とても自然なものばかりでシンプルなのですが、とても美味しく感謝の気持ちも芽生えました。

    第二位は、滝行です。私が思っていた以上に水が冷たく感じました。実際に滝に打たれてみると勢いがすごく、最初は痛いと感じました。ですが、座ってみて力を抜いてみると先程までの痛みを感じなくなり何かこう一体化したような気になりました。その感覚が今でも残っていて、力を抜くコツが分かった気がします。

    第一位は三禮です。今、こうして書いている間も筋肉痛の状態です。これも一言で表すと「限界を超える」です。体中の筋肉を使いましたが、本当に己との闘いでした。ですが、やはり一緒に三禮した仲間がいたからこそ達成できたと思います。

    他にも、この修行を通じて学んだことが多々ありますが、何より「思考、考え方」が大切というのも最後に教えて頂きました。 この修行に参加させて頂いた、○○株式会社と天光寺の皆様に感謝です。