体験修行の感想文・体験談
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私は親に甘えすぎていたり、学校に行かなかったことが原因で天光寺に来た。
ここに来てからは親と離れて過ごすようになり、ほとんどの事を自分や仲間と共にやっていくことが多くなった。
ここで過ごしてみて親の大切さやありがたさなどを多く知ることが出来ました。
天光寺に来てからは辛いことが多くあった。だがその分ここで学べたことや考えさせられることも多くあった。
例えば、滝行に行くまでの道や滝行の最中などは辛かったが車に帰った時の達成感は多くあった。
その他にも、ここに宿泊に来ていた方に辛い時は楽しいことが待っていると思うようにしているという話をしてもらい、辛い時を乗り越えていく方法を教えてもらいました。三日間過ごして、辛い時や仲間と協力して何かやる時、一人で過ごすとき、仲間と楽しく過ごしている時など様々な時を過ごしてきたが辛い時は逃げてしまうことがあった。他の方と話した時やこの寺で過ごしたことを通じてこれからは逃げずに立ち向かっていきたいと考えられるようになれた。残りの滞在日は辛い時でも逃げ出さずに立ち向かっていき、親に甘えていたころの自分を一から見直していき、ここで学んだ、自分で物事をする力や辛い時にも逃げ出さないで立ち向かっていく力、そして仲間の大切さなどを生かしていきながら過ごしていくことを大切にしていきたい。
そして最後は自立していて、自分の力で物事に立ち向かうことが出来るようになり、辛い時や学校などからも逃げずに立ち向かうことが出来るような自分になって親と会い、学校にもちゃんと登校出来るようになり、もうここに来ることがないように自立し、ここでの体験を生かして真面目に生きていくことが出来るように努力していきたい。今回、宿泊体験をして、まず前向きに、前よりもなれた気がします。前は、明日からどうしよ、どういう作戦でいこう・・・。と考えていたのですが、今はもう流れに身をまかせてしまおう。と思いました。そして、思考が人生を作るという言葉を聞き、私が一番悩んでいた友人関係ですごくそれが大切だなと思いました。自分が悲しんでいる言葉、ネガティブな言葉、他人を悪くする言葉、全て私は友達に言っていました。だからこそみんな離れていってしまうし、自分が何をされてもその人達を相手にしてしまったらもう負けです。そういう時は一度しっかり冷静になって発する言葉など頭で考えてから発しないとな。と学びました。自分の言った言葉で自分が影響される。これ本当にその通りです。何をされても自分が反応しなければいいのに、いつも反応してしまいます。そして私は他人の事を悪く言って態度に出してしまい、ハブられてしまう。というケースも多いです。相手が私の事を言い、反応してしまい、言ってしまうというのもあります。絶対に大切なのは自分の口から相手の事を悪く言わない、ネガティブ発言しない、それがすごく大切で大事な事だと学ぶ事ができました。そして滝に入った事によってまだ一回なんですけど、忍耐力がついたかなと思います。正直私はなんでも逃げてしまうくせがあります。同じ事を何度も繰り返し、してしまうくせもあります。(同じまちがい)そういう事をこくふくしたくて、今回宿泊体験をしに来ました。滝に入っている最中や入る前の水を頭にかけた時、本当に冷たすぎて、もうこれからどうしよう。滝に入るの怖いなと思いました。そしていざ入るとすごく冷たくて、体はぶるぶるふるえるし、今でもその時の冷たさを覚えています。ずっともう出たいと考えていましたが、途中から深く深呼吸をして、でもここで出たら、また学校でも負けてしまう。ずっと弱い自分だ。と思いずっと深呼吸をしながらたえていました。すると、もう終わりが見えていき、ぶじ最後までしっかりと滝に入る事ができました。滝から出たしゅんかん、達成感や心がすごくスッキリして入って良かったなと心から思いました。ですが、私が入った時間は約一分間、先生とお話をしている時、乃木坂はマイナス5度なのに1人5分間入ったなど中学一年生の女の子が15分間入ったと聞き、しょうげきてきでした。1分間ですごくキツイのに、そんなにもこのみんなは入っていて頭から血とかでないのかな?ケガをしていないのかな?とずっと考えてしまいました。1分間入れた事に満足しないで次は何分、次は何分となるべく伸ばしていきたいなと思いました。本当に今回色々な事を学べて、本当に良かったです。ありがとうございました。また来る時があると思うのでその時はよろしくお願いします。
私が天光寺に来たきっかけは、大学受験に失敗して負け犬である自分から、自らの心と向き合って、本当に変わりたいと思ったからです。私は、この五泊六日の体験修行を通じて様々な経験お話をして自分が変わるきっかけを掴めたと思いました。
私が特に強く感じたのは邪気を払うことが日々の生活や結果につながってくるということです。私はここにくるまで、日々の生活を整えるだけで、幸運が巡ってくるとは到底思っていなかったです。しかし、体験修行で、毎朝の掃除時の換気、整理整頓、お徹底し、悪い物を吐き出すイメージで瞑想などから邪気を払い、悪運を寄せつけないようにすることが大事だとわかりました。そうした生活を続け、五日目に行われた二度目の滝行では、陽の光が滝を照らし虹がかかって神様が下りてこられたような神々しさの中で行をすることができました。滝の水の冷たさ、強さに苦しみながらも、自然の美しさを感じる事ができ、一生忘れられないような爽快感を得ました。また、生活習慣・食生活を整えることで、健康に過ごし、そしてどこまで自分はやり切れるかなどの自分の限界を知りました。特に天光寺では毎食、米・汁・サラダに加えて野菜中心のおかず四品が出されます。バランスが整えられながらもとてもおいしく頂き、お腹の通りも抜群に良くなりました。そして体験修行では、先生以外にも色々な事情を持って天光寺にこられた大人の方とお話をしました。自分が見習わなければいけない部分や勉強になる事、自分は恵まれた環境で育ててくれたんだなと気づく事など、本当に多くの事を学び、貴重な経験になりました。
最後に、結局、自分を変えるには、ガチで変えようと思わないとできないということも分かりました。体験修行での法話やパンフレットから「本当に変わりたいなら、自分自身を愛し、如実に心と向き合い、今までの自分を否定し、悪い習慣から脱却しなさい」と教わりました。それから私は、体験修行で作業をする中で、自らの心と向き合って、これまでの過去を振り返り、反省・感謝・懺悔をしながら、自分を知ろうと探りました。分からないことがあれば先生聞き、これから先の自分はどうあるべきかを考え、自分が変わるきっかけがつかめたと思います。この体験修行で得た経験・お話を通してこれからの自分のレベルアップにつながれば良いなと思います。
天光寺での一泊二日の体験をしてみて、修行をしてみたいと思った理由は、滝行をしてみたいという理由でしたが、修行を通して修行の大変さや瞑想などを行うことで心が落ち着くことを知りました。
滝行は初めて行いましたが、行っている最中は息がしづらく、頭も痛く、辛いものだと思いましたが、終わった後は体から嫌な感情がとれたように感じ、すっきりとした気分になりました。
お百度参りでは唱えて走りを繰り返し、最初は楽でしたが、どんどん辛く感じてきました。これを百回も行うのを考えると、お百度参りはとても大変だと感じ、終わった後は走ったのも久々で、大きい声を出すのもあまりないので凄く気持ちよく感じることができました。
般若心経を一時間唱えるのは、声を出すのが途中から辛くなってきたり、足がしびれてしまったりと、一時間がとても長く感じましたが、唱えている間は余計な事をあまり考える時間がなく、終わった後は心が落ち着いたような体が軽くなったような感じがしました。
写経では般若心経を写しましたが、筆で文字を書くのは中学生ぶりでしたが、文字を書くことは心が落ち着くような気がし、丁寧に書いてみようと思いました。
二日目では掃除から始まり、掃除は家であまりすることがなく学校でするくらいでしたが、掃除をすると、部屋がきれいになるだけではなく、心まできれいになっていくように思いました。
瞑想では腹式呼吸で鼻から息を吸い、口で息を吐くとすごく心地が良く、心が凄く落ち着きました。
法話では積極的な心を持つことが大事だと知りました。消極的な発言は控えるようにし、前向きな言葉を発するようにしようと思いました。また、舞台と役者を演じる事や努力と知恵を大事にすることが大切だという事を知り、今後は活用していこうと思いました。
我慢をする事と困難に立ち向かう事が大切だと知り、あまり我慢をする事が得意ではなかったのですが、少しでも意識するようにしたいと思います。
一泊二日、お世話になりました。ありがとうございました。
一泊二日でこちら天光寺に来ました。滝修行をやりたくて申し込みました。理由は心機一転したかったかたです。4月から大学2年となります。大学は講義が難しいです。辛い思いなどに耐える精神力を鍛えたく申し込みました。実際やってみるととても辛いです。冷たい水を顔にかぶった時、なぜ私はこんな事をやらなければいけないのかという思いになりました。滝の中になると、実際に声を出さなければ大変でした。寒いし水で何も見えないし、戸惑ってしまいました。しかし、やりとげると達成感が生まれました。やってみないと、自分が向いているかどうか分からないからです。体験して良かったです。自然の力はすごいですね。滝は自然の中で流れていくので自然を壊さないようにしようを思いました。
写経をしました。とても字が小さく細筆で書くのはとても難しかったです。小・中・高と書道はやりましたが、漢字が多く、小さな文字を沢山書くことは初めてでした。書いてみると集中力がしっかりしていたのか早く終わることができました。
寝るとき、仏様の近くで寝ることは緊張しました。しっかりと眠ることができて、朝六時には起きられました。規則正しい生活はとても良いことですね。朝起きて挨拶をして、掃除をすると、とてもいい朝が始まりました。インターネットを使う日々でしたが、ここに来て良かったです。ネットなしでも過ごせるという事を改めて知ることができました。
瞑想も初めてしました。腹式呼吸をして、無の状態になりリラックスできて心がすっきりしました。できる機会がありましたら、やろうと思います。
法話聞きましたが、生老病死という事を初めて知りました。四苦の苦しみから逃れる事は不可能です。しっかりと生きていくには仕方がないので、もしそのことになりましたら、立ち向かって頑張ります。
精進料理を初めて食べました。肉なしと聞いていましたが、とても美味しかったです。毎食完食できました。作って下さりありがとうございました。
一泊二日と修行しました。とても為になる日々でした。ありがとうございました。
3月14、15日の二日間、天光寺にて研修させていただきました。
研修内容は、挨拶、滝行、発声の仕方等でした。最初にお寺に研修に行くと聞いた時は、どうなるのか心配で今日を迎えましたが、辛いこともたくさんありましたが、今後の人生にいかせることを学ばせていただきました。
滝行などは、たまにテレビで目にすることがありますが、全然余裕でできると思っていましたが、とても苦しくて奥までいけませんでした。
次回、もう一度来ることができたら、今回、できなかった色々なことにリベンジしたいと思います。
お寺の方々もとても親切に接していただきありあがとうございました。
滝行に申し込みをしたのは、強くなりたいと思ったからです。いじめられています。陰口を言われているのを分かっています。言い返さないので気に食わないし、つまらないのかひどくなっているように感じます。滝行をしたからって、いじめがなくなるわけではないけど、気持ちを強くしたいと思ってきました。親にはいじめられているなんて言っていません。滝行に興味があるので行きたいと伝えて送ってもらいました。自己紹介や南大師金剛遍照を大きな声で言えました。滝行に行く山も前の人に続いて登れました。滝にうたれながら、自分の親のことを考えていました。一人で悩まないで相談してみようかなと思いました。親に言う勇気、友達に反論する勇気がわきました。帰りの車で、今日あったこと、学校でのことを話しました。母が変わらないようだったら一緒に動いてくれると言ってくれました。次に学校に行ったときには、今までの自分とは違う姿を見せられると思います。次は母と来ます。
天光寺のインスタを見て、滝行にチャレンジしました。武蔵五日市駅からバスにゆられ、少し旅気分でした。山の中にお寺がありました。私は友人と参加しました。日々の生活で腹式呼吸を意識したことはありませんでした。お百度参り、比べるところではないですが、一緒に来た友人と切磋琢磨できました。そして臨んだ滝行、達成感のような、爽快感のような、とても気持ちがよかったです。一緒に来た友人と参加したことは大正解だったと納得しながら帰りました。お寺の皆さま、身体に気をつけてください。また来たいです。ありがとうございました。
この三日間で成長したことがあります。最初の一つは人の気持ちを思いやることが出来るようになったことです。ここへ来る前は嘘をついたり悪さをしたりしていました。でもこのお寺に来て人の気持ちを知ることが出来るようになりました。人の気持ちを考えて行動することが大切だと思うようになりました。このお寺に来て人の気持ちが考えられるようになりました。二つ目は勇気が成長したと思いました。なぜならこの寺に来て最初に滝行をしました。正直怖い気持ちはありました。でも将来そこで逃げたらさらに逃げることになると思いました。だから勇気をもって滝行を何とかしました。でも滝行に入るときは出たり入ったりしていました。でも三日目にまた滝行に行きました。一回目のように出たり入ったりはしたくなかったのでどうすれば出たり入ったりしないようになるか考えていました。そしたら勇気を持つという事だと思いました。一回目は声を出さずに出たり入ったりしていましたが三日目滝行をした時に勇気を出して声を出しながら入ったら一回で滝行に入れるようになりました。何故なら勇気もあったし失敗したからどう行動すればいいのかを考えたからです。そしてこの寺に来て色々な場面で成長したなと思いました。この寺に来て特に成長できたことを家に帰っても忘れない様にして生活していきたいです。
今回の体験修行で特に自分が一番好きだったことは、写仏です。
仏様にも様々な形があり、つけているアクセサリーなどに注目して、写仏をしていました。
1日目の滝行では、初めて滝行を行ってみてとてもビックリしました。15秒くらいしか入れなかったけどとてもスッキリする感覚を感じました。3日目には2回目の滝行を行いました。2回目でようやく約1分入っていることができました。
1日目の夜に見た、先生が1時間半ほど話しているビデオでは、沢山のことを学びました。
1番印象に残っている言葉は、人脈は舞台と役者を作るという言葉です。他にも「空海」についての話などが面白かったです。学びになりました。朝起きる時間や夜寝る時間などいつもとは違いました。ここで、毎朝掃除をしたり、様々な手伝いをしたので、家で出来ることは家でやろうと思います。
仏様の種類など普段では見ることも聞くことも出来ない新しい事を知りました。
写経は合計で3枚やりました。1枚目と2枚目は写して書いたが3枚目はお手本を横にして書きました。写すときよりもっと難しくなりました。縦に上手く入らなかったり文字の大きさのバランスが難しかったです。写経も知らなかった単語です。いつもは知らなかった知識が新たに加わりました。
ご飯を食べる前に言う食前の言葉では、より食べ物に感謝の気持ちを持つ事が出来ました。
朝と夜に仏様に挨拶するなどは家では出来ないことだけど今回行ったことを忘れずにしようと思いました。掃除をした後に掃除機のフィルターをブラシで掃除した事や自分の使った皿を自分で片付けるなどは家でも出来るのでやろうと思いました。
夜本堂で次の日に来る、お客さんのファイルや行差を準備している時に自分の生活は裏で他の人に支えられて出来ているのだとよくわかりました。今回学んだ事を今後の生活に役立てようと思いました。
三日。僕は今までにも何度か二泊三日の合宿をやったことがあったので、わりと楽な方ではないかと思っていました。なのでまさか1日目で疲れはてるなんでそうぞうもしていなかったです。
1日目、朝は少し早めに起き、支度の確認をしていた時、どんなことをやるのか?またどんな感じでやるのか?などとたくさん疑問に思っていました。しかし、まず第1に、お寺までが案外遠いです。僕の場合中央線などを使うと、結構はやい方だと思ったのですが、特にバスが長かったです。お寺に着いて、母が帰った後、早速挨拶の仕方から始まりました。
僕は結構年上の方と話すときの言葉遣いも直したいと所だったのでがんばって練習しました。また仏教についても色々教わりました。祖母の家では仏教を信仰していたので知っている事もあり、また新たな知識も増えたので面白かったです。
滝行は、1日目はおどろきました。まず水の冷たさです。頭からかぶった時、少しパニックになったような感じでおどろきました。そして入って行ったとき、その水に流れの速さにも驚きました。
二日目の前日の夜から話をしていました。それは、二日目は滝に入るかどうか。正直滝は怖く、入りたく無かったです。お坊さんには、「結果的に一日目はできたのだから、二日目もできる」と言ってくれました。でも二日目の朝まではなかなかやる気にならなかったです。しかし、一階の奥の部屋にある仏様の水を変えた後、僕は一つに決まり、朝ごはんの時に決めました。もし滝に入るときに後ろの岩までいけたら三日目は入らない。そうしたら二日目にやろうと言うモチベーションになり、わりと楽にやることができました。ここから学んだ事は、目標を立てれば物事を最後までやることです。
また別に滝は目標を立てたから楽に出来た問ことは良いことだと思います。ヤな事をめんどくさがらずやることも大切だと思いました。
三日目は午前中がかなりハードでした。社会人はもうすでに自立して生活しているという実感が初めて湧きました。一緒に行動した社会人8人は僕より背の高さがあまり変わらないので、最初は高校生くらいだと思いました。なので、社会に出て働いていると聞いたときは、驚きました。
そんな人と一緒に色々な体験できたので良い経験になりました。どんなにめんどくさい事があってもどんなに辛い事があっても、この体験を活かして頑張りたいです。
約二年ぶりの今回の滝行はいままでで一番つらかったです。特に気温が低かったとかそういうこともなかったのですが 今回が一番つらかったです。
足を入れた瞬間足の感覚がなくなって これはダメだと思いました。
でもやらなくてはいけないので水を頭からかぶるときに叫び体からむりやりアドレナリンを出して もう自分でも何を考えているか何を言っているのか分からない状態でやりました。
しかし滝行が終わって着替えてるときなんともいえないスッキリとした気分がありました。
二年後の受験前に気分を変えるのにいいかもと思いました。
とてもスッキリとした気分になれたのでよかったです。
二泊三日の修行体験をしてみて、感じたこと、考えたことが主に二つある。
一つは、自分自身と己との付き合い方について、もう一つが仏教の道徳的指南のすごさだ。
まず、自分自身との付きあい方について。これは、自分を客観視して弱さを見つけた際にどうするか、ということだ。長年、私は度を過ぎた我慢をし、頑張り過ぎてしまう傾向にあった。例えば、自分が感じているストレスに気がつかないまま何かをやり続けてしまったり、様々な場面で本当の自分を出さずに場を取り繕ってしまったりだ。
最近になって自分を客観視したり、セルフコンパッションについて考えたりできるようになり、そこで、自分のストレスや負の感情とどう向き合うかが大きな課題になっていた。
今回、修行を通じて、まずは自分自身の弱さ、感情をしっかりと認識することと、気長に精神を続けようという心持ちが大切だと痛感した。自らの負の感情も自己の一部であるため、無視をしてはいけない。しかし、それによって悲観したり、それを一瞬で直そうとりきんでも本末転倒である。変化は長期的に訪れるものだ。
今回経験した行も想像以上に長く、辛いと思うことが幾度もあった。しかし、それはそういうもの、と捉え、あくまでも前向きに生きる心と向上心を持ち続けること、それが大切だと実感した。
しかし、どんなに前向きに生きようと思っても何が「良い」のか分からなければ元も子もない。向かう先が分からなければ進みようがないからだ。
私はここに来る前、自分の道徳的根幹をどこに見出すかで悩んできた。今回の修行で、仏教から私が学べることはたくさんあるようだ、と認識できた。
滞在期間中、仏教について様々な話を聞かせて頂いた。中でも心に残っているのが、六道と精神の話だ。どこまで何を信じるかはさておき、仏教は人と人の関り方を円満にし、互いを思いやる心を育てるのだ、ということを再確認した。
私は、自分の人生の中で、建設的な存在でありたいし、建設的な関係を他人と築きたいと思っている。仏教はその礎になり有るものだと学んだので、これから先もより深く、仏教の語る生き方について学びたい。
他にも、考えたこと、学んだことは色々ある。
瞑想では度々訪れる空の瞬間とそこに入り込む雑念を経験できたし、滝行でも普段は見えない自分の恐れや弱さを見ることができた。
何より、一般的に「質素」といわれる寺院での生活でも自身が満足していたことが自分でも印象に残っている。これが「知足」なのか、と少しだけ世界を理解できた気がした。
最後に、そんな小さいことに気がつくために寺院まで足を運ばなければならない自分の未熟さに反省の念を込め、今回の滞在と日々の生活に感謝をここに表したい。
私は四泊五日間、とても短い時間であっという間だったと感じました。
一日目、初めてこのお寺に来た時、とても緊張しました。
正座はとても足がしびれて疲れました。けれども様々なお経が知れて良かったです。
お百度参りはかなり疲れたけど、終わった後には達成感がありとてもいい経験になりました。
滝行は、最初とても水が冷たかったけど後からだんだん温かくなってきて慣れました。
とてもいい経験になりました。
寝る時には、年下の子とたくさんお話をして、とても盛り上がって楽しかったです。
二日目は、仏様にお供えしました。とても片付けが大変だったです。
朝起きた時後の掃除は、普段あまり朝早く起きないのでとても気持ち良かったです。
食事は、朝昼晩精進料理で、バランスよく食べられたと思います。
私はこの四泊五日でとてもいい経験ができ、いい思い出が出来たと思います。
またこのお寺に来たいと思いました。
私は四泊五日間、とても短い時間であっという間だったと感じました。
一日目、初めてこのお寺に来た時、とても緊張しました。
正座はとても足がしびれて疲れました。けれども様々なお経が知れて良かったです。
お百度参りはかなり疲れたけど、終わった後には達成感がありとてもいい経験になりました。
滝行は、最初とても水が冷たかったけど後からだんだん温かくなってきて慣れました。
とてもいい経験になりました。
寝る時には、年下の子とたくさんお話をして、とても盛り上がって楽しかったです。
二日目は、仏様にお供えしました。とても片付けが大変だったです。
朝起きた時後の掃除は、普段あまり朝早く起きないのでとても気持ち良かったです。
食事は、朝昼晩精進料理で、バランスよく食べられたと思います。
私はこの四泊五日でとてもいい経験ができ、いい思い出が出来たと思います。
またこのお寺に来たいと思いました。
私は今回夏休みを利用して天光寺の滝行に参加しました。
私が滝行に来た理由は、受験に打ち勝つためです。
よく、夏を制すものは受験を制すと言いますが、そうなるように、まず夏期講習が始まる前に滝行に来ました。
私にはどうしても入りたい高校があり、そのためには死に物狂いになって勉強しなければいけないので、気合を入れるために滝行をしました。
まず、般若心経を唱えることですごく集中力が高まったと思います。
もしこれから、集中力がなくなった時には、一度心を落ち着かせて般若心経を唱えてみたいと思います。
お百度参りは、私は運動が苦手なので結構きつかったです。でも、繰り返し最後までやり遂げるということに意味があるんだなということがわかりました。
滝行は、最初に、一緒に滝に行った大人の人が入ったのですが、それを見る限り、楽にできそうな気がしましたが、全然そうではなくて、水の冷たさに息ができなくて腰が抜けそうになりました。
何度も出たくなりましたが、それではここに来た意味がないと思い耐えました。
水圧も強く、何度も倒れそうになりましたが、その肩にあたる水圧こそが、気合を注入してもらってるように思いました。
どれもすごくいい経験でした。
気持ちがスッキリして、いろいろ頑張れる気がします。これから嫌なこともいっぱいあるかもしれないけど、この修行を思い出して打ち勝っていきたいと思います。
受験合格したら、また来ます。
僕はママに誘われてついてきたのですが、お百度参りと(滝行・川行・水行)に行って心を入れ替えて励んだり、長文のお経を覚えたり、ある日は「南無大師遍照金剛」と滝行の時にいっぱい言いました。
修行はとても厳しく辛くて、でも楽しいこともあって、たまたま泊まっていた中学一年生のお兄さんと遊んだり、寝る時に話したり、一日一日がこれを機にこれから楽しむときと、頑張るときを区別して、次の日、一ヶ月後もいっぱい頑張りたいです。
修行をして大切なことや、やらなきゃいけないことなど色々なことを教えてもらって、神様への言葉や態度、物を戻すとかいろいろされて、神様はどんな人なのか、どんなことをしたのか、どんなことを考えていたのかを考えて、いろんなことを勉強しました。
この気持ちを忘れず、これから生活に励んで、より楽しく、より大切にしていきたいです。
法話を聞いて思ったことは、神様と神様が対とうしているというのが瞑想で見えた仏教の話や、人が生まれてからどうするのか、なぜ神様がいるのか、宇宙の話などいろいろな話のなかで言いたいことがはいっていてすごいと思いました。
とても面白かったです。
大学2年になり、学業もなれていい加減になっていた僕にある時お母さんから「小・中・高真面だったのに国立大入学してからいい加減になったわね」と言われ、父親に修行をしてこいと言われいやいや参加することにしました。入寺してからスマホを回収され、いろいろ制約が多い中自分とみつめ合うことが出来ました。また高校までは県選抜に入ってたのですが、大学に入学してからスポーツをしなくなり、走れなくなりました。その状態の中、お百度参りは最初はやるのが嫌でしたが、やる内に力が出てきてやりどけることが出来ました。
また滝行では入る前冷たく嫌でしたが、入ってる時に体内から熱が出てきて寒いという気持ちがなくなり、そして全てがリセットされ、
体も軽くなり、有耶無耶が消えました。
1泊2の修行で嫌なこともありましたが、僕より前から修行された高校生とも仲良くなり年齢を問わず、交流できて楽しかったです。
次は友達と一緒来たいと思います。
1泊2日の体験を通じて感じたことは、この道はとても厳しいものだったと言うことです。覚えなくはならないことも多いし、
何より滝行は本当につらかったです。
水圧が強いことも勿論ですが、水の冷たさがきつかったです。サイトの画像でこれを冬に行っているのを見て改めて
仏道は厳しいものだと感じました。お百度参りも体力が必要だし、精神と身体両方が成長できる場所だと思いました。
1泊2日と短い時間でしたが、そんな修行の一部が体験できたのは光栄なことだと思います。
今後の人生のプラスに出来るよう努めたいとおもいます。
僕は今までめんどうくさいことはやらない、辛いことはやらないなどという風な考えをしていて,楽な方へと流されていました。その結果自分をコントロールできず、楽なことだけやるなどというような状況にになっていました。ですがこの寺にきて、嫌なことでも我慢してやることの大切さが完全ではなくても、自分なりに分かった気がします。
朝のそうじ、服のアイロンがけやたたむ作業、お百度参り、滝行、風呂そうじや食事の準備など、辛いことやめんどうくさいことはいくつもありました。ですが、終わった後の達成感はとてもすばらしいものでした。
滝行も始めの方はただ辛くて出たいと思い、それこそ10~15秒しか入れませんでした。しかし、やっていく内に「どうせやるならできるだけ長く入ってみよう」そんな考えができました。
他のことも「どうせやるならがんばってはやく終わらせよう」という考えができるようになり、一時の我慢の大切さを感じました。滝行の場合は最初の方は冷たい、でも次第に身体がなれていって滝の水も気持ちよく感じられるようになる、さらに毎回入る時間が増えていくことで自分も嬉しくなる。そんないいことがありました。
他のことでも、やっているときは辛いでも、終わった後に達成感を味わえるし、はやくちゃんとやれば、その分自分が休んだりすることのできる時間が増える。こちらもいいことがありました。
今まで僕は勉強や生活において、しっかりと我慢をしてやったことがありませんでした。
しかし今回、我慢の大切さを知ったので、それを実践してみようと思います。
勉強も良く考えれれば、我慢して短時間でやればテストでいい点がとれ、さらには終わらせた後、自分が好きなことをすることができる時間を作ることができます。
このことに気がつかせてくれたこの寺、そしてこの寺の方々に感謝しています。僕はこれからしっかり我慢をして、自分をコントロールできるようになろうと思っています。
本当にありがとうございました。
僕は天光寺が、すごくよい場所だと思いました。ネットでは、来てもいない人が悪いことを言ったり、ニュースでも悪いことばかりで、ふしぎに思いました。
食事はみんなで、机をふいたり食べたものを運んだりしていて、食事の前には食べ物に感謝をこめていたので、すごく良い事だとだと思いました。
そうじもろうかやトイレ、本どうなどもすみずみまできれいにしていて、すごくよいと思いました。
なのに、ネットなどでは行ってもいない人が、悪いことを書いたりしていてそういう人たちは、なぜ天光寺を悪く言うのかふしぎに思いました。正直むかついてしまいました。
住職さんにはいろいろな事をおしえていただき、この五日間ですごくよい意味で変れたのではないかなと思いました。
滝行は、できなかったのですが、写経・写仏がすごくできて、本来の目的でもある集中力アップが自分の中ではすごくできたと思うので、良かったです。
般若心経がどうしても覚えられなかったので、覚えられるようにしたいです。光明真言は覚えられたので良かったです。
四つ目は、積極的に行動するという事です。以前は誰か他の人やってくれるから大丈夫、とか、別に僕がやらなくても誰かがやるから大丈夫だと思っていました。ですが、天光寺に来て自分から積極的に行動できるようになりました。誰かがやるからいいやではなく、自分から進んで行うことが出来るようになりました。
これからは、もっと周りを見て積極的に行動出来るように心掛けていきたいです。天光寺に来てから、16日が過ぎました。勉強道具をドリルを添えて送ってくれて、本当にありがとうございます。勉強の方は送ってもらってから、4~5ページずつやっていたのですが、最近は写仏・写経などしていて、あまり勉強していませんでした。
時間を作って、復習をしっかりします。1日1日を大切に言われたことなど意識を確り持つことで、よい意味で自分の考え思い方などをあらためようと、毎日思っています。前まで信じていなかった見えないものの存在も、自分の中で本当にいるんだと変りました。
その理由やキッカケは、何と表していいのか分からないのですが、天光寺での除霊やお祓いを見て聞いて、改められました。そういった見えない者にねらわれたり、とりつかれたりされないために、良い意味で自分の心や考え方を持ち、積極的に取り組み天光寺で過ごす一日一日を大切に、良く考え自分の中にいる悪い者や悪い考えなど、滝行や川行など様々な行を通じてその行に何の意味があり、どういう風な気持ち考えで取り組まなければならないのか、よく考えて行に励んでいます。
他にも真言などに、どんな意味が込められているのかなど考えて、取り組んでいます。瞑想では自身の心、体もそうですがゆっくりと落ちつかせ、感謝・反省・懺悔することで、まず何が悪いのかったか、何にどんなことに感謝しなければいけなかったか、落ちついた身心で考えることによって、前には至らなかった考えや感謝や思いなど、反省することがたくさん思い出され悔やんでいます。
そして、一番大切だと改めて思ったことや、同じ過ちや同じ失敗を繰り返さない。失敗してから学ぶこともたくさんあるが、その後にどういった行動をするのかなど、とても大切だと思います。自分が今感じたことや思っていることや自分は少しでも変化しつつあるのか、自分は本当に家族として認められるのか、お母さんは本当にやさしいでも今まで自分がしてきたことは、一番してはいけないことだった。だから自分に出来ることは何だったか、ふり返って考えている所です。
自分がこの天光寺に居られるのも、家族のおかげでもあり周りの人達のおかげで、過ごせる一日一日を悔いのない生活にし、常に正直な気持ち思いやりの気持ち、自分がやりますという奉仕の心や素直にごめんなさいと言う心など、今まで欠如していた考え方をしっかりと学び考え気づきを大切にして、過ごします。いつも本当にごめんなさい。毎日とても、感謝しています。そして、体調や体に気を付けてください。本当に、いつもありがとう。
学校を中退して、実家の商店を手伝いながら通信制の高校に学んでいます。知り合いから、学校に行かなくとも大学が受けられる方法がいくつか有ると言うことで、通信制の高校とか大学受験検定とかで、大学進学を考えています。通信制はスクーリングがあり検定は受検するだけなのですが、実家に負担もかけさせたくないので、自分なりの方法で仕事と学業を平行させています。
実家にいると、旧友が時々遊びにきますが、最近の旧友がやたら子供に見えたりする変化に、分からずも感じています。半分社会人になっているせいなのか、生徒として旧友は過ごしてばかりなので幼いのか、同じ歳のはずの旧友が別の空間にいるような感覚になりました。
実家の仕事は思ったより忙しく、仕事時間の変化も多くあって、両親の忙しくしている姿に今までは想わなかった感謝する気持ちになりました。
天光寺で体験修行することは、町内会で体験修行を経験した方から、昔と違い今では女でも確りした計画を持ち意識を固めるためには、学校ばかりでない寺院等での体験修行を通して、早く成長した方が良いと聞き、場所や連絡先や簡単な修行内容を聞き申し込みました。
実家からは、電車とバスで4時間以上かかりますが、両親からも背中を押され参加しました。私の参加することには、両親も初めは驚いていましたが、賛成してくれました。
寺院に到着して挨拶して申し込み受付をして、順次体験修行者数名での修行を開始しました。初めは作法挨拶から始め、お経の朗読に入りさらに光明真言に入り三禮と、進んでいきました。同じく体験をする方の中には、同年代だけでなく年長者もおり様々な方が来ているのだなと感心しました。翌日からは早朝から起床洗顔掃除と、続けざまに行を行い全てが修行であるとの教えから、食事も布団の片付けもと、全身全霊で短期の修行ですが、出来ることへの挑戦と思い頑張りました。
写経では何枚か書き記した般若心経を持ち帰り、滝行では冷水の中で感じた無心を思い出し、法話や瞑想では思いもしなかった現実と安楽と苦悩を、教えを思い出しました。帰宅したら両親からは、なんと言われるのかを楽しみに体験修行を終了し、帰宅します。
ノイローゼなのかと思い、天光寺に電話して住職と話をする機会を得て、その中で体験修行することで我が身を落ち着かせてはと助言され、体験修行に参加しました。
体験修行では挨拶の所作から始まり、作法として挨拶や腹式呼吸発声法、お経の練習、三禮を行いました。
中でもお経の般若心経では連続で100回唱え、南無大師遍照金剛の御宝号は500回も唱えました。実のところ翌日には、1000回唱えました。それ以外には、光明真言を1000回唱えて無心になることで、頭の中のもやもやが消えて行くような感覚になり、翌々日にはお百度参りをしてから滝行に打たれることで、気持ちもすっきりした状態に変っている自分に驚きました。
初めは言われることだけを行う体験修行でしたが、徐々にお経のありがたさやお経を書き進める写経では、書いた字に心が表れると言われ神妙になり書き進めました。
中でも光明真言は、発音したことのない発音なので初めは上手く発生できませんでしたが、習いながら始めると少しづつ光明真言の流れがつかめ、少しづつ連呼することが出来ました。連呼では、お経も御宝号も光明真言も、何かの効能があり伝わって来ているのか、不思議な感覚になり体験修行に参加したことに、医院への通院することなく解決できると確信できました。
自分の将来も考えて、確りしないといけないと言う意識で、体験修行に参加して良かったとも電話で相談したときを思い出し、感謝しています。
高校を卒業して、一度は生活してみたいと想っていた都会に、就職を理由にして来ました。私の故郷では、大きな建物もなく車も多く走っていませんし、街中でも人々の往来は少ないのに、都会は全てにおいて建物も車も人も多く、驚きの連続でした。
昼間は会社で仕事をして、帰宅しては会社の独身寮で過ごす、典型的な地方出身者のお定まりでした。休日は同僚と買い物に行ったりもしましたが、慣れない日々の勤務から休みは寝て曜日になることが多いです。衣食住ですが、会社の制服に始まり社員食堂で栄養を取り、寝入る先は会社の独身寮と、全てが会社関連で便利にも、都会を感じさせないで過ごせる環境でした。
就職して一年が経ち、少しの仕事先での余裕も出てきたかに思えた先月に、会社から新人の体験修行で選出された何名かが、天光寺で体験修行を体験し社会人として成長する機会を与えるとかで、参加することになりました。参加では、大人数の企業研修というものでなく少人数の体験修行と言うものでした。私たちは体験修行が、仕事の一環でもあると釘打ちされ、神妙な感覚を持ちながら参加しました。
社内には先輩で体験修行された方もいましたので、天光寺で行われる体験修行の内容を聞き漁り、心の準備と予測できない環境の準備をしました。そして、大まかな体験修行経験者から聞いた内容は、お経朗読に滝行に法話と聞いていましたが、実際には多くの抜け落ちた修行があり、内容も濃厚でそれはそれは驚きの連続でした。
般若心経の朗読は100回、御宝号の南無大師遍照金剛は100回から500回に1000回と、
光明真言は1000回と腹式呼吸を利用しての声出しと、ハードな体験修行でした。就寝では全員が、吸い込まれるように寝入りましたが、早朝起床では、跳ね起こされました。
滝行川行では、弘法大師像の前でお百度参りを行いすぐさま滝行に赴きましたが、冷水の滝行で
今までに体験したことのない水圧とお経の連呼で、意識が少し薄らいだのを感じました。さらに修行は、食事も睡眠も清掃も体験修行とあって、聞くと体験するでは大きな違いが有ったと感じました。
そうこうして体験修行は終了しましたが、終了後に感じた爽快感とお経朗読の余韻で、今回の体験修行に参加できたことに感謝して、体験で知りえた行を次回に結び付けたい感覚になりました。
ありがとうございました。
大学に進学はしましたが大学の講義にもついて行けず、学内サークルにも誘いは有っても入会もせず、立ち寄るところもなく大学と自宅を往復するだけの毎日でした。顔見知りはいるのですが、友達と言えるまでの同級生もいないままに、大学生活を過ごしていました。
天光寺の体験修行は、学内食堂の掲示板に張ってあった広報誌に、「滝行を受けて、向学心を持とう!」と言う表題に目を奪われました。
滝行とは何か、向学心は分かるが滝行とどのような関係が有るのか、分からないが気に成るものでした。受け付けは、学内同好会館の一部屋で、覗くと何人かの部屋の中にいて懇談していました。
入り尋ねると、一回目の体験修行は終わっていましたが、2回目の体験修行に空きがあり申し込むことが出来ました。
申し込むに際して、いくつか質問したり質問を受けたりしましたが、何か受け入れられるような雰囲気があり、申し込みました。今回の体験修行はクラブや同好会ではなく、個人の企画した提案で、精神修行を体験し修行できる企画でした。申し込んでは、同級生や先輩もまじえ初めて学内で話しできる方が出来、嬉しい思いをしました。
学部や学年や趣味思考が違えども、体験修行をすることは一致した私たちは、予約した日時に電車に乗りバスに乗り換え天光寺に着きました。
これから始まる修行では、大学生活中に困難や悩みや様々なことに負けないためにも、体験修行をして心身を清め充実した日々を過ごすための、修業をすると説明を受けました。期日は三泊四日で、外界から離れ修行体験するものでした。体験内容の説明では、言葉挨拶から始まりお経写経や仏様写仏や、お百度参り滝行川行や、瞑想や法話と盛り沢山でした。
修行は滝行ばかりでなく、付属する様々な行を行いあっという間の体験修行でした。今までは知りえなかった体験であり、清々しく爽快な体験でもあり、私達以外に参加して来ていた方との懇談もあり、外界とは閉ざされていたにもかかわらず寺院内での修行体験者交流で、厳しくも温かみのあるものでした。
私個人としてはリピーターとして、年に何度か参加して我が身を充実整えるためにも、天光寺に訪問したいです。
家の関係で進学できず中学を卒業してからは、昼間は工場で働き夜は定時制の高校に行って、仕事と勉強を一緒にしています。来年は何とか頑張った定時制の高校四年間を卒業して、社会人だけになります。社会人になってからは一つの夢があって夜間大学か通信制大学に進学して、初め家の関係で進学できなかったことで悩みましたが、将来は工場仕事から違った仕事で頑張りたいと想っています。
今回の天光寺での体験修行は、現在勤めている工場で、工場長から何人かが推薦された一人として参加したものです。短期三泊四日間の体験修行で、社会人として生きていく上で大切なことが学べると案内されて、推薦を受け了解しました。
体験修行では、午前中に天光寺に一同が参加集合して、早々に修行開始になりました。社会人として重要であり修行する上でも大切な、諸々の挨拶から始まり静寂の中に私達の声だけが響き渡り、緊張感も重なり気持ちも引き締まりでした。
つづいては、腹式呼吸や発声法やお経の練習をして、さらに三禮を行いました。昼食後には、般若心経を連続で100回唱えたり、大きな声での挨拶を練習し、御宝号「南無大師遍照金剛」を500回唱えました。夕食では配膳し食事し食器洗い片付けを全員で行い、その後写経を私語厳禁で正座して行いました。就寝は午後10時で、速やかに寝入るものでした。
翌日は午前中に光明真言1000回唱え、午後からはお百度参り後に滝行を行いました。お百度参りや滝行では、南無大師遍照金剛を常に唱え山の神滝の神への挨拶も行いました。夕食後には、写仏と言う仏様の絵を習字の筆を使い描きました。日々繰返させられる体験修行では、天光寺の住職から多くを教えられました。
滝行以外に川行と言う行があり、川行も行いましたが滝行と違い川に入水して、ただただ自我を清める行でした。
今回の体験修行では、多くを学び多くの行を行い多くのお経文を唱え、最後に「何のために生まれてきたのか、なぜ積極的に生きなければならないか、舞台と役者の演じ方、努力と知恵の使い方」の有難い法話を拝聴して、短期ではありましたが体験修行を終了しました。感想では、積極性と向学心を忘れず、常に前を見て頑張らなければならないと言う教えを受けました。
ありがとうございました。
ぼくは小学生ですが、朝はねむたいし朝飯はあまり食べたくありません。お父さんお母さんは、ぼくがふとんに入ってからもゲームばかりしているので、朝も起きないし朝飯も食べないといっていつもおこります。ゲームばかりと言っても、ゲームで勉強することもできると言うのですが、分かってもらえません。漢字や算数や歴史など、いろいろ今ではたくさん勉強できました。
親はゲームをしないので、ゲームでの勉強をしんようしていませんが、遊びだけのゲームだけでなく勉強できるゲームがあることを、知ってほしいです。学校には仲良しの友だちもいるので、きらいではないけど眠くなることがおおいです。先生からは勉強じかんで寝ることが多いと注意されますが、そのことを親に言われるとおこられるのできらいです。天光寺では大人や子供が何人もいて、みんなでお寺の勉強をしています。眠くなることもありますが、がんばりました。
習字では、なんども知らないむずかしい字を書きましたが、自分が書いたものは自宅にもって帰って大切にするように、お寺の住職さんからいわれました。三日四日のお寺での勉強でしたが、大きな声を出したり同じお経をなんども勉強したので、むずかしいお経のことばをいくつかおぼえました。
テレビやゲームやマンガの本が、お寺ではなかったですが、お寺での勉強やお兄さんやお姉さんや、おじさんおばさんと話ができたことは良かったです。お父さんやお母さんと話をすることが少ないので、うれしかったです。
中学生になって、小学生の時とは違い学園生活に面白みが感じられず、通学したり自宅にいたりしていて親からは不登校にならないように注意されたことで、天光寺での体験修行に参加して気持ちを引き締めるため数日間過ごしました。
初めての自宅以外の場所で、食事したり寝たりするのは初めてでしたが、何人かの同じ体験をしている方などから話を聞いたり少し話したりで、今までは感じなかった知らなかった世の中と言う世界を感じ知りしました。
体験修行では朝が早く、その後の寺院内掃除やゴミすてなど大変でしたが、頑張りました。朝飯を食べてからは、瞑想と言う静かな音楽が流れている薄暗い部屋で、静かに気持ちを落ち着かせ自分を見直す体験を全員でしました。
瞑想が終わると大きな部屋に移り、写経と言う般若心経の書道の書き込みをして、同じように気持ちを落ち着かせる修行をしました。午後には、お百度参りしてからの滝行をして、冷たい水に入り手足の先が冷たくなりながらも、南無大師遍照金剛を何回も言いながら頑張りました。
夕食後は、住職さんの法話を聞き人としての、色々あることを聞きました。寝る時間は午後10時でしたが、少し時間があり同じ体験修行をしているお姉さんやおばさんと話ができました。私だけでなく、何人もの人が来ている天光寺ですが、私のような子供から大人の人までいて、数日間一緒に生活しながら体験する修行では、家では感じないことが多くありました。
親に言われていたことですが、何人もの他人の大人に聴いた話から、学校には行かないと後で苦労することになることなど教えられ、少しですが分かるようになりました。学校で教えてもらうことよりも、天光寺で教えてもらったことは大人になっても通用することなので、良い体験でした。
体験修行は、自分の不登校から親が捜してきた心を改心するための、体験修行でした。私は、進学したものの進学希望する学校には行けず、進学するだけの学校と言うだけでの進学だったので、学校にも興味も持てず友達も出来ず、学業にも向学心が消えたような進学でした。
朝になるとお腹が痛くなり、発熱などもあり学校に行くことを体が拒否している毎日でした。学校の先生の家庭訪問などもありましたが、話ばかりを聞いても思って居るような話にはなれず、先生が帰れば頭から布団に入り込むような、不登校生徒でした。
天光寺での体験修行では、不登校の児童や生徒や学生が親に勧められて来ている人も、何人か居ることを自分が参加してから聞きました。ただしここは、旅行先や林間学校ではないということでした。自然多い天光寺では、早朝6時から起きて夜半の10時には寝るので、自宅の生活と違いテレビも新聞もスマホも観れず読めず使えない場所でした。体験中は世の中のことは分からず、体験を連日行うことで、住職からは積極性が出るように頑張りなさいと言われましたが、時間が過ぎて行くだけでした。
今の学校は行きたかった学校ではないので、通学する気持ちが出ないんです。この頃では、学校よりも就職してから学校に行っても好いのではないかとさえ、思う時があります。ただ、体験修行では、学校では教えてもらえないお経や体験が出来たことは、嬉しかったです。
修行内容は、写経に所作に挨拶の仕方や、お百度参りに滝行と自己責任で頑張りました。食事の時や寝入るときでも修行と聞いて、緊張しました。今は落ち着いています。
進学で都会に、出て来ました。憧れの都会に出て来て、憧れの大学生活を過ごせる夢一杯で喜んでいました。ひとりで生活するのも初めてのことであるし、新しい友達との交流もワクワクする毎日と想い、キャンパス・ライフを過ごしていました。少しの五月病も有りましたが、友達と学業にサークルに楽しく忙しく過ごていました。
天光寺での体験修行は、私の所属するサークルで行われた進入部員歓迎の、体験修行でした。今回の体験修行では、サークル内の融和と個々人の精神修行でした。親からも教えられたことのない、社会での挨拶や声出しや、修行なのでお経朗読や写経や瞑想をして、異空間での修行を体験しました。同じく体験した、サークル仲間とはこれから過ごす過程での、相談などもしました。
天光寺での体験では、他者の参加者も大勢居て様々な意見交換もできました。始めて知る、学外の方々との交流も出来たことには、想いもよらないお土産になりました。
滝行では初めにお百度参りをしてから、順番に滝に入りますが冷水と水圧の凄さに、竦んでしまった方も居て、自分の順番では確りしようと入りましたが、同じく竦んでしまいました。手足の冷たさで、温水シャワーを浴びるまでは生きた心地がしませんでした。滝行初体験では、滝を浴びた方全員が寒さで震えながらも、全員が爽快感で清められ感動しました。
今回の体験修行では、社会に出てからの方が多いらしいと聞きましたが、中には私達のような大学生も居れば、中には小学生や中学生や高校生も居たり、定年後の第二人生を始める前の自己確立で、参加される方も居ると知って驚きました。
ささやかな驚きでは、天光寺で出された食事なのですが、精進料理と聞いていましたので、想いの他期待していませんでしたが、美味しくお替りまでして完食しました。
最後に、修行で般若心経や光明真言など教えられ、大人の仲間入りするきっかけを頂いたような気もしました。
高校生です。両親の許可を取り、天光寺での体験修行を受けました。三泊四日の体験修行ですが、実家で過ごす日常とは違った体験で、進学問題とか交友問題とか生活習慣問題とか、親に心配をかけない成長する自分になるために体験しました。
どちらかと言えば大人しいと言われる私ですが、両親から言うと私はわがままで言われたことが素直ではないと言うのです。親は友人に関しても、いい友だちと交際しなさいと言いますが、今の友だちは悪い友達はいないのですが、親は誰かと誰かとは良くないと言うのです。友だちには言えないけど、気になり顔に出るのではないかと不安です。
体験修行では、心を落ち着かせたり滝行で私の中に有る邪念を祓うなど、初めての経験で驚きました。読めない漢字が多い、般若心経ですが写経ということをして、気持ちを落ち着かせる書道をしました。久しぶりの書道なので、指先が想うように動かなかったりしましたが、頑張りました。
天光寺の住職の話された法話では、人としての有り方やものの考えなどを習いました。分からない話も有りましたが、後になってから分かるような話もあり良かったです。
食事は全て精進料理でしたが、好き嫌いの多い私ですが全てきれいに残さず食べて、自分でも驚きでした。寝るときは数人のお姉さん達と同じ部屋で、睡眠して熟睡しました。
朝は早朝6時に起こされて、普段なら起きれない時間でも起きてしまったことに、実家ではないことなのか緊張していたのか、不思議でした。
起きた後には寺院の掃除をしてから、お粥を食べました。その後に、瞑想の部屋に数人で訪れ瞑想が始まり、静かな音楽の中で自分について考えたり、家族や友達のことを考えたりしました。体験修行の方は、私よりも若い中学生もいたし両親よりも年齢の上の方も居て、同じ修行を時には静かに時は声をできる限り大きく発生して、お経や御宝号を唱えました。これから帰宅しますが、また天光寺に来て自分のためだけでなく、家族のためにも精進したいです。
反省すべき点が多い自分ですが、ここに来てからいろいろと人として大切なことを教わりました。
今まで自分は、困難に直面するとすぐにそこから逃げる癖がありましたが、ここに来て住職さんの法話を聞いて、『困難とは、神様が一人一人の人間に与えた試練であり、神様はその人に乗り越えられるよう一人一人の人間に困難を与えている』ということを知ることができました。この話は自分にとってかなりプラスになりました。それと、正座でお経を読むのはかなり苦しいですが、今までよりも忍耐強くなれると自分自身感じております。
今回ここに来て、自分にとって以前の自分よりもかなり成長できたんじゃないかと感じております。つらい毎日ですが、頑張っていきたいと思います。ぼくは、学校の先生からも、家庭でも「落ちつきがない、あきっぽい」と言われていました。 「4月からは中学生なのだから、この冬休みはお寺に行ってこい」と父に言われたときには、どう言う意味なのか、解りませんでした。父にしかられたあとだったので、「はい」と返事をしてしまいましたが、クリスマスの日に母から「修行に行くんだ」と聞かされた時には、とてもいやでした。
父の車に乗せられてお寺につくと、大学生の人と、父の年齢くらいの人が2人いました。 ぼくが荷物を片づけていると、お百度参りがはじまりました。お寺の人に言われてそばで見ることになりました。おしょうさんから明日は君もやるからよく見ておいてと言われたので、きんちょうして見ていました。
次の日、予定通りお百度参りをしました、冬なのに汗がでる位あたたかさを感じ、はじめ氷のように冷たかった足もいつのまにか、あたたかくなっていました。終わったあと、45分間もはしったり南無大師へんじょうこんごうも600回も言っていたんだと思ったとき、ぼくにもできるんだと自分が大きくなった感じがしました。
ぼくが修行のなかで一番うれしかったのは声を出すことです。長いときには2時間以上もあぐらをして背中をまっすぐ伸ばしたまま集中することができました。同じことを2時間以上も続けてできたなんて本当にうれしかったです。
4月からは中学校で部活に入って、勉強もがんばれると思います。おしょうさん、そしてお寺の人たちには、ありがとうございました。
夏休みにはまたお寺にきたいと思います。その時には滝行をしてみたいです。今回は滝行は見るだけでしたが、夏になればぼくにもできそうです。その時はまたよろしくお願します。3週間という長い間、滝に入ったり、川に入ったり、お百度参りをしたり…いっぱい寒い思いをしました。最初私より早く滝に入って行く人たちを見て、「よく生きてられるな」と思っていました。実際に滝に入った時は、もうバケツの中の水に手を入れた瞬間「こりゃヤバイ、死んじゃう」と思って滝の中に入るのがめちゃめちゃ嫌でした。
でも、いざ入ってみると少しポカポカと体が温まってきて「寒い」よりもしだいに「痛い」に変わり足もマヒして何も感じなくなり、このまま意識が飛んでいきそうでした。滝から出た頃にはもう歩いている気がしなくて頭がぼんやりして着替えるのが大変でした。川は、滝の後に行ったので「死にそう」とは思いませんでしたが、時間帯が遅くて真っ暗だったのでめちゃめちゃ怖かったです。肩まで入る時は寒くてしかたがありませんでした。けっこう流れそうで大変でしたが滝よりも長く入る事ができて良かったです。滝や川以外にもお経を唱えまくったり、大声出したり、写経をしたり、普段の生活では体験できない事ができて良かったです。最初お経が全然読めなくて周りにおいつくのが大変でしたがいつのまにか「般若心経」や「光明真言」「御宝号」を覚え、仏前勤行集を見なくても唱えられるようになりました。お経を2時間ずっと唱える行は、すごくつらくて、頭がボンヤリして酸欠状態にもなりました。でもその次からのお経の行は苦にならなかったので、行の成果かなと思いました。「声出し」はなかなかお腹から声が出せなくてのどが痛くなったりして大変でした。「写経」は1年ぶりに筆を持ち、初めて自ら墨を作りました。「般若心経」は漢字が難しくて、見た事のない字もあり少しあせりましたが、長時間の正座にもなんとかたえながら書く事ができました。
「写経」に込めた願い事が叶えばいいなと思っています。「写仏」はすごく楽しく取り組める事ができました。書いているうちに足のしびれを忘れ、おもいっきり集中する事ができて良かったです。でも、もう「曼荼羅」の写仏はしたくないなと思いました。細かすぎて目が点になるかと思いました。でも、なんとか完成させる事ができて良かったです。
修行は決して楽しいものではなかったものの一緒に行をした仲間達や温かくて優しくて楽しいスタッフさん達、おいしいごはんのおかげで3週間を乗り越える事ができ、とても感謝しています。行をした仲間の方々からも、おもいがけないプレゼントをもらったり、応援の言葉をもらい、ここまで頑張ることができて良かったです。 天光寺での修行で得たものを糧に、これからの人生頑張ろうと思います。 3週間ありがとうございました。
ぼくは、いじめにあってから不登校になり、一年間家にいました。あるときお母さんが、天光寺のホームページを見付けて、ぼくはいくことにしました。それで天光寺に来ました。
最初は、大きな声を出したり、しゃべったりできませんでした。
でも、川行や水行などいろいろしていくうちに自分が変わってきたようなかんじになりました。
スタッフさんと話したり、同じ行をしている人たちと話したりすることができるようになりました。
大声出したりできるようになりました。
がんばるといろんなことができてうれしかったです。川行や水行はつめたくてがまんできなかったけれど何度もやっていくうちにすこしずつがまんできるようになりました。
天光寺で学んだことは、今年中学生になるので、いじめにあったり不登校にならないように学んだことを忘れずこれからいかしていきたいです。天光寺にきてほんとうによかったです。ありがとうございます。僕は天光寺の体験修行をやって思った事がいくつかありました。
一つ目は集中力です。写経やお経を唱えたりとかして、けっこう集中力とかがついたんじゃないかと思いました。
二つ目は滝行や水行はすごく大変な事が分かりました。0度の水の時もあるので、すごくさむかったです。それに滝行や水行の前にやるお百度参りも百往復したりするのもいやになってくるけれど、それのおかげで結構我慢強くなれたなと思いました。
そして三つ目は天光寺の人達に礼儀が悪かったら悪かったと注意したりしてくれて、礼儀とか寺での作法などがすごく分かったので良かったです。お寺では祭壇に足を向けて寝たり、祭壇に向けて足を伸ばして座ってはいけないというのも天光寺に来て初めて知りました。
そして僕がここに来て思った事は、色々便利なものがなくて、いろいろな事に困ったりしました。だけれどここで暮らしていたらそういうのが昔だったら当たり前なんだろうなと思って感謝する事とかを出来たので来て良かったと思いました。
僕はお父さんに対する態度が悪かったり、嘘をついたり、話を聞かなかったり、お父さんの財布からお金をとったり、お父さんの部屋に入ってパソコンを勝手にやったり、没収されたゲームを探してみつけて夜中にやってみつかって怒られたり、怒られて「どうして」と聞かれると、黙ってしまってまた怒られてしまいます。それで「お寺に入って反省してこい」と言われてこのお寺に来る事になりました。最初はどんな人がいてどんな修行をするのかと思って、とにかく泣きじゃくりました。その時やっと、やってしまったことの重大さが分かりました。そして、行くと決まってからやっと反省しました。もうさすがに懲りました。
僕はお寺に来た時とても不安でしたが、ここならちゃんと反省ができそうだと思いました。周りの皆さんが優しくしてくれて、「どこから来たの?」とか「今何年生ですが?」とか聞いてくれて、大人の方たちとも仲よく過ごせました。
でも修行の時はみんな集中して取り組む事が出来ました。ごはんのときは肉とか魚とかが無いと聞いて、本当に食べないと知りました。でも味噌汁とか朝はおかゆとかがおいしかったので全然平気でした。 僕はこれから何をすべきか、どうしたらいいか分かったような気がします。
このお寺に来て良かったことは、人との交流が多くにぎやかで、修行に行くときはピシッと切り替わるのでメリハリのつくいい生活ができました。早起きもできうようになったのでとてもうれしかったです。 僕はこの感想文を書くと言われていやだと思ってました。が、書いてるうちになぜかちょっとだけまじめに取り組めた気がします。文を書くのは得意じゃないけれど、書いてるうちにもうちょっと書こうという気持ちになれました。もしかしたらこのお寺でちょっと変わる事ができたかもしれません。
このお寺にこなかったらいつまでも変わらずぐーたら過ごして悪いことして怒られてまた悪いことして怒られての繰り返しだったかもしれません。このお寺に入れてくれたお父さんに逆に感謝しきれないほど感謝じゃあらわせないほど感謝しています。これからの生活、いつもいつも感謝して怒られたり、悪いことしたり、困らせたり、めいわくかけたりしないように、人として、一人の人間として生きていきたいです。
ぼくがこの天光寺に来た当初は、頭が混乱していました。母に連れてこられて、いきなり「修行をする」と言われたからです。それで、ぼくはここで修行をすることになりました。
最初は、「なんで俺が修行なんてしなきゃ」と思っていました。けれどもすぐに「ここに来た以上は修行をしなきゃな」と頭を切り替えました。もう十六歳になる男が嫌だ嫌だだなんて言ってられないので、とりあえずがんばってみることにしました。朝起きてから、掃除と言われて、掃除をしていましたら、いろいろと教えてくださるお兄さんに怒られました。「なんで怒られなきゃいけないんだよ」と思いましたが、聞いてみると自分ができていなかったことへの注意でした。他にも多々怒られましたが、全部自分が至らなかった点ばかりでした。
例えば、外を掃除する際にゴミを残さないようにしろと言われました。他の人が見逃したゴミでも、自分は見逃さないように、自分が見えたゴミはひとつ残らずはく、隙間に挟まっているゴミも見逃すな、などのことも言われました。ぼくは「何の意味があるんだよ」と思いましたが、こういう風なことを言われました。
「落ちているゴミを全部ひとつ残らずはくことは自分に負けない心を作る。」そこで、ぼくは今までの自分のことを考えました。自分は今まで自分に勝ったことがあるかということを考えました。最近は、自分の欲望ばから優先させて、本当にすべきことをしていませんでした、ぼくは今、高校1年生です。つまり、学生ということです、学生とは、学ぶじかんが 与えられている人と住職さんが言っていましたが、高校に入ってからのぼくは全く勉強をしていませんでした、勉強をしないで、スマフォをいじったりパソコンで遊んでたり、テレビを寝ながら見ていたりしてました。それら全ては自分の勉強をしたくないというただのわがままでした、ただ単に学業から逃避をしていただけでした。勉強をしたくないという自分に負けた結果、学校の成績はよろしくない結果に終わりました。
だから、自分に負けない自分を作ることがここに来た目的の一つであるとぼくは考えます。自分に負けない自分を作ることができたかと思うと、ぼくはできたのではないかと思います。今、本当にやるべきことをきちんと考えて、自分がしたいことは抑えていきます。それが自分に負けないことだと考えます。 そのお兄さんの話を聞いてて考えたことですが、ぼくは両親のいうことを全て聞いていませんでした。「勉強しろ」とよく言われていましたが、先に述べたとおり、全く勉強をしていませんでした。ウォークマンを聞いていて、母の言うことを無視するということもよくありました。ここに来てから頂いた紙に書いてありましたが、「親のいうことは絶対である」そうです。
「なんで聞かないといけないだ」と思っていましたが、ここにいる人たちの話を聞いていく中で理由がわかりました、親が言ってくれることの全てが自分を思ってくれて、言ってくれているからです。今まで自分が親から与えられていたものは自分を喜ばせるためのものであったと感じています、それを当然と思っていた時のぼくはとても恥ずかしいです、友だちが持っているからと言って、自分も持つのが当然と思っていた自分も恥ずかしいです、与えてくれたことに、感謝をしなければならないということもここで学びました、食事もそうですし、衣服や娯楽なども与えられていました。
しかし、ここでは食事はメニューが決まっていますし、衣服も今持っているものしかありませんし、娯楽はないですのでよく分かりました。親もそうですしいなくなってから気付くそのものの重要さですね。
食べたいものを言えば、作ってくれますし、着ているもの全て買ってくれたものでした。両親への感謝の気持ちを少しは分かったと思います。今生きていけるのは全て両親のおかげでした。ぼく一人では、何もできません、父、母がいてこそ、ぼくが生きられますから、両親に感謝の気持ちを持っていないといけません、ぼくは持ち続けられるようにします。感謝の気持ちが重要ということを考えさせられました。自分がここに来て、ここで修行をして、学んだことが多いですが、大きな二つが、今述べた、〈自分に負けない心〉と〈感謝の気持ち〉です。自分に足りないものが少しでも、学べたと思います。
思えば、ここ天光寺に来てからの修業は、正直とてもつらかったです。
まず、声出しです。思いっきり声を出すのですが、ぼくは声をあまり出さないので、最初はほとんど出ませんでした。今は昔よりも出せますが、それでも小さいです。瞑想は、ゆっくりと〈反省〉〈感謝〉〈ざんげ〉について考えることができました。第三の目は、うまく開くことができませんでした。
読経は、とてもしんどかったです。スタッフの方もおっしゃっていましたが、いくらでも楽できるので、弱い自分に負けないようにがんばれました。声が小さくなったりする時もありましたが、気合を入れてがんばりました、呼吸の仕方も腹式呼吸を使うので、慣れてなかったぼくはとまどいました。弱かったぼくは楽な呼吸法で途中までしていましたが、注意されて気付きました。楽なことばかりやってても、自分は強くなれないと分かってからは、つらくてもがんばりました、高校生なのに、あまり声が出ないと、よく言われました。それでも僕は大きな声をだせたと思っています。
お今日も大体は覚えることができました、最初、〈般若心経〉なんて覚えられないと思っていましたが、今では教本なしに唱えることができるようになりました。覚えられた時には達成感がありました。暗記できても、声が小さいと怒られたりもしました。声を出せる限り出すことは、疲れましたが良い修行になったと思っています。滝行は、初回は正直とても恐怖を感じました。一回滝に入った後に、あまりのきつさに出てきてしまいました。けれども、自分に負けてはいけないと自分を引き締めて滝に戻りました。
痛かったけれども、耐えきれました、終わった後は、頭がフラフラしていましたが、大丈夫でした。耐え切れたという達成感もありました。二回目も少し恐怖がありましたが、普通に入れました。慣れというものなのか分かりませんが、案外落ち着くことができました。
ただ、もっと昔から修行をしていた人に言われましたが、冬は滝が凍っていたり、春はもっと勢いが強く、冷たいそうです。今の時期は一番楽な時期と言われました。それでも、ぼくにとっては今の時期もきつかったです。川行も今の時期は楽だそうです。川は滝よりもきつくはなかったですが、それでは駄目とお兄さんに注意されました。ですので、二回目の川行は自分を追い込むために頭から水には入っていきました。
頭から水を浴びると、呼吸が全くできずにとても苦しかったです。呼吸ができなかったんですけど、お経を唱えて気合を入れました。終わったあとは清々しい気持ちになれました。滝行・川行の前に行うお百度参りは、体力に自信のないぼくでしたが、走り切ることができました。けがをしたりしました。声も大きく出せませんでした。でも、良い汗が流せました。
写経・写仏は、先が細かったので神経を使いましたが、ゆっくりじっくりと書けました。書道は得意ではないのですが、好きですので楽しんで写すことができました。書き終えると、やはり達成感がありました。正座をするのは足が痺れて少し痛かったです。
そして、一番つらかったのが三禮です。初回はとても苦しく挫折しそうになりましたが、ここで負けてはいけないと気合を入れ、がんばりました。汗も半端ないほど出ていました。それでも、自分に負けないように最後までやり遂げました。終了した後は、頭がくらくらしていて、ひざの皮が剥けていました。
終了した後は、頭が今にも倒れそうでしたが、何とか保ちました。二回目にやったときは、二回目というだけあって一回目よりも声が出せたと思います。正座して、立ち上がって、正座してを繰り返している動作ですが、けっこうきつく、つらかったです。けれども、がんばれました。修行はどれ一つ楽なものはありませんですが、我ながらよくがんばれたと思っています。厳しい修行の中で得られるものもありました。特に重要なのが、感謝であるとぼくは思います。正直、〈感謝〉という気持ちについてはよく理解はできませんでした。
けれども、ここで修行をし、修行しに来ている人たちの話を聞いているうちに理解ができたと思います。ぼくは親に感謝をしてないと言われましたが、今はそのことが恥だとわかっています。今、着ている服は親がぼくに買ってくれたものです。それに対して、ありがたいという気持ちを持たなくてはいけません。服を買ってもらえない人だっているかもしれないのに、僕は買ってもらえる、そんなことを当たり前と考えた自分が本当に何様だったのかと感じています。
でも、今の自分にはそれがどれだけ幸せなことなのか分かります。両親が仕事をして、お金を稼いでいるからこそ、こんな生活ができているので、ぼくが恵まれているということを深く感じました。それなのにぼくは、仕事をして帰って来て疲れている母に、何も思っていませんでした。それでも、食事を作ったり、家事をしている母を少しでもいいから手伝いをしたり、声をかけたりするべきでした。今手がそうできなかったのでこれからそうします。これからのぼくは、感謝の気持ちを忘れず、親のいうことをきちんと聞き、自分に甘えず、自分に負けないように来ていきます。ここでいろいろな方とお話をして気付いたことも大事に胸にしまっておき、すぐに引き出して思い返せるようにします。今までの弱い自分とは決別をして、少しでも自分に強い人間になれるようにします。努力をしてもっとより良い人間になれるようにしていきます。ここで教わったことを忘れず、ここに連れて来てくれた母、ここお世話になった方々に感謝をしてこれからもがんばっていきます。
自分は今までは嫌なことや苦手なことから、楽な方に逃げて、自分の好きなことや楽しいことばかりしていました。そのせいで、学校にも行かずにほとんど家にこもりがちな生活を毎日していました。
でも天光寺に来て、規則正しい生活をして、辛い行をするうちに、いくつか大切なことを教えてもらったり、知ることが出来ました。一つは親への感謝です。
天光寺に来て、一番つらかったのは、お父さんとお母さんに会えないことでした。毎日不安でさびしくて、会いたくて仕方ありませんでした。そこで、親には育ててもらっているだけでなく、心の支えにもなって貰っているんだと気付きました。 次に教えて貰ったのが、嫌な事や苦手なことに一歩踏み出して挑戦することです。自分は滝行の水が冷たくて苦手でした。毎回自分でブレーキをかけてしまって、滝のかなり手前で終わっていました。けれど、最後の滝行の日に座ってからだけど、気合いを入れて後ろに下がって、少し耐えることができました。それが終わった時の達成感はものすごく大きかったです。
他にも、自分から積極的に動くことも学びました。
自分は天光寺に来たはじめのころは、食事の後片付けの皿洗いなども他の人にまかせて、部屋のすみの方で、ただ立って終わるのを待っていました。でもしばらく過ぎたころから、自分から皿洗いなどの後片付けをやるようになりました。自分からやると、とてもすがすがしい気分になりました。それから、食事のありがたさも知ることができました。
たけのこ狩りに行った時も、はじめての経験だったので、たけのこを見付けるのでさえ一苦労でした。更にまわりの土を掘って、切り取るのも大変で、とったたけのこを持ち帰るのも重くて苦労しました。そのようなことをしていくうちに、普段食べているごはんの食材の一つ一つに人々の苦労がかかっているんだと思いました。
その他にも人とのコミュニケーションの大切さなど、さまざまなことを学ぶ事ができました。
だからこれからは、天光寺で学んだことを活かして、性格が明るく、自分から積極的に動く、人をひきつけるような人になりたいです。また、親に心配をかけさせたり、悲しませたりするのではなく、逆に喜ばせられるようになりたいです。 天光寺から家に帰って、学校に行けるかどうかは自分でもまだわかりません。でも行ける勇気を持った時は、滝行でやったように、一歩ふみだして行きたいと思います。
ここに来た理由は、親に迷惑をかけたからで、具体的には、友達関係、法に触れること、家に帰らなかったりもした。だからつれてこられた。
でも、親は自分によくなってほしいからつれてきたっていうのに気づいた。こんなに迷惑をかけたのに、大事に思ってくれていたんだと思う。ここに来て、行をやって、親に迷惑をかけたってこともようやく気づいた。本当に気づいていたら、こんな事できなかったと思う。そして、こんな自分を育ててくれた親、大事にしてくれる親に感謝しなくてはならないと思った。ここに来て電話があった。寒くなったけどいるものある?家にいても、自分のことを心配、気づかってくれていた。そんな親に迷惑をかけて自分は、バカだった。
だから、親に感謝の気持ちと、反省の気持ちを態度と行動で表したいと思う。そして、もう一つの問題は、高校に進学するかどうか。ここに来て住職さんやお坊さんと話をして、進学することに決めた。どんなに勉強が遅れていても本気になればすぐとりもどせるっていうのを聞いた。だから、とりあえず高校はどこの高校でもいいから行きたい。そして高校で勉強に集中して、悪い方方向に流れない。今、頑張って大人になってから、良い人生を送るようにしたい。
やっぱりこの年は未成年ということもあって、家族の支え、周りの人の支えがないと生きていけない。だからこれからは反省と感謝を忘れずに、今までとは違う人生をおくってく。
僕は不登校を半年ぐらい続けて、親がここへ連れてきました。正直、最初に住職の話を聞いた時は、この人何言ってる人だろうと思ってました。ここで、どれだけ過ごしにどころで学校なんて行きたくないと思ってました。最初の方はやる気はなかったです。でも行をしていくうちに、だんだんやる気が出てきました。
四日目で初めて川行をやりました。このときは、まだお百度参りを超めんどくさい茶番程度にしか思っていませんでした。そして、川行も正直余裕でしょ!くらいに思っていました。でも、いざ川に入ると想像を絶する冷たさにびっくりしました。本当「死んちゃうんじゃないの」というくらい冷たかったです。僕はすぐに出ました。出たら、さっきまで冷たかったはずの外がすごく暖かくて、ビックリしました。僕はこのとき「生きているんだな」と感じました。それでなぜか、すっきりした気分でとても不思議な感覚でした。
五日目は滝行でした。滝を初めて見た時予想よりはるかに少ない水量で「何だチョロイじゃん」と思いました。しかし、入ると昨日のような冷たさに加え、滝のしぶきが体全体に当たり、すごく痛かったです。何が何だか分かりませんでした。でもまた滝から出るとすごく暖かくて「生きてる」とまだ、感じました。
それとやはり数秒までは痛くてつらかったはずなのにすごく心がスッキリしている自分がいてビックリしました。学校へ行こうとしっかり考えたのは七日目の土曜日です。それまで、色々な行やって色んな人と話して、今僕がおかれているこの時代がどれだけ大切なのかが分かってきました。僕はここに来る前学校というものの価値観、そして僕がしている事への危機感が全くに等しいほどありませんでした。でも今は、前に比べれば、分かってきた気がします。今は学校で勉強することよりも、学校に行こうという行為そのものが一番重要な気がします。それは同世代の人と話ができるからです。ここに来た大人の人達によく言われたのが、「大人になってあんな上下関係なしに話ができるところはない」です。そう言われると学校に行って友達としゃべってるだけでも人生においては相当な財産かなと思えるようになってきました。それで、どのような人も「中学の勉強はそれから先の基礎だから、しっかりやっておいた方が絶対にいい」と言われて、勉強が遅れている事に関しての危機感も覚えました。なので今は学校に行きたいです。
そして、学校の事以外にも色々な事を学びました。まず、仲間や友達など、周りにいる人の存在です。
今まで意識した事はありませんでしたが、どんな時も常に周りに同じ事をしている人がいました。ここでも、最初の一週間はそうでした。いつもAさんがいてくれました。しかし、いざAさんや短期の人がいなくなり、自分一人になると、すごくさびしいです。今までは行が終わって言われた「おつかれ」や「キツかった」などの一言がないからです。何かを共有する仲間がいないのはこんなに寂しいかと思いました。ここに来て、あたりまえが、あたりまえじゃないことに気付き、周りの人への感謝も覚えました。その周りの人の中でもやはり、家族への感謝が特に強いです。ここに来て自分が変われたのも家族がここを見つけてくれて連れて来てくれたからだし、家族が働いてお金を出してくれているからこそ、僕はここにいます。それに正直いつでも会えた家族にこんな長い間会えないのは寂しいです。だから、僕は家族がいる事への感謝、その存在の大切さがよく分かりました。それと、生きていることへの感謝も分かりました。今までに「生きていることに感謝しろ」と言われても訳が分かりませんでした。でも今なら分かる気がします。川や滝から出た後のスッキリ感や、暖かさや、中に入ったいるときの冷たさ、痛さ、も生きているからこそ分かることです。それに、生きているからこそ、僕は今こうやって人生をやり直そうとしています。生きているというのは普通に考えたらあくまで大前提しかないですが、今こういう経験をすると、すごく大切なことなんだと思います。それに自分が自分を超える嬉しさも分かりました。今まで「自分を超えろ」と言われてもサッパリでした。しかし、今ではよく分かります。なぜなら、川行や滝行での目標が高くなっている自分がいるからです。最初はずっと最低ノルマでいいやとか思っていましたが、今ではタイムを伸ばすことを楽しみにしている自分がいます。チャレンジ精神ってこういうことかと思います。これから学校でも前に進み続けていきたいです。
僕は、天光寺にこれで本当によかったです。これからは周りへの感謝を忘れずに学校に少しずつでも行きたいです。ありがとうございました。
僕がこの天光寺に来た理由は自分自身を変える為に修行をしに来ました。最初、寺に行って修行をして来いと、家を出したのがじいちゃんでした。ここに来る前の僕は本当にどうしようもなく、ただただ自由に生きているだけの毎日でした。「面倒見切れない」という言葉をさんざん言われ続けて来て、正直どうでもいい生活をおくってきました。姉もその僕を見て「もう家にいないで」など色々言われて来ました。そんな中じいちゃんが「お前は変わらないとだめだ」と言い、親にむりやり連れて来られたのがこの天光寺でした。一番最初は不安でいっぱいで修行なんていやだって思っていました。
まず、修行と言われ感じた事は「18で修行ってあり得ない」「何で俺がそんなお坊さんみたいな事をしなきゃいけない」と色々思いながらここに来ました。
いやいやでこの場所に来たはずの僕が一ヶ月の修行をほぼ経えて今だからこそ言える言葉があります。
「この天光寺に来て本当に良かった」そう思えるでき事がこの一ヶ月間に沢山ありました。一日目はやっぱり不安だけでいっぱいだったので、何をすればいいのか分からないままでした。最初、受付を済まし、いきなり訳の分からない所に連れられ気付いたら、目の前でお経を唱えていたり、何だこれという事がありました。不安な気持ちから修行に入るというのは、ちょっと僕にとっては厳しい事で、いやになった時もありました。友達とも離れて生活するわけだし、どことなく寂しかった時もありました。中に入ったら、知り合いはもちろん一人もいないし、僕は親から一ヶ月間修行いってこいと言われ最初、だらだらやってたけど、ここでやっていく内に思ったことがあります。「一ヶ月やるなら、逃げずにきちんとやり切ろう」そう思う気持ちが徐々に出て来て修行に励む形になりました。まず、ここに来たら、一人でやっていこうと思った事、だれとも仲良くせずに修行一日終える事、この目標を立てて僕は修行に励むつもりでした。でも、この天光寺に修行しに来ている人達は僕の思う想像以上に優しい人達ばかりでした。ここに初めて来たのが1月26日、その日の人数は僕も合わせて7人いて自分はずっと一人行動でした。でも一緒に修行を行う事によって人と絶対しゃべらないというのは難しい事で、昼飯の時に向こうの方から話しかけてくれた事がちょっとうれしかったです。自分には一緒に行をしている仲間がいる。この場所に自分一人で立っているわけではない、という事を、行をしているときにあらためて感じました。
この一ヶ月で学んだ事はいくつかあります。色々なありがたみとか、色々な感謝とか、今まで出来てなかった事が天光寺に来てようやく出来るようになった気がします。僕はこの場所に来て感謝と礼儀正しさを覚えました。今までそういう事をしてこなかった時もありました。今までも俺の為にしてくれた人にも、あまり深くは感謝した事はあまりなかったし、これといった良い人生もあまりおくれてない時もありました。でも、ここに来てただ覚えるだけではなく、生活も大幅に変わりました。朝起きる時間6時、寝るのは10時いった規則正しい生活を続けていく上で見に付いてくるもの、こういったことも普段の生活とは違うので最初は全く慣れなかったです。天光寺では決まり事もきちんとあるし予定もきちんと立てているし、ここに来ると今までおくってきた生活もきちんと直していこうという気持ちにもなりました。人生をもう一度見直すところまではいかないけどある程度自分の中では、少しは見直せたと思います。自分が変わったか、どうかは自分ではあまり分らないが、他人から「お前変わったよ」と言われたら、すごくすっきりした気持ちになります。仲間がいれば修行もすごく楽しくなるし、コミュニケーションも取れやすくなって確実にいい方向に進んでいると今はおもっています。前まで、だらだらした人生が一気で変わったのがすぐに分かって水行が終わった後は生きている事が素晴らしく感じました。毎日生きて来て一日一日普通にだらだら過ごして来た天光寺に来る前の自分とこの一ヶ月間修行を終えた後の自分を思い出し見比べてみると自分でさえも変わったというのが分かります。この寺で過ごした時間は最初は遅い遅い思っていたけど、今思うと何だかんだ言って早く感じました。
僕はこの修行を終え、家に帰ったら、まず、やることが沢山あります。その中の一つに仕事が含まれていて、今やっている仕事をやめて、新しい仕事先を探そうと思っています。その時でもいいし、仕事している最中でもいいから、この天光寺で修行した事を全部思い出して、一からやり直し、生活態度も変えようと思っています。これでもまだ生きていく上で道を路み外してしまったら、また、あの時、あの時を、思い出し、やっていければいいと思っています。そして、それでもだめだったら、この天光寺に足を入れて修行を行えたら、もう一度してみたいです。ここで出会った行の仲間との思い出、辛かった修行、僕が変われたのも天光寺の皆のおかげだと思っています。
もう一度、出来る所からやり直してきちんとした生活もおくれたら良いと思っていますし、感謝の気持ちも忘れたくないのでこれからも、修行を終えてからも親にあまり迷惑かけずに頑張っていきたいです。
僕は、お寺に来て家族へ今までしてきたことがどれだけ情けないことなのかを理解しました。
また、何故自分がお寺に連れてこられたのか分かっていませんでした。僕は理由があるから連れて来られました。例えば、親に暴力や暴言を発することや、妹と仲良くしなかった事、お母さんのしている家事や仕事をバカにしていました。
本当に今では情けないです。何の理由があろうとも暴力や暴言は決して良くないですし、家族とは仲良くするもので、しかも、育ててくれているお母さんをバカにするなど本当にあり得ないことだという事にお寺の辛い修行を行ってきて深く感じました。そして、僕は家族を大切にしなかったから連れて来られたのだとしみじみ理解しました。それから、家族はいつでも仲良く大切にし合うものだという事も理解できました。最近では、家に帰ってから、家族と幸せに暮らすにはどうしたら良いのかを考えながら生活しています。例えば、家に帰ったらお母さんの洗濯物の手伝いをしたり、食事の準備の手伝いをしたり、挨拶を毎日したり、妹の勉強を教えたりしようといろいろと考えながら、生活しています。そして、早く家に帰るにはめそめそするのではなく、今を頑張ることが一番だと言う事も理解できました。
お寺に来て何よりも人は変われるものだという事を学びました。だらしなかった僕が今ではきちんとした生活を出来るようになったことなど。このことがお寺で一番の収穫だと僕は思います。
私はここに来てから今までの自分自身を見つめ直す事ができました。
まず、今まで人と助け合うということを知りませんでした。しかし、ここに来てからいろんな人と接するうちに助け合う大切さを知りました。もう一つは、家族の大切さを改めて知ることができました。
以前までの私は、親が身の回りの事は何でもやってくれると考えていました。ここに来てから、食事の配膳や洗濯物の整頓など、自分でやってみて今までこんなに大変な事を毎日親がやってくれていたんだと、初めて親の苦労を知ることができました。
しかし、まだ自分には改善すべき点がたくさんあると思いました。まず、分け隔てなくたくさんの人と会話できる様に努力しないといけないと思いました。それに、挨拶も人と接する上で今の自分に必要だと感じました。
反省すべき点が多い自分ですが、ここに来てからいろいろと人として大切なことを教わりました。今まで自分は、困難に直面するとすぐにそこから逃げる癖がありましたが、ここに来て住職さんの法話を聞いて、『困難とは、神様が一人一人の人間に与えた試練であり、神様はその人に乗り越えられるよう一人一人の人間に困難を与えている』ということを知ることができました。この話は自分にとってかなりプラスになりました。
それと、正座でお経を読むのはかなり苦しいですが、今までよりも忍耐強くなれると自分自身感じております。今回ここに来て、自分にとって以前の自分よりもかなり成長できたんじゃないかと感じております。つらい毎日ですが、頑張っていきたいと思います。
自分がここに来た理由は、勉強もせず親に迷惑を掛けて悲しませていたからです。
まず、自分は野球部に居て朝練がだるく学校にも行かなくなって親の仕事にも迷惑を掛けて引っ越すことになりました。
その先でも上手くいかず、また同じ事をしてまた親を悲しませていました。
毎日を同じように過ごして外にも出ず、学校からの電話が前の学校の時と同じように親の仕事に迷惑をかけていました。また仕事が出来なくなったら自分は食べていけなくなるのに危機感を持たず怠けて過ごしていて、そんな自分を生活させてくれる親を傷つけていました。
塾にも通っていて個人指導なのでそこまで難しくもないのに行かなくなり、塾のお金もムダにしてしまいました。
家でも勉強をしていないのでどんどんついていけなくなります。
親も困り同僚の方から紹介された天光寺に行く事になりました。その時はそんな所もあるんだなと思いました。
その後、その話も忘れてまた、同じように毎日を過ごしていました。
天光寺に来る前日になって急に嫌になって暴れて、親を悲しませました。
ここに来るまで、正座を全くしていなかったので痛くて動いてしまいます。
一緒に来た親も帰ってしまい自分一人だけで集団の中に居ることに驚きました。
正座であいさつの練習をした時に泣いてしまってとても情けなかったです。
自分は掃除を親に任せっきりだったので自分でするのは疲れました。
トイレの掃除は汚いと感じてすみずみまでまでやる気がなかなか起きませんでした。
親にどれだけ迷惑をかけていたか分かってきました。もっと早く気付くべきでした。
今までの生活がどれだけ怠けていたのかを考ええると何をしていたんだという気持ちです。
自分はここでの生活が終った時にしっかりとした自分を見せたいです。早く帰りたいと思ってしまう自分に負けないよう頑張りたいです。
正座も出来るだけ我慢して長時間じっとしていられるようになりたいです。
猫背は親によく指摘されていたので体がしっかり一本の線のようになった自分を見せたいです。
ここでの生活が終わるまでに自分のよくなかったところを直して親に良かったと思われたいです。
汗をかいて、あんな家にずっと居る生活よりずっといいと思い、運動もできるようになればいいなと思います。
自分は、なぜここに来たのか考えてみて自分のよくないことがどんどん分かっていきます。
前の生活に戻りたくないです。ここでの生活が終わった時にまた前の生活の戻るかは自分がどんな風のするかなのでその時にしっかりとした事ができればいいと思います。ここに来てもう1週間たちました。長いようでみじかかったこの一週間。この1週間を改めてふりかえるとあんがい楽しかったようなきがします。
ぶっちゃけ、本当は四泊五日で土曜日に帰る予定だったけど、母親が迎えに来て車に向かう途中、母親が「やっぱり、あと三日、ここでがんばれば?」と言われ、最初は「はぁ? ふざけんな」などと反対しました。しかし結局、また三日ここでがんばることになりました。
本音を言うと、嫌でした。ご飯は美味しいけど、大好きな肉や魚が出ないし、食器洗いや洗濯は自分達でやらなくてはいけませんでした。それに、ほぼ毎日お経をとなえなければいけませんでした。
生まれて初めて見る滝はやっぱり迫力がありました。滝に入る前に体を清めるために塩と日本酒をなめさせられ、そのあとにしたのが滝の水をバケツに入れて自分にかけることでした。めちゃくちゃに冷たくて凍るかと思いました。いざ滝の中に入ると凍るどころか滝の水になるぐらい冷たかったです。しかも、滝に入って約二分後に座れと言われました。頭のすぐ上が滝の水で、回りの音が全然聞こえませんでした。
滝に打たれていると死ねるぐらい冷たくて、滝から出た時は体がキンキンでした。
滝行が終った後は自分の邪念がなくなったように思います。
体験修行に来ていた、色々な人達と話せたことはとても勉強になりました。僕が天光寺に来て、三週間と一日になりました。
僕は天光寺で変えていきたい事があります。
一つ目は、すぐに逃げるという事です。
今までは、嫌なことがあると、すぐに逃げてしまいました。天光寺に来てから、三週間で、その気持ちも変わってきました。お百度参りや三禮など、つらいことは沢山ありますが、逃げずにしっかりとやることが出来ています。あと何日居るかは分かりませんが、もっと変えていけるようにしていきます。
二つ目は、すぐにサボるという事です。誰かに何か頼みごとをされても、行わずにサボったりしていました。天光寺に来てからは、周りの人たちに頼みごとをされたら、すぐに行動してサボらないように心掛けることが出来るようになりました。今までは、面倒くさいとか、色々と思って、サボったりしてきました。でも、天光寺では面倒くさいと思わずにすぐに行動することが出来ました。これからはもっともっと出来るように心掛けていきたいです。
三つ目は、自分で考えて行動できるようになりました。いつもは、分からないことがあればすぐに周りの人に聞いて、一度行ったことのあることでも面倒くさがって、すぐ周りの人に聞いたりしていました。でも、天光寺では、一度教えてもらった事は、しっかりと覚えて、次からは自分で考えて行動が出来るようになりました。あと、以前は一つの事が終われば、次の事を頼まれるまでぼーっとしていましたが、一つの事が終われば、次の指示を待つのではなく、自分から聞くことが出来るようになりました。
これからは、もっと自分で考えて行動出来るようにしていきたいです。
四つ目は、積極的に行動するという事です。以前は誰か他の人やってくれるから大丈夫、とか、別に僕がやらなくても誰かがやるから大丈夫だと思っていました。ですが、天光寺に来て自分から積極的に行動できるようになりました。誰かがやるからいいやではなく、自分から進んで行うことが出来るようになりました。
これからは、もっと周りを見て積極的に行動出来るように心掛けていきたいです。
五つ目は、根性です。天光寺に来る前は、すぐに諦めたり、やめたりしていました。天光寺に来た初めに行った滝行でも、途中で諦めてすぐに出てきていました。でも、三週間で滝も以前よりはものすごく入れるようになりました。だからもっと、根性をつけて自分の弱い心に負けないようにしていきます。僕が学校に行けなくなったのは、小学校6年生の頃にいじめに遭っていましたので、学校に行くのが怖くなってしまい行けなくなってしまいました。いじめられた理由は、一人の友達だと思っていた人と喧嘩をしたら、周りの友達だと思っていた人が全員喧嘩した相手側について、集団で無視されたり体操着の袋で後ろから殴られたりして、突然みんなに裏切られて、人を信じるのが怖くなってしまい、誰を信じていいのか、よく分からなくなり誰にも相談せずに一人で色々と悩んで、何もかも嫌になり家に引き籠ってしまい、なかなか学校に行けませんでした。 学校なんて行かなくてもいいやとか、どうなってしまってもいいやとかなどマイナスなことしか考えなくなってしまいました。お父さんや友達に将来の為、とか言われてもよく分からず楽な方、楽な方という考えでした。嫌なことからすぐに逃げればいいという考えでした。今までは、先生が家まで来てくれたり、友達が家に様子を見に来てくれたり、お父さんが学校に行けるように色々してくれていたことに感謝の気持ちなど持たずに煩わしいというような気持ちしか持っていませんでした。
でも天光寺に来て、一か月居て考え方がガラリと変わりました。一番変わったのは、色々なことに感謝の気持ちを持つことが出来るようになった所です。
今までは当たり前だと思っていたことも天光寺に来て当たり前ではないという事に気付けるようになりました。お父さんには、特に迷惑を掛けてきたので、申し訳なさと、感謝の気持ちを持つことが出来ました。あとは、大変な事を避けても最後にはもっと大変な事があるという事に気付くことも出来ました。あと、一歩を踏み出す勇気を持つことが出来るようになりました。天光寺を出てからもこのことを忘れずに、学校に行き、今までもらった恩を一つでも多く返せるようにしていきます。