企業研修の感想文・体験談
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「発した言葉が言霊になる」と言っていたことが最も印象に残りました。日頃、愚痴やなき言を口にしてしまう事が多い自覚があります。口に出すことで言霊になり、自分の耳に入る。ネガティブな情報をより強く自分に与えてしまうことになります。今後はネガティブな言葉を減らす事を心がけます。そして辛い時、困難に立ち向かわなければならない時、前向きな言葉を発することで乗り越えていきたいと思います。
次に印象に残ったことは「人生の主役になるか、負け犬になるか」という言葉です。それは自分自身を大切にする事だと解釈しました。しかしそれは決して欲望のままに好き勝手に生きるという意味ではありません。「どうせ自分なんか」という自分を粗末にする考えをしないことだと思います。私自身「どうせ自分なんか」「自分はこのレベル」と思ってしまうことがあります。そのような考えを改め、積極的な姿勢で人間力向上につとめることが、自分を大切にすることだと思います。私自身のオンリーワンを探求し自分の価値を高めるために今後も努力していきたいと思います。一泊二日の企業研修でした。当初はお寺の研修ということで礼儀作法やマナー中心の研修になると想定していましたが、蓋を開けてみると肉体的にも負荷の高いもの(滝行等)も多く、肉体的にも精神的にも良い学びの機会を得ることができました。
滝行に臨むにあたって、南無大師遍照金剛を唱えることは印象的であり、当初はなぜ唱えるのかがやや懐疑的であったが、いざ滝行になると唱えずにはいられないというより、唱えることで滝行中の雑念や恐れなどを打ち払って滝行に取り組むことができて良かった。
滝行以外にも各所で作法や礼儀に払っており驚いた。一般的にはあらゆる局面で挨拶や決まった礼節などがあることは億劫に感じるかもしれない。しかし同じ言葉を絶えず繰り返すことは脳にインプットされ、刷り込まれていく。やがて条件反射的に、適切な場面で適切な言葉や作法がアウトプットされるようになるだろう。なぜこのことを取り上げたかというと、この考え方は会社や組織にも応用の効く考えだと思ったからだ。一般的に会社や組織において働くメンバーの能力やスキルセットがほとんど同じであるいうことはあまり考えられない。多くの場合、そこに従事するメンバーの年次や経歴などから能力やスキルセットには差が生じてしまう。とはいえ、会社組織で事業に取り組む際には、なるべく全員の能力
やスキルセットを盛り上げたいと考えるはずだ。会社組織やチームのスタンダード、価値観を底上げするには、この念仏的思考は非常に有効だと考えられる。毎日幾度となく同じシーンで同じ言葉や作法を説かれる。それは身体に染み込まれ、いつしか考えるより先に身体が動くようになる。仕事においてもチーム内のベストプラクティスや良い考え方を適切なシーンで繰り返すことで、チーム全体のアップデートなどが実現できるだろう。
このように今回の研修では、仕事への転用のヒントも見つけることができ良かった。私が研修の中で、最も印象に残ったのは、「しっかりとした挨拶」でした。それによって「チャンスを掴めるか」によって「舞台で役者を演じる」ことができます。これらの言葉は全てご住職が仰っていたことです。人脈があることによってチャンスが生まれる。いつどこに潜んでいるのか分かりません。だからこそ、誰に対しても丁寧な挨拶で振る舞うことを教わりました。
特に「頭を下げる時と上げる時の速さを一定にする」ことが大切だと感じました。なぜなら、それができている人がとても少ないからです。それだけで好印象を与えることができます。よく考えれば当たり前のことですが、大体の人ができていないことなのです。だからこそ、当たり前のことを当たり前にするということがこの世の中で大切だと改めて痛感した研修でした。
また、言われたことをきちんと行うということを強く意識した研修でもありました。これは、当たり前のことです。しかし、自分を含め周りの人も同じことを言われてしまう場面が多かったです。言われたことに対して、ただ返事をするのではなく、責任を持った返事を途中から意識しました。そうすると、自然に声は大きくなり、はっきりしていることに気づきました。いくら表面では意識しているといっても、そういった細かい部分に人間性が出るものだと思いました。今までなんとなくやっていたことが、自分にとってどれだけ大きな意味を持っているのか改めて知れた研修でした。
まとめると、凡事徹底によって、人生が好転すると感じた研修でした。誰よりも当たり前のことに対して百パーセント以上で取り組む。たったそれだけで、特別な人間になれると強く感じました。だから目の前にある物事に対して、今に対して真剣に向き合うこと。今から徹底して行動します。例えば、きびきびとした行動、ちょっとした移動など、ふだんよくある状況です。しかし、そこで機敏な行動をするだけで、私生活は一変します。だらだらとしていれば、全てがだらだらしてしまいます。こういったさりげない行動が大切だと感じています。今思えば、一日目の研修で言われていたことが分かります。この気づきによって、自分は今以上により成長できます。この文を書き終わる今から凡事徹底された人間を目指し、精進してまいります。このような貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。結果で恩返しします。
天光寺にて研修を行いました。一日目はまず般若心経を繰り返し音読しました。初めて見る漢字も使われていましたが、それぞれに意味が込められていることを知りました。次にお百度参りを行いました。神様に向けて御宝号を唱え走り続けることは余計な事を考えず、無心になることができました。自然豊かな場所で声を上げて走ることは普段しないため、貴重な経験になりました。続けて滝行を行いました。冷たい滝の中で御宝号を唱えることは体力をかなり使いますが、大変なときも強い意志を持って行動することを学びました。一日目の最後に写経を行いました。写経を筆で行うことで集中力が身に付きました。
天光寺では精進料理を食べました。野菜を中心に構成されており、品数も多く食事をすることができました。寮で自炊をするときはおかずが少ないので、これから増やしていきたいと思いました。また必要以上の糖分や脂質が含まれていないので睡眠の質が向上し疲れにくい体になったことを感じました。
二日目は、朝起きてから清掃を行いました。普段は夜や休日の昼に清掃をするので、朝に行うと心が落ち着く感覚がありました。次に腹式呼吸を使った声出しを行いました。普段に声を出すよりも響きやすく、相手に伝わるので続けようと思いました。また落ち着きたい時も腹式呼吸を行うことで数分でリラックスすることができ、就寝もすぐに睡眠に入ることができました。次に三禮を行いました。三十分以上正座や立つといった動作を続けなければならず、体力を使いながら丁寧に所作を行うことが必要でした。このことから自分がどんなに大変な状況でもやるべき事を最後まで行う忍耐力を学びました。
今日の研修では特に困難な事や成功をするための強い精神、心の在り方を学びました。会社の業務だけでなく、日常生活にも生かせる事があったので今日から生活に取り入れていきたいと考えています。
一泊二日の講習でしたが非常に内容の濃いものでした。
初日、般若心経の復唱から始まりたどたどしくも言葉の意味を探りながら妻が毎朝、般若心経を唱えているのを思い出し今後、時間の許す限り妻と一緒に復唱したいと思いました。妻への感謝の念とともに。
午後からは、滝行に向かい、道中の険しさから身の危険を感じながら天狗滝に着いた時には灌漑深いものがありました。滝はまもなく六月というのに肌を刺す様な冷たさでした。体の中のけだるさが一気に抜けて爽快感だけが残り大変充実しました。
お百度参りでは自分が最年長だった為、皆について行くのが精一杯でした。これも人生初のお百度参りだった為、貴重な体験をさせていただきました。
夕方本堂にて住職と一対一で「いらっしゃいませ、ようこそお越し下さいました」「有難うございました。お気を付けてお帰り下さいませ」これを大声で一時間復唱する。接客業の経験のない私にはこの一時間がとても長い時間に感じました。汗だくで終わりました。
夕食後、写経の時間に入りこれも人生初体験の作業となり紙一枚写経するのに就寝直前まで時間を要しました。約二時間作業となりました。
夜十時就寝、朝六時起床後、約二時間の掃除開始、一階二階の拭き掃除を行い、八時より朝食をとる。その後約二時間の説法ビデオを拝聴し講習終了。人生折返し地点でこの様な貴重な体験をさせてくださった天光寺様と㈱●●●様には感謝致します。
今回、会社の企業研修で天光寺での修行体験をさせてもらって、最初にイメージしていたものと実際に体験してみて思ったことの違いが大きい物が意外にも多くて驚いたので、その事を感想文に書かせていただきます。
まず一つ目は、お寺そのものに対するイメージです。お寺では電子機器の使用が禁じられていたので、事前のイメージでは本当に電気と呼べるものはほとんどなくて、風呂と電球はいくつかある程度なのかと考えていましたが、蛍光灯や洗濯機、シャワーやテレビなど一通り現代的な設備が多くあって安心しました。また精進料理は煮物の味がうすいようなものに、ご飯といった簡素な物を考えていましたが、味付けも豊富で特にマヨネーズで味付けされたサラダうや二日目のお昼に食べたカレーが美味しくて本当に「肉や魚の入っていないだけの普通の料理」で食べやすく作られていたのも印象的でした。
二つ目に修行の内容についてですが、これは会社で事前に先輩に聞いた話によるイメージでは滝行がつらいと言われていたため、滝行はかなり身構えていましたが、実際に滝に当てられた時間そのものはそれほど長くなくて、そこを踏ん張れば良かったので気合を入れて挑むことが出来ました。それ以上に個人的に辛かったのは二日目の午前中にやった三禮で、「おん さらばたたぎゃた はんなまんな のうきゃろみ」と唱えながらやる一連の動作を三回でワンセット、それを煩悩の数である百八回セットで行うといった内容で普段トレーニングやスポーツなどをほとんどやっていない私にとってはかなり辛く過酷な内容で途中から意識がもうろうとしてしまい、過呼吸になるかとすら思った程なので、個人的にはかなり辛かったです。
三つ目に、最後に見たビデオの内容についてですが、最初はお寺や宗教についての内容が大半をしめるものなのかと考えていましたが、報連相やあいさつについて等、とても研修といったニュアンスのものが多く存在したのでとてもためになったと思いました。
私はこの法話を通して、ポジティブに考えて行こうという気持ちになりました。法話の中であげられていた、ガンを自分の手で治した医者は、最初「自分のことはどうでもいいから」とマイナスな発言をしていた。しかし、外国で追い返されたあと、自身を見つめ直し、マイナスな言葉の使用をやめるとガンが治った。そして法話では、「もうダメだ」と口にするとすぐに本当にダメになってしまうとおっしゃっていた。
自分自身を振り返ってみたときに、サッカーをしていて上手くいかないと「もうやめたい」、誰かに怒られると「もうやりたくない」、少し面倒なだけでも「ダルい」とすぐにマイナスな言葉を使ってしまっていた。結局、その言葉を発したあとは、目の前の課題に対してさらに投げやりになり、さらには周りの人まで不快にさせてしまう悪循環に入ってしまった。今、過去を変えることはできない。であれば、これからの人生何か困難に直面した時、すぐにマイナスな発言をするのではなく、空元気であったとしても「やってやるぞ」といったようなプラスの言葉を発していきたいと感じた。人生の負け犬ではなく、勝ち組になるためにも実践していきたい。
また、法話では、「物理的な力でできることの限界を感じた」や、「前世は少なからず存在する」といった、僕のイメージではやや現生から遠ざかっている話があった。正直、僕はあまり超次元や異次元といった世界の存在を信じてはいない。しかし、確かに日々の生活の中で、もし我々が今生きている世界とは別の世界が存在するのだとしたら、うまく辻褄が合うなと感じる話もいくつかあった。もしこの先、どうしてもうまくいかないことや、おかしなことがあった時、別の次元の話を考えてもいいのかなと前向きな考えが得られた。
天光寺で、二泊三日の企業研修を行った。一日目、寺の到着後に目標を記した。そこで私は、「本当の自分を見つける」と記した。日常生活では、物事を傍観的な対応をしてしまい、ありのままで、自分の欲のほっするまま行動すること、自分を表現することが苦手であった。その中で、来年4月の就職に備えて、自分自身を見直し、将来を明るいものにしようと考えた。その目標を持って臨んだ三日目は、三つのことを学び、考えた。
まず、一つ。「幸せ」という言葉だ。先生のお言葉の中にも、幸せになりたいですか?という質問が何度も登場した。私は、これまでの二十二年間の中で「幸せとは何か」という問題にぶつかり、そのたびに答えの見つからない迷宮に迷い込んでしまう。幸せになりたくないかと問われれば、もちろん幸せになりたいと答えるが、幸せをどうとらえるかは人それぞれであり、私は、その明確な答えを未だ持っていなかった。この研修をとおして、絶対的な回答は見つけられなかったが、その形は見えてきた。自分が百年後に死ぬのか、来年死ぬのか、今日死ぬのかは誰にもわからない。それを分かって消極的に生きるくらいなら、当たって砕けても、積極的に生きた方がいい。つまり、目の前の一日一日、一瞬の時を必死に生きるしかないのだ。先の事を考えること、見通すことも大切だが、目の前の出来事に夢中に、本気になれないやつがそんな資格持つべきではない。だから、私は、一分一秒の重みを日々感じながら、毎日、明日死んでも後悔しないような生き方をしようと思う。その結果として、いつどんな形になるかは分からないけれど、「幸せ」が手に入るはずだ。そして、それが私の生きる意味になる。
二つ目は「限界」という言葉。目標の一つとして、「自分の限界を知る」というものがあり、修行の中で見つけようと考えていた。まず、感じた事として、世の中には物事を判断する時、二つのものさしがあること。一つは、他人が判断するものさし、もう一つは自分自身の心のものさし。限界は、前者でなく後者のものさしが振り切った状態を指す。滝行を含めた全ての修行の中で、私は限界まで挑めたか。答えはノーだ。周りの人に何と言われようと、自分が少しでも甘え、妥協した部分があったとすれば、それは限界ではない。いくら限界に近づいていても、限界ではないことは不変である。しかし、この三日間の修行で、限界に挑み続けたことは決して無意味ではない。その理由は自分を評価するのは、他人のものさしだからである。つまり、何を得たかというと、自分自身がストイックに自分を高めることは、自分を高めると同時に、他人にも見られることだ。だから私は、明日から結果という明確なゴールに向け、常に限界を目指し努力を続けたい。その結果、人と人の結びつき、人脈を形成し、舞台と役者を作り上げることにつながるはずだ。
そして三つ目は、「仲間」である。三日間のつらく苦しい修行の中で、何度心が折れかけたことか。でも、それを支えてくれたのは、共に頑張る仲間であった。声の掛け合い、仕事の分担、その存在そのものが、私の救いであり、モチベーションであった。憎むより愛する、力むより任せる、喧嘩するより仲良くする。この言葉は、私たちの団結をより一層厚くする心の持ち方である。人を信頼することは、簡単なことではない。裏切り、ねたみ、嫉妬、人と人は簡単にはつながることができない。でも、私たちならできる。この瞬間を共有し、同じ道を歩む私たちなら、必ずできる。この三日間で得た大切な宝物である。
「本当の自分を見つける」ことは、正直できなかった。目の前にたくさんの選択肢があり、どれが最善なのか、何をもって最善なのかそんな分かれ道に立ち止まっているのかもしれない。ただ、ここで得た経験は、私の背中を押してくれた。正解とか不正解とかではなくて、やることに意味がある。心の持ち方ひとつでそれにつながることを学んだ私は、本当の自分探しの一歩目を踏み出せたはずだ。生きる事、働くこと、学ぶこと、悩む事、目の前の課題は数え切れないほど存在する。「幸せ」、「限界」、「仲間」この三日間で得た一つ一つは、私を支える防具であり、武器になる。この経験は、絶対に無駄にしない。必ず大きな男になり、後悔のない人生を送る。
今回、自身の会社から企業研修として行ってみないかと声をかけていただき、当初は良い経験にはなるだろうと思い、今回参加させていただきました。来てみると実際は、良い経験という話ではなく、より自分自身を高めることができた二日間でした。私は自身の勤める会社では、良く時間にだらしないと評価されています。確かにそういう部分は自分でも嫌いで、逆に悩みのひとつでもありました。
実際はその悩みも小さなものであることにも気がつくことができましたし、その小さな悩みも解決できそうな気がしました。
私は、自分自身にとても甘く、そんな自分も好きではなかったのですが、時には自分にも甘く、ただ、やれる時にはしっかりやりましょうという意味もよく分かりました。とても心が楽になりました。
私が今回の企業研修で最も好きで楽しく、辛かったのは、滝行でした。テレビや動画サイトで見ているよりもはるかに過酷で、最初、水に触れた時には本当にビビりましたが、そこで耐えることによって得られたものは大きかったです。
理由はよくわかっていませんが、とてもスッキリし、本当に何か悪いものが取れた気がしました。
結果的には辛い内容もありましたが、とても良い経験になったことはもちろん、今後の自分の動きに変化をさせていただけるものをいただくことができました。今までの自分の良くない点や変えるべき点と見つめ直すことができました。
本当にありがとうございました。
天光寺での合宿は、まさに肉体と精神を鍛える日々でした。一日目から滝行だったのですが、自分が想像していたものより水の勢いが強く、道中もとても厳しいものでした。普段あまり使わない筋肉をフルに使ってヒィヒィ言いながら前の人に付いていったのを覚えています。滝行では、私の会社の他にもう一グループが参加していたのですが、その方たちが先に滝に打たれている姿を見てとても気合が入りました。前の方たちが終わり、交代する時に「頑張ってください」と言われたのがとても心に染み渡り、会社の仲間全員で、期待以上のものを返せるように一丸となって臨みました。女、男、女の順で打たれましたが、スタートの人が肝心ということで、誰が行く?となった中で、ひとりの仲間が素早く手を挙げて、良いスタートを切り出せました。仲間ががんばっている間も、御宝号の南無大師遍照金剛を唱える他、良いペース!もっといけるんじゃないの!などモチベーションの上がる言葉をずっと投げかけており、チーム内の絆を改めて感じることができました。また、私の時もそれは変わらず、滝に打たれている中で、御宝号を唱えると必ずみんなが返してくれるという安心感で、恐怖や緊張に打ち勝つことができました。滝から出てきて目を開けた時の、東京都は思えない緑の多さと綺麗な空気にとても感動しました。また、一日目にやるはずだったお百度参りが悪天候のため少ししかできなかったのは残念ですが、作法や目的を詳しく知ることができたので良い経験でした。
二日目は三禮です。「おん、さらば、たたぎゃた、はなまんな、のうきゃろみ」と唱えながら立って座ってを繰り返すのですが、一言で言って、本当に死ぬんじゃないかと思いました。昨日の滝行に行くまでの山登りで使わない筋肉を酷使したせいで筋肉痛になり、それを追うように三禮が始まったため、後半はほとんど意識がありませんでした。声出しに集中すれば、動作を忘れ、動作に集中すれば声出しを忘れさんざんでした。何とか三禮が終わり息も絶え絶えになっている時先生がいらっしゃって一言「おつかれさん」を言われた時、一気に身体の緊張がほぐれました。三禮のあとに食べたご飯は、格別においしかったです。特に厚揚げが最高でした。その日の夜、会社で出された課題である、成功の誓いの詞の計測だったので、何度も何度も挑戦し続けました。最初は個人プレーだったのですが、チームプレーとなり、私とKさんとMさんの三人でひたすら練習しました。私は原稿は1時間ほどで覚えられたものの、タイムが縮まらずそのへんを二人にうまくカバーしてもらいながらしゃべり続けました。そして、チーム内のみんなが思っていたことが、絶対に相手チームより先に終わることでした。やはり、仲間ではありますがライバルでもあるので、その点に関しては3人とも頭において練習していました。そして、本番。何十回もの失敗を繰り返した結果、全員ノーミスそしてタイムは26秒でした。タイムを伝えられた瞬間、仲間たちとハイタッチしたのがとても印象に残っています。絶対にやってやると誓ったことが達成できたときの喜びは今でも忘れられません。そしてあとはもう1チーム。クリアしたら私たちが先生となり、同じ章を担当する人にアドバイスと計測をしてあげました。しかし、なかなかうまくいうことができず、ラスト2回のところまできてしまいました。2回目の挑戦。入りもばっちりで、原稿どおり読めたと誰もが思ったなか、記録はなんと29.14秒。そこにいた全員が惜しい!と布団に倒れこみました。しかし、失敗は失敗。良いペースできているのも事実なので、泣いても笑ってもあと1回。全員が見守る中、好ペースで進み1度も止まることなく終わりました。一瞬、静かになり、全員が見つめる中、伝えられたタイムは28秒。全員大盛り上がりで終了することができました。やはり成功するなら全員で、その日の夜はとても気持ちよく眠ることができました。
そして最終日。朝目覚めた時、今日で最後なんだと思うとあっという間だと感じました。初日では数分で無理だった正座も、最終日には30分耐えられるようになったのがとても成長を感じました。朝の掃除も慣れたもので、講堂を掃除するのに時間がかかりすぎて、手伝ってもらわないとできなかったことも今では1人で終わらせることができ、他の人の手伝いに行けるようにまでなれました。それだけここになじめていたんだと思うと、少しだけ寂しく感じます。この2泊3日の合宿で、自分の限界を知れたこと、仏教についての知識を得たこと、そしてなにより仲間との絆を再確認することができました。この気持ちを忘れずに次の合宿に臨んでいきます。楽しかったです!
4泊5日の天光寺合宿の感想は、ひとことで言うととてもきつかったです。初日に天光寺に着き、荷物をほとんど使えないと聞いた時は、自ぜ円に聞いていた話と違うし、5日間やっていけるか純粋に不安でした。最初に般若心経を2時間取り組みましたが、初めての経験だったので辛く感じながらも、新しい感覚でいました。お昼ご飯の後、南無大師遍照金剛を1500回いう時間があり、夜ごはんの後、写経で般若心経を文字で全て書き写して初日が終わりました。初めて体験することばかりだったので、きつかったです。
2日目は、朝の掃除の後、十三仏真言を1時間半取り組み、一般のお客様に交じってお百度参りと滝行をやりました。こちらも初めての体験で、そういう流れで滝行を行うのかということが知れてよかったと思います。南無大師遍照金剛と南無山王大師、南無竜王大師にあいさつを行い、滝行を行ったのですが、想像していたものよりも滝の勢いや水の冷たさが上回っていて驚きました。実際に滝に打たれている時は、何も考えることができず、ただひたすら南無大師遍照金剛をさけぶことしかできませんでした。時間の感覚がよくわからなくなっていましたが、とても大変な行だったと思います。
その後は、1時間ほど瞑想を行い、夜ご飯の後、仏様を写す写仏に取り組みました。2日目は滝行のインパクトが大きく、それが印象に残っています。
3日目は、朝の掃除の後、行着たたみをして、瞑想を行いました。このころから、瞑想で鼻から吸って口から出す流れであったり、声を出す際の大きさや長さが伸びてきたような感じがします。その後、十三仏真言を唱え、お昼ご飯の後、お百度参りと川行に取り組みました。前日の滝行の際は、一般のお客様がいたということもあり、お百度参りは軽めになっていたのですが、今回は、他に人はおらず、お百度参りは通常の108回往復で行いました。石の上を裸足で走っていたのですが、途中で足の裏の皮がむけてしまうアクシデントがあり、とてもつらかったのですが、無地やりきることができました。
川の水も冷たかったのですが、天気が良かったこともあり、そこまで辛く感じることなく終えることができましたが、天気や時期が違えば、とんでもなく激しいものになっていたと考えると、この日にできて良かったと思いました。
その後十三仏真言をを2時間取り組み、三禮をやりました。三禮は、特定の動作を324回おこなうというもので、座った状態から立って座るという動作になっていました。お百度参りの際などに少しやっていたのですが、324回ぶっ通しでやると、体が崩れ落ちて足が動かなくなるくらいきつかったです。最後に写経で、般若心経ををおこなって終了しました。
振り返ると3日目が一番辛かったです。
4日目は、朝の掃除をして、瞑想、行着たたみをおこない、十三仏真言に取り組みました。お昼ご飯の後、お百度参りと滝行をおこなったのですが、自分は前日のお百度参りで足の皮がむけてほとんど走れない状態だったので、見学という形で参加しました。この日は、少し雨がふっていて、とても寒かったのですが、4人とも無事滝行を終えることができていて、安心とともに、しっかりやり切る力があってすごいなと尊敬、感心しました。その後は、般若心経と写仏をおこない、4日目が終了しました。この日は、4人のガッツを見て参考にしようと思う日でした。
そして、最後の5日目、朝の掃除をおこない、瞑想、十三仏真言、光明真言、般若心経に取り組み、先生のお話を聞いて終了しました。先生のお話で、悪いことを考えるとどんどん悪くなっていくという主旨の話があり、確かにそうだなと思いました。ネガティブに考えるよりもポジティブに前向きに考えて生きていきたいと思いました。5日間、天光寺の合宿をおこなったのですが、あいさつはしっかりと積極的に動いてできる人間だとアピールをすること、チャンスをつかみ取ることが大切だと感じました。最後に、諦めないで取り組む意思や姿勢が今後の仕事で役に立つと信じて生きていきたいです。
1日目は、あいさつの一連の仕方を教えていただき、その後、「いらっしゃいませ。ありがとうございました」の丁寧なあいさつの仕方を学んだ。その時思ったのがこんなに頭を下げなくてはいけないんだと思った。今までを振り返って考えてみると、あんなに深々と頭を下げたことがない事に気づくことができ、改めてあいさつの仕方について考え直すことができた。その住職のご祈祷をしていただき、初めて本物の仏壇とお坊さんのお経を聞いてすごく神々しいと感じた。
その後は、光明真言を2時間ぶっ通しで唱えた。自分は、今までずっと運動部で体力には自信があったが、正座、あぐらでずっと2時間お経を読んで思ったことは、じっとしているのも辛いことなんだと分かった。光明真言を唱えた感想としては、難しい漢字ばかり書いてあって読み仮名は書いてあるが、独特なリズムでなれるまでなかなか時間がかかった。これを暗記しているお坊さんはすごいなと思った。
その後は、南無大師遍照金剛を数珠を使って1500回唱えたが、頭がおかしくなりそうだった。その後夕食を食べ、写経をし、1日を終えた。1日目の感想としては慣れない環境で不安だったが、初めてのことがたくさんあって楽しかった。
2日目は、6時に起きて、掃除から1日が始まった。掃除が終わったらみんなで食前の言葉を唱えて朝食を食べ、1時間半瞑想をした。瞑想をするのは初めての経験で、最初は落ち着かなかったが、徐々に呼吸が落ち着いていって、心が安らかになるのを感じた。瞑想が終わって目を開けるとスッキリしているのが分かった。体も少しポカポカしてすごく心地よかった。
その後、十三仏真言を唱えてお百度参りと滝行のあいさつを教わってお百度参りと滝行をした。お百度参りでは裸足でコンクリートを走って足の裏が痛くなった。滝行では、自分の前の人が先に打たれる姿を見て少し怖くなったが、気合を入れて水をかぶり、その一瞬は冷たいと思ったが、入ってみると案外余裕で、すごく気持ち良かった。帰ってきたら、1時間光明真言を唱えて夕食を食べて写仏を書いて2日目を終了した。
3日目、6時に起きて6時半から掃除して朝食をとり、前日の使った行着をたたんだ。その後お百度参り108回をした。お百度参りの終盤につれて、みんなの顔が険しくなっているのがわかって、みんなも辛いんだから自分も頑張らないといけないと思って頑張った。走り終えると、足のうらが痛くて苦しかった。でも、みんなで辛いことを乗り越えた達成感はすごく気持ちよかった。お百度参りが終わったら、川行をした。汗もかいてて、気温もあたたかくて修行というよりは、リフレッシュに近いくらい気持ちよかった。川行が終わって昼食を食べて十三仏真言を唱えて三禮を108回した。この5日目の中で、一番つらく感じた。徐々に足が痛くなって、声も出なくなっていて、となりを見ると苦しそうにしている仲間を見ておれががんばらないといけないと思って人一倍声を出して、鼓舞してなんとか5人そろってやりぬいてとても達成感がわいてきて高校の部活を思い出して楽しかった。でも、またやりたいかと言われたら、正直やりたくない。三禮が終わったら夕食を食べて、般若心経を書いて、3日目は終了した。
4日目も、6時に起きて、6時半に掃除をして、朝食を食べて行着をたたんで瞑想と声出しをした。その後、十三仏真言を唱えた。その後、昼食を食べて、お百度参りをして、雨の中滝行をした。雨の中のお百度参りは、足の裏は痛いは、足元はすべるはで、大変だった。お百度参りが終わった時には、体が温かかったが、車に乗って移動して山をのぼるころには、体が冷たくなっていて本当に滝行をやるのかと思った。4日目の滝行は、1回目と違って雨が降っていて寒かったから、前よりも何倍も気合を入れて滝行にのぞんだ。入ってみると思ったより冷たくなくて終わった後は体がポカポカした。帰りの下山が一番寒かった。帰ってきて般若心経を唱えて夕食を食べて写仏を4日目終了。
5日目最終日も、6時に起きて掃除をして、朝ご飯を食べた。その後瞑想して、お経を唱えてお昼ご飯を食べた。その後、先生の講和を聞いた。乾燥としては、人間幸せになるために生まれてきたのだから、何事にも負けん気を持って、積極的に生きようと思った。最後に、5日間を終えてみて思ったことは、辛いことを5人で分かち合えたのは、これからの仕事に役に立つ経験になったと思う。
先生の話を受け、何よりも人脈の重要性を実感しました。現代社会において、人の幸せの形は様々ありますが、自分にとっての幸せ、すなわち、自分にとっての「なぜ生きるのか」の答えにお金が関わるのであれば、事業の成功や会社での出世は必要だと思います。その事業や会社というものは人と人のつながりという社会の中に存在すること、人と人のつながりというのは、人が、人を互いに評価することでもあると理解しました。つまり、深いお辞儀や、気持ちのよいあいさつというものは、直接的に自分の人生の形成に結び付くと理解しました。幸せになりために、他社からの評価を上げる努力を惜しまないようにしようと思います。
この五日間、直接支えあうといった面でも、人とのつながりの大切さを実感しました。朝の瞑想の声出し、お経の読み上げ、行の際のご宝号等、どれも他者と声が共鳴することで、より声をだしやすくなったのを覚えています。滝行や川行は、自分との戦いの修行ではありますが、やはり近くの仲間の声が聞こえたのは心強い心の支えになりました。
最もつらかったのは、三禮でした。肉体的なダメージが高く、段々と足に力が入らなくなり、気をぬくと立てなくなりそうでした。しかしながら、周囲の仲間が続けていたこと、三日目ということもあり、「ここまで来て、負けてたまるか」という気持ちが沸き立ったことで乗り切ることができました。終わったあとは、歩くのも大変だったことを覚えています。間違いなく、一人だったら途中で心が折れていました。
こうした経験は大変よいものだったと思います。これからの人生において、おそらく二度と滝行や川行とお百度参りもすることはないでしょう。滝行も川行もどちらも辛かったですが、共通するのは、最初が一番つらいということでした。共に気合を入れ、最初を乗り越える事、最初の辛い時にすぐあきらめてしまわないこと、これらの教訓を得られたのではないかと思います。世間では、「とにかく三年は続けろ」と仕事についてよく言われますが、私も仕事で辛いことがあった時は、三禮の辛さや、滝行や川行から得た、最初の辛さを乗り越える教訓を思い出して、仕事を続けようと思います。
そうした中で、強くそのありがたみや日常に根付いていたのだと感じたのはスマートフォンでした。スマホを断ったことで、人との繋がりが断たれたのが非常に辛かったです。日常的に行っている友人や大切な人との連絡というものが、どれだけ自分の支えになっていたかを実感しました。幸せになるために必要な人と人のつながり。それを現代で支えているのがインターネットなんだと再認識し、その基盤となる電気工事士という自分の職業に対しても、改めてその価値を見出すきっかけとなりました。
連絡が断たれたことが辛く思える大切な人というのは、お百度参りや写経等、だれかを思うとき、やはり支えになってくれました。「あの人のためならがんばろう」と思える人を増やす、これも努力のコツ、すなわち幸せになることのコツであると考えると、やはり幸せになるというのはすべて、人と人とのつながり方に帰結するのだなと思いました。
この五日間、大変だことばかりで、楽しいことはなかったとまで言えるかもしれません。しかしながら、これから先の人生で起こる苦難をこえるために力や、生きる上で何が重要かということを学べたと思います。天光寺のみなさまと、企業研修という形でこうした機会を与えてくださった自分の会社には感謝いたします。ありがとうございました。
私は、今の職場で働いてまだ2ヶ月しかたってなく、働き始めた時は不安でいっぱいで、今も私は、上司の人たちのように今後働いていけるかと思うとまだ少し不安です。けれどそう思っていた時に、お寺の研修に行くと聞かされて、「会社でこんなことするんだ」という気持ちもありましたが、お寺の研修で今の不安ばっかりの私を変えられるんじゃないかと思い、楽しみになってきて、初めてお寺に行くということもあり、どんなことを学んで、どんなことをするのかと思うとさらに楽しみになってきました。
天光寺に来て説明を受ける時は、正座で慣れていない私は、とても足首、腰が痛く大変でした。挨拶の作法や合掌の仕方はやっぱしお寺なのでしっかりしてるんだと思いました。その後には、南無大師遍照金剛、光明真言、般若心経を読み、漢字にはふりがながふってあったが、イントネーションが違うのもあり、見て読む事すらも難しいと感じました。三禮をやったのですが、3回で1セットで、2回目までは手を下げた時に返すんですが、3回目で手を握り、合掌するという事や、三禮していることも難しく覚えるのに大変でした。
昼食は野菜が多めでとても健康的でした。私は冷凍食品やインスタントの食品ですませてしまうことが多い。こういう昼食も良い経験だと思いました。
昼食が終わって準備、説明を受けお百度参りと川行を行いました。お百度参りは、コンクリートの上を素足で走ったので、足の裏の皮がめくれてしまってとても痛かったです。けれどお百度参りをしたので、南無大師遍照金剛と言えるようになっていたので良かったです。その後には、川行をしました。川行を行う前にお祓いと顔3回、胸3回、両肩3回川の水をかけて最後に桶に川の水を入れ頭からかけたのですが、とても冷たく入れるかと不安になりましたが、いざ川に入って時間がたつと、だんだんと冷たさにも慣れて、「出ていいよ」って言われるまで我慢してやろうと思い、最後まで我慢することができました。
川行が終わると、般若心経を50回読みました。まだ見なくちゃ言えませんが、ある程度イントネーションや次はこの言葉がくるということが分かってきました。50回はつらかったですが、良い経験ができました。
三禮を3回1セット108セットをやりましたが、本当に辛かったです。60回くらいの時に、三禮のやり方を間違えていて、もう一回しっかりと教えていただき最初からやることになりました。途中何度も足がガクガクになり、倒れてしまいましたが、最後までやりとげることができました。
その後に晩飯を食べたのですが、家では食べないような物がでてきて天光寺でいただいた料理を少しは取り入れて家でも似たような健康的な料理をできるようになろうと思いました。
法話を聞いて、何事もがんばるということ、お客様に対しての挨拶、空海様、仏教の歴史、伝わってきた経路を聞きました。けれど、これよりも印象に残ったものは、積極的なことを言えば、運や人生がガラリと変わるという言葉がとても良い言葉だと思いました。私はとても自信がなく、いつもマイナスになるようなことを思ってしまっていたので、これからは法話で聞いた言葉を信じ、プラスの事を言ってどんどん仕事で良い結果を出せる人になろうと思いました。
二日目の朝は、スムーズに起きることができて、遅れずに朝礼に間に合うことができました。朝から清掃をして広かったが、三人で協力できたので大変ではありませんでした。声出しの後に瞑想をしましたが、二つとも正座ではできず、あぐらをかいていました。けれど声出しは、大きな声を出せて瞑想では、少し考え事をしてしまいましたが心を無にできる方が長くできました。とても集中してできたと思いました。十三仏真言を読んだんですが、またまた難しく覚えるのが大変でした。けれど覚えようとするには集中力が必要なので、瞑想声出し十三仏真言を言うことにより、集中力が少しは上がったと思いました。
滝行とお百度参りでは、お百度参りは一日目にもやったのですが足裏がとても痛く、最初は全力で走れていたのですが、徐々に遅くなってしまったが一日目よりは大きな声を出すことができました。滝行では、滝まで行く道のりが長く、その痛みに耐え、滝まで行きました。初めてする滝行なので川行のようにできる限り入っててやろうと思いました。私の番が来て、川行よりも水が冷たく感じて最後までやれるかと不安でしたが、法話で聞いたことで我慢は大切ということを思い出し、無事5分位滝の中に入っていることができました。とても冷たく肩をたたかれている感じでした。辛かったですが、滝行を乗り切れたので、私は少しは我慢をする面で成長できたんではないかと感じました。
私は、天光寺を二泊三日してたくさんの事を学べました。大きな声を出す、集中力が来る前よりは上がったり積極的な考えができるようになったり、我慢ができる精神力が鍛えられました。私はこの天光寺の研修で色々な人と修行や行を取り組むことで苦手だった人とコミュニケーションをとるということもできるようになり、自分に自信がつくことができました。私は、今年から社会人となって色々と不安なことはありましたが、天光寺では社会に出てから使うとても重要なことをいくつも教えてもらいました。
この二泊三日は、とても良い経験ができたと思っています。本当にありがとうございました。
二泊三日の研修を終えて、まず第一は、「積極的な姿勢」で挑む事の大切さ重要さを学びました。会社に入り、その中で生きていくためには、教えられた事以外に、自ら積極的に勉強し、会社にとって必要な人間にならなければいけないと感じました。その中で、消極的でいる事に意味がない事を研修で学んだので、今後、積極性のある行動をしていこうと考えています。
そして第二は、「忍耐力」です。苦しい修行でも諦めずに成しとげられるように努力すること。今回の研修では、元々ヒザが悪く正座や片ヒザをつく姿勢ができず、ずっと同じ姿勢でいることがかなり辛かった印象です。何度も体勢を変えたりしていたので一つの事に集中してじっとしていることができなかったのは、とても残念で悔しいです。
第三は、「感謝」です。今回の研修では、朝起きた時、食事の前後、寝る前、修練前後など、ほぼ全ての行動を行う時に仏様に感謝をしていました。これについては、今回の研修だけではなく、普段の生活の中でも置き換える事ができると感じました。例えば、会社に出勤する時は、車で移動します。この車も自分の知らない人がつくっています。電車での移動も、毎日当たり前のように利用し、事故もなく無事出勤できるのは、運転手であったり、鉄道に関わっている人がいます。食事も同じことが言えます。このように、自分と直接関わってはいないけれど、普段何気なく生活している中には、大勢の人が関わっていて、一人一人に感謝の言葉は言えませんが、それと同じぐらいの気持ちを持って常日頃から生活していき、自分も誰かに感謝される役に立つ人間になれるのではないかと思いました。
ここからは、修練についての感想を書きます。一日目、まずは自己紹介をやりました。簡単な自己紹介なのですが、大きな声ではっきりと言わなければ何度もやり直しさせられました。何度もやるうちに、最初は恥ずかしさもありましたが、それもなくなりできるようになりました。大きな声で自己紹介する機会はなかなかないので良い経験ができました。
その後、お百度参りど滝行を行いました。お百度参りでは、約20m程走り、「南無大使遍照金剛」を唱えながら、108往復走りました。それが終わったらすぐに滝行へと向かいました。車で10分程走り、そこからさらに10分程斜面を上がると、小天狗の滝があります。着いたらまずは、一人一人、手、足、首と塩と酒をかけてもらい、山の神、水の神に感謝の言を伝え、滝へと入ります。想像していた以上に水は冷たく、水圧もあり、息をするのも困難でした。予想では、5分以上は楽勝だと思っていたのですが、3分ももたずに出てしまいました。自然の強さを舐めてはいけないのと、自分の根性の無さを悔やみました。
二日目、この日一番辛かったのは、三禮(さんらい)でした。光明真言を唱えながら、立って座ってを3回1セットとして行う挨拶を100セット、合計300回連続で行うもので、正座の姿勢になるのが大変で何度もヒザを強打し、途中途中休みながらでしかできませんでした。元々体力には自信はありますが、この修練は万全の状態でも厳しいと思うぐらいかなり辛いものでした。その後、写仏という仏様の絵を習字の筆で写す修練を行いました。生活していて筆を使う機会がなく、慣れないのと、仏様の絵が細かく神経をとがらせながら集中して書くことができ、写仏は研修の中でも楽しく面白くできて良かったと感じました。
三日目は、主に声出し、瞑想、そして住職の法話を聞くことができました。声出しは腹式呼吸で、腹の底から声をだす練習をし、瞑想は、「反省、懺悔、感謝」をテーマに約一時間瞑想を行いました。自分自身、反省というテーマで自分と向き合う事ができ、今回の研修や今まで生きてきた28年間、反省しなければならないことが多いと感じました。そして、その反省を活かして今後につなげていければ一回り、二回りも成長できると思います。そして最後に、住職による法話を聞きました。何のために生まれてきたのか、何故積極的に生きねばならないか、舞台と役者の演じ方、努力と知恵の使い方、また、住職のこれまでの生きてきた歴史など、どれも素晴らしい話ばかりですが、自分は序盤に書いた通り、「積極性」の話に魅力を感じました。積極的なことでチャンスは増えていくし、それによって多くの人と出会い、人脈やお金など大きな財産が手に入る可能性も高くなるということに感銘を受けました。
今回の研修を通して、普段経験できないことを多く経験できたこと、お寺で生活していく中でのしきたりや風習、一つの事に長い時間集中する力など教えて頂いたことを今後の仕事の中で活かしていきます。
今回初めてお寺での研修に参加しました。二泊三日の研修で学んだことは、与えられた課題に対し一生懸命に取り組むことや、すぐには諦めないことです。また、今までの人生で関わってきた方々に感謝する気持ちを養うことができました。
お寺に到着し、最初に行ったのが大きな声で自己紹介をすることでした。日常生活では大きな声を出す機会がなく、仕事で名刺交換をする際にも相手に届くくらいの声の大きさしか出していませんでした。自分の名前を大声で話すのは小学生ぶりだったので、少し恥ずかしい気持ちもありましたが、腹から声を出すことによって、体の中に溜まっていた何かが外に出たような気がしました。
次に行った研修が、お百度参りでした。これは、弘法大使像の前にある約20メートル柱のお百度を「御宝号」を大きな声で唱えながら、百八往復走ってお参りをするものです。走って止まってを繰り返していくうちに息が乱れて御宝号を唱えることが辛くなってきましたが、声を振り絞って出すことで自分を奮い立たせることができました。また、新卒の二人には負けたくないと言う気持ちもあったと思います。
お百度参りの後は滝行を行いました。春になっとはいえ、山の水は冷たく、足を水に入れただけでも体がこわばるくらいでした。塩と酒で体を清め、顔、胸、両肩に水をかけ、桶の水を頭からかぶり、意を決して滝の中に入りました。全身で受ける滝は、水圧と水の冷たさで集中していないと呼吸をすることができませんでした。立った状態から滝つぼに座り、水の冷たさに負けないように、体に意識を集中しました。肩で息をすると、呼吸が浅くなってしまうため、腹式呼吸を意識し、冷たいという感覚は、何か違うものだと思うようにしました。滝に打たれていた時間は4分ほどでしたが、体を集中させることによる精神的な疲労感がすごくありました。この滝行では、達成感があったのと、自分の体に向き合う感覚を養うことができました。日常生活では感じることができない経験をすることができて良かったと思います。
滝行を終えてからは、般若心経を唱えました。般若心経は、釈迦御一代の経七千巻より選ばれた、わずか二百六十文字で構成されているとの説明を受けました。そのため、一文字一文字はダイヤモンド以上の大切な言葉であり、その言葉の重みをかみしめながらお経を唱えました。仏様の前に座ってお経を唱えることによって、見守られているような感じがしました。
夕食後は、写経を行いました。お経の一文字ずつを筆で書き写していく作業です。墨を使った筆は久しぶりだったので、文字の太さが一定ではなく、難しかったですが、お経のありがたい言葉を丁寧に書くことを意識しました。集中しているとあっという間に時間が過ぎ、終了予定時間を超えてしまいました。この写経では、集中力を持続させることを学ぶことができました、
食事や終身準備では、全員で協力して行いました。食事は精進料理でしたが、味付けがしっかりしており、おいしく頂くことができました。
二日目は、起床後、寺内の掃除を行いました。それぞれ役割分担を決めて、効率よく掃除ができるようにしました。
朝食後は、腹式呼吸による声出しと瞑想を行いました。声出しでは、体のすべての空気を外に出すイメージで、心を落ち着けながら行いました。瞑想では、「反省、懺悔、感謝」をテーマに行いました。自身の反省では、仕事上で、測年度自分のチームのメンバーに苦労をかけさせてしまったことを考えました。もっと自分にできることはなかっただろうか、あの時こうすれば良かったのではないかと考えていました。また同時に、忙しい時期を全員で乗り越えることができあことに改めて感謝することができました。
普段はこのような時間をとることはなかったので、自分の気持ちを整理することができたのと、今年度は、昨年度と同じ状況になることがないよう考えることができました。
昼食後には、三禮を行いました。立って座ってを3回1セットとして行う挨拶を100セット、合計300回行うものです。私は、連続で180回しか行うことができませんでした。しかし、立ち上がることができなくなるまで気力を振り絞っておこなえたことは、自分の中でもよい経験となりました。
研修の最後には、住職の話を聞くことができました。その中で印象に残っているのが、行事にも積極的に取り組むこと、そうすればチャンスが訪れるという言葉です。住職ご自身の経験から何か行動を起こすことによって道が開けると言う話を聞いて、自分もそういう経験をしたいと思いました。仕事でも私生活でも、積極的な行動を心掛けたいと思います。
今回の研修では、新人の引率という立場で参加しましたが、非日常生活の中で自分を見つめ直す良い機会となりました。住職をはじめ、職員の方々には大変お世話になりました。ありがとうございました。
2日間の研修を通して、当たり前にあるようなことへの感謝の気持ちと歴史を知ることの大切さを改めて考えることができました。
挨拶や食事の際の「いただきます」「ごちそうさまでした」何かを教えていただく際の「よろしくお願いします」など真心を込めて行うだけで自分の呼吸する濃いさが違ってくることを知りました。
また、歴史を知って新しきを知ることの大切さを感じることができました。
今回体験できたことを社会人生活の中でもしっかりと活かしていきたいと思います。
ありがとうございました。
今回、私は、天光寺で二泊三日の新人研修を行わせていただきました。研修を行うにあたり、自分が決めていた目標は何事にも全力で取り組む力をつけるということを目標としていました。
初日の研修は、自己紹介の練習から始まりました。自己紹介にもやり方があり、厳しく指導されました。そして、昼食をいただいたあと、お百度参りと滝行を行いました。お百度参りでは、像の前にある約20mほどのお百度石を「御宝号」を大きな声で唱えながら往復しました。その後、車で山に向かい、小天狗の滝へ移動し滝行を行いました。滝の水はとても冷たく、水の中に入ると体が凍りそうなほどでした。そして、滝行を終えて、天光寺に戻り、般若心経というお経を連続で50回唱える修行を行いました。般若心経は266文字のお経なので、あまり長くはないのですが、そこまで連続でお経を聞いた経験がないので、とても長い時間に感じました。そして、夕食をいただいた後、写経を行いました。写経は筆を使い、和紙に般若心経の文字を全て書き写すという修行でした。始めは筆の扱いに苦しんでいましたが、だんだんと使えるようになっていきました。写経を終えたころには21時を過ぎていました。天光寺の消灯時間は22時となっており、急いで就寝の挨拶を行いました。その後、シャワーを浴び、着替え、布団を敷き、一日目の研修が終了しました。
二日目は、朝6時に起床し、布団の片付け、洗顔などをすまし、朝の挨拶を行い、二日目がスタートしました。朝食の前に天光寺の中の掃除を行いました。部屋の雑巾がけや拭き掃除などを徹底的に行いました。その後、朝食をいただき、すぐに修行に入りました。まず、声出しの修行を行いました。腹式呼吸を利用して、発声練習を行い、その後続けて瞑想をしました。瞑想は、静かな音楽を流しながら「反省、懺悔、感謝」をテーマに行いました。その後も続けて、「十三仏真言」と呼ばれる真言を唱える練習を行いました。十三の仏像にそれぞれお経が書かれており、それを同じペースで繰り返し読む練習を行っていました。その後、昼食をいただき、昼からは、天光寺の外の掃除を行いました。入り口へつながる階段や、お百度参り使ったお百度石を水で流しながらブラシでこすって掃除していました。その後天光寺の内に戻り、三禮と呼ばれる正座から立ち座りを繰り返す挨拶を行いました。この修行が特に厳しく、例えるならスクワットを正座の状態から始めるようなもので、とても足に厳しい修行でした。三禮は、300回行いました。ですが、途中厳しくなり、何回かダウンしてしまったので行った回数は250回ほどでした。この修行では立ちから座りになるとき、右ヒザをカーペットに思い切りつけるため、右ヒザの皮がむけてとても痛かったです。その後は三禮を行った部屋で光明真言を1000回唱える修行を行いました。この修行は、座って正座かあぐらで行うのですが、三禮を行った後に光明真言を1000回唱える練習は、とても心が折れそうになりました。ですが、なんとか乗り越えて1000回唱えることができました。その後は夕食をいただき、写仏という修行を行いました。写仏とは、仏様の絵を筆を使って写すことです。仏様の絵は大分細かい描写されており、筆を使って写すことがとても難しかったです。特に顔の部分が細かく、絵があまり得意ではないので、少し雑な仕上がりになってしまいました。その後は、就寝の挨拶を行い、二日目を終えました。
三日目は、朝から二日目とほとんど同じことを行いました。掃除から始まり、声出しや瞑想十三仏真言を唱える練習など、2回目となると、十三仏真言も何も見なくても言えるほど脳に記憶されていました。その後は、昼食をいただき、天光寺の住職の方から、挨拶のやり方を教わりました。大きな声で丁寧にあいさつする練習を繰り返し行いました。そして、住職から法話も聞かせていただきました。今、自分達は積極的に生きているかなどを改めて考えさせられました。そして、ネガティブな発言は、自身に影響してしまう、なのでポジティブな発言をしていくように心がけることを学びました。
天光寺での二泊三日の研修を終えて、当初目標としていた何事にも全力で取り組む力をつけるというのは少しは達成できたと思います。天光寺での修行は、今までの生活からガラリと変わった生活でした。自分はスマートフォンを良く使っていたのですが、今回の研修ではスマートフォンを全く使えない生活をすることになり、耐えられるのかとても不安でした。ですが、手元から話してみると意外と耐えられたもので、自分でも驚きました。他にも、普段よりも座っている時間が異常に長い、下半身をとても動かすなどにより、とても体中が痛くなりました。寝てもあまり疲れが取れないなど、様々な苦行がありました。ですが、私は今回の研修を通して、積極的に生きる心、生きる意味、発言の影響などを改めて見直す機会となりました。そして、気持ちのいいお辞儀やあいさつは、相手をどんな気持ちにさせるのか、若いうちは色々なことに挑戦するべきなど社会人としての心持ちも改めて学ばせていただきました。今回の研修で、私は社会人としても心持ち、物事に全力で取り組む力をつけることができました。二泊三日の天光寺の修行では、きつい修行ではありましたが、自分のためでもあり、会社でこれから厳しい面が出てきて周りの人たちに迷惑をかけないように頑張りました。
修行の初日は、まず自己紹介をやりました。自己紹介では、声が小さかったため、何回もやり直しをしたことで、挨拶をする時に大きな声ではっきりと言う事を学びました。
次にお百度参りをやりました。20mほどのお百度石を「御宝号」を大きな声で唱えながら、108往復走ってお参りをするという厳しい修行ではありましたが、周りの人たちの声に負けて、声を出すのではなく、自分の声が大きく聞こえるように頑張りつつ、108往復走ってお参りをしました。
次に滝行をしました。滝行では、急な斜面を登り、滝へと向かいました。滝行でも、誰よりも長く入って、忍耐力を付けるということを心掛けて滝行に臨みました。しかし、水があまりにも冷たく一瞬出ようかと弱気になってしまいましたが、その気持ちを抑えて、自分で滝の中に入っていられる限界まで入ったつもりでいましたが、自分が最初であったため、他の三人が自分より長く入っていたことがすごいと感じる面もあり、自分はまだまだ他の三人と比べると忍耐力が足りないということに気づかされました。
他に、般若心経を50回唱えることをやりました。般若心経では、自分はヒザを痛めていたということもあり、正座ではなくあぐらをして臨みましたが、あぐらもそんなに長い時間かけなく、何回か足を組みなおしたりする面がビデオで何回かあると思いますが、自分なりにまじめにお経を唱えて、精神を集中することで、自分のヒザの痛みと戦いながらも、仕事に対する忍耐力と精神力を高めていけることができたと思いました。
二日目は、朝起きて掃除から始まりました。天光寺内をきれいにすることで、朝の始まりと自分の心もきれいにする気持ちや、会社でも掃除をする時は、きれいにするという気持ちで取組みました。
次に、声出しと瞑想をやりました。声出しでは、腹式呼吸を利用しての発声法で、喉から声を出すのではなく、腹から声を出すことが中々できずにいましたが、繰り返すことでできるようになりました。瞑想では、「反省、懺悔、感謝」をテーマとして瞑想しました。自分が瞑想のテーマとしたのは、感謝でした。なぜ感謝を選んだ理由は、自分が生きている中で、いろいろな人の支えがあったから今の自分がいるからです。だから、私は瞑想では、感謝をテーマとして選びました。
次に掃除をやりました。今度は、内ではなく、外の掃除(主に玄関と廊下)をやりました。朝の掃除と同じように、外もきれいにしっかり隅々とやり、参拝に訪ねる人たちが気持ちよく通れるよう心がけました。
次に三禮をやりました。三禮では、般若心経と同じことを言うかもしれませんが、ヒザを痛めていて、三禮一回目で倒れているかもしれませんが、できる限り何度も挑戦して良いという話があったので、自分と戦って何度も挑戦することで、人はピンチの時こそ、強くなれるということを学びました。
次に、光明真言を1000回唱えました。三禮の次にやったということもあり、光明真言を1000回唱えるということは、正直、苦痛でしかありませんでしたが、この苦痛を乗り越えることで、得られるのが自分の目標として掲げていた忍耐というものでありました。
三日目は、朝起きて掃除をやり、朝食を食べて、声出し、瞑想をやり、法話を聞きました。例えば、今後、自分がどうなりたいか、どういう風に生きていくのか、とても貴重なお話を頂いて、自分なりに考えを直すことができてとても良かったです。
最後に、この二泊三日の天光寺の修行を通じて、自分が学んだことは、余計な力を入れずに、何事にも取り組むという姿勢や、自分をコントロールして、自分の悪い面を素直に反省し、謝ることやピンチの時こそ強くいっぱいから気付きを得て、何事においても積極的な姿勢で、日々、精神、忍耐力を鍛えて精進することなど、書ききれないほど、色々なことを天光寺で学びました。また、天光寺に来る前と後では、自分の考え方が変わっていると自分の中で思いました。
三日間、天光寺の住職やスタッフのみなさん、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
今回、己を変える為、参加させていただきました。
当初は滝行を行なわない予定でしたが、住職のおすすめにより、修行させていただきました。
南無大師遍照金剛と大きな声で挑戦しました。想像以上の水圧の強さ冷たさにより、倒れそうになりましたが、何とか最後まで行うことができました。
「スッキリするので絶対やられた方がいいです」という言葉が実感でき、邪気や甘えが消え去りました。この経験は今後の人生において大いに自信になるので、諦めず我慢強く挑んでいきたいと思います。また、他の修行も精神的に鍛えられて我慢強くなり、何事にも諦めず挑んでいく力を与えてくれました。特にお経を何百回唱える写経などは、精神力が鍛えられて、自分に足りないものを与えてくれました。
相手を思いやり、信頼関係を築き尊敬される上長を目指して、今後も天光寺で学んだことを忘れずに日々精進していきたいと思います。最後に天光寺住職、部長他スタッフの皆さま誠にありがとうございました。
会社の仲間を誘って20数名で天光寺に参りました。冒頭に感想を述べますと、「企画して良かった、来て良かった。」の一言に尽きます。
新型コロナウイルスの影響もあり、運動不足が生じている体には、お百度参りはきついと感じましたが、誰一人文句も言わず、走る、手を合わる、唱えるを繰り返しました。当たり前の昨今、感謝の気持ちを忘れていたように感じます。会社があり、一緒に働く仲間がいること、身体が健康なこと、今日こうしてみんなで来れたこと、これって当たり前ではなく特別なことですよね。
マイナスイオンたっぷりでしたね。滝に打たれる、応援しあう、本当に最高でした。普段見られない仲間の表情、性格を垣間見られました。私の解釈の範囲では一致団結したと思っています。
檜原村、遠いですが、仲間と集える場所を見つけました。また来年もお世話になります。ありがとうございました。
数年前に御寺で企業研修をさせていただきました。コロナ疲れもあり、そろそろ社員教育をしなくてはと思って電話を致しました。情勢を踏まえ、宿泊を伴わない研修をお願いされました。新型コロナウイルスで、会社も社員も打撃を受けたことは確かです。社員一人一人のモチベーションをあげて、底上げしたいという思いでいました。日数や時間に制限はありましたが、やはり御寺で研修をさせていただき、正解でした。「優秀な人材を企業の宝に変える」、ごもっともなご意見。社員を大切にしていきます。そして、一致団結して厳しい時代に立ち向かっていきます。ありがとうございました。
この度、この天光寺において修行を行い、普段では無い様な体験をしました。
滝行において、自分の内にあった物により、意識をうしないかけ、その後の修行(当日分)を行うことが出来ませんでした。
皆が三禮を行っていた時には、すわることが出来たので声を出して皆がガンバっているすがたを見ることしか出来ませんでした。
その日は、皆とは別行動となり、また、皆様にごめいわく、ご心配をおかけしました。
また、その他の修行においては、大きな声での挨拶や お寺だけに瞑想やお経を読み
体験して良かったと思います。残念なことは写経が出来なかったことです。
最近、字を書くことが少なくなり、筆による字を書くこともなかったので、
ぜひ行ってみたかったです。何かの機会があれば、ぜひやってみたいと思います。
この2日間の天光寺の修行において、無意識に行えることが出来ることが大切であることを習んだ様に思います。
今、感じたことや、経験したことを 今からの人生に生かして生活していきたいと思いました。
また、感謝の心を忘れない様にもしていきたいと思います。
2日間と短い間での修行となりましたが、本当にありがとうございました。ご心配をおかけいたしました。
私の人生の中では天光寺のようなところに来たことがありませんでした。すべてのことが初めてであり、たくさんのことが学べました。なんでも携帯やパソコンに任せてきた人生でした。楽で生きてきた私は24時間もインターネットからはなれて、新しい生活をしてました。すべてインターネットから離れて、新しい生活をしていました。すべて、インターネットに頼ることが正しいわけではないと思いました。私が生まれたころから体が弱いので天光寺での滝行や三禮がするのが大変でした。皆最後までやり切った所がえて自分が出来なかったことに少し反省し、負けたことからも学べることがたくさんあるということが考え直しました。未来が失敗することもあるだろうが今まで頑張って経験したものを失敗しても向上にして失敗したところから学んでいく事が大事であると理解しました。天光寺での3日間でたくさんのことがみんなと仲間にしてしよくじしたり片付けしたり、三禮したり色々の活動することで積極的な作業を出来ました。天光寺の研修で学んだ事が人生が全て楽でありません。辛い事もあります。辛い事にも頑張って乗り越えればいいことがある。この辛さが社会にあって諦めずに頑張る。それこそ、幸せになれる。誓いの言葉が学ぶことと学んだ事を行動してみることができました。余計な力を入れずに何事に取り組んでいきたいです。努力と知恵を使うことが何の作業であっても必ず結果を出すことができる。できないというところもやればできる新たなことに挑戦できると言葉が心に残っています。
社会に出て学ぶべきことがたくさんでてきます。新たなことに挑戦しながら自分を幸福にしたい、自分の周り自分のチームや会社の皆を幸福にしたいそれで社会を幸福であるように努力をします。自分の中でなおしてみたいところがたくさん見つかりました。
人間は言葉を発する前に頭で考えて言葉に気を付けると自分の思考を浄化に繋がるとことが理解できました。人を傷つける言葉、勇気を失くす言葉や、人を悲しみの言葉を言わないようにすることが大事であることも学びました。
自分が変えるのは自分である。自分を変えるのに自分自身を愛して自分を知って理解し、判断して人とのかかわり方にも効率的に出来る。そして幸福になります。天光寺で学んだことの全てのことを今後とも活用しながら生きたいと思います。3日間ありがとうございました。
沢山の事が学べたことに感謝しています。
今回の研修を通して「目標に対して最後までやりきる大切さ」と、「積極的に取り組む大切さ」を学んだ。普段の業務とはかけ離れた環境の中で技術面ではないところの「人間力」に向き合う二日間だったと感じ、とても充実した二日間だった。
「目標に対して最後までやりきることの大切さ」という事については、様々なプログラムにおいて果てしない目標設定がされているのだが、そのプログラム中に「辛い」や「苦しい」などといった感情が出てきていた。しかし、仲間と共に目標に向かっていく中で、自分自身との戦いのようではあったが、「みんな頑張っている」「自分だけリタイアするわけにいかない」という感情が湧き、目標を達成することが出来た。これは、業務の中でも活かせる部分は多くある。例えば、私は現在、人事部で、採用の仕事を任されている。特に新卒採用においては、採用目標人数が大きく、どうすれば達成出来るかを模索しながら業務をしているが、実際、ゴールというものがまだまだ先にある且つ、その道が見えないというのが大変な部分であると感じている。しかし、そのゴールに向かって一緒に進んでいる仲間もおり、「自分だけではない」「みんなで一緒に目標達成をする」というチームとして向かっていくことが大事だということを改めて感じた。なので、これからはチームの一員だということを再確認し、目標達成に向かって業務に励んでいきたい。
次に「積極的に取り組むことの大切さ」だが、これについては、一日目の夜に見た法話の中で「人脈が役者と舞台を作る」という言葉にとても感銘を受け、自分の中で感じたことである。私は、採用だけでなく、新卒社員の教育も担当させていただいているが、今の新卒は、業務にいっぱいいっぱいになってしまい、自分から学びにいくことがあまりなく、基本的に受け身となってしまっていると感じる。今の状態では、役者も舞台も三流のままとなってしまう。そこをどう教育していこうかと考えていた中での昨日の法話でのこの言葉を聞き、人脈も役者も舞台も勝手に作られるものではなく、自分自身が作り上げるものなのだと感じた。なので、これからは、新卒社員が一流の役者として舞台に上がれるように、しっかりと学んだ事を伝えていきたい。また、私自身も一流の舞台にはまだまだ遠いと感じているので、これからはもっと積極的に発言、行動していき、一流の役者となって舞台に立ち、一流のお客様の前で活躍したい。この研修を通して学んだことを2つ抜粋して書いたが、すべてのプログラムにおいて多くの事を学び、成長出来た二日間だった。学んだことを活かし、業務にあたり、一流の人間になる。
私は今まですべてにおいて八割やれば満足する性格でした。周りと比較して「何となくそれっぽい」行動をして、平均よりは上かなと思うところで、自分が苦しいと思う前にやめるというような人間だったと思います。しかし、今回この天光寺の新人研修に参加したことで、このような性格からガラリと変わった気がします。そのきっかけとなったのが滝行と三禮でした。
まず滝行について、最初に滝行をすると聞いたとき、嫌だなという気持ちと不安な気持ちが九割、好奇心が一割というような感情でした。実際に滝に着き、自分よりも前の人が本当に苦しそうに滝行しているのを見ると不安な気持ちは更に大きくなりました。自分に最後までできるのだろうか、という気持ちに押しつぶされそうでした。いざ、自分の番になって足を水に入れると、想像以上の冷たさに、いよいよ無理だと思いました。
どんどん深い部分に入っていき、寒さが限界まで達したところでふと負けたくないという感情が沸いてきました。
自分の中でこのような気持ちを持ったことはなかったので驚きましたが、この感情のおかげで最後まで続けられました。新しい自分の発見でした。
次に三禮について、結果から言うと、私は最後までやりきることはできませんでした。それまですべての修行をやってきたため三禮だけすべてをやりきれなかったことに、少しの悔しさはありましたが、不思議と達成感がありました。その理由を考えてみると、自分の体力が尽きる限り精一杯やったと正々堂々と言えるからだと思います。
三禮の最中は本当に辛くて何度も心が折れそうになりましたが、精神的に負けてやめるのだけは絶対にやめようと心に決め、体力が限界をむかえるまで続けました。
今まで自分が苦しさを感じる手前の八割くらいであきらめ、満足してきた私にとって、精一杯やることがどれだけ素晴らしく、自分にとってプラスになるのかを、気付くきっかけになりました。
この二つから学んだことをまとめると、滝行からは自分の中の負けず嫌いな感情と、限界を越えることで見えてくる景色、
そして三禮からは精一杯やることの大切さを学びました。
これらのことは人として生活していく上ではもちろん大事なことですが、社会人としてこれから歩んでいく上でも大変役立つ学びであったと思います。
これから何があってもそこから逃げずに、負けたくないという気持ちで精一杯取り組み、その先にある景色を楽しみにしながら仕事をまっとうできそうだと今は感じています。
また、今回の二泊三日の研修をやりきったということは、自分にとってものすごく自信になりました。
今まで何事にも全力で取り組まず、何かあると環境を言い訳にし、そんな自分に引け目を感じて全く自信を持つことができませんでした。しかし全力で取り組むことができたこの研修が一つの自信になり、自分のことを、少し好きになれた気がします。
これからも自分の一つ一つの行動を意識し、さらに自信が持てるよう精一杯頑張っていきます。三日間ありがとうございました
今回、私は研修の一環として、ここ「天光寺」を訪れました。
まず、挨拶の作法について教わりました。大きな声を出すこと、相手より深々と長い時間礼をすることにより敬意を表すことができるなど今までよりもプラスアルファの部分が多かったように感じました。
昼食の準備や後片付けも私たち自身で行うことだったので、チームワークや、どのようにしたら効率良く終わるのかを考えながら動きました。
お互いに声を掛け合えたりすることが出来ていたので、非常に気分の良いものでした。
「お百度参り」は、足の皮が少しめくれたり、息が上がるくらいまでやったので、大変でした。お寺の方の「がむしゃらに出来ない人はどこに行っても出来ない」という言葉が心にささり、懸命に走りました。とても清々しい気持ちになれました。
続いて、「滝行」を行わさせていただきました。「お百度参り」での傷が痛かったこと、想像していたよりも過酷だったこと、終わった後の気持ちの良さは忘れられないと思います。
邪気や邪念を払うことと、自分から出てくる負の感情をストレートに感じることという2つの目的は叶ったように思います。
「三禮」は最後の方に自分が今どのような動きをしているか忘れてしまうくらいに没頭してやりました。周りに負けないように頑張るといったこと、周りと励まし合いながら頑張るといったことが出来たため、自分に足りない2つのことを気付くきっかけになりました。
「写経」は自分の書く事の遅さに気付くことができました。
つまり、自分のこだわりが強いためにマイペースになってしまったということです。
周りを見て、「今何を一番に優先すべきか」を考える癖をつけようと思います。
二日目は朝の掃除から始まりました。
ここでも、お互いを助け合う姿が見受けられました。
「瞑想」と「光明真言」はどちらも楽なものだと思い込んでいましたが、意外とハードでした。しかし、自分の無意識がどのようなものか少しだけ、分かった気がします。
最後の「法話」では
1、人脈
2、舞台と役者
3、諦めない心
が大事であるということを教えていただけました。
個性を大事にすること、仕事をする場と自分をどのように見せるか、を考えさせられました。
「天光寺」で教わったことを教わったままにするのではなく、明日からの自分に活かせるよう、先を見て仕事をしていこうと思います。
2日間、本当にありがとうございました。この度は研修ありがとうございました。
研修を終えた感想は、本当に辛い2日間でした。
少しなめていましたが、お百度参りでは南無大師遍照金剛を3回唱えた後にお参りをする感じで、息が切れてなかなか唱えることができなくなり、回数が増えるほど辛くなりました。
滝行では、話で聞いていた以上に、体が寒くて、落ちてくる水も頭に当たり痛さに耐えるという気持ちでしたが、やり終わった後はすごくいい気持ちで心の奥から悪い物が洗い流されるような思いでした。
一番辛かったのが三禮で、ずっと一定のペースで同じ事を繰り返し、途中はやり切れるか不安でしたが、集団でやる事により、一体感が生まれて励まし合ってやりきる事ができました。
終わった後の達成感は最高でした。
夜は写経をしましたが、集中力が大事だと体感する事ができました。
2日目は朝のあいさつからはじまり、清掃をしましたが、朝から日に当たりながら掃除をするのはいい気持ちだなと思いました。
声出し、瞑想、光明真言では、行の中で2番目に辛く、瞑想ではずっと目をつぶっていると正直ねむたくなり、光明真言では正座が一番辛かったです。何事も集中して耐える事だと感じました。
法話では、あきらめずに努力すること、自分が主人公になることなど
積極的に生きていこうと思える、刺激を頂く話でした。
人脈と人望のある人になりたいと思いました。
今日からは、何事もあきらめず、努力をして、いろんな作戦を考えながら積極的に1日、1日、生きていこうと思います。
ありがとうございました。
私は正直、研修なんて余裕だと思っていました。
しかし今回、3日間の研修を受けさせていただき、自分の心の弱さや、日頃からどれだけ周りの人に支えられているのかというのが身に染みて分かりました。
まず初日にお寺に着いた時に、携帯を預けて、使えなくなり、いかに自分が日頃から携帯に依存していたかを実感しました。
そして、慣れない正座でお経を読み始めて、足も痛くなって、後半は声も出なくなってきて、早く終わらないかなと思っていました。
しかし周りで他のみんなが頑張っている中、自分だけ楽は出来ないと思い、最後までやりきる事が出来ました。
夜ご飯は、意外とおいしかったです。
二日目の朝は一日目の影響で朝から全く声が出ず、びっくりしました。
二日目から正座の影響で足腰が痛くとても歩くのに苦労したのを覚えています。
そして午前中にお百度参りは、割と気温が高く暖かかったので走りやすかったです。
そしてメインイベントの滝打ちは山登りでもう疲れました。
そしていざ、自分が打たれるととても寒く、三分なんて余裕と思ってましたが、予想以上に滝の勢いが強く、息がしづらく、とても大変で三分がとても長く感じました。
滝に打たれた後は、足に力が入らなくて歩くのも大変でした。
滝打ちが終わったあとの帰りの車の中は、みんな疲れていてとてもしゃべれる状態ではないため静かでした。
そのあとのお昼はとてもおいしかったです。
午後の三禮は前半は頑張ってついていっていたのですが、後半はひざに力が入らなくなり、少し休憩を入れてしまったのが残念です。
三禮が終わった後はみんなとりあえず疲れていて、もう一回滝に入りたいと言っていた人もいる程、汗だくでとても大変でした。
出来れば二度と三禮はしたくありません。
体も疲れ切って、のども痛くなって、その日のご飯はのどに通りませんでした。
そして三日目の最終日はもう体の限界で動くだけで体に痛みが走りました。
午前中のヨガは体が伸びて痛かったけど気持ち良かったです。
そして午後の法話は、いろいろ為になる話を聞かせていただき、とても有難かったです。
今までの自分は途中で諦めてしまうクセがあったのですがこの研修の滝打ちや三禮のおかげで、最後までやりとげられるような人間に変わることが出来たと思います。
そして私がこの3日間を乗り越えることが出来たのは、同期のみんなのおかげだと思うので、この感謝を忘れずに今後の研修や仕事を頑張っていければいいと思います。
このような貴重な経験をさせていただき本当にありがとうございました。
三日間とても有意義な時間をすごさせて頂き感謝の気持ちで一杯です。
ありがとうございます。
半年前、新人研修でお寺に修業に行くと聞いたとき、正直「行きたくないなぁ」と感じましたし、学校の友人たちにも馬鹿にされました。
しかし、今から三カ月ほど前、卒業制作の途中、私は自分のやらなければならないことを投げだし、楽なほうへ転がってしまい、そんな自分のことが嫌になってしまいました。
今回の研修では少しでもそんな自分を変えようと思いのぞみました。
天光寺での修業は全てが自分の想像以上でした。いつ終わるか分からず永遠のように時間が流れる中で読むお経。肉の無い質素なご飯。極寒の中で打たれる滝行、
運動不足の身体にムチを打つお百度参り、三禮。
スマートフォンのない生活、どれも過酷で二泊三日何度も投げだしたくなりました。
しかし、どの行も最中に無心になっていく感覚が生まれていきました。
スマートフォンのない生活も新鮮で、外界との繋がりから解放され、スッキリした気分を味わうことが出来ました。
今回の研修を通して、やり抜くことの大切さや呼吸の扱い方を学び、以前の自分から少し変われたような気がします。
会社が自分たちを研修に行かせてよかったと思って頂けるからは、今後の自分たちを見て頂ければと思います。
また、この研修で一番嬉しかったことは、今後一緒に働いていく仲間と一体感を味わえたことです。この仲間たちと助け合いながら頑張っていきたいと思います。
今回、研修体験に参加させていただき、ありがとうございました。当社は野外研修がスタンダードであるため、山登りや滝行に近い経験をしてきましたが、「寺」での研修は初めてでした。
まず来てみておどろいた事は、施設のキレイさと、多くの研修生が寺でのプログラムに集中できる環境があることです。また、多くの苦難を乗り越え、人としての厚みがある方が、ファシリテートしていただける環境も素晴しいと感じたのが正直な想いです。多くの企業が利用する意味が分かりました。
一日目から、真言宗としての考え方や作法など学ばせていただきました。当社としても普段社員教育において、「やり方」よりも、「あり方」について指導する事を大切にしており、働く上で共通の価値観を学んでいます。壁などにも飾られてある「心の持ち方」など通ずることがありました。アウトプットできるくらい、正直覚えられていないですが、仏教の考えに触れられた経験が出来て有意義な時間でした。お百度参りにて、身心を清めたあと、滝行でした。思っていたよりけわしい山道を越えてたどり着きましたが、修行の場として利用されるくらい神聖な印象をうけました。季節的にも寒くなく、多くの参加者もいたため、修行というよりは、楽しんで臨めました。滝の中に入ってしまうと、経験したことのない世界になり、指導者の方の声以外は何も聞こえなくなりました。「南無大師遍照金剛」とひたすら叫びながら必死になりました。他の参加者の方を見ていた時間より、自分でやってみる時間を長く感じ、終わった後に応援してくれていた方に「お疲れ様」と言われた時は本当に嬉しかった事を覚えています。写経においても、普段のデスクワーク以上に真剣になって向き合っていた自分がいました。環境が変わり滝行などで、身を清めた事で、毎日業務に追われている自分から心が少しリセットされたからだと思います。
夜は、先生の法話を聞きましたが、勉強が出来る、仕事が出来るなどに関わらず、決して立証できない未知の力について聞くことが出来ました。役者と舞台の話や、人としてのあり方についてのまとめ以上に、私の心に残っているのが、ガンだった方が、行動や発言、考え方をプラスにしていくだけで病気が治った話です。考え方や、発言について常に前向きにしていく事で、人生のひらけ方がきっと変わっていくのだろうと強く感じました。
二日目としては、朝のそうじから始まり、三禮を経験させていただきました。酸欠になるくらい、後半の時間は必死で心も体もすり減らしましたが、両隣で、頑張っている姿を見てやめる訳には行かずやり切りました。「残り三回」言われてから、力が湧き出てくる様な感じがありました。
来年、営業研修において利用させていただきますが、残りあと少しを達成させていくためには、「気持ち」が大切だと強く感じられました。
理屈では語れない、何かが存在するのだと思います。
思考が人生を作るように、常に心を平穏に保ち、未来のために前向きに取り組むことで、これからの自分の人生だけでなく、関わっていける人の為に自分が魅せていく、伝えていければと思います。
最後になりましたが、二日間で感じた、学べた事は、普段の生活では決して得られない貴重な時間となりました。本当にありがとうございました。
このたびは天光寺での研修をさせていただき誠にありがとうございました。
天光寺さんで学んだ挨拶の作法を自社に持ち帰りきちんと使えるよう頑張ります。
天光寺さんでは色々な修行を行いました。声の発声練習、お百度参り、滝行をさせていただきました。とても厳しく大変でしたが、やって良かったと思いました。
私は天光寺さんにきて、礼、合掌、行の挨拶を正しい方法で学ぶことができ、とてもよかったと思います。
精神や規則正しい生活など的確に教えてもらえてよかったです。
食事のときも南無大師遍照金剛を3回となえ食の命にも感謝をし、食事することを学びました。
仏前勤行で光明真言、般若心経、御宝号の練習もしました。
発声練習はとても厳しくたいへんでした。
修行の中でとても厳しくたいへんだったのは、三禮でした。
汗だくになり目もあけられない状況でしたのでとても厳しく身体を使った修行でした。
最後に天光寺さんで学んだ事、教わった事を実にし、仕事に戻っても頑張ります。
私はこの三日間で様々な事を発見、再認識をすることができたのではないかと思います。
半年前、入社前で先輩方に、寺の研修があると聞いたとき、正直驚きました。
寺で何をするのだと思いあっというまに時が過ぎ入社式を迎えました。
入社式で大方のスケジュールと内容を聞いたとき、大変そうと思う一方、普段なら経験できないことが経験できると思い、少し楽しみでもありました。
当日、寺に着くと紙を渡され自分の目標を書くことになりました。そこで自分自身を振り返り、社会人としての第一歩として気持ちを切り換えられるようになったらと思いました。
読経、お百度参り、滝行など肉体的、精神的にしんどい修行が多くみんな歯をくいしばりながらがんばっていました。
最もきついと思われたのが三禮でした。大声を出しながらの上下運動は全員を苦しめていたと思いました。しかし、辛くなってきてからこそ声を大きく出してお互いを鼓舞し合ってる姿がとくに分かった。終わったあとのみんなの顔を見るととても良い顔をしていました。
思えば滝行では上がった後、互いをたたえ合っていたり、手を貸していたり、お百度参りでは声を掛け合っていたりと助け合っていました。
この研修が始まる前と後では確実に団結力は高まっていると思いました。
また修行中の人達は毎日のようにこの生活をくり返していると思うと、自分も目的のために努力を怠らずに日々精進していかなければいけないのだと今一度再認識することができました。
私はこの研修で社会人になるための第一歩を踏みしめられたのではないかと思います。
私たちが行った滝行や三禮などの厳しい修行は決して普段の心持ちでは成し遂げられなかったろうと思います。仲間の応援や、職員さんを始め、天光寺の方々の支えがあって達成できたことだと思いますが、私は「絶対にやり切ろう」と自分の中で強い意志を持てたこともこの2泊3日無事に過ごせた大きな要因だと思っています。
私が絶対にやり切ろう思えたのは、同期の存在と社会人生活がこれから始まるという2つが理由だと思います。
自分の中で「同期に負けたくない、情けないと思われたくない」「これから始まる社会人生活の大事なスタート場面でくじけてはならない」などの強い意志が最後まで修行をやり遂げさせてくれました。
今回の修行が辛かったという訳ではありません。
ひどく苦しく、大変な状況でも自分の心持ちを強く持っていれば、きっと結果は良い方向へ向かっていく、という貴重な経験が出来て、本当にありがたかったです。
この経験はこれからきっと困難な時期を迎えるであろう未来の自分の、必ず心の支えになるものであると信じています。
住職のおっしゃっていた「消極的な言葉を使わない」「不平不満を言わない」という言葉とともに、将来辛い時・苦しい時があった際にこの研修のことを思い出したいと思います。
また、今回私が感じたのは、まだまだ自分が知らない世界、体験があるということです。
研修に来る前は、寺での修行、滝行などは、なんとなくは知っているものの、いまいち想像できないものでした。むしろ言葉を聞くだけでは「面白そう、やってみたい」とすら思っていました。しかし、いざそれらの修行を終えてみると自分の想像以上に厳しく、いままで味わったことのない感覚でした。
2泊3日で少し触れただけでそこまでの感覚を味わったので仏教の世界はもっと深く濃いものなのであろうと思います。
このように自分が本当の意味で知らない世界はたくさん存在しているはずです。
自分がいま知っている知識、感覚でしかやったことのない出来事は語れないと思います。
なので、積極的にこれからも新しい体験にチャレンジしていき、知識や感覚をどんどん得ていきたいと思います。
そして、同じ経験をした同期や社長、役員陣への尊敬の念も、この2泊3日の研修で増しました。同じ日に研修を行った同期らは身体のコンディションや体格差もある中で自分と同じ修行を乗り越え、社長らは極寒の中、年齢も自分らより上であるにも関わらずやり切ったという精神力は本当に凄まじい強さで尊敬しています。
また、今回の修行で精神力の強さは身体の強さも重要であると改めて認識しました。
身体が丈夫でないと、自分の頭の中にすぐ弱音が充満してしまうと思います。
なので、研修から帰ったら身体の鍛錬を欠かさず行い、栄養バランスのとれた食事や、十分な睡眠時間をとるよう、これまでの生活習慣を変えていこうと思います。
今回学んだことは今分かっているだけでは不十分でもったいないことです。
今日からでもすぐ行動に移し、忘れないよう注意して過ごしたいです。
天光寺にて研修をさせて頂いて、お寺のイメージが変わりました。
今迄は自分の「欲」をおさえるようなイメージでした。しかし、お話を聞いたり、滝行をしたり、お百度参りをするのは、頑張って自分をみがいて夢に近づいていくという物でした。
舞台と役者を生かすお話では、今迄の自分は出逢いを生かしきれていないと感じました。
色々な人と出逢っているのに、人脈に生かせず疎遠になってしまっている事が多いなと反省しました。
お百度参りをさせて頂いて裸足で走るのはこんなにつらい事なのだと感じました。
普段履いている靴に感謝していこうと思いました。
滝行をさせて頂き、はじめは冷たいけど大丈夫と感じていました。
自分に足りないものは 不満に思っている事 など考えながらさせて頂きました。
滝行を終えて体調が悪くなってしまい動けなくなってしまい、皆さんに迷惑をかけてしまいました。
みんな、三禮をやっているのに自分は動けなくて情けなかったです。
人生の中で不思議な体験をしました。
とても寒く、ふるえも止まらず、手足の力が入らず、かつ笑いが止まならない。自分でもコントロール出来ないのは初めてでした。本当にこんなことがあるのかとしみじみ思いました。助けてくださいました皆さん本当にありがとうございました。
これから天光寺での研修を生かして仕事も、私生活もしっかりもっと頑張ってやってゆこうと思います。ありがとうございました。
自分はこの二泊三日の研修で学んだことは、続ける、やり続けるという精神、忍耐力を付けられたことです。精神力は、持ちあわせていたつもりでした。高校の頃朝五時に家を出て自転車で真夏の暑い中、真冬の寒い中一時間かけて学校に登校し、部活動のバスケットボールの練習に参加し打ちこむ、そんな生活を三年間続け少しでも体力を付け、少しでもバスケットをうまくなろうという思いで頑張り続けました。しかし、大学でなまけてしまった精神を思いださせて頂けたような三日間でした。一日目に精神、二日目に身体面で強くなれたと思います。お百度参りに始まった走り声を出す。走るのみなら楽だったように思えます。しかし、声もはりあげるとなると倍のしんどさをともないました。自慢になるかもしれませんが、自分の声が一番山に届き響いていたと思います。続いて滝行です。冷たいのが苦手な自分には辛い行になりました。しかし、同期の声に支えられ「すぐに逃げたい」という心を殺しのりきることができ、みんなに助けられ救われました。そして三禮。最初しんどくなってくる感覚がわからなかったですが、この三禮でも声がみそだったと思います。「おん、さらば、たたぎゃた、はなまんな、のうきゃろみ」これを声にするための息が整う間がなく、みんなの声が少なくなりやめていく人も増える中 一人が「頑張れ!!」と声をあらげてくれ勇気になりました。その子がつらそうにしていれば自分は「ファイト!!」と声をあらげました。それが伝染していったのかラスト二十回からの団結力はやっている身からしてもはげみになり最後まで声を出すことができ、皆様に感動をあたえる結果になりました。「声」には力があるということを肌で感じ何人もの人を自分が動かしたという責任感からか自分は最初から最後まで大声出しながら続けることができました。先生が法話でもおっしゃっていた通り積極的な言葉が生んだ感動だったと思います。なにごとも積極的に行動してみてから考えればよいと思いました。急に億のお金を手にするかもしれない繋がりになる人脈が人生を変える、一人ひとりとの関係を大切にしていきたいと思います。食事もそうです。毎日どれだけ幸せか身にしみてわかりました。三日目のカレーライスが本当に何倍もおいしく感じました。あいさつ面は、高校のバスケットボール部の頃から教えこまれていたので誰かとすれ違うたび「おつかれ様です」を忘れずすることができました。これは会社でも忘れずずっと続けていこうと思います。会社内でも明るく自分も明るくなれるそんなあいさつを心懸けこれからも頑張っていきたいと思います。食器の片づけがあり、その時グラスが割れてしまい「先生に報告しておいて」といわれた時かなり時間が経ってしまいましたが「謝りにきて正直」と先生に言っていただき悪いことをしたのにほめられてしまいました。正直にこれからも頑張っていれば結果がついてくると思えました。
当初私は、引率という役割を兼務する立場で参加する予定であったため、一歩引いて後輩たちが奮闘する様子を見守るつもりでした。しかし、挨拶の練習や声出しを行いながら、従業員さんより様々なお言葉や教えを戴くにつれて、一人の社会人として、さらに一人の人間として一つでも多く価値のあるものをつかみとって帰ろうという考えに変わっていきました。
日常の業務では、工程通りに作業を進めることや売り上げ、利益などの結果を出すことが最優先となり、自身の内面的な充実や精神を調えることは時として難しくなり、疲労しストレスをかかえた状態で繁盛期を過ごすことが多々あります。そのようなときこそ、平常時以上に力を発揮し、周囲を勇気づける行動をとりたいと考えていましたがほとんど実現できず、実際にはノルマに追われ、受動的な人間になっていました。この研修では、私自身の持つマイナスな面と正面から向き合いこれまで感じていた限界や壁のようなものを乗り越えるためのヒントが得られるのではないかと大きな期待を抱き、全ての研修内容に全力で取り組ませていただきました。特に印象深いのは滝行でした。水面に足を付け、水を浴び桶で水をかぶった時点では、特に問題なくやり遂げることが出来るだろうと思っていましたが、直接滝の水に打たれた瞬間、息ができなくなり、全身が震え、経験したことのない恐怖感に襲われました。開始5秒くらいで諦めそうになりましたが、応援の声がかすかに耳に届き声が出なくなっても、無様な姿でも一生懸命やり抜く姿勢だけでも見てもらおうと考え直し、終了の指示があるまで続けることが出来ました。私は、年を取るにつれて失敗を避け、上手に出来そうにないことから距離を置くようになっていたと感じました。いい結果だけを得ようとするあまり、臆病になっていたのだと思います。滝行での経験から、困難に挑むための精神の持ち方を思い出すことが出来ました。
次に印象に残っていることは三禮です。一昨年に参加した先輩の話から、最後までやり遂げることは不可能と、はじめから決めつけてスタートしました。他者の意見をうのみにし、自分の限界を決めつけていました。ところが実際に体を動かし、声を出していく内に、自分に負けたくない気持ちとエネルギーが沸いてくるのが感じとれ、疲れや足の痛み以上に、達成感への欲望や渇きが生まれ、最後まで休むことなく完遂することが出来ました。
このことから、自分の力で頑張った経験こそが最も信頼できることであり、自信になるものであると再認識することが出来ました。そして、この研修で最も心に残っていることは、従業員さんより頂いた「何を得て帰るかは本人次第」という話です。同じ環境で同じ経験をし、同じ金額を支払うのであれば、自分の人生を豊かにするための何かを一つでも多く持ち帰るべきだと思います。その何かを得るための心の持ち方、姿勢を学んだ事に最も大きな価値を感じています。このような機会をいただいたことに感謝し、明日からの人生に挑んでいきたいと思います。
天光寺での研修を経て、自分の中で「生き方について」「人生について」「仕事について」という所が変わりました。
この変わった所というのは、一つの考え方次第でガラッと変わる事だったので、非常に
新鮮かつ刺激的な体験でした。
まず、第一に「生き方について」という所ですが、これまでの私の生き方というのは、「自分に向き合わず、悪い所は見て見ぬふり。やり続けずに、ブレーキを踏む」といったネガティブでプラスな考え方がほとんど無いような人生でした。
ですがそんな生き方をしつつも、「このままでいいのだろうか」という気持ちはありました。
しっかり自分と向き合うという自身の課題を克服するのに、この研修はとても良い影響を与えてくれました。
「三禮」「お百度参り」という厳しい修行を経て、感じたことは、
『どんなに辛くても、苦しくても、自分なら乗り越えられると信じ、歩き続ければ、そこには頑張った分の達成感と、自分を信じてあげられたという自信が付く』という事です。
そして、「滝行」を経て、感じたことは、『自分の限界をわきまえておき、その上でその限界までをどのように全力で過ごすか』という事を、感じました。
「三禮」「お百度参り」「滝行」という行を体験することで、「歩き続けやりとげること」の大切さ、「限界を見据え、自分と向き合い、そこまでどのように行動するかを考えること」の大切さを学びました。
次に「人生について」ですが、これは住職の高尾聖賢先生の言葉が私の考え方を変えてくれました。
仰った言葉が「あなたは今、人生の主人公でいますか?それとも負け犬ですが?」そう言われた時、私はすぐ、自分は負け犬だと考えました。
なぜなら人生の主人公らしいことをしていないからです。
不屈の魂で何かやり遂げたか?大きく成長して上に上りつめたか?仲間と共に夢を作り上げたか?私はこれらをしていなかったです。
「この世に生まれ落ちて、自分の人生を歩むのなら、光輝かなければ。自分の人生なのだから、自分が主人公でなくてはならない」という言葉は「人生」に対しての向き合い方が変わった言葉でした。
最後に「仕事について」ですが、これは前述にあるような考え方の変化で変わっていきました。
まず、仕事において、自分に甘えが出るということについては、その甘えによって、これから先、どのようなものを失うかを知り、そう考えてしまった自分と向き合うことで、自分を律することが出来るようになりました。
そして、みえない固定観念を怖れ、「気をつかう」という体のいい言葉で「逃げていた」ことについては、固定観念を壊してこそ仕事であり、怖れず進み続けることが成長であることを学びました。
以上のことが大まかではありますが、私が天光寺で学び、感じた事になります。
来る前の最初のイメージから変わり、来れて本当に良かったと感じました。
また自分自身の考え方、生き方に迷いを感じたら、来たいと思いました。
私は入社以前には寺で企業研修を行うなど考えてもおらず、仏教の教えに明るくないこともあり、不安を強く感じていました。しかし、実際に研修をやり通し、ここでは仏教の考えを通して世の中のあらゆることに適応される真理、また同様に多くの物事をやる際に必要なる精神を人に伝えているのだと気付きました。
例を挙げるならば初日に行った挨拶の練習です。ここでは、これから社会に出て働くものとして必要となる挨拶の練習となっていただけではなく、自分を訪れてきてくれる方に当然持つべきである敬意を分かりやすく挨拶という分かりやすい形で行動に移すことにより、常に忘れないようにするべきであるということを学ぶことが出来たと感じます。
また、お百度参り、滝行、三禮といった肉体的な辛さを伴う行を通して「今まで経験したことのない道の物事でも積極性と精神力でやり通すことができる」という事を学びました。
正直に申し上げると、前に名前を挙げた3つの行は特につらそうで、二十二年間で一度も発したことが無い説明が無ければ意味も分からない言葉を覚える必要もあり、やる前は「できればやりたくない」と考えていました。しかし、一度やり始めると「最後までやり抜こう」という思いが自然に頭に浮かびました。ここで、積極的に行動すること、とりわけ実際に行動を起こすことの重要性に気付かされました。そのような積極性をもったおかげで「辛い」という気持ちは達成感に変わり、このことは行のみならず、あらゆることに通じると感じ、仕事にも生かしてゆこうと感じました。加えて、件の3種の行は特に仏教色が強く、仏教について表面的な知識しか持たない私にとっては、どのような意図を持って企業研修のメニューに組み込んでいるのかが理解できていませんでした。しかし、前述したように実際に行ってみると日常にも広く通じる学びを得る頃が出来ました。このことから、一連の物事の中で、自分にとっては一見無意味に思えることでも重要なことが隠れているのだということを身をもって学びました。研修以前に聞いていた「自分がとった電話の重要度が低そうだったのでとりつがなかったが、後に重要な電話だったという事が分かり、大目玉をくらった」という体験談が上がりリアリティを持つものとなって聞こえるようになりました。このことから、仕事中一見大事そうに見えない工程があっても、長年培われてきたものだということを念頭に置き、サボったり、自分の判断のみで省いたりすることをしないようにしなければならないようにしなければならないという事を強く肝に銘じました。
また、瞑想の時間は、普段暇があればスマートフォンを手に取り、いくらでも時間を潰すことができ、悩みがあればすぐにインターネットで解決策を探そうとする私にとって自分ついて考える良い1時間となりました。
自分の将来などについて悩みがあったり、躓いたりすると投げやりになってしまう一面がある私は
無意識に語りかけながら、これから先自分が幸せになるにはどうしたらいいか真剣に考えたことがありませんでした。今回の短い時間では答えを探し出すことはできませんでしたが、これから意志を持って選択をしていこうと思い直すきっかけとなりました。
再三ですが最後に今回の研修で学んだ事は、万物に通じるものである種の真理であるのだと感じたという事を改めて述べさせていただきます。
今回はそのような教えを仏教の道を通して教わりましたが、本質を見れば仏教のみならず、形は違えど他の事を通してでもこの考えに辿りつくのではないかと感じます。
本当に最後になりますが、今回様々な学びを得る手助けをして下さった天光寺の住職並びに職員の皆様に感謝を述べて結びとします。本当にありがとうございました。
私は、天光寺にて四月二日より三日間、企業研修を行いました。
研修を通して行ってきた挨拶などの作法を通じて学ぶことがありました。生活を通じて行われる作法は、一つ一つの催しの区切りを明確にし、気持ちを入れ換えることを自然と出来るようにするものであり大きな意味のあることであると学びました。
三日目には、作法による気持ちの切り変え方の力を実感し、各催しに集中して挑むことが出来ました。また、研修を通して声を出すことが重要視されていましたが、声を出すことで気を調整したり、作法のリズムを生み出て、生活に抑揚を生じさせる効果もあるのではないかと考えました。般若心経などの言葉を覚え、自ら声を発することによって、積極的に何かをやっていくといった姿勢が養われていくのを感じました。さらに、なぜ唱えるのか、何を唱えているのか、理由や意味が自分の中で分かっていくにしたがって、一種の達成感のようなものを感じ、企業研修といった、やらされているといったことから、自らやっているといった意識へと変わっていきました。朝から夕方まで体を動かしたり声を出したりといったことが続く中で、夕食後に行われる写経、写仏が私の中で特に印象的でした。普段使用することのない筆を用いて、ふり仮名なしでは読むことの出来ない般若心経を写経するにあたり、普段の生活では考えられない集中力をもって行うことが出来ました。
写仏に関しては筆で書くものとは思えない細かな絵を写すこともあって、自分でも信じられないような技術と集中力を総動員して最高の形でなしとげられたと思っています。
天光寺での研修を通し、始めに自分がしていた考え方が変わったことを感じています。
普段とは全く異なった環境で、普段ではありえないことを行ったことによるものであるとも考えられますが、この環境を与えてくださった天光寺の皆様方、また、ここでの研修をきめてくださった会社の方々に感謝します。
この三日間、自分の出来ることは全て成し得たと考えております。スマートフォンの使用禁止など厳しいことも多くありましたが、やる価値のある研修であったと確行しています。
三日間、大変お世話になりました。ありがとうございます。
天光寺での研修を経て、自分の中で「生き方について」「人生について」「仕事について」という所が変わりました。
この変わった所というのは、一つの考え方次第でガラッと変わる事だったので、非常に
新鮮かつ刺激的な体験でした。
まず、第一に「生き方について」という所ですが、これまでの私の生き方というのは、「自分に向き合わず、悪い所は見て見ぬふり。やり続けずに、ブレーキを踏む」といったネガティブでプラスな考え方がほとんど無いような人生でした。
ですがそんな生き方をしつつも、「このままでいいのだろうか」という気持ちはありました。
しっかり自分と向き合うという自身の課題を克服するのに、この研修はとても良い影響を与えてくれました。
「三禮」「お百度参り」という厳しい修行を経て、感じたことは、
『どんなに辛くても、苦しくても、自分なら乗り越えられると信じ、歩き続ければ、そこには頑張った分の達成感と、自分を信じてあげられたという自信が付く』という事です。
そして、「滝行」を経て、感じたことは、『自分の限界をわきまえておき、その上でその限界までをどのように全力で過ごすか』という事を、感じました。
「三禮」「お百度参り」「滝行」という行を体験することで、「歩き続けやりとげること」の大切さ、「限界を見据え、自分と向き合い、そこまでどのように行動するかを考えること」の大切さを学びました。
次に「人生について」ですが、これは住職の高尾聖賢先生の言葉が私の考え方を変えてくれました。
仰った言葉が「あなたは今、人生の主人公でいますか?それとも負け犬ですが?」そう言われた時、私はすぐ、自分は負け犬だと考えました。
なぜなら人生の主人公らしいことをしていないからです。
不屈の魂で何かやり遂げたか?大きく成長して上に上りつめたか?仲間と共に夢を作り上げたか?私はこれらをしていなかったです。
「この世に生まれ落ちて、自分の人生を歩むのなら、光輝かなければ。自分の人生なのだから、自分が主人公でなくてはならない」という言葉は「人生」に対しての向き合い方が変わった言葉でした。
最後に「仕事について」ですが、これは前述にあるような考え方の変化で変わっていきました。
まず、仕事において、自分に甘えが出るということについては、その甘えによって、これから先、どのようなものを失うかを知り、そう考えてしまった自分と向き合うことで、自分を律することが出来るようになりました。
そして、みえない固定観念を怖れ、「気をつかう」という体のいい言葉で「逃げていた」ことについては、固定観念を壊してこそ仕事であり、怖れず進み続けることが成長であることを学びました。
以上のことが大まかではありますが、私が天光寺で学び、感じた事になります。
来る前の最初のイメージから変わり、来れて本当に良かったと感じました。
また自分自身の考え方、生き方に迷いを感じたら、来たいと思いました。
この二泊三日の研修を通して最も強く感じたのは「仲間」の存在の大きさです。
私はこの研修で、今までの学生気分を捨て、大人として、そして社会人としての自覚を持つという目標を立てました。
一日目に行った、自己紹介や挨拶、お経読みは、「声が小さい」と何度も言われ、いつになったら終わりになるんだと思いました。
ネガティブなことや不平・不満を口にしてはいけないと分かってはいても、ついつい心の声が漏れてしまうことが多く、一日目はまだ精神的に子どものままだったのだと思います。
二日目に行ったのはお百度参りと滝行、三禮でした。
この二日目が一番つらかったです。
お百度参りは全員で裸足で百往復し、一回ごとに「南無大師遍照金剛」と唱えなければいけなかったので、息つく暇もありませんでした。
お百度参りが終わり、滝行に向かいました。
滝行は今までやったことがなかったので、少しだけ楽しみにしていたものでもありました。
しかし、現実はそんなに甘いものではありませんでした。
滝行の服装はパンツの上に行着を着るだけで、こんな格好でやるのかと思いました。
滝行の順番で自分はまん中あたりだったので先に滝行をする人を見ていました。
滝行を終えた人全員が、「ヤバい」「寒過ぎ」と口にしていて、自分がやるのが怖くなりました。
しかし、ここまで来て逃げられないので、覚悟を決めて、滝に向かいました。
滝は目の前で見ると流れも強く、先に滝行をやっている人を真近で見ると、遠くで見ていたときとは全然違い、大変さが伝わってきました。
自分の番が来て、水の中に足を入れただけで凍ってしまうんじゃないかというくらい冷たかったです。その後に一度頭から水をかぶってから滝の中に入りましたが、冷たすぎて体中を刺されたような痛みがありました。すぐにでも滝から出たいと思いましたが、三分間入っている人が多く、自分も負けたくない、逃げたくないという一心で、三分間入ることができました。
滝行の後にやった三禮は、一人だったら、絶対にやり切ることはできなかったと思います。
止まってしまえば楽になれると思いましたが、みんな頑張っているし、後ろから鼓舞してくれる仲間がいてくれたおかげで、全員でやり切ることができました。
終わった後の達成感と一体感はすごかったです。
三日目は法話を聞き、人脈の大切さ、積極的な心を持つことを学びました。
私は今までどちらかというと消極的な人間でしたが、これからはチャンスを逃さないためにも積極的に生きていきたいと思います。
この研修で一番強く感じたのは仲間の存在の大切さです。
滝行や三禮はもちろん、食事の準備なども仲間と協力して行ったことで、絆も強くなったと思います。
また、普段と全く違う生活をすることで、あたりまえだと思っていたことが、決してそうではないと知ることができました。
貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。
2019年4月度、合宿で私が特に重要だと感じた「学び」「気付き」をお伝えします。
まず、結論として、「気付き」は以下の四点です。
①「己の限界をもっと超えていける」という確信②「奉仕の心」の重要性
③前向きで健康な魂(精神)を保つ事の重要性④自身の「甘え弱さを断つ為に何を拠り所とすべきか」その答え。
①の「限界への挑戦」への自信に対しては今回経験した数々の身体を使った修業から確信を得ました。普段の生活では「やろう」「できる」と思えない辛い事でも「やってみればできる!」ことですし、学生以来、久しく忘れていたアグレッシブな感覚を思い出すことが出来ました。
②「奉仕の心」の大切さは、今回一番近くで私たちにご指導下さった担当の方をみて思った事です。その姿からは「気遣い」「感謝」「謙虚さ」に溢れており、言葉の端々から伝わってくるものがありました。
担当の方も昔営業をされていたと、お聞きしましたが、これが「売れる営業マン」のあるべき姿だと感心したので、モデルとさせていただき、自分も一つ一つの表情、言動、挙動を磨き、変化します。
③「前向きで健全な精神を保つ」ことの大切さは、住職様の説法は拝聴し感じたことです。その類稀とも思える成功の土台となったサクセスストーリーの裏側には、ご自身の『舞台の主役』とでもいうべき個性と強烈なポジティブさがあったのだと教えて頂きました。
社内でもなぜこれだけ「前向きな言葉」を重要視しているのか?改めて思い知った所です。
今後「言葉の力」を活用していく事は勿論、住職様がご説法でお薦めしてくださった「瞑想録」も読んで更に理解も合わせて深めます。
④が「今の自分の甘え、弱さ」を断つ為にどう在るべきか!?という問いの答えです。
私の答えは「仲間や自分自身の家族を守り、そして自分も幸せにする」という決意を今後のより所として、辛い時、自分に負けそうな時、踏ん張っていくという事です。
自分自身の欲望として、もっとお金を稼ぐ、男としてもっと出世するという目標はありますが、それは所詮独りよがりで踏ん張れない。自分だけでなく、仲間や家族、目の前の人達の幸せを守ることまで責任を負う覚悟が必要だという結論に、上司や住職様、担当の方の姿を見て至りました。
綺麗ごとを語ってしまいましたが、それを綺麗ごとで終わらせない為に、今は何より「結果」「数字」が全てです。その結果に関して見ていてください。
まずは、一営業、プレーヤーとして結果も含め一流になって見せます。
今回の研修を受けさせていただく前は他人の目ばかりを気にしたり、自分の人生をなぜか、自分じゃなく他人が歩いているように思っていました。
私は自分の人生を自分の意志で進んできたという実感がありませんでした。
「人が何かをしたから一緒にしよう」とか「みんながやってるから」など他人を軸にして物事を考えるのが多かったからです。
物事に対して積極的ではなく消極的で自分から進んで取り組む事がなく誰かの後ろに立っている時に「自分は必要なんだろうか」や「自分がいてやることがあるのだろうか」と考える事がありました。
やっぱりそれは、自分の中に絶対的な価値がなかったりなどマイナスなことばかり考えていたからだと今回の研修で知る事が出来ました。
今まで生きてきた中で「責任」という言葉を深く考える事がなかったり、自分自身がいろんな事から逃げる事が多々ありました。
研修で「責任」や「自覚」を学ぶ事ができました。
生きる目的を持つことがなく、流れるままに生きてきて、今も自分の意志で生きているわけではなく、ただやりたい事するわけでもなければ、見つけることもなく、時間がいつのまにか過ぎているという何の生産性もない日々を過ごしてきました。
研修の内容で一番やり遂げたと思った事は滝行で、今まで逃げてばかりだった自分の中で逃げたいと思っても逃げずに最後までやり遂げた数少ないものの一つだからです。
滝行をしている時、最初は冷たいと感じたのですが、座ってからなぜか水が暖かく感じたのは自分でも不思議に思っています。
自分自身を一新して、これから社会人としての自覚と責任を持つことと、何か目的を持って生きていこうと思います。
私は、正直、この寺修行に行きたくはありませんでした。
会社の先輩からキツい、つらいと聞いていたので、来る前から気持ちが下がっていました。私は元々人の発言や行動などをとても気にしてしまう性格なので、その部分でも行く気力が無くなり、精神的にも、思考的にもつらい所がありました。
今回の研修で、同じ新入社員のみんなと二泊三日することを不安に思っていました。
新入社員とはまだ会ってからまだ数日しかたっていないのに一緒に泊まるのは中々難しい事だと自分は思います。新入社員とどう接していいのかわからなかったので本来の自分を出す事が出来ませんでした。
それは、自分に自信が無いから、相手と話す事やどこまで踏み込んで良いのかが分からないし、自信が持てませんでした。
しかし体験した滝行や三禮で団体力が深まった様な気がしました。
滝行は、最初そんなに寒くないだろうと甘く見ていましたが、いざ入ってみると予想以上に冷たく、滝に打たれると声が出ませんでした。
後半の方になると声もだせる様になり、みんなの声も聞こえるようになって頑張ろうという気持ちができました。
終わった後にお坊さんやみんなにおつかれ様と言われて三分間、たえれて良かったなと思えました。
三禮では、キツいやもう無理だとお経を唱えるだけにしようと何度も思いましたが、お坊さんや友人達が「頑張れ」「もう少しだ」とお経の間に言ってくれたのでとても頼りになれましたし、自分も頑張ろう、自分だけじゃないんだという気持ちを持てたので、一回も座らずに三禮を終える事ができ団体力が深まったと思います。
今回の研修で物の大切さ食のありがたさが本当に良く分かりました。
食事の時、食べ物を残すなと小さい頃からよく言われて来たので残すことはありませんでしたが、なぜ残してはいけないのか、誰のことを思って「いただきます」「ご馳走さま」を言っているのか根本的な所を食前、食後のあいさつ、言葉を唱えて食のありがたさや大切さを知ることができました。
また、私達の体、健康を気づかって料理を作ってくれた先生はとても凄いと思ったし感謝しています。ありがとうございました。
作ってくれた人に対し、おいしくないやまずい、食べたくないなど言うのは良くないと思いました。
私は、この研修に来る前までは、ネガティブな発言や自分に対して不になるような事をよく言っていたような気がします。ですが、滝行や三禮、お経を唱えたりして、ネガティブな発言はひかえようと思いました。
マイナスな発言で病気になったり病んだりする話はとてもタメになりました。マイナスな発言で自分自身の気持ちや思考が落ち込まないように自分が得になる事、前向きな発言をして、健康でいようと思います。
自分に自信が持てない事があり、人や好きな事から逃げている時がありましたが、少しずつで良いから自分に自信を持って、本当の自分を仲良くない人の前でも出せるようになりたいと思いました。
好きな事や物も我慢せずに出していこうという気持ち、考えになれました。
今回の研修はキツいし辛かったけど、自分の考えを改められる研修になりました。
私が、こちらのお寺に修行しに来た理由は2つあります。
一つ目は、最近生活リズムが崩れ体調が優れないのでそれを改善できたらというのが一つ目の理由です。
二つ目は、これから仕事で大きな取引があるので気を引き締めるためにも参加させて頂きました。
修行の内容としては、お百度参りと滝行そして、写経です。
まず、お百度参りですが想像以上に辛かったです。お経を唱えながら走るとより疲れました。
ですが、終わった時の爽快感は他では味わえない物でした。普段あまり運動をしないので運動をしてかいた汗は久しぶりで心が洗われました。
次は、滝行です。滝行をする為にくる方もいるみたいなので少し楽しみにしていました。
私は生まれて初めて滝を間近で見ました。改めて自然というものについて思い知らされました。
滝の中に入るとすごい勢いの水で呼吸もままなりませんでした。
入っていたのは短い時間でしたがとても長い時間いたように感じました。それだけ、自分自身と向き合えたのだと思います。滝行を終えて身が引き締まる思いでした。
最後は、写経です。筆を持つのは学生の時以来です。墨の匂いが懐かしく感じられました。そんな事を思っていたのもつかの間で集中力はある方だと思っていたのですがお百度参りや滝行の疲れからか眠くなってきてしまいました。
今回修行にきて、目的だった生活リズムの崩れはお百度参りで走って以来走ることが楽しくなってきて毎朝少しずつ走るようにしたため、改善されました。
ありがとうございました。
私はこの寺へきていくつかの学んだ事があり、特に学んだと実感したのは「忍耐」
の部分についてです。ここへ来る以前の私は、中学生、高校生、大学生といやなものからはとことん逃げてきました。それが最初は、自分がやりたいと思ったとしても。ですが、この寺にきて、まずお経を長時間唱えた時、まず、「足が痛い」「終わらないお仕置き」といった負の感情に捉えられていました。初日のこの場面では企業研修だから最後まで乗り切ろうと思っただけで「苦しみ」などの負の感情は一切ぬぐうことができてはいなかったです。
私に少し変化が現れたのは、初日の夜写経を行っている時の事でした。その時私は朝早く起きて道中の長旅、重い荷物、一日の修行で疲れがピークまで達しており、猛烈な眠気に襲われていました。このままここで寝てしまおうかとも考えましたが用を足して帰ってきたら不意に頭の中に「こういった極限のギリギリの場面」でこそ頑張るべきなのでは?「それこそが忍耐であり今までないがしろにしてきたものではないのか?」といったことが浮かんできました。私はこの先何をするにしても「ここで耐えられないようでは何もうまくいかない」と思うようになり、正直最初は乗り気でなかったこの寺での新人研修も最後まで真剣に取り組み、何かをつかもうと思うようになっていました。次の日以降忍耐だけでなく、積極的に掃除や食後の片付けと言ったものをやろうと考えました。
2日目では、特に滝行の際、学べる部分が多いと思いました。冷たい水に足から浸り、その後体、顔に3回水をかけ、最後に頭から水をかぶるのですが、一緒に研修を受ける他社の者も含む仲間たちが頭から冷水をかぶった時私は自然と大きな声を出してその仲間を応援していたのです。今までの間大きい声を出すのが恥ずかしいと思っていました。また、今までそんなに仲間と思っていなかった人間に対して感謝の心などが湧いてきました。そして、同僚に対しては、冷水に顔を付ける様子を見てより強く仲間を励ましたいと思う気持ちになりました。私は、寒いのがものすごく苦手なので、初日の時点で耐えられるか不安でした。これでも最後まで続けず途中でリタイアしてしまおうと考えていました。そんな中、同僚の一人が寒さに震えながらその滝行を最後までやりとげました。その様子を見た私は「これは負けていられないな」と思い苦手を乗り越え、最後までやり切ろうと考えました。しかし、いざ自分の番になり、頭から水をかぶった時「あっこれ無理」と心の中で思い滝に入った時にはもう座る前にリタイアしてしまおうかなと思いが心の中に浮かんでいて、さっそくもう忍耐の心が折れかけていました。しかし、同僚の頑張る姿を思い出して、皆同じことができていたのに私だけ出来ないのは情けないという思いが強く出てきて、また、逃げてきた自分を変えたいという最初の思いが混みあがり大声で叫びながら、なんとか忍耐の心と負けない気持ちで滝行を終えることが出来ました。
その後、三禮を324回行うという身体を使った大変な行を行ったのですが、私は途中で体力が切れ限界にまで達していました。もう逃げてきたことはこれで辞めようと心に決めていたので、ひざにあざを作りながら最後までやり切りました。私は修行前にこの寺のことを調べてきたのですが、正直ネットの評価はあまり良くはありませんでした。ですが、実際この寺に来てみて住職の法話を聞き、それは間違いであることを思い知らされました。そして、インターネットはそういったものがあふれているという事を知りました。
社会人生活頑張ります。ありがとうございました。
私は身体が弱く運動をするたび体調を崩すことが多くありました。中学生の時に剣道部で、練習をして食欲をなくして最後に体をこわすことがあり、それ以来運動をしなくなってしまいました。中学校を卒業した後も剣道をやる機会には恵まれていましたが、また体を壊すのではないかと不安になりなかなか出来ずに今まで来てしまいそれを後悔していました。
今回寺で行って来た事に滝行、三禮があり自分の体の弱い部分を見つめ直し運動が楽しいともう一度想い起こりました。具体的には、滝行ではまず他社さんや同期よりも早く一番を名乗り出て入る決意をしました。最初ということもあり誰もやっていない恐怖と一番という注目が集まる中、足を一歩踏み入れ冷たい滝の中へと入りました。春先とは言えまた水温は決して高くなく、お経を絶叫するように唱えて打たれ続けました。時間にして一分かそこらの時間でしたが、やり遂げ滝から上がると何か自分の中で成功した達成感が得られました。上がってしばらくするともう一度どこかで滝行をやってみたい気持ちになりました。今思うと体の不調もあと少し達成感が足りていれば続けられたのではないかと少し思いました。三禮は地獄だのなんだの言われるほどきついと聞いていました。実際に行ってみると言われたとおりきつく、屈伸運動に似た動きで普段運動をしていない私には半分行かずにギブアップしてしまいました。しかし周りには300回というとてつもない回数をやりきった人がいて自分もあそこまでやりきりたかった、勝ちたいと思いました。
私は体を壊した事によって運動をすることが怖くなってしまいました。しかし今回合宿の滝行での達成感、三禮での悔しさが良い経験になりました。運動にチャレンジしたいと思えました。
会社でもこの感動に似た熱意をぶつけていきたいと思いました。
人生を振り返れば、逃げ出してきたことばかりでした。初日に先生から伺った、自分の人生の主役をやれているかという問いに、私は首を横に振ることしかできず、それまで送ってきた人生の時間を殆ど無為に過ごしていたことを、三日間の修行を通じて心より恥じ入る次第です。夢を追いかける苦難ばかりを見て、自分の力を信じ切れず、努力も充分にできてはいなかった過去から、頂いた教えを通して理解した積極的なマインドを胸に、これからの人生を歩んでいく所存です。
初日で教えていただいたあいさつの仕方は、これから社会人として人生を歩むに当たって、どこに行くにも必要となるものであり、指先にまで全神経を払うこと、礼をする適切な速度や声の大きさといったことを厳しく御指導いただいたのは、得難い体験であったと思います。また、精神修養としてお経を唱えたことも日常では決して体験できるものではなく、普段運動が不足していることもあって非常に苦しいものでしたが、苦しさの中で次第に痛みなどの雑念が消えて、思考がクリアになっていく感覚はとても新鮮なものでありました。何かに没頭することで余計な不安などがなくなっていくという気付きにもつながるこの修行での経験を元に、これから挑むであろう業務にも、まずは一挙手一投足に至るまで全力で臨み、気付いた頃には自然な所作として余計な力を入れずに業務をこなしているような、そういう人材になってみせます。そのために、日々精進を重ねてゆく次第です。
二日目は、大きな後悔が残った一日でした。なぜならば、滝行を最後までやり遂げることができず、途中で音を上げてしまったからです。元々、すぐに逃げる自分を変えたいという願望を持って修行に臨んだものの、そうした悪い自分を捨てることができず、変わるための場においても同じことを繰り返してしまったというのは非常に恥ずかしく、ただ反省するばかりです。
しかしながら、学ぶことも同時に多くあった一日でもあることもまた確かです。一念岩をも通すという先人の言葉の通り、強く意志を持って挑む御百度参りや、私は恥ずかしながら最後までやり遂げることができませんでしたが、大自然という空間に身を置き、冷水に身を浸すという苦境に自ら身を置いて金剛大師の御名を一心に唱えることで、何かこの世に満ちる大いなる意志の一端に指先が触れたような感覚が一瞬胸の中から湧き起こってきたのが不思議でこそありましたが、身も心も洗われたような感覚でもありました。
三禮は非常にハードで、忘れられない体験になったと思います。やはり普段から運動をすることの大切さを実感すると同時に、足をつりそうになりながらも精一杯やれたことは一つ、大きな達成感を得られたと思います。しかしながら、途中で止まってしまったことには大きな後悔が残ったため、今度に備えてこれからは身体を鍛えていかねばならないと痛切に実感いたしました。今後、努力していきます。
三日目で最大の印象に残ったことはやはり先生の法話です。真言宗という宗派の成り立ちから宗教観に生の言葉で触れることができたのは非常に感慨深く、御自身のサクセスストーリーから得た人生に重要な考え方は、私の人生観を大きく揺さぶるものであったと感じています。冒頭の通り私は自分の夢からも逃げて、何となくで人生を送ってきたような人間でした。だからこそ、今日に至るまで後悔という後悔ばかりを積み重ねており、まさしく「負け犬」と呼ぶに相応しい人生であったと思っております。だからこそ、法話を通して思い至ったことは人生を取り戻したい、自分という主人公になりたいというもの一心であり、その為にはこれから、今までネガティヴなことばかりを考えていた自分を捨てて、積極的に「これからの夢」を追いかけていこうと思います。貴重なお話をいただき、本当に感謝の念が尽きません。
この三日間の修行を無事に終えられたのは、決して自分一人の力ではなく、同期の仲間や他社の人々とも力を合わせられたことが非常に大きいと思っています。共同作業や修行を通して、人との関係性の大事さを実感できたこともまた、大きな気付きであり、得られた成果の一つです。三日間を通して学んだことと得たものを活かし、まだまだ半人前ではありますが、明日からの業務に全力で挑んでまいります。
中学3年生になろうとしている息子が小学校から勉強嫌いでしないので結果、後から本人から聞いた話ですが音読の授業の時にバカにされそれがきっかけ?となったかで、学校もたまに休んだりして、中学生になり、勉強も難しくなり嫌な授業や気分が悪くなり保健室に行ったりしていたので友達もそれがおもしろくないらしく、いやみや悪口になり、中学1年生後半から不登校になりました。
親としては、学校に行くように無理に言うと逆に無気力になり、俺はどうでもいいんだというような状態でした。
家は古い為、子供部屋というのがなく、仕切もなく、部屋の角が居場所でしたが、家にいるから勉強しろと言っても自分自身ではやる気がないようでした。
元気を出してもらおうとおばあちゃんがゲームを買ってやったのはいいんですが、勉強するからとの約束でしたが、それもまた悪いほうにゲームに夢中で今度は昼と夜逆の生活になってしまいました。
学校の先生方も心配して家に来てくれたりしてました。学校の方でも不登校の子達が集まる学校の話で2年生の中頃から少しづつ行くようになりましたが、相変わらずぐだぐだの生活でしたが、本人も気持ちの面で良くなりはじめ3年生には学校に戻る気持ちがでてきたのですが、親として行く前に生活面や態度を見直してほしいので、インターネットで滝行のサイトで天光寺さんのことをしり、申し込みました。
子供には言えば絶対行かないのが分かっていたので、当日までは言わす、ヒヤヒヤでした。
寺に着き、息子は何?と言い、初めて体験修行とつたえました。
2人だけと思っていたんですが、後から8名の人達と一緒になったので息子もあまり団体行動は苦手だったんですが、声を出す練習など、滝行でも他の方達にかけ声をかけたり、本人も頑張りました。
息子より楽勝と思っていた滝行は思いのほか全然だめでした。自分自身の修行にもなりました。
お寺の方を息子がとても気にいっていたので、少しホームシックになったりした時は大変助かりました。息子が元気になり朝を迎えたのですが、先生の話はとてもまとついた言葉でありがたかったのですが、また本人はへこみ、やばいと思ったときにお寺の方に助けの息子へのアドバイスをしてもらいまたまた助かり、息子も先生に自分の気持ちを言ったらしく最初と違い先生もやさしく接していただきありがたかったです。
自分も今後は滝行にかみさんも連れて家族でまた来たいと思います。
ありがとうございました。
二日間の合宿を終え、沢山のありがたみを学ぶことが出来た。
まず時間。通常の生活リズムとは違うイレギュラーな共同生活を送り己の甘さやいいかげんさを痛感した。普段一人で生活しているとやはり一番おろそかになる食事や風呂、トイレなど常に自分のリズムで生きている。
当たり前の事だが、このような事に目を向け行動を思い返しているのはこの合宿があったからこそ。一人暮らしの中でもルールを決め毎日おこたらず続けていきたいと思った。
そして集中力。自分の弱点として上げていた物事に対する集中。苦手な訳では無いが好きでなく飽きやすい。
二日通して全てにおいて集中して生活をすると自己課題も組みトライしてみたが、中々むずかしく、いらぬ事を考えてしまった。
修行中は一つ一つ集中を心がけ厳しい中、必死に食らいついてみるも、達成感は味わい深いものがあり心身共に辛い内容だった事に対する諦めない気持ちは懐かしい物であり、今の自分に足りていない一つであると再確認した。
普段、どれだけ楽で自由な生活をしていたのかがよく分かり、もう少し己に厳しさを必要としてよいのではないかと感じた。
仕事の仕方。食事の仕方。休日の過ごし方。見直すべき点を沢山学んだ。
今までいつの間にか忘れてしまっていた当たり前の感謝の気持ち。敬う気持ち。何事にも常に感謝することを大切に、今からでも考え方、人との会話、仕事に対する意識、自分への厳しさを見つめ直し、より人間らしさのある生き方。人生を考え行動にうつしていきたいと思う。
二日間、沢山の学びをありがとうございました。感謝しております。
自分の人生の中でお寺で修行をするとは思ってもみませんでしたが、とても良い体験をさせていただきました。
沢山の恵みに感謝を忘れず、常に生きていかねばいけないなと心から考えた。
野菜メインの食事が初めてであり、最初はビックリした。しかし工夫が素晴らしくどれも本当に美味しくビックリした。
風呂場で温かい湯につかったときにも感激が止まらず、寒い中滝に打たれた意味がここにも一つあった。これらの気持ちを常に忘れず心の中で活かし、今後の仕事、生活面、人間関係等の中で意識して行動していくことが大切だと心から学ぶことができた。
親や学校、仕事場では学ぶことが出来ない体験が出来、一生忘れない心と気持ちを手に入れた。
人間としてすべき事、出来ることを沢山考え、沢山行動し、良かったと思える人生にしていきたいと思う。
この二日間、本当にありがとうございました。
私は、企業研修でこちらのお寺に来ました。前に研修を行った時は入社したばかりでまだ右も左もわからない頃の私でした。今回少ない人数でも人をまとめる立場になったので研修に参加させて頂きました。あの時と場所は違うけれど気持ちはあの時以上に緊張していました。私は、お寺に行くという機会があまりなく少し怖いイメージを持っていました。なので、どれほどのことが待っているのだろうかと思っていました。当日お寺に着くとビックリしました。まだ、自然がこんなに残っていたのかと。まず、最初に行ったのは挨拶です。
私は普段のように挨拶したところ小さいと注意されてしまいました。とても恥ずかしかったです。私以外は新入社員です。私が見本を見せられなくてどうすると思い大きな声で取り組みました。次は、挨拶の作法を行いました。お経の練習もありました。お経を読むのはとても難しく何事も初めからうまくはいかないものだと改めて認識しました。
次に、昼食を取りました。みなで協力して配膳片付けを行いました。日々自分ではわからないところで人に助けられているのだなと感じました。
次はお百度参りをしました。体力に自信はあったのですが他の社員に比べるとはるかに早い段階でペースダウンしていきました。年には勝てないと思いながらも自分だけクリアしないのでは示しがつかないと思い這いつくばってでもゴールしようと決めました。ゴールした時の感動は今も忘れません。
次は、滝行をしました。季節的にも滝の中に入るのはとても勇気がいりました。
滝を見るまでは、自分が一番に入ってやろうと思っていましたが少しためらいました。
しばらくして、覚悟を決めて中に入ってみました。勢いがすごくとても水だとは思えませんでした。息をするので精一杯でお経を唱えることはできませんでした。
最後に、法話を聞きました。これまでとこれからの人生について深く考えさせられました。
今回、研修に参加してみていろいろと学ぶことが多かったです。これからの生活では今回学んだ事を活かしていきたいと思います。
私は、今回会社の企業研修で参加しました。
まず、お寺に到着すると申込書を記入し、着替え、荷物の整理等を済ませると奥に案内されます。次に、自己紹介です。一人ずつ、きちんとした自己紹介の練習を行います。出来ない場合は何回もやり直します。私は、何回もやり直しをしました。そこで私はいかに自分が未熟であるかを知りました。
次は、挨拶の作法を行いました。内容は、朝のあいさつ、就寝の挨拶や、食や行の挨拶などです。他にも、腹式呼吸や発声法、お経の練習も行いました。お経を唱えるのは初めてでしたが個人的には大きな声でよく読めたと思います。
次は、昼食です。配膳や片付けを協力しました。ここでは、日々周りの人に助けられているのかを理解できました。
これからしばらく、挨拶の練習とお経を唱え夕食となります。
そして、写経を行います。写経は正座で行い一切の私語は厳禁とされています。
久しぶりにかぐ墨の匂いがとても懐かしく感じられました。正座も普段の生活ではまずしないのでとても辛かったです。日々パソコンを使っての業務なので背筋を伸ばしているのがとても大変でした。
夜の20時には就寝です。
次の日は、6時に起きお寺の中と外の掃除を行いました。
朝食を済ませてお百度参りをしました。聞いたことはあったのですが実際にやってみるのは初めてでした。学生時代はサッカーをやっていたので体力に自信はあったのですが終わるころにはヘトヘトでした。次は、滝行です。滝行は迫力がすごくこの中に入って生きていられるのか不安でしたが周りの人の言うとおりにやったらすんなり出来ました。
昼食を済ませると住職による法話が行われます。
今回の企業研修をお寺でやると知った時に初めはお寺でやることになんの意味も見出せませんでしたが今はとても充実した企業研修でした。ここで、研修を行えてよかったです。二日間の修行、誠にありがとうございました。
ほとんど全ての「行」が初めての体験であり、とても楽しく、また興味深くそして、厳しい体験をさせて頂きました。
「お百度参り」や「滝行」は見ためも派手なため事前では一番関心がありましたが、実際に体験をしてみて印象に強く残ったのは「声出し」の「行」でした。繰り返し3人がそれぞれ声を出しているうちに、声が共鳴し、何らかの波動的なものを感じ、いわゆるトランス状態のような感覚になりました。その状態が非常に心地良く、いままでに感じたことがない体験でした。
瞑想は、社会人になったすぐの頃(約三十年前)から興味があり何冊も本を読んで自分なりに自宅でやってみてはいましたが、実際の修行の場で専門家に教えてもらいながら実践したのは初めてでしたので、新しい気づきも沢山ありました。
ちなみに「瞑想中は、目を半開きにして、目は自分の鼻の頭を見るように」というアドバイスは初めてでした。普段は、目を完全につぶって行っていたので、うまくできませんでした。あとは、住職先生のお料理がどれも、とてもおいしかったです。
初日の夜はひざが非常に痛くなりその場では食べられませんでしたが、翌朝にあらためて頂いたのですが、一日経ってもとてもおいしかったです。ちなみで、あえて一番おいしかったのは何かといえば、二日目のお昼にいただいた、手作りカレーです。最高でした。いずれにせよ、本当にすばらしい修行、勉強、体験をすることができました。ここで学んだことを、社内の研修にも取り入れていきたいと思います。
二日間、誠にありがとうございました。そして、これからも宜しくお願い致します。〇時を忘れること
時計を外し、スマホも預け、今が何時なのか分からないまま時が過ぎました。
普段、分刻みのスケジュールを送る中、それは新鮮な体験でした。〇スマホを触らない時間
社会人になってから初めて、24時間以上スマホから距離を置いた。
これを続けると別の世界に行けるのかもしれないが、今は目指すところがある。〇食事
メシが美味しかったです。普段、都会で高い割に美味しくないものを食っていることに改めて気付きました。食事のあいさつは息子にも読ませたいと思いました。〇トイレ掃除と後片付け
ガストでバイトしてた時以来のトイレ掃除と食器片付けでした。
当時より年齢も重ね、立場も変わり、バックヤードの視点が足りなくなっていたことに気付きました。掃除をする人の気持ちになると。〇滝行
想像以上に冷たく厳しいものでした。物質的な厳しさと、精神的な厳しさの耐性にはギャップがあると感じました。〇声出し
これは自宅でもやってみたいと思いました。呼吸よりも身体が浄化されるのを感じました。他人の音と共鳴するのが心地良かったです。〇三禮
全く知らなかったのでビックリしました。準備運動なく行うのは身体への負荷が多く、隣の会長・社長にもダメージが大きかったと思います。僕も腰痛が悪化しそうでこわかったです。
改めて、世の中は理不尽なものなのだという部分を思い出させて頂きました。〇あいさつ
「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました。」
「ありがとうございました。お気をつけてお帰りくださいませ。」
言葉が感謝や配慮を伝えるのに最も適していると感じました。
このあいさつを年齢重ねてもできることが素晴らしいのだと思いました。〇お百度参り
トレーニングが主なのか、お参りが主なのか最後までわかりませんでした。
全てにおいて「目的と意味」の説明がなく、いろいろ不安でした。そもそも事前に目的や意味を考えること自体がナンセンスなのかもと途中から思うようになりました。意味や目的は、人に問うのではなく、自分で考えるべきことなのだと。
高尾住職先生のベンチャースピリットが素晴らしいと思いました。
自分の正しいと思うこと、信じる道を、自らリスクを取って突き進める姿は、起業家そのものだと思いました。いろいろ大変だと思いますが、是非貫いてください。
僕の親父も生きていれば今年67才、不動産業で起業し大失敗してしまいました。
魂の差を感じました。正直、当初はまったく本修行に関してネガティブでした。
従業員の一人が、我社の第二創業に際して、経営陣に決意を示してほしいというアイディアを社内会議で提案し、その具体案として経営陣が新年早々に滝行を実施するということが決まったのです。私自身のアイディアではなかったし、気乗りでなかったのですが、従業員たちに弱いところを見せたくなかったので、やることにしたのです。
実際にやってみて思ったことは想像していた以上に体力、身体的にキツかったというのがあります。滝行にばかり意識が向いていたので、それにはそれなりの心の準備があったのですが、滝行前におこなったお百度参り、そして滝行後におこなった三禮は、頭が真白になるくらいつらかったです。それでも、行が終わる度に「やればできるという事がわかったでしょう」と声をかけられると、たしかに自分にはまだ自分でも知らない高い限界や忍耐というものがあるのだな、と新たな発見がありました。
二日目は、初日と違い、お経を唱えたりする時間が長く体力的にはさほどでないものの、普段、正座や足を固定して過ごすことがないため、前日の筋肉痛もあいまって足は非常に痛かったです。
二日目のメニューの中で個人的にとても印象に残ったものは声だしです。メディケーションなどに興味があり、呼吸法などは腹圧式、腹式ともにやっていたのですが声を出す機会がありませんでした。祈願室の中で大日如来様の像に向かってメンバーと一緒に声を出していると、それらが共鳴し、ハーモニーとなって、部屋中に反響して異次元にいるような気分になりました。両日を通じて、先生よりいただいた話、誓いの言葉、思考が人生を作るという考えには大変共感しました。
第二創業で、体制別新の我社では、少なからず変化に戸惑い、ネガティブな方向に意識が向くスタッフがいます。私も住職先生と同様に、プラス思考のスタンスやそれにともなう実力があれば、あらゆる事は良い方向に改善すると信じています。改めて、そうした信念を従業員に伝えるためにも、先生からいただいたありがたい言葉を社内でも共有していきたいと思います。住職先生とざっくばらんなお話ができ、今後の会社経営に向けて、勇気と自信を持つことができたと思います。
修行のみならず、住職先生ご自身でのビジネス界での経験があるからこそ、修行の意味やお言葉に深さを感じることができたのだと思います。
今回は新経営体制の三人で体験しましたが、今後我社でトップレイヤーを目指すすべての幹部候補にも同じような気づきを与えられる機会を持ちたいと思います。
本当に二日間お世話になりました。
またいつか、住職先生の精進料理をいただくことができればと思っておりますので、いつまでもお元気でいてください。私はこの度、企業研修として一泊二日と短い期間ではありますが、お世話になることとなりました。そもそも、研修に来た目的としては、以下の悪い性格を正すためです。
スケジュール管理が出来ず、報告書等が締め切りに間に合わないことが多いことが1つ。もう1つは先輩方のご指摘を素直に聞き入れず、実行できないことです。後者はご指摘を実行する時間的余裕がないことが原因です。その結果短い時間で済むように自分1人で進めてしまい、内容が伴っていないものを提出することとなり、つき返されてスケジュール通りに進まない悪循環に陥っていることに気がつきました。まずは1人で進めようとするガンコな性格を直すこと。そして報連相を徹底していきます。
まだ入社2年目で、経験も浅く、自分1人の力では限界があります。経験豊富な上司の言うことをよく聞き、細かいことでも報告、相談することで、少しずつでも着実に仕事を進められるようにしていきます。そのことを強く誓いながら、限界の声でお百度参りを行い、限界まで滝にうたれ、108回の三禮を行いました。
翌出社日にはまず、上司に報連相の徹底を宣言し、確実に実行します。
また、仕事を進めていく基本的な部分として細かな気くばりを教えていただきました。
座布団の置き方や布団の準備の仕方、あいさつの際のおじぎの角度等。人に与える印象を第一に考え、励んで参ります。
この2日間お世話になりました。今回二泊三日の研修合宿に来て、まず貴重品を回収し、携帯無しの合宿というものにビックリしました。その時に、私は現代っ子なんだなとまず感じました。そして、この合宿で、私は特に自分を見つめ直すことを目標とし参加させていただきました。そして、三礼をやっているときに、すぐにその時は訪れました。みんなでとても辛い三礼をこなしている中、私は仲間に対して何をしてあげられるだろう、そして声掛けをし、みんなで乗り越えていい思い出になったと感じました。その他にも、この寺でのやることは、全て新鮮で、食事の時でさえ新鮮に思えました。精進料理はとても美味しかったです。そして法話の時間や、その他の時間でも高尾先生がおっしゃっていた、「人脈」の大切、高尾先生はこのお寺が出来たことも人脈のおかげであり、このお寺に人が来るようになったのも、人脈があったからとおっしゃっていました。そして、人脈で集めて中身も良くしているこのお寺だからこそ、年間6千人もの人が来るのだなと感じたことと共に、私も人脈というものを大切にしなければならないと感じました。
その為にもできるだけ外に出て、自分から出会いを求めていくようにします。人脈が舞台と役者を作る、まさにその言葉のままだなと感じました。そして、この合宿では、本当に自分と向き合う時間が多かったと感じます。川で深呼吸をしているとき、瞑想をしているとき、様々な時に自分と向き合う時間がありました。また、向き合う時間は心を癒す時間にもなったと私は感じました。
おそらく、みんなこの合宿でそれを大いに感じたと思います。また、このグループ全員で行動し、グループ全員で成し遂げるからこそ、このチームの絆が生まれ、やりがいにもつながったと思います。正直人生でこんなにも座っている時間がきついと感じたことは一度もなかったです。ですが、この状況はみんな同じ状況、みんなも頑張っている、だからこそ続けて頑張れたと感じます。一人でやるのではなく、グループ全員でやることの意味はここにあると感じました。そして滝行では、まず、手、足、首の三点を清めて、山の神、川の神に感謝をして滝に打たれたのですが、私が思っていた何倍も滝は痛く、冷たいものでした。ですが、ここでしっかりと自分と向き合い、心と体を清めることを考え滝に打たれたことによって、とてもスッキリすることができました。そして、私は習字が苦手なのですが、写系をやる前に、これはチャンスと感じられるようになっていたのです。
今までなら、最悪だ、早く終わらせようなどと否定的な事を考えていたのですが、この合宿で、マイナスな発言をしないと決めていたので、この写経は自分にとって必要なもので、ここで苦手の事をしっかりとこなすことで、自分の中の自信になると考え、取り組むことができました。
そして、私は正直スピリチュアルなことはあまり信用していないタイプの人間だったのですが、いざ自分がこのお寺に来て、汗水流して努力をし、何事も真摯に取り組んだことによって、自分の中の「気」を感じることができたとこが、私の中でとても大きかったです。
今まで信用してなかったものを信用するようになれたことで、自分への価値観だけで動いてはいけないということも学ぶことができました。
最後にこの二泊三日の研修合宿、本当にありがとうございました。この二泊三日は私の中でかけがえのないものとなりました。自分自身をよく見直し、仲間の事も考え、あえて壁を作ることで、その壁を仲間と越えた時の喜びを体験できる場所はここしかないと思います。
そして高尾先生がおっしゃっていた「人脈」そして、「挨拶」特にこの挨拶は出来る人に、人脈が寄ってくるとのことなので、当たり前のことである、この挨拶をまずしっかりと出来るようになり、当たり前にできる大人になって自分の人生を成功に導いていけるような人になると決めた、そんな合宿でした。
本当に三日間ありがとうございました。
私はこの三日間、人生記録に残るキツイ体験をすることが出来ました。
ただこの体験は、一人では乗り切れないようなものが多かったです。
励ましあうことで、なんとか負けずにやれました。先生からのお話では、私は特に挨拶の大切さに気付かされました。単純に、普通に生活や仕事をしていて、ここまで真剣に挨拶をしたことはありませんでした。すべては挨拶で決まるし、挨拶がチャンスを呼び込むということも納得しました。
また負けないことという言葉は、ちょうど今の私の状態にピッタリな言葉でした。いつもポジティブな思考と行動をしていくことで、前向きな人になれるし、自分を負のスパイラルへ向かわせることもなくなると感じました。
滝行では、自分と向き合うとても良い時間を過ごすことが出来ました。生まれてから今までの覚えていることがあふれ出てきました。
だけども、一つとして良くない記憶が出てきませんでした。その為、滝行終了後は、こんなに恵まれているのだと感謝することを心の中で考えていました。感謝することで、1つ1つの動きが気持ちのこもったものになるのではないかと感じました。
自分自身を見つめ直す、とても充実した3日間でした。
ヨガや、座禅も自分の生活に取り入れたりして、ストレスフリーな状態を維持しようと感じました。
食事に関しても、普段好きなものを食べられていることに感謝せねばならないと感じました。しっかりと「いただきます」と言うことはとても大切な事です。
さてここで、自分の普段の生活を振り返ってみようと思います。
私は普段ストレスに対して、食べることで解消してきました。しかし、その食事のとり方によって、血圧もまだ22歳なのに高くなりつつあります。ここでは、普段と違うという時点でストレスではありますが、身体を動かしたり、声を出すことでストレスを解消できていました。運を動かすと書いて運動ですが、本当にその通りだと感じました。
適度な運動は私にとってですが、大切なことであると思いました。
また掃除に対しての意識が変わりました。掃除をすることでそれが自分の心もきれいにしているという点です。一つ一つの基本的な行動に対して、こだわりを持ち、感謝した行動を実施していきます。
私が研修を通じて、学んだ事は社会人としての心得です。
この、研修でまず初めに行ったのは挨拶です。
挨拶といっても通常の挨拶とは異なり腹の底から声を出し礼儀正しい挨拶のことです。
続いて、三禮を行いました。これは、精神的にも肉体的にも限界まで追い詰められました。
体力には自信があったのですがこれは本当に辛かったです。
滝行は、想像していたよりも辛く入った瞬間に出てしまいました。ですが、修行は限界まで行ってこそ本領を発揮すると思いもう一度入りました。とてつもない勢いの水で呼吸が困難になるほどでした。時間にしたらとても短い時間でしたが私の中ではとても充実していました。自分が限界まで達した時に自分自身を見つめ直せたような気がしました。
写経では、心を静められました。筆を持ったのは本当に久しぶりのことで墨の匂いが懐かしく感じられました。初めは、うまくかけずもどかしかったけれどだんだんと精神統一できたような気がしました。
私は、こうした修行の中で感じたのは忍耐力の大切さです。自分の限界に挑戦することで様々なことが分かりました。あと、社会人と学生の違いを思い知らされました。社会は信頼でできているのだなと痛感しました。これから、学生気分を抜いて社会人としての心構えで仕事をしていきたと思いました。
私は種尾牛センターで働いてまだ2カ月しか経ってなく、働き始めた時は不安でいっぱいで今も私は上司の人たちのように今後働いていけるかと思うとまだ少し不安です。
けれど、そう思っていた時にお寺の研修に行くと聞かされて「会社でこんなことするんだ」という気持ちもありましたが、お寺の研修で今の不安ばっかりの私を変えられるんじゃないかと思い楽しみになってきて、初めてのお寺に行くということもあり、どんなことを学んでどんなことをするのかと思うとさらに楽しみになってきました。
天光寺に来て説明を受けるときは正座で、慣れていない私はとても足首、腰が痛く大変でした。挨拶の作法や合掌の仕方はやっぱしお寺なのでしっかりしているんだと思いました。
その後には南無大師遍照金剛光明真言般若心経を読み、漢字ににはフリガナがふってあったが、イントネーションが違うのもあり、見て読むことすらも難しいと感じました。
三禮をやったのですが、1セットで2回目までは手を下げた時に返すんですが、3回目で手をにぎり合掌するということや三禮している時に言うことも難しく覚えるのに大変でした。
昼食は野菜が多めでとても健康的でした。私は冷凍食品やインスタント食品で済ませてしまうことが多いこういう昼食も良い経験だと思いました。
昼食が終わって準備、説明を受けお百度参りと川行を行いました。
お百度参りはコンクリートの上を素足で走ったので足の裏の皮がめくれてしまってとても痛かったです。けれど、お百度参りをしたので南無大師遍照金剛と言えるようになっていたので良かったです。
その後には川行をしました。川行を行う前にお祓いと顔3回、胸3回、両肩3回川の水をかけて最後に桶に川の水を入れ、頭からかけたのですが、とて冷たく入れるのがと不安になりましたが、いざ川に入って時間がたつとだんだんと冷たさにも慣れて「出ていいよ」って言われるまで我慢してやろうと思い最後まで我慢することができました。
川行が終わると般若心経を50回読みました。
まだ見なくちゃ言えませんがある程度イントネーションや次はこの言葉が来るということが分かってきました。50回は辛かったですが、良い経験ができました。
三禮を3回1セット108セットとやりましたが、本当に楽しかったです。
60回くらいの時に三禮のやり方を間違えていてもう一回しっかりと教えていただき最初からやることになりました。途中何度も足がガクガクになり倒れてしまいましたが最後までやり遂げることができました。
そのあとに晩飯を食べたのですが、家では食べないような物がでてきて、天光寺でいただいた料理を少しは取り入れて家でも似たような健康的な料理をできるようになろうと思いました。
2日目の朝はスムーズに起きることができて遅れずに朝礼に間に合うことができました。
朝から清掃して広かったが、3人で協力できたので大変ではありませんでした。
声だしは大きな声を出せてました。とても集中してできたと思いました。
十三佛真言を読んだんですが、またまた難しく覚えるのが大変でした。けれど、覚えようとするには集中力が必要なので、瞑想声出し十三佛真言を言う事により集中力が少しは上がったと思いました。
気行とお百度参りではお百度参りは1日目にもやったのですが、足裏がとても痛く最初は全力で走れていたのですが、徐々に遅くなってしまったのが1日目よりは大きなことを出すことができました。
滝行では滝までに行く道のりが長く足の痛みに耐え滝まで行きました。
初めてする滝行なので川行のようにできる限り入ってやろうと思いました。
私の番が来て、川行よりも水が冷たく感じて最後までやれるかと不安でしたが、法話で聞いたことで我慢は大切ということを思い出し、無事5分くらい滝の中に入っていることができました。
とても冷たく肩をたたかれている感じで辛かったのですが、滝行を乗り切れたので私は少しは我慢する面で成長できたんではないかと感じました。
写経では一文字一文字に時間をかけてゆっくりと書きました。普段文字をこんなに丁寧に書くことはないので、心を落ち着かせることができました。
私は天光寺を2泊3日してたくさんの事を学べました。
大きな声を出す、集中力が来る前よりは上がったり、積極的な考えができるようになったり、我慢ができる精神力が鍛えられました。
私はこの天光寺の研修で色々な人と修行や務と取り組むことで苦手だったコミュニケーションをとるということをできるようになり、自分に自信がつくことができました。
私は今年から社会人となっていろいろと不安なことがありましたが、天光寺では社会に出てから使うととても重要なことをいくつも教えてもらいました。
この2泊3日はとてもいい経験ができたと思っています。本当にありがとうございました。
今回、第一回半期ノルマ未達でこのような行事に参加させて頂きました。
来る前は、いくつか案件があり参加を拒んでしまいましたがノルマは○○だというこを忘れ自分の中の甘えを出しておりました。いざ、お寺での修行が始まるとつらいことや
苦しいこと、非日常的な生活で新鮮で心が磨かれていくような感覚に落ち入りました。
ただし、お寺の中はストーブがついているものの非常に寒く普段の生活がどれだけ豊かを思い知らされました。食事も普段食べているようなものではなく、美味しかったです
が、質素なご飯でした。そのため、より普段の生活がよいか心の底から痛感致しました。
普段の普通の生活をするには、やはりお金が必要です。お金を稼ぐためにこの会社に入社致しました。現状、今期立てた目標は全く逆の方向に進み結果を何一つ出せておりませ
ん。その結果を出すにも、今のところやるきさえあればどうにかなるたち位置です。
今回、修行を行いこのようなことはもうしたくないと思いましたし、また自分がコミット数字をやらなければ信頼も得られません。なのでまた明日から気合を入れ直して
仕事に取り組みます。今までなんとなく甘い考えがあるなと感じておりましたが、今回ではっきりと理解ができたので妥協を捨てストイックに精進して行きます。
この、企業研修を受け今まで自分に甘えていた所が多く人任せにしていたり、できるのに挑戦しない自分が良く分かりました。
嫌な事から逃げ続けたツケがこの二日間だと思っております。
厳しい辛い事もこの研修に比べたら簡単だと思い直し今までの自分に後悔しています。今後、後悔しない為にやるべき事をやる事。結果、過程から逃げない事を実行します。
皆の目標は幸せになる事がほとんどで私もそうです。幸せになる為に仕事をしてお金を稼ぎます。その為に日々の営業、アポイントから契約を出していきます。
もう、この研修に来る事が無い様に日々の業務を気持ちを入れ替えて行っていきます
この研修のお陰で様々な事に気づけました事、このような研修をご用意して頂けた事、誠にありがとうございました。良い経験となり良い刺激となりました。
このような場を用意して頂きありがとうございました。
営業成績の未達という、ふがいない結果しか出せずG長の責任を感じておりました。
二年前にも一度経験をさせてもらった滝行ですが、前回と違う立場ながら何も成長できていない現実を突きつけられました。
二回目という事もあり少し心のゆとりのようなものがありましたが、さすがに三禮と滝行はきつかったです。 そこでは、体の老化を感じたのと共にいかに普段
動いていないか良くわかりました。事務的な仕事は以前にも多くなりましたが、それでも営業なら動いてかせぐが基本なので行動力というか行動量が私の課題かと
思いました。
滝行を通じて。
私は今回三通のノルマ未達により、この滝研修に参加させて頂きました。
今まで私は、仕事もプライベートもまたこれまでの人生すべてにおいて中途半端であった気がします。何か自分の中で限界を決めてしまっておりそれによりある程度の
ところであきらめていました。それはとても楽なことですが結果としてそれなりの結果やそれなりの内容で終わってしまっていました。この会社に入社をする際も自分のために
頑張りたい、稼ぎたい、もっと成長したいという気持ちがあったのにも関わらず今となっては今日この日まで忘れてしまっていました。まさになまけた毎日を送っていました
しかし、今回の研修でそういった日々の積み重ねが自分をつくるのだと感じました。社長がいつも選択するのは自由。毎日が選択の繰り返しっとおっしゃっておりますが
本当に普段の選択が自分をつくり全てが自己責任なんだと思いました。また、限界は自分が勝手に決めているだけでどれだけでも越えることはできます。
同じ限られた時間の中で、みんな働いているのであれば最高のパフォーマンスをして過去の自分の悔いのないような生き方、働き方をしたいと思いました。
いつも、おっしゃっている過去は変えられない。
未来も今の自分の行動、言動でできている。
変えられるのは今現在だけであると強く意識しました。
今回の貴重な研修をしっかりとこれからの行動に活かし変えていきます。
今回の研修を参加させて頂くに至り、二つの目的が私の中にありました。
まず、最近私自身が数字を上げられていなかったので、自分の仕事を何のためにして
いるかという、目標の再認識。二つ目に、自分の行動、言葉を変えていかないといけない面があるので、自分の意識を変えるきっかけのために参加しました。
一日目の研修では、自分の気持ちを引き締めることができました。挨拶や読経を大きな声でしっかりとやる研修を行いました。その中でも三禮と
いう研修が一日目で一番きつかったです。途中止めたいなと思うことがありましたがその甘えを捨てたいという気持ちで参加したので、諦めず最後までやり通すことが
できました。
二日目は、掃除から始まりました。雑用などのことも、積極的に動くと決めていたので、そこで積極性を出しました。次にお百度参りを行いました。
毎日しっかりとお経を唱えたのでご利益があると信じています。そして、今日の研修の主役の滝行をしました。
凍える程の寒さでやる前から正直、心が折れてしまいそうでした。しかし声を出し
自分自身を奮い立たせて滝行に向かいました。結果、今回の研修メンバーの中で一番長い時間、滝の中に入ることができとても嬉しかったです。それに加えて、気遣いと
根性の大事さも改めて実感しました。その後、住職から今後の人生や仕事面で役に立つお話を聞き研修が終了しました。
そのお話、研修を通して学べたこと、今後どのように活かして行っていくのか記載しておきます。まず「思考が人生を作る」ということの再認識です。
売れていない時は、毎日自分で自分自身を責めてしまっていました。その思考が悪い流れを生み出してしまっていたと思います。もう自分を責めるのは
止めます。 良い言葉を自分に投げかけます。そうして、良い流れを持ってきて人間力や売れるマインドにしていきます。
次に積極的に「生きる」ということです。滝行でもそうでしたが、自分から積極的に挑戦していけば良い人生を送れると思います。住職からも、お話しがありましたが
何事も責めていき積極的に行動していき自分の道は自分で切り開いていきます。
この研修を通じて、精神力と忍耐力を再度気づかされました。
たくさんの修業があり共通しているものは、とにかく全力でやりきるということを実感しました。普段の営業でもどこかやりきれていないところがあり今の結果になって
いると思うので、これから飛び込みでも交渉でも日常生活でもまず挑戦をしてそのうえで自分で限界を作るのではなく、全力でやり抜いていきます。
この二日間の中で、色々なことを体験させていただきました。
その中で一日目と二日目で印象に残ったこと、どう仕事に活かせるなと思った行事があります。 まず、一日目に行った三禮というものは、体を使うもので
立って座ってを3回1セットを全員で100セットという目標の中で出来る人もいればそうではない人もいて、営業の数字やノルマに似ているなと感じました。
ただ、絶対に無理な事ではないですし、今回の三禮のように何としてでもという部分で気持ち的な要素が強いなと感じました。
二日目では滝行を行いかなり精神力と忍耐力をためされました。自分の限界は考えずにただひたすら大声を出しながら滝に打たれてかなりきたえ
られました。この2つは今後の人生でも忘れられない精神面の原点となりますし、今後の数字を出すための糧に必ずなるなを感じています。
この研修に参加させて頂きまして本当にありがとうございました。 今後はしっかりと数字で結果を出していきます。
私は、26年間生きてきて感謝を周りの方々にしっかりと伝えていなかった事に気がつきました。いつも、口では言葉にしているが行動が中々できない。
「ありがとう」は口にすることは多いが、心から感謝して私から何かを他人にしてあげることが少なかった。
ずっとお世話をしてくれてきた方にも、私は突然連絡を取らなくなる等、失礼なことばかりしている。もし、今まで連絡を絶やさずにしっかりと感謝を伝え続けて
連絡も細めに取っていれば私の人脈はもっと広がっていたかもしれません。
人脈は、私自身の人格を今後作り上げていく一つの材料になります。その事を意識して人と人との繋がりを大切にして連絡を絶やさず、
何かあったら感謝の言葉を伝え良い人脈を今後は増やしていきます。 今回の修行を通し、人は凄いと改めて感じました。
極寒の仲、パンツと一枚の修行用の服で外に出てお百度参りというものをしたのですが、当初は非常に寒く足は裸足でコンクリートの上にいるので
とても冷たくて、この中一時間歩き続けるのは中々の苦行だと思ったのですが、少しすると感覚がマヒしてしまい、冷たさを感じなくさせる事が出来ました。
また、滝行でも氷が浮いて流れていた滝つぼに入るのですが、最初の内は「あ!死んでしまう」と思ったのですが、数秒でなれて、3秒程でまた「死ぬ」と
と思いましたが滝を出たら、外が急に暖かく感じることが出来て太陽の温もりも感じることができて、普段だったら太陽の陽に感謝などほとんどしてこなかった
のですが、太陽のありがたみも感じることが出来ました。人はやれば何でもなれて出来るようになるものだと改めて知ることが出来ました。
今回は目標未達成ということで修行に参加した形でしたが、次回は達成しても参加させて頂きたいです。入社し数々の研修などに参加をさせて頂き、経験も
させて頂き、多くの学びを頂けた事、社長に感謝致します。有難う御座います。
20代前半が中心の若いITベンチャー企業数社から経営幹部が集まり、今回天光寺様で2泊3日の合同研修を受けさせていただきました。
今回参加したメンバーは就職の経験を経ずに大学在学中から起業したメンバーだったので、並大抵のことには負けないぞ、僕らは他の同年代とは違うんだ、というスピリットと意識を持つメンバーでした。
でした、と過去形なのは、並大抵の事には負けないという意識も、そのスピリットも、今回の研修で全て勘違いだった事、僕らがいかに自分に甘い人間だったかをありありと感じさせられたからです。結論から言いましょう。若手の経営者や経営幹部は、合同でもいいので天光寺様で企業研修を受けるべきです。ただし、めちゃくちゃキツいです。そこは覚悟してください。本気で変わりたい人だけ、天光寺様での研修をおすすめします。
なぜなら、天光寺様での研修は1番最初の自己紹介の段階から研修(というより修行)が始まっていて、この時の声が小さかったり、モゴモゴしていると何度でもやり直しが入ります。あと、礼儀作法がなっていないと、ここで指導が入ります。僕たちはよく考えてみたら就職というスキームを踏まずに経営者になったので、こういった社会の基本というところがよく分かっていませんでした。ここで、その礼儀作法についても指導をいただきました。
人によっては出来ないことをスルーしがちな人もいると思いますが、ここでまずその甘い精神では研修を乗り切れないということを身体で覚えることになります。
ちなみに、天光寺の方の声はご住職さんを筆頭に皆さんとても声に芯があるというか、ライブ会場や野外フェスなどで感じるウーファーの音とはまた違う、神々しさを感じる様な感じです。頭の先から入ってきた声が、そのまま身体を突き抜けて尾てい骨がビリビリと振動するようなイメージです。そして声出しについても、腹から声を出すと教えてもらうのですが、無理に喉から声を出そうとすると当然声が枯れるので、僕たちは自然に腹から声を出す、ということを覚えました。礼儀正しく、腹から声を出すという経験はとても新鮮で、この時点で「めちゃくちゃキツいけどめちゃくちゃ気持ちいい!」と感じていました。
その後も声出しは最終日まで続きましたが、とても心地よかったです。
その他にも食事も修行のうちで、協力して準備や後片付けをしたり、南無大師遍照金剛(なむだいしへんしょうこんごうと読みます)という真言を500回読んだり、般若心経を100回唱えるという研修を経て、普段の仕事やビジネスでは比べ物にならないくらいの心地よい疲労感を覚えて毎晩眠りにつきました。そして、特に印象に残っているのは滝行とお百度参りです。どちらもよく聞きますが、実際にやってみると全身色んな所の皮はむけるし肺は痛くなるし、呼吸も苦しくなるほどですが、その分だけ何事にも負けない「一本筋の通った人間」になれるような気がして、不思議と受け入れることが出来ました。
また、時間も6時起床の22時就寝が基本で、夜型生活の僕達にはとてもつらかったですが、自然と同化して日が登った時に起き、日が沈んだら寝るという人類のリズムに沿った生活が、都心での仕事で疲れた身体を本当の意味で癒やしてくれた気がします。
身体はつかれるのですが、魂がどんどん元気になっていくというか、とても不思議な経験でした。
最終日にはご住職さんから法話ということでお話を伺い、これからのヒントもたくさん頂きました。
ちなみに2泊3日の間、パソコンやスマホ、ガジェット類は一切触れません。
つまりIT系の業種の人は、仕事から一切シャットアウトされることになります。それがまた本当に心地良いというか、リフレッシュになりました。
最初の数時間はメールもラインもチェック出来ないし、SNSもチェック出来ないので不安で仕方なくなるのですが、先程書いた声出しのあたりでもうそういう心配は8割くらい飛んでいきます。一日目の就寝時には、完全にインターネットから切り離されても大丈夫(というか、ネットの事を考えている余裕がない)という状況になります。
最終的にこの研修が終わったあとは、研修に参加した全ての人間が達成感と連帯感に包まれ、泣いて天光寺様の方にお礼を言っている人も居ました。
本当にこの研修に参加して良かったです。この度はありがとうございました。
法話の中で教えていただいた「あのお話」、絶対に忘れません!
まず今回の体験をお話させて頂くに先立ちまして、天光寺様の御住職様、ならびに関係各位様、この度は私どもに研修をお授けいただきまして誠にありがとうございました。ここに深く御礼を申し上げます。この度私どもは、社命により新人および各部門の責任者がそろって1泊2日の研修を天光寺様にて授けていただきました。天光寺様での研修の経験があるのは若かりし頃の弊社代表のみで、私どもは全く初めての研修でした。
まずお寺に着くなり着替えをご用意頂きましたのでそちらに改め、集合の上ご挨拶を行いました。
その際には御住職様より「あなたは人生の主人公か?」という要旨のお話があり、まずもって社員一同、ここで様々に考えさせられました。私自身、よく考えてみればこの40年余の人生のなかで、一体どれほどの割合で「主人公」でいられたでしょうか。私は何のために生まれ、何をなすべき人生なのか、そんなことを研修の間ずっと考えることになる端緒がこの質問にございました。
また挨拶についても大きな声で行儀正しくというお作法があり、建設業という職種からも大きな声を出すことには皆慣れておりましたが、喉から声を出しているものも多々いたことから早々に喉を潰す者が出てしまい、それではいけない、腹から声を出すように、との御指導も一同でお授けいただきました。
続いてのお食事も修行もとい研修の一環ということで、普段食べ慣れない精進料理を皆で協力して配膳し、頂き、そして下膳も協力して行いました。ここには上司も部下も無く、人間と人間としての協力関係が垣間見られたと思います。マネージメントという職務を与えられた人間からみれば、この部分はビジネス的な研修の最も根底に流れるものを集約した様な効果があると感じました。
その後は大きな声での挨拶やお礼を言う練習が行われ、各自最初に御指導いただいた「腹から声を出す」ことを念頭に精一杯の大きな声でお客様に感謝を伝える練習をしておりました。この時点でもう喉が潰れて声が出ていない若い者もおりましたが(声を出そうとしても、喉の筋肉が思うように動いてくれなかった、と後に申しておりました)、それでも気合いで声を出そうとするその根性には皆、心を打たれました。
あっという間に日は暮れ、再び精進料理で夕食を頂きました。むろん酒などはありません。こういった意味でも、身体を休めて健康的になることができた人間が多かったと記憶しております。かくいう私も晩酌が欠かせない人間でしたが、酒を断った翌日は不思議と爽快に起きられました。
翌日は朝からお百度参りといって20mダッシュを108往復するという研修や滝行などもありました。これは体力に自信のある私達でも身と心が引き締まる内容で、とても有意義な時間となりました。
お昼に本研修最後のお食事を頂いた後は御住職から最後の法話をお聞かせいただきました。この内容も研修を授けていただいた私たちの心にはとても沁みるものがあり、人目をはばかる事無く涙を流す者、今後の生き方を改めると決意を新たにする者、様々おりましたが皆、思いおもいに感じる所があったようでした。
特に、マイナスの思考を持ったり、そのような言葉を口にするとその波動に魂が支配されてしまい、他にも影響するという趣旨のお話はとても感慨深いものがあり、マイナスの思考を持つこと、そして支配されてしまうことはすなわち、自分の心の弱さにつながるのではないかと自分の中で何か答えのようなものが出た感じが致しました。
全てのメニューが終了した後は、各自感想文を記入して研修修了となります。
この感想文を書く段になると、前日にこのお寺にやってきた時とは全く違う光景が私の眼前に広がっており、管理職は管理職、新人は新人で固まって2つのブロックに分かれていた弊社の団体が1つになり、上司は部下に慈愛をもって、新人は上司に対して畏敬の念と先輩の胸を借りる様な人懐こさをもって、それぞれ接しておりました。この情景は天光寺様での研修なしには決して見られなかったものと思っております。
研修を終えて天光寺様を後にした翌日からは通常の業務に各自戻っていきましたが、見違えるほどに現場でのチームワークや協力体制も向上し、管理職と現場職の人間との風通しも大変良くなり、より会社が一枚岩になったと弊社代表はじめ、みな天光寺様に感謝しております。
最後になりましたが、この度は大変有意義なものをお授けくださり、誠にありがとうございました。
また新人が入ってまいりましたら、ぜひご研修のほど、宜しくお願い申し上げます。
入社して一年経ち各営業所から集まった同期と共に、天光寺での社員研修を行いました。先輩に研修内容をききましたが、聞くだけでは解らず体験しないと、苦悩も感動も人それぞれなので、解りませんよと言われてしまいました。
そして、総勢13名(三泊四日)の企業研修が始まり、天光寺の本堂で挨拶をしてから研修内容の説明があり、服装を研修で着るものに交換して、研修の始まりです。天光寺での研修で始まりがある挨拶は、通常の挨拶ところなり、声だしと言うものから始まりしかも礼儀正しくしなければならないもので、初めは驚いてしまいました。
発声は喉から出なく腹から声を出すと言われましたが、初めは解らずやたら喉が痛くなり困りました。続いて、三禮を行い精神的にも身体的にも極限を味わうことになり、物凄い研修が始まったと
身震いしました。さらに、お経の朗読や「南無大師遍照金剛」と言う、基本中の基本を身体に叩き込みました。滝行でもお百度参りでも、食事の初めには唱えなければならない大切なものだけに、暗記することが決められました。
私達の企業研修は、研修できる時間が有るので、お経にしても三禮にしても十三仏真言を、徹底して研修の中に入り込んでいました。
中には、ゼイゼイ吐息を荒立てる者も居ましたが、団結心と愛社精神から全員で頑張りとおしました。研修では個人も大切ですが、団体行動も大切な物になっていますが、積極的な心や自己啓発なども含まれた研修でした。
住職の法話では、自己啓発以外に積極性や思いやりや、向上心や決断力もついてもお話をきけたので、人生において素晴らしいことになりました。
「御宝号」の「南無大師遍照金剛」を500回唱える修行や、「光明真言」を連続で1000回唱えた時は、身震いしてしました。
瞑想では、反省や懺悔や感謝をテーマに瞑想しました。お香と薄暗い本堂と自然な音楽で、心の中まで癒され、日常生活から解放されました。
早朝6時に今まで起きたことが無かったり、夜の10には寝るので初めは戸惑いましたが、これが人としての基本時間の動きと聞かされ、なるほどと思いました。
今までの不摂生を改めて、これからは仕事に生活に目的意識を持って、活きて行きます。
学校では習わない、新鮮な学びや体験が有り有意義でした。
一泊二日の天光寺での研修を受けてみて自分に足りなかったもの、新しく気付くことがいくつかありました。
その中でも最後の法話でもありました「今までの人生を振り返って」という内容での、今だからわかる反省すべき点という所で考えさせられました。
誰でも辛い事、大変な事は嫌な事であり、できれば避けたいものだと思います。
自分はそういった嫌なことから目を背けてきたんだなと今回の研修を受けて気付かされました。
振り返ってみると何かを始める前、始めてすぐなどに我慢しがたいことがあると自分を追い込むことが足りなかったです。
また、やらないのと出来ないのでは違いは大きく、意味合いとしては全く違います。
なのでこの研修を機に何事もまずやってみる、自分の先入観を捨てて、やってみてもダメでも諦めずどうしたらいいか、そこまで行動に移す、そうでないと今までの自分に対する「自信」というのもないままだと思いました。
自分に自信が無いのは努力が足りない証拠。努力が足りないのは自分に甘い証拠。研修を通じて心身ともにそう感じさせられる、そんな研修でもありました。
それともう一つプラスして頑張っていきたいと思うことがあります。
それは先程書いた内容の一歩先です。自分自身今までと違い行動に移していき、良い事ももちろんですが自分が行動たがために嫌な事、辛い事が起こったとしても決して「後悔」をしない。自分自身で「限界」を決めつけて諦めない。
辛くて諦めそうになったしまった時、今回の研修で体験し学んだ事を思い出して、一つ一つ小さな事でも達成して良い結果に結びつけ、それを日々意識し研修を受ける前の自分よりも何倍も成長できると思います。
自分が研修の中で一番辛かったのは三禮です。
体力には個人差があるので人によって辛さなどの感覚は違うとは思います。終盤になると疲れて身体も痛く、徐々に動かなくなってきていました。
それでも身体が決して動かなくなるわけではありません。
正直すごく疲れて、自分でも頑張ったつもりではありましたが、いざ終ってみて本当に100%の力を出し切れたか考えると、所々、足を止めてしまった事。細かい部分、追い込んでやりきること事ができませんでした。今後辛い事があったら「三禮」を思い出して限界を決めつけず行動し日々成長していきます。管理職に昇進するにあたり、必ずこちらの天光寺さんで企業研修をするという会社の方針で今回参加させていただきました。
正直、このような研修は入社して以来のことであり、ましてやお寺での修行など生まれてこの方初めての経験でいささか緊張しておりましたが、お寺一丸となって私どもが修行に打ち込める環境を整えていただいたこともあり、1泊二日の研修はとても実りのあるものとなりました。
研修の内容はお経を唱えたり、滝行を行ったりと今まで経験したことのない事が多くありましたが、大きな声で丁寧なあいさつをする練習など、あえて練習する事がないような所作の練習も含まれており、自分自身の所作を見直す良い機会となりました。
2日目の早朝よりお寺の内外を徹底的に清掃します。普段何気なく自分の身の回りの片付けなどをしていますが、このように自分の身の回り以外の場所を掃除することはほぼなく、新鮮な感じがいたしました。
掃除は適当にやろうと思えばいくらでも手を抜くことができます。しかし、一生懸命掃除をすると見えなかった汚れを見つけることができたり、取れそうにない汚れも頑張れば除去できたりと、奥が深いものです。
これは日々の仕事にも同じことがいえると思います。手を抜いてもそんなにも変わらないだろう仕事にも手を抜かず一生懸命取り組むという姿勢が大切だと教えられた気がします。
最後になりましたが、このような機会を与えていただいた天光寺の皆様に心よりお礼を申し上げます。この度はありがとうございました。
この度は弊社の研修をお引き受け下さり、誠にありがとうございました。次期社長候補の立場から、幹部6名とともに代表の指示により研修に参りました。今回の研修の目的としましては、管理職のメンタルヘルスとチームワークの向上、それに新人研修の検討でございます。
研修に参加することで、これからの生き方や、物の考え方に活かしたいという興味や期待もありました。普段体を鍛えることもないので、この度の厳しい研修は良い機会であったと思います。
研修については、まさに仏教の修行者が行うようなものでした。お百度参りから三禮、滝行、写経などすべてが本格的で、稀な体験となりました。挨拶作法もあり、これは新人研修にも打ってつけの内容でした。
挨拶作法や写経、瞑想はそう辛いものではありませんでした。むしろ瞑想は音楽とともに行い、苦行というよりはリラックスできるひと時となりました。今まで自分と関わりのあったすべての人を思い出し、自分の至らない点や弱さだけでなく、自分の長所をも見つめ直すことができる、貴重な体験となりました。
三禮は思っていた以上に過酷であり、ついていくのがやっとでした。途中から辛いという気持ちも忘れ、ただ遅れまいと必死でした。終わったときには膝がすりむけ、汗が吹き出していましたが、最後までやり遂げた達成感が心地よいものでした。
また、掃除や食事の準備・後片付けなど普段自分でやらないことを、同じ研修に参加した者たちと協力し合って行いました。人との接し方や子供の教育などについても、住職からためになるお話を伺いました。今までの子供との関わりについて考えさせられることも多く、仏教の教えというよりは、住職の人生経験に基づいた、人生の先輩としての教えであり、私にとっては受け入れやすいものでした。
2泊3日という短い期間でしたが、今後の生き方や人との関わり方を見つめ直す良い機会となりました。高尾住職とスタッフの皆様に感謝いたします。新人研修の実施が確定しましたら、その際は何卒よろしくお願い申し上げます。
私の勤める会社は、毎年天光寺で2泊3日の社員研修を行っています。今年も例年通りに天光寺での研修があり、私も参加させていただきました。私にとっては2度目の研修です。バス停から歩いて寺に向かうまでの間、これからまた厳しい研修が始まると、気持ちを引き締めました。今回初めて修行に参加した社員の中には、厳しい研修に驚いている者もいました。私は以前の研修で少しは体が慣れて楽に感じるかと思いましたが、あいかわらず修行は厳しかったです。
お経はなんとなく覚えており、初参加のときを思い出して、懐かしい気持ちになりました。食事も相変わらず美味しく、お代わりまでいただきました。滝行は心の準備ができていたためか、今回はそこまで大変だと感じませんでした。声をかけていただくまで滝に入っていることができ、満足しています。滝から出た後には、日頃の思考の垢が取れたかのように、さっぱりとした気分になったのが印象的でした。
今回はとくに、朝の掃除の心地よさが印象に残りました。掃除は寺の中だけでなく、バス停から寺までの道も掃除します。研修で疲労した体に朝の光が大変清々しく、自然の恵みを感じるとともに、今ここにいられる感謝の念が浮かんできました。また徹底して身の回りの掃除をすることにより、自分の心の中も一緒に掃除されていくような、そんな感覚を覚えました。普段、朝掃除をすることはおろか、掃除自体妻に任せきりですが、たまには一緒に掃除をするのも良いなと自然と思えました。天光寺の皆様には、大変お世話になりました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
この度は弊社の新人研修をお引き受けくださり、深謝申し上げます。幹部候補ということもあり、社命で新人研修に同行いたしました。同行といっても新人と同じ修行メニューなのですが、自分では体力・精神力ともに自信があるほうでしたので、とくに不安は感じておりませんでした。
しかし思いのほか厳しい修行内容で、まさに研修というより本格的な修行だと改めて気を引き締めました。自分では忍耐強いほうだと自負しており、少々無理をしてでも仕事をこなしていましたが、この度の修行で、今まで自分で自分の限界値を定めていたと思うようになりました。修行では挨拶の仕方から練習をしたのですが、今まで自分は本当に心をこめてお客様に挨拶をしていたのだろうかと、自問自答させられる内容でした。
また私は体の不調時や仕事の繁忙期には、周囲の人間に対して不機嫌な態度を取ったり、内面のストレスが顔に出てしまったりすることがありました。しかしこれは自分の心の弱さの現れだと、住職の話を拝聴し思うようになりました。他にも色々と思い当たることがあり、今までの自分を顧みる良い機会となったと感じています。
2泊3日の研修でありましたが、私にとっては大変意義のあるものとなりました。修行体験を通して、少しは変われたのではないかと思います。どんなときでも広い心をもって他人と接することのできる、器の広い人間になれるよう、今後も精進して参ります。
また最後となりましたが、住職の手料理は季節の野菜がふんだんに使われており、大変美味しいものでした。スタッフの方たちにも世話になり、心よりお礼申し上げます。今後とも弊社の企業研修をよろしくお願いいたします
住職ならびに天光寺の皆様、この度は貴重な体験をさせていただき、誠にありがとうございました。普段仕事が忙しく、自分の内面を振り返ることはおろか、他人を思いやることも忘れがちになっていました。この修行体験を通して、他人への感謝や思いやりの心の大切さを、改めて感じることができました。
この2泊3日の研修は、恐らく私一人では乗り越えられなかっただろうと思います。他者の存在が自分の心を強くしてくれたからこそ、乗り越えられたのだと実感しています。
2日目ともなると疲労もたまり、ただ座っているだけでも足腰が痛く苦痛に感じました。もし一人で来ていたなら、甘えから姿勢を崩したり、休憩したりしていたと思います。しかし同じ研修の参加者の存在があるので、行を適当にこなしたり辞めたりすることは、考えもしませんでした。自分が脱落すると皆に迷惑がかかるというよりも、ここにいる皆で研修を乗り越えたいという思いが自然と浮かんできました。
この度の修行体験から、やはり人というものは一人では生きられず、支え合って生きているのだと理解しました。それと同時に、私が普段周りの人間に配慮が足りなかったことにも気付かされました。いつも家事を完璧にこなしてくれている妻にも、いつしか感謝の言葉をかけることが少なくなり、いつの間にか当たり前にすら感じていました。それに気がつけただけでも、参加できて有難いと思えます。
私にとっては、他者の存在に感謝できるようになれたのが、この研修での一番の収穫でした。家族や友人との関わり、職場の人間関係、様々な関わりの中で修行体験で得た感謝の心を忘れないよう生きていきたいと思っております。
新入社員研修が天光寺で行われるということで、参加への期待半分、恐れ半分で当日を迎えた。たまたま天光寺の修行に参加したことのある知人から、厳しいことは聞かされていたので、十分に気合を入れて行った。が、その気合は何度も挫けそうになった。
まず自己紹介と挨拶から徹底して指導され、何度もやり直しをさせられた。お経を唱えながら立ち座りをくり返す三禮は、とくにキツい。スクワットを行うのは、高校の部活練習のとき以来で、すっかり体がなまっているのを感じた。真言を連続で唱える行は、すぐに何回目なのかわからなくなった。言葉の意味もよくわからず、ただ遅れずについていくことだけに集中していた。途中から、永遠に唱え続けているような錯覚さえし始めた。
大変な修行だったが、こういった体験は自分ではなかなかやろうとは思わないので、今回参加させていただいてよかったと素直に思う。滝行やお百度参りなども、普通に生きていれば経験することはないだろう。自分にとっては、一生に一度の忘れられない思い出になった。
大学の4年間は遊びほうけていて、受験勉強のときに培った忍耐力も忘れていたし、就職先が決まったことで完全に気がゆるんでいた。しかし社会人になる折に参加したことで、この4年間のたるんだ生き方を叩き直されたように思う。今回の研修には何度も意気消沈しそうになったが、その度に、負けるものかと自分の心を奮い立たせて乗り切った。
またこの社員研修で、仲間が一心となって物事に取り組むことの尊さというものも実感できた。他の新入社員たちとも、ただコミュニケーションをとる以上の一体感を得られたと思っている。そう感じたのは自分だけではないだろう。
挫けそうなときに励ましたり励まされたりしながら、助け合って研修を終えた体験は、必ず今後のチームワークにも活かされると信じている。社会人になるにあたり、今回の研修で培った忍耐力とチームワーク、そして何事にも立ち向かう心を忘れないようにしたい。
私は大手電機気メーカの役員をしております。
今回天光寺様の研修に感銘し感謝申し上げます。
前年度の研修で研修専門のコンサルタントに新人研修を任せました。
研修二日目の午後私と人事部の部長ほか4名で研修現場に視察に伺いました。研修の現場の光景をみて、唖然として、言葉が出ませんでした。新人研修の生徒と研修の指導員との関係が完全に崩れ、友達感覚で会話をしていました。挨拶練習、掃除、食事など全てが当社の研修史上最悪な研修になりました。会社に戻り研修を受け持った会社に連絡をし、大きな声で怒鳴ってしまいました。次年度の研修は私が受け持つことにしました。そして天光寺様に巡り合え、天光寺に表敬訪問をしました。住職の話を聞き、次年度は天光寺様にお願いすることに致しました。総勢230名の研修になりました。二日目に幹部と視察に訪れ研修の光景を見て回り涙がでました。研修の厳しさ、社員が一生懸命に研修している光景は去年と比べて今年は素晴らしいものでした。研修が終了し会社に戻った新人の目が輝き光っていたの見てビックリしました。これほどまでに変わるものなのか、本当に感謝申し上げます。来年もよろしくお願い申し上げます。
今回の天光寺での企業研修を通じて、社会人として身についていなかったことを多く学びました。忍耐力の必要性や同僚の大切さ、そして組織の一員としての自覚も体験した。
今回の研修はとても辛かった。三禮という行、冷たい滝に打たれることも、途中で逃げたくなるようなことが多くありました。特に三禮は声を出しながら、立ち座りを繰り返すというもので、身体への負担も大きく声を出そうにも、呼吸できない程だった。終わった後は汗をかなり掻き、立ち上がることもままならない疲労感があった。またお経を千回と唱える朗読、その苦痛から逃げ出したいと思った。それとは逆に、やり遂げたことに対する達成感と、何回か遅れをとり出来なかったことに対する悔しいと言う気持ちがありました。住職が私達におっしゃった、「辛くとも、どうすることも出来ないのであれば、それを受け入れなさい。」で、確かにそうだと思った。三禮の時はどこかに辛いという感情を持ち、自分に甘えていたのだと今は思います。これから数多くの苦難を自分で成し遂げなくてはならないと感じています。それだけに、今回の研修を通じて、どのような時でも頑張れることの出来る忍耐力の強さと精神力が、感じ取れた思いです。今回二泊三日の研修で、共に生活し共に試練を乗り越えることが出来、団結することが出来たと感じました。
毎朝皆で清掃した際のときも、与えられた作業のみでなく他の人の手伝いを積極的に行ったときにも、助け合うことの重要性を改めて学ぶことが出来ました。同僚と過ごした研修では、深く感謝の念を持ち、お世話になった天光寺の皆様にも感謝します。
私はこの研修を通して多くの事を学びました。研修が始まり大きな声で天光寺のでございます。よろしくお願いいたします。あまりにも大きな声にビックリしました。そして自己紹介の挨拶が始まり、全員正座になり、「・・・から参りました・・・でございます。出身は東京です。どうぞよろしくお願いいたします。」正座からきちんと起立して自己紹介の言葉を述べながら頭を下げる挨拶です。簡単に見えて簡単ではありません。きちんとできるまで何回も挨拶をさせられます。そして大きな声で「やり直し」最初の方が20回ほどやり直しをしたと思います。この光景を見ていた全員が「甘くない」大変だと思いました。我が社の研修は130名の研修です。全員正座で全員が終わるまで正座です。全員終わるまで何時間かかるのか。きちんとやってくれよ。足がいたい。終了するまで2時間30分位かかりました。みんなで一生懸命やれた。参加者全員と連帯感が自然に生まれたと思います。そして今まで生きてきた人生を、振り返ることが出来ました。誓いの言葉の中に「私は何事においても、積極的に生きます。」という言葉がありましたが、この言葉を聞いてとても考えさせられる部分が多くありました。特に、自分が嫌いなこと他人が遣りたがらないことなどを、積極的に取り組んでいけば人間力の向上につながっていくと思いました。これからはそのことを意識して行きたいと思います。
研修での挨拶の練習を二時間以上行いましたが、挨拶だけを長時間する練習は初めての経験でした。辛かったと同時に挨拶の重要性を、改めて知ることができました。挨拶で、人との第一印象が決まるということを良く聞きます。天光寺で習った挨拶の作法するように努力します。また、滝行の厳しさを経験し、この二日間の研修期間で、だらけてしまっていた自身の部分が引き締まることができました。研修で行っていろいろなことが得ることができたことを、これからの社会人人生に活かしていけるように、頑張って行きたいと思います。本当に感謝いたします。
入社して一年経ち各営業所から集まった同期と共に、天光寺での社員研修を行いました。先輩に研修内容をききましたが、聞くだけでは解らず体験しないと、苦悩も感動も人それぞれなので、解りませんよと言われてしまいました。
そして、総勢13名(三泊四日)の企業研修が始まり、天光寺の本堂で挨拶をしてから研修内容の説明があり、服装を研修できるものに交換して、研修の始まりです。天光寺での研修で始まりがある挨拶は、通常の挨拶ところなり、声だしと言うものから始まりしかも礼儀正しくしなければならないもので、初めは驚いてしまいました。
発声は喉から出なく腹から声を出すと言われましたが、初めは解らずやたら喉が痛くなり困りました。続いて、三禮を行い精神的にも身体的にも極限を味わうことになり、物凄い研修が始まったと
身震いしました。さらに、お経の朗読や「南無大師遍照金剛」と言う、基本中の基本を身体に叩き込みました。滝行でもお百度参りでも、食事の初めには唱えなければならない大切なものだけに、暗記することが決められました。
私達の企業研修は、研修できる時間が有るので、お経にしても三禮にしても十三仏真言を、徹底して研修の中に入り込んでいました。
中には、ゼイゼイ吐息を荒立てる者も居ましたが、団結心と愛社精神から全員で頑張りとおしました。研修では個人も大切ですが、団体行動も大切な物になっていますが、積極的な心や自己啓発なども含まれた研修でした。
住職の法話では、自己啓発以外に積極性や思いやりや、向上心や決断力もついてもお話をきけたので、人生において素晴らしいことになりました。
「御宝号」の「南無大師遍照金剛」を500回唱える修行や、「光明真言」を連続で1000回唱えた時は、身震いしてしました。
瞑想では、反省や懺悔や感謝をテーマに瞑想しました。お香と薄暗い本堂と自然な音楽で、心の中まで癒され、日常生活から解放されました。
早朝6時に今まで起きたことが無かったり、夜の10には寝るので初めは戸惑いましたが、これが人としての基本時間の動きと聞かされ、なるほどと思いました。
今までの不摂生を改めて、これからは仕事に生活に目的意識を持って、活きて行きます。
学校では習わない、新鮮な学びや体験が有り有意義でした。
お寺での研修は初めてで、不安な事ばかりであったが、無事研修を終える事が出来て良かった。研修内容は事前に聞いていたので想像通りの内容だったが、正直ここまで辛いとは思っていなかった。特に、長時間の正座や、長時間の光明真言、般若心経は普段は絶対にやらないことなので、とても辛かった。
一日目は自己紹介や挨拶の作法を学んだ。普段から挨拶はするように心懸けてきたが、礼の仕方や、声の大きさはとても雑だったと感じた。今後は上司の方など目上の人と挨拶する機会が増えると思うので、ここで学んだ挨拶の作法を忘れずにどんどん活用していきたい。一日目の夕食がここでの初めての食事であり、食前の挨拶をするのも初めてであった。当たり前の様に食べていた食事であったが、食前の言葉を唱え、挨拶をする事で、食事が出来る事の幸せさを感じることができた。今後も、この気持ちを忘れずに、いただきますと、ごちそうさまでしたは必ず言う様にしていきたい。
二日目は、お百度参りと滝行を行ってきた。どちらも初めての体験であり、とても貴重な体験をさせて頂いた。特に滝行は一度やってみたかった事なので、とても満足することができた。思ったより冷たさは感じなかったが、呼吸をするのがとても辛かった。苦しい状況の中に居る事で、精神力を鍛えられたと思う。仕事をしていく上で精神力はとても大事な力だと思うので、精神力が弱くならないように努力していきたい。
三日目は、法話を聞かせて頂いた。昔から、人は何の為に生まれてくるのかと何度も考えてきたが、その時は正しい答えが出せなかった。しかし、法話を聞かせていただき、やっと納得のいく答えに出会えた。以前に見た事のある光景を見たり、以前にしたことのある動きをしていることは、よくあることで、不思議に思っていたことなので、それが前世の記憶と知った時は、とても頭がスッキリした。貴重な話を聞く事が出来て良かった。
これから私は今の会社の看板を背負って生きて行く事になる。今の会社に貢献していくには、何事にもプラス思考で考える事が大事だと感じた。社員として、そして一人の人間として立派になるために、この三日間で学んだことを頭に入れておき、活用していきたい。
私の中で特に印象に残っているものをランキングで書かせていただきます。
第三位は食事です。一言で表すと「すごく美味しかった」です。食材が高級なものというわけではありません。とても自然なものばかりでシンプルなのですが、とても美味しく感謝の気持ちも芽生えました。
第二位は、滝行です。私が思っていた以上に水が冷たく感じました。実際に滝に打たれてみると勢いがすごく、最初は痛いと感じました。ですが、座ってみて力を抜いてみると先程までの痛みを感じなくなり何かこう一体化したような気になりました。その感覚が今でも残っていて、力を抜くコツが分かった気がします。
第一位は三禮です。今、こうして書いている間も筋肉痛の状態です。これも一言で表すと「限界を超える」です。体中の筋肉を使いましたが、本当に己との闘いでした。ですが、やはり一緒に三禮した仲間がいたからこそ達成できたと思います。
他にも、この修行を通じて学んだことが多々ありますが、何より「思考、考え方」が大切というのも最後に教えて頂きました。 この修行に参加させて頂いた、○○株式会社と天光寺の皆様に感謝です。
私がこの世に生まれて二十三年が経ちます。
その中で、反省すべきところ、そして今回の修行で学ばせて頂いたことを書かせていただきます。
私が十八歳のときに東日本大震災を経験しました。そのとき住んでいたのは仙台で、高速道路にのろうとしていた直前でした。もちろん、その道路も津波に?まれてしまったので、もし、あの時、少しでも早くのっていたら、今の私はいなかったかもしれません。この震災で数万人が命を落とし、現在も復興がなかなか進んでいない状況です。
私の家族は全員怪我もなく無事でした。ただ、今までの生活スタイルを戻すには時間が必要でした。なぜなら、ライフラインが使えないのです。
まず、電気が使えません。なので携帯電話も意味をなしませんでした。家の中も全暗なので、懐中電灯とろうそくで灯りをとりました。
そして、ガスも使えません。雪が降る季節でしたがお風呂に入れないので、毛布で寒さをしのぎました。
さらに、水道も使えません。なので近くの学校に水をもらいに毎日行きました。
今まで当たり前だった生活が一変しました。ですが、その環境の中だからこそ感じたことがあります。
「当たり前だったことにありがとう。そして、生きていることにありがとう。産んでくれた両親に、育ててくれた両親にありがとう」という、気持ちでした。
人生で、細かく言えば反省する部分は沢山ありますが、私の一番の反省は「感謝の気持ちを忘れてしまう事」です。先程も文面で書きましたが、当たり前のことは、実は当たり前ではなく、もっと言えば、現代の日本を動かしている人達だけではなく、その先祖の人々があってこそだと思いますので、本当に全てのことに感謝しなければいけないなと感じております。
そして今回、そういった今までの人生の反省と、これからの人生をよくするということを含め、修行に参加させていただきました。
私の中で特に印象に残っているものをランキングで書かせていただきます。
第三位は食事です。一言で表すと「すごく美味しかった」です。食材が高級なものというわけではありません。とても自然なものばかりでシンプルなのですが、とても美味しく感謝の気持ちも芽生えました。
第二位は、滝行です。私が思っていた以上に水が冷たく感じました。実際に滝に打たれてみると勢いがすごく、最初は痛いと感じました。ですが、座ってみて力を抜いてみると先程までの痛みを感じなくなり何かこう一体化したような気になりました。その感覚が今でも残っていて、力を抜くコツが分かった気がします。
第一位は三禮です。今、こうして書いている間も筋肉痛の状態です。これも一言で表すと「限界を超える」です。体中の筋肉を使いましたが、本当に己との闘いでした。ですが、やはり一緒に三禮した仲間がいたからこそ達成できたと思います。
他にも、この修行を通じて学んだことが多々ありますが、何より「思考、考え方」が大切というのも最後に教えて頂きました。
この修行に参加させて頂いた、会社に感謝です。一泊二日の天光寺での研修を受けてみて自分に足りなかったもの、新しく気付くことがいくつかありました。
その中でも最後の法話でもありました「今までの人生を振り返って」という内容での、今だからわかる反省すべき点という所で考えさせられました。
誰でも辛い事、大変な事は嫌な事であり、できれば避けたいものだと思います。
自分はそういった嫌なことから目を背けてきたんだなと今回の研修を受けて気付かされました。
振り返ってみると何かを始める前、始めてすぐなどに我慢しがたいことがあると自分を追い込むことが足りなかったです。
また、やらないのと出来ないのでは違いは大きく、意味合いとしては全く違います。
なのでこの研修を機に何事もまずやってみる、自分の先入観を捨てて、やってみてもダメでも諦めずどうしたらいいか、そこまで行動に移す、そうでないと今までの自分に対する「自信」というのもないままだと思いました。
自分に自信が無いのは努力が足りない証拠。努力が足りないのは自分に甘い証拠。研修を通じて心身ともにそう感じさせられる、そんな研修でもありました。
それともう一つプラスして頑張っていきたいと思うことがあります。
それは先程書いた内容の一歩先です。自分自身今までと違い行動に移していき、良い事ももちろんですが自分が行動たがために嫌な事、辛い事が起こったとしても決して「後悔」をしない。自分自身で「限界」を決めつけて諦めない。
辛くて諦めそうになったしまった時、今回の研修で体験し学んだ事を思い出して、一つ一つ小さな事でも達成して良い結果に結びつけ、それを日々意識し研修を受ける前の自分よりも何倍も成長できると思います。
自分が研修の中で一番辛かったのは三禮です。
体力には個人差があるので人によって辛さなどの感覚は違うとは思います。終盤になると疲れて身体も痛く、徐々に動かなくなってきていました。
それでも身体が決して動かなくなるわけではありません。
正直すごく疲れて、自分でも頑張ったつもりではありましたが、いざ終ってみて本当に100%の力を出し切れたか考えると、所々、足を止めてしまった事。細かい部分、追い込んでやりきること事ができませんでした。今後辛い事があったら「三禮」を思い出して限界を決めつけず行動し日々成長していきます。今回、僕は、企業研修という形で、天光寺さんにこさせていただきました。実際、自分は、ここにくるまで、何をするのか聞かされていなかったので。不安ばかりでした。
まず。挨拶の作法として自己紹介やお経の練習、腹式呼吸や発声の練習を行いました。普段してきた挨拶はまちがっていたことを知りおどろきました。うまくいくまで何度もやりなおしして、練習を終えました。
お経の練習は、はじめての事だったので、一番てこずりました。どれもはじめて耳にする言葉ばかりでおぼえる事がとても難しかったです。腹式呼吸は、滝行でも使う呼吸で、これも大事な事だとおそわりました。発声法については、たんの発声をするのかと思ったら、ひたすら「あー」と発生するだけのシンプルなものでした。これならいがいと楽しいのかもと思いきや、しせいをたもちながらの発声はとても苦しいものでした。朝の挨拶、就寝の挨拶なそも練習をしておこたって、挨拶の作法を終えました。
お昼をとって、一日目のはじめての行といえるお百度参りをおこないました。これもまた、自分ははじめてのけいけんで、無事にはしりきるかがとても不安でした。実際に迷ってみていがいと走れることを知りさいごまで走りきることができまあした。ただ、はだしで走っていたので、足のうらにまめができてしまい、つぶれてとてもいたい思いをしました。
お百度参りを終えたあと、すぐさま滝行のほうへむかいました。今回のこの企業研修の一番のメインイベントであるこの滝行は、有名人などもくるとてもゆうめいな場所みたいで、かこにはタカトシも真冬に1分も滝にうたれたと聞いて、自分も10分くらいははいれそうだなて思っていたけど、実際は3分間はいっただけで、もうしてしまいました。外はあついくらいだったから、へいきだろうと思っていたが、これがあまりにもつめたくて真冬に入った人のことをかんがえたら、自分は無理だと思ってしまいました。それほど、滝につたれるというのはつらいことだがわかりました。
滝行のあとは、おそらく今日、自分がいちばんつらかった行でした。それは、三禮という行で、かんたんにいってしまえば、すわって立ってを300回くりかえすというものでした。これは、いままででとてもくるしかったことの一つとして、おぼえてることになりました。
そして、この日さいごの行は、写経というもので、般若心経をふでをつかい、書きうつすという作業でした。すみをするというところからはじめたので、とても時間がかかってしまい、ようやく書ききることができました。
これで、一日目の企業研修がすべてぶじに終えることができました。一日してみてすでに体がいたくて、ねるのも大変でした。
そしてむかえた2日目は、朝からみんなで寺の大掃除をおこないました。おふろからトイレまでまかされたので、おせわになったという気持ちをもってとりくみました。清掃がおわれば、1日目と同じ声出して瞑想をしてから、2日目のメインイベントの光明真言1000回というおそろしい行がまっていました。これもあぐらのたいせいでいどみましたが、一日目のつかれで、きんにくつうになっていてうまくくむことができずに、とてもくつうでした。けっきょく、1000回おわるまでに、1時30分ころまで、かかってしまい、おおはばにおくれてしましました。
今回の企業研修をふじに終えることができて、ほんとうによかったと思っています。埼玉にかえっても、こんかい体験した事をいかしてなにごとにもとりくんでいきたいと思っています。
この度、天光寺での研修を通し学んだ事は、
①挫折こそ幸福
②低姿勢で接する事
③我は出さず、色を出す事
④組織を活かせる人材になる事
大きく分けて4つの事を学ぶ事が出来ました。
この度の研修は、少し後ろめた気持ちで参加致しました。
一番最初に学んだ事は挨拶で、少し驚きました。
ですがこの「驚き」で研修への意欲が高まり、全ての修行が気持ちよくできました。
滝行では一番に入らせて頂き、何事にも動じず、負けない心を思い出しました。この度の研修で、普段感じることのできない事を学ばせて頂き、大変貴重な経験をさせて頂きました。
本当にありがとうございました。
この気持ちを忘れず仕事に精進してまいります。今回行った研修は初めての体験で、聞いた事もない行もありましたが、全て体験できて良かったと思います。
滝行では目標としていた三分に達する事ができず、自身の心の弱さが表れてしまいました。
その後の三禮ではその分の悔しさもあったので、三百回止まらずにやり切る事ができました。
終盤では脚が疲労で動きにくかったけど、諦めずにやり遂げれた事は自信にもなったし、達成感で満たされました。
食事の前にも唱える事が多くあって大変だったが、食前の言葉の内容をよく考えてみると、深いことが書かれていて感動しました。住職の法話は為になる事ばかりで、とにかく積極的に且、我を強く持ちすぎないように気をつけようと思いました。誓いの言葉をできるだけ多く、達成できるようにしたいと思いました。
今回研修に参加して、得るものが多くあり、勉強になり普段できない経験をさせて頂きました。
本当にありがとうございました。天光寺の修行を終えて、自分自身の考えの甘さや、自身を見つめ直す良い機会だったと思い、研修に参加させて頂き本当に感謝しております。
印象に残ったものは、滝行と住職の法話です。
普通の人生では味わえない体験という事と、自分だけでは参加してもすぐ諦めてしまう結果だと思いますが、研修メンバーと共に行う事で真剣に取り組み、頑張れたので、今後高いチームワークが生まれると考えております。住職の言葉では、個人に魅力がなければいけないと言っており、チームの中で「自分にしかできない事、オンリーワンを作るように」の言葉に共感し、自分のストロングポイントを更に延ばす努力をする事を、この研修を通して感じました。
明日から研修で学んだ事をしっかり活かしていきます。本日は誠にありがとうございました。
天光寺での二日間の研修を通して様々な事を学ぶことが出来ました。
一日目の「自己紹介の練習」では第一印象や礼の大切さを知ることが出来ました。普段のより頭を下げる深さ、スピードを遅くする事で印象が大きく変化したので今後取り入れたいと思いました。
「光明真言の読経」では、光明真言を三時間かけて千回唱えるというメニューでした。心を無にして光明真言を唱えることで、時間の感覚や邪念がなくなり、千回終わった時の達成感は素晴らしいものでした。
「三禮」ではお経を唱えながらスクワットをするというもので、身体的にも精神的にも辛いものでした。三回一セットを百セット行ったのですが、動きながら声を出すことが大変で苦労しました。途中何度も足が止まりましたが、他の二人が居たからこそ最後までやりきることが出来ました。今回、何度か足が止まってしまい、三百回全てやりきることが出来なかったのですが、自分の甘さや弱さにを見るよい機会になったと思いました。
「写経」では、心を落ち着かせて、自分で墨をすり、「般若心経」を書くというものでした。見本をなぞる作業だったのですが、雑念が入り心が乱れると、うまく書くことが出来ず、字に表れるということを体感することができました。
「挨拶の練習」では、大きな声ではきはきと挨拶をするメニューでした。自分は普段から挨拶の声が小さいと言われて来たので、それを少しでも直せる良い機会だと思い、真剣に行いました。この練習は一時間程度でしたが、腹から声を出す大切さなどを学ぶことが出来ました。
二日目の「声出し・瞑想」では、声出しは、腹から声を出す練習の一つで自分がこの一つで自分がこの研修で得たい事の一つでした。「あー」と、十分声を出し続けることで研修を受ける前よりは腹から声を出せるようになったと、じっかんしています。
瞑想では、「ああすれば良かった」等の後悔を振り返ると言うもので、後悔することが多く、後悔しないように積極的に行動できるようになろうと、再認識できる良い機会となりました。
「般若心経の読経」では般若心経を百回唱えると言うメニューでした。般若心経は「光明真言の読経」や「三禮」で唱えたものより長く一回唱えるのに二分かかるものでした。これを三時間通して行ったのですが、前日でも「光明真言の読経」をしていたので、それほど苦ではないものでした。最後のメニューの「法話」では高尾住職自らが、「仏教とは何か?」「考え方のあり方」などを教えて下さるものでした。マイナスな事を言うと自分の鼓膜を通して潜在意識「無意識」に影響すると聞いて自分もマイナスな事を言う事が最近多く、それが失敗に繋がった事があったので共感できました。高尾住職の言葉を聞いて、自分の間違っていた考え方、行動などを見直すことができました。
二日間の研修を通して、多くの事を体験し、学ぶことができました。そして、自分と向き合う事ができたと思います。自分に欠けていた「声」「プラスに考える事」「積極性」を再認識し、変えていこうと思う良い機会でした。
1泊2日という短い期間でしたが、様々な面で勉強になりました。初日の挨拶の作法から、直すべき点が多くありました。声の出し方やお辞儀の作法など細かく御指摘いただき、改めてしっかりとした挨拶が出来る事は社会人として重要だと感じました。
研修には実際に自分の身体を使いながら、お経を唱えるのを三百回連続で行うものがありましたが、とても体力的に苦しい修行でしたが、他の二人と協力しながら何とか終える事が出来ました。
始めは予想以上に身体を動かしながらお経を唱えるのは三人でバラバラになったりしたので、何回もやり直しましたが、三百回連続で他の二人と合わせられた事で協力や協調といったものがさらに深まったと思います。
お経については、御宝号と光明真言・般若心経について教えて頂きました。
特に光明真言は千回連続で唱え、般若心経は百回連続で唱えました。
千回連続だととても長く感じるのかと思っていましたが、唱えているうちに段々と心が無になっていき、雑念がなくなる事で時間がとても早く経過したように感じました。 お経というのは、普段の生活ではなかなか勉強する機会が無いので、勉強になりました。写経では、般若心経を写経しました。
水を硯に入れ墨をすり、一から墨を作り写経の準備をして、私語をせず一文字一文字を丁寧に書く事で、自然とリラックスした無の状態に近づけました。
普段の日常では、文字を丁寧に書くことを忘れたり、パソコンや携帯電話などで文章を書いたりする機会が多くなっていますが、時にはこうして自分で書く字を大切にしたいと感じました。2日目は、朝の掃除を他の修行に来られてる方たちとも協力して二時間かけて行いました。 部屋はもちろん、使った寝具、風呂場や玄関など全ての場所の掃除から始まりました。 使った物は自分達で掃除、整頓する。普段は1人暮らしなので、こういった掃除や整理整頓の事を忘れがちですが、改めてこういう基本的な事が大事だなと感じました。
研修の最後に、住職から法話をして頂きました。
仏教ついてや自分の人生をきちんと生きるために必要な事。日常生活や社会での中で成功するための考え方など、大変有り難い法話をして頂きました。今回の研修を通して学んだ事は、当たり前の事こそ大切に行いきちんと出来ていなければ1人の人間としてダメだなと感じました。
特に今回は会社にお金を出して頂いて勉強できる機会だったので、2日間を通して『会社に貢献するには』と『一人の社会人として必要な事』について考えていました。
今回学んだ事を今後の会社での行動で表し、また一人の社会人として成功出来る様に努力いたします。改めて今回はこのような機会を作って頂き、誠に有難うございました。
今すぐに全てを変えるのは無理ですが、日々進歩出来るように努力いたします。日間、想像以上に辛く、大変な体験をしました。
普段自分がどんなに楽な生活をしているのかと言う事を改めて実感できました。二日目から、一日目の疲れで何度か研修で手を抜いてしまった事を後悔するとともに、諦めない気持ちを持つという事や、全ての物に感謝をすると言う事、弱音を吐かない事など様々な事を学びました。特に心に残った所と言うのは一つ目は、食前の言葉です。普段何気なく食べているものにもしっかりと感謝の気持ちを持たなくてはいけない改めて学ばされました。
二つ目は法話で話されていた過去のあやまちや後悔を償う為に生まれてきた、と言う言葉と最後に言った誓いの言葉での「私は嫌みや嫉妬ではなく心から人を褒められます」と「見返りのない愛情を人に注ぐことが出来ます」という文。本日の研修この言葉、文を読み今までの人生を深く後悔する事が出来ました。今までの自分では後悔で止まって成長する事ができなかったと思います。今は後悔をしっかり受け止め、今後少しずつでも成長していき、誓いの言葉を全て尽くせる人間になります。
この三日間本当に感謝しています。これから先、辛く大変な事があってもこの三日間と学んだ気持ちの持ち方を思い出せばどんな事も乗り越えられると思います。
私は今回会社の研修の一環で、天光寺にて修業をさせていただく機会を得ました。実際に現地に行って、修業をさせて頂く前の私のお寺修業のイメージは、非常に精神的にタフであるというものだったのですが、実際に滝に打たれたり、2時間半のお経を読んだり、三禮といわれる、現代でいうスクワットのような修業を経験させて頂いたときは、精神的にも体力的にも私の限界に達していました。
しかし、これらの活動を自分一人だけではなく、同期の仲間と取り組んでいた時は、絶対に最後までやり遂げるんだという気持ちが、私の中に生れていました。日々の生活の中でも、親や友達の大切さを実感する場面は、多々ありますが、今回のお寺修業でも、改めてそのような気持ちを抱くことができました。今後はこの気持ちを大切にし、仕事やプライベートなど、実りある生活を送って行きたいと思います。
先ほど今回のお寺修業が、体力的にも精神的にもハードであると言ったように、どれも私の限界に達するような修業でした。しかし、今回このような修業を経験させて頂いたおかげで、日々の生活で感じる悩みや不安、ストレスはどれも大したものではないと思える自信があります。
また住職の高尾様に、自分の思考や意識の大切さを、改めて教えて頂き、プラス思考であることの大切さを学びました。今後仕事できつい事があった時にも、自分の思考や意識の違いで、その後に来る結果は変わって来ると思いますし、その時に自分の思考をプラスにして自分の成長につなげていくことが大切だと思うので、実際にこれからの生活で実行して行きたいと思います。また、自分を支えてくれた両親や友人を大切にしみんなにどって最高の人生が送れるようにしていけば、きっと明るい未来が待っていると思うので、まずは自分から変えていき、一歩一歩成長していきます。最後になりますが、今回は、貴重な機会をありがとうございました。
ありがとうございました。今回の禅修業研修を通じて様々なことを学び、体で会得しました。我慢強い心折れない心、同期と助け合いながらだったからこそクリアできた修業、そして、そこから得た達成感など。
そんな中、自分自身の考え方が大きく変わったことがあります。
「自分自身の力はまだ、引き出しきれていない」ということです。そのことを一番感じることのできたのが「滝行」でした。初めは予想以上に小さく水の量も少なかったので「この位なら、楽勝」と皆でタカをくくっていました。しかし、実際に自分の番になり、足を水につけた時点で予想以上に冷たい事に驚き、ふるえが止まりませんでした。バケツで水をかぶり、皆の応援のもといざ、滝ツボに入ってみると、全く予想していない程の冷たさで、本気で死ぬんじゃないか、と感じました。恐らく二、三分経過した頃、指導員の方から「大丈夫ですか?」と言われた時、思わず、諦めの言葉を発しようとさえ考えました。しかし、応援してくれる仲間に背中を押され、「こんなので負けていられない!絶対にやり遂げる」と自分を鼓舞することで見事達成しました。水から出た時は、滝から出られた安心感と、やり遂げった達成感がありました。その時感じた事は、「自分は今までこんな辛い経験をしたことがなかった。でも、それを乗り越える力が自分にあった。もっと自分の力を引き出していきたい」ということでした。
一泊二日の修行は自分にとって予想以上に辛く厳しいものでした。そんな辛い中でも気持ちで乗り越えられたことに自信を持ちました。この二日間で学んだ事を配属後、存分に自分の力を発揮していきたいと考えています。
今回の修業で最も心に残っているのは「人生は自分が人生の主人公になるか、負け犬になるかどちらかだ。」という言葉です。これは住職の方がおっしゃっていただけでなく、経験した全ての修業において手を抜こうと覚えば抜けるが、苦しい中でも淸極的に修業を行うことによって得られた結果も大きかったことからも、入ることだと思います。
修業の中でも少し手を抜いてしまった修業よりも自分を追い込んで頑張るできた滝行、三禮は苦しかった印象も強く残っており、その分、自らの精紳力、体を鍛えることができたと思います。ここに来るまで、私は「どちらか言うと自分よりも周りの人の目線や、反応を気にし、周りさえよければそれでいいという考え方でした。しかし、それでは人生の主人公になることはできないと思います。これからは周り周囲の人と調和をはかり、協力し合いながらも、自分が納得できる道を選び突き進むこと。そして、その道で努力を借しまず、頑張っていきたいと思っています。
まだ、修業では自分が周りよりも精紳的に弱いことが分かりました。特に集中力がありません。長時間にわたる修業の際、途中で気が抜けてしまったり、うたた寝してしまいました。しかし、苦しいときにふんばることができたり、滝行では今までの人生で最も辛い7分間を過ごすことで精神的に強くなれたと思います。これから仕事でさらに厳しい状況に立つ事もあると思いますが、困難から逃げ出さず、立ち向かっていきます。
私は今回会社の研修の一環で、天光寺にて修業をさせていただく機会を得ました。実際に現地に行って、修業をさせて頂く前の私のお寺修業のイメージは、非常に精神的にタフであるというものだったのですが、実際に滝に打たれたり、2時間半のお経を読んだり、三禮といわれる、現代でいうスクワットのような修業を経験させて頂いたときは、精神的にも体力的にも私の限界に達していました。
しかし、これらの活動を自分一人だけではなく、同期の仲間と取り組んでいた時は、絶対に最後までやり遂げるんだという気持ちが、私の中に生れていました。日々の生活の中でも、親や友達の大切さを実感する場面は、多々ありますが、今回のお寺修業でも、改めてそのような気持ちを抱くことができました。今後はこの気持ちを大切にし、仕事やプライベートなど、実りある生活を送って行きたいと思います。
先ほど今回のお寺修業が、体力的にも精神的にもハードであると言ったように、どれも私の限界に達するような修業でした。しかし、今回このような修業を経験させて頂いたおかげで、日々の生活で感じる悩みや不安、ストレスはどれも大したものではないと思える自信があります。
また住職の高尾様に、自分の思考や意識の大切さを、改めて教えて頂き、プラス思考であることの大切さを学びました。今後仕事できつい事があった時にも、自分の思考や意識の違いで、その後に来る結果は変わって来ると思いますし、その時に自分の思考をプラスにして自分の成長につなげていくことが大切だと思うので、実際にこれからの生活で実行して行きたいと思います。また、自分を支えてくれた両親や友人を大切にしみんなにどって最高の人生が送れるようにしていけば、きっと明るい未来が待っていると思うので、まずは自分から変えていき、一歩一歩成長していきます。最後になりますが、今回は、貴重な機会をありがとうございました。
ありがとうございました。今年から新たな試みとして初まった禅修行研修で来る前の心情として、周りの同期などを見ていると、「少し配属が延びた」「修学旅行みたい」など学生気分が抜け切れていない点が多々見られ、自分自身はと言うと、前に書いた気持ちもあり、「しんどそう」「なぜこの時期に会社に入ってまで修行をうけないといけないんだ」といった禅修行を行う意味や目的、意義というものを見出すことが出来なかった。
しかし、いざ始まってみると同期の目の色が変わり、最初の全員の自己紹介で目が覚めたようだった。その後も、二時間半連続でお経を唱える、三禮、写経、滝行、お百度参りなど、これらが全て自分一人だったら、弱気、弱音、妥協、リタイアなど考えたかもしれません。ですが、周りの同期が支えあい、励ましあい、時には笑いを交じえて刺激し合えたことが一番よかったのではないかと感じた。 また、最後の住職さんの法話は心につきささった。自分自身は今まで少し無理だなと感じるとあきらめることが多々あった。この点は自分の悪い部分であると認識はしていたが、ピンときてなかった。だが、手に届かないところにリンゴがある場合どうする?という例えに、前までの自分ならあきらめていたと思うが、これからは、知恵を働かせて、自分の幸せは自分でつかみ取りに行くという人生一度きりという考えを常に持ち続けに行きたい。
最後に、この研修を通じて、あきらめない心、成し遂げた後の達成感、同期全員の結束力が強くなったことが感じられた研修になった。関係者の方々本当にありがとうございました。
私は小中高とそれなりに厳しい部活(クラブチーム)で育ったため、体力・精神力は人並み以上にあると自負していた。しかし、成績としてはやはり人並み以上であり、日本や地方を代表するようなずば抜けたレベルではなかった。それを体格等の転生やセンスの差として片付けている自分がいた。今思えば精神力という面でまだまだ妥協している所があったのだなぁと感じる。
その点で言うと、今回の行体験は本気で精神面が追い込まれる環境に置かれたため、限界超えるまでやり抜く機会を通じてまた新たな自分に生まれ変わったような気がした。特に私は正座が苦手なのだが、行では所々正座をしなければないシーンがありそのシーンとは主に大切な言葉を述べているが多いので自分一人が崩れ落ちてしまうと場が台無しになる。
自分が正座を崩すことによって連帯責任で最初からやり直しになって他の人につらい思いをさせたり、食事の言葉を述べている最中にやらかしてしまったらご飯が食べられなくなるかもしれない。そのことを思うと辛かったが崩す訳にはいかなかった。一日目の途中では自分の意志と関係なく足が痙攣して立てなかった。日頃から行をやっている人達にとってはまだまだかもしれないが、精神力だけで体を持たせたという経験が高校卒業以来だったので、ここのところぬるま湯に浸かってきた自分には良い薬になったと思う。社会人にとっても同じでこれから体力的、精神的にキツくなる生活が待っていると思うが、その中でどれだけやり切れるかというところはどちらかというと体力面より精神面のほうが大きい。
また、先程の正座の話に紐付づけるならばそこで自分が自分に負けることによって、取引先との関係、自分を置いてくれている会社のメンツなどが丸潰れになってしまうかもしれない。人間が誰かとの関係によって存在していける動物である以上、これからは自分に負けることで周りにも影響をおよぼす結果にもなるのである。 そう考えた時にこの行体験は社会人としての生き方の縮図でもあったのかなと筆を走らせている現在、思うしかし、行体験をしたからといって自身を持って強いと言えるわけではない。これから先自分に負けそうになった時に今回の経験を思い出して「あの時あんな事をやってきたのに、今そんなこともやり抜けないのか」と自問しながら本当の強さを身につけていきたいと思う。ちょうど学生と社会人の節目の年、新しい挑戦をさせて頂けたことに感謝致します。
ありがとうございました。今回、私は二人の内定者を率いるインストラクターと、修行を体験・実践する若手社員との二つの役割で参加をさせて頂きました。今回の一番の目的であった「限界突破」に対しては、内定者2名とも(そして私も)体験出来たので、結果として、インストラクターとしても体験者としても非常に良かったと思います。
内定者の本研修に臨む姿勢も、今後に期待が持てるものでした。「ここに住んでいらっしゃる方を超えることを目指そう」をキーワードに、苦手な正座に長時間耐えたり、一番大きな声を出し続けたり、普段掃除をしていないであろう場所まで積極的に掃除をしたりと、社会に出てからも必要な主体性や忍耐力に気付き実践してくれました。そのような姿勢を基本とし、それぞれ滝行や正座にて限界まで挑み続けてくれたことは今回の趣旨もしっかりと理解し、常に意識をして取り組んでくれたことの成果を感じ、二人を評価したいと思います。
また体験者としては、肉体的に非常にハードであり、目指していた限界突破を経験しながら、日頃の生活の中で求められているものを感じ取ることが出来ました。例えば、千回同じお経を唱える修行は時間のかかる業務をやり遂げる感覚に似ていましたし、余計な所までそうじをするのはお客様に提出する資料の見直しをする感覚に似ていましたし、信じられないくらいに低い水温に強烈な痛みを感じる滝行で一度出てしまってもまた入っていくことは、自分の未知の体験を恐れずに苦しくてもまた挑戦する気概を学べました。
まだまだ修行の中で、改善すべき所もありますが、今回学んだことは、日常の中でも意識・実践していきたいと思います。
今回は事前にカリキュラムを頂いており、来る前から色々と覚悟を決めて参加をしましたが、思っていた以上に厳しい内容でした。「限界突破」を体験させ、己と向き合う良い体験なので別の機会も検討したいと思います。その際には、修行を一般人と圧倒的に差がある方にもインストラクターをお願いしたいと思います。
前回も行をさせて頂いた時は、チームワークや団結力について身をもって知り、大きな力を頂きました。三禮をしている時は、前回の経験で仲間いると思い、まわりの仲間の姿を見て前回よりは続けてやれた様に思います。今後の仕事の面でも、仲間と力を合わせて、そして仲間と達成の喜びを思い浮かべて頑張って行きたいと思います。改めて仲間の重要性とやれば必ずできる、達成すると身をもって感じることができました。ありがとうございました。
また今回の二回目の行をやらせて頂きまして、特に自分自身の気持ちの持ち方を新にものにすることができました。やれば何事もできる。マイナス意識はすてて、意識を常にプラスに持つことの重要性です。人間は必ずいつか壁にぶつかる時がきます。その時に壁を乗り越えるのに重要な部分が、意識というところと、絶対にマイナスなことを口に出さないことです。
あともう一つは最初のところでありました。あいさつのところです。言葉一つで相手への伝わり方や感じ方が違うということです。しっかりとしたあいさつと礼のしかたを実戦的にしっかりとやっていこうと思います。この行をさせて頂いたことに感謝して今後の仕事をする上で、必ずプラスにしていきます。そして誰にでも感謝の気持ちは忘れません。また機会がありましたら、また行をさせて頂きます。ありがとうございました。
今回で二回目の修行になったが一日で全てやった。やり切る事の大切さや、仲間と同じ目標に向かっていく大切さを大きく感じた。
今回参加した営業一部であまり結果を出せていないのが現状であるが、絶対に自分達なら良い結果を出せると強く思った。それは、団結感を仕事においても誰かのため達成する喜びを全員で分かち合う事が一度出来れば大きく進化するのではないかと強く感じた。
まず少しの成功からでもいい。みんなで小さな喜びも分かち合っていきたい。そのためにも常に感謝の心を持って、互いにぶつかり合い、はげましあってやっていきたい。それが本物の団結力だと思う。
ただ仲の良いだけではダメだ。自分が中心となって戦う集団を作っていきたい。達成する喜び、みんなで同じ目標に向かっていく喜びをつかむためにもまず自分からやり切る事、あきらめない事を徹底していきたい。
自分が変わる事が出来れば周りのみんなにも良い刺激を与える事が出来ると思う。それが相乗効果を生んでさらに良い方向へと代わっていけると信じて日々過ごしていきたい。常にポジティブに最後までやりとげる。そして謙虚な姿勢を持ち続け舞台と役者を演じる事が出来れば大きく進化することが出来ると思う。今ここに自分自身のターニングポイントがきたと信じ続け頑張りたい。
p>一番感じた事は、一人は辛いということです。三禮は一人では絶対できないなと思いましたし、周りの人が頑張っているのを見てそれを自分のエネルギーに変えていくことができる。仲間は素晴らしいと思います。
自分自身、普段からすごいムラが多く、集中力が鈍かったりすることがあるのですが、今日は一つのことを長い時間やることで、無心になって集中することができて、集中ってこんな感じなんだなと実感することができました。今後の自分の行いの中で、同じ感覚になる場面をより多く作っていけるように、心身共に磨いて行きたいと思います。
いろいろなお話をきかせて頂いて、自分の事を底辺に置くということが「最近出来ていなかったなとおもいました。仲が良い中でもケジメをしっかりつけていかないといけないなと思いました。まだまだ周囲への気配りも足りないあと思いましたので、意識からすぐにでも変えることができる部分でもありますので変えていきます。
何がかんだ大切だと思ったのは、一瞬一瞬を全力で生きることです。「行」にしろ、休憩にしろ、何かを行っている事に対して全身を傾けて、楽しむことで自分の感じる事、人生を良くしていけると思います。
本日は誠にありがとうございました。今日の経験を活かし、今後の自分を良くしていきたいと思います。
今回で三度目になりますが、改めてありがとうございました。一日の体験修行でどれだけ連帯感を持てたかはわかりませんが、御宝号1000回の修行の時、己との戦いだと何名か注意されましたが、まさに、この時に己のめい一杯の力を出しきれるかであると私も感じました。
年齢的に体力では若さに負けてしまいますが、自分なりには目一杯修行を行い全員の手本とまでは、できませんでしたががんばれました。
くだらないと言うと失礼ですが、あいさつなんかと思う部分もあったのですが、やってみるとなかなか美しくできてない自分がいて、くり返し修行をすることで気持ち良いあいさつもできるようになったと思います。
最後に、壁の先にはたくさんのプレゼントがあるとおっしゃられていたのは、全員が共感したと思いますし、最後には目標の連帯感が生まれたと思っております。
今後もまたお世話になる事があると思いますので今後共も宜しくお願い致します。本月はありがとうございました。
今回のお寺での修行をすると聞いていて、正直つらいのだろうなとマイナス的な思考から入っていました。日が近付くにつれて、内容はやったこともないことばかりだと思ったので、体験することで何か気付いたりすることもあるのかなと、興味や好奇心も沸いてきました。
学生時代の部活以来、体を酷使したり精神を鍛えるようなことは何もしてこなかったので、いい機会であると思えました。
修行当日、実際に寺に向かうにつれ、どんどん山奥に入っていく道中に不安の方が大きくなりました。自分の日程として初日に滝行があったのですがあんなにつらいものであるとは思いませんでした。見た目から厳しそうではありましたが、やってみたらたいしたことはないのではとタカをくくっていました。自分の番で入った瞬間に、全く間違っていたと気付きました。入ったと同時にやめたかったのですが何とか少しは体験し、忍耐をためそうと数分間ですがやることができました。やっている間はまさに自問自答のくり返し、自分との闘いであったように思います。数分ではありましたが、思い出深い行の一つです。
他に「三禮」は、聞いてはいましたが、想像を絶する肉体酷使で、数日間に渡り筋肉痛になやまされる内容でした。
この時もやっている間、常に自問自答、やめて止まるべきか、ひたすら続けるべきかの連続。正直まともにはついて行けなかったものの、やり終えることができました。久々に達成感のような気分を味わった気がします。ただできれば二度味わいたくないつらさがありました。汗だくになり、床に水たまりを作りながらやったこの三禮も思い出深いものの一つです。また修行の間、基本的に自分のことは自分でやるという根本的なものがあり、ご飯を自分で用意し、自分で片付け、自分で布団を敷き、自分でしまい、自分で用具を出し、しまいということを繰り返してきて、忘れてしまっていた色々な事に気付かされた感じがします。
自分で気付くことで、この先自分の糧や職場での人の接し方も少し変わるのかなという気もします。特に自分の子供への教育という部分でたくさんの知恵やヒントを与えてもらったように思います。最後の住職からのお話もそうでした。自身のこれからの人生やこれからの人と接し方、また自分の子供たち未来へつないでいくということの役割、重要さを再認識させられました。
仏教というのは日本に深く根ざしていますが、宗教心を持った日本人は少ないように思います。自分もその一人です。
あまり宗教的な事は嫌だなという気持ちが最初はあったのですが、堅苦しさや、押し付け的なことはあまり感じられず、恐らく無意識な部分も相まって、すんなりと自分の中に受け入れられた気がします。様々な場面での読経など、さもあたり前であるかのように終盤では特に感じられました。
短い間ではありましたが、この修行では日頃しないことが多くあり、肉体的にも精神的にも辛いところがありましたが、得るものが多々あったように思います。「ひと回り成長しました」とまでは言えないものの、今後の日常での何気ない一言、言葉のちょっとした語尾などを気をつけることで、大きな変化に繋げられればと思います。住職、天光寺の皆様には大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
天光寺研修を初めて体験しました。私が来る前に第一班、第二班とグループ会社の者が来てましたが、きついと言う話を少しばかり聞いていただけでしたので、なんだかんだ私は若いから、気合と根性がないからそんな事言っているのではないかと思ってました。
いざ自分が体験してみると、どの修行もとても厳しく、また性格的に手を抜く事ができない私は、とにかく一つ一つできるだけの事はしようと努力する程、やはり気持的にきつくなっていきました。同じお経を繰り返し繰り返し唱える修行も、いかに心を無にして時間を気にしたり、周りの雑音も排除する様に心を持っていこうと思いますが、しばらくすると集中力が散漫になり、まだ半分も行をしていないなとか、雑念にとらわれました。そういった幾つかの修行を、短い二泊三日の間で経験できたのは貴重な体験だと思います。
良くテレビや雑誌では拝見してましたが、見るのと自分が体験するのとでは大違いでした。この修行を終えてこれからの体験に生かしたい事はとにかく辛抱、集中力を持つ事、そして考える事、行動する事、落ち着いた心を維持すること、物事がうまく行かない時でもそれを乗り越える心の強さを持つ事、それらの気持ちを、忘れずにこれからも仕事に精進し、家族との関わり方にも心を持って接したいと思います。
この度はありがとうございます。この度、天光寺で人生初の寺修行を体験しました。二泊三日の日程で甘くみていた分、精神的、肉体的に厳しい結果になりました。
只とてもつらい三日間でしたが、私の人生はまだ長くこれから色々なカベにぶち当たると思います。
又、この度の体験で色々な事を考え、見つめ直せたと思います。
私はグループの一法人の代表取締役を任されております。
その中での私の役割、司令責任を考えました。住職のお言葉でもありましたが主役と舞台の差を再度、見つめ直したいと思います。
更に外でも内でも人と人とのコミュニケーションを大事にしたいと思いました。仕事とスキル、自分に負けない気持ちなども強めていきたいと思います。
この度は3日間の辛い時間でしたが、これからの長い人生を悔いなく有意義な人生を送るよう頑張りたいと思います。
ご指導ありがとうございました。私は、この研修に来る前までは人との接し方を表面的にとらえて考えていました。住職のお話を聞き、あいさつの大切さや、人との触れ合いの重要さを改めて学びました。
自分自身の今まで行っていたあいさつの作法では、人との表面的なコミニュケーションはとれていても、より親密な関係までは発展していなかったと思います。
住職より教わったあいさつの方法は人の目を見て自分が考えていたよりもかなりゆっくりとお辞儀をし、そのお辞儀を倒した時と同じスピードでゆっくりと戻す方法です。
その際、親しい関係の人の場合は肩に手をそえる等、軽いスキンシップを入れるとより良い習い、自分の場合はどの様にしていたかを思い出してみるとスキンシップが足りなかったと思います。
また「いらっしゃいませ」や、「ありがとうございました」なども同じ言葉の意味であっても言いまわし方法を変えるだけで相手に伝わる気持ちが大きく変わることを学びました。「いらっしゃいませ」も「ようこそお越し下さいました」「ありがとうございました」も「また、お越し下さいませ」に変えると確かに「多くのお客様」というイメージから「一人のお客様」に変わり、心が伝わりやすくなったかと思います。
また、連帯感が生まれたと思います。今までは個人的な考えが多くみうけられ「自分が出来れば良い」と思っていましたが、会社という関係上、自分だけが出来ていても仲間ができなくてはいけないと考えを改められたと思います。あいさつの作法では全員がキチッとしたあいさつが出来ない限り、他の人達は全員正座で待っている為一人ひとりが気を抜かず、集中して本気で取り組んでいるのが伝わりました。
自分の番の際は緊張してしまい、言うべき内容の出身地を言い忘れてしまい「他の皆に迷惑がかかってしまう」と思い「次で絶対に終わらせるぞ」と知らず知らずの内に自分の中にも連帯感が生まれたのを実感出来ました。
その他の修行でも「自分だけがギブアップするわけにはいかない」と思い日常ではギブアップするだろう場面でも更に頑張れたと思います。
正直な所「今回の修行は二度とやりたくは無い」と思いましたが、自分で考えていた限界は実は甘えであって本当の限界では無かった事がわかったので少なからず成果があったと思います。
最後に行った誓いの言葉も共感出来る内容も多々あったので、自分になりに見直し自身に役立てるところは使っていこうと思いました。
二泊三日と長い期間ではなかったのですが、この研修で学んだことを無駄にはしたくないので「あいさつ」と「連帯感」を忘れずに今後に生かしていきたいと思います。修行の目標、目的は普段より落ち着きのない自身の心にゆとりを持つ事、持てる事になる様になる事でした。厳しい修行を通じて自分なりの言葉の大事さ、物のありがたさ、人とのふれあいの大切さを、身をもって実感した次第でした。
常に気持ちを前向きに保つ為、発する言葉から前向きにし、自分自身を後退させない様に後ろ向きの類の言葉を発しない、一度発した言葉は言霊として力を持ち作用するというお話や、修行を共にする仲間達とする食事のありがたさ、三度の食事を用意して頂いていた方々への感謝とふれあい等、自分一人では決して乗り越えられなかったであろう事を再認識し、改めて人とのふれあいの大切さを感じました。
数々の修行を経て、少なからず乗り越えた事による生まれた自信が、これからの自身の生活に仕事に家族とそれに関わる全ての人達に、ゆとりの気持ちを持ち感謝の気持ちを持って接する事が出来る様な気がします。今後どの様な形で自分の変化が現れるのか、見ることが出来るのか、自分自身でも楽しみな面でもあります。
修行を通じての再発見として、どの様な悩みや問題も自分自身を見直し、再認識することより始まり、人々との協力を借り解決していくという事です。
少しばかりではありますが、私自身に生まれたゆとりを持って、これから出会う人達に少しでも手を差し伸べる事が出来たらと思います。またそうする事によって自身の成長を助け、人との縁を作り自分自身の土台、舞台を大きくしっかりとしたものにしていきたいと思います。改めてこの機会を与えてもらった会社と、この修行の場で出会った人たちと共に乗り越えた仲間たちに感謝すると共に、感じ得た気持ちを持ち帰り、明日より生活に生かしていきたいと思います。
3日間という短い時間ではありましたが、大変にお世話になりました。有難うございました。私は今回天光寺さんに来ることで集中力の向上、自分自身の成長につながる様精進できればと思っていました。自分に対するコントロールや禁欲に関してはある程度できていると自負していたつもりが自動販売機もなく限られた時間内でしかとれない食事の中で甘い考えを持っていたことを痛感させられました。さらに精神だけでなく肉体においても未熟であることを痛感させられ、心身ともに鍛えなければいけないと感じました。
そして、滝行やお百度参りなど普段体感できない事を体験できたことが非常にいい勉強になり、今後自分の糧となり自分の更なる成長につながることを望んでおります。
住職の話の中でいくつか印象に残った話があり、自分の人生の主人公になれているのか、自分を愛することができているのかと言う内容がありそれを自分自身に問いただした際に、すぐ答えが出せなかった事が悔やまれます。しかしそんなことを糧にし、前向きな気持に切り替えることを今回天光寺さんに教えていただくことができました。
さらに、「自分自身を評価するのは自分自身」という言葉に目からウロコでした。今までは周りの目ばかり気にしていた部分があるので、これからは先ず自分自身を評価し、見つめ直し、自分を客観視する必要がると感じました。この二日間はとても規則正しい生活ができ、早朝からの清掃は大変な分、結果が出る上、とても清々しい気持ちになり心が洗われるようでした。
あの時間はとても自分に余裕があり、時間がゆっくり流れる様な気持ちになりいろいろと物事を考える事ができました。そんな余裕を仕事に持ち込み、会社にも貢献できたらと願っております。この度、天光寺での研修を無事に終えることができました。
天光寺へ来る前は、学生時代にサッカーで培ったものと、六月から始めたジム通いで、きついといえども大丈夫だろうと甘く見ていました。終わってみれば、立ち上がること、座ること、歩くのもまともに出来無いような状態です。サッカーの練習でも身体がここまでなるようなことはなかった気がします。しかし、悪い思い出というのはなくて、素直に来てみて良かったと思えます。自分ではなかなか寺で修行をしようとは考えもしないので、今回、会社に寺で修行をさせて貰ったことに感謝しています。
特に良かったと思ったことが二つあります。一つは「出会い」です。天光寺に修行に来ている方々と出会って、話をしていて印象的なことがありました。修行は、楽をしようと思えば出来る。でも負けたくないから頑張るのようなことを言っていて、自分も負けず嫌いな気持ちを忘れていたことを思い出しました。これを聞けたので、せっかく来ているのだから頑張ってみようと励まされました。
あともう一つは、修行中にリラックスして普段はなかなか考えたりもしないことを考えることができました。自分の両親のことや昔飼っていた犬の事など、久しぶりに思い出しました。昔の温かい家庭を思い出したりと、自分を成長させてくれたことに改めて感謝しています。
今回の修行で、普段経験しないことやつらい思いもしたので、無駄には絶対にしないよう日々意識していきたいと思います。2日間、様々な行を通して普段の生活では感じられない事や、新たな経験をさせて頂きました。自分が普段何気なく行っている行動も、少し気持ちを入れたり、意識を強く持つ事により、自分自身にも、また相手にも与える印象も大きく変わるのだと強く認識しました。挨拶ひとつもしっかり意識してこなかった自分を反省し、これからは気持ちをしっかり入れた挨拶を行うように心懸けます。
行は全体的に想像を大きく上回るキツさでした。ある程度キツいのは覚悟していましたが、残念ながら部分的に身体がついていけませんでした。特に三禮では途中で自分が何をやっているのかも解らなくなり、足も言う事をきかず、いっそ座って声だけにしようかと、何十回考えたか分かりません。しかし一度休んでしまったら、起き上がれなくなってしまう気がしたので、一緒に取り組んでいる仲間の姿が目に入ると、休むことは出来ませんでした。一人で来ていたら、途中で休んでいたと思います。
滝行も想像以上の水の冷たさにパニック状態となり、目を開けたり口で息をしたり、最初の数十秒は逃げ出したかったです。しかし、この様な状態になる可能性があることを、事前に教えて下さっていたので、だんだんと冷静さを取り戻し、最後までやり遂げられました。滝に打たれている最中は、何も考えられませんでした。不思議な空間を漂っている様でした。先生が滝から引っ張り上げて下さったときに、何故か分からないのですが、笑ってしまいました。無性に気分が良かったです。
二日目の光明真言千回も、日常では決して出来ないであろう経験でした。同じ言葉を2時間かけてひたすらに千回も唱える。途中で先生の数珠を何度も気にしながら『本当に終わるのか』と苦悩していました。足・首・背中・腕・身体のいたるところが痛くて、ただひたすらに苦しかったです。でも時間は流れ、どんな事も必ず終わりが来る。良い事も悪い事も、楽しい事も苦しい事も、必ず終わりはあるのだなと感じました。
様々な行から学んだ事を今後の人生に活かしていけるのか、それはまだ分かりませんが、諦めずに頑張る気力は高められたと思うので、人生にとって貴重な時間を過ごさせて頂きました。
スタッフの皆様、同じ時間を過ごした皆様に感謝です。ありがとうございました。
今回の社員研修について、参加する事を聞いた時、とても嫌だという気持ちでいっぱいでした。一年前にも寺修行を行い、どれだけ辛いかを知っていたからです。また、その修行を終えてから大会で悔しい思いをした後に、いつの間にか何に対しても消極的、ネガティブな思考ばかりするようになっていました。そんなことからこの修行をやっても変われない、辛いだけしかないと思っていました。上司から、自分を変えるんだという気持ちで行って来いとアドバイスを受け、この修行で自分を変えるんだという気持ちを持ってこの修行に参加しました。
一番つらく、やり遂げたときの達成感が大きかったのが一日目と二日目に行った三禮百セットでした。予想よりはるかに身体にかかる負担が大きく、汗も床に水たまりができてしまうほどかくくらいでした。やっているうちに大量の汗をかいている自分が恥ずかしくなり、手を抜こうかなと思う事もありました。しかし頑張っているみんなの姿を見て、恥ずかしいと思っている場合じゃ無い、やり遂げるんだという気持ちを持つ事が出来ました。
この気持ちを持てたからこそ、二日目の三禮では自分が大量に汗をかいていても構わず全力で取り組む事ができました。この気持ちを持てたからこそ、二日目の三禮では自分が大量に汗をかいていても構わず、全力で取り組むことができました。終えた時に自分でもやればできる人なんだという自信と、やっている時に気付かなかった足の皮がすり切れているのを見て本当に全力でやれていたんだという事を改めて実感することが出来ました。
二日目と三日目に行われた滝行と水行の前のお百度参りも、三禮に似たつらさがありました。しかしここでは一日目の三禮で得た、やりきる気持ちと、日本一の技術者になるんだという気持ちを持てたおかげで、お経をしっかり唱えながら走ることが出来ました。終えた時にこれから大会に向けて頑張れそうだと言う気持ちを持つ事が出来ました。
滝行は水によって息が出来ないかも知れない恐怖と、終えた時どんな気持ちになれるんだろうという好奇心を持ちながら挑みました。実際に滝を見てみると、事前の話で水が多くなっていると言う事は聞いていましたが、予想を上回る水の量と高さに、ますます不安と期待の気持ちが大きくなりました。滝に入ってみると、今まで体感したことの無い水の量と息ができないことに、少しパニックになりかけましたが、入る前に住職の方から鼻で息を吸い、口で吐いてということを思い出して気持ちを落ち着かせる事ができました。終えた時、やり遂げたという達成感と、何とも言えないとても清々しい気持ちになりました。とても良い体験をする事が出来ました。
この修行を終えて、参加して本当に良かったと思っています。自分の気持ちに対してネガティブな気持ちにならず最後までやりきる事が出来ました。これからの訓練でも前向きな気持ちで頑張ります。また
今回天光寺の社員研修を終えて、まず、何事も気持ちの持ち方次第で悪くなったり、良くすることが出来たりすることを学びました。
天光寺に来る前は、集中が切れやすく、作業がうまく進まなかったり、時間を縮めることが出来無かったりしていたので、この修行を通して集中力の向上・持続が出来るようになりたいと思いながらこの三日間を過ごしました。
一日目はお経を千回唱えたり、三禮を百回したりしました。お経を千回唱える行では、姿勢を保つのもきついし、声を出すのも大変で眠気もするのでとても辛く、本当に自分との戦いでした。三禮もとても大変で、何度も立ち上がったり座ったりするので、足や腰は痛くなるし汗もたくさん出て来るので、何回も途中でやめようと思いましたが、他の周りの人が頑張って続けているのを見ると、自分も頑張ろうと思って最後までやり遂げることができました。夜は写経を二時間ほどかけてしましたが、その間、静かに黙々とやっていたので集中して行うことができたと思います。
二日目も三禮を行いましたが、前日同じ事をやっていただけに、とても長く、つらく感じましたが、一生懸命全力でやることが出来ました。お百度参りと水行も行いましたが、お百度参りは同じ所を百往復走り、大きな声で叫ぶというのはとてもきつかったです。また、水行は想像していたものよりずっと大変で、身体は冷え切ってしまい、こんなことはもう二度としたくはないと思いましたが、水から自分も着いていこう 前日出て来ると、身体が軽くなったような清々しい気持ちと、達成感があって、とても良かったです。
三日目は、お百度参りと滝行をしました。滝行は水行とはまた違った大変さを感じました。滝の中は想像よりずっと水の衝撃が強く、自分の我慢強さの小ささを知りました。
行の他にも、食事は毎回みんなで準備をして、同じ皿の物を分け合い、全員で片付けをしたりすることで、集団行動の大切さや、その楽しさと言うものを知ることが出来ました。
今回の体験を活かして、今後の訓練では、プラス思考、感謝の気持ち、『自分は出来る』と言う考え・意識を持って、頑張っていきたいと思います。
今回の研修プログラムを経て、最初は前回この行をやっていた人から話を聞いていて、かなりの覚悟を持って受けさせて頂きましたが、想像をかなり越える事が多く、本当に驚きましたし、辛かったです。
この研修で一番精神的に大きな事が学べたのは、何事にも「やれば出来る」という事でした。行をやっている最中に辛すぎて諦めてしまいたい気持ちは何度もありました。しかし、周りのみんなの頑張っている姿や、負けたくないという思いが、行の最中に目覚め始め、全てやり遂げる事が出来ました。特に、光明真言千回や、十三仏真言など、サボることの出来る行こそ、全力で取り組むことによって、周りとの団結力に繋がってくるのではないかと感じました。
我々グループでは仕事をやっていく中で、とても大切な事で、一つの何かに向かって全力で取り組むこと、そしてその一つの目私は天光寺での社員研修をおこなってみて、今年は去年と違う場所での修行という事で、どのような修行をするのかドキドキしていました。また、私の欠点でもある本番に弱いと言う事と、いざという時に自分に自信を持てるようになることを目標にしました。
実際に、寺修行を行ってみて、去年の修行とは全く違い、とても大変でした。写経では、久しぶりに筆を使い『般若心経』を写しました。苦手と言う事もあり、時間もかかってしまったし、何度も休憩をしていました。行を終えて振り返って見てみると、字が乱れていて、集中力の無さを改めて実感させられました。
他にも三禮という修行も行いました。三禮は肉体的にも精神的にもつらい行だと思いました。汗がダクダクになり、汗で足を滑らせながらも大きな声を出す修行はとても大変でした。修行中に何度も逃げようと考え、自分に負けてしまいそうになりました。ですがスタッフの声が聞こえ、『声を出せ』『自分に負けるな』と思いながら行いました。修行中は目標である百セットを一回も休まないと心に決めて行いました。また、負けそうになった時は、隣にいる同じメンバーも頑張っている光景を見て、自分も頑張ろうと励みになりました。
また、他には、滝行と水行も行いました。滝行と水行を行う前に枚買い、お百度参りも行いましたが、相当辛く、いつも滝着が汗でずぶ濡れになり、足の裏に血豆と水ぶくれができ、とてもきつかったです。ですが、毎回往復する度にメンバーがすれ違い、頑張っている姿が目に入ったので、自分も頑張りました。何度も手を緩めようと頭によぎりましたが、自分に負けないことを心に決めて修行を終えました。
滝行や水行では、とても水が冷たく過呼吸になり、早く出たいと言う気持ちでした。だけど少し時間が経つと水に少し慣れ、冷たくて早く出たいという思いがありながらも、自分に負けず『少しでも長く入っていよう』と思い、修行を行いました。滝行では雨も降り、水が冷たく、水量も多くとても痛かったです。結局滝行では自分に負けてしまい、二分しか入れませんでした。終わってから、あと一分でも入っていればと後悔しました。
今回の寺修行では、一番に自分に負けないということを学びました。どうしてもつらい時には、自分に負けてしまいそうになるので、その時は、寺での修行の事を思い出して頑張ります。
この天光寺に来て、研修を終了するまで社会人として仕事をしっかりできるか、仲間や先輩と上手く協力していけるかという不安でいっぱいでした。また、自分に足りない部分は何か、自分の強みは何かということが具体的に分かっていませんでした。だから、この研修で学びたい事を具体的に書くことが出来ず注意をされました。だからとにかく社会人としての基本的な生活態度を身に付けることと、学生気分が抜けきれていない気持ちを抜き、これからしっかりと働ける体と心にする事を目標にしました。
そして初めに驚いた事があります。それは最初に行った自己紹介です。多くの人が声が小さくてやり直しをしていました。私はそれを見て、口を大きく開けて、大きな声を出せたので一回で大丈夫でしたが、自分がなっていたと思います。私は会社で行った自己紹介の声がとても小さく聞き取りにくいものだったと思いました。また、挨拶が質問の時の肥えも小さかったと感じました。そのことを一番初めに気付き、同時に、自分に足りなかった部分だと分かりました。
また、三禮にも得た物がありました。正直声を出しながら正座と立つことを百セット近くするのはとても大変でした。しかし、絶対に遅れずについていこうと強く思いながらしました。また、お手本を見せてくれている方は、自分より声を大きく出し、また動きもきびきびとしていたので、ここで自分が遅れたら負けだと感じ、諦めない気持ちを強く持つ事が出来ました。これは、社会に出てもとても大切だと思います。また、遅れずについていけた時はとても気持ちが良かったです。こういった気持ちになった事は久しぶりだったので、これからも粘り強く生きていきたいです。このことは光明真言を1,000回唱え続ける時にも得ました。これは、同じ事を何回も続けることが大変だと言う事を凄く理解する事が出来ました。
お百度参りと滝行にも息巻いた。正直、前日の雨と風があったのでやりたくないという気持ちが強かったのですが、実際体験してみると、お百度参りは自分の体力の無さに驚きました。運動不足だったので前日の正座や三禮の筋肉痛もあり、自分の思っていたよりも何十倍も水が冷たく、今までの人生の中でもかなりきつい体験でした。しかし先輩が普通の時間よりも倍以上も長く入りました。滝から出た後もまだ出来たと言ってたので、とても格好良く見えました。私は普通の時間より長く滝行が出来ましたが、先輩と同じ時間まで入るには、体力と気力が足りませんでした。ただ、普通の時間より長く滝行が出来たのは、前日から続けていた諦めない気持ちを持ち続けられたからだと思います。
この修行はやり終えた後に大きな達成感と気持ちよさがありました。
今回の研修では、まず挨拶の大切さをとても強く感じ蒔いた。食事の時や、何かの始まり、終わりにも挨拶があり、とても大切だと思いました。これからもこの研修で得た事を忘れずに仕事に取り組みたいです。
二日間研修をさせて頂いたのですが、正直な感想を述べると想像以上に厳しかったです。最初にこちらに出向いた時からしっかり大きな声で挨拶をされて、場の雰囲気が一気に変わり、こちらも引き締めて取り組まなければならないと感じました。
寺で最初に行われたのは自己紹介で、一礼して名前と出身地を言うだけで、特別なことは特にしなかったのですが、最初の挨拶というのは自分自身の第一印象を大きく左右するので、大きな声で、その声が周囲の人の胸に届く程の声でなければやり直しということで、全員が自己紹介を終えるまでかなりの時間がかかりました。またそこで一礼の大切さも同時に教えられました。一礼とは相手に対し深く気持ちを伝える意味でも、ゆっくり腰まで頭を下げる重要性を知ることが出来ました。
また、食事や一つ一つの修行に対してもお経を唱え、食事が出来る喜びに感謝する文を全員で唱え、
私はこの研修をする前は、「やらなくてもいいや」「つらいからやらない、やりたくない」と言う気持ちでいっぱいでした。学生の頃はそう言う風につらい現実から逃げてしまっていても自分だけが苦しむだけで、周りのみんなに迷惑がかかることはありませんでしたが、社会に出れば、自分一人のせいで、周りのみんなにも迷惑がかかってしまうため、例え自分がやりたくないことでも、やらなければいけないこともあり、周りのみんなのためにも自分が頑張らなければならないので、連帯感の大事さを学ぶ事ができました。私は自分では忍耐力があると思っていましたが、一日目の三禮の時は、肉体的にも精神的にもまだまだ忍耐力が足りないんだなぁと実感しました。しかし、ただ単に自分の忍耐力の無さを実感しただけでなく、「つらいけれどもう一回頑張ろう」「みんなも頑張っているのだから、自分も着いていこう」前日に天光寺のホームページで、こちらで企業研修を受けた方の感想文を拝見しました。「想像よりも大変だった」というものが多く見られましたが、それでも私はお寺の修行というものを甘く考えており、そのままこの研修に参加しました。
その考えが大きな間違いであったと知るのにそう時間はかかりませんでした。普段はすることが無い、正座が足に負担であることはもちろん、楽な姿勢であると考えて居たあぐらも、長時間続ければ、身体に負担がかかることを痛感しました。また「喋るだけ」と考えていた読経も、千回もの回数になると、口の中が渇き、声もかすれてきました。当たり前のことであり、事前に十分に理解しておくべきことではあったのですが、「楽に出来る行など有り得ない」と、ここでようやく気付いたのです。
三禮は特に身体への負担が大きく、普段私があまり身体を動かさないこともあり、1セットとされる3回でもつらく感じてしまいました。それが100セットともなると、汗だくになりますし、足と腕は床にぶつけたことで痛くなります。結果として最終日の今この時まで腰や足の痛みと付き合うことになりましたが、今はそれを今までの堕落した生き方から真っ当になる過程での痛みと考えており「痛い」とは思っていても「苦しい」とは感じていません。
川行、滝行には若干の期待がありました。ただその期待は決して肯定されるべき感情ではなく、そういった行が小説やマンガで一般的にイメージする「修行」だった故です。当然のことながら甘く考えていました。
実際に川や滝を目近で見ると、その勢い、力強さに驚きました。入ってみれば想像よりも水流の強さは遙かに上で、流されてしまうのではないかと思いました。毎年のように起きる水難事故は、私の様に自然、そして水の力を甘く見ている為に発生しているのだと実感しました。そして私にとって何より辛かったのは、水の冷たさです。実は滝行においては、そこまでの水の勢いに対する苦痛はありませんでした。しかし、水温の低さには体力を奪われ、身体の震えを止める事すら困難でした。聞いたお話では、私達が行に向かったときは水温もさほど低くはなく、先に「それほど勢いを感じなかったと述べた滝の水量も少なかったらしく、今回の行で限界を感じてしまった自身の弱さを恥ずかしく思います。
この企業研修では、自分が世の中を甘く見ている事が肉体的に知ることが出来たのと同時に、説法によって、精神的な面でも未熟さを知ることができました。仕事に関係することももちろんですが、趣味に関しても思うところが多々ありました。今までどれだけ負の心を持ち、そしてそれを口にし、成長を止めたり投げ出してしまったのだろう。思い返すだけで恥ずかしくなります。
今回は企業研修としての参加でありましたが、仕事だけでなく、この修行で得たことを活かしたいと考えています。
二泊三日の行を行って、体中が筋肉痛になって立つことが辛くなっても、そこを乗り越えて行を達成することができて、心も強くなったと思うし、仲間と24時間一緒に乗り越える事ができたので、本当に良かったです。
天光寺に来る前までは、社会人になって一週間しか経っていなくて、学生と社会人の違いに大変さを感じていました。この行を終えた今、心も強くなって社会人としての自覚もしっかり持てるようになったと思います。お百度参りや、川行、滝行は想像を絶する寒さで息もできず、とても辛かったですが、仲間達と全員でやり遂げる事ができたので、とても良かったと思います。そして精神力も強くなったと思うし、体中の悪い物が取り除かれた様な気がして、水は冷たくて凍りそうでしたが、清々しかったです。
写経や写仏も、集中力がとても必要で、正座も慣れない為、足が痺れてしまってとても辛かったけれど、丁寧に書いていくうちに、時間が経つのを忘れて書いていて、自分もこんなに集中力があったのだなと驚きました。
今回の修行は、自分の限界との戦いだったと思います。普段の日常生活では味わえない様々な事を体験出来て本当に良かったと思います。朝早く起きて、朝一番で掃除をして、とても眠かったけれど凄く清々しい気分になれました。今までご飯を食べる際も自然や農家の方々に感謝しながら食べた事などなく、無意識に食べていたけれど、これからはきちんと感謝して、食べようと思いました。お食事は全て手作りで本当に美味しかったです。毎日三回の食事がとても楽しみで、修行を頑張ることができました。ありがとうございました。
二泊三日の修行を通じて、たくさんの大切な事を学びました。諦めない事の大切さ、精神力を鍛えて、努力すること、住職さんの言っていた『オンリーワンになりなさい』と言う言葉を聞いて、自分の良い面を知り、それを伸ばして『私にしか出来無い何か』を探していこうと思います。
私は自分の事があまり好きではなくて自信もありませんでした。しかし、自分を愛することはとても大切なことだと学びました。これからは、自分を愛せるようになれればと思います。自分の人生の主人公になって、縁を大切にしながら舞台と役者を演じていきたいと思います。
今まで数珠の持ち方も分からなかった私ですが、お経を唱えられるようになりました。お経もとても集中力が必要で、千回唱えるのはとても大変でした。しかし集中しているとあっと言う間に千回唱え終わって、集中すると本当に時間が経つのが早いなと感じました。
長いようであっと言う間の二泊三日でしたが、人間として強い人になれたなと思います。辛く厳しいことが多かったですが、仲間が一緒にいたのでここまで来ることが出来たと思います。
住職さんをはじめ、お寺の方々、短い間でしたが、本当にお世話になりました。日常生活は教わるできないたくさんの大切なことを教わりました。本当にありがとうございました。
寺での修行を行うと聞いたときは、普通の合宿の延長かなと思い、清々しい感じで帰って来れればいいなと思っていました。しかし、いざ修行が始まってみると、思っていたより何倍も厳しいもので、正直心が折れてしまいそうでした。
それでも、川行を終了したくらいからは、何か清々しい気持ちと修行に対しても前向きな気持ちになれました。水と一緒に悪い物を流すことが出来たのかなと、心の底から思いますし、苦しかったですけど、本当に素晴らしい体験をさせて頂きました。滝行でも同様に、心が洗われた気分になりました。川行よりも辛く、数分しか入っていられなかったのが心残りです。今後何か壁に当たった時は是非とももう一度体験させて頂きたいです。
読経や写経なども体験させて頂き、最初は身が入らず、正直眠くもなってしましました。しかし、回数を重ねるにつれて、集中できるようになり、疲れも感じにくいどころか力がみなぎる感覚になりましたので驚きました。修行に来る前までは非科学的な事は全く信じないタイプの人間でしたので、今までいかに狭い感覚の中で生きてきたのかと痛感しました。仏教のことについて、帰ったら色々勉強してみようと思います。
今回の修行では、本当に数多くの事を学ばせて頂きました。まず心の持ちようを積極的に、負け犬になるなと学んだ時は、まさに今自分自身が新社会人としてやっていけるのか不安だったので、いかに無駄な思い込みをしてたのかと痛感しました。まずは自分に出来る事を懸命にやるしかないのだと、改めて教えて頂きました。こうした前向きな気持ちになれたのも全て修行の成果だと思います。集中力も一段と上がった様に感じますし、何より達成感は今後、私の心の支えになると感じました。何事も中途半端にならないように日々成長していきたいと思います。だらしない生活を送っていた私にには、とても厳しいと思える三日間でしたが、生活習慣のしっかりした生活がこれ程までに一日を張りのあるものに変えるということも私の中では大きな発見でした。一生懸命の裏側で犠牲になるのは、思いの外生活習慣なのではないかと思いますので、この辺もしっかりと自分で考え、今回修行させて頂いたということを誇りに思えるようになりたいと思います。
前日に天光寺のホームページで、こちらで企業研修を受けた方の感想文を拝見しました。「想像よりも大変だった」というものが多く見られましたが、それでも私はお寺の修行というものを甘く考えており、そのままこの研修に参加しました。
その考えが大きな間違いであったと知るのにそう時間はかかりませんでした。普段はすることが無い、正座が足に負担であることはもちろん、楽な姿勢であると考えて居たあぐらも、長時間続ければ、身体に負担がかかることを痛感しました。また「喋るだけ」と考えていた読経も、千回もの回数になると、口の中が渇き、声もかすれてきました。当たり前のことであり、事前に十分に理解しておくべきことではあったのですが、「楽に出来る行など有り得ない」と、ここでようやく気付いたのです。
三禮は特に身体への負担が大きく、普段私があまり身体を動かさないこともあり、1セットとされる3回でもつらく感じてしまいました。それが100セットともなると、汗だくになりますし、足と腕は床にぶつけたことで痛くなります。結果として最終日の今この時まで腰や足の痛みと付き合うことになりましたが、今はそれを今までの堕落した生き方から真っ当になる過程での痛みと考えており「痛い」とは思っていても「苦しい」とは感じていません。
川行、滝行には若干の期待がありました。ただその期待は決して肯定されるべき感情ではなく、そういった行が小説やマンガで一般的にイメージする「修行」だった故です。当然のことながら甘く考えていました。
実際に川や滝を目近で見ると、その勢い、力強さに驚きました。入ってみれば想像よりも水流の強さは遙かに上で、流されてしまうのではないかと思いました。毎年のように起きる水難事故は、私の様に自然、そして水の力を甘く見ている為に発生しているのだと実感しました。そして私にとって何より辛かったのは、水の冷たさです。実は滝行においては、そこまでの水の勢いに対する苦痛はありませんでした。しかし、水温の低さには体力を奪われ、身体の震えを止める事すら困難でした。聞いたお話では、私達が行に向かったときは水温もさほど低くはなく、先に「それほど勢いを感じなかったと述べた滝の水量も少なかったらしく、今回の行で限界を感じてしまった自身の弱さを恥ずかしく思います。
この企業研修では、自分が世の中を甘く見ている事が肉体的に知ることが出来たのと同時に、説法によって、精神的な面でも未熟さを知ることができました。仕事に関係することももちろんですが、趣味に関しても思うところが多々ありました。今までどれだけ負の心を持ち、そしてそれを口にし、成長を止めたり投げ出してしまったのだろう。思い返すだけで恥ずかしくなります。
正直天光寺へ向かっている時、厳しいことがたくさんあるだろうと思い、少し気持ちが弱くなっていました。初日から予想以上に厳しい行があり、体力的にとても疲れてしまい、二日目以降は更にからだがボロボロになるような思いでした。しかし、行を重ねるごとに気分がよくなっていき、心がスッキリしていくのが分かりました。長く厳しい行を一つ終えるごとに、とても達成感を持てました。
特に川行の前のお百度参りは二回とも気が遠くなる程長い行でしたが、お百度参りの後の川行、滝行は自分でもビックリする程に思い切りがついて挑めたと思い、とてもスッキリしました。
長時間お経を唱えている際は、読みながら気持ちのどこかでいつまで続くのか考えている部分もありましたが、教えて頂いた、自分を浄化するということから、気合いを入れて一生懸命に取り組めました。また、行の中で今までの人生で自分で作ってきた壁を壊していくという事を教えて頂き、厳しい行を終えたことで幾つもの壁を壊すことが出来たと思います。一日の行を終え、夕食の時などにスタッフの方の話がとても面白かったのも心に残ります。行の間なども含め、本当に色々とありがとうございました。
三日間の行を終え、明日からまた日常が始まります。今まで持っていた仕事への取り組み方をもっと良い方へ替えていけると思います。今まで自分ではクリア出来ないと思い込んでいた事なども、もう一度よく考え、仕事仲間や上司に相談し、色々な事を乗り越え、また、新しく何か会社の為になる事はないか常に考えていきたいです。
日頃お付き合いして頂いているお客様や、これから新しく付き合いを頂くお客様にも、いつも感謝の気持ちを持ち、また、製造業の営業の人間として、色々な知識をもっと身に付けていき、多くの仕事を取れる様に活動していきたいと思います。社内でも現場の人などとも、日ごとコミュニケーションを持ち、時には無理を聞いて頂いたり、加工についての相談や、自分の担当している材料についての意見なども、もっと聞きたいと思います。 これからも会社が成長していく為に、貢献出来る人材になる為に、日々人との付き合いや人から教えて頂く事、話の中から得る事に気を付け、自分自身が会社の他の人の為になりたいと思います。
この先、まだまだこの会社で働かせて頂く為に、もっと自分自身を高め、社内の人やお客様から愛され、頼りにされる人間にならなければ、ならないと思います。今回の修行で手に入れた自信と、達成する気持ちを活かし、自分で思う以上の人間へと成長していきたいと思います。
また日頃、心の支えになってくれている家族に改めて感謝し、子供達には、立派な大人になって貰う様、色々な事を教え、体験させてあげたいと思います。
いつも苦労をかけている妻にも、なかなか幸せとは言って貰えませんが、お互いが幸せと思える様に過ごして行きたいと思います。また、親、兄弟、親戚にも色々助けて頂いておりますので、これからも少しずつ恩返しをしていきたいと思います。
日ごと楽しい時間を過ごせる、古い付き合いの友達と今後も楽しくやっていける様に、自分自身に言い聞かせます。
私は今回の天光寺での修行を通じて、いくつか感じたことがありました。
一つ目に、どんなことにも真面目に真摯に取り組まなければならないと言うことです。私は正直に言うと、今回天光寺に着くまで少し舐めていました。私は十年以上運動を続けており、体力には自信があったからです。しかし、その様な考えは一番最初の挨拶の作法から間違っていると分かりました。私が今までしていた挨拶では、相手に誠意が伝わっていないと感じました。しっかりと相手の目を見て、一言一言丁寧に言葉を発することが大切だと感じました。
二つ目に、一つのことに集中する大切さを学びました。写経や写仏で二時間以上も正座で細かい作業をするというのはとても大変な事でした。何度も集中力が切れることがありましたが、その度に集中し直して、書き終えた後の達成感はとても気持ち良いものでした。これから現場に出て、仕事をする時は、常に集中していなければいけないので、今回の修行を思い出したいと思います。
三つ目に、仲間と共に最後までやり抜くことの大切さです。今回の修行で私が精神的にも肉体的にも一番厳しかったのは、初日の光明真言を千回唱え、すぐに三禮を100セット行った時でした。光明真言を唱え始めて一時間程経った頃、酸欠状態になってしまい、倒れる直前でした。しかし、そこで私を突き動かせたのは仲間達の声でした。みんなが辛い、苦しい、頑張っているんだと考えたら、力が湧いてきて、最後まで行うことが出来ました。しかし次の三禮がそれ以上の厳しい物で、今回は周りの仲間達も声が出ず、体も動かずピンチでした。なので、今回は光明真言の時に助けてくれた仲間達を自分が救う番だと思い、人一倍身体を動かし、声を出しました。実際それによって救われた人がいるかどうかはわかりませんが、仲間と支え合い、向上していくことの大切さに改めて気付けて良かったです。この事は、これから働いていく上でもとても大切な事だと思うので、常に心の内に留めておきたいです。
四つ目に、どの様な事にも積極的に取り組み、失敗を恐れない事の大切さを学びました。法話を話して頂いた中でも、その様な事を仰っており、それは今回の修行中、常に意識するべき事でした。積極的に声を出し、挨拶をし、集中し、体を動かすことを意識していました。積極的に取り組むことで、失敗するリスクも高くなりますが、そこで失敗を恐れていたら、またその不安で失敗に失敗を繰り返してしまうと言う様なお話を聞きました。現場に出たらまさにその通りになってしまうと思うので、現場でも積極的にどの様な事にも挑戦していきたいと思います。
今回の修行で沢山のことを学びました。今回学んだことは現場に出ても必ず役に立つことだと思うので大切にしていきたいと思います。
今回の社員研修は正直なめてました。行く前は楽しみにしていた位でした。
一日目の始まりから辛い修行でした。こんなにも長く正座をしたことがなく、我慢の限界を超えていましたが、先輩方の方が自分なんかより大きな苦痛を受けており、その姿を見る度に、まだまだ我慢できると思えました。
本当にどの修行も挫折しそうになりましたが、辛いのは自分だけではない、と思い、みんなと苦しみながら頑張って、乗り越えていけました。一人では成し遂げることは出来ませんでした。
継続させる事が出来ないと社長から言われ続けていましたが、今回のこの修行を行った事により、何よりも忍耐強くなりました。本当に何度も何度も、辛い、苦しい、早く楽になりたいと思っていました。しかし、何度も繰り返すうちに、達成感に変える事が出来ました。
一番きつかったのは三禮です。終えた後は膝の皮も剥け、立つことさえ不自由でした。しかし一番の思い出になりました。
この修行を終え、何か心の中にあるモヤモヤとした何かが取れ、すっきりとした心境です。
何かを皆でやり遂げること、諦めないこと、そんな大切な何かをこの三禮で感じました。今後の人生を生きて行く中での今回の経験は必ず身になると思いますし、必ず身にしてみせます。本当に今回は辛い修行ではありましたが、感謝の気持ちしかありません。この修行に行かせて頂いた社長にも感謝ですし、叱咤激励して頂いたお寺の方々にも感謝しております。
そして一番感謝したいのは、今回一緒に頑張った皆さんです。この気持ちを忘れず、明日より更なる向上が出来るように致します。今後何かに躓き、挫折しそうになった時は、必ず天光寺での修行を思い出し、乗り越えます。
初めの挨拶の練習の時、かなり厳しい感じで帰りたくなった。あんなに大きな声を出したのは高校の部活以来だった。社会人になっていなければ、学生の気持ちのままなら、帰っていたと思う。そんな気持ちになりながらも帰らなかったのは、皆が一生懸命やっていたからだと思う。どこかで皆に迷惑かけたらいけないという事で常に声を出したり、行動したりしていたと思う。それを意識し、修行を一つ一つこなしていくうちに達成感とかも現れてきました。久しく味わっていない感情でした。何かわからないけれど、すがすがしい気持ちでいっぱいでした。
正座で足がちぎれるほど痛くなったりしましたが、皆がいたから頑張れたと思います、この合宿生活から普段の生活に戻った時、絶対に変わっているはずだ。変わってないとおかしい。自分なりに努力して、この二日間変われるように努力してきました。この合宿での経験は凄いです。とりあえず凄いですとしか言い表せないです。とても精神面で成長出来たと思います。最後のお百度参りは苦しいけど、頑張れました。膝とか腰が痛くても、最後まで頑張っている皆の姿に励まされていました。チームって大切なんだと改めて感じました。また現場に出て、辛い事も多々あると思うけれど、乗り越えていける気がする。
最後に、自分の力を出し切っていたと思う。そして何か変化が起こっているのかもしれません。そのように僕に変化を与えてくれた同期の皆、そして寺の人々に感謝したいです。ありがとうございました。自分を見つめ直す時間を大切に過ごしていきたいと思います。
私は社会人になって一週間が経ちました。
自分自身では、学生から社会人になり、気分だけは社会人になっているつもりでした。ですが、実際の所は何も学生の頃と変わっていませんでした。そんな中、この寺に合宿させて貰い、何もかもが自分は未熟だなと感じる事になりました。これでは社会でやっていく事が出来ないのではないかとまで思いました。寺での一日はとても長く感じ、本当にきつい一日でした。何回も、何回もやめたいと思いましたが、周りを見れば必死に頑張っている同期達が居ました。みんなが頑張っているのに自分だけやめる訳にはいかないと思い、乗り切りました。以前の私なら自分の事しか考えなく、周りの人の足を引っ張ることも何度かありました。だからもうそんなことはしたくはないと思い、必死に頑張りました。私はこの寺合宿でもっと強い人間になりたいと思い取り組みました。その目標が達成されたとは思っていませんが、少しはその目標に近付いたのではないかと思いました。
また住職のお話で挨拶をしっかりしろ、人脈を大切になど様々な言葉を聞かせて貰いました。これはとても大切な事なんだなと思いました。なのでこれを自分に言い聞かせて取り組んでいきたいと思いました。たった一日ではありましたが、この寺で合宿を出来た事は自分にとって絶対にプラスであり、この先の人生で絶対に役に立つことだと感じました。
自分は社会人になって気分だけ成長していないことを肌で実感し、その気持ちに気付かせてくれたこの寺に心から感謝したいです。
これから社会に出て辛い事がたくさん待っていると思いますが、この経験を思い出し、一つ一つ乗り越えていき、日々一生懸命に感謝の気持ちを忘れずに生活していきたいです。短い時間でしたが、ありがとうございました。
今回の修行、正直想像以上に厳しいものでした。何よりも辛かったのは光明真言を千回唱えるというのが辛かったです。二時間唱え続ける等精神的に参りました。
それ以外の修行についても、決して楽な事は一切ありませんが、体力と根性があれば乗り越えられる事でしたので、 学生時代の部活を思い出しました。
正直、最近仕事に置いて、根性を出し切っての仕事内容では決してなかったと思います。今回の修行は、他の何よりも、根性、我慢、達成感という気持ちや思いを、再確認できたこと、常日頃からこのような熱い思いを持って、立ち向かっていくと決心しました。
滝行においては、本当に初めての経験でしたし、確かに辛いものではありましたが、皆で同じ経験をし、達成出来たことがとても満足でした。それは滝行だけではなく、全ての修行において苦しみながらも、皆で共に達成出来た事は、本当に嬉しかったです。達成する事に意味があり、この喜びは忘れず、明日からの仕事、勿論私生活においても活かしていきたいと思います。
今回の修行に関してはまず、この様な機会を設けて下さった社長に感謝致します。また、同時に天光寺の皆さん、ありがとうございました。 必ず、今回の修行が今後無駄になる事のない様、明日からやっていこうと思います。
今回天光寺の方から、この様な事を聞き、感銘しました。一番辛かった光明真言を千回唱えた際、終わった直後にこう言われました。正直唱えるだけなのでどこかで手を抜こうと思えばいつでも手は抜ける。しかし、それを最後までやりぬく強い気持ちが大事な事であると。その通りだと思いました。 まだまだ自分自身至らない点も多く、未熟ではありますが、やはり弱い点としては精神面です。今回の修行で一回り強くなれたと思います。
今回、社員研修に参加させて頂くにあたって、私は自分自身に甘く、どちらかと言うと、マイナス思考の性格を直したいという思いでした。
実際修行がスタートすると、まず正座を約2時間しているだけで、かなりの足の痛みがあり、苦痛で、日頃どれだけ正座をしていないのかが分かりました。
今回の修行は、行く前に思っていた予想を遙かに超える厳しさで、行の全てが私自身にかなりの試練となりましたが、最後まで自分なりに精一杯頑張れた事によって、住職も言っておられましたが、あきらめたらそこで終わりだけど、諦めなければ最後まで成し遂げられると言う事も教わりました。行の中で体力的に一番苦しかったのは、三禮を百五十回行った事でした。途中で本当に倒れそうになりましたが、苦しかった時に背中を叩かれ激励を受けて、自分の為に、みんなの為に頑張る事が出来、三禮が終わった時には、自然とみんなが一体となっていた様に感じました。
滝行は実際想像していた以上に水が冷たく感じ、滝に打たれている時は、呼吸が思うように出来なく辛かったですが、終わった後は、何かが吹っ切れたような、自分自身で今までの人生の垢を洗い落とし、強いパワーを感じる事が出来ました。
今回の修行では、住職から、自分自身を今より更に向上させるお話をたくさん聞かせて頂きまして、何事もプラス思考に思えば、そこから更に大きな未来が切り開けて、有意義な人生を送ることが出来ると感じました。
今後は会社でも、人生でも、自分が主人公になる気持ちで臨んでいきます。住職が仰ってました、お客様への感謝の気持ちを常に忘れず、お客様への挨拶、相手の立場になって物事を考え、自分を更に成長させていきます。
最後に、今回この様な大切な事を経験させて頂きました社長には感謝の気持ちでいっぱいです。その気持ちを社長の望む形で発揮していきます。
回の社員研修は正直なめてました。行く前は楽しみにしていた位でした。
一日目の始まりから辛い修行でした。こんなにも長く正座をしたことがなく、我慢の限界を超えていましたが、先輩方の方が自分なんかより大きな苦痛を受けており、その姿を見る度に、まだまだ我慢できると思えました。
本当にどの修行も挫折しそうになりましたが、辛いのは自分だけではない、と思い、みんなと苦しみながら頑張って、乗り越えていけました。一人では成し遂げることは出来ませんでした。
継続させる事が出来ないと社長から言われ続けていましたが、今回のこの修行を行った事により、何よりも忍耐強くなりました。本当に何度も何度も、辛い、苦しい、早く楽になりたいと思っていました。しかし、何度も繰り返すうちに、達成感に変える事が出来ました。
一番きつかったのは三禮です。終えた後は膝の皮も剥け、立つことさえ不自由でした。しかし一番の思い出になりました。
この修行を終え、何か心の中にあるモヤモヤとした何かが取れ、すっきりとした心境です。
何かを皆でやり遂げること、諦めないこと、そんな大切な何かをこの三禮で感じました。今後の人生を生きて行く中での今回の経験は必ず身になると思いますし、必ず身にしてみせます。本当に今回は辛い修行ではありましたが、感謝の気持ちしかありません。この修行に行かせて頂いた社長にも感謝ですし、叱咤激励して頂いたお寺の方々にも感謝しております。
そして一番感謝したいのは、今回一緒に頑張った皆さんです。この気持ちを忘れず、明日より更なる向上が出来るように致します。今後何かに躓き、挫折しそうになった時は、必ず天光寺での修行を思い出し、乗り越えます。
今回の一泊二日の企業研修を行う前に思っていたイメージとして、もっと精神統一など、自分と会話する行が多いと思っていましたが、実際は、あいさつの練習や写経、滝行といった苦しい行を行い、それに耐えながら自分を見付け直す行が多かったので多少驚きました。正直、私は小さい事からサッカーをやっており、体力には自信がありました。
しかし、初日の挨拶の練習の正座で気持ちがくじけそうになり、自分のメンタルの弱さに気付くことができました。恐らく、一人でこの行をやっていたらくじけて途中でリタイヤしていたかもしれません。しかし一緒に参加した同期のメンバーの頑張っている姿を見て、自分も頑張ろうという気持ちになり、これがチームワークというものだと分かることが出来ました。なので、他のメンバーが苦しそうにしていて、自分にまだ余裕があった時は、自分が他のメンバーを助けようと思い、より大きな声を出すようにしました。つらそうにしている仲間がいる時は、自分がその仲間を助け、逆に自分がつらく助けて欲しい時には仲間に助けて貰うチームワークこそが会社という組織にもっとも大切なことではないかと思いました。
学生の時は、友達を選ぶ際に、自分の趣味や好きな物、性格が合う人を選ぶことが出来ますが、会社の同僚は選ぶことはできず、特に仲良くしなくても仕事は出来るかもしれません。しかし、それでは、いい会社に緒はなれないと思います。やはり、いざという時に助け合える仲間を持つ事で、自分の為にもなりますし、ゆくゆくは会社の業績にも繋がっていくと思います。
今回の寺修行を通して、一泊二日と短い間でしたが、仲間の思いやりや大切さに気付くことが出来ました。二十年後や三十年後に今回の寺修行の思い出をみんなで語り合うことが出来る日を楽しみにしていようと思います。
この修行が始まる前の自分の目標として、自分を見付け直すという事と、集中力を高めるという目標を掲げました。集中力を高めるという点に関しては、一つの事だけに集中すればいい時は、集中する事が出来ると思います。しかし、正座をしていて足が痺れて来た時や、滝に打たれて苦しくなっている時などといった他の雑念がある時に、その雑念を消して他のことに集中することの難しさを改めて感じる事ができました。また、それが出来る様になって初めて集中していることだと思いました。しかし、滝行の最後の方は息苦しさも消えて、頭の中を無にする事が出来た様な気がしました。
自分を見つめ直すという点に関しては、写経の時に言われた積極性がないと言う自分の欠点を再認識することができました。仕事において積極性がないと、上司や同僚に言いたい事が言えず、時にはそれが悪い結果に繋がってしまう可能性もあると思います。今すぐに積極的になれと言われても無理かも知れませんが、これも写経の時に言われた「男らしい」と言う言葉を自信にしながら積極的になっていこうと思いました。
この研修で学んだ事を忘れずに今後の社会生活を頑張っていきたいと思います。
企業研修としてこちらで修行させていただく前は、集中力が続かなく、会社で働いている時も連続した単調作業ではミスをたまにしてしまう事がありました。しかし本を読む時などは、集中出来るので、その作業に集中できていないだけだと思っていました。なのでこの研修では、どのようなことでも集中する事を目的としていました。またどのような事も我慢出来る忍耐力を鍛える事も目的としていました。
企業研修、一泊二日を終えて、様々な考えが変わりました。まず始めに行った挨拶では、今までの人生で一番長い正座をしました。最初は声が小さいなどと言われましたが、後半では足の痛さにいつ悲鳴を上げようかとも思いましたが、誰一人文句も言わずに頑張っているのだから頑張ろうという仲間意識が生まれました。次に行った三禮では、途中、腰が悲鳴をあげながらですが、やれるだけのことをやりました。最近の自分の生活では、何かをやれるだけのやる前に諦めてしまう事が多く、やれるだけのことをやる、ということを今回久々に行い、思い直すことが出来ました。次に行った光明真言では、千回やると言われ、いつ終わるのだろうと思いましたが頑張りました。途中で自分が何を言っているのかも分からなくなっていました。しかし最後までやりきることができ、やりきると言う事を学びました。写経では、人より書く事が遅く、人並みになることの大事さも学びました。
二日目、お百度参りでは、全力で走り、礼をしていき、全力を出すということも学びました。最後の滝行では、冷たい水の中、滝に入りあぐらで座るなど、信じられないと思いました。入る前に思っていたより冷たく、滝の勢いは強く、10分程入ると言われ、出来るわけがないと思いましたが、これは今回一番身に付けたかった集中力を鍛える機会だと思い、頑張りました。そうして今回の研修を終えてみると、様々なものを思い出し、身につける事が出来ました。
仲間意識、やれることだけのことをやる、やりきる、人並みになる、全力を出す、集中力を出す、今思えばどれも初めから持っているはずのものでしたが、二十歳にもなるとできなくなっている事が多く、どれも出来なきゃ今後は辛いと言う事が改めて身に浸みました。今後、会社に戻り、ここで学んだことをぞんぶんに発揮していきたいと思います。
また、今回法話を聞かせて頂いて、人脈の大事さ、お金では買えない幸せ、人との出会いなど、大変心に残る言葉を頂きました。自分の考えとは違う考え、人生論を聞くことで、新しく自分に取り込むことが出来る物が多く、自分も他社に自分の考えを話せるだけ、明確な形を持って行動していきたいと思いました。
新入社員研修が始まる前、私が始めに立てた目標は、社会人らしくなるということです。目標を立てた当時は、社会人らしさとして生活リズムをきちんと整えること、礼儀やマナーを身につける事を特に考えておりました。学生時代、特に生活リズムが酷く、夜遅くまで研究を行って真夜中を過ぎて家に帰り、その後にご飯を食べて寝る、という生活をしておりました。また忙しい時は徹夜で研究を続け、昼夜逆転の生活になることが度々ありました。
長い間、体に染みついた悪習慣を正さなければと思い、目標にしました。また、アルバイトの経験もあまりなかったので、目上の人と会話するときに必要な正しい敬語や、礼儀作法も分かりませんでした。その為、教授と会話する時も「この話し方で大丈夫か」とぎこちない会話しか出来ませんでした。
研修が始まってから、他にも多くのことが必要だと言う事を思い知らされましたが、今回の修行体験では、もっと大枠な生きることについてや、内面の強さについて多くの気付きを得る事が出来ました。まず初日の挨拶の練習では、動作を焦らずきちんとゆっくり行う事で、印象が大変良くなる、ということを実感致しました。三禮の修行ではきつくてもう無理だと言う所まで頑張っても、仲間の為にもっと頑張らなければという気持ちが起こりました。厳しい時程、他の人より力を出して、仲間を楽にさせてやらなければならないと言う事と、自分の限界というのは本当に気の持ち方次第であるとあると分かりました。
この体験修行を終えて、今思えば学生時代は自分に対して随分甘かったのではないかと思います。今後、色々な事を身に付けていく際、強烈にそれを身に付けたいと心から思う事で、表面だけでなく内面からまず自分を高めていこうと思います。その時には、今回散々言われてきた、積極性をもっと表に出していき、仲間の為にも、と考えるようにしたいと思います。
私は、この社員研修を受けるにあたり、目標とした事が二つあります。
まず一つ目は「苦しいこと、辛い事にぶつかっても折れない心を身に付ける」です。今までの人生では、受験や人間関係などの思い通りにならない事は出来るだけ避けて楽な方法を探していました。学生までの内はそれでも許される面も多く、その環境に甘えてしまっていました。しかしこれから社会人になるにあたり、そういった自身を甘やかしてしまう心を変えたいと考えました。
二つ目は「積極的な心構えを身に付ける」です。自ら何かに取りかかる事もあまりなく、周りの様子をうかがっていたり、人に言われてから行動をしていました。入社時に抱いていた「世界の人々の生活を豊かにする」目標を達成する為には、今のままでは何も変えられないと考えた為です。
この体験修行の中で私は始めに目標とした事に加えて更に多くのことを身に付けられたと思います。一番大きく変わった事は「自分に対する自信」です。三禮を百回連続で行う修行で、最後まで出来た事に自分でも大変驚きました。足や腰など体中が痛く、何度もやめてしまいたいと思いましたが、同期達の頑張る姿を見て、自分ももっと頑張らなければという思いが自然と湧き出てきました。そのお陰で、やり遂げられたのだと思います。そして、やり遂げた後では、大きな達成感と共に、自分もやれば出来るのだ、限界を作っていたのは自分なのだと感じました。
また、同期を信頼する気持ちと連帯感を得られました。同じように厳しい修行を行う中で頑張る姿を見て「この中には辛い事があっても投げ出す人はいないのだ」と思い、背中を預けられる安心感と今後も共に会社を支えていける喜びを得ることができました。さらに体験修行を受ける前に変えたいと思っていた自身の弱い面も唱えている中で、少しずつ変化が起きたと思います。最後の御宝号では、汗をかくほど積極的に唱えるようにまで変化しました。
私はこの体験修行で得た「折れない心」「積極性」「自分に対する自信」「仲間への信頼と連帯感」を今後会社で働くに辺り、会社の一員として生活するにあたり、以下のように活かしたいと思います。会社や社会では思った通りにならず、苦しく辛い事も多くあるかも知れませんが、信念を曲げず夢の実現に向かっていきます。その実現には多くを実行しなければなりませんが、自分なら出来ると自信をもって行動します。会社や社会は私一人ではなく、多くの人と協力し、特にモノ作りをする当社ではなお強い協力が必要となります。私は仲間を信じ、全員で力を合わせていきます。そして、会社に戻ったら私が職場を盛り上げ、この気持ちを共有したいと思います。
回のこの社員研修でお寺で合宿ということで、正直来る前は楽しい事が多いだろうと思っていました。でも、どういうお話が聞けて、自分に足りない物はなにか分かるかなと思って来ました。
合宿一日目では、挨拶の練習で正座をする事が辛いと思いました。三禮を百回した時も「これも必要な事なのか?」と感じたけど終わって見ると、やり遂げたという達成感を実感することができました。
二日目はお百度参りをして、滝に入りました。雨が降って、寒くて、痛いし、きついし、辛いと思い、もう何度も帰りたいと思いました。耐える事って凄くきついと思いました。でも、耐えた分だけ人の痛みも分かってくるし、何か目標を持たないと耐える力はつかないと思いました。でも、痛みが分かる分、人にも優しくなれるんだと思いました。
住職さんが話してくれてる時に、どれも全部無駄な話じゃなく、大切なことだと素直に少し聞けるようになりました。礼をする事は人と人との関わりを大事にしてくれるものだし、何に対しても、感謝の気持ちを忘れちゃ行けないと思いました。人間その場その時でやるんじゃなくて、続ける事も大事だし、ここで学んだ事を忘れずに、絶対にどれか一つでも自分の物にしなくちゃいけないと思いました。自ら辛い事から逃げずにそれに向かっていける勇気をつけたいと思いました。住職のお話を聞いて、ふと感じた事は、すごく苦労してきたんだなぁと。最初来た時は凄く厳しい人だなと思ったけれど、よく考えて、よく聞いたら凄く優しい人だなと思いました。甘くしたり優しいだけが本当の優しさじゃなく、厳しさの中にも優しさがあるし、自分たちの事を思ってしてくれてるんだと思える事ができました。
ここでした事は全部一つ一つ大切だし、これから生きて行くときに必要なことと思えました。そして最後の法話の時にすごく感動しました。自分を大切にする。自分を信じる。自分をコントロールできる。などありましたが、自分に当てはまる物がとても少なかったです。人に変わって欲しいなら、自分がまず変わらなきゃ駄目。本当にその通りだと思いました。まず自分が示せる人間にならないといけないし、将来自分は大きな人間になりたいと目標が出来ました。
長いと感じたのが短く思えたこの三日間はすごく学ぶことができました。本当にありがとうございました。私はこの研修に来る前は、どんな事をやるのかどんな所なのか等、想像も出来ませんでした。しかし、参加してたくさんのことを学ぶ事ができました。
普段あまりしない正座も長時間やっていると痺れや痛くなったりと最初は凄くきつく、辛いなと思っていました。しかし、その痺れや痛みに耐え、休憩や終了するまで頑張ると、達成感が出てきて凄く良い気持ちになりました。どんなにきつくて辛い時も、きちんと最後までやり通す事で自分にとってプラスになることが生まれるんだなと思いました。また、写仏や写経では、どんな事でも根気強く、真剣にやることの大切さをを学ぶことができ、これからの社会人生活では常に心懸け、活かしていけると思っています。また、焦らずにやることも改めて自分にプラスになりました。焦ってやっても何もいい事はおきない。いつも落ち着いて冷静にやり通す。この二つをいつも心懸けて社会人生活を頑張ります。
朝の掃除では、積極的に自分から進んでやる事を学び、掃除するのは大変だけど、掃除した後きれいになったところや、自分から進んで掃除し、終わった後の達成感などの気持ちよさや、人から見られてもきれいだなと思われるような掃除をやりたいと思います。
また、こういう集団や会社では、個人ではなく組織全員のことを考えて動かないといけないことの大切さを改めて実感しました。何をするにも個人ではなく集団、一人一人が会社の看板を常に背負っていることを考えて行動しなければなりません。その為には、今自分が何をすればいいのか、何をしたらいいのかなど、社会人として常に心懸けておかなければならないと思います。学生ではなく、社会人。社会人は自分の言動一つ一つに責任をもって行動していかなければなりません。その為には前にも言った通り、今自分が何をすればいいのか、何をしたらいいのかを考えて行動していかなければなりません。
最後の法話で言われた通り、負けない気持ちを持って生きていきます。自分にとってマイナスなことばかり考えても良いことはおきないし、できないのはその通りだから、いつも「負けない」気持ちをもって仕事を頑張り、夢を叶えたいと思っています。自分がどう在りたいのか、どんな事をしたいのかなどをいつも考え、そのことを目指して頑張っていきます。「初志貫徹」は自分が常に心懸けている言葉で、最初に思い描いた事がどんなに厳しいことでも、その前に事の一つ一つを目標にして頑張ります。
どんな困難につまづいたとしても「負けない」気持ちを持って前に進んで行くことを社会人として心に持ち、まだまだ社会人になったばかりだけれども立派な社会人になれるように、毎日を頑張っていきます。また、最高の親孝行を出来る様な社会人にもなりたいと思っています。
この二泊三日の研修で学んだそれぞれのことを、これからの社会人生活に活かしていきます。
私はこの社員研修に行く前は、とても楽しみでした。感じ的には修学旅行みたいなテンションで、修行等を甘く見ていてとても軽く乗り切れると思っていました。
しかし、一日目の正座からお経を唱えるまでで、自分の甘さに気が付きました。正座は普段全くやっていないので、足は痺れ、感覚もなくなるぐらいの辛さでした。また、挨拶をやってみると声は小さいわ、きちんと言えないわで私達がどれほど毎日の挨拶を適当に行っていたのか分かりました。これらの作法は社会人、いや、一般人として常識的であり、出来なければいけないものです。それが出来ていないという事はまだまだ気持ちが入っていないと言う事です。時間が経っていく内に私は「もうやめたい」「何でこんな事やらなくちゃいけないんだろう」などと思い始める様になってしまいました。私は普段からすぐに弱音を吐いたり、消極的になったりと意欲が無いと自分でも気付くぐらいで、いつか直さないといけないと思っていました。
一日目の修行が終わり、一段落出来たところで今日の自分はどうだったのか、積極的に取り組めたかを反省してみることにしました。するとやはり、反省する部分がいつもと同じ事ばかりでした。私は、もうこんな自分は嫌だし、今の修行で変えていくしかないなと思える事が出来ました。一日目の修行は最初だけしか集中力が続かず、三禮も最後は適当になっていたので、二日目は集中力を持続させ、目標を持って行おうと決めました。
すると、二日目からは意欲が増し、自分に出来ない物は無いなどと、修行をする前から自信を持てる様になっていました。そこでは、お百度参りと滝行をしました。お百度参りは、やってる最中は雨が降っていて寒い中行いました。寒い中やったので集中力が切れそうでしたが、昨夜決めた事を自分で果たすと決めていたので、寒さとの戦いであり、自分との戦いでもありました。滝行でも自分の垢を落として貰おうと精神を集中させ、終わった後には自分は変われたと思えるようになりました。
先生が言われた事は間違っていませんでした。そして、自分を信じて、積極的に行えばきっと自分を変える事が出来ると思いました。最後に先生の法話を聞いて、私は以前の自分を捨て、どんな困難にも逃げず取り組み、成功した時の事を考える事が出来る様な人間になりたいと思いました。また、この修行で学んだ事は社会人には必要不可欠な物なので、経験を活かして頑張っていきたいです。そして、人柄の良い人間になっていきます。私達を修行させていただいてありがとうございました。
私は二泊三日の研修でたくさんの事を学びました。
まず初日では自己紹介や念珠の作法、挨拶の作法などを行いました。大きな声を出す事や、ゆっくり礼をする事など、今までの自分ではあまりやっていなかったけれど、挨拶ではされる相手の気持ちを考え、挨拶をするという大切さを学びました。三禮では今までやった事のない動作を三百回行い、途中から動作が上手く出来なくなってしまい、自分の集中力の無さに気付きました。その後、光明真言を千回唱え、最初から最後まで集中して唱える事ができました。初日では正座など、とても辛かったのですが、とても集中力を身につける事が出来たと思いました。二日目では、まず掃除からはじまり、掃除の時は行動が遅く、とても時間がかかってしまいました。自分たちが使った場所を掃除する事は当たり前の事なので、これから色々な場所を掃除する事になるので、研修での掃除を思い出して丁寧に素早く掃除をすることを心懸けていきたいと思っています。
写経では最初の方で文字を書くのが乱れてしまったけど、途中から文字が安定してきて上手に書く事ができたので良かったです。お百度参りでは大きな声で唱え、走るという事を繰り返す事で途中からとても辛くなってきたけれど、強い気持ちを持って乗り切る事が出来ました。滝行では今までに感じた事がないくらいの冷たさですぐに出てしまいそうになったけれど、自分自身に厳しくする為にも、長い時間滝に打たれ耐える事が出来ました。
二日目は修行を通して、特に精神力を身につける事が出来たと思います。今後、つらい作業などがあった時には、お百度参りや滝行の事を思い出し、辛い事やきつい事も乗り越えていきたいと思います。
三日目の法話では、たくさんの事を学びました。生まれてきた意味や積極的に生きる事の大切さなどを聞く事ができて本当に良かったです。特に自分は物事をマイナスに考えたり、積極性がなかったりするので、三日目に聞いた法話をきっかけに、物事をプラスに考える事や積極的に生きる事などをやっていきたいと思います。
三日間、色々な修行を通してこれから生きて行く上で大切な事を学ぶ事が出来たり、これから自分自身がやらなくてはいけない事を教えて貰う事が出来ました。また、自分は今までの人生の中でたくさんの事を経験してきましたが、これ程きつい事をしたのは初めてだと思います。この研修を経験して、忍耐力や精神力、集中力などたくさんの事を身につける事が出来ました。この研修でやった事を今後、色々な場面で活かしていきたいと思います。
三日間の研修が終わって、初日に来たときと研修が終わった今では、とても大きな変化があります。
まず、初日に来た時には、声の大きさがとても小さかったです。自己紹介の時や般若心経などを行った時は、まだ研修が始まったばかりで、少し恥ずかしかったのと、そこまで大きな声を出さなくても良いという考えがありました。でも研修をしていく中でそのような考えが、とても自分に甘かったと思います。しかし、研修で行を行っていく中で、恥ずかしさなどが無くなっていき、自然に大きな声が出せる様になっていきますた。
研修の中には様々な行がありました。まず初日は、三禮を三百回しました。座ったり立ったりを三百回したので、終わったときには汗を凄くかいて、膝が真っ赤になりました。三禮の後には光明真言を千回全員で唱えました。最後の方は喉が枯れて、とても痛かったです。
二日目はお百度参りと滝行に行きました。滝に入る時はとても寒くて、声が出せなくなりました。でも滝で頑張った後で温泉に入れてとても気持ち良かったです。夜は瞑想をして、今まで自分を育ててくれた親や友達などのことを考えていると、感謝の気持ちでいっぱいになり、自分はとても恵まれていた事に気付きました。
三日目は法話を聞かせて貰って、自分は何の為に生まれて来たのか、何をするべきなのかなど、人生について、とても考えさせられました。三日間の研修を通して、初めは集中力や考え方などがとても甘かったけれど、研修が終わった今では、集中力などが鍛えられて、考え方なども変わりました。これからは、今まで自分を育ててくれた親や友達などに感謝し、それをこれからの人生で少しでも返せる様に生きていきたいです。
この三日間、とてもきつかったけれど、様々な事に気付けて、とても良い経験になりました。
私は研修で天光寺に来る時、どうせそんなには厳しくないだろうと言う軽い気持ちでここまで来ました。しかし来てすぐに考えが甘かったなと実感しました。一番始めに自己紹介を行いましたが、声が小さかったり、頭の下げる深さなど、気を付ける事がたくさんあってとても苦労しました。そのお陰で、挨拶の大事さを今まで以上に理解出来たし、動作の一つ一つにも気を配れる様になりました。次に挨拶の作法を行いました。全て正座で、礼は手の指先を揃えて三角を作り、頭は額を床につけて肘も床につけて礼をすると言う事でした。初めての経験で足が痺れたり、声の出し過ぎで喉が少し痛くなったりしましたが、こんな風に挨拶されると嬉しいだろうなと思います。
三禮は最初二回と最後の一回の動きが少しだけ違ってて、動きになれるのに時間がかかってしまいました。みんなで行っていて、始めたばかりの時は、あまり声が出て無くてグダグダしていたけれど、途中から声と動きが揃ってきて、一体感がありました。やり終わった時、汗びっしょりでとても疲れていたのですが、とてつもない達成感を得られる事が出来ました。
食事の時、いつもは特に何も考えずに食べて、嫌な物は残してゴミ箱に捨てたりしていたのですが、「食前の言葉」を聞いてから、感謝の気持ちを持って食事しました。嫌いな食べ物でも、しっかり食べる様努力していきます。
光明真言を2時間程唱えました。正座ではなく、あぐらでも良かったので少しは足が痺れにくいかなと思っていたけれど、あぐらでも足が痺れてとても大変でした。ずっと光明真言を唱えていると「あとどれくらいで終わるのだろう」とか「自分は今一体何をしているのだろう」という考えが浮かんできて、心身共にとても辛かったです。一人で行っていたら絶対にやりきれてなかったし、辛さとかも倍くらい辛いだろうと感じました。仲間が居て、みんなで同じ辛さを味わったお陰で、仲間が居る事のありがたみがわかりました。また、光明真言を約二時間行った事は、今までの人生で一番辛くて、その辛さを乗り越える事が出来たので、自分に自信が付きました。
初日の最後、写仏を行いました。大日如来の写仏で肩の近くの衣を止めている所が私にはハートの形に見えて、ハートを書いて提出したら、ハートを書いた人は今までいないと言われて、一人一人の感覚というのは、本当に違うんだなと感じました。
二日目は掃除から始まりました。外をほうきで掃くように言われて、誰も返事せずに怒られてしまいました。そのことで改めて返事の大事さと声の大きさについて実感しました。 お百度参りはお寺に行って裸足で行いました。短い距離ですが、全力疾走して、大きな声で3回真言を唱えるのは大変でした。周りの仲間が応援してくれて、また一体感を感じる事が出来ました。
滝行では水に浸かったとき、もう無理だ、諦めよう。と思ってしまいました。しかし、限界を超えると考え方が変わって、まだいける、頑張るぞ。と思えるようになりました。この時に、無理とか言ってすぐに諦めたら駄目、というのを実感出来ました。
この二泊三日の研修を終えて、私はいち社会人として、オンリーワンの存在になりたいです。会社にとって居なくてはならない存在になれるように、日々努力して、積極的に行動して行きます。
寺修行研修を終えて初めに思ったことが、今までの自分は精神的にまだまだ未熟だったことです。正直、寺修行に行く前は寺に行っても自己の成長に変化はないと思っていました。
しかし苦行を乗り越える事で全く今までにない様々なことを学びました。寺に到着後、直ぐに行われた正座をした状態で1時間前後お経を唱え続ける修行や、滝修行、声出し、など書ききれない程修行を重ねました。この経験が私の考え方を変える事が出来ました。修行をうけている途中は、心の中に雑念、苦しみ、怒り、妥協といったものがありました。しかし苦しいからこそ全力でやる。文句を言う前に行動、積極的な考え方といった考え方で変える事が出来ました。
寺修行での経験は、これから生きていく上で必要なものであり、自己成長させるものだと確信しました。この経験を生かし、会社でも全力で努力し、積極的に前向きに行動していきます。最後に、一般社会では体験が出来ない行、思想、意志を伝えて頂きありがとうございました。滝修行は本当に厳しかったです。ですが、一生記憶に残ると思います。苦しい時、落ち込んだ時は天光寺で学んだ事を生かしたいと思います。
今回の目標は、修行を通して、たくさんの事を学び、成長につなげるということでした。実際に修行を体験してみて、感じる事、改めて考えた事がたくさんありました。以下、まとめて述べます。
1.我慢の辛さと大切さ
人生で初めて修行というものを体験し、一番感じたのは辛さでした。正座をして、足の痺れに耐え、何往復も同じ動きをする。普段ならば、足が痺れたら正座をやめるでしょう。動いて疲れたならば休むでしょう。その選択ができないという状況は、とても辛かったです。しかし、よく考えると、人生には我慢しなければならない事がたくさんあり、それをうまく乗り越えていかなければならないのです。最近の私の生活は、春休みということもあり、束縛の全く無い日々だったので、良い薬になったと思います。
2.協力して生きていくということ
二日間の生活で、清掃、配膳など、様々なことを全員で協力しました。食事一つにしても、作って下さる方がいて、器を並べ、お茶を注ぐ。そうしないと当然食事はとれないし、一人だととても時間がかかってしまう。やはり、一人一人の協力が一つになって、早い時間で準備が出来るというのは、素晴らしいと思いました。
3.仲間の存在の深さ
出会って間もない同期と一泊二日を過ごし、今まで以上に仲間意識が生まれました。辛い事を共に経験し、心細くなった時も、仲間の存在があることによって、大きな支えができました。
4.自分を見つめ直す大切さ
今回、自分自身を見直す事ができたと思います。お話を伺った時、心に残ったのが「自分を大切にする」ということでした。他人への嫉妬は、他人と比べていて、自分をきちんと愛せていないのかな、と思いました。人と比べるのではなく、自分の良いところを認めて、もっと自身を持ちたいと思いました。
以上の4つの事を、今回学びました。これからは今後会社で勤める上で、とても大切なことだと思います。それぞれを生かす方法を述べます。
1.辛い事や理不尽なことがあっても、自分の感情を落ち着かせればより良い判断をする。
2.一人だけではない、集団なので、いかにスピーディーにこなせるか、相手を思いやるか、と考える。
3.時にライバル、時に励まして、これからずっと支え合う。
4.時々、自分の子とを見つめ直し、自分を愛し、自身を持って仕事に取り組む。
このことを今後生かしていきたいと思います。とても良い経験になりました。2日間に及ぶ研修を終えて、まず第一に感謝の大切さを改めて知る事が出来ました。ご飯を食べるという日常的に行っている事にも、毎回必ず感謝の気持ちを述べる事によって、食べ物の有り難みを再認識する事が出来ました。
もう一つ、この研修を行う前の目標として、社会人としての自覚を持ち、学生の頃の甘えた気持ちを捨てると考えていました。実際に研修を受け、今までに経験した事のない様々な事を行わせていただきました。精神的にも体力的にも想像以上にきついものでした。また何度かお叱りも受けました。しかし今現在の生活で、保護者以外の人に注意をして頂けるという事は、本当に貴重な事だと思いました。社会人への仲間入りをした今、私は今までの甘さを持つ事は許されません。その事に関しては本当にこの修行の厳しさが大変勉強になり、またこの2日間で学んだ感謝の大切さ、社会の厳しさや苦労など様々な事を得る事が出来ました。
また、この2日間の中で行った内容によって、集中力が研修前と比べ、格段に高まりました。この集中力というものは、社会人としてかけがえのない能力だと思います。この高まった集中力を生かしていきます。2日間の研修は、本当に大変でした。しかし、その反面同期の方々と共に頑張る事で、一気に距離を縮める事が出来ました。
この研修が始まるまでは甘い考えを持ち社会人としての自覚が欠けていると思いました。この研修で学んだ・感じた・体感した事を最大限に生かし、甘い考えを捨て、早く一人前に仕事が出来るように努力します。
最後に「もっと積極的な性格なのだから、もっと前に出なければ」という言葉がとてもしっくり来ました。以前まで自覚していたはずの、自分の事を改めて気付かされました。この頂いた言葉通り、自らが率先として動き、常に成長していきます。この2日間の研修での事は一生忘れません。そして学んだ事を仕事に必ず生かしていきます。</p>私はこのような体験の出来る施設へ来たのは初めてで、最初は少しとまどいましたが、普段の日常生活ではとても経験できない貴重な体験でした。
入社するにあたっての研修ということもあり、私自身気持ちを引き締めて挑んだつもりでしたが、社会人の基本である、大きな声であいさつをすることや、社会人になるにあたっての心構えなど、ごく当たり前の事でも自分自身が出来ていないと気付かされ、痛感しました。これから仕事をするにあたり、まだ私は何も分からない状態ですので、あいさつだけは誰にも負けない様なあいさつを心懸けていきたいと思います。
また、お経を読んで集中力を高めたり、お百度参りや滝行をしたりと、とても辛かったが、今回の経験は、これからの自分の人生に大きく影響すると思います。仕事で何かあってもここでの経験を生かせたらと思います。また、今回のこの仲間とやり遂げた事は、一生心に残ると思います。
この二日間で学んで、身につけた事をこれからの生活に生かし、日々前進していきたいと思います。五日間が何気なく過ぎ去ろうとした時、ふと頭をよぎる言葉と出会った。
「毎日が勝負である」
法話を聞く際、良くも悪くも、足が痺れるのが常である。ここで必要なのは、いかに耐えるかが「鍵」となる。もしあきらめてしまえば終わりとなる。やはり、耐えることは、勝負に勝つ事なのかもしれない。
次の日になれば、勝負が始まる。この日は、天候に恵まれ晴れた。お百度参りと、滝のところへ向かう。何ごとも集中力が欠けると、せっかく築きあげたものが一気に崩れる。 一人の勝負も大切であるが、チームの勝負も大切なことだと、今一度気付かされた場面があった。滝は順番に一人ずつ入るが、私は最後になった。普通、自分の番が済めば遠くの方で見ている人が多いが、この時ばかりは感動した。
皆が声援してくれたのである。当たり前のようでなかなか出来ない。過去を振り返ると恥ずかしい場面を思い出す。滝に打たれながら寒さに耐え、息をするのもやっとの中、心が現れて気持ちが良かった。又、人間一人ひとりの「気」について、野球の話と重なる部分があった。野球選手は、自分の為でもありながら、ファンを魅了させるために日々精進し、勝負しているのだと改めて感じた。 チームワークも大切であるのと同時に、個々の体調を整えるのも、明日会う人への心配りであり、チームワークで必要不可欠なものでもある。努力をすることも、勝負をするための活力となると感じた。ここぞという時に、安全を重視した心配りと健康でなければ、チームが良い方向へいくとは思えない。
そして、人とコミュニケーションを取ることも、勝負をすることの準備であると思った。
いくら親しくなったとはいえ、礼儀を忘れてはならない。慣れてくると気が緩んでしまい、相手を敬う事を忘れてしまう。簡単にできそうで、出来ないことの一つである。 しかし、両方の意見を述べることで、納得し、解決することも少なくない。これこそがチームワークの「力」を向上させる事でもあると感じた。「毎日」というのは、ただ単に勝負しているだけではなく、反省と、それに対する解決策を模索し、次の「勝負」に供えることであると実感した。一度「間」をあけて考える事も気持ちの整理をつける事であり、次に繋がると思う。
さらに、バンガローの生活の中で、高校生と接した際、しっかりと礼儀正しくしていただいた事に感謝したい。私も見習う所があり、気持ちよかった。私の未熟さが恥ずかしい位である。
写経、写仏、瞑想も、過去の出来事を細かく感じる事が出来て、これからも、この時の気持ちを持って何事にも挑戦したいと感じた。何事にも勝負する気を持って、練習していきたいと感じた。未熟なので、チームワークを大切にしたい。
ゆとり世代と言われる私たちは、それ以前の年代・世代に比べ学校で学ぶ授業時間が短縮され、また世間では教師が生徒に対して甘いと考えられている。それ故、生徒の忍耐力の欠如が問題とされてきた。
その様な中で、人生において約二十年という期間、様々な事を感じ学んできたが、やはり根気強さや忍耐力というものに欠けると、私達の世代の大半は苦言を呈されてきたであろう。そのため、今回のこの「行」は私達が社会という厳しい場に踏み出すためには非常に良い経験である。「行」を行う前に、社会人としてのマナーやモラル、忍耐力を養う事を目標に掲げ「行」へ取り組んだ。社会も企業もある一定の規則に則り動いている。
挨拶や礼儀、相手を尊重する心、これらを法話を通して一層強く感じ取れた。私は、これから社会と言う場に踏み出すが、そこでは、今までの学生生活とは異なり、責任というものがより大きくなる。また、様々な経験を積んでいく中で、時には厳しい局面にも出会うであろう。これらには、自分自身に勝ち得る忍耐力を身につける事が不可欠であると感じる。
厳しい環境に身を投じる滝修行経験は、正にそれであり、この良い経験を社会という場で活かしたいと思う。また、法話においては、夢を持ち続けるという大切さを改めて感じる事が出来た。常に信じる心を持ち、高く目標を持つことで、より豊かな人間性を養うことができると感じる。
上昇志向であるということは、様々な試練にも勝る精神力を得ることができるであろう。今回のこの「行」は、社会人としての一歩を踏み出す私にとって必要な忍耐というものを少しでも得る事が出来たのではないかと感じている。
やはり、ゆとり世代と呼ばれる私たちの世代が厳しい社会に身を置く為には、耐え得る事が必要である。社会は、一人の力で成立しているわけではなく、多くの人の力により築かれている。その中には、規則が存在する。正しく規律を守り、適切な忍耐を養う事が社会人であると、今回の「行」を通じて感じた。私はこの五日間の行を通じて思った事として多き鵜わけて3つの事を感じました。
一つ目に感じたことは自分の未熟さでした。恥ずかしながら私は自分自身で大変我慢強い人間だと思っていました。なので、この五日間の行が始まる前までは行や、その行の間の正座は絶対に弱音を吐かずにこなす事ができると思っていました。
しかし実際に行を行ってみると、慣れない正座に対してすぐ足を崩したいと思ったり、お経を読んでいる時に早く終わらないかと考えたりと、厳しい事に対して逃げの姿勢をすぐにとっていたのです。その自分自身の逃げの姿勢に気付いたのはほんの前日の事で、私が思っていた我慢強い自分はただの思い違いで、本当の自分は辛いことがあるとすぐに逃げ出したくなる情けない人間だという事に気がついてしまいました。しかし自分のふがいなさにがっかりする反面、この会社に入社したばかりのこの研修機関に気付けた事は非常にいい事だと思いました。
なぜそのように思ったかと言うと、これから仕事をする上で、どうしても自分の思い通りに行かなかったり、辛くなったりすることがあると思います。でも今回の五日間の行で気付けた情けない自分の姿を今回戒める事で、もし逃げ出したくなるような事が起こった時に、今回感じた情けない自分を思い出す事で乗り越える事ができると思っているからです。二つ目に感じた事は、意味の無い事は無いという事です。
今回の五日間の行を行っていく中で、正直に行の必要性を感じる事ができませんでした。私は無信仰なのでお経を読むことや、住職さんの話を聞くことは自分には関係無いと思っていました。その為、ただのノルマをこなすかの様に行を行っていました。しかし前日に地方から来られた住職の話を聞いて、この話は自分に関係ない話ではないと思い、思い返せば、今まで聞いていた話もとっても大切なものだったのではないかと思いました。お経にいたってはいまだに意味が全然わからないけど、それをやることで後々仕事をしていく上での大切な基盤になったりすると思います。なので、研修期間を終えて仕事をしていく上で前に述べたような時が来たり、今考えている事を思い出して頑張っていきたいと思いました。
最後、三つ目に感じた事は、仲間の大切さです。
これは今までも思っていた事なのですが、今回の行を行って、尚一層思ったので書きました。仕事をした時に出てくる喜びや悲しみ、不安や不満など色々あると思います。そしてこれを誰かと共感できるという事がとても大切だと思い、これからも大切にしていこうと思いました。やって良かった。これが五日間を通じて一番思う事です。
なぜなら、自分が行の初日に設定した目標が完璧とはいわないものの、ある程度達成できたからです。自分の目標は同期と仲良くなる事でした。それは私は人見知りでなかなか話しかけられずに、上手く同期と馴染めずにいました。しかし、同期のみんなと同じ生活リズム、同じ行を体験することで波長が合うように感じました。そこから自然に挨拶や感謝の言葉が出るようになり、会話も徐々にですが出来るようになってきました。人と話す事が好きなので生活は全然苦にならなく、かえって楽しいものになっていきました。ただ、お経は苦ですけど。また、ここで改めて思ったことは、みんなで一つの目的を持って、それを目指す事はみんなの決断力を深めたり、強めたりすることが出来ると言う事です。みんなで行を乗り越える事が、みんなが思っていた目的だったと思います。
印象深かった事は、滝での行です。滝に打たれる前にみんなガンバレとか一声かけたり、かけられたりすることで自分自身を奮い立たせ、行を乗り越えられたと思います。滝に打たれ終わった後も、みんなの拍手がどれだけ暖かく、嬉しく思った事か。
今回体験した事が実際仕事にどう役立つかは正直分かりません。明日、来週、来年、はたまた何十年後役に立つのかもしかしてずっと仕事には役立たないかもしれない。しかしこの体験は、明日には経験となっていて、ここで生まれた関係や思いはそうそう崩れたり、忘れたりできないものなのです。ずっと大切にしていきたいです。
最後に、こんな一個人では体験できない貴重な体験をさせてくれた会社の皆さま、また、一緒に苦行を乗り越えた同期や先輩方に深く感謝します。
天光寺さんで行われた、2泊3日の研修が本来の私を目覚めさせてくれました。
滝行、写経、お百度参りは精神論を超えた超常間隔とも言うべき、自分の不要な殻がその都度、剥がされていく感じがしました。滝行では、おそらく気温は氷点下だったと思いますが、私たちより先に入滝した女性の方が微動だにせずご法号を唱える姿に人間の神々しさを初めて感じました。
いざ、私の番になった時、入滝前の儀式の水の冷たさにある種の恐怖感を感じ、また入滝直後の頭から首にかけての激痛にその場から逃げ出したくなりました。しかし滝の前で社の先輩達がそして天光寺の方々が唱えるご法号が耳に入った瞬間、痛みは消え私の口からもご法号がでてくる様になり、体の芯が熱くなるのを感じ、自分のなかにもまだこんなエネルギーがあるんだと言うことを実感しました。それと同時に「言霊」の力について語ってくれた住職様のお言葉が理解できました。単語、音声、そして音のエネルギー、すばらしいと思います。また、お手本を下に敷いて、その上から写し書きしてよいと言われた写経。私は子供の頃から習字を習っていたので、簡単だと高を括っていましたが、仏様の前で硯に墨を擦ることがこれだけ心が鎮まるとは思いませんでした。しかし今度は筆を手にすると、なかなか上手く書くことができません。「人より上手く書いてやろう」という意識がそうさせる事をその場で指摘されました。
私が一番つらそうだと思ったのは、お百度参りでした。私は肥満体質のため、小走りで行うお百度参りは、息が続かないと思いこんでいました。しかし、45分間走り、途中ご法号を600回も唱えたのに、あっという間に終わったという感じで、天光寺さんで貸していただいた行衣の背中の「南無大師遍照金剛、同行二人」と言う事を、身をもって感じる事ができました。
これからは天光寺さんの行の体験、住職さんのお話を生かして、日々仕事にがんばり、家族を守っていきたいと思います。