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法話を通して「どんなあり方で生きていくか」を改めて考えさせられました。
自分自身の芯・軸・信念を持つこと、絶対積極で過ごし、常に明るく前向きに笑顔でいること、舞台と役者を演じ、どんな場所でどんな人間として生きるかを、しっかり見極めます。他にもたくさんの教えがありましたが、全ては正直覚えきれてはいません。しかし、全ての教えは、自分次第だと感じています。自分の心が本気で想うこと、願うことが、目の前の現実に現れると思っています。全てあらゆる全て、自分自身でコントロールすることができます。
私は、私の人生を最高に最幸なものにすることができます。
私は、より良い自分を作るため、己を磨き、高め深めることができます。
私は、自分自身を抱きしめ心から愛することができます。
私は、心の底から仕事を楽しみ、世界に価値を届けることができます。
私は、私の大好きな仲間と家族を愛することができます。
私は、「自分よりも他の人を心から想う」ということの大切さを、正直理解し
切れていません。しかし「他の人を心から想う」ということの本質を必ず理解し、そのために自分自身の命を使うことができるようになります。
私は、今、最高に最幸な人生を歩んでいます。
ありがとうございます。
今回修行にこさせていただきありがとうございました。
感想を記載していきます。今回の法話では天光寺の特徴、即身仏の話が聞けました。そこから仏教の発祥の地がインドだというのを聞きました。今のインドには仏教が無いことを知り、仏教は日本でこの先も継承されていくべきだと感じます。私も小さい頃から葬式の場等で南無阿弥陀仏という言葉を聞いてきました。その言葉の意味は理解できていませんでしたが、今回は言葉を知り、南無大師遍照金剛という言葉も知ってこれから誰かを応援、自分を応援する時は南無大師返遍照金剛という言葉を心で唱えたいと思います。
また自分には、心の持ち方の考えも響きました。常日頃、文句を言ってしまう事や不平不満を感じることもありました。ただそんな自分を受け入れつつ感謝や許すというポジティブな考え方は是非これからの人生でも続けていきます。そうする事で人生が豊かで幸せになれるだろうと信じます。
空海が日本に戻って来て初めて建立した京都の東寺にも一度行ってみたいと思いました。私は父を中学生の時に亡くしています。その葬式のシーンで自分は真言宗だと知りました。ただ自分が真言宗だという事実をここに来るまで忘れてしまっていました。今回友人に誘ってもらってこちらに来させていただきましたが、真言宗のお寺で修行中のお経にききなじみがありました。そこで思い出したのです。このタイミングで真言宗のお寺に来させていただいたのも何か縁を感じます。なので今回学んだ心の持ち方と南無大師遍照金剛を胸にこれからも過ごしていきたいと思います。最後に天光寺を建立された住職の言葉がすごく響いたので記載したいと思います。「人生の主人公は自分」「輝くために生まれてきた」「人は皆目標目的を本当は持っている」住職の言葉は今を生きる人たち、特に日本人には必要なのだと感じました。私の主観もありますが今の日本には相手と比べる、相手の顔色を伺うという人が多くいると思っています。なので、人生の主人公は自分なので相手と比べず今日の自分から明日へ一歩一歩進んでいけたらと思います。私が天光寺にお世話になろうと考えた理由は一年前の理不尽な左遷について未だに気持ちを整理しきれていないからというものである。
全く予期しないまま、明確な理由も告げられず、突然の内示となった際の衝撃や絶望、屈辱、困惑は今でも消え去っていない。また、当時の職場に対する不信感も引きずっている。
そのような状態で一年間過ごし、何かにつけて「こんなはずではなかった。なぜ自分はこんなことをしているんだろう。」と考えていたが、十月に転機が訪れるはずと信じていた。にもかかわらず、現状が変わらないことが分かり、これからは日々、無駄に過ごすことなく毎日「今日は充実していた」と思えるようになろうと考えて前途の通りこちらにお邪魔した次第である。
今の職場の同僚は皆実直に仕事に取り組んでおり、活気もあって全く不満はないし忙しく働けている。また、要は常に前向きの思考であり一年前の時点でも「今のままの職場だったら鬱になっていただろうから、転勤出来てよかった。悪い上司に当たっただろうし、どの職場でどの仕事をしていてもあなたの価値は変わらない。今の職場が充実しているのなら最高ではないか。」などと励ましてくれている。
私自身としても少しずつ執着が少なくなってきているように感じるが、本当にそれでいいのかと自問する自分もいる。法話のDVDを拝聴して自念障害というお話が出てきたが、正に自分に当てはまる内容ではないかと思った。
せっかく少しずつ時間や環境のおかげで心が中和されてきているのに、無理矢理元に戻そうとしているのではないか。多分性格的なものだと思っていたし、妻からも呆れられて「早く寺に行ってこい。」と言われていたが…
そのような中、滝行に参加させて頂き前日の雨の影響で水量が増しているという小天狗の滝へ入っていった。想像以上の冷たさと衝撃で途中離脱したくなったが、お寺の方の「せっかくここまで来たのだから、止めるのはもったいない。」との言葉を思い出し、何とか最後まで入りきった。御宝号を唱えながらも心の中では「やってやる。やってやる。」と自分に言い聞かせていたが、これも法話の中の「負けてたまるか。」「やってやる。」と付合しており、こちらでお世話になった甲斐があったのではないかと得心している。
また「人が自分を認めない心配よりも、自分が人を認めない心配をしろ。」というのもまさにその通りである。
自分でも心の持ち方次第であるということは十分理解しているし、そうすべきであるとも分かっているが、足を引っ張ろうとする自分もいる。どなたかにはっきりとさとして頂きたかったのかもしれない。
法話で教えて頂いた「積極的になれ。」「舞台を演じる役者になれ。」「光り輝く存在で生まれたのだから、光り輝く存在で戻らなければならない。」という言葉を指針に少しずつ気の持ちようを変えていきたい。都会から離れて、電波もとどかない山の中での生活は色々と我慢することが多く、普段の生活がどれだけ自由であるかを感じましたし、自分がどれだけガマンが出来ない頭になっているかも思い知らされました。新しい体験をもとめて、今回修行に参加しましたが、けっして楽しいことではありませんでした。自分がどう思うのか、どんなものがキライなのか、好きなのか、ガマンできるのかなど「自分自身」を少しだけでも考え、思うことが出来たように思います。また自分の思考や言葉が自分自身に影響される、運勢を悪くするなど自分自身の内心面を知ることが修行の一つなんだと感じました。
滝行や走ることや登ることなど体力的な面は自然の中で肌で感じることができリラックスすることができました。しかし繰り返していくうちに新鮮味がなくなり楽しめなくなることがあります。また終わりが分からないこともガマンがつづかない要因の一つだと感じました。あきやすく集中力がつづかない。気がちって眠くなってしまいます。
何の為に修行をしなければならないのか、色々なかんがえがあると思いました。二日の中ではあまりきびしく、時間にそって、細かくすることもありませんでした。いそぐ必要もありませんでした。
自分を本当に変えるには自分に合った方法が必要とのことでした。自分を知り、良くない習慣に気づく事、外と中へのアンテナを磨き受けとめることが出来るよう今後に生かしたいです。まずこの度は貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。日常生活の中では中々出来ないこと、触れることのできない環境に身を置くことができ、あっという間に時間が過ぎていきました。
今回この体験修行に申し込んだ理由は、自分自身を見つめ直し、自己成長につなげていきたいと思ったのがきっかけでした。挨拶などの作法からはじまり、お百度参り、滝行、写経、仏経、めい想、法話、般若心経を唱え続けると一通りの体験をさせて頂いた中でとくに印象に残っているのは滝行と法話の二点です。滝行では水(自然)と争うのではなく受け入れて一体となることで呼吸のしづらさから解放され、逆にパワーをもらえているような感覚になりました。法話では自分自身が物語の主役。より良い舞台で活躍していけるかは努力と知恵をセットで活用していく必要があるという言葉が心に響きました。私は親に甘えすぎていたり、学校に行かなかったことが原因で天光寺に来た。
ここに来てからは親と離れて過ごすようになり、ほとんどの事を自分や仲間と共にやっていくことが多くなった。
ここで過ごしてみて親の大切さやありがたさなどを多く知ることが出来ました。
天光寺に来てからは辛いことが多くあった。だがその分ここで学べたことや考えさせられることも多くあった。
例えば、滝行に行くまでの道や滝行の最中などは辛かったが車に帰った時の達成感は多くあった。
その他にも、ここに宿泊に来ていた方に辛い時は楽しいことが待っていると思うようにしているという話をしてもらい、辛い時を乗り越えていく方法を教えてもらいました。三日間過ごして、辛い時や仲間と協力して何かやる時、一人で過ごすとき、仲間と楽しく過ごしている時など様々な時を過ごしてきたが辛い時は逃げてしまうことがあった。他の方と話した時やこの寺で過ごしたことを通じてこれからは逃げずに立ち向かっていきたいと考えられるようになれた。残りの滞在日は辛い時でも逃げ出さずに立ち向かっていき、親に甘えていたころの自分を一から見直していき、ここで学んだ、自分で物事をする力や辛い時にも逃げ出さないで立ち向かっていく力、そして仲間の大切さなどを生かしていきながら過ごしていくことを大切にしていきたい。
そして最後は自立していて、自分の力で物事に立ち向かうことが出来るようになり、辛い時や学校などからも逃げずに立ち向かうことが出来るような自分になって親と会い、学校にもちゃんと登校出来るようになり、もうここに来ることがないように自立し、ここでの体験を生かして真面目に生きていくことが出来るように努力していきたい。修行体験、法話を通じ多くの気付きや学びを頂きました。法話の中で一番心に残っているのが「無意識はごみ箱である」のお話でした。我々が生きていくのに必要となる行動、活動の多くは無意識にて行っているものの、この無意識の中に悪い感情などを溜め込んでしまう。これが結果として体に悪い影響を及ぼす事を改めて認識させられた次第です。日々の社会人の生活の中、仕事をしているとプレッシャーやストレスを多く受け、それを溜め込んでいます。時間や仕事の成功に対するプレッシャー、日々の業務が想定通りに進まない事に対するイライラから来るストレス。これらを溜め込む事が身体に悪い影響を与えつつ、何もせず心をすり減らしていた事を感じています。だからこそ重要であるのが「人間力」であり「積極的な心」である事を理解致しました。「人間力」はやり遂げる力、成し遂げる力であると理解しました。困難に向き合った際、苦しいと感じた際、これくらいで良いかと妥協点を探そうとする。自分の生活の中での思考を思い返すと、そのような考え方がクセになっていると思います。「積極的な心」に対しては自らチャレンジする意識を極力持ち行動する事を心がけているものの、「人間力」が足りていない事を実感致しました。また「悟りとは如実に自分を知る事」とのお話を頂き、先ずは今の自分を知ることが一歩目となると考えております。我々は過去、現在、未来をつなぐ中で生きており、前世などを考えると「自分を知る」事はたやすいことではないと思っています。また、顕在意識や潜在意識、その先に続く大いなる意識体と理解することで悟りが見えてくるのだと思いますが、顕在意識のなかで見えている「自分」を認識する事、その後潜在意識の自分を知っていくことが次につながる事であると思います。
また体験修行においては所作から学ばせて頂き、日々の所作をいかに意識せず動作としてしか行っていなかったかを改めて気づかされました。日々の所作を意識していくことを心がけます。滝行においては自分の思考であるマイナスのイメージから入る事に気づかされました。水が冷たかったらどうしよう。上手くできなかったらどうしようなど。その後自然に対して反抗しようと体を強張らせるなど身を任せられていない事も実感しています。体験、勉強させて頂いた事を今後日々の生活の中で活かしてまいります。この度はありがとうございました。私が体験修行に参加した理由は、日常で感じているモヤモヤやあせり、イライラなどのネガティブな感情と向き合い、落ち着いた気持ちを取り戻すためでした。日々会社員として働いていると、周りの人がどう思っているかや「使えない人」と思われているのではないかと心配してしまい、自分の気持ちを内にかくすようになってしまいました。常にネガティブな心の中にいるようで苦しかったです。
今回体験修行に参加して自分の軸のようなものを少し取り戻した気がします。自分の中で一番効果があったと感じたのは滝行です。山に登るときは目的に向かってまだ終着点が見えずとも歩くことの大切さと、周りについていきながらも無理をせずに時々休みながら自分のペースを保つことの大切さを思い出しました。(道中の山の景色もきれいでいやされました。人生においても目的への道中を楽しみながら生きるのが必要)
滝行に関しては、見ているだけよりも何十倍も冷たく辛かったです。滝に入っている間はこごえてしまい、「ここから出たい」としか考えられませんでした。瞑想をしている時はたくさんの雑念が浮かんでしまったので、本当に心の中が“今”に集中できたのはかなり久しぶり(もしかしたら初めて)かもしれません。そのおかげで出来た後は頭の中がスッキリしました。モヤモヤも晴れた気持ちです。今回だけではまだ雑念が浮かんでしまうので、時々心を無に出来る時間を日常でもつくりたいと思っています。瞑想もしてみます。
ありがとうございました。以前より寺泊、宿坊体験には今日意味があったが、この度は天光寺さんにて体験できたことに感謝致します。
基本的な所作・作法から始まり、お百度参り、般若心経の経読、滝行、写経と修行致しました。今年私は30になりますが経読を除いては初めてであり、また一つ新しい世界を見ることが出来たと感じております。
私自身は“一応”仏教徒ではありますが、それを意識するのは定期法事や葬式、仏壇の前で手を合わせる瞬間くらいで限定的なのが正直なところです。今回の修行では自分が仏教徒であることを再認識できたように思います。
「百八の悩みが人間にはある」とよく言いますし今回もその話を聞きましたが、私も私生活では人間関係、仕事でも悩みを多くかかえております。20代では気にならなかったことが、30代になって一度露呈したように思いますが、人生行き詰ったときや上手くいかない時こそ今回のように静かに自分と対峙する
時間を持つことが大事だと学びましたし、これからはそのような時間を持つことを心がけたいと思いました。天光寺様、この度は年末のお忙しい中、貴重な経験をさせて頂きまして有難うございました。
私は2019年に今の会社に入社してから、様々な企業様やお客様との交流、そして国内外への数多くの旅行をする中で、学生時代では感じる事のなかった世の中の厳しさや理不尽さ、一方で面白さを沢山経験してまいりました。特に海外においては日本がいかにめぐまれた国であるかを痛感するとともに、厳しい環境でも明るく前向きに生きて仕事をする外国人のたくましさに感動することが多々ありました。そういった経験をするうちに、もっと自分が知らないことを知りたい、もっと今まで経験したことのないことに挑戦してみたいと思うようになり、今回人生で一度はやってみたかった“お寺の修行”に参加させて頂くことに致しました。実際に修行を体験させて頂いた素直な感想は”想像よりも厳しかった“というものでした。参加当初はある意味一つの人生経験としてしか考えておりませんでしたが、一つ一つの行いにきちんと意味があり、かつ自らを内省する貴重な機会でした。単純に”滝に打たれる“だけでなく、まずは自然と一体になり身をあずけ、そして厳しさの中で自らを省みることが人生を豊かにすることにつながっているのだと身にしみて感じる事が出来ました。また、今回体験させていただいた三礼、お百度参り、滝行、読経、写経、朝の清掃で共通するのは”繰り返し“の動作だと感じました。繰り返しの動作というのは一見決められた動きをただひたすら続けるだけにも見えますが、手を抜くか、努力をするかを決められる分、自分を試すことができる行為なのだと実感致しました。法話でもございましたが考える前にまずやってみる、そして心が折れそうになってもとりあえずやれるだけやってみる。そんな精神は今思えば小学校のころに当たり前のように教えられてきたことですが、大人になった今改めてその大切さ(まさに人間力)を思い出すことが出来ました。
改めて、この度はこのような貴重な経験をさせていただき誠にありがとうございました。
下山し、普段の生活に戻ってもこの2日間での気づきを忘れることなく肝に銘じ、そして周囲にも還元する努力をおこたることなく続けていきたいと思います。以前より寺泊、宿坊体験には今日意味があったが、この度は天光寺さんにて体験できたことに感謝致します。
基本的な所作・作法から始まり、お百度参り、般若心経の経読、滝行、写経と修行致しました。今年私は30になりますが経読を除いては初めてであり、また一つ新しい世界を見ることが出来たと感じております。
私自身は“一応”仏教徒ではありますが、それを意識するのは定期法事や葬式、仏壇の前で手を合わせる瞬間くらいで限定的なのが正直なところです。今回の修行では自分が仏教徒であることを再認識できたように思います。
「百八の悩みが人間にはある」とよく言いますし今回もその話を聞きましたが、私も私生活では人間関係、仕事でも悩みを多くかかえております。20代では気にならなかったことが、30代になって一度露呈したように思いますが、人生行き詰ったときや上手くいかない時こそ今回のように静かに自分と対峙する
時間を持つことが大事だと学びましたし、これからはそのような時間を持つことを心がけたいと思いました。
天光寺様、この度は年末のお忙しい中、貴重な経験をさせて頂きまして有難うございました。
私は2019年に今の会社に入社してから、様々な企業様やお客様との交流、そして国内外への数多くの旅行をする中で、学生時代では感じる事のなかった世の中の厳しさや理不尽さ、一方で面白さを沢山経験してまいりました。特に海外においては日本がいかにめぐまれた国であるかを痛感するとともに、厳しい環境でも明るく前向きに生きて仕事をする外国人のたくましさに感動することが多々ありました。そういった経験をするうちに、もっと自分が知らないことを知りたい、もっと今まで経験したことのないことに挑戦してみたいと思うようになり、今回人生で一度はやってみたかった“お寺の修行”に参加させて頂くことに致しました。実際に修行を体験させて頂いた素直な感想は”想像よりも厳しかった“というものでした。参加当初はある意味一つの人生経験としてしか考えておりませんでしたが、一つ一つの行いにきちんと意味があり、かつ自らを内省する貴重な機会でした。単純に”滝に打たれる“だけでなく、まずは自然と一体になり身をあずけ、そして厳しさの中で自らを省みることが人生を豊かにすることにつながっているのだと身にしみて感じる事が出来ました。また、今回体験させていただいた三礼、お百度参り、滝行、読経、写経、朝の清掃で共通するのは”繰り返し“の動作だと感じました。繰り返しの動作というのは一見決められた動きをただひたすら続けるだけにも見えますが、手を抜くか、努力をするかを決められる分、自分を試すことができる行為なのだと実感致しました。法話でもございましたが考える前にまずやってみる、そして心が折れそうになってもとりあえずやれるだけやってみる。そんな精神は今思えば小学校のころに当たり前のように教えられてきたことですが、大人になった今改めてその大切さ(まさに人間力)を思い出すことが出来ました。
改めて、この度はこのような貴重な経験をさせていただき誠にありがとうございました。
下山し、普段の生活に戻ってもこの2日間での気づきを忘れることなく肝に銘じ、そして周囲にも還元する努力をおこたることなく続けていきたいと思います。
今回は自分のメンタルを鍛える為に調べて修行に参加しました。
目標は「なるべくキツイ修行を乗りこえる」でした。また一人ではなく彼女と一緒に体験することも自分の中で一つの大きなポイントでもありました。楽しいことを共に経験することも良いですが辛いことを共に乗りこえた方が二人の絆が深まると考えたからです。滝行、三禮、お百度参りとすべて厳しいもので二度としたくはないですが、一生の思い出に残る経験が出来ました。また精進料理を食べてたり、都会から離れたことで普段の生活がいかに充実していたかを感じました。これからはどんな些細なことも幸せと感じ成長につなげていける人間になるのが目標です。人生は長い修行!!2泊3日の体験修行を通して感じた事は修行は、この3日間で終了ではないと言うことです。 多くの事を体験させていただきましたが全てをするうえで一番大切な事は、自分自身がどのように取り組むかが一番大切だと感じました。
特に実感したのは写経をした時です。初めは早くやろうという気持ちで行っていました。途中で見返した時に自分の字のきたなさに驚きました。一字一字丁寧に気持ちを込めて写経をしたら、その後の達成感、気持ちの良さは格別のものでした。物事を取り組むうで、どの様に取り組み、どの様に感じたいか、また、自分が出来る事を自分が出来る事を探し積極的に行動するか今後、日常生活を送るうえで気を付けて行動していきたいとおもいます。
また、テレビでの報道が有ったので修行にくるのが少し不安でしたが、報道で有った様な事は一切なく、3日間の体験修行を有意義に過ごすことができました。
この事は住職先生以下スタッフの皆様の指導のおかげです。
ありがとうございました。一泊二日という限られた時間ではありましたが、貴重な時間を過ごさせていただけました。同時に、ふだんの生活がいかに恵まれた環境であるかということも行をとおして体感することができました。
もともと、暗く内向的かつ人と話をするのが苦手でしたが、写経や滝行により、余計な事を考えず、何かに没入するという時間をすごせ、むき出しの自分の姿を垣間見ることができ、久しぶりに生き生きとした感覚を感じることができたと思います。
人生は、山あり谷ありと思いますので、またどこかで立ち止まったり落ち込んでしまうようなことがあった際には、改めて行に戻ってきたいと思います。
9月からの新しい仕事も、しっかりとこなせるよう頑張ります。本当に素晴らしい時間と機会をありがとうございました。二日間ありがとうございました。端的に感想を申し上げると「とても清々しい気持ちになることが出来た」という気持ちです。
日常生活では常に「何か」を考えたり、頭の中にあったりすることがほとんどです。そんな中、この二日間は目の前の事だけに真摯に向き合い、丁寧に対心する生活でした。今まで不要に使われていた自分の心や頭を浄化することができた二日間だったと思います。初めての体験ばかりで、新しい自分に出会うことができ、とても前向きな気分です。
また住込みの修行僧見習いの方にお声がけいただき、「感じやすい人かもしれない」と言っていただけたのはありがたかったです。自分は人よりも周りの感情や思考に影響されることが多い感覚があったのでとても納得できました。
積極的な心を持つこと、自分の心や頭をシンプルにすること、物事に丁寧に向き合うことこの三つを大事にしようと思います。
二日間、大変お忙しい中対応いただいたことを深く感謝します。修行僧見習いの方々、先生本当にありがとうございました。
滝行の辛さ、怖さと住職さんが実演してくださった“氣”がこの二日間で強く印象に残りました。ただ滝へ行き、水に打たれ、自然と一体になるのではなく、修行前に滝と山の神様への挨拶・感謝をすることや入水中に南無大師遍照金剛と唱えるのは空海の教えを授かろうとする意図があると教えて頂き、作法一つ一つの意味や神様を敬う姿勢など興味深く感じました。
入水前はおじけずいてしまい、おけの水を頭から浴びた時に呼吸が乱れてしまい、パニックに陥ってしまった時はどうなることかと思いました。入水中は痛い、苦しい、冷たいの感覚しかなく、それ以外何も考える余裕がなく、必死に南無大師遍照金剛と唱えていました。正直なところ、水に頭を打たれた時、頭痛に耐えきれずに前に逃げてしまい頑張り切れなかった部分があり後悔を少ししています。終了後には達成感と不思議な全身に走った温かみを感じましたが、もう少し逃げずに向き合っていたらまた違う感覚が得られたんだろうなと思うと同時にまた滝行に挑戦しようと決意しました。
住職さんが自ら“氣”を見せて下さった時は、失礼を承知の上で書きますが、全く信用出来ませんでした。といいますのも自分自身そういった類のものを目の前で見るのも初めてで、周りに霊感がある人もおらず、新しいものを受け入れることが出来なかったんだと思います。後に住込み修行僧の方々に、本当に身体が自分の意志とは関係なく動いたという話を聞き、見た事の無い世界を見せて頂いた気分で感動しました。
これはこの体験修行全体を通して感じた事でもあります。目にする仏像や写真の一つ一つ、それらに敬意を払う仏法や所作、それらを行っている方々とお話して、自分が今まで持っていなかった新しい世界の見方を学びました。仏教や宗教自体を身をもって体感するのが初めてな自分には今日聞いたお話全て丸のみにして信じきるのは抵抗がありますが、自分が見ている世界を見る別な視点、そして世の中の力全般(人間力、対人力など)をこれらを通して学ぶことが出来る一つの考えのようなものだと今の段階では解釈しています。自分が知らない世界、理解できない世界があると肌で感じられただけでも来て良かったと実感しています。
また一つ、この二日間を通して自分が受けた恩恵として、とても集中することが出来たということがあります。スマホから離れたというのも大きいかもしれませんが、写経や般若心経一時間唱えた時など時間があっという間に過ぎ、普段集中力が途切れ途切れになってしまう分、自分でびっくりしました。スマホ生活で失われていたものが少しだけ取り戻せたような気がします。集中できたことに加えて、心が浄化された感覚もこの滞在中にありました。自然に囲まれた静寂の中、瞑想や滝行をして心が軽くなった気がします。心が疲れた事もここへ来た理由の一つだったので、そういった意味でこの恩恵を受けられて良かったです。
住職さんが法話の中でおっしゃっていた自分が舞台と主役になれというお話から特に学ぶものがありました。舞台、役者になるために人脈の大切さ、人脈を得るためには他人への礼儀作法の大切さを説かれていましたが、自分にはまだしっかりとした礼儀や利他的な行動が出来ていないので住職さんのお話は自分への戒めとなりました。自分の事ばかりに目が向き、意識も内向的になりがちなのですが、自念障害のお話を聞いた際、やはり攻めないといけないなと感じました。
二日間はかなり短く、もっと居ればもっと得られるものもあるだろうという実感があるのでもう少し居たかったという思いもあります。貴重な体験をさせて頂き感謝しています。お世話になった方々に感謝しています。ありがとうございました。
今回の体験修行を通して一番の成果は普段の喧騒から離れ、色々な修行をする中で気持ちが落ち着けたことだと思います。
最近は仕事がうまくいってない事もあり、仕事をこなすことも苦痛であり、ただ慌ただしく一日が過ぎていくこともあり、こちらに来て修行体験をする事により、普段ドタバタしている時間にのんびりした時間を過ごせている事で自分の中の焦っていた時間の間隔が落ち着いてきたように思います。この天光寺の所在地が山や川に囲まれた自然の中にあることもあり、澄んだ空気も自分の中の気持ちを落ち着かせてくれており、良かったと思います。
今回の修行の中でお百度参りと滝行を行いましたが、滝行の方は滝に打たれてすぐに頭痛が全体を包み、続けることが出来なくなってしまいましたが、最初に川の水に入っただけでも冷たく引き締まる感じがしましたので再度挑戦してみたいと思いましたので、体調を整え、機会があれば完遂してみたいと思います。また、お百度参りは唱えて、走るという作業の繰り返しでしかないと思っていましたが、実際行ってみるとやり終わった際に疲れたという感想は当然ながらそれとは別の違った感情も沸き上がり不思議な気持ちでした。
また今回の修行において、これからも取り入れていきたいと思ったのが瞑想と写経・写仏です。写経・写仏は自分の性に合っている事もあると思いますが、黙々とそれに集中して作業を行う事で、他の余計な心配事や嫌な事を思い出す隙間がなくなり、気分が落ち込むことが無く、作業終了後も無心でやり遂げた感が大いに感じられたので、続けてみようと思いました。
また瞑想は、普段の忙しい生活の中で、自分自身の落ち着きを取り戻す上で、活用していきたいと思います。実際に行う事により不安や焦りといった物が少しでも和らいで、自分自身が落ち着けたと思いますので、失敗や焦りがある時などに瞑想を行っていき、落ち着きを持って生活していきたいと思います。
今回の体験修行を通して、自分自身が少し落ち着きを無くしていたのを実感できたし、瞑想などによる自分自身を落ち着かせる方法も知れ、とても有意義な体験であったと思います。
また最後に修行の感想とは少し違いますが、食事が想像していたよりもおいしく、食に苦労することなく生活が出来ました。ありがとうございました。今回、会社員として日々の生活を惰性で過ごしていると感じ、自分の内側から活力が湧き出てくることと、食生活においても不摂生から血液検査の数値が悪いので、自分を厳しく律することのきっかけとなることを希望して、体験修行に参加させていただきました。
基本的な挨拶の作法においては、初心に戻れた感があった事、一泊二日を通じて継続することの難しさと大切さの両面を学ばせていただきました。
お百度参りは、床の熱さで足の裏を軽くやけどをして水ぶくれが出来てしまいましたが、家族の健康を願いながらお祈りをしている間は、気にならないくらいに集中でき、終了した際にも達成感を得ることが出来ました。
滝行につきましては、前評判通りで、達成感、充実感、心身の悪い者を流し出してくださった感がありました。また、自分自身に活力を得ることを祈りましたが、まだそこまでの実感は得れてないと思っております。
滝行から戻ってからの般若心経を一時間唱えるのは、最初は心が折れそうになりましたが、進むにつれて心が軽くなっていく感じがあり、非常に有意義なお時間を頂いたと思いました。
瞑想も、呼吸法から教えて頂き、ストレスから解放される感覚がありましたので、今後の実生活においても、取り入れて、朝と晩に続けて行こうと思います。食事につきましても、精進料理という事で、味が薄いイメージを抱いておりましたが、とてもしっかりした味で美味しく頂くことができましたし、日ごろの生活からは想像が出来ない程、胃腸の状態が良くなった実感がございます。また携帯も見れない状態が強制的に作り出され、いかにいつも携帯を見ていたか思い知ることが出来ました。
お百度参りの草むしりもさせていただく機会を得て、自分自身を見つめ直す場となりました。今回出会った同じ修行の方々やお寺の皆さまの思いやりにも触れることが出来、普通の旅行では得られない時を過ごさせて頂き、感謝しております。
今回は誠にありがとうございました。今回の研修を終えて、改めて自分自身の人生の主役は私であり、そのためには物事に積極的に取り組む必要性を再認識しました。
今回、人生で初めて滝行や瞑想、お百度参り、写経を経験する中で、これまでの社会人人生や私生活を振り返り、数々の反省が頭の中を巡りました。また、食事の配膳や就寝の準備をする中で、チームワークの大切さや仲間の手助けを何度も受け、有難さを実感しました。特に滝行の際は、滝までの道中でも助けてもらい、冷たい滝に打たれている最中でも、声援を送ってもらい、くじけそうな気持ちを支えてくれました。またお百度参りでは、二人一組で走り、「南無大師遍照金剛」と唱えるのですが、独りで走っていたのでは、絶対に心が折れていたと思います。やはり、チームワークや仲間の存在がとても大きいと実感しました。
日常生活の中ですと、自身が未熟なため、感謝を忘れがちになり、「物事がスムーズに進んで当たり前」と思ってしまう傾向がある私ですが、感謝の気持ちを忘れないようにしようと思います。また、ご住職のお言葉にあった、「心と身体は一体であること」「利害と関係なく行動すること。利害で行動すれば怨念が生まれる」、「ここ一番という時に必ず結果を出すことを信じて行動し、自分自身を信じる強い気持ちを持つ人間になる」、「そのためには自分自身をコントロール出来る人間になることも必要」という言葉が強く印象に残りました。今後の人生に活かしていきたいと思います。
最後になりましたが、この二日間お世話になりました。天光寺の皆さま、研修を企画くださった統経部の皆さま、有難うございました。
今回初めて行に入らせて頂きました。不安もありましたが周りの方の優しいお声を頂き安心して過ごすことができました。作法、呼吸の仕方で心が落ち着き、今の自分に戻る時間を多く頂きました。
初めての写経でしたがこんなにも集中して書に一字一字に集中し雑念が払えている感覚もありました。
滝行では、想像を超える水の勢いと力に圧倒されました。終わった後の爽快感は何とも言えない清々しさと気持ち良さを体感しました。
法話にて積極的な行動、言葉、思考の持ち方を学び、これからの生活・生き方に加えていかねばと思いました。
最後まで成し遂げる
困難に立ち向かい
あきらめない気持ち
私は人生の主人公、負け犬にはなりたくありませんので、この経験を糧として明日も幸せに、健やかに生きていきます。
大変お世話になりありがとうございました。
体験修行をさせて頂き有難うございました。日々の生活、仕事のあり方など見直す良い機会となりました。特に挨拶は重要だと感じました。気持ちを込めて挨拶をしようと心掛けます。そして、何も分からなく、体験感覚で臨みましたが、感謝の気持ちを持つ事の重要さを感じました。他の修行者、先生の方々から色々と教え、励ましを頂き、感謝の気持ちを強くもつべきだと思います。この修行を生かし今後の人生を歩んでいきます。ありがとうございました。
私は先生の法話を見て思ったことが三つあります。
一つ目は、積極的に生きることの大切さ重要性を改めて再確認させて頂きました。無意識の中や自分自身の言動を思い返すと自分自身の消極的な発言や思考でもこれはだめだなと思って動けない場合がものすごく多かったです。積極的に生きるには消極的な言動や思考をしたらそれを無くして勝ってやるなどの積極的な思考や言動をしていけたらなと思いました。どんなに絶望的な状況でも、これは無理だと思わず積極的に努力と知恵を振り絞って、粘り強く生きていこうと思いました。
二つ目は、分かったふりをしてしまうことはだめで直していかなければいけないと再確認させて頂きました。普段の仕事で分からないのに分かった風に仕事をして失敗したりしていました。何でそんな事をしてしまったかと言うと分からないことがだめで人に聞くのが恥ずかしいと思っていたからです。
三つ目が、思考が人生を作ると聞いて、本当にその通りだなと思いました。思考を変えて行くには日々の行動やほんのささいな事でも気をつけていきたいと思いました。
日本にしか見られない仏教があることと、密教の力によって国を守る体制を築き上げることが出来る。それには、人生経験、又即身物の作法が必要であり、いつまでも光る存在に成り続けて行く構えであります。
こちらで修行させて頂くきっかけは、FX取引で客観的に気持ちに左右されず売買を行えるように精神を鍛える事でした。修行を重ねる行くうえで自分勝手な取引をしてしまったことを改めて感じさせられました。家庭を支える事が大事でそれを忘れて負けたことで頭に血がのぼり、さらに負けが重なり。。。
そんな自分をこの場に送り出してくれた家族にはとても感謝しています。この気持ちを忘れず、まずはFXの前に家族への感謝と恩返しをしていこうと思います。3月に退社した焦りもあったと思いますので、ゆっくりと家族を大切にした上でFXとは向き合って取り組んでいくことにします。
高尾先生はじめ皆様にはこの場を与えて下さり、本当にありがとうございました。積極的に生きる、これこそが今の自分に足りていない能力、行動である。積極的な行動こそが運や結果を呼び起こすものにも関わらず、消極的な言葉や弱音を吐いてしまい、それが言霊となり悪循環を起こす。自分はそのサイクルから脱却しなくてはならない。そのためには何は必要なのか、何から始めたらよいか。まずは自分をほめる事、今日の自分は自信を失い、何事もネガティブ思考に陥っている。しかし自分が学んできたことは少しからず身に付いている訳であり、まずその事を認識しなくてはならない。自分が学んだことは大したことがない、と考えることは顕尊であっても、心の底では自信を持って言えることが重要である。過去の努力を単に過去のものとするのではなく、そこで学んだものをもう一度思い返すことで自己の成長を改めて認識し、ほめる。その事で不要な悪循環を断ち切ることができるのではないかと考えます。この状況に陥っている原因は「自念傷害」であり、正に心が正常に機能していない。このビデオを見ることで自分が自念傷害にあることに気づかされ、心を強く持たなければならないことを自覚致しました。また無意識の中でマイナス思考に陥りやすいのも自念傷害が原因とも考えらます。もしネガティブな思考に陥った場合は、得てして過去を悔やむことがほとんどなので、未来を見つめて考え方を切り替えたいと思う。これからの自分を見つめ、努力と知恵を使って、今からでもオンリーワンになれるよう、舞台と役者をこなすことを目指し、前向きに生きていくことを決意致しました。
この文章を書いているまさに今、とても頭がすっきりしています。こちらへ来てから短い時間の出来事、経験が、今後の私にとっての大きな力になってくれるような気がしています。
~めい想~
とても好きな時間でした。正直眠くなってしまうのかと思っておりましたが、その逆で頭がすっきりとし、集中力が増したような不思議な気持ちになりました。先月まで勤めていた職場での約九年間のせわしない生活、逆に今の時間がありすぎてだらけてしまった生活、どちらも良くないと今になってわかります。バランスも取り、心にゆとりをもち、かつメリハリのある人生を送るためにも、めい想は今後も私生活に取り入れようと思います。
~写経~
自分の体(手)を使って仕事以外の何かに集中するのは、とても久しぶりでした。完成した時の心の満たされ具合は大変すばらしいものでした。こういう何かに追われず、焦らず、集中する何かを趣味にしたいと思います。
~お百度参り・滝行~
お百度参りはやっているうちに「無」になっていくイメージで、体も温かくなりました。滝行はとても寒かったです。やっている時は正直手も震え「無」にはなれなかったです。しかし、背中をつけ、腰をつけ、後半に行くにつれ、心地よくなっていき、上がったときには最高な気持ち良さを感じることができました。
他も早寝早起き、お掃除など、少したるんでいた自分にとても良い刺激になりました。この一泊二日での経験は、自分の見方、生き方、とにかく「自分」を考え直し、一歩二歩先に進むきっかけになってくれたように思えます。また天光寺の皆様と、合間合間たくさんお話をさせていただいた事も、大変私にとって貴重で心に残るひと時となりました。二日間本当にありがとうございました。また必ず、次は前向きな心でここに来ようと思います。
今までを振り返ると、消極的に生きていたように思える。実際、日々の中でたびたび「もうだめだ」や「もう無理だ」と言ってしまっていることが多い。しかし、滝行や瞑想をしている最中はそのようなことを思うことはなく、「負けてたまるか」や「弱い自分出ていけ」といった積極的なことを無意識に考えることができていた。これは積極的に生きることの大切さを体験を通して学ぶことができたと同時に、そういった人生を送るための最初の一歩をふみ出せたように思える。この歩みを続けていくためにも、積極的に生きることの大切さを忘れずに、消極的になりそうになった時も今回の体験や乗り越えられないことは神様は与えないという言葉を思い出し、人生の主人公になれるよう精進していく。
私が天光寺に来たきっかけは、大学受験に失敗して負け犬である自分から、自らの心と向き合って、本当に変わりたいと思ったからです。私は、この五泊六日の体験修行を通じて様々な経験お話をして自分が変わるきっかけを掴めたと思いました。
私が特に強く感じたのは邪気を払うことが日々の生活や結果につながってくるということです。私はここにくるまで、日々の生活を整えるだけで、幸運が巡ってくるとは到底思っていなかったです。しかし、体験修行で、毎朝の掃除時の換気、整理整頓、お徹底し、悪い物を吐き出すイメージで瞑想などから邪気を払い、悪運を寄せつけないようにすることが大事だとわかりました。そうした生活を続け、五日目に行われた二度目の滝行では、陽の光が滝を照らし虹がかかって神様が下りてこられたような神々しさの中で行をすることができました。滝の水の冷たさ、強さに苦しみながらも、自然の美しさを感じる事ができ、一生忘れられないような爽快感を得ました。また、生活習慣・食生活を整えることで、健康に過ごし、そしてどこまで自分はやり切れるかなどの自分の限界を知りました。特に天光寺では毎食、米・汁・サラダに加えて野菜中心のおかず四品が出されます。バランスが整えられながらもとてもおいしく頂き、お腹の通りも抜群に良くなりました。そして体験修行では、先生以外にも色々な事情を持って天光寺にこられた大人の方とお話をしました。自分が見習わなければいけない部分や勉強になる事、自分は恵まれた環境で育ててくれたんだなと気づく事など、本当に多くの事を学び、貴重な経験になりました。
最後に、結局、自分を変えるには、ガチで変えようと思わないとできないということも分かりました。体験修行での法話やパンフレットから「本当に変わりたいなら、自分自身を愛し、如実に心と向き合い、今までの自分を否定し、悪い習慣から脱却しなさい」と教わりました。それから私は、体験修行で作業をする中で、自らの心と向き合って、これまでの過去を振り返り、反省・感謝・懺悔をしながら、自分を知ろうと探りました。分からないことがあれば先生聞き、これから先の自分はどうあるべきかを考え、自分が変わるきっかけがつかめたと思います。この体験修行で得た経験・お話を通してこれからの自分のレベルアップにつながれば良いなと思います。
『天光寺に二日滞在して得られた事』
0.「行」の過程で変化する心の在り様について
初日、到着して間もなく所作の指導を受ける。なじみの薄い数珠や、頭の下げ方を主とする礼儀を学ぶ。昼食後はお百度参りから始まった。「南大師遍照金剛」を唱えながらの運動の行。その後は体験したことのない水温下での滝行。寺に戻ってからは呼吸と写経。これらすべての「行」が自分とっては初めての経験であり、すべてにおいてこれらの「行」を通じて何が得られるのか全くわからない中で、おもむろに「行」を始める必要があった。そこで自分の中に生じた心の変容は四つのステップに因数分解することができた。
1.「言われた通り」にやる
正座は痛い。言葉もわからない。コンクリートの上を走るのはしんどい。滝は冷たく、激しい痛みを伴い命の危機すらも感じる。一時間の般若心経の声出しでは意識が幾度となく遠のき、写経では手が動かなくなった。すべての「目的のわからない」行の第一印象は苦痛以外の何物でもなく、故に淡々と言われたことをこなすしかない。せめてもの救いは、すべては「唱える」という反復作業を主軸に成り立っていることだった。今何回やったのか、あとこれぐらいやれば〇〇回を達成できる。こういった小さな目標を立てやすいのは気を大いに紛らわせることができた。
2.「長く続けられるように」自分なりに適応する
小さなゴールだけでは気持ちを維持できない事に気付きはじめる。そこで今度は、辞めることができないことを受け入れ、長く続けられるように「行」の所作、心の持ち用で変えることにした。例えば滝行は、水の冷たさに耐えようとするのではなく、一度自分の体温が水温と同化するイメージにした。すると不思議と冷たさと痛みがスッと和らぎ「もう少し」長く居られるかもしれないという希望が見えてきた。般若心経では「発声」、写経では「筆の持ち方」、すべてに適応する呼吸法、すべてを自分なりに改善した。
3.心に余裕が生じ、自分と向き合う
行の反復に良い意味で意識を使わなくなると、自分の身体が拡張された感覚になり、自分の姿を第三者の目でフカンすることができるようになった。すると自分の中で溜まっているストレスや将来やるべき事への優先順位がついてくるような気がしてくる。圧倒されるような自然や、苦痛を前にした時、自分がこれまで抱えてきた困難が大したことのないものに思えてくる。この「行」の経験は天光寺でしか得られないものであったが、今後も日常的に意識して行ってみたいと思う。
誠にありがとうございました。
「自分が主人公」「腐っても耐え」といった言葉を聞き、今までの自分はどうだったろうと考えさせられました。
自分にあまりに自信が持てず、消極的な部分を良くはないとなんとなくは思っておりましたが、具体的にどうすることも出来ず過ごしておりました。
今回、そんな自分に何かきっかけのようなものが生まれればと修行体験をさせて頂きましたが、いい意味で常識だと思っていたこと、固定観念みたいなものが変わった気がします。
まず「あいさつの作法」や「光明真言」、「般若心経」、「三糧」などの作法を教えて頂き、正直なところ少し浮ついていた気持ちを引き締められました。続いて行われた「お百度参り」、「滝行」これらについては今回のメインとも思っていたので、知識としてはなんとなく知ったつもりでいました。
裸足でコンクリートの上を走ることについては、あまり不安もありませんでしたが「三禮」をした際に、足がつりそうになり、日ごろの運動不足を実感致しました。
滝行では当日はお天気も良く、暖かかったのもあったので、予想以上の冷たさと滝の勢いにおどろかされたのをよく覚えています。冷たいというより少し痛いといったほどの水、自分の唱える御宝号と打ちつける滝の音以外が一切聞こえず、わずか数分間だけのはずが、途方もなく長く感じられました。また途中座る際に、足がつりそうになってしまったので、日常からもう少し体を動かそうと決心しました。
滝に打たれている間は、冷たい水、滝の勢い、息苦しさなどとにかく苦しいという気持ちでいっぱいになりましたが、段々と一緒に参加された他の方々の御報法号が聞こえてきて、何か言葉には出来ない安心感のようなものを感じました。心のこもった応援や励ましというのは受けた側にとって、力になるものなのかなと思い、自分も他人に対して自然に応援できる人間になりたいと思います。お百度参り、滝行の後に般若心経の読経をさせて頂きましたが、一時間の長さと、読み続けることの苦しさを体感致しました。
普段、故人のお通夜や告別式、法事などでお坊さんのお経を聞いてはおりましたが、これほど難しいものだとは思っておらず実際に自分で読んでいると息が続かず、息継ぎもままならずで散々な形となりました。何度も何度も読んでいると、段々リズムのようなものがつかめてきたと思う時もありますが、通してつまらず唱える事は最後まで出来ませんでしたがところどころ上手く出来たかなと思うところもありました。
普段見つけたり、聞いているだけでは分からない物があることを身をもって知りました。そして、自分の中で日常に戻っても何とか練習したいと思った「写経」、筆を取るのはかれこれ二十年以上ぶりであることを差し引いても、あまり良くない出来だったので何とかしたい気持ちです。出来についてはさておき写経については二時間、その一点のみを考えて集中して過ごすことが出来ました。普段、この時ほど濃密な時間は無いので貴重な体験でした。
そして聞かせて頂きいた法話、最初に書いた言葉が心に残っています。今まで自分に自信が無い為、人と仕事上であっても声がかけられないといった事がたくさんありました。しかしこの法話を聞き気持ちがとても大事であるという事、また短い日数であまり深くできたとは言えませんが、自分で決断して、自分で動いて、自分の意志でこの二日体験し最後まで出来たことは自分自身にとって小さくても確かな自信になりました。この二日間で得たものを明日からの日常に活かせるかは分かりませんが、今までの視点とは少し変わった視点で仕事や生活を送っていけると思います。また迷った時は、もう一度こちらをたずねる事もあるかもしれませんが本当にありがとうございました。
自分が主人公」「腐っても鯛」といった言葉を聞き、今までの自分はどうだったろうと考えさせられました。
自分にあまりに自信が持てず、消極的な部分を良くはないとなんとなくは思っておりましたが、具体的にどうすることも出来ず過ごしておりました。
今回、そんな自分に何かきっかけのようなものが生まれればと修行体験をさせて頂きましたが、いい意味で常識だと思っていたこと、固定観念みたいなものが変わった気がします。
まず「あいさつの作法」や「光明真言」、「般若心経」、「三糧」などの作法を教えて頂き、正直なところ少し浮ついていた気持ちを引き締められました。続いて行われた「お百度参り」、「滝行」これらについては今回のメインとも思っていたので、知識としてはなんとなく言ったつもりでいました。
裸足でコンクリートの上を走ることについては、あまり不安もありませんでしたが「三禮」をした際に、足がつりそうになり、日ごろの運動不足を実感致しました。
滝行では当日はお天気も良く、暖かかったのもあったので、予想以上の冷たさと滝の勢いにおどろかされたのをよく覚えています。冷たいというより少し痛いといったほどの水、自分の唱える御報法号と打ちつける滝の音以外が一切聞こえず、わずか数分間だけのはずが、途方もなく長く感じられました。また途中座る際に、足がつりそうになってしまったので、日常からもう少し体を動かそうと決心しました。
滝に打たれている間は、冷たい水、滝の勢い、息苦しさなどとにかく苦しいという気持ちでいっぱいになりましたが、段々と一緒に参加された他の方々の御報法号が聞こえてきて、何か言葉には出来ない安心感のようなものを感じました。心のこもった応援や励ましというのは受けた側にとって、力になるものなのかなと思い、自分も他人に対して自然に応援できる人間になりたいと思います。お百度参り、滝行の後に般若心経の読経をさせて頂きましたが、一時間の長さと、読み続けることの苦しさを体感致しました。
普段、故人のお通夜や告別式、法事などでお坊さんのお経を聞いてはおりましたが、これほど難しいものだとは思っておらず実際に自分で読んでいると息が続かず、息継ぎもままならずで散々な形となりました。何度も何度も読んでいると、段々リズムのようなものがつかめてきたと思う時もありますが、通してつまらず唱える事は最後まで出来ませんでしたが
ところどころ上手く出来たかなと思うところもありました。
普段見つけたり、聞いているだけでは分からない物があることを身をもって知りました。そして、自分の中で日常に戻っても何とか練習したいと思った「写経」、筆を取るのはかれこれ二十年以上ぶりであることを差し引いても、あまり良くない出来だったので何とかしたい気持ちです。出来についてはさておき写経については二時間、その一点のみを考えて集中して過ごすことが出来ました。普段、この時ほど濃密な時間は無いので貴重な体験でした。
そして聞かせて頂きいた法話、最初に書いた言葉が心に残っています。今まで自分に自信が無い為、人と仕事上であっても声がかけられないといった事がたくさんありました。しかしこの法話を聞き気持ちがとても大事であるという事、また短い日数であまり深くできたとは言えませんが、自分で決断して、自分で動いて、自分の意志でこの二日体験し最後まで出来たことは自分自身にとって小さくても確かな自信になりました。この二日間で得たものを明日からの日常に活かせるかは分かりませんが、今までの視点とは少し変わった視点で仕事や生活を送っていけると思います。また迷った時は、もう一度こちらをたずねる事もあるかもしれませんが本当にありがとうございました。
初めての滝行に当日いっしょになった3人と体験致しました。
山に滝に感謝し身を清めて滝つぼに入ると水のつめたさが体に刺さる様なのですが、水圧の凄さに圧とうされました。
何秒入れたかは分かりませんが長さより自分に出来た事に喜びを感じました。
御宝号を唱えながらの全力でのお百度参りは真剣さが伝わりました。
写経は筆使いがわからず1枚目はダメでしたが2枚目は倍以上の時間をかけて筆先に神経を集中させてかきました。
日頃の生活の中にはこの様な時間はあまりありません、とても良い体験をしました。
本堂において般若心経、光明真言、十三仏真言、何十回となく唱えせてい頂きました。
日頃自分自身の悩みを少しでも無くすように頂いたパンフレットを何らかのきっかけにさせて頂きます。
天光寺の先生、その他皆様に感謝致します。
日常生活と異なる修行のおかげで、気持ちを改めることができたので、良い体験になりました。そして、中学生と一緒に生活することも新鮮でした。
滝行は、人生で2回目でしたが、しっかりと最後までやりきれ、終わった後は清々しい気分になりました。
瞑想は、普段からおこなっていますが、お寺での瞑想は集中でき、手汗がでるほど効果を実感できました。
また、住職のお話は大変興味深く、貴重な時間でした。宗教の話だけではなく、政治や世界情勢の話なども聞くことができて勉強になりました。もっとたくさんのお話を聞いて学びたいなと思いました。また、「氣」については、不思議な感覚があり、新たに興味を持ちました。
あっという間に感じた一泊二日の体験修行でしたが、有意義に感じたことは、今後の生活に取り入れていこうと思っています。
私はこの三日間人生の記憶に残るきつい体験をすることができました。ただ、この体験は一人では乗り切れないようなものが多かったです。励まし合うことでなんとか負けずにやれました。
先生からのお話では、私は特にあいさつの大切さに気付かされました。単純に普通に生活や仕事をしていて、ここまで真剣にあいさつをしたことはありませんでした。すべてはあいさつで決まるし、あいさつがチャンスを呼び込むということも納得しました。
また、負けないことという言葉はちょうど今の私の状態にぴったりな言葉でした。いつもポジティブな思考と行動をしていくことで前向きな人になれるし、自分を負のスパイラルへ向かわせることもなくなると感じました。
滝行では、自分と向き合うとても良い時間を過ごすことができました。生まれてから今までの覚えていることがあふれ出てきました。だけども一つとして良くない記憶が出てきませんでした。そのため、滝行終了後は、こんなに恵まれているんだと感謝することを心の中で考えていました。感謝することで、一つ一つの動きが気持ちのこもったものになるのではないかと感じました
自分自身を見つめ直すとても充実した三日間でした。ヨガや座禅も自分の生活に取り入れたりして、ストレスフリーな状態を維持しようと感じました。食事に関しても、普段好きなものを食べられていることに感謝せねばならないと感じました。しっかりと「いただきます」ということはとても大事なことです。
さて、ここで自分の普段を振り返ってみようと思います。私は普段ストレスに対して食べる事で解消してきました。しかし、その食事のとり方によって、血圧もまだ22歳なのに高くなりつつあります。ここでは普段と違うという時点でストレスではありますが、身体を動かしたり、声を出すことでストレスを解消できていました。運を動かすと書いて運動ですが、本当にその通りだと感じました。適度な運動は私にとってですが、大切なことであると思いました。
また、掃除に対しての意識が、変わりました。掃除をすることで、それが自分の心も綺麗にしているという点です。一つ一つの基本的な行動に対してこだわりを持ち、感謝した行動を実行していきます。
二日間の体験をとおして自分に心のゆとりのなさがあることが改めて分かりました。
滝行では、寒かったですが、やってみて体が引き締まる思いがしました。そして、自分の事が改めて小さい人間だと感じ、自分を見直していく良いきっかけになりました。
食事の時も、あいさつをするなど普段では意識しないような事も意識することが大事だと感じました。
お百度参りでは滝行の前にやりましたが寒い中でしたが身体も温まり滝行に行く前に集中できたと思いました。
三禮では、自分の体力のなさと集中力のなさを実感できました。ふらふらになりながらですが、できた時の充実感と達成感を感じて心が満たされた感じがしました。
全体を通してふだんできない体験ができたことを会社にも感謝したいです。
3月14、15日の二日間、天光寺にて研修させていただきました。
研修内容は、挨拶、滝行、発声の仕方等でした。最初にお寺に研修に行くと聞いた時は、どうなるのか心配で今日を迎えましたが、辛いこともたくさんありましたが、今後の人生にいかせることを学ばせていただきました。
滝行などは、たまにテレビで目にすることがありますが、全然余裕でできると思っていましたが、とても苦しくて奥までいけませんでした。
次回、もう一度来ることができたら、今回、できなかった色々なことにリベンジしたいと思います。
お寺の方々もとても親切に接していただきありあがとうございました。
体験修行に子供もきており、大人として立派にふるまわなければならないと思いました。これまでの自分を反省しました。食事の準備や片付け、朝の清掃など積極的に取り組みました。世界は自分一人ではなく、他人との生活を意識しながら生きていかなければなりません。
そのため、とても為になりました。滝行は自分の心を新鮮な気持ちにさせてくれました。滝行は、滝に登るまでの突起のある山肌や傾斜のある山を登ることにより、困難さを味わうことができ、滝を見た時の壮大さを味わうことができました。 これまで自分は人を裏切ってきました。まだ心の中の闇は晴れていませんが、いつか心が晴れたらまたここに来ようと思います。人の背負ってる因縁を理解し、人のために何かできる人を目指し、今後の人生を歩んでいきたいと思います。ゆっくりとした時間と厳しい修行で自分自身を見直す大変良い機会となりました。私は今年で社会人二年目となり、日々の忙殺された仕事にあとを追われ、あっという間に過ぎていく時間に少々病んでいました。その中でお百度参り、滝行、瞑想と心・体整う内容に感謝申し上げます。
また、朝・昼・晩の出して頂いた食事には正直感動しました。普段自炊をするものの、人様が出して頂いた食事は、やっぱり良いものだと実感しました。健康的な三食の食事、十分な睡眠をとる事で朝から活動的に生活できる事も改めてこの機会を通じて、実感することができました。
今回の体験、経験を基に今後、実行、実践していきたい事は二つあります。一つは、心に余裕がない時こそ、十分でも五分でも、呼吸を整える、瞑想を行っていくことです。考えすぎるな、自分を一度リセットする事で、自身をコントロールできるように今後とも訓練して参ります。二つ目は自分自身をしっかりと認める事です。「なら、ねば」の生き方では苦しい、自分自身を愛し、肯定し認める事で、より生きやすい自分を創っていきます。
短い時間ではありましたが、自分を律し、見つめ直し、振り返る事のできる機会となりました。重ねて感謝申し上げます。今後とも、体・心の面で迷いや悩みがありましたら、再びお世話になるかもしれません。その時は、どうぞ宜しくお願い致します。ありがとうございました。
就職が決まり、新たな出発を前に自分の惰性を直したいと参加してみました。いきなりの遅刻、皆さんを待たせてしまい、ごめんなさい。あれだけ親に「待たせる人間は話にならない。待つ人間でいろ。」と言われてきたのに、遅刻してしまったことがとても悔しいです。大切な場面で失敗が出ないように、心から反省します。滝行は、思った以上に滝の強さがあり、喝を受けた気がします。学生気分ではだめですね。少し舐めている自分がいるので、生まれ変わります。滝行やって良かったです。
精神統一のため、自己変容のために申し込みました。梅雨明けから一気にうだるような暑さの中、檜原村は天光寺に参りました。手消毒、検温、衣類に消毒と昨今のウイルスの影響はお寺にもきていました。今では当たり前でありがたい対策ではありますが。白い行衣に着替えて修行のスタートです。若い男性の指導でした。ひとつひとつの所作に落ち着きと何とも言えないエネルギーを感じました。お百度参りは若いころ野球部で走らされた青春の日々を思い出しました。考えてみれば、今年は球児にとっては辛い夏になりました。こんな所でおじいさんが弱音を吐いてはいけないと「南大師遍照金剛」を叫びました。突然のスコールが、恵の雨のように感じました。車に乗り込みいざ滝行です。滝場の水量から相当な圧を感じました。手を合わせて自分と向き合い、今までの人生とこれからの人生をほんの数分でしたが反省と期待の時間にあてられました。お寺に戻り、振り返りをします。「来て良かったです。」の一言。その場にいた全ての参加者と同じ気持ちを共有できたと思っています。精神統一できました。自己変容、わずかながらできました。60歳以上の方、もし不安な方がいらしたら励みになりますかね?自力歩行ができればなんとかなります。また修行に来ます。
テレビかユーチューブか忘れましたが、滝行に興味があり申し込みました。免許取り立ての親の車のため、遅刻をしてしまいすみません。4名が参加されていました。遅刻のダメ男の印象を払拭したいと、全てにおいて真剣に取り組みました。若い男性の指導でした。お経がまじないにように感じて新鮮でした。この日は大雨でした。お百度参りからずぶぬれでした。滝行は雨でも雪でも台風などの災害危険がなければやるということだったので、雪でもやる人ってすごいなぁと感じました。滝の水は、雨の影響があり増水しているようでした。冷たい、入るのに勇気がいりました。「精神を鍛えたい」と参加した滝行、滝に打たれ、しゃがみ、合図があるまで着水できました。途中で諦めなくて本当に良かったです。達成感というか、やりきった感というか、すっきりしました。天光寺での滝行、おすすめします。また滝行参加したいです。
企業に勤めています。人間関係と言いますか上司とそりが合わず悩んでいました。何かの本で読みましたが、自分の目の前で起きていることには原因があり、全て自分の責任と書いてありました。それは分かってはいますが、気持ちを何とかしたいと思い、滝行に参加しました。かっこいいことを並べましたが、同僚が滝行を体験してとても良かったと勧められたことが天光寺を知るきっかけです。結果、参加してとても有意義な時間を過ごせました。初めて唱えたお経、無宗教ではありますが、なんだか守られている気がしたのは気のせいではないと思います。腹式呼吸、今まで口呼吸だったことにも気づかされました。お百度参り、弘法大使様の前で感謝と心願ができました。そして、滝行。人生の荒波の渦中におりますが、こんな沢山の水に滝に打たれるなんてなかったです。ご利益を身体で感じました。自分の大きな悩みがふっきれて、小さくしぼみました。明日からまた違った自分で出勤できるような気がします。どうしてもそりが合わない人がいたとしても、自分の軸をしっかり持ち、色々なタイプの人がいるなぁ、この人はこういう人なのねぇと違いを受け入れれば、自分の気持ちが楽になるような気がした、そんな自分自身の攻略法が生まれた日でした。
私は、俗にいうニートでした。会社で侮辱された事がきっかけで、辞めてしまってからはずっと家にいます。パソコンに向かって1日が終わってしまいます。両親は高齢で特に私には何もいませんでした。
あるとき、珈琲が飲みたくて喫茶店に入りました、そこで隣のグループの話を聞いて私は、天光寺に行くきっかけになったのです。隣のグループはだいたい、30代後半の男性でしたが、同級生のようでした。
内容は、子供が11歳と3歳の子供がいて、がんでその友達が亡くなったそうなのです、亡くなる何日か前に会いに行った時には、やせ細ってしまい、泣きながら、まだ死にたくないよ!!!と言っていたそうです。もう一人の方の話もしていて、その方はどうやら、仕事もせずに親にお金をもらい遊んでいるそうです、どうして不公平なんだろうと話していました、まだ死にたくない、頑張って仕事がしたい、子供と遊びたい、これもあれもしたい!と思っている人が病気になって亡くなってしまったのに、仕事もしないで親に迷惑をかけて、遊んでいる奴は時間の無駄遣いをしている、いつか罰が当たるよなどの内容でした。
話を聞きながら、私自身もそうだ!!と思いながら聞いていましたが、ふと、自分のことを思い、なんだか恥ずかしくなり、店を出ました。帰ってから、私ももしかしたら、明日死んでしまうかもしれないと、考えた時、何かをやらなければいけないかもと思い始めました。仕事探しよりも、まずは、自分を変えたいと思いました。
天光寺の修行はきつかったです、今まで何もしないで、家にいたので歩いているだけで、息切れはするし、足は痛くなるしで、もう帰りたかったです。ただ、明日死んでしまうなら、このくらいは、という変な力が湧いてきて乗り切ることが出来ました。住職の話にも心が震えてここで人生やり直そう!!!と決意が出来ました。
仕事を初めて今は両親も大事にして、今日この日を大切に生きています。母は私が仕事をはじめてから、しばらく朝ごはんの時に泣いていました。うれし泣きです。今まですごく心配かけていたのだと思いました。
これも天光寺に行って、自分が変わることが出来たからだと感謝しています。また、時間を作って行きたいと思います。初心の心を忘れたくないので、宜しくお願いします。
うまくいかないことだらけで、自分や家族が心配で、身を清めにきました。大きな声をだしたら、なんとなく吹っ切れました。ホームページやインスタ、ブログである程度の情報はありましたので想像はできていました。しかし、実際に体験してみると想像以上の感動でした。その時の私は躍動感あふれていたと思います。身は清められたのでは?!とにかく、自分も家族もプラス思考で行こうと決めました。お世話になりました。
心身共に成長したくて、天光寺の滝行に申し込みました。当日は気温がそれほど高くなく、少し怖気付きましたが、他の参加者の方に励まされ入水できました。自分に甘い生活に喝を入れ、すこしづつ人間らしい生活ができるよう頑張ります。来て良かったです。
天光寺での滝行は、もう何回目になるか分かりません。すっかり滝行の魅力にはまり、節目節目で参ります。檜原村の景色、天光寺のエネルギー、滝行のプログラム、すべてが好きです。マイナスイオンまで頂戴できるので行かないという選択肢は私の中ではありません。決して、檜原村、天光寺のまわしものではないですが、この感動を誰かに知ってもらいたいです。滝行、スカッとしたい方におすすめです。
天光寺のインスタを見て、滝行にチャレンジしました。武蔵五日市駅からバスにゆられ、少し旅気分でした。山の中にお寺がありました。私は友人と参加しました。日々の生活で腹式呼吸を意識したことはありませんでした。お百度参り、比べるところではないですが、一緒に来た友人と切磋琢磨できました。そして臨んだ滝行、達成感のような、爽快感のような、とても気持ちがよかったです。一緒に来た友人と参加したことは大正解だったと納得しながら帰りました。お寺の皆さま、身体に気をつけてください。また来たいです。ありがとうございました。
退職を前に、天光寺で修行したいと思っていました。人生これからと、自分自身確かな意気込みを胸に道場破りではないですが、単身で申し込みました。挨拶、腹式呼吸、大きな声で弘法大師様の前でお百度参り、滝行そしてオプションで瞑想。特に今まで曲がったことはせず、まっとうに生きてきましたが、気持ちがリフレッシュし、浄化されたように感じました。瞑想では、今までの自分、これからの自分に向き合えたように感じます。文明の利器に頼るだけではなく、古典的な方法の素晴らしさ、身をもって修行を通して体験できました。ありがとうございました。
インスタの滝行がずっと気になっていました。滝行だけやりたくて申し込みましたが、心構えや作法、お百度参りをさせていただきました。私以外にその日は6人くらい参加されていました。ひとりひとりをしっかりみていただき、言いかたが思いつきませんが「やっつけ感がなく、寄り添ってくれた。」感じがして嬉しかったです。参加して後悔はなく、またお世話になりたいと思いました。
お寺での修行をしたく、首都圏で行けそうな場所を探していました。ネット検索してホームページを見て直観で決めました。
1人での参加は寂しいと思っていましたが、他の参加者の人も単独の人が多く、安心しました。
自分と向き合い、鍛錬を経て爽快と言いますか、とても良いリフレッシュになりました。また絶対来ます。
テレビでたまたま見た天光寺さんの体験修行に興味が沸き、友人と1日体験修行に申し込みました。基本的な作法、腹式呼吸など教えてもらいました。普段大きな声を出すことはほとんどなかったので爽快でした。昼食は住職の精進料理をごちそうになり、後片付けまでやるといった徹底したスタイル。普段は上げ膳据え膳の生活でしたので家族に感謝の気持ちが芽生えました。午後はお百度参り、滝行を体験しました。春と言えど檜原村の滝水は容赦なく冷たかったです。また必ず修行に来ます。ありがとうございました。
この三日間で成長したことがあります。最初の一つは人の気持ちを思いやることが出来るようになったことです。ここへ来る前は嘘をついたり悪さをしたりしていました。でもこのお寺に来て人の気持ちを知ることが出来るようになりました。人の気持ちを考えて行動することが大切だと思うようになりました。このお寺に来て人の気持ちが考えられるようになりました。二つ目は勇気が成長したと思いました。なぜならこの寺に来て最初に滝行をしました。正直怖い気持ちはありました。でも将来そこで逃げたらさらに逃げることになると思いました。だから勇気をもって滝行を何とかしました。でも滝行に入るときは出たり入ったりしていました。でも三日目にまた滝行に行きました。一回目のように出たり入ったりはしたくなかったのでどうすれば出たり入ったりしないようになるか考えていました。そしたら勇気を持つという事だと思いました。一回目は声を出さずに出たり入ったりしていましたが三日目滝行をした時に勇気を出して声を出しながら入ったら一回で滝行に入れるようになりました。何故なら勇気もあったし失敗したからどう行動すればいいのかを考えたからです。そしてこの寺に来て色々な場面で成長したなと思いました。この寺に来て特に成長できたことを家に帰っても忘れない様にして生活していきたいです。
適応障害で休職し、二週間後に復職します。
復職に際し、不安はあります。
ただ、このお寺にて、体験をさせていただいた今、不安はやわらいでいます。
心身とも健康になった後、滝行に再度、訪れたいと思います。
ありがとうございました。
今回の体験修行で特に自分が一番好きだったことは、写仏です。
仏様にも様々な形があり、つけているアクセサリーなどに注目して、写仏をしていました。
1日目の滝行では、初めて滝行を行ってみてとてもビックリしました。15秒くらいしか入れなかったけどとてもスッキリする感覚を感じました。3日目には2回目の滝行を行いました。2回目でようやく約1分入っていることができました。
1日目の夜に見た、先生が1時間半ほど話しているビデオでは、沢山のことを学びました。
1番印象に残っている言葉は、人脈は舞台と役者を作るという言葉です。他にも「空海」についての話などが面白かったです。学びになりました。朝起きる時間や夜寝る時間などいつもとは違いました。ここで、毎朝掃除をしたり、様々な手伝いをしたので、家で出来ることは家でやろうと思います。
仏様の種類など普段では見ることも聞くことも出来ない新しい事を知りました。
写経は合計で3枚やりました。1枚目と2枚目は写して書いたが3枚目はお手本を横にして書きました。写すときよりもっと難しくなりました。縦に上手く入らなかったり文字の大きさのバランスが難しかったです。写経も知らなかった単語です。いつもは知らなかった知識が新たに加わりました。
ご飯を食べる前に言う食前の言葉では、より食べ物に感謝の気持ちを持つ事が出来ました。
朝と夜に仏様に挨拶するなどは家では出来ないことだけど今回行ったことを忘れずにしようと思いました。掃除をした後に掃除機のフィルターをブラシで掃除した事や自分の使った皿を自分で片付けるなどは家でも出来るのでやろうと思いました。
夜本堂で次の日に来る、お客さんのファイルや行差を準備している時に自分の生活は裏で他の人に支えられて出来ているのだとよくわかりました。今回学んだ事を今後の生活に役立てようと思いました。
今回12月31日~1月1日にかけて、滝行をはじめ修行体験をさせていただきました。年越しということもありましたが、何かといろんなことをしていると時間もあっという間に過ぎ、気付けば年も変わってしまいました。はっきりとした目的で今回は修行体験を申し込んだ訳ではありませんでしたが、充実した年越しを過ごせました。
滝行では、一度秋の終わりに体験していましたが、水のつめたさが全然違い、打たれている間、「どのくらい経ったのか」「後どのくらい?」と思ってしまいました。終わってみて、「よくあのつめたい水に入れた」と思い、自分の中には何か踏み切れるものがあるんだと感じました。ただ、その踏み切る思い切りの部分がうまく普段の日常で活かせないのが新たな迷いであり、自分と向き合いたいところです。
そして、今回自分なりの予想外に感じたことは、護守木でした。護守木に願いを書く際に、何にするか考えましたが、自分の中に明確な願望がないように感じました。周りを見て、うらやんだりしても『自分はこうなりたい、こうしたい』がはっきりしていないので、そういうところはもう少し欲をもって明確にするよう意識していきたいと思いました。
今回は従来の修行体験だけではなく、貴重な年越し行事も体験(同席?)させていただき、一泊二日で大変お世話になり、ありがとうございました。
半日という短い時間でしたが普段疎かにしがちなことを改めて認識させられました。
今回私が申し込んだのは、半日体験修行で流れとしては写経または写沸をして、次に写経プラス4つぐらいの中から選べる内容でした。
12時30分に集合して13時には修行開始です。私は、写仏を選びました。
写仏とは、仏様の姿を書き写すものです。心静かに筆を運び、自分自身と向き合うことで心を浄化できるものだそうです。
一見難しそうに見えましたがなぞるだけだったので思っていたよりも簡単でした。ですが、やはり普段慣れていない筆で書くのでとても集中力を使いました。終わった後の疲労感は凄かったです。
次に4つほどのコースから選べるのですが、私は瞑想を選びました。
瞑想は、ゆったりと座り、深呼吸し、頭を下げながら息を吐くことを5回以上繰り返したあとに軽く目を閉じて姿勢を正し、10分程同じ姿勢でいると鼓動の音が聞こえてくるのでそれに、耳を澄まし意識を研ぎ澄ますと全身がリラックスし気のエネルギーが広がっていくのを感じるものだそうです。私は、瞑想というものを初めて体験するのでよくわからなかったのですがなんだかリラックスできているような感じがしました。
これなら家でもできそうなのでとてもいい体験だったと思いました。
半日なのであっという間に時間が過ぎていきとても充実した時間が過ごせましたが少し名残惜しい気持ちにもなりました。また、滝行などもやっているそうなのでまた機会があれば滝行を受けに来たいと思います。
今回の修業で心がとても休まりました。最近は少ない休みで働いていたので身心共に疲れ切っていたので良いリフレッシュになりました。
短い時間でしたがありがとうございました。
今回12月31日~1月1日にかけて、滝行をはじめ修行体験をさせていただきました。年越しということもありましたが、何かといろんなことをしていると時間もあっという間に過ぎ、気付けば年も変わってしまいました。はっきりとした目的で今回は修行体験を申し込んだ訳ではありませんでしたが、充実した年越しを過ごせました。
滝行では、一度秋の終わりに体験していましたが、水のつめたさが全然違い、打たれている間、「どのくらい経ったのか」「後どのくらい?」と思ってしまいました。終わってみて、「よくあのつめたい水に入れた」と思い、自分の中には何か踏み切れるものがあるんだと感じました。ただ、その踏み切る思い切りの部分がうまく普段の日常で活かせないのが新たな迷いであり、自分と向き合いたいところです。
そして、今回自分なりの予想外に感じたことは、護守木でした。護守木に願いを書く際に、何にするか考えましたが、自分の中に明確な願望がないように感じました。周りを見て、うらやんだりしても『自分はこうなりたい、こうしたい』がはっきりしていないので、そういうところはもう少し欲をもって明確にするよう意識していきたいと思いました。
今回は従来の修行体験だけではなく、貴重な年越し行事も体験(同席?)させていただき、一泊二日で大変お世話になり、ありがとうございました。私は今回写経と瞑想の体験修行を受けにこちらのお寺に来ました。
元々こういうのに興味があり近くで出来るところを探していた所こちらのお寺を発見しました。
流れとしては、昼間に受付を済ませ、13時ころには写経を行いました。
写経は、自宅で何度か行ったことがあるのですがそれとは全然違いました。同じ様にやっているはずなのに緊張感というかいつもよりも心が落ち着いて出来た気がします。
15時には、瞑想を行いました。まず初めに、静かな部屋で一人になり、ゆったりと座り、深呼吸を繰り返しました。次に、軽く目を閉じて姿勢をただしながら、10分位同じ姿勢でいると鼓動の音が聴こえてきてそれに耳を澄ませていると、全身の筋肉がリラックスし気のエネルギーが広がっていくような感じがしました。
私がなにより驚いたのが瞑想というとどうしても心から雑念を除くことだと考えがちですが初心者は雑念がどうしても出てきてしまうらしくそれを客観的に眺めるのも瞑想の一種だという事です。
瞑想が終わった後は、解散です。
私は、解散した後何とも言えない気持ちになっていました。住職さんのお話によると心の鎧を脱ぎ生きる喜びを感じていると仰っていました。これは、社会的に活躍している人ほど、現代社会のエゴの目的を追求する文化に染まっており、目に見えない「心の鎧(ストレス)」何着もまとっています。これを、肩の力を抜いて魂を癒すことで、人生の生きる喜びを感じられるというものです。
一泊二日という限られた期間ではありましたが、優しく接して頂き有難うございました。
また、多くの事を教えていただきました。当初の目的は、規則正しい生活を送れるようにするという目的だったのですが、それ以上に成果がありました。まず、挨拶の大切さ。普段、意識が足りていない挨拶等の礼儀作法を改めて学ぶことでいつもより自信が付いたような気がします。
もう一つ目的がありそれは、滝行です。
なぜかというと以前に知り合いがこちらのお寺で滝行を受けてとても良かったと言っていたのでそれは、どのようなものなのか気になっていました。その、知り合いは中々褒める事がなくここまで褒めていたのは初めてみたので驚きました。
修行は、滝行だけではなく他にも、挨拶の礼儀作法・写経がありました。
滝行だけだと思っていたので驚きましたが、どれもとてもいい修行でした。
最初に言ったように挨拶では礼儀作法を改めて学ぶことができたし、写経では心を落ち着かせて取り組むことが出来集中力が上がったような気がしたのでとても良かったです。
さて、お目当ての滝行ですが結論から言うと最高でした。
入る前は、温泉にある打たせ湯ぐらいの勢いかなと思っていたのですが、そんなことはありませんでした。息をするので精一杯なほどの勢い。まさに、滝という感じでした。
終わった後は、耳が聞こえにくく体も冷えて感覚が鈍くなっていましたが、なんだか清々しい気持ちでした。
修行が終わって、生活リズムは戻っていませんが前よりも気持ちよく毎日を過ごせるようになりました。ありがとうございました。
もうかれこれ10年間引きこもっていました。新卒で入った会社で上司とうまくいかず経った三カ月でせっかく入った会社を辞めてしまいました。無駄に自信のあった私はすぐ仕事なんて見つかると高を括っており、そんな自信はすぐにへし折られました。
数社受けても書類選考で落とされる連続で、当時の私はなんで?と疑問でしたがたった三カ月で会社を辞めた根性無しを採用する会社なんて早々無いと今は思いますが、当時の私は性懲りもなく選り好みし、いつしかこんな自分を認めてくれない社会が悪いと思い現実逃避をするようになり、就職活動も半年でやめてゲーム三昧の毎日を送るようになりました。
最初のうちは外に出る事もありましたが、田舎のため昼間外に出歩くと近所の目が気になり、だんだん外に出ることも無く用事があれば母を使うようになりました。(その用事もたいした用事でも無いと今では思うのですが…)
定年を迎えた両親からお寺に修業に行かないか、と打診され三十代後半になりもうこれを逃したら立ち直るチャンスはないと決心をしました。
修行に来て最初は、引きこもって体を使ってこなかったので体力もなく辛いことばかりで毎日「帰りたい。来るんじゃなかった。」と思っていました。人とコミュニケーションを取ることもしてこなかったので、天光寺のスタッフの方や一緒に修業をする仲間の目を見て話すことが出来ませんでしたが、一ヶ月もするとここでの生活にも慣れ、毎朝鏡で見る自分の顔もはつらつとしてきた実感がありました。
一ヶ月天光寺で過ごし、挨拶の大切さ、健康的な食事、身の周りの生活には誰かの手がかかっていること、それらに感謝を忘れないことを学び、積極的に生きることへのエネルギーをいただきました。
迷い、燻ぶった時にはここで過ごした生活を思い出し、自分の自信とし、無駄にした時間を取り戻すように積極的に生きていこうと思います。有難うございました。
「滝行してみたいなぁ」というとても安直な動機で、この一泊二日の体験修行にやってきました。仏教に関する知識も信心もあまり持ち合わせていない僕でしたが、自分の当初の期待をはるかにしのぐ、有意義で充実した時間を過ごさせていただきました。
ここ天光寺での生活は、普段、ネオンと看板広告にまみれた「俗」の世界で悦に浸りながら無為に日々を送っている僕にとって、発見と自省の連続でした。
まずは「挨拶」。普段の生活の中で、地面に額をつけるというのはもちろん(僕は学生の身ですので)そうあることではありません。それは僕らにとっては「屈辱」の象徴となっています。(そう、きっとあのドラマの影響でしょう)
僕もはじめは、抵抗感と気恥ずかしさを感じていました。しかし何度かやっていくうちに、とても晴れがましい気持ちになっている自分に気がつきました。これが帰依の喜びというやつでしょうか。いや、それよりも「謝罪」の意での土下座はとても屈辱的なものであるけれど、それが「感謝」を伝えるものである場合は、とても気持ちが良いものになるのだと思います。これはとても新しい発見でした。
次に「食事」。天光寺での食事は精進料理ということもあり、とても質素なものでした。
正直、普段の自分なら「味気ない」と一蹴してしまったことでしょう。しかし、ここでの食味ほど有難く、そして身に滋養が染み入っていくような感覚を覚えたものは初めてでした。
長時間の読経、座禅、瞑想・・・(これらの修行は軟弱な精神しかもち合わせていない僕にはとてもこたえました)によって疲弊ながらも研ぎ澄まされていった心身が、僕にその感覚を教えてくれたのだと思います。
最後にこの場で出会った子供たちに、僕はとても感銘を受けました。自分よりも一回りも二回りも年齢が下の子ども達でありながら、とても立派に、そして実直に修行に打ち込む姿に接し、自省の念を覚えました。
「自分はこのようにひたむきに日々を送っているのか」、「困難なことにめげずに立ち向かっているのか」 恥ずかしながら「否」という答しかさしだせない自問の連続でした。自分も、素直さと感謝を忘れずに、ここの子供たちに恥ずかしくないような日々を送っていこうと思いました。安直ですが、本当にそう思います。
とても貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。
こちらで一泊の体験をさせていただいて、正直、他の方達とうまくやっていけるのか不安でした。でも色々話していくうちに修行の目的など話して頂いたり、様々な事を教えて頂きました。本当に色々な背景があって修行来られているのだと感じました。
そして、東京とは思えないほどの森の中で、天気が良く、とても気持ちの良い空気でした。
まず大きく分けて一つ目のスケジュールにて、滝行を行いました。冷たすぎて入れなかったらどうしようと思ったり、最後までやりきれるか不安でした。でも、他にも滝行に来ていた方もいて、気持ちの面などで助け合い、なんとか最後までできました。
滝に打たれている途中、精神的に強くなった気がして何か良い「気」をもらった感覚がありました。あと、滝行の前に御百度参りをさせて頂きました。決められた距離を往復して空海様にお願い事をさせて頂きました。
良い空気の中、お腹からしっかり声を出すのはとても気持ち良かったです。
その後に、瞑想をさせて頂きました。思ったより上手くできず、足が痛かったり眠ってしまいそうになり、何度も訓練が必要だと、感じました。今後は日常生活で取り入れて習慣にしたいと思います。
物事に対して色々な作法があり、全てに意味があるのだと身を持って体験させて頂きました。「見えない物」の力の強さは計り知れないと思いました。先生や修行に来られている方々には本当にお世話になりました。
今後は、この経験を活かし、メンタル強化のきっかけになればと思います。また機会があれば連泊もしたいと思います。
一泊二日で体験修行をしました。都内在住二十代後半の会社員です。テレビやネットで滝行に興味を持ったのがこちらでお世話になるきっかけでした。テレビやネット経由で興味を持った程度ですので、体験修行を体験すること自体を目的としていました。私が行った体験修行は、お百度参り、滝行、写経、写仏、読経、瞑想、寺内掃除、仏壇のお水交換、法話です。同時期に一泊二日で申し込まれた方がいなかったため、濃密な体験修行をすることができました。私はこちらで修行とは何かを考える機会に恵まれたこともあり、二日間で断面的な知識を習得し、今後、可能な範囲で体系的、建設的に学び直し、知識を深めることで日常の中で知を実践し、徳を積みたいと考えるようになりました。半日修行もよいですが、お時間が許す方には一泊二日の体験修行を強くおすすめいたします。
三日。僕は今までにも何度か二泊三日の合宿をやったことがあったので、わりと楽な方ではないかと思っていました。なのでまさか1日目で疲れはてるなんでそうぞうもしていなかったです。
1日目、朝は少し早めに起き、支度の確認をしていた時、どんなことをやるのか?またどんな感じでやるのか?などとたくさん疑問に思っていました。しかし、まず第1に、お寺までが案外遠いです。僕の場合中央線などを使うと、結構はやい方だと思ったのですが、特にバスが長かったです。お寺に着いて、母が帰った後、早速挨拶の仕方から始まりました。
僕は結構年上の方と話すときの言葉遣いも直したいと所だったのでがんばって練習しました。また仏教についても色々教わりました。祖母の家では仏教を信仰していたので知っている事もあり、また新たな知識も増えたので面白かったです。
滝行は、1日目はおどろきました。まず水の冷たさです。頭からかぶった時、少しパニックになったような感じでおどろきました。そして入って行ったとき、その水に流れの速さにも驚きました。
二日目の前日の夜から話をしていました。それは、二日目は滝に入るかどうか。正直滝は怖く、入りたく無かったです。お坊さんには、「結果的に一日目はできたのだから、二日目もできる」と言ってくれました。でも二日目の朝まではなかなかやる気にならなかったです。しかし、一階の奥の部屋にある仏様の水を変えた後、僕は一つに決まり、朝ごはんの時に決めました。もし滝に入るときに後ろの岩までいけたら三日目は入らない。そうしたら二日目にやろうと言うモチベーションになり、わりと楽にやることができました。ここから学んだ事は、目標を立てれば物事を最後までやることです。
また別に滝は目標を立てたから楽に出来た問ことは良いことだと思います。ヤな事をめんどくさがらずやることも大切だと思いました。
三日目は午前中がかなりハードでした。社会人はもうすでに自立して生活しているという実感が初めて湧きました。一緒に行動した社会人8人は僕より背の高さがあまり変わらないので、最初は高校生くらいだと思いました。なので、社会に出て働いていると聞いたときは、驚きました。
そんな人と一緒に色々な体験できたので良い経験になりました。どんなにめんどくさい事があってもどんなに辛い事があっても、この体験を活かして頑張りたいです。
法話のお話の中で、私は密教の歴史と考え方についての2つのお話が印象に特に残りました。
1つ目の密教の歴史について印象的だったのは、私は高幡不動尊や京都の東寺などの密教の寺によく足を運ぶ機会が多くありながら、密教についてあまり知らないことが多く、今回のお話で今までの記憶が一つの線になったからです。密教はインドで廃れそうになった仏教が勢力をどうにか失わないようにと考え出された仏教の一つだと知って、現在の力が弱くなっている日本の仏教にも役立つ点が沢山あるだろうと思われます。この点において私は密教の抱えて来た背景が感じられ、お釈迦様がお広めになった原始的な仏教よりも広い範囲の人を救済しようという考え思想があるのではないかと推測されます。
2つ目に、私は考え方についてのお話を聞いて、もっとポジティブな方向に考えていった方がよいなと思いました。私は最近就職について企業から採用してもらうのは難しく、多くの企業からお声がかかって二次面接に行ったり内定を頂くことは難しいだろうと思っていました。けれども、そのような考えは自分の好いチャンスを逃してしまう可能性があり、自分の人生を自分で台無しにしているのではないかと思いました。自分の縁を広げるためにも、人生に対してもっと積極的に考えていった方がよいと感じました。
これからは、積極的にポジティブに考えて自分の人生や身内の繁栄や日本の人々の幸福のために自分の人生を自分のために使っていきたいと思います。
私は学生時代の頃ギャンブルで作った借金100万を両親に肩代わりしてもらい、今は妻や小さな子どもがいるにも関わらず、また同じくギャンブルで300万借金を作ってしまいました。
守るべき家庭があるにも関わらず、ついギャンブルしてしまう意志の弱い自分と決別する為に、今回こちらで修行をすることを決めました。
携帯を預けなければいけなく、すぐスマホをいじってしまう自分にはきつかったですが、これもスマホ依存症だ、と何かに依存してばかりの自分に凄く呆れました。
修行はどれも精神的にも体力的にもきつく、本当に自分は甘ったれた人間だと思いましたが、ここで投げ出しては何も変わらない、と自分を奮い立たせました。
一泊二日と短い時間でしたが、これまでの自分を振り返り、これからの自分がどうあるべきかをえるきっかけになり、有意義な時間を過ごせました。
これからは支えてくれる家族を裏切るような真似をせず、まっとうな人間になります。
初めに滝行体験等 1泊2日間大変お世話になりました。
友人から紹介され1人で参加致しました。
今年の6月から自営業として仕事を始めさせて頂き、自分との向き合い方や、自分自身をより深く知り多くの人を扱える人間へと成りたいと思い参加しました。
常に冷静に易しく指導して頂き、易しくして頂いた恩を仕事に戻りクライアント様、従業員含め多くの人に見返りの求めない愛情を注ぎ自分も会社もこれまで以上に精進していきます。
夢や目標を言葉にし、前向きな人生を送れるように致します。
今回は、一泊二日で体験修行をさせていただきました。
貴重な経験ばかりで、本当に来てよかったと思いました。
天光寺の皆様、お世話になり、ありがとうございました。
私は、今回の体験修行で、滝行と写経を楽しみにしていました。
滝行は、台風が去った次の日ということもあり、通常よりも水量が多かったようです。しかし、初めての私にとっては、水の量が多かろうが少なかろうがあまりよくわからないので、やるしかないと思い、夢中で経を唱えながら滝行をしました。皆さんの応援のおかげもあり、無事にやりとげることができました。入水までは不安や恐怖がありましたが、入水してみると、だんだん楽しくなり、すがすがしい気持ちで終えることができました。
自然の中に身を投じることで、身心共にリフレッシュでき、すっきりとした気持ちになれたのは、すごくよかったです。
私は、字を書くことが好きで、また習字をしたいと思っていたので、今回写経ができたことは嬉しかったです。いろいろな体験をさせていただきましたが、なかでも写経が最も集中して取り組めたと感じています。また、やってみたいと思います。
他にも、あいさつやそうじなど、日常生活でも活かせるようなことや、気持ちの持ち方など、本当にたくさんのことを学ばせていただきました。苦しくても諦めずやりとげる、そして前向きな気持ちで生きていく、感謝の気持ちを忘れない、今まではわかっていたようでわかっていなかったというか、甘かったなと感じました。今日からは改めて、新たな気持ちで生きていきます。
本当にありがとうございました。
こちらで一泊の体験をさせていただいて、正直、他の方達とうまくやっていけるのか不安でした。でも色々話していくうちに修行の目的など話して頂いたり、様々な事を教えて頂きました。本当に色々な背景があって修行来られているのだと感じました。
そして、東京とは思えないほどの森の中で、天気が良く、とても気持ちの良い空気でした。
まず大きく分けて一つ目のスケジュールにて、滝行を行いました。冷たすぎて入れなかったらどうしようと思ったり、最後までやりきれるか不安でした。でも、他にも滝行に来ていた方もいて、気持ちの面などで助け合い、なんとか最後までできました。
滝に打たれている途中、精神的に強くなった気がして何か良い「気」をもらった感覚がありました。あと、滝行の前に御百度参りをさせて頂きました。決められた距離を往復して空海様にお願い事をさせて頂きました。
良い空気の中、お腹からしっかり声を出すのはとても気持ち良かったです。
その後に、瞑想をさせて頂きました。思ったより上手くできず、足が痛かったり眠ってしまいそうになり、何度も訓練が必要だと、感じました。今後は日常生活で取り入れて習慣にしたいと思います。
物事に対して色々な作法があり、全てに意味があるのだと身を持って体験させて頂きました。「見えない物」の力の強さは計り知れないと思いました。先生や修行に来られている方々には本当にお世話になりました。
今後は、この経験を活かし、メンタル強化のきっかけになればと思います。また機会があれば連泊もしたいと思います。
今回は、会社の社内報に滝行の体験談を掲載する目的で伺った。
滝行を経験するだけとの想像とは異なり数珠の持ち方や、空海上人のお話、合掌方法からお百度参りなど、多くの事を学び体験できたのは非常に有意義だった。特にお百度参りは日々の足腰の鍛錬なくしては絶対に出来ないものと感じ、毎日の積み重ねの重要性を改めて痛感した。
滝行は最初あまり水量も多くなく、水温も左程低くは感じられなかったので「楽勝かな?」と思いきや、打たれ始めた直後は非常に水温が低く、水勢もあり耐えられるか不安を覚えた。ただ「南無遍照金剛」と唱える自身の声で徐々に余裕が出てきてあぐらをかいた辺りからは滝の“気”が体内に浸透してきて心地よさすら感じ始めた。周囲の音が聴こえると同時に気持ちはどんどん落ち着いた。一方、丹田の周囲は暖かさすら覚えてきたのは不思議な感覚であった。終わる時にはもっと滝行を続けていたいと切に想った。着替えの際には清々しい気持ちと肌がピカピカになった感覚が非常に印象的であった。
機会があればまた天光寺に来て、もう少し長い時間お百度参りと滝行をしたい。有難うございました。
三泊四日させて頂きました。
仕事で疲れており、今までの日常生活は甘ったれた人生を送ってきた為、精神鍛錬が必要だと思い修行体験が出来るお寺を探しました。
天光寺さんでは滝行も行う事が出来るということで、HPを見てすぐに体験を申し込みました。
都心を離れ自然の多い山の中にある天光寺さんでの修行体験は自分が求めていた以上のものでした。
天光寺さんに到着してすぐに発声練習が始まり、担当してくださった方のエネルギーのこもった声の大きさに圧倒され、三泊四日に修行に耐えることが出来るか心配になりました。
しかし発声の仕方を習いお腹から声を出すようにすると、人見知りの自分とは思えないような大きな力のこもった声が出るようになり、お腹から全身にかけて熱くなり運動をした時のような汗が出てきました。それと同時にそれまで個々の中で考え込んでいた様々な事が薄れていくのを感じ、多くのストレスから解放された気がしました。
発声練習は四日間とも行い、回数を重ねるごとに力強い声が出せるようになり、また活きた声はこのようにして出すのかという事を学びました。その声の出し方を基に読経に取り組み四日間で昼夜共に多くの時間を作って頂きました。お経を読んだ事の無い私は、お経のテンポやどのように読めば上手く読めるのか中々掴む事が出来ませんでしたが、姿勢と読み方のコツを習い、光明真言を覚える事が出来ました。読経を続けていると段々と余計な事を考える事が出来なくなっていき、読経後は頭がクリアになる為自宅でも時間を作り読経を続けていこうと思います。
天光寺で何より驚いたのは先生の存在です。初めてお会いした際にお話を伺っていると、室内のロウソクが強くなったり大きくなったりしているのを感じました。その後ヒーリングの見学をさせて頂いた際にはどんどん部屋の温度というより空気が熱くなっていくのを感じ、終了した後からは段々と涼しい空気が流れていくのを体感しました。
普段霊感などは全く感じませんが、その空気変化ははっきりと感じる事が出来ました。
先生が何度かお話しくださった手当の話にとても感銘を受け、看護師という職業柄手当という言葉をもっと考えなければならないと思いました。自分が治りたいという意志を持つ事と、相手を本当に治してあげたいと思う心を持って気を送る事が手当てをする上で最も重要である事を改めて学びました。その手当についても実際に私に向けて行ってくださり、腓腹の一部に気を込めながら一押しされると左足から脳、そして右足へと急に温かくなり、そこから半日ほど背中全体から熱を放出している感じがしました。その日は右腰に痛みを感じていましたが、一押しされてから少し経つと腰痛が無くなっていました。
また夜もいつもより寝つきがよく、深い眠りについている事を感じ、朝は起床時間よりも一時間以上前に鳥のさえずりで目を覚ます事ができ、天光寺の外の川辺に座り、新鮮な空気を朝から堪能する事が出来ました。
楽しみと不安が入り混じった滝行も滝行も水に初めて浸かった時は全身の血液が冷たくなっていくのを感じ、最後まで行う事は無理かもしれないと思いましたが、「自分は今修行しているのだ」と言い聞かせ、少し経つとお腹から身体全体にかけて暖かくなっていくのを感ました。滝行の仲間が外から応援してくれていた事もあり、最後までやり抜く事が出来ました。
水から出るといつもより空が広く感じ、自分の視界が広くなったような感覚になりました。きっと心の疲れも滝行で流されたのだと思います。
三泊四日の業を続ける事が出来た一番の要因は、とにかくご飯が美味しかった事でした。精進料理というと味が薄く、決して美味しい物ではないという思いでした。しかし、天光寺では先生自ら調理場に立ち料理を作ってくださり、その味は本当に全部買って帰りたいと思えるばかりのものでした。それもそのはず、先生自ら厳選した材料を使い、出汁やドレッシングに至るまで全て手作りだからです。本当に出汁だけでうどんを食べたいと思えるものでした。これからも先生の言う病気には美味しいご飯が一番といった事を体験していると思います。都会に住み普段はジャンクフード等で過ごしている人達にも是非食べてもらいたいと思いました。
四日間を通じて心身共に回復する事が出来ました。定期的に心と身体のメンテナンスの為に天光寺さんを訪ねたいと思います。
最後に先生をはじめ、職員の皆様方、四日間のご指導本当に有難うございました。
この貴重な経験を今後の人生に活かしていきたいと思います。
僕が沖縄から体験修行に来て、約1週間が経過しました。6月に天光寺にやって来たのですが、まず初めに感じたことは環境の違いに大きなカルチャーショックを受けました。お寺ではなくても都心の街並みなど人の多さに圧倒されました。東京には来たことはありますが約15年ぶりでしたので、戸惑いと新鮮な気持ちでした。
初日は午後3時頃に天光寺に到着し、すぐに修行が始まりましたが、スタッフの方が親切に施設を案内してくれて助かりました。しかし、やはり、施設の中の仏様の仏像や絵画など展示されているのを見ると、普段の生活とは全く違う光景で正直、この先2ヶ月間やっていけるんだろうかという気持ちになりました。
そんな中、1番最初の修行が写経でした。写経自体は、経験ありましたが、お寺の中で習字で書く本格的な写経は初めてでした。予想以上に、かなりの集中力と神経が必要だと分かりました。
そして、2日目、ついに初めての滝行をすることになりました。沖縄を出発する前、天光寺のホームページなどで滝行の情報や体験談を見て来たのですが、「冷たい」や「痛い」、「息苦しい」などが書かれており、正直、僕には無理だろうと不安だらけでした。しかし、ここで逃げては修行の意味がないと思い、僕を合わせて約7人で滝行に行きました。それでも、やはり、現場で滝の流れを見ると「本当に大丈夫なのだろうか」と思いましたが、順番的に僕は最後で前メンバー6人が3分を成功したので、僕も失敗するわけにはいかないと思い、何とか3分を成功することができました。僕の場合、「冷たい」というより「痛い」という思いが先行するのですが、終わった後は、とてもすっきりした気分になりました。初めての滝行が成功できたのも修行僧の方の親切な指導とメンバーの応援があったおかげだと思っています。ありがとうございます。滝行については、5日目に2回目も挑戦しました。1回目に成功しているとはいえ、天候や水量、勢いなどで変わってくることがあるので、やはり、実際に入ってみないと分からないという不安がありました。2回目は、3人での挑戦で、僕がトップバッターでした。滝行に限らず色んな場面でトップバッターというのは慣れていないのですが、ここは気合いで入りました。結果は約5分で前回より更新できたので良かったです。これも、やはり、修行僧の方の指導とメンバーの応援のおかげだと思っています。ありがとうございました。
しかし、滝行というのは苦行と言われていると聞きます。何回やっても入る前の不安や入っている時の痛みなどは取り除くことができそうにない本当に大変な修行だと実感しています。
話は変わり、他の修行として「発声練習」や「瞑想」、「読経」
滝行の前にやる「お百度参り」などがあります。
発声練習では、腹式呼吸の練習ですが、声が長く続かないことを痛感しています。僕自身、発音などあまり良くないと思っているので少しでも上達させていきたいです。
瞑想や読経では、座っている時間が長く、きついですがこれも修行のうちだと思っています。
二日間の短い時間でしたが、ありがとうございました。ここにいると、不思議と他人に感謝したり、喜んだり、仲良くしたりと、天光寺様からいただいた心の持ち方で示してくれたとおりの感情が自然と湧いて素直であった小さな頃を取り戻した感じがしました。
普段慣れ親んだ家族、友人、恋人、会社の同僚など気の許せる近しい人に対してこそ腹を立てたり、不平を言ったりすべきではないのに、慣れすぎていつもの対応があたり前すぎてその逆の結果になっていたような気がします。
この度、初めて経験した滝行でしたが、勢いのよい滝に打たれることで何も聞こえないばかりか何も考えずただひたすら無になって打ち込むことができ、「南無大師遍照金剛」を唱え、周囲の方々と一体となって自分をふるいたたせることができたのです。
体を清めた後は、心安かに写経をしました。
せわしない世の中、明日からはまた仕事に通う日常が始まりますが、写経のひときは静かに落ち着いた時間を大切にし自分の願いを生活の中に生かすのに役立たせるものと感じました。
私たちは、自分自身で作り上げてしまった良くない習慣に気づかないばかりか、気づいてもこれを変えることはなかなかできないものです。それに気づかせ変えていくためのヒントをここでの修行が与えてくれたものと感謝しております。
行を通じて自分の潜在意識に働きかけ、自分の人生のために積極的な言葉を使い、消極的な言葉を使わないようにしたいと考えるようになりました。
自分が変わるため、この経験をもとに頑張って自分の魂を向上させ、幸福を作りたいと思います。
二日間の短い間でしたが、本当に有難うございました。
正直に申しますと、滝行が終わった直後は、一泊二日コースを選んだことを心から後悔しておりました。
「滝行」一泊二日コースでしたので、滝行を終えたら、部屋や河原でのんびりとすごすのかと思いきや、写経からの先生の法話という中々ハードな体験をさせていただきました。
ただ、夕食を頂いているときに、なんとなく自分の感覚がとぎすまされているような気がしました。この体験を境に、自分の中で一泊二日で良かったのかもしれないという思いが強まっていき、より積極的に修行に励めたと思います。
二日目の朝に、般若心経を読ませて頂いたのですが、想像を絶する苦しさで、ヒザは痛く、足首は痛く、ノドも痛くという三重痛で、人生の中でも五本の指に入る厳しい三十分間でありました。
そのことを、朝食の際に子供たちに話したら、「前に五時間般若心経を唱えました。」とケロッとした顔で言っており、自分の弱さと子供達の強さを痛感しました。
滝行をしたいだけの軽い気持ちで来てしまったわけでしたが、苦しい思いもしましたが、皆様と生活を供にし、自分と向きあうことでしか得られないものも確かにあったと思います。
今はまだ、自分が何を吸収できたのかは、未熟さ故に分かりませんが、今後の人生を生きていく上で、間違いなく糧になると思っています。
いつかまた、自分が少しでも成長できましたら、また一泊二日で滝行をしたいと思いますので、その時もよろしくお願いします。
今回、私は未だ経験したことのないGW十連休を利用して、二泊三日でこの体験修行に申し込みました。
それというのも、私はアルコール依存症であり、お酒を飲めなくなる薬(抗酒薬)を服用しているものの、やはり一人になると薬を調整して、この連休に大酒を飲んでしまうといった恐怖から、どこかでお酒を飲めない空間に身を置きたいといった気持ちでこのような運びとなりました。
正直私は宿坊といった存在を知りませんでした。知るきっかけとなったのは、今年の二月末地元の友人達(私がアルコール依存症であることを知っている友人)にGWをどうやって過ごすか不安である旨を伝えたところ、だったら宿坊に行けばいいといったアドバイスから知る事になりました。そこで、その場で早速みんなで調べ天光寺のHPに辿り着きました。
私は無神論者で初詣や旅行先でお寺や神社に行くものの、そこまで「神」や「霊」といったものを強く信じてはいませんでした。しかし、都合のいいもので溺れる者は藁をも掴むや困った時の神頼み的な考えで、その場からすぐに天光寺にお電話をしました。
お酒を避けるだけなら、実家に帰ったり、短期間だけアルコール依存症専門の病院に入院するといった手段もあったかもしれません。しかし、それではお酒から逃げるだけといった、今までの自分と何も変わりなく、体験でこそあるものの修業をする事で少しでも自分を変えられる“気づき”になれればと思い決断しました。今、振り返ればこれも何かのご縁ではあったのではないかと思います。いえ、自分にそう信じきかせたいです。
実際天光寺に来てからは驚きの連続でした。まずは、挨拶や所作といった基本姿勢から教えて頂き、最近流行りになっている宿坊とは全く違うといった印象を受けました。何より一緒に体験修業する仲間の真剣さが伝わってきました。中には興味本位といった方もいたのかもしれませんが、仕事や心に何か悩みを抱えている方が多く、一緒に頑張ろうといった気持ちが強くなりました。
前述のように、今まで私は「神」や「霊」といったものをあまり信じておりませんでしたが、少しずつそういった存在、科学では説明できないものがこの世には存在するのではと思うようになっていきました。
かといって、私も突然何かに覚醒した訳ではありません。正直、瞑想を通じて俯瞰的に自分を見られたりだの、滝行を通じて邪気が抜けていったといった実感が残念ながらありません。しかし、全てが初めてであるこの修行を通じて、アルコール依存症から脱却する「何か」を見るつけるきっかけになったのは間違いないと信じています。
今までは狭い視野で、自分の視点でしか見ていなかったものが「神」や大自然に触れて、こういった物の見方があるんだ。自分は小さい世界に囚われていたんだと感じました。
私は六年前に離婚し、そこから飲み方がおかしくなり、考え方も将来を考える事もなく、その日その日を過ごせればいいといった考え方になっていき、この病気へとなっていきました。恐らく色々な事から逃げたい、現実を見つめたくない、といった気持ちから生きるための積極性を欠いていったのだと思います。しかし、まだ四十一歳、この先に希望の光は必ずあると思いますし、この体験を通じて再度認識しました。
病気や将来の恐怖を少しでも振り払う機会となった修行や、お言葉を頂戴し本当に感謝しております。
この先積極性を持ち、自分を愛し、自分を変えていきたいと思います。
今回一泊二日の修行体験に参加しました。
参加内容はお百度参り流行、写経、読経を行いました。
今回のお寺での宿泊は人生で初めての体験でした。
去年あたりなら仕事で人間関係がうまくいかず一カ月前に決断しました。
北海道からの参加ということで前日、東京で宿泊し、電車とバスで天光寺まで来ました。
朝起きた時から緊張していてバスの中では不安でいっぱいでした。
お寺についてまず本道に案内され、私の前に約2ヶ月の修行を行っている人がいる事を知り少し気持ちが落ち着きました。その後もう一人加わり3人での体験という事になりました。
まずはお百度参りと滝行。インターネットしか知識のない私は、最初何をやっていいのか分かりませんでしたが、お寺の方が親切に教えてくれたおかげで何とか行うことが出来ました。
お百度参りを終えて、いざ滝行へ。
今回の私の主な目的は滝行であった為期待と不安で山へ向かいました。
車で山へ向かい、滝までは徒歩で向かいました。向かう途中気温は暑いのですが川の水は非常に冷たく感じたのを覚えています。3人の中の2番目に滝の中へ向かいました。一人目の行い方を見ていたので大丈夫と思っていたのですが、いざ滝の中へ入ってみるとかなり辛いものを感じました。やはり50歳という年齢的なものもあるのでしょうかもう少し若い時にやっておけばよかったと後悔してしまいました。
夜になり写経を行いました。やはり、仏像の前で物事をした経験のない私は正直どうしていいのか分からない事ばかりで恥ずかしい気持ちになりました。
二日目朝から清掃を行い、ちょうどいい感じでから体を動かしたあと、朝食に入りました。
今日はどんな料理が出てくるんだろうと少し期待していたのですが、おかゆと野菜が出てきてお粥の量の多さに驚き、何とか食べないといけないという気持ちに押されたせいでしょうか、正直この朝食が自分にとってこの二日間で一番きつい物になってしまいました。
やはり今考えると修行をしているのにおいしいものは出てきませんよね。大いに反省です。
発声練習に瞑想、読経を行い午後から写仏を行って終了しました。
今回の体験修行を終えて、滝行以外での礼儀作法をたくさん学んだような気がします。
一泊二日でも大変な事がわかった修行ですが若い人にはもっと積極的に参加してほしいと思います。
短い間でしたが本当に有難うございました。
年齢的にも距離的にもまた来ることは難しいと思いますがまた会える機会あればよろしくお願いいたします。
今回は本当にありがとうございました。
今回、一泊二日の修行体験を経験して、当初の目的は日ごろの代わり映えしない毎日に刺激を、今一度心を見つめ直し一つの区切りをつける為に参加させて頂きました。
まず、滝行を経験して気持ちの面で余裕が持てる様、積極的対応・行動をとる事が出来ずにいましたが、滝行を終えた後には一皮剥けた自分になっている様な心持ちになりました。
例えば写経を行った時も墨のにじみ具合が気になり失敗してしまうかもしれないと、今までの自分は考えたと思います。でも今回は自分を信じきれた(?)のかはわかりませんが、
自信を持って写経を最後までやりきりました。最近、こんなにも長い時間集中して何かに取り込むこともありませんでした。写経に限らず、写仏、お百度参り、般若心経と無心になって自信を持って行動、体験出来た事は、今後の人生にとっても宝になると思います。
また、私にとって法話の時間も心に響いた一つです。私が新入職員として就職した際に似た様な話を私の教育係から指導された事を思い出しました。当時は若かった事もあり、指導者からの言葉は私にあまり届いていなかった事を思い出しました。指導者と私の間にはかなりの温度差がありました。その方とは七年間共に仕事を行いましたが、表面上の関係で終わってしまいました。数年後、飲み会の席でその指導者と再会して思った事があります。相手の気持ち、考えなどなど、自分は若かったな、足りなかったなと、思い当時をふり返って話をしました。最近、仕事をしている内で当時の自分と同じ様な事をしてしまう時があり、気を付けないと、と思うも心のコントロールがつかずに、相手を不快にさせてしまっている事があります。法話の中で心のもち方、再度、自分に落とし込む事ができたと思います。自然に身体をまかせ、力まず、人を愛し、感謝の気持ちを忘れずに、今後も今の仕事を行っていこうと思います。
今後の人生においても「心のもち方」を心底に置き、人生に迷いそうになった時には初心に戻り、今回の体験修行を思い出したいと思います。
本日は皆様ありがとうございました。
私は今回天光寺さんで体験修行をしました。
私が体験修行を受けようと思った理由は、元号も変わり新しい元号がスタートするのでそれに伴い自分自身の気を引き締め直したいと思ったからです。
今勤めている会社では、学校を卒業してからずっと働いているので少し気の緩みがあるのか最近ミスが目立ち始めました。また、私生活では去年に結婚しこれからなにかとお金がかかってくるのも理由の一つです。
まず最初は、挨拶の作法から始まりました。
いかに自分が普段だらけた挨拶をしているのかが身に染みて伝わってきました。
次に行ったのは、お百度参りです。こちらでは、久しぶりに運動をしたからか全然走れませんでした。昔は、このくらいの距離で疲れる事はなかったのにと思いました。
次は、滝行です。私が、今回の体験修行で一番楽しみにしていた修行です。
入水してみるとビックリしました。見た目からは、想像できない迫力から一瞬で出てきてしまいました。そして、心を落ち着けてもう一度入りました。その時は、今までにないぐらいに集中しておりまさに自分自身と対話できたような感覚でした。
その後、写経をしました。筆を持つのは久しぶりでした。私が、あまり手先が器用ではないのと短気な性格なので写経はとても苦労しました。今回の中で一番修行感が強かったです。
今回の修行で得られた事は、本来の自分自身を取り戻せたような気がします。
本当の自分自身の成長や精神力強化にもつながったと思っています。
本当にありがとうございました。
本来の目的であった精神力の鍛錬はお百度参りや滝行を通じて達成できたと思います。特に滝行は非常に興味深かったです。感覚が研ぎ澄まされていくのが如実に分かりました。 修行は今回が初めてでしたが、職員さんをはじめ、貴重なお話や美味しい料理を作って下さった先生、一緒に宿泊した方々には、非情に感謝しています。他者を思いやる一方で、厳しい修行に打ち込む姿は勉強になりました。今後の人生を歩んで行く上で、くじけそうな時は今回の経験を思い出し、強く正しく生きて生きたいと思います。
三日という短い期間でしたがお世話になりました。
約二年ぶりの今回の滝行はいままでで一番つらかったです。特に気温が低かったとかそういうこともなかったのですが 今回が一番つらかったです。
足を入れた瞬間足の感覚がなくなって これはダメだと思いました。
でもやらなくてはいけないので水を頭からかぶるときに叫び体からむりやりアドレナリンを出して もう自分でも何を考えているか何を言っているのか分からない状態でやりました。
しかし滝行が終わって着替えてるときなんともいえないスッキリとした気分がありました。
二年後の受験前に気分を変えるのにいいかもと思いました。
とてもスッキリとした気分になれたのでよかったです。
本来の目的であった精神力の鍛錬はお百度参りや滝行を通じて達成できたと思います。特に滝行は非常に興味深かったです。感覚が研ぎ澄まされていくのが如実に分かり、おかげさまで自身が霊媒体質であることに気づけました。今後は霊とうまくやっていける方法を模索していきたいと思いますのでまたお世話になることもあるかと思います。そのときはどうぞよろしくお願いします。 修行は今回が初めてでしたが、職員さんをはじめ、貴重なお話や美味しい料理を作って下さった先生、一緒に宿泊した方々には、非情に感謝しています。他者を思いやる一方で、厳しい修行に打ち込む姿は勉強になりました。今後の人生を歩んで行く上で、くじけそうな時はこ今回の経験を思い出し、強く正しく生きて生きたいと思います。
三日という短い期間でしたがお世話になりました。
今回の体験修業では、滝行やお百度参り、写経などの行、掃除や食事の準備など寺での生活の体験、先生や職員の方のお話を聞くことなどができそれぞれ多くのことを学び今後の生活に活かせる気づきを得ることができました。
行を行って得た物は自信と達成感です。体験修行中に行ったものは、どれも簡単にできる物ではありませんでしたが、特に辛いと感じたのは滝行です。体験修業中2回滝行に挑戦し、結果として2回とも制限時間以上行えましたが、何回やっても順番を待っている間の不安や行の最中の辛さはなくなりませんでした。その様な精神的に追い込まれた状況での挑戦で、しっかりと結果を残せたことはプレッシャーに弱い私にとって大きな意味があったと感じました。
寺での生活の体験で得た物は効率性と連携の大切さの再理解です。建物の構造が複雑だったり、スケジュールが過密だったりする寺の生活においては時間をいかに有効に使うかが大切でした。物一つ取りに行くだけでも動線が長くなってしまうのでどの様に動けば最も効率的なのか考えながら動くことが必然的に求められたため、自然と何か行動を起こす前に一度考えるという行動を取ることができました。掃除や食器の片づけの場面では、行う内容や人数によってどの様に役割分担をすれば効率的に無駄なく動けるようになるか様子を見たり、声かけをしたりすることが重要でした。大切ですが忘れがちな基本的なことを改めて学ぶことができました。
先生のお話で学べたことは色々ありましたが、特に強かったのは、「積極性を持つ」というキーワードです。色々な話を聞く中で私はこの言葉の意味を「自分の力を信じて問題に恐れず立ち向かっていくこと」と捉えました。自信がなく問題が起こる度に不安が強くなり行動が起こせなくなったり、非効率的な動きをしてしまうことが多い私にとってこの言葉は大きな力になってくれるキーワードになりました。
二泊三日の体験修行で今後の生活に活かせる色々な学びや気付きを得ることができ意識も変えることができたと思います。3日間お世話になりました。本当にありがとうございました。
今回は知人の誘いで、一泊二日の修行体験に参加させていただきました。滝行は聞くよりも見るよりもつらく、滝に入ったとたんに、「出たい!」と強く思うほどでした。一日目の夜も深まるにつれ何かしらの気配を感じ始めました。これほど近くに感じることは初めてで戸惑いましたが、担当の方が常に近くで気にかけて下さり心強かったです。二日目の瞑想では空間がゆがみその後、「地獄」、「畜生獄」、「曼荼羅金剛界」、「青白い世界」を見ました。
その後は姿勢を保てなくなり、辛かったです。今まで見て来なかった世界に触れることが出来た気がします。ご飯は毎食とても美味しかったです。教えていただいたレシピを元に家でも作ってみたいと思います。
前回、三日間の修行を終えた時に書いた感想文では、自分が今まで直せなかった問題の重さに気づきそれを受け入れることが出来た、ということを書きました。
私はその後の三日間でその問題を改善するきっかけを掴むことを目標に修行に臨みました。その中で私は「恩返しをする」ということを意識して生活してきました。私はこの六日間の天光寺での生活でたくさんの方々にお世話になりました。修行の指導やその他の様々な話をしてくださった聖賢先生、職員さん、又、生活の中で寝食をともにし、修行や掃除、その他の行動を一緒に協力してやってくださった他の宿泊者の方々です。
この人達へ恩返しする気持ちで修行や掃除に励みました。そうすることで私は人が幸せな気持ちになる為に自分に出来ることはないか、考えながら生活できるようになりました。私は「誠実で素直な人間」になる為にここで修行してきましたが先に述べたように、人の気持ちを考えて行動することで「誠実さ」の部分を体現できるという答えに辿り着くことができました。
またその上で、自分の言動だけでなく他人の言動に対しても良いものは良いもの、悪いものは悪いものとしてしっかり区別をすることで自分の信念や目標に基づいた素直な言動をすることができる人間になれると感じました。私はまだ具体的な信念や目標を打ち立てられたわけではありませんが、「誠実で素直な人間になる」という今回の修行で得られた覚悟が揺らぐことだけは決してないように、家に帰ったら学業や生活面におけるそれを考えていきたいと思います。
今まで私は嘘をつくなどの他に大学一年生の春休みに素行の悪いグループと交友関係を持ち、その中で家族や学校、友人に多大な迷惑をかけてしまいました。これは私の心の弱さが原因で目の前の享楽だけを考えた結果でした。天光寺を出たら生活の中でまたそのような人達からの誘いがあるかもしれません。しかし、ここで体得することの出来た「良いものは良い、悪いものは悪い」といえる素直さを決して忘れずに自分で決めた信念や目標を達成できるようにします。
今回私は自らの過ちと妻を深く深く傷つけてしまったことを反省しに生まれて初めてお寺にみそぎにやってきました。まず初めに寺に入った時の不動明王様の力(心中をつかまれている)感じ目を合わすことが出来なかった事を鮮明に覚えています。初日は寺の作法や挨拶を教えて頂き、お百度参りと滝行を行いました。お百度参りは「南無大師遍照金剛」ととなえ強く自分の願いを想いながら裸足で道を往復するというものでした。大きな声と思いの強さが届くとのことで「夫婦和合」を強く願って走りとなえました。妻への謝罪の想いと自分が犯した過去の過ちが苦しくさせました。そして次に山を登り滝行を行いました。岩場の間から現れた滝は山王大神様と竜王大神様がお守りする滝で力強くとても冷たい滝でした。一人三分頭から浴びるということでしたが初めの30秒で頭と体が急激に冷え「お経を唱えながら入ることは不可能」と思いギブアップしそうになりましたがそこで強く妻の顔を想い出し、夫婦もう一度やり直したいという想いと子供との幸せな暮らしをつくるぞという強い想いで入っているとなんだか体と魂がふーっと分かれたような感覚で体は痛いのに心がすーっと水の冷たさが気持ちよくなってきました。3分経って出た時耳がぼーっと聞こえなかったですがとてもすがすがしく今まで出会ったことの無い感覚でした。生まれ変わったというか体の中の汚れを全て持って行ってくれたというか・・・。山王大神様と竜王大神様には深く深く感謝いたします。また夕方には初めて写経を行いました。ひたすら写すというものですが一文字一文字思いを込めて書こうとしても途中で手を抜いてしまう自分が居ることに気づかされました。初日の最後髪をすべて切る決断をし感覚を研ぎすまさせたい想いとかっこつける自分にわかれをするために、人生初の坊主になりました。また夜の寝る前まで仏や人間の欲の事など教えて頂きました。自分の欲との向き合い方など教わりました。2日目は朝のお勤めの後住職の先生より「特別なヒーリングをしていただきました。本来自分の気と宇宙の気をつないでいただき鳥となり風となり空を飛び最後は宇宙まで行くことが出来ました。背骨に一本大きな気を入れて頂きました。ありがとうございました。そして先生は「君は遊ぶ活動もいいけど苦しんでいる子、精神病の子などをヒーリングする事をした方が良い。」と言っていただき自分でも漠然としていたことをズバリ言われました今後の人生の大きなヒントをもらいました。午後は得度といわれるお弟子さんの儀に参加させていただきました。貴重な体験が出来感謝します。その日の夜もブッタのお話も教えて頂きました。自分の心との向き合い方、自分のカルマを改めて考えさせていただきました。ありがとうございます。3日目は朝のお勤め、声出し、瞑想を行い、自分の内観する時間を沢山いただき、最後は不動明王様の絵を見させていただきました。初日に怖くて見るのもできなかった不動明王様でしたが今は逆に一番近くにいて頂きたく想うようになりました。強い心と勇気をくれて自分に負けない人になれる気がします。このような人生の体験をさせていただいた天光寺様には本当に感謝しております。ありがとうございました。
今回、二泊三日という短い期間でしたが、お寺での修行を体験させていただきました。
修行中には仏様の教えだけではなく、瞑想やお百度参り、滝行を行い精神だけではなく、肉体も鍛錬することができました。今回の目的は精神的な成長をして、これからの社会人に向けて力を付けていくことでした。お百度参りと滝行を経て、改めて自分の精神の弱さを見つめ直すこともでき、これからどのように向き合うか考えていくキッカケになりました。また、今回は規則正しい生活と野菜中心の美味しい食事のおかげで健康的な生活を送ることができ、体の内側から浄化されている実感もありました。この三日間での私の一番の変化は「あたり前のことに感謝する」という考えができるようになったことです。修行の中では毎日食事後の片付けや掃除、洗濯などを行います。現在、私は実家で暮らしているのでそれらを自分で行うことは少ないです。そのため、自分が当たり前にやってもらっていることの大変さや苦労を知ることができました。いつも気持ちよく生活できている裏側にはたくさんの人の労があることを感じ、それら感謝して生きていこうと思いました。修行の中では宇宙を感じることはできませんでしたが、日常に戻っても隣の人を仏と考え接して徳を積んでいき、日々の修業で宇宙を感じられるようになりたいと思います。今回はこのような貴重な経験をさせていただきありがとうございました。
二日間お世話になりました。ありがとうございました。今回私が天光寺さんでの修行体験に参加しようと思ったのは、滝に打たれてみたいという軽い気持ちからでした。就職の前に珍しい思い出を作れればいいと思っていました。実際に二日間を終えてみると、良い意味で期待を裏切られたと感じます。滝行だけでなく、声出しや読経お百度参りなど、様々な体験を通して、学ぶ事が多くありました。社会人になるにあたっての心持ちにも変化があったと感じます。
やはり、最も印象に残ったのは滝行です。もともと、滝行目当てで来たこともあり、非常に楽しみでした。しかし、実際に滝に到着して、水の冷たさを確認して、正直やりたくないという気持ちになりました。滝行はもっと楽で楽しいイメージを勝手に持っていましたが、本当は修行の一つとして行うような、辛く厳しいものであるとそこで気付きました。3分程度入っていられれば上出来という話を伺ったので、3分経ったらすぐ出ちゃえばいいやと言う心持ちで滝行に臨もうと思っていました。しかし、私の順番の一つ前の中学生の男の子が、非常に頑張って、10分という記録を出していました。この姿を見て、私の気持ちは大きく変わりました。自分よりも年下の男の子がとても頑張っている姿に勇気づけられ、年も上の自分が負けていられないと思いました。すぐでてしまえばいいやと言う甘い気持ちを持っていた自分がとても恥ずかしく思えました。気持ちを切り替えて、新記録を出してやろうという気持ちで滝行に臨みました。滝に入ると、今までに感じたことのないくらいの冷たさに襲われました。銭湯の水風呂とは比べ物になりませんでした。早くも心が折れそうになりましたが、先ほどの気持ちを思い出し、我慢しました。滝に打たれている間も諦めようと思ったことが何度かありましたが見ている人達の応援に元気付けられ、またこれで辞めてしまったら社会人になっても頑張らないと自分を奮い立たせて耐えました。10分を過ぎた頃からは、自分に打ち勝ったかのような気持ちになり、滝行が楽に感じるようになりました。
いくらでも続けられていけそうな余裕が生まれ、自信が出てきました。他人に励まされ、自分に打ち勝つことができ、自分にとって、自信を付けられるような貴重な体験になりました。また、今回の修行で、心に残った言葉があります。DVDを見た時に言っていた言葉で「舞台と役者を演じろ」です。この言葉は来月から社会人になる私にとってもとても為になる言葉でした。大きな企業に入れば人生も上手くいくだろうと思っていました。いわゆる舞台としては整っている状況で、普通に働けば充実した生活を送れると考えていました。しかしあの言葉を聞いたとき、自分の考えは甘かったと気付きました。舞台があっても、自分が舞台に見合う存在にならなければ意味がないのです。「大企業で活躍できる価値のある社員」を目指さなければいけないのです。企業を辞めたとしても、社会で活躍できる人材になれなければ多くの人が活躍できる舞台を演じるための力も付くと思います。この言葉を胸に刻み、新たな気持ちで社会人人生を過ごしていきたいと思います。他にも、ここには書ききれない学びが数多くありました。お寺で過ごすという、日常では体験できないような環境を通し、自分自身が成長できたと感じる点が多くあります。本当に素晴らしい経験が出来ました。最後になりますが、二日間という短い時間でしたが優しく指導していただき有難う御座いました。機会があればまたこれたらいいなと思います。
一泊二日の体験修行を終えて、今まで素通りで立ちどまって深く考える事のなかった事を改めて考える、興味を持ってみる事の大切さを再認識できた事が今回の一番の学びだった様に思います。
予想外の天候から始まった修行ですが、お百度参り、滝行はむしろ過酷な天候下だったからこそ修行の辛さ、また、自分の心の弱さを感じる事が出来ました。感謝です。
修行以外の部分においてはお話しの中にもあった寺の敷居が高くなっていて普段近付きづらいというのは大方当たっていて当方もどこまでフランクに修行が出来るのか案じていた部分が多少ありましたが先生、従業員さんを始めとした皆様に非常に近い距離感で接していただいた事もあり、寺院の存在が今後身近に感じられる様になりました。
初心忘るべからずとは良く言いますが今回の学び、感じた事を今後の私生活に活かしながら精進したいと思います。
とは言え人間ですので忘れそうになってしまった際にはまた改めて門を叩かせていただく所存ですのでその折にはよろしくお願いいたします。
昨日、本日とありがとうございました。
一泊二日の短い時間でしたが多くのことを教えて頂き誠に有難うございました。
また四月に希有の降雪という機会を活かし厳しい修行ができたことも大変有意義でした。
より多くの関わりのある人たちとこのような時間を過ごすことができれば絆が強まるはずなので、次回はチームと共にお世話になります。チーム皆が学び各々が変革の必要性を感じとり、修行後には昨日の自分とは異なる、という意気込みをもって組織全体で前に進むことができるよう私が推進役になります。
まずは私自身が学んだことを実行に移します。
また次回お会いする際には前回と異なる姿を見せることができるよう努力致しますので、今後ともご指導、ご鞭撻の程、よろしくお願い致します。
一泊二日の滝行修行を申し込んだ。目的はいくつかある。誕生日前に滝に打たれることで、新たな気持ちで年を迎える。だらけた生活に気合を入れる事。辛い経験をすること。
最後の目標は、中学時代の野球部の夏連の様な、あの経験の辛さに勝るものはない、そんな経験を得たかった。終わってみて思う事は、主体的に、積極的に滝行を選んで行動を起こした心が立派だったと思う。天光寺に仲間と向かう車中では、笑い混じりながらも「無理だ」「本当に入るのかな」「嫌だ」など後ろ向きなことばかり話していた。実はお百度参りが終わって、滝に向かう時にも同じような言葉を口にしていた。滝行は無事に終わったが、後ろ向きな言葉をやめて「やるぞ」「負けない」などの前向きな言葉を発しながら望めばもっとたやすく滝行を達成できたように思う。これは今後の生活でも同じ。実際に滝に打たれてみて感じた。体験前の想像では、寒い冷たい、そして痛い。この三つの感覚があるとばかり思っていたが意外だったのは息苦しさだった。水に足を浸し神に挨拶をして顔と胸に水をかけ、頭から水をかぶる。サウナの後の水風呂でさえ全身を付けられないほど冷たいのが苦手な自分にとっては、水をかぶった段階で自分を褒めたかった。滝に進める足も意気揚々となる。いける。そう思えたのはものの2~3秒だった。苦しい。冷たい。だが冷たさは想像の範囲内である。苦しい。頭に容赦なく浴びせられる水しぶきのせいか滝の流れのまわりだけ酸素が薄いのか先ほど生まれたばかりの「いける」という期待は滝に蹴落とされていった。息苦しさの為に、唱える御宝号もはっきりと一音一音の発声が叶わない。そんな自分の声を聴いて情けなさを感じる。こんな時でもともに参加している人からどう見られるのかを気にする浅ましさがなおさら情けない。
いけるのか?いや、もうだめだ。いける。いや、無理だ何度も何度も自分の中で弱い気持ちと強い気持ちがぶつかる。辛すぎる。いや、待てよ。辛い体験を求めてここにやってきたのではないか。予想をはるかに越える辛さではあるが、望み通りのものを得ている。やるしかない。水の中でやっと覚悟を決めた。できることは叫ぶだけ。叫んだら終わった。
滝行の後、友人は気分を悪くしていた。あの滝に打たれたついでに弱い気持ちを置いてきたような気はする。あれだけの辛いことは、この先出てくることはなかなかないだろう。
しかし、人は忘れやすい。あの辛さを覚えていられるのはもって1ヶ月だろう。人は無意識をコントロールできない。呼吸、脈動、胃腸の動き。これは勝手に無意識がやってくれることだ。だが、共に無意識は気持ちを損ねる。体調不良になり、生活のうるおいが減る。無意識が上手く働いてくれるような生活をすればいい。運動や整理整頓気持ちをまっさらにすること。自分自身を愛しなさいという教えの中にはきっとこのようなことも意味として含まれているのではないだろうか。1日目の夜は疲れ切っていてすぐに眠りに落ちた。
2日目の朝は気持ちよく目が覚めた。久しぶりに二度寝をしなかった。爽快で誕生日だということも忘れていた。参加者におめでとうと言ってもらえて思い出したそのくらいだ。
修行の3つの目的は達成しそうだ。これからの生活をもって達成とする。そうそう、発声は持ち良かったので、どこかのだだっ広い場所でやってみる。
今回、初めての滝行をしたく、1人で来させていただきました。
滝行やお寺での体験修業を考えたのは、日頃の仕事での人に対する自分の対応のやり方や、大切な家族の妻や2人の子供達に対する、接し方や、しゃべり方、動き方、全てに対して考え直したく、何か考えていた所、天光寺さんを見つけて、1泊2日という短い期間でしたがお願いしました。
今回は、1人の予定でしたがテレビ局の撮影があり2人で初日を体験させていただきましたが、一緒にやってくれた方がすごく頑張っており、自分よりも年上の方が出来ているのに自分が出来ない事はないとふるい立たせる事が出来ました。それだけでなく、2人でやる事で遅れないようにと頑張って行う事が出来、もし、1人だったらお百度参りが最後まで出来ていたかわからず、相手がいる事の大切さを学びました。
それ以外にも1つ1つの行動や物事に対して感謝する事の意味や、水や土、草、花、食べ物全て自然の大きさをまのあたりにしました。
滝行で水に反しないように入るように言われたのに上手に出来ずすぐ頭痛がしてしまい、情けなく思いました。しかし、体験して、すごくスッキリしました。
何が?と聞かれても正直「コレ!」という答えは言えず、体験してみて初めて理解出来る事かもしれません。
修行中だけでなく、食事中のお話しや、あい間あい間のお話しもとても参考になり、今後の自分に対して、見つめ直す事が出来たかなと思います。
マイナスに考えず、プラスに考え、相手が本来伝えたい事を理解する事や、相手に伝える時の言い方や想いやる気持ちをもってやっていこうと思います。
短い期間でしたがありがとうございました。
私が、こちらのお寺に修行しに来た理由は2つあります。
一つ目は、最近生活リズムが崩れ体調が優れないのでそれを改善できたらというのが一つ目の理由です。
二つ目は、これから仕事で大きな取引があるので気を引き締めるためにも参加させて頂きました。
修行の内容としては、お百度参りと滝行そして、写経です。
まず、お百度参りですが想像以上に辛かったです。お経を唱えながら走ると通常よりも疲れました。
ですが、終わった時の爽快感は他では味わえない物でした。普段あまり運動をしないので運動をしてかいた汗は久しぶりで心が洗われました。
次は、滝行です。滝行をする為にくる方もいるみたいなので少し楽しみにしていました。
私は生まれて初めて滝を間近で見ました。改めて自然というものについて思い知らされました。
滝の中に入るとすごい勢いの水で呼吸もままなりませんでした。
入っていたのは短い時間でしたがとても長い時間いたように感じました。それだけ、自分自身と向き合えたのだと思います。滝行を終えて身が引き締まる思いでした。
最後は、写経です。筆を持つのは学生の時以来です。墨の匂いが懐かしく感じられました。そんな事を思っていたのもつかの間集中力はある方だと思っていたのですがお百度参りや滝行の疲れからか眠くなってきてしまいました。
今回修行にきて、目的だった生活リズムの崩れはお百度参りで走って以来走ることが楽しくなってきて毎朝少しずつ走るようにしたため、改善されました。
ありがとうございました。
中学3年生になろうとしている息子が小学校から勉強嫌いでしないので結果、後から本人から聞いた話ですが音読の授業の時にバカにされそれがきっかけ?となったかで、学校もたまに休んだりして、中学生になり、勉強も難しくなり嫌な授業や気分が悪くなり保健室に行ったりしていたので友達もそれがおもしろくないらしく、いやみや悪口になり、中学1年生後半から不登校になりました。
親としては、学校に行くように無理に言うと逆に無気力になり、俺はどうでもいいんだというような状態でした。
家は古い為、子供部屋というのがなく、仕切もなく、部屋の角が居場所でしたが、家にいるから勉強しろと言っても自分自身ではやる気がないようでした。
元気を出してもらおうとおばあちゃんがゲームを買ってやったのはいいんですが、勉強するからとの約束でしたが、それもまた悪いほうにゲームに夢中で今度は昼と夜逆の生活になってしまいました。
学校の先生方も心配して家に来てくれたりしてました。学校の方でも不登校の子達が集まる学校の話で2年生の中頃から少しづつ行くようになりましたが、相変わらずぐだぐだの生活でしたが、本人も気持ちの面で良くなりはじめ3年生には学校に戻る気持ちがでてきたのですが、親として行く前に生活面や態度を見直してほしいので、インターネットで滝行のサイトで天光寺さんのことをしり、申し込みました。
子供には言えば絶対行かないのが分かっていたので、当日までは言わす、ヒヤヒヤでした。
寺に着き、息子は何?と言い、初めて体験修行とつたえました。
2人だけと思っていたんですが、後から8名の人達と一緒になったので息子もあまり団体行動は苦手だったんですが、声を出す練習など、滝行でも他の方達にかけ声をかけたり、本人も頑張りました。
息子より楽勝と思っていた滝行は思いのほか全然だめでした。自分自身の修行にもなりました。
お寺の方を息子がとても気にいっていたので、少しホームシックになったりした時は大変助かりました。息子が元気になり朝を迎えたのですが、先生の話はとてもまとついた言葉でありがたかったのですが、また本人はへこみ、やばいと思ったときにお寺の方に助けの息子へのアドバイスをしてもらいまたまた助かり、息子も先生に自分の気持ちを言ったらしく最初と違い先生もやさしく接していただきありがたかったです。
自分も今後は滝行にかみさんも連れて家族でまた来たいと思います。
ありがとうございました。
今回の一泊二日の修行体験で学んだ事はたくさんありました。
まず、あいさつの作法から教わって一般的な企業的なあいさつでは無くその中でも丁寧な言葉使いで仏教的な世界での言葉使いというものを学べて良かったです。
また、修行の中での基本の合掌や礼の形をしっかり学べたのでとても良かったです。
お寺の独特な礼儀や宗派など色々な知識を学ぶことが出来ました。
次に食事に関して、先生の手作りのご飯はとてもおいしかったです。肉と魚を使用しない料理であれほどまでにご飯が進むことは今まで無かったと思います。
最終日のお昼のパスタは最高でした。ありがとうございました。ごちそうさまでした。
修行についても沢山学びました。
三禮は今回の体験修業ではサクッとしかやりませんでしたが、機会があれば是非もっとハードな修行をしたいなと思いました。
お百度参りについても後半は少しばてましたが、将来の自分をイメージしながら取り組みました。
正直こちらも次回タイミングがあえば、企業研修のようにフルのヴァージョンで体験してみたいと思います。
滝行については先生から、「今日は天気がいいから水もあたたかいよ」と聞いていましたが、現地について水を触った所、心の中で「終わった」と思っていました。
自分は後半の順番だった為、他の人達をみていて「南無大師遍照金剛」のかけ声がみんな変になっているなと思ってみていましたが、よくよく自分で考えてみたら、あまりの寒さで声がおかしくなっているんだと思い、自分の番が周ってくるのが怖かったです。
実際やってみて、滝に入る前の頭に水をかけた時点で、アッ無理かも、と思いましたが、実際やってみて本当に冷たい!心が折れそうになりましたが、しっかりかけ声をだし、やがてなにも感じない不思議なゾーンに入った気がします。
今回一人三分という幅が設けられていたため、こちらも次回良きタイミングで行けたら、同じくらいの時期にまた来て、更なる記録更新ができたらな、と思います。
その後に行った写経について久々に書道の道具を使用するのに戸惑いました。
すずりを使用して、墨汁を作るというのも初めてでしたが、無心になって溶かしてました。
筆の使い方と、元々字が汚い方なので、時間がかかってしまってクオリティーもあまり良くない出来映えでしたが、後半につれて、コツをつかむことが出来て、字一つでも一つ一つこなしていくことで、スピードや精度というものが養われていくものなんだと、改めて気付かされました。
また夜の先生のお話も色々聞けて良かったです。
仏教の始まりについてのお話など大変おもしろかったです。
朝早く起きて、一泊の体験の方達と、まずはお寺の中のお掃除でした。こんなに広い中を掃除機をかけるので大変でしたが、効率よく動く為には、どのコンセントにさすかなど、色々考えながら立ち回れた気がします。
朝食が終わり、腹式呼吸や声出し、そして瞑想の時間に入りました。
瞑想の時間は、無心になることが目的ですが、座っている間の足や腰の痛さに耐えられずいつまで経っても無心になる事は出来ませんでした。
しかしこれは自分でも出来ることなのでやってみたいと思っています。
その後の写仏についても昨日同様墨から作成して業務に取り掛かりましたが、やはり一番仕上がりが汚いし遅かったのでそれが残念です。
写仏は細々としたところはムズかしかったですが、おもしろかったです。
最後にヒーリングを見させて頂きましたが、先生の気の力で楽になっていく人を見て、ものすごく神秘的だなと思いました。
私は今回体験修業を通して自分についてわかった事はまだ精神的肉体的にも自分に弱さがあると思いました。基本の姿勢もまともにでるし修行の後半眠くなったり飽きてしまう場合が自分の中で少しあったのかなと思いました。
しかし、いやだと思う事もいやがらずに取りかかって達成あることを今後意識して行っていき、今までの自分の考え方を変えて良い習慣を作り、今後のビジネスに活かしていければと思います。
私が今回お世話になりましたのは、滝行を体験してみたかったことと、仕事柄自分の意志をあまり発言できなかったことの弱い意志を克服したいからでした。
まず仕事の話からですが、金融機関人としてお客様第一の接客を心掛けています。
しかし、上司からすると、「回転を上げるために時間を短縮して仕事しろ」と毎回のようにいわれます。そこで私も何か一言意見を言えばいい事なのにそれを溜め込んでしまう意志の弱さがあるのだと思います。それを、今回一緒に来た人達に相談したところ天光寺さんに行ってみようとなったのです。
実際に天光寺さんを訪れてみて驚いたことは、「これまで当たり前に行ってることに感謝を表す」ということでした。
私は普段ご飯を食べる際に「いただきます」という言葉を使っていますが、一人でご飯を食べる時には何も言わず食べている自分に恥ずかしさを覚えました。
私は自分一人だけでは生きていけないのを分かっているにもかかわらず、他人が一生懸命作ってくれていることに「食前の言葉」で気付かされました。
また、お百度参りや滝行、朝と夜の一日の始まりと終わりのあいさつにも初心に戻ることの大切さを学んだと思います。
これは、滝行を行っている際に山の神様や水の神様にごあいさつすること、また大切さ、
「南無大師遍照金剛」を唱えることで、無事に何事もなく帰って来ることができました。
本当に大切なことでした。
これは自宅で家から会社へ出掛ける時や、遊びに行く時にも両親に報告する意味で「行ってきます」「ただいま」の大切さに気が付きました。
自分が今こうして健康でいられるのも両親のおかげであります。
今までは親子同士なんだから言わなくてもいいと思っていましたが、今回ありがたい教えの中で、気付いたことをこれからは実践していきます。
私が仕事で変わるために大切なことは「自分自身の今までの考え方」に依存するのではなく、「自分を知る」ことの大切さも学びました。
そのためにはまず、自分自身を愛してみることから始めたいと思います。
自分自身を考えが通らないから意見を出しても意味がないというこれまでの考え方は辞めて、新しい自分になるために、自分をもう一度しっかりと見つめ直し、今度の仕事に活かしていきたいと本当に思いました。
滝行についてですが、以前から動画や友人の体験などを聞いていたこともあり、正直なことを言うと、「かなりなめてかかって」きました。
実際に滝行の姿に着替えて滝に入ってみると、始まる前に「30分位余裕ですよ」と言っていた自分が恥ずかしいです。
今回は一分と数秒でしたので、またの機会があれば、今度は3分を目指したいと思います。
先生がおっしゃられていた「水と対立してはダメ」という言葉が分かりました。わたしの場合は、なめてかかってしまったということもあり、その時点で自分の考えが甘かったことに気が付きました。
今度はこういった自分も直していきたいです。
またこれら以外にも「仏前勤行集」や「瞑想」、「写経」などを行うことで気持ちを落ち着かせることも出来ました。
瞑想は自分の家でも行うことができるので、継続していきたいとおもいました。
料理にもすごく驚きました。自分の想像で料理はそれほど良い物はないだろうと思っていましたが、先生が全部作ってくれているという事にもびっくりしましたし、何より味がすごく美味しかったです。
色々な事をしてきた先生だからこそ、出来る事であり先生が正直うらやましくなりました。
またの機会がありましたら、もっと色々なお料理を食べてみたいです。
今回天光寺さんで一泊二日の修行をすることができ、自分の人生においてかなり良い結果となりました。
繰り返しになってしまいますが、一つ一つのあいさつの大切さが印象的でした。
これからの長い人生の中でもっともっと自分を好きになりたいと思いましたし、そうした人生にしたいとも思いました。
今から急には出来ないかもしれませんが、少しづつ今回の体験を活かしていきたいでし。
今度は少しでも変わった自分の姿を見てもらいたいので、また天光寺さんにお世話になりたいと思います。
私は、今回の体験修行を通じて、一歩踏み出す事により、成長を得る事が出来ると感じました。礼をするにしても、周りと同じ礼をするより、形が整った礼をすれば相手の視線を釘づけにすることができるし、滝行をするという人生の中で非日常なものに挑戦したことで、新しい出会いであったり、精神を鍛えられたり、どこか自分に自信を持つことが出来るようになりました。私の今回の目的は人を好きになることと社会人になって充実した毎日を過ごせるようになるという祈願でしたが、滝行や短い期間で多くの方と接することにより、まず自分を好きにならなければ自分の祈願は達成できないという事にも今回の体験修行で気がつくことが出来ました。これから先の人生で、自分を好きになるために自分に対して明るい言葉をかけたり、前向きに考えて行動すること、今の現状から一歩踏み出して新しい景色を見ることが大事だと思いました。
食事では、肉が大好きで、毎日少しでも肉を食べなければいけないと思っていたけれど、今回の体験修行で素材の味を生かした肉を使わない料理も食べることで、毎日必ず肉を食べなくても問題はないということがわかったこと。素材の味を生かした料理は限りなく美味しいということもわかりました。
腹式呼吸から発生する練習をずっとやっていると、反響なのか分からないが、自分じゃない声が聞こえているような感覚になったり、自分の声ではないような声が出ていて驚いた。
滝行をする為に一歩踏み出した事で、一泊二日という短い時間でしたが、学ぶことがたくさんありました。ありがとうございました。
自分を好きに、他人からも好きになってもらえるような人間になって充実した人生を過ごします。
先ずは、今回体験修行を受けさせて頂いた天光寺さんに感謝したいと思います。有難うございました。
ほとんどの人が同じだと思うのですが、人生壁にぶつかり、心の問題を改善し、何事にも屈しない精神力を鍛えようとして参加する方だと思います。
私も同様で、弱い自分を変え、どんな困難に直面しても負けない強い精神力を手に入れる為でした。
社会という厳しい環境の中では、人を傷つけたり、不平不満を口にしたり、時には犯してはいけない過ちをするなどしてしまっていた自分を変える為でした。
恨んだり、嫉妬したり、思い通りにならなかったからといって、相手を誹謗中傷してしまっているのは、自分自身であるのに、今までの思考を改めて、積極的な行動がとれるようになりたかった為です。
修行のメインであった滝行では、厳しい寒さの中でも、忍耐力、我慢強さ、そしてどんな試練にも負けない精神力を養われた気がします。
水の冷たさは、身体がこごえるほどで、滝の勢いも相当なものでした。
初めは慣れるまでに時間がかかりましたが、しばらくすると、体が水と一体化してきてずっと滝に入っていられるような感覚になってきました。
結果は、初めてでしたが、12分ということで、平均より長かったそうです。
雨も降っていて、冬の時期の滝行ということもあって、かなり過酷な状況でしたが、厳しい面、精神は鍛えられたのかなと思います。
その他、挨拶の作法、腹式呼吸、瞑想、写経といった、主に声を出したり、精神を統一する修行では、今までの人生を振り返り、人との接し方、当たり前と感じていた考え方、生き方を強く考えさせられる体験でした。
初めは普段慣れていないせいか、正座や・座禅をするだけで足が痛くなったり、疲れてしまっていたのですが、次第にその意識もなくなり、集中できるようになっていました。
日常生活ではあまり意識した事がないですが、挨拶、掃除、礼儀など無意識の中で行っている良い習慣が、人生を良い方向へ導いてくれるのだと実感することができました。
自分の人生は、自分で切り開らいていくものだし、自分を知るのも自分、自分を愛するのも自分。
人は、一人では歩んでいけませんが、最終的には、自分が決断し、解決し、道を進んでいくものです。
人によって価値観は様々ですが、社会の荒波に負けないよう精進して参りたいと思います。
貴重な体験修行ありがとうございました。
二泊三日で体験させていただきました。貴重な体験で自分自身にとって一生物になったと思います。
修行の動機は、うつ病や引きこもりではなく、純粋な興味と何故か行ってみたいという気持ちが高まったからです。
二十一歳という若さで来たので、先生は若いのに珍しいなと笑いながら気さくに話しかけてくださいました。
私はお寺というのは少し堅いイメージがあって、初日は緊張していました。
ですが先生を始め職員の方は普段見せてもらえないようなことや、仏教についてなど丁寧に教えてくださり自然と興味を持っている自分を感じました。
滝行メインで来たはずがいつしかもっとたくさん学びたいと思うようになりました。
日帰りで行うのと、止まるのとでは雲泥の差で学ぶことが多いと感じました。
暮らしていく中で自然と考え方が変わっていくのです。
仏教に携わり瞑想写経滝行等の修行を重ねていく中で、ご飯のある有り難さ、人との接し方、家族や友人、普段では当たり前すぎで感じないことに気づき感謝が生まれました。
私はあまりこういった考えが変わるだとか、スピリチュアルのような物は信じない方でした。
多くの方もそういう考えの人がいるかも知れません。実際に味わっていないからこそ理解できないことも無理はありません。
ですが実際、体験すると本当に変わるんです。私が体験したことでいうと、朝太陽がのぼり日差しを浴びるとすごく暖かく嬉しい気持ちになり、有り難い気持ちになりました。
一日の始まりをありがたく思ったことなど今までにありませんでした。私はこのように感じましたが、人によって感じることは多様だと思います。
何よりも先生・職員の方は親身になってくれるのですごく話したい気持ちになります。宿泊したからこそ得られたことだったのかなと思います。
朝昼晩の料理も先生がすべて手作りで作ってくださりどれも美味しかったです。
先生が教えてくれたことで一番思い出に残っているのが「氣」でいろいろなことが理解できるということでした。
私も体験しましたが本当にすごいという言葉しかありませんでした。
言葉では表現できず是非体験してもらえば何かしらわかると思います。
今回の修行は本当に自分にとって貴重な経験になりました。
「自分を認めてあげる」一番心に刺さった言葉です。
先生をはじめ天光寺の皆さん本当におせわになりました。
ありがとうございました。今回の寺修行の計画を聞いたときは、観光気分で修行するのかなと思っていたのですが、寺に着いて驚きました。まずは、もの凄く山奥にあり、バスも1時間に1本ほどの場所にある事。そして何より修行の内容です。山奥にあるので、電波は通じるのかと思いましたが、その不安はお寺に着いてから解消されました。最初にお寺の人に携帯や財布などを預けるため、修行に行ったみんなが携帯を使えない状態になりました。財布は、まず買い物をする場所がないので、必要ありませんでした。ここからお寺の修行となりました。着いてすぐに、寺の服に着替えをし、寒い部屋で2時間ほど正座をし、その上、三禮というハードなことをして足がしびれ、膝の皮をすりむいてしまいました。その後に、写経という筆を使いお経を写すという修行をしました。この日の中で、これが一番きつかったかもしれないです。三禮は、肉体的疲労があり、もう立てないほどでしたが、それをやった後に筆を使い文字を書く、かれこれ2時間ほど正座をしたので、ひざがやられてしまいました。1日目の修学の内容は、言葉だけ聞くとそんな大したことじゃなさそうですが、実際にやってみると、階段の1段も踏めないほど足がやられます。今回、僕を含め4人で、このお寺で修行することとなり、それぞれ目標がありました。一人はモテたいから。二人目は他の三人に連れられ、三人目は早口な所と親に内緒にしていることを直す、そして僕は根性を叩き直すでした。理由として、適当に人と接してしまい、そこを直したいと思ったからです。それなのに、最初お寺の方が人生の話をされ、「あなたは人生の主人公ですか?」ときいて、僕は「主人公です」と言い、「何の主人公なのですか」と続けて質問だった為何か答えなきゃと思い、「ハリーポッターです」と、まともではない答えをしてしまいました。それから、昼食の時に、みながお寺の方へ質問をしていたので、僕も質問しようと思い、印象に残る事を言おうとして「ハンバーガーなどは食べれますか」と質問をしました。それに対して、お寺の方は「修行中は食べれませんが修行の時以外は食べます」と答えてくれたので「お寺でハンバーガーは食べれますか」などと訳のわからない質問をしてしまい怒られました。こういった間が抜けることを日常的に言ってしまったりやってしまうので、一度心を改めなきゃいけない。そして、修行をするという機会を与えて頂いたので、この機会に人と接することを真剣にしようと思いました。もしかしたら、
一緒の仲間の中で一番怒られた回数が多いかもしれません。それだけに、みんなも一緒に怒られ皆にも迷惑をかけてしまい、修行をしたことで身も心も引き締まりました。今までは何かを発言する時は、後先考えないですることが多く、それにより怒らせてしまうことが多かったので、これからは物事を一度考えた上で、発言することを心がけようと思いました。二日目の修行は、主に滝行とお百度参りでした。お百度参りの内容は、20メートルを走りながら行き来し、振り返るタイミングでお経を唱えるというものでした。お経こそちゃんと言えないときもありましたが、他の3人に遅れを取られないように今までやってこなかった「一生懸命に頑張る」というのをやってみたような気がしました。続いての滝行では、3番目に行ったのですが、前の二人より長い時間滝に打たれていようとしました。そういったことも含め、最後のあいさつで、お寺の方から、来たころに比べると変わった、と言われました。一泊二日の修行で本当に僕は変わったんだなと実感しました。今まで行ってきたこともこれからは新しい心を入れ替えたように生きていこうと芸人としても一歩踏み出せたような気がしました。
僕は、お寺というところへ一度も行ったことがなかったので、一度行ってみたかったと思っておりましたので夢が叶いました。
今までの人生中途半端だったのでどこかで自分のだらけきった心を清めてくれる場所はないかと探していたところ、天光寺さんという素敵な場所を見つけることができました。
僕の人生の中で寺で修行を受ける機会がなかったので、その機会を与えてくださった小籔さん、村田さんそしてスタッフの皆さんに感謝しても感謝しきれません。
天光寺さんの外観はとても立派で素敵なオーラを感じとれるぐらいでした。
いざ中に入ってみるとお師匠さんとその修行僧の方々が出迎えてくれました。
お師匠さんはとても気さくで素敵な笑顔を振りまいてくれました。
そしてそのお師匠さんの元で修行をされていらっしゃる方々もやはり素敵な笑顔でした。
1日目は修行着を着させていただき、身も心も「さ~、やるぞ!」という気持ちになりました。そして着替え終わっていよいよスタートです。
まずは基本であるあいさつ作法からです。正座を組み、腹から声を出す作法を習いました。
とにかく人に感謝される人間になりなさいとのことで、人に感謝される人間になるには礼儀作法が重要とのことでした。
あいさつのひとつをやるにしても熱心に教えてくださる天光寺の人たち。
そして昼食へ。配膳の準備からひとつひとつ丁寧に教えてくれ、なかなか覚えが悪い人もちらほら出てきました。
昼食後は三禮という修行を行いました。三禮というのはお経を唱えながら正座の状態から屈伸のような動作をする修行で、とにかくこれがキツくて何度くじけそうになったか...。汗だくになりながらも、何とか練習についてくのは危機迫る感じでした。
その後、夕食が始まり、昼食の様子とうって変わったような雰囲気に圧倒されました。修行僧の見る目が変わった気がしました。
翌日の朝はそうじから始まり、修行僧の方の目がキラリと光りはじめました。
その期待に応えるようにテキパキ行動する仲間の成長に目を疑いました。
その後、一大イベントの滝行がついに始まりました。他の3人がすぐギブアップする中、僕は15分間、滝の中で己を磨きました。
一大イベントが終わり、お師匠さんのお経が始まり、お線香を仏様に差し上げ体験修行は終了しました。いい体験させてもらいました。ありがとう。天光寺さん。
私は先日より参加させていただいている企画でお世話になっている小藪さん、とろサーモンの村田さんより、お寺で一泊二日の修行をしてくるようにと言われ、天光寺に一泊二日の修行をしに訪れました。
当初の目的はエピソードトークを話すときに早口になってしまうので、それを克服することと、芸人という仕事をしていることを両親に内緒にしているため、そのことについて見つめ直すことでした。
天光寺を訪れ、お師匠様にお会いしたときにこの人はタダ者ではないなと感じ、お寺の雰囲気も神秘的なものを感じました。
そして修行が始まり、真言宗のお経の唱え方を修行僧の方から教えていただき、三禮という礼拝の仕方を三百回繰り返しやることになりました。
三禮はとても厳しい修行で体に物凄い負担がかかり、後半は自分でも何をしているかわからない状態になりましたがなんとかやり切ることができました。精神的、肉体的にも成長できたと思います。
その後 夕食をいただき、お昼に食べたときと同様にお師匠様の料理への造詣の深さに驚き、ありがたいものを食べさせていただいているなと身も心も元気になりました。
そして片付けも自分達ですることで感謝とスッキリとした気持ちになることができました。
その後 写経を体験させていただき、三禮でヘトヘトになった足で正座をするのはこたえましたが写経をしていくうちに日頃余りある煩悩が少しずつ消えていく気がしました。
その後お風呂を使わせていただいて一日の汗を洗い流してくうちに身も心もきれいになってく気がしました。
そして一日を終えて自身の成長を見つめ直すうちに、早口のことの他に自信が如何に怠情な生活をしてきていたか、欲望を優先しておろそかになってしまったことを改めて考え、二日目はそういったことに打ち勝てるように修行をしていきたいと思いました。
そして二日目 朝起床し、お寺の大掃除が始まり、普段自宅で清掃を怠っていることもあり、何度もご指導をいただいて細かいゴミや見落としがちな部分の清掃についてのご指摘を受け、身の回りを見渡して配慮することの大切さを学びました。
次に発声の修行と瞑想について教えていただき、日頃芸人として大切な声を出すということについて改めて学び直すことができたのと同時に瞑想によって心の静けさを取り戻すころができ、普段持つことが出来ない貴重なひとときを得ることができました。
その後、お百度参りと滝行の修行をやらせていただくことになり、お百度参りを通じて何かを願うということは気軽に出来るものではなく、しっかり真心をこめて仏様にお願いしなければならないということを学ぶことが出来ました。
そして遂に滝行に行くことになり山の奥へ奥へと仲間達と共に修行僧の方に導かれて、山から流れ落ちるきれいな滝を目の当たりにすることができました。
仲間が必死に滝に耐えている姿を見て自分にものすごい恐怖心が湧いてきましたが何とか勇気を出し滝行に挑むことができました。
そこで全く滝に耐えることが出来ず自分の未熟さを感じました。
また緊張が取れてしまい仲間の米村くんが必死に滝に耐えているのに笑みを浮かべてしまい後にお叱りを受けて自分は何て恥ずかしいことをしたんだろうと情けなくなりました。
最後に護摩を見せていただき火の強さ、荘厳さに圧倒されました。
最後に天光寺のお師匠様、修行僧の方にお別れの挨拶をする際の礼をあろうことか間違ってしまったのは本当に情けなく修行が足りなかったと感じました。
一泊二日という短い期間でしたが、己の反省点を多く見つけ、今後芸人として成長していくにはどうしたらよいか本当に貴重な機会になりました。
ご指導いただいた天光寺の皆様、本当にあるがとうございました。
私は、今回人生で初めて寺修行というものに参加させていただきました。
普段の生活でお寺に行く機会などは少なく、初詣で一年に一回行くか行かないかくらいのものです。あまり馴染みのない場所で一泊するというのは初めは少し緊張や、何をするかが分からない不安などもありましたが思えばあっという間に終わってしまいました。
到着して早々、電子機器は使えないということでお寺にスマホを預け、
「ああ二日も触れないのか、大丈夫かな」と心配していたのが懐かしいです。
いつも肌身離さず持っていて、結構時間を食うスマホも、なくても全然生活には困らないということを学ばせていただきました。
それだけでなく、一日の時間の長さというのに気付き、いかに自分がスマホに時間を割いてしまっているかも痛感しました。
また、この2日で行った修行を通して、自分は少ししっかりしようとすれば出来るかもしれないということにも気付きました。
普段の生活では自分はそこまでしっかりしている訳でもなく、どちらかといえば怠けただらしないほうの人間なのですが、一緒に修行をした僕以外の三人が、少し変わった怠けた人達だった為、僕だけでもしっかりてきぱきとこなそうと心がけていた結果、
意外と自分はしっかり出来るのかもしれないと感じ始め、この修行を終えてからも心がけをしっかり持とうとすることを決めました。この修行で得た思わぬ副産物でした。
今回得た大きなものは、全ての物事や人に感謝を忘れないこと。
人への配慮、気遣い、精神的な人としての成長です。
「思考が人生を作る」
全ての自分の行動や言動は自分に返ってくる。その為、挨拶や感謝、気遣いは絶対に忘れちゃいけない。積極的に、今自分が出来ることを考え実行する。これはバイトなど、様々な所で実生活に役立つ考え方だと感じました。
これは芸人である自分にも絶対必要な考え方であり、人からの信頼を得て、
あ、この人なら仕事を依頼できるなと思ってもらえる様になる為には必要不可欠なものであるということが分かりました。
また最後には、黙々と自分の仕事や割り振られた事を実行するのではなくもっと周りを見ることが出来、積極的にそれをやるべきというお言葉を頂きました。
確かに自分は学生時代、部活の部長や応援団長をやっていたこともありましたが、これを今やっているバイトや芸人活動にも応用出来るかもしれないという自信が少しだけついたので、もっと自信をもって周りをよく見れる人間になりたいと思います。
興味深い話を一つ聞いたのですが、「仏像が息をして肩が動いているのが見える」というものでした。これを聞いたとき、中学の修学旅行で行った京都のお寺での「仏像というのは自分が見た時の年齢や心情によって見える顔の表情が違う」という話を思い出しました。
この一泊二日の修行を終えた今、あの頃行った京都のお寺にもう一度行ってみるという楽しみが一つ増えました。
今回は修行のいろはを教えて下さってありがとうございました。
これから頑張ります。
今回私がここに滝行に来た理由は、会社で課長という人をまとめるという立場になったということで気を引き締めるためにやってきました。
お寺に着いてまず受付、説明指導、着替えを行いました。
次に、お百度参りを行いました。
普段から運動をしない私にとって100回も往復するのはとてもきつくなんども途中で諦めようか迷いましたが最後までやり遂げました。きっと今までの私ならば諦めていたと思いますが今回はそんな自分を鍛え直すという意味で来たのでここで諦めてはいけないと思って最後までやり遂げました。やり遂げた後はとても気持ち良かったです。
こんな気持ちになったのは久しぶりでした。最近は毎日同じことの繰り返しで心身共に疲れ切っていました。
そして、ついに念願の滝行です。滝をあんなに近くで見たのは初めてでした。とても力強く水が落ちている音とは思えない音がなっていました。
入るのにとても躊躇いました。ですが、ここで諦めてしまってはわざわざここまで来た意味がないと思い勇気をだして滝の中に入っていきました。中に入ってみると外で見るよりも迫力がすごかったです。呼吸するもの困難で実際に入っていたのは短い時間だったのですけどとても長い時間入っていたかのような感覚でした。
今回、滝行やお百度参りを体験してまた一回り人として成長できたのではないかと思いました。ありがとうございました。
進学で地方から出てきた私は、今思えば浮かれていました。大学生になって一人暮らしを始め、色々な事が自由になり、羽を伸ばしていました。友達と夜遅くまで一緒に過ごすこともありました。学校にサークル、バイトと忙しい日々を送り、五月病にもなったりしました。
体験修行に参加したきっかけは、私の所属するサークルの歓迎会の一部だったからです。
堕落した生活をしていた私にはちょっときつかったですし、なんでこんなことするんだろうと思いました。実際に体験修行をしてみると、お経を読んだり、瞑想をしたり、滝行をしたり、写経をしたり、初めてのことばかりでした。滝行は本当に水が冷たくて、早く終われと思っていました。生きた心地がしなかったし、寒くて震えました。でも終わった後、なぜかスッキリした気持ちになれて友達と驚きました。修行の中でサークルの同期の子たちとも、いろんな話をしたりして、仲良くなれたり、お互いのことを知ることが出来ました。また、修行にはほかの参加者さんもいて、意見交換をしたり、色々な事を話すことで、知らないことや世界を知ることが出来たと思います。社会人が多い中、学生の私たちが参加することもいい経験になっていいなと思いました。人生の節目節目で、ここに来れば気持ちがリセットされていい切り替えになると思うので、また何かの節目で凝れたらいいなと思います。
最初は嫌だったけど、思い切って参加してみると心が洗われて綺麗な気持ちになれました。今回一泊二日でこちら天光寺で素晴らしい経験ができました。先生方ありがとうございました。私の人生は波乱に満ちております。これまでも色々な経験をして参りました。その度に人として成長でき、こうして今も手を併せる事ができ生かされて頂いている様に思っております。天光寺での経験、出会えた先生方に感謝をし、教えて頂いた事を少しでも残りの人生の糧にして悔いのないものにしたいと思います。
先生方、親切・丁寧にお言葉を頂き本当にありがとうございました。天光寺の皆さま、この度は一泊二日ではございましたがお世話になりました。ありがとうございました。今回、転職を機に新たな気持ちで臨もうということで、独りではやらないことに何らかチャレンジしようということで、滝行にトライしようと思い立ち、会社の同期と共にこちらに伺いました。最初は滝行をということでの話ではございましたが、護摩行にも参加をさせて頂き、精進料理などもいただき大変貴重な経験をさせて頂きました。
とはいえ今日の訪問の重たる目的としての滝行は、お百度参り始まり、足裏の感覚を忘れるように往復し「無」をそこはかとなく感じたうえで滝に入りました。想像をはるかに越えて冷たく、痛く、そして辛いものではございましたが、最終的には何か自然と一体になったような感覚を得ました。この凛々しい感覚をもって新たな職にトライをしていこうと思います。重ねてにはなりますが、この度はありがとうございました。変化の多い2019年の始めに心身共に一新したいという思いで参加しましたが、滝行やお百度参りを通じて心を一旦「無」にすることができ、スッキリした思いです。この体験をきっかけに気持ちを新たにまた歩んでいきたいと思います。
また、様々な教えの中で、多少のことには動じずにポジティブにかつ積極的に生きるというのが身に沁みました。新しい職場で特につらいこともあるとは思いますが、この教えを忘れずにチャレンジをしていきたいと思います。
2日間ではありましたが、ありがとうございました。今回初めてお世話になり、ありがとうございました。
滝行は御岳山の滝で10年程前よりお世話になっておりましたが、今回の滝は初めてですので、貴重な機会をいただけましたことに、感謝しております。
滝の水量もほど良く、寒くはありましたが、大変気持ちが良く素晴らしい体験でした。
お百度参りの始めはコンクリートが冷たく、走るのも大変だろうと思ったのですが、途中からはコンクリートの冷たさも気にならなくなり、全力で走ることがと「南無大師遍照金剛」と大きな声でお唱えすることが、大変すがすがしく体験できたことに感謝いたします。日々いろいろな出来事があり、良いと思えることだけではなく、辛い事や大変と思えることもありますが、あらがえず全ての出来事のプラスの面を見出し、恐れることなく全ての体験に感謝し、今後も精進していこうと改めて決意出来た素晴らしい行でした。
写経、写仏はなかなか上手に書けず、時間もかかり、苦労いたしまた。
筆使いが難しく、細く書けたと思ったら、その後太くなってしまったり、かすれてしまったりと大変でした。
六波羅蜜の中で、個人的に一番「忍辱」が難しいと感じている私にとって、大変感じるものがあった行でした。
人生思うようにいかないことも多くあり、ままならないものですが、そういう時に、どうでも良いとすぐあきらめてしまうような思いが出て、短気になってしまいがちなところがありますが、写経、写仏の行をさせていただくことで、改めてこそ自身の弱いところを反省出来ました。短気を起こさず、思うようにならないことや困難にぶつかったとしても冷静に自分の出来ることの最善を尽くし、しっかり自分を信じ人生を歩んでいきたいと思います。
ままならないことにこそ一番多く学べる機会であると感謝してまいります。
夜、拝聴させていただいたDVDのご講話は大変興味深く、勉強になりました。
中村天風さんはヨガを日本に持ってこられた思想家と認識しておりましたが、お医者様であり、がんを治される為にインドに行かれたなど、詳しいお話は知らず勉強になりました。
真言密教は言葉、言魂を大切にされており、とにかく発する言葉に気を付けなくてはいけないと、中村天風さんのお話を通し伝えてくださり、とても印象に残りました。
日頃より気をつけてはおりましたが、言うは易し行うは難しで、知識としてはあっても常に行えるようになるには、まだまだ未熟者ですので、日々今後も精進していこうと改めて強く決意出来、心より感謝いたします。今後は自分にたくさん使い、マイナスの言葉を発言しないよう、より気を付けてまいります。
ご講話の最後の誓いの言葉たくさん発し、自分はもとより、周りの人達も今世での使命を全うし、光り輝く存在とし生きていけるよう尽くしていく所存です。
「燈照隅万燈照国」の言葉を胸にとにかく継続してまいります。
瞑想はどれも素晴らしかったです。
声出しは初めてで、とても気に入りました。家でもやってみたいと思います。
今回は断食もさせていただき、一番の目的である体重を落すこともできました。
2kgほどですが、家に帰っても少し様子を見ながら継続したいと思います。
成田山の断食修行は何度もお世話になっており断食は人気が出てきておりますので、今後取り入れていただくこともご検討いただけたらと存じます。
行があるので、野菜ジュース断食等で体力を落とさず出来るものも良いかと存じます。
最後になりましたが、2泊3日いろいろお世話とご指導いただきました荒井さんに心より感謝申し上げます。
挨拶のご指導等大変ためになりました。
この素晴らしいスケジュールを作られ、一般の方々に修業出来る場を用意してくださった天光寺の皆様に心より感謝申し上げます。
これからますます寒くなりますがどうぞご自愛下さいませ。良いお年を。二十五歳になり、生まれて初めて修行と宿坊体験をしました。短い期間でしたが、なんだか生まれ変わったようなすがすがしいさがあり、心が軽く清められた気分になりました。
最初はどきどきしていました。五日市に訪れるのは初めてで、そこから長くバスに揺られて辿り着いたのが天光寺でした。イメージ通りの静かな佇まいで、身が引き締まる感じでした。中に入り、所作や挨拶、色々と学び、食事を共にしていくうちに同じ体験の方と交流でき、仲良くなれたことで、ご住職とも会話が弾み、リラックスして楽しくできるようになりました。
色々お話も聞けて嬉しかったです。今回、私は体験修行を受けてきました。
体験修行を受けようと思った理由は、興味本位でした。
現在は、学生ですが来年にはもう就活も始まり社会人の仲間入りする予定です。そこで、自分を叩き直すという意味も込めてこちらに来ようと思いました。
内容としては、挨拶等の礼儀作法を学びその後、お百度参りをして滝を浴びる流れです。
まず、驚いたのが大自然です。ここまでの自然をこんなに身近に感じたのは久しぶりでした。
なんだか、自然に触れていると不思議と心が癒されてきました。自然には不思議な力があるなと思っていました。
次に、お百度参りでは全力で走りました。全力で走るのは普段なかなかしないことなのでとても疲れました。元々、身体を動かすのは得意な方ではないのでなんか嫌だなと思っていたのですが大自然に囲まれ全力で身体を動かすのはとても気持ちが良いものでした。
最後は、滝行です。滝行では、お百度参りで出した汗を流すようで気持ちよく見えたのですがいざ入ってみると勢いが強く予想していたよりも大変でした。
今回修行を受けてみて、普段生活しているだけでは見えてこない部分が見えてきて自分の新しい一面を発見することが出来嬉しかったです。また、なにか新しいことに挑戦したいです。
今まで学生生活を送ってきて、自分なりに頑張ってきたつもりだったけど、周りの人に比べれば何も残っていないなあと思っていました。4年間いろんな経験、遊び、勉強をしましたが、まだまだ未熟な自分に喝を入れて、社会人をスタートさせたいと思い、参加を決めました。一人での参加だったので、不安でしたが、そんな不安を思い出す暇もないくらい密度の濃い時間でした。集中する場面が多く、受験勉強をしていた高校生の頃を思い出しました。あの頃より集中力がすぐ切れるなと感じ、4年間で衰えてしまって落ち込みました。生活の中で集中する時間を設けることは大事だなと思いました。一番楽しみでもあり、緊張していた滝行は充実感のあるものでした。すごい水圧と水しぶきの中、滝に耐えるというあの時間は一生忘れられません。自分に打ち勝ちたいという一心で耐えました。滝に入っているときはそればかりであまり覚えていないのですが、終わった後はとてもスッキリした気持ちと達成感で気持ち良かったです。さまざまな経験を短い時間の中でさせて頂きました。自分に自信がなくなった時は、この経験を思い出したいです。また、思い立ったら修行に来て気持ちをリセットさせたいなと思いました。初心を忘れないよう、社会人になっても頑張りたいと思います。お世話になりました。ありがとうございました。
私が体験修行を受けた理由は、自分を見つめ直そうと思ったからです。
自分を見つめ直そうと思ったきかっけは、今まで勤めていた会社を辞めたことです。
毎日仕事に明け暮れていて心の休まる暇のなかったせいか少しずつ自分自身を見失っていきました。日に日に自分が自分じゃなくなっていく感覚とても怖かったです。ある日、会社を辞めることを決意しました。そこから1週間ほど自分の好きなことをやっていましたがそれでも心が休まることはありませんでした。そこで、学生の頃からよくしていただいている先輩に相談したところ天光寺さんを紹介していただきました。
その話を聞いてからすぐに申込ました。そして、当日私はお寺について周りの景色をみてこんなにも自然豊かな場所にあるんだと思うと同時にこういうところにきたのは社会人になってから初めてだったので感動しました。受付をして、早速修行開始です。
私が、申し込んだ内容は滝行を受けられるものでした。まず初めに、挨拶等の礼儀作法を習いました。次に、行ったのは写経です。筆をもつのは久しぶりでした。墨の匂いが心を落ち着けてくれました。その次は、お百度参りです。お百度参りでは、とても疲れたけれどもこんなに気持ちの良い汗をかけた喜びをかみしめていました。
いよいよ滝行です。滝を目の前で見てもそれほど勢いがあるように見えなかったので温泉やプールなどにあるものと同じ感じなのかと思っていましたが、いざ滝を受けてみるとビックリしました。修行に来る前に天光寺さんのホームページにある感想文を読んだ時にこんな風に感じるなんて大げさだなと思っていたのですが見るのと感じるのではこんなに違うのかと感じ改めて自然の偉大さを思い知らされました。滝行で、心だけでなく体の疲れそして、先入観というものを失くしてくれました。
今回体験修行を受けてみて、心が癒されるのを感じました。こうして、パソコンやビルなどの人間が作り出したものに囲まれていると自然というものを目の当たりにしたときにいかに自分がちっぽけな存在か思い知らされます。自然に囲まれているだけでなんだかパワーをもらったかのようにいつも以上に体が動かせるような気になりました。
これから、新しい就職先を見つけるなど色々やることがあるのですが、頑張れそうです。
ありがとうございました。
一泊二日の体験修行を初めて体験させていただきました。台風接近中という生憎の悪天候でしたがお百度参りも滝行も無事執り行われました。
滝行前に、般若心境を唱えていた時は、あんなに声が出なかったのに、滝に打たれたら自分でも驚くほどよく声が出ていました。滝の迫力に負けじと感じたのでしょうか。次は写経と写仏ですが写経は何度かしたことがありますが小学生以来の毛筆には苦労しました。終盤になってやっと力加減や筆遣いがわかってきた始末です。
写仏は初めてでしたが元々絵が好きなので正直写経より集中していたようです。最近何かと雑にすることが多くなってきたので自宅で続けてみようと思います。二日間という短い期間でしたので今抱えているすべての悩みやストレスがきれいさっぱり解消するとはいかないまでも、解消に向けて一歩踏み出したように思います。なんだか力が沸いてきました。どうもありがとうございました。それから御食事もとても美味しかったです。ごちそうさまでした。
この度体験修行でお世話になりました。
天光寺での企業研修というのに興味があり、年明けに企業研修をお願いしようと思っておりますので、今回は下見を兼ねてまずは私自身が体験しなければと思い修行させていただきました。
体験の内容はとても濃く、非常に良いものばかりでした。その中でも一番良いと思ったのは、挨拶の作法からの、腹式呼吸、発声法というのが、まさしく私が一番求めていたもので、今の新人社員に足りないものはそれだと実感しました。
やはり、腹の底から出す声で、しっかりとした挨拶が出来ないと何も始まらないので、実によい修行だと思いました。
お百度参り、川行、滝行も思っていたよりもずっと厳しいもので、今の若いものたちがどれだけ耐えられるかが見ものです。しかし、終わった後の爽快感や、達成感はとても素晴らしいもので、大げさに言ってしまえば新しく生まれ変わると言いますか…一皮むけた感じになり、かなりのものを得ることができました。
これを企業研修で仲間と共に達成出来たら、団結力も身につくのではないか?と思いました。
写経・写仏では、やはりまず最近長い時間正座をすることが無いですので、まずはその苦痛に耐えながら、一つのことに集中するという忍耐力が身につきます。どうしても足がしびれると思ってしまうと、雑念からか字も歪んでいってしまいますので、自分との戦いですね。これになれることができたら、かなりの集中力が身につくと思いました。
そして瞑想ですが、最近巷でも瞑想が流行っていまして、私もすごく興味があったものだったので、瞑想も修行内容に入っていてすごく嬉しかったです。
自分が想像していた瞑想とは違って、指導されるがまま行ってみると、スーと入っていくのが分かり、肺と全身に血流を送り出していくのが分かりました。エネルギーの広がりを感じ、意識の奥深いところから響いてくるもの、自分の内側から出てくる様々なものを感じることは出来ましたが、私もまだまだ初心者ですので、もっと瞑想をマスターしたいと思いました。でも本当に噂通り、瞑想は実の良いものだと改めて思いました。
弊社でも、始業の前の5分間でも瞑想を行うように出来たらと考えております。
そして最後にご住職の法話では実に良いお話をしてくださいました。私の他に修行に来ていた方も、涙を出せれてお話を聞いておりました。
天光寺にはさまざまな悩みを抱えた方が修行に来られると思いますが、あのようにご住職が温かい目で温かいお話をしてくださると修行を行う意味、生きる意味、何事にも感謝をする意味が本当によくわかりました。
今回の修行体験で、私自身もものの考え方が変わりました。本当に素晴らしいお寺であると思いました。
年明け早々に企業研修をお願いして、社員一同気持ちを新たに、ますますいい会社になっていけるよう精進したいと思います。
ありがとうございました。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
新人研修のようなもので今回ここ天光寺に連れてきて頂いたわけだが、僕自身、今の今までの全くと言っていいほどお寺とか、神社とか、宗教とかに興味を持ったことが無かったので、そんな人でも果たして大丈夫なのだろうかと思っていた。事前に送っていただいた天光寺のホームページを見てみるとなるほど、会社や企業の新人研修および、今後の社会へ出て戦っていく若者たちの度胸付けのようなもの(プラン)があることを知り、こういうものとしてお寺に入ることも出来るのだなあとここで初めて知った。
ならば自分は「この与えられた2泊3日をどれだけ意識的に取り組めるかだ」と言う気持ちで過ごすことを決めた。初日。
なれない正座にすぐしびれが来たが、勝手に体制を崩すようなことはしなかった。
お百度参りも真剣にやり、滝行も限界の限界まで滝に打たれた。そうした帰りの下山の気持ちは晴々でなによりちゃんとやれた自分にほっとした。
半強制的に始まったとは言え、こんな気持ちにさせていただいた会社やお寺の環境に自然と感謝した。ところが二日目。初日ではやらなかった掃除や瞑想までは良かったのだがお百度参りと滝行はあまり気が乗らなかった。一回目で気合を使いすぎてしまったのだ。それでもとりあえず両方とも行った。そしてやるからには真剣に走ったし、限界まで滝に打たれた。ただ、その後の達成感はあまり無く、「自分は1回やれたことは2回目もなんなくやれる人だな。」と自分のことを分析した。
そんなことを思っていたらふと「3回目もどうせやれる力はあるのだから最終日はやらなくてもいいのでは?」という感情が芽生えた。寺に帰ると、部長の高尾さんに「明日は社長さんと滝行やられますか?」と聞かれたので「やらなくてもいいならやらないでいいです(笑)」
と答えた。「変われていない」と思った。多分、もともと2日連続でお百度参りと滝行をやるくらいの度胸は持っていて、自分はそれで十分だと自分の成長を自分で止めてしまっていたことに気付いた。すると、明日もお百度参りと滝行をやる意味が見えた。自分の感情だけで自分のことを決めないことだ。2回できたことは3回できる。わかっていてやろうとしなかった自分を成長させるチャンスを頂けたことに苦しいけど感謝して、しっかりやり遂げたいと思う。生意気言ってすみませんでした。
今回、仕事の部署移動などの関係もあって連休が取りやすい環境になった事もあり二泊三日の体験修行に申し込みました。
瞑想などの自分で出来ることは以前から自宅や仕事中などでも行っていたのですが、滝行などはなかなか日常生活の中では機会にめぐまれなかったので、とても貴重な体験となりました。十月という時期は、まだそれほど気温も低くないのですが、滝つぼの水はとても冷たく感じ、頭から滝を浴びると一瞬で出たくなるほど、とても冷たかったです。
しかし十秒ほど耐えると冷たさもマヒして、むしろ気持ちよく数分間入っていることができました。とても貴重な体験をありがとうございました。滝行の他にも、読経や写経、写仏などなかなか普段は持続できない長い時間集中力を要するもので、正直疲れもしましたが心地よい疲れで達成感も得られました。
私がこういった精神世界などに興味を持ったきっかけは若いころに体験した幽体離脱です。
あまり人に言っても信じてもらえる内容ではなかったので今までも語ってはこなかったのですが、とても神秘的な体験で何度か再現させて楽しんでいました。
私のやり方では寝ているときに瞑想してトランス状態に持って行くのですが、年を重ねる中で、仕事や家庭など忙しくもなりなかなか成功しなくなってきました。
瞑想のこつなどを取り戻す、いいきっかけになればと思って今回参加させていただき、今後に生かせる良い体験ができたと思っています。
今回途中で体調を崩して二日で帰ることになってしまいましたが、また機会があったら今度は妻でも連れてもう一度参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。
私は四泊五日間、とても短い時間であっという間だったと感じました。
一日目、初めてこのお寺に来た時、とても緊張しました。
正座はとても足がしびれて疲れました。けれども様々なお経が知れて良かったです。
お百度参りはかなり疲れたけど、終わった後には達成感がありとてもいい経験になりました。
滝行は、最初とても水が冷たかったけど後からだんだん温かくなってきて慣れました。
とてもいい経験になりました。
寝る時には、年下の子とたくさんお話をして、とても盛り上がって楽しかったです。
二日目は、仏様にお供えしました。とても片付けが大変だったです。
朝起きた時後の掃除は、普段あまり朝早く起きないのでとても気持ち良かったです。
食事は、朝昼晩精進料理で、バランスよく食べられたと思います。
私はこの四泊五日でとてもいい経験ができ、いい思い出が出来たと思います。
またこのお寺に来たいと思いました。
感想文
埼玉県川口市より参りました。
この度七月十四~十五日)は一泊二日の修行ということで大変お世話になりましてありがとうございました。当初は会社行事として私が企画し、従業員全員(約三十五名)でお邪魔させていただく予定でしたが、仕事(現場多数のため)にてほとんどの従業員が不参加となってしまい、泣く泣く仕事の軽めでした三名のみ先発隊ということで参加させていただくことになりました。
ここから先は会社としてではなく、私個人の感想として書かせていただきます。
今回体験させていただきました修行の内容としましては、お百度参り、滝行、写経、写仏、座禅、瞑想とそれほど多く体験できたわけではありませんが、普段どれだけ忍耐やがまんすることから避けた人生を送っているか?どれだけ集中することを怠っているのか?改めて感じざるを得ませんでした。
一泊二日では、日常のだらしない生活から離れて、少し辛い思いをしただけで、その辛さ…忍耐や苦業の先にあるものまではもちろんながら身に付けたり、体験することができませんでしたので、次回時間が許す限り長く、可能であれば二週間~一ヶ月連泊でお邪魔させていただき、その先のある”何か“を体験、体得したいです。
それを体得出来た時にこそ、人間として、自分自身が本当に変われるときなのかなと感じております。
次回以降は、また別の従業員を連れてお邪魔致しますが、修行もそうなのですが、まずは何でも人にやってもらうような生活をしている人間たちに、何でも自分でやること、その中で相手を思いやり行動すること、自分がどれだけ恵まれた生活を送っているのかを宿泊、修行の中で学ばせたいです。
この度は二日間という短い時間でしたが、誠にありがとうございました。また伺える日を楽しみにするとともに、明日からの生活にこの二日間で学んだ事を活かします。
僕はママに誘われてついてきたのですが、お百度参りと(滝行・川行・水行)に行って心を入れ替えて励んだり、長文のお経を覚えたり、ある日は「南無大師遍照金剛」と滝行の時にいっぱい言いました。
修行はとても厳しく辛くて、でも楽しいこともあって、たまたま泊まっていた中学一年生のお兄さんと遊んだり、寝る時に話したり、一日一日がこれを機にこれから楽しむときと、頑張るときを区別して、次の日、一ヶ月後もいっぱい頑張りたいです。
修行をして大切なことや、やらなきゃいけないことなど色々なことを教えてもらって、神様への言葉や態度、物を戻すとかいろいろされて、神様はどんな人なのか、どんなことをしたのか、どんなことを考えていたのかを考えて、いろんなことを勉強しました。
この気持ちを忘れず、これから生活に励んで、より楽しく、より大切にしていきたいです。
法話を聞いて思ったことは、神様と神様が対とうしているというのが瞑想で見えた仏教の話や、人が生まれてからどうするのか、なぜ神様がいるのか、宇宙の話などいろいろな話のなかで言いたいことがはいっていてすごいと思いました。
とても面白かったです。
私は、今現在職についておらず親のすねをかじりながら生きています。
家は比較的裕福な方で幼少のころから何不自由なく育ってきました。ですが親はとても厳しく、よい成績をとってこないと怒られていました。大学も親の望む大学には入れませんでした。そこで、親は私を見放したのか何も口を出さなくなりました。会社に入りましたが今まで親の望みをかなえようと自分のやりたいことなど考えずに生きてきたので入った会社も楽しくなくすぐにやめてしまいました。私は両親に甘えているんじゃない!と叱られました。私には姉がいます。姉は私と違って優秀でいい大学に入り自分のやりたい仕事をして毎日が楽しそうで本当に姉弟なのか不思議なぐらいです。そんな姉は、私に優しく両親に叱られ部屋で泣いていると慰めてくれました。勉強も教えてくれました。姉がいなかったら私はこの世にいないと思います。そして、その姉が結婚することが決まりました。私は、素直には喜べませんでした。姉はとても優秀なのにこんな駄目な弟がいるとわかったら姉が旦那さんに嫌われてしまうと思ったからです。
そこで、私はまず自分の弱い精神を叩き直そうと思いインターネットで調べているとこちらのお寺にたどり着きました。
修行はとても辛く厳しいものでした。ですが私は全力で行いました。きっとここで手を抜いたら今までと変わらないと思ったからです。
修行が終わると私は生まれ変わったような感覚でした。
修行をしたことで私の弱い精神は鍛えられました。ありがとうございました。
三日間の修行を通して
昨年の秋に今働いている会社で役職が上がりました。年内はうまく仕事を卒なくこなしていましたが、年末の多忙と労働時間が増えた事なども重なり、今年に入って、メンタル不調を起こし、会社に段々と行けない日が多くなりました。そのような生活が続いた為、会社の責任者と通院している医師から少し休んだ方が良いのではないか、ということで、自分もなるべく避けたかったのですが、話し合いの結果、1カ月の休職することになりました。
1カ月という期間で本当に今の環境から1人になって考えたいという環境が欲しかったのと、自分の弱い部分を少しでも変えたいという思いが強くなり、何がしたい考えた時にお寺で修行しようという考えになりました。なるべくなら行くのに近い方が良いと思い、関東で探したところ、天光寺のホームページを見て、自分がしたいと思う修行内容と一致したことから、二泊三日での修行を申し込むことにしました。
午前中に関しては、真言宗のお話と基本的なルール、作法についての教えを受け、昼食をはさんでお百度参りを行いました。早速、白い装束に着替えて説明を聞き始めました。その日は、台風の接近もあり天気は雨ですが、柱から像まで片道20メートルを裸足で往復するという修行でした。
ほぼ全力で走る為、何往復したか記憶はありませんが終わったときは、汗をかきましたが大変すがすがしい気持ちになりました。その後すぐに車で滝に移動し、滝行を行いました。こちらでもまず同様に作法から学び、入ることになりました。滝行に関しては初の体験だったので不安でしたが入ったときは、これは見た目よりも水が強く体にあたり、きついなと思いましたが途中からうまく順応するようになりました。念仏を大きな声で出すように心の中で意識すると、水の冷たさと水の強さが気にならなくなり、何分ぐらい入っていたかは分かりませんでしたが、同じ滝行の方々に「頑張りましたねー」と声をかけられたのが印象的と思った以上に耐えられたので、少しだけでも自分に自信が持てました。その後一人になり写経、写仏を行いましたがかなり長時間の集中力をようするため、自分にとっては、長時間集中力を保つことが大変苦労しました。その後夕食をとり、DVDを見終わったときには、21時を過ぎていました。就寝は22時でしたが、疲れていたのですぐに寝ることが出来ました。
次の日、朝6時に起床し、洗顔後清掃を行いました。1時間半程でしたが汗をかき、すがすがしい気持ちになりました。その後、朝食をとり、瞑想に入りました。そこでは、腹式呼吸を習い、自分でも驚くぐらいのでかい声をだし、読経に進みました。あっという間に昼になり前日同様お百度参り、滝行、写経、写仏をこなしましたが初日よりもこなせるようになり自分に少し自信が持てるようになりました。普段、時間と仕事に追われ生活を当たり前のように行って月日を過ぎていましたが、今回の二泊三日の修行は日数的には少ないかもしれませんが大変様々な事が学べ、自分にとって大変に勉強になり、見つめなおすいい機会を得ることができました。復職後は、こちらで学んだことを取り入れて自分をうまくコントロールできることに活用したいと思いました。
私がこの体験修行に参加しようと思ったのは自分の人生に生きづらさを感じていたためです。私はアダルトチルドレンの傾向があり、自分の本当の感情がわからず、ありのままの自分を愛することができないと言う悩みを抱えていました。何とか自分を変えたいと思い、わらにもすがる思いで参加を決めました。まず驚いたのは思った以上に山奥にあったことです。そして体験修行ではスマートフォンなどを最初に寺に預けるのでせわしない日常から離れゆっくりと自分を見つめることができました。1日目の1番最初に挨拶、食前食後など作法を学びました。日頃当たり前のように食事をしていましたがここにきて食前にお経や感謝を述べることにより改めてそのありがたさを感じることができました。
お百度参りでは1日目は正直余裕を持って走ることができました。しかし2日目からは前日の筋肉痛さらには足の裏の皮もはげており1日目の倍以上にきつかったです。まだ現在2日目が終わったところなので明日はもっときついと確信しています。ただ自分の限界まで走ることによって無心になれて大きな達成感を得ることができるのは間違いありません。
そして滝行は想像以上にきつかったです。見ている方と実際に滝に打たれている側では全然違うのだと知りました。まず夏にもかかわらず水温が冷たくて滝に打たれる前、顔・肩・胸に水をかけた段階で心が折れそうになりました。それでも「自分を変えるんだ」と、自らを奮い立たせて、勢いのまま滝に入りました。容赦なく頭へ降り注ぐ、滝は「冷たい」という感覚が1番最初で、次に「痛い」という感覚になりました。そして同時に「苦しい」という感覚になりました。お経を唱えるのも、命がけというくらい息苦しく、水は遠慮なく口に入ってきました。それでも強い決意を持って臨んだので自分の限界を越えた限界まで入っていることができました。滝から出た直後は急激な寒さにおそわれましたが、同時に心は清々しく、大きな達成感を得ることができました。
それから、この体験修行では食事は、肉魚がほぼ入っていない精進料理だったのですが、味は美味しくて、決して物足りなさを感じさせないものでした。朝はお粥なので胃腸にも優しく健康的でした。
写経も初めて体験させていただきました。正直、筆の扱いが苦手で漢字の細かい部分がうまくいかず、イライラもしてしまいました。その後の写仏は非常に楽しく取り組めました。写経との違いは自由さだと思いました。人によってどこから書き始めるかなどそれぞれです。無心に取り組むことができました。瞑想は楽しみにしていたのですがほとんど何も説明のないまま始まりただ音楽を聴いているだけなので、正直、家でやってる方がリラックスできるし、ほとんど変わらなかったので少し残念です。読経ではそれぞれのお経にはそれぞれの意味があることを学べて良かったです。
今現在、二日目が終わろうとしています。自分の中で何かが変わったかどうか分かりません。まだ心のどこかで「早く帰ってビールを飲みたい」などと言う気持ちがあるのが正直なところです。来る前よりは自分を受け入れることができるようになっただろうか。わかりません。
今はっきりと変わったと分かるのは、全身の筋肉痛だけです。とは言えあと丸一日あります。体は限界に近いですが残りの時間を後悔ないように精一杯、行に取り組み、少しでも何かを得て、帰りたいと思います。
私が体験修行、特に滝行を行おうと思った背景は、後に詳述するがそう心に決め、関東で私の行ける日程で滝行・写経・座禅等を行える寺院をインターネットで検索したところ、天光寺が最も条件に合致。インターネットでの予約を受け付けており、日程も修行に臨む者が自由に日程を決めることが可能。また開始日のみならず、修業期間も修行者が決めることができた。
修行の内容についても相談可能。
インターネットのフォームに入力後、1日後に返信があり返電にて予約を確定。仕事の関係上日程を迷っていたこともあり来院2日前に確定した。
体験修行を行うに至った背景
簡潔に申し上げると今年に入り離婚したことと、30歳と言う節目の年齢であったことから禊的な意味と生まれ変わり、また心新たにこの先の人生を送りたい、主体的になりたいという気持ちからでした。
自己肯定感が低く承認欲求が強いためか誰からも好かれたいと言う気持ちがあり、強引な人やいわゆる押しが強い人に弱く、プライベートではきちんと自分で熟慮し、決断しなかったためか離婚してしまいました。自分では倫理的、真面目に過ごしているつもりでも既婚者に誘われたり、職場でセクハラに遭ったりと不本意なことが続きました。厄除け等にも行きましたが自分の心の有り様、姿勢が正しくないことが原因と思い誕生日に滝行・読経・写経・座禅ができるこちらの天光寺にお世話になることにいたしました。
修行を終えて
私は修行受けた背景はこの通りでしたが、真理とは授かる、外からもらおうとするものではなく、自分と向き合い、宇宙の真理を心得、体得するものであると感じました。その手伝いを先達の修行者や僧の方々にいただきながら行うのが修行と思いました。いかに主体的に、積極的に与えられた生を生きるか、これからより向き合っていきたいと思いました。
まだ序の口と思うのでまた修行を経験したいと思います。ありがとうございました。
このたびこのような体験をさせていただき誠にありがとうございます。今まで自分自身をしっかりと見つめ直すきっかけもなく、そのまま何も考えることなく人生を送ってきました。
そんな時にふとしたきっかけで検索していて見つけたのが、天光寺さんのホームページでした。もしかしたらこういうのがきっかけとなり、今までの自分から脱皮し、新たな自分自身に気づき向き合えるのではないかと思い申し込みました。仕事でも今までずっと飲食業を行ってきましたが、色々とあり約2年ほど前から友人が経営しています。施工会社で働くことになりました。そのきっかけは以前自分の店を頼んだことがありその店がだめになり、バイトを掛け持ちしてるところを社長に声をかけていただきました。
正直最初はたかをくくっていて多分自分なら少しの時間で仕事の内容を覚え、会社のためにてきぱき働いているつもりでしたが一向に仕事内容が覚えられずに、道具、段取り、その他色々と一度は説明していただいてるにもかかわらず次のときにはそのやり方を忘れてしまいました。そのやり方を再度聞くと言うことを数回もしてしまいました。
そして気が付くと間違いを犯してしまい会社に迷惑をかけていたのです。今までやってきた飲食業では決してないことで、まさか自分がこんなに仕事ができなく、覚えが悪いと思いませんでした。それを自分の勉強不足、努力不足にも関わらずに、周りの人が直してくれないからと人のせいにしていたのです。コミニケーションも以前から初対面の人は苦手でしたがまさかここまでコミニケーションがとれなく仕事に影響しているのはと驚きました。
その自分の気持ちがどんどんマイナス思考へと変化していきどうせ俺なんて何もできない。僕が何か言ってもどうせ聞いてくれないだろう。など数多くのマイナスな考えが頭から離れず、仕事が全くうまくいっていませんでした。そんな自分がこの仕事についてだめなところ、嫌なところが明確にわかってきていつも変えなきゃダメだと思ってはいて次の日から変わるぞと言う気持ちで仕事場に行ってもまた小さなミスをしてそこからすぐにマイナスな自分が出てきて悪循環な毎日でした。本当にこの会社に必要では無いのではないのかと考える始末です。
そんな弱い自分自身を変えたく色々と考えたりインターネットで調べていくにつれ滝行などが良いのではないかと思っていたら天光寺のホームページを見て「これだ」と思いました。
このようなこと、きっかけがない限り自分自身は根本から変わらないと思っていたのです。最初に滝行に行ったときは、すぐに出てきてしまい情けなかったです。それも、呼吸法など習った後に滝行に行ったら前日よりも少し長くできてとてもうれしく思いました。また、声をしっかり出さなければ伝わらないと言われ、腹から声を出していったときはなんだかスッキリとした気持ちになりました。この声出しは会社でも挨拶はするけど小さいためか周りに伝わっておらず気付かなかったなどと言われた時もあります。やはり、しっかりと周りの方々に感謝の言葉をしっかり伝えて気持ちを言葉に出すようにしたいと思いました。そして、住職の言葉にもあったように分からないことはわからないとはっきり言って、曖昧な返事はしないようにしたいと思いました。そして、できることは率先して行い、人が嫌がることを自分から率先して行える人間になりたいと思います。そして、頂いた資料の中にある「キーワードを参考にあなた自身が求める人間像」をみて1つでも多く自分自身ができるような人間になりたいと思います。そして、これからは必ずマイナスな言葉は絶対に出さないと決めました。それによって、自分が影響されてますます自分や他人の運勢を悪くしてしまうからです。今回の二日間の体験を経ていろいろなもの、考えを教えていただきました。
この経験を生かして明日からの自分自身の人生をより良いものにしていこうと思います。頂いた資料を日々自分でも見て確認して実行して行きたいと思います。今回はこのようなすばらしい体験ありがとうございました。またなにかあったときには修行させて頂きたいと思います。皆様本当にありがとうございました。
あいにくの雨となりましたが滝行というものに興味があったので友人に誘われて、こちらで体験させて頂きました。滝行に入るには、入る前のお百度参りやごあいさつの作法を学び般若心経を唱えたりと日常生活では体験できないものがたくさんありました。本番の滝行では6月ということもあり、緑鮮やかな山の中を登ること4分で滝行の場所に到着しそこでも滝に入る前のお清めなどたくさんのお約束事があり、それを見るだけでも身が引き締まる思いがしました。
いざ滝に入ってみると初めは冷たい水と水の勢いで驚いてすぐに戻ってしまったのですが落ちついて入りなおしてみるととても神聖な気分になりました。初めは、立って背を岩につけ数分、そしてあぐらになり数分、一人ずつのために他の方のことも考えて早めに出てしまったのですが、滝行はとても気持ちのいいものでした。時間が許せばまたゆっくり、体験をしてみたいと思います。滝行までの案内をして下さったスタッフの方にも感謝です。
以前に大学の先輩がこちらのお寺で体験修行に参加し素敵な経験をすることが出来たと言われていたので、今回友人とお寺での修行に参加することにしました。
体育会系の部活に所属しているので体力や集中力には自信があり、とても軽い気持ちで参加しました。お寺に着くまでの間、ここは本当に東京なのかと考えてしまうほど自然豊かで日常からかけ離れた場所のように感じました。
お百度参りでは、雨が降っていたせいでとても寒くて凍えてしまいそうでしたが、始まってしまうとすぐに集中することができました。それでも普段の試合の時のような集中力とは違い、上手く言葉には出来ませんが頭の中が無になり不思議な緊張感と共に集中できていたように感じます。
その後の滝行は、一番楽しみにしていたものだったので、少しでも長い時間入ろうと考えていました。しかしいざ入ってみると水がとても冷たく、水の流れも強くて少し不安になりました。それでも自分の前にしている方が笑顔で出てこられたので自分も頑張ろうと思えました。実際に滝行をしてみると、水の冷たさや滝の強さ以上に達成感や爽快感を味わうことが出来ました。本当に体験してよかったです。
写経では、気付けば夢中になり必死で書いていました。極限の集中状態になっていたと思います。
一日体験修行は、振り返ってみるとあっという間の時間でした。日常では絶対にできないいろいろな経験をさせてもらえて、少し遠かったけれどもお寺まで来ることが出来て本当によかったです。
ありがとうございました。
この度は有難うございました。
興味本位で修行の申し込みをしましたが、参加することができて本当に良かったです。
この短期間で自分自身が大きくなにか変化したかは未だ分からないですが、修行をする中で無心になり集中することは日常生活で体験できることではないのでとても貴重な経験になりました。
仏法に関する話は自分には難しかったですが、もっと理解したいと思いました。
自分自身のこころの変化によって物事も変化していくこと、忘れずに過ごしたいと思います。
滝行で苦しくなってしまい、すぐに滝から出てきてしまったのが唯一の後悔です。また参加させて頂きたいです。
ありがとうございました。
私は、この度天光寺で精神修業を体験してみて行う事全てが初めての事でした。
初日では、お百度参り、滝行、写経、「般若心経」を五十回唱えたりしました。
お百度参りでは、雨が降ってきて、非常に寒かったですが、お百度参りを行っているうちに気にならなくなって今までにないくらい集中できたと思います。
お百度参りの後、すぐに滝行に行きました。滝行は、途中まで車で後は歩いて険しい道を登っていきました。滝に着いて、他の人が滝行をしているのを見て少々不安になってきているうちに自分の番になってお清めをしていただいてメガネを外し、滝に向かいましたが、水は冷たく滝に近づく度に顔色が悪くなっていたと思います。しかし、滝行が終わってみると、清々しい気持ちで、他の人の滝行を心の底から応えんできました。研修生全員の滝行が終わり、下に降りて、テントで着替えて天光寺に戻りました。
その後は、般若心経を五十回唱えました。般若心経を五十回唱えるのは大変で一時間以上も時間を使いました。途中から「自分は般若心経を唱えるために生まれてきたんじゃないだろうか」とさっかくするほど大変でした。その後は、夕飯でした。全員で準備して、食べた後、全員で片づけました。その後、その昼に五十回唱えた般若心経を写経しました。その日はとても大変な一日だったので写経中つかれでとても眠くてつらかったですが、何とか終わらせる事ができ、就寝の準備をして、シャワーを浴びて、一階の電気の確認やドアの戸締りをして眠りました。その日は本当に初めての事ばかりで、とても貴重な経験をさせていただいたと思っています。
天光寺での二日目は、六時起床でお寺の方が起こして下さいました。その時に二日目のスケジュールを説明され自分たちが使った布とんを片付け、シーツをせんたく機でせんたくし、一階から三階の清掃を行いました。
その後、朝食を済ませ、めい想をしました。
めい想が終わった後、三禮が一番きつかったです。
三禮は、三セット百回わりました。三禮が終わった後、休けいで、階段を使いましたが満足に階段を上り下りできなかったです。その後、先日にも唱えていなかった十三信を唱えました。十三人の仏の事を意味しています。その後、昼食を終え、に集まり天光寺の方に、とてもありがたい話を聞きました。真言宗は空海様という方がお作りになられたそうです。
天光寺での経験は必ず、今後自分の役に立つと思います。
私は会社での派閥問題から精神のバランスを崩し、心療内科でうつ状態と診断されました。転職を考えながらも会社に通う日々を送っていましたが、年齢のこともあり、一歩が踏み出せないままでいました。悶々としながら機械的にただ仕事をこなす毎日でした。
自分を客観的に見つめ直したいという思いから、天光寺での修行を決めました。日常生活から離れ、一度冷静な目で、転職を含め将来のことを考えたいと思ったのです。普段眠れないことがよくあるので、天光寺でも眠れずうつ状態が悪化したらという思いもありました。他の参加者の方に迷惑をかけてしまったらという心配もありました。高尾住職に事情を話して相談すると、どうしても体調が優れないときに修行を無理強いすることは、一切ないとのことでしたので、思い切って参加させていただくことにしました。
体験修行は挨拶作法やお百度参り、滝行や瞑想、写経など、どれも精一杯やらせていただきました。日常では体験できない修行を通して、よい意味で自分を見つめるきっかけとなったと感じています。3日間の修行体験を終えて、心から晴れ晴れとした気持ちです。自宅では眠れない日々もありましたが、天光寺での修行中は、修行疲れもあってよく眠れました。食事も野菜中心のもので、こういう生活を続けると心の健康も取り戻せるのではないかと思います。住職にも都度体調のことをお気遣いいただき、頭が下がる思いです。
住職のお話を伺い、また相談もさせていただいた中で、転職活動に真剣に取り組みたいという気持ちが強くなりました。我慢して今の会社に居続けることも可能です。転職活動は逃げなのかではないかと、ずっと悩んでおりました。しかし自分が本当にやりたいことや、将来設計のことを考えても、このままの状態でいることのほうが逃げなのだと感じました。
今回は仕事の合間をぬって、短い期間での参加となりましたが、できれば次回はもう少し長く滞在したいと思っております。この度は、何から何までお世話になりました。本当にありがとうございました。
一泊二日で参加しました。
仕事はタクシーの運転手をしています。
私の両親は早くに亡くなり、一人子の自分は親戚がいません。
結婚をして、子供を2人授かりましたが、ギャンブルで借金を抱え
それが原因で離婚しました。
色々とヤケクソになって適当に生きてきましたが、最近これでは駄目だと
思い過ごしていた所、タクシーに乗って頂いた方からこちらを教えて貰いました。
大きく変ることは無いと思いながら修行に入りました。
指導して頂いたご住職やスタッフの真剣さに心を改めました。
腹式呼吸や発声法を習い、初めてお経の意味を知りました。
食事は、住職の手料理で美味しかったです。
午後からはお百度参りから始まりました。早くも、三回目から
先が遠く感じました。途中で止めてしまおうかと何度も思いましたが
他の参加者さん達のお陰もあり何とか成し遂げることが出来ました。
次は滝行です。紅葉も進み美しくなった木々の中に滝が現れました。
入水開始。刺さるような水の冷たさに1分も入れなかったのでは無いかと
思うくらいに痛く感じ、目も身体も心も引き締められました。
「南無大師遍照金剛」と唱える声も震えました。
瞑想の後に自然と
自分の都合で置いてきた子供たちを思い出していました。
写経に入り自然と今までの自分の過ちや愚かさを悔い、
自分の関わりのある人達の幸せを心に思いながらさせて貰いました。
残り少ない人生を、悔いの無い様に。
そして、大きな事は出来ませんが何か自分に出来ることがあれば
していこうと素直に思えました。
ご指導戴きました皆様方どうもありがとう御座いました。
また、伺わせて頂きます。私はこの度、自分の欠点ウソをつく事。ごまかす事。汚い事。
をしない人間になる為の一歩として修行をさせて頂いております。
何度も同じ過ちを繰り返し、他人を不快にさせて恐れらても直らない直せないため
直すために、これまでと違う事をしなければならないと考えました。
行うべきことの最初として心からの反省をし申し訳ないと強く思い続けていく事だと
考えております。その為にどうすれば良いのか、たった一日ですが考え続けておりますが
まだ自分で分かりません。どうしたら良いか、どうしたらウソツキが直るのか
もちろん自分で考えるべきですがご教示いただきたく存じます。
私がこの度修行を通して考えた事は、まず感謝すべきである点です。
健康で家族に病人もおらず、食事、仕事、その他生活において問題があるわけではない
自分に注意してくれる人もいる。感謝し続けるべきありがたいことです。
感謝していれば自分を正す事ができるのではないかということです。
不平、不満を口に出さず自分自身のせいであると考えて行動することも
大事だと思いました。
夜のDVDと滝行を行い感じたことは「がまん」することが自分には必要だと感じました
知らない事は話さない。話したくても知ったかぶりにならない。
自分は普通以下の人間であることを自覚し、大きく見せる必要は無い。
見栄を張ってはいけない。ましてやその為のウソはついてはいけないし
つく必要もない事を改めて思いました。
ただ、前記のことはまえにも思っていたことでもあります。
今回「がまん」については今まであまり考えてこなかった点ではありますが
毎日の中で、またウソをついてしまうのではないかと思ってしまっております。
毎日、朝、夜、思い出して今度こそは同じ過ちをしない。
過去を申し訳ないと思い、感謝をしDVDでもあった「負けるものか」と自分に負けないと
思い出し取り組みたいと考えております。
どうしたらウソをつかなくなるのか、性根を直すにはどうしたら良いのか
何度も裏切ってきて、もう一度信用して頂くためにはどうすれば良いか
ご教示頂けますようお願い申し上げます。私は、会社でのミスで滝行に来る事になったのですが終わってみて、滝以外にも色々と体験出来て本当に良かったと思っています。
滝はとにかく冷たいからキツイと思っていましたが、それ以上に入ってから息をするのが大変で出てしまおうとすぐに思ったのですが
何とかコツをつかんで長く入ることができました。
入っている間は、仕事のミスの事はまったく考えず、昔の自分の犯した過ちを思い出し謝っていました。
この、行で償いたいと思い滝に打たれていました。そういった感情で滝行をやって良いのかわかりませんが
本日の川もそんな思いで入っていました。懺悔した感じです。
写経や写仏などの墨で字を書いたり、えんぴつで絵を描いたり小学生の頃自分まだ自身があった頃を思い出しました。
絵を描くのは好きでしたので無中になれた感じです。
それから、スピリチュアルな体験をした事がなかったので大変に驚きました。とりつかれた事が無いのか、とりつかれたとしても気が付かないのかは
わかりませんが、目の前で当事者の方の話やら状態を見て本当になるんだなと、実感し少し興味も出ました。
食事も本当に美味しかったです。薄味の料理なんだろうと予想していたのですが、ピリ辛だったり好きな味だったのも驚きです。
みなさん、本当にご指導ありがとうございました。また来たいと思います。
私は36歳で今は派遣社員をしながら生計を立てております。
天光寺には月に3回から4回ほど修行のため訪れております。天光寺に訪れたのは今から3年ほど前のことです。会社が倒産し、新たな就職先でいじめにあい、会社を辞めました。新たな就職先が見つからず、妻とも離婚することになり、おれはもうダメだ。自殺まで考えました。友人から天光寺の体験修行に誘われて2泊3日の体験修行に参加しました。朝10時30分に天光寺に到着し申込書に記入し、行衣に着替え、挨拶の所作と真言を教えて頂きました。その後食事でしたが、料理が本当に美味しくビックリしました。午後はお百度参りと、滝行です。初めての滝行なので、冷たく、痛く、すぐに出ようとしましたが、大きな声で「まだまだ」と言われ戻されました。3~4分位入りました。出た後、体中がスッキリとして、今までの自分が情けなく思いました。また、住職の法話を聞き自身の甘さを感じとれました。その後月に3回から4回ほど天光寺に体験修行に訪れるようになり、今回は日本テレビの滝行の取材があると聞きました。楽しみにしていましたが、日本テレビの記者の取材は天光寺を悪者に陥れる虚偽の取材でした。天光寺の中に日本テレビのスパイが入りこんでいました。子供たちが御本尊大日如来の上に乗り祭壇から落とすのを見て、ビックリしました。このような背景には日本テレビが少年たちに天光寺が悪者にするように仕組んだ結果だと思います。天光寺で食中毒を起したと保健所に通報した者がいたが、通報したのは日テレの関係者だと思います。天光寺の厨房がどれほど衛生的に管理されているか見ればわかります。3日前に天光寺の体験修行に訪れた際、住職と1時間ぐらいお話をさせていただきました。日本テレビの記者とカメラマンは警視庁に刑事事件として受理され、本格的な捜査を行っていると聞きビックリしました。
住職は日テレの記者の名前を公開し、動画の顔の「ボカシ」を外し、日テレの記者、カメラマン、日テレ本体に民事訴訟の準備をしていると聞きました。日本テレビの虚偽報道は許してはいけないと思います。
二泊三日させて頂き有難う御座いました。
心のもやもやが全て解消したか、正直まだわかりませんが、ここに来て良かったと心から思いました。
神頼みに来たつもりでしたが、一番力になったのは修行僧の方を始め、ここに修行に来ていた方々の頑張っている姿を見て、自分自身も力をもらい、また頑張ろうと思いました。
自分が人の力になれたのか分かりませんが、頑張っている姿を見せること、見れたこと、ひとに分けられるような人間になりたいと心から思いました。
二泊三日お世話になった住職、スタッフの皆様有難う御座いました。
また滝に打たれに来ますね!
私はこの天光寺でお祓いをしてもらい住職からまだ身体の調子も心の調子も良くないから体験修行をした方が良いと勧められ体験修行をすることになりました。
体験とは言えお寺の修行。
とても緊張していました。
四泊五日という長い期間だったのも不安を感じさせる要因の一つでした。
体験修行でまず行ったのが滝行。
滝行に行く前に住職から心を清浄に洗い流してくれるものと聞いていたので不思議と緊張感は無く、寧ろやる気に満ちていた状態だったことを覚えています。
しかし、いざ滝に入ってみると水は冷たく勢いは激しく入る前の想像を超える苦しさでした。
私は四泊五日の間で四回滝行をしました。
毎日少しずつ長く入れるように挑戦する時間はとても充実していました。
滝から出た後は必ずすっきりとした気持ちになれ良い経験でした。
また入りたいです。
その後体験したのが写経、写仏。
ただひたすら文字や絵を写すことはとても心が落ちつきました。
瞑想や読経もやりましたが正直とても大変でした。
でも修行をしている充実感があってよかったです。
修行のメニューは全体的に大変なものが多かったですがその分頑張り甲斐がありました。
体験修行に来る前の心配事だったのですがお寺なので食事は白米と漬物のみとかを想像していました。
しかし、実際は本格的な精進料理で味は最高においしく、衛生管理も
しっかりしていて安心でした。
日本テレビの報道であったようなことは一切無く安心して生活を送れる環境でした。
住職が暴力を振るうようなことも無く、寧ろお忙しい中で空いてる時間にお経を教えてくれたりとても親切な対応でした。
私にとって修行より貴重な経験になったのが人との出会いです。
私のようにお祓いをきっかけに来る人もいれば自分を変えたいと思い来る人などいろんな人がいました。
その人達と関わりあって話した時間はとても素敵でした。
本当にいろんな経験が出来ました。
ありがとうございました。
一泊二日という大変短い間でしたが、高尾聖賢先生、直接指導頂きました、新井様、そして、皆様には、大変お世話になりました。ありがとうございました。
日々の仕事や、家庭で生活の中で、何か満足できないもやもやした感じがありました。仕事では、精一杯やっているようで、結果につながっていないことが多く、達成感が、感じられません。家庭では、日々の忙しさを引きずって、イライラしています。そんな、日常を、気持ちを、変えるきっかけをつかみたいと思い参加致しました。その後、参加されている方々からお話を聞くと、きちんと考えを持たれて参加されていて、私の動機は、まだ、甘いと感じました。
この二日間は、初めての体験の連続でした。水行で冷たさに耐えている時、滝に打たれて、息ができないながら、「南無大師遍照金剛」と声を出している時、お百度参りで暑さと流れ落ちる汗に耐えている時、私は、「まだ、終わらない。もうすぐ終わる。」と自分で思いながら、ただ、頑張っているだけでした。この時間を、やり過ごしてしまえばよいと考えていました。
修行というものが、どのような気持ちで臨むものなのかわかりませんが、私は、やっぱり「体験」でした。これだけで、きっかけがつかめるようでしたら、真摯に修行されている方々に申し訳ないと思います。では、これが、無駄だったというとそうではありません。何事もやって見なければわかりません。やってみたからこそ、自分は、少し甘くないかと感じたのですから。それから、川や滝と一緒に自然の美しさは素晴らしかったです。滝行の時、虹がかかって、これも感動しました。
また、修行を続けられる秘密をもう一つ知りました。食事がとても美味しいことです。
正直、びっくりしました。有り難かったです。
先生から、日本テレビの件をお聞きしました。彼らは、はじめから、悪者を作るつもりで来たのですから偏ったでっち上げた内容になったのでしょう。修行で来られている方々、体験で来られている方々から少しでもきちんと話を聞いてみれば、真摯に取り組んでいることに気付き、自分たちを恥じたに違いありません。
それから、いろいろとアドバイスしてくださった、石井さん、共に頑張った、小山さんには、大変感謝しています。人数が少なかったので、絆ができたように思います。ありがとうございました。
最後に、皆様のご多幸をお祈りしております。
体験修行に申し込んだのが興味本位だったため、最初は浮ついた気持ちで本堂に座りました。しかし、発声や作法の修行をこなすうちに気持ちが切り替わりました。お百度参りや滝行も体験させて頂きましたが、初めての経験だったので、見よう見まねで何とか修了しました。お百度参りはは想像以上に過酷でした。体力には自信があったのですが、後半は上手く口が回らなくなるほど、疲労が溜まりました。滝行では、先ず滝が放つ圧力に驚きました。実際に、滝に入ってみると、最初は衝撃に心が折れかけますが、それはほんの一瞬で、慣れると自然と一体になったような感覚を得ることが出来ました。衝撃に耐えようとするのではなく、一体となって受け流すという考え方は、滝行だけでなく、社会の中でも大切な生き方になるのではないかと思います。様々な修行をこなす中で疲労も溜まりましたが、その分、夕食がとても美味しく感じられたのが印象に残っています。食事自体は質素で、素材の良さを生かす程度の味付けしかされていませんでしたが、充分満足することが出来ました。普段、食事の際には、味や見た目にばかりき気を取られ、食材そのものに感謝することを忘れがちです。今回の修行では、食材を育ててくださった方、また、食事を作ってくださった方、そして、栄養となる食材そのものへの感謝の必要性を再認識することができました。貴重な経験をさせて頂き、本当に有り難うございました。
お母さん、お父さん、桃音、いたずらとか、反発してごめんなさい。自分が悪いのにも関わらず、親のせいとか、自分は悪くないとか言ってごめんなさい。自分がすべて悪いです。すべて自分のせいです。でも、わざわざ高いお金を出して、お寺に行かせてくれて有り難うございます。一人暮らしの大変さも良くわかりました。とても良い経験になりました。親は厳しいとか言ってたけど、本当は、自分を良くする為に注意してることが良くわかりました。親より寺の方がとても厳しかったです。家の方が甘いことが良くわかりました。これからは、もっとお手伝いもします。勉強もしっかり決まった時間分やります。ちゃんと学校も休まずに行きます。部活であったことも自分がもっとしっかりしていないとダメだなということも分かりました。自分だけが苦労してると言ってたけど、親の方が自分のもっと数倍ほども苦労しているというのがよく分かりました。このお寺を通して、様々な経験が出来ました。まず一つ目は一人暮らしと同じような作れたこと。二つ目は滝行です。滝行は初めてやったけど、けっこう痛く、でも心が洗われている感覚になり、心が無になりました。三つ目は、仏教に触れるという事です。仏教と言っても、様々なルールや決まりがあるということも初めて知りました。例えば、食事の前に言う言葉とか、滝行とお百度参りに行くときの挨拶や儀式がありました。すると、今まで考えてたことは、すべて違うんだなと思いました。自分は親が嫌いで離れたいと思ってたことが、親は良い人で、助けてあげようという気持ちがあることが良く分かりました。一日目の夜から、親は本当に行きたかったのか思ってから、だんだん自然と寂しくなりました。一日目の夜は、一人で広いところで寝ました。なかなか眠れなくて、何度も起きては朝か?とか思い、本当に寝れませんでした。今では自分のベッドが恋しくなり、早く家に帰りたいなと思います。今でも悲しく早く帰りたいという思いで、涙が自然と出ます。早く帰りたいです。自分の家に帰りたいです。自分の親は優しいと、みんなに自慢したい位です。早く家に帰って、玄関で、ただいまと言いたいです。お母さん、お父さん、桃吉、本当にごめんざなさい。すべて自分が悪いです。反省しています。自分は馬鹿でアホで何よりも大切な親と妹という大事な存在の人を傷つけていました。本当に申し訳ないです。これまでにあったことをすべて謝ります。すべて何もかも自分が悪いです。お寺はとても大変だったけれど、協力や結団力などを学びました。そして何よりも家族の愛情は大切だということを学びました。もう親も妹も困らせたくありません。みんなで楽しく、仲良く、生きていきたいです。汚い字ですみません。でも本当に、この事は反省しました。また、もとの家に帰りたいです。今すぐにでも帰りたいです。よろしくお願いします。
私は今回、勤務する企業の教育訓練として体験修行に参加しました。
まず始めに作法について学びました。修行の時も、食事の時も、神様に感謝の気持ちを忘れてはいけないことを改めて学びました。お百度参りと滝行では、後半で全力で走ることが出来ず、滝行では滝につかるまで時間がかかりました。今後は、日常生活においても、全力で取り組めば、願いは叶うのもと、一日一日を大切にしていきたいと思います。今回、私は、企業教育の一環で、体験修行に参加しておりましたが、個人として考えなければならないことが多くあったことを痛感しました。残りの人生は、何事にも全力で取り組み、生まれてきたことを感謝できるようにしていきたいと考えました。
一泊二日、体験修行、有り難うございました。
大学2年になり、学業もなれていい加減になっていた僕にある時お母さんから「小・中・高真面だったのに国立大入学してからいい加減になったわね」と言われ、父親に修行をしてこいと言われいやいや参加することにしました。入寺してからスマホを回収され、いろいろ制約が多い中自分とみつめ合うことが出来ました。また高校までは県選抜に入ってたのですが、大学に入学してからスポーツをしなくなり、走れなくなりました。その状態の中、お百度参りは最初はやるのが嫌でしたが、やる内に力が出てきてやりどけることが出来ました。
また滝行では入る前冷たく嫌でしたが、入ってる時に体内から熱が出てきて寒いという気持ちがなくなり、そして全てがリセットされ、
体も軽くなり、有耶無耶が消えました。
1泊2の修行で嫌なこともありましたが、僕より前から修行された高校生とも仲良くなり年齢を問わず、交流できて楽しかったです。
次は友達と一緒来たいと思います。
1泊2日の体験を通じて感じたことは、この道はとても厳しいものだったと言うことです。覚えなくはならないことも多いし、
何より滝行は本当につらかったです。
水圧が強いことも勿論ですが、水の冷たさがきつかったです。サイトの画像でこれを冬に行っているのを見て改めて
仏道は厳しいものだと感じました。お百度参りも体力が必要だし、精神と身体両方が成長できる場所だと思いました。
1泊2日と短い時間でしたが、そんな修行の一部が体験できたのは光栄なことだと思います。
今後の人生のプラスに出来るよう努めたいとおもいます。
僕は今までめんどうくさいことはやらない、辛いことはやらないなどという風な考えをしていて,楽な方へと流されていました。その結果自分をコントロールできず、楽なことだけやるなどというような状況にになっていました。ですがこの寺にきて、嫌なことでも我慢してやることの大切さが完全ではなくても、自分なりに分かった気がします。
朝のそうじ、服のアイロンがけやたたむ作業、お百度参り、滝行、風呂そうじや食事の準備など、辛いことやめんどうくさいことはいくつもありました。ですが、終わった後の達成感はとてもすばらしいものでした。
滝行も始めの方はただ辛くて出たいと思い、それこそ10~15秒しか入れませんでした。しかし、やっていく内に「どうせやるならできるだけ長く入ってみよう」そんな考えができました。
他のことも「どうせやるならがんばってはやく終わらせよう」という考えができるようになり、一時の我慢の大切さを感じました。滝行の場合は最初の方は冷たい、でも次第に身体がなれていって滝の水も気持ちよく感じられるようになる、さらに毎回入る時間が増えていくことで自分も嬉しくなる。そんないいことがありました。
他のことでも、やっているときは辛いでも、終わった後に達成感を味わえるし、はやくちゃんとやれば、その分自分が休んだりすることのできる時間が増える。こちらもいいことがありました。
今まで僕は勉強や生活において、しっかりと我慢をしてやったことがありませんでした。
しかし今回、我慢の大切さを知ったので、それを実践してみようと思います。
勉強も良く考えれれば、我慢して短時間でやればテストでいい点がとれ、さらには終わらせた後、自分が好きなことをすることができる時間を作ることができます。
このことに気がつかせてくれたこの寺、そしてこの寺の方々に感謝しています。僕はこれからしっかり我慢をして、自分をコントロールできるようになろうと思っています。
本当にありがとうございました。
僕は天光寺が、すごくよい場所だと思いました。ネットでは、来てもいない人が悪いことを言ったり、ニュースでも悪いことばかりで、ふしぎに思いました。
食事はみんなで、机をふいたり食べたものを運んだりしていて、食事の前には食べ物に感謝をこめていたので、すごく良い事だとだと思いました。
そうじもろうかやトイレ、本どうなどもすみずみまできれいにしていて、すごくよいと思いました。
なのに、ネットなどでは行ってもいない人が、悪いことを書いたりしていてそういう人たちは、なぜ天光寺を悪く言うのかふしぎに思いました。正直むかついてしまいました。
住職さんにはいろいろな事をおしえていただき、この五日間ですごくよい意味で変れたのではないかなと思いました。
滝行は、できなかったのですが、写経・写仏がすごくできて、本来の目的でもある集中力アップが自分の中ではすごくできたと思うので、良かったです。
般若心経がどうしても覚えられなかったので、覚えられるようにしたいです。光明真言は覚えられたので良かったです。
天光寺に来てから、16日が過ぎました。勉強道具をドリルを添えて送ってくれて、本当にありがとうございます。勉強の方は送ってもらってから、4~5ページずつやっていたのですが、最近は写仏・写経などしていて、あまり勉強していませんでした。
時間を作って、復習をしっかりします。1日1日を大切に言われたことなど意識を確り持つことで、よい意味で自分の考え思い方などをあらためようと、毎日思っています。前まで信じていなかった見えないものの存在も、自分の中で本当にいるんだと変りました。
その理由やキッカケは、何と表していいのか分からないのですが、天光寺での除霊やお祓いを見て聞いて、改められました。そういった見えない者にねらわれたり、とりつかれたりされないために、良い意味で自分の心や考え方を持ち、積極的に取り組み天光寺で過ごす一日一日を大切に、良く考え自分の中にいる悪い者や悪い考えなど、滝行や川行など様々な行を通じてその行に何の意味があり、どういう風な気持ち考えで取り組まなければならないのか、よく考えて行に励んでいます。
他にも真言などに、どんな意味が込められているのかなど考えて、取り組んでいます。瞑想では自身の心、体もそうですがゆっくりと落ちつかせ、感謝・反省・懺悔することで、まず何が悪いのかったか、何にどんなことに感謝しなければいけなかったか、落ちついた身心で考えることによって、前には至らなかった考えや感謝や思いなど、反省することがたくさん思い出され悔やんでいます。
そして、一番大切だと改めて思ったことや、同じ過ちや同じ失敗を繰り返さない。失敗してから学ぶこともたくさんあるが、その後にどういった行動をするのかなど、とても大切だと思います。自分が今感じたことや思っていることや自分は少しでも変化しつつあるのか、自分は本当に家族として認められるのか、お母さんは本当にやさしいでも今まで自分がしてきたことは、一番してはいけないことだった。だから自分に出来ることは何だったか、ふり返って考えている所です。
自分がこの天光寺に居られるのも、家族のおかげでもあり周りの人達のおかげで、過ごせる一日一日を悔いのない生活にし、常に正直な気持ち思いやりの気持ち、自分がやりますという奉仕の心や素直にごめんなさいと言う心など、今まで欠如していた考え方をしっかりと学び考え気づきを大切にして、過ごします。いつも本当にごめんなさい。毎日とても、感謝しています。そして、体調や体に気を付けてください。本当に、いつもありがとう。
三泊四日の体験修行は、初日の挨拶作法では普段知っていながら実生活では行動できていない自分に思い当たり、大切だと考えたことを行動していくことがいかに大切か、しかもそれが基本的なことだと思い、いつの間にか基本も忘れていたのだと気付きました。
写仏は集中力を高めることと、一つのことしか行わないということが、普段仕事や家庭や将来のことをあれこれ考えてしまう思考を止めて、脳の別の部分を使っている感覚が心地よかった。
いつもの生活の中に写仏を取り入れても、同じ効果が得られるであろうか、法話は仏教がインドから来ていると知った。私はヨガなど遣っていることもあり、今回天光寺様にお世話になっているのも偶然ではなく、引き寄せられたのではないかと思いました。
住職の話は一時間半有りまたがとても分かり易く、エピソードも交えて面白かったです。特に自分に残ったエピソードでは、「己を知ることが大切」と言うことでした。
信念・気迫・根気~自分を知った上に構築していく瞑想は、無になる時間は一分も持たない。考え過ぎる、無とは何かと言うテーマになってしまっている。1-1=0、確かに0に成れば何でも受け入れられる。
十三仏真言・般若心経は、私がカラオケに行くと寝たふりをするほど、音痴だということを思い出させてくれたりもしました。
滝行・川行では、意識の使い方を他に向ける。意識と、身体を分ける。身体を、意識で使う。自分の意識を体現してくれているのは、自分の体だけだから身体は大切にする。本当に身体には感謝し、意識は身体と別に成長させる。
全体を通して感じたのは自分は複雑に考えすぎだと言うこと、あれこれ有り過ぎて力が分散している。生きる目的をシンプルにとらえて行動したほうが良い。シンプルに考えれば私の体が全身全力で応援してくれる。五感を使うことで体を知ることが出来た。まだ未熟ではあるが、体内スイッチを押せば目的に近づくと確信をしている。等々でした。
みなさん、ありがとうございました。
平成二十九年五月四日より三日間、大変お世話になりました。滞在中は、お百度参りや滝行や川行や、写経・写仏を書き込み光明真言の復唱を体験させて頂きました。
体験修行の参加目的は、「自分の内面を見つめ生きる目的と向き合う」ことでした。自分の人生において、何度目の修行か失念してしまったが、今回の修行は希望していた自分の内面と向き合うものでなく、外部の刺激などで肉体を行使する精神修行に、多くの時間を使いました。
三日間の滞在で気付き得たことは、繰り返し行う力である。行う対象が、写経・写仏・お百度参りであろうと繰返すことで、前回の自分よりも微々たることながら自己成長を体感でき、無意識に自分のエネルギーに成っている感じを感じました。
対象物が何であれ、極めた方が発するオーラや気概などは、繰り返し行われた修行の成果が生むエネルギーなのであろうか、そう強く感じることが出来る三日間の滞在でした。また、意味を理解できず繰り返して何かを行うことで、自分で意味や目的を見出し納得させることが出来ました。本当に体験をする炉いうことは、自分で意味を見い出すことなのかも知れないです。
自分は東京を拠点にビジネスを行っており、日々の生活で修行を行うことは難しいが、日々の生活でも真摯に毎日を繰り返し、エネルギーの有る人間になって生きたいと、今以上に強く願えるようになった三日間でした。
お世話になった皆様方、本当に有難うございました。
大学に進学はしましたが大学の講義にもついて行けず、学内サークルにも誘いは有っても入会もせず、立ち寄るところもなく大学と自宅を往復するだけの毎日でした。顔見知りはいるのですが、友達と言えるまでの同級生もいないままに、大学生活を過ごしていました。
天光寺の体験修行は、学内食堂の掲示板に張ってあった広報誌に、「滝行を受けて、向学心を持とう!」と言う表題に目を奪われました。
滝行とは何か、向学心は分かるが滝行とどのような関係が有るのか、分からないが気に成るものでした。受け付けは、学内同好会館の一部屋で、覗くと何人かの部屋の中にいて懇談していました。
入り尋ねると、一回目の体験修行は終わっていましたが、2回目の体験修行に空きがあり申し込むことが出来ました。
申し込むに際して、いくつか質問したり質問を受けたりしましたが、何か受け入れられるような雰囲気があり、申し込みました。今回の体験修行はクラブや同好会ではなく、個人の企画した提案で、精神修行を体験し修行できる企画でした。申し込んでは、同級生や先輩もまじえ初めて学内で話しできる方が出来、嬉しい思いをしました。
学部や学年や趣味思考が違えども、体験修行をすることは一致した私たちは、予約した日時に電車に乗りバスに乗り換え天光寺に着きました。
これから始まる修行では、大学生活中に困難や悩みや様々なことに負けないためにも、体験修行をして心身を清め充実した日々を過ごすための、修業をすると説明を受けました。期日は三泊四日で、外界から離れ修行体験するものでした。体験内容の説明では、言葉挨拶から始まりお経写経や仏様写仏や、お百度参り滝行川行や、瞑想や法話と盛り沢山でした。
修行は滝行ばかりでなく、付属する様々な行を行いあっという間の体験修行でした。今までは知りえなかった体験であり、清々しく爽快な体験でもあり、私達以外に参加して来ていた方との懇談もあり、外界とは閉ざされていたにもかかわらず寺院内での修行体験者交流で、厳しくも温かみのあるものでした。
私個人としてはリピーターとして、年に何度か参加して我が身を充実整えるためにも、天光寺に訪問したいです。
ぼくは小学生ですが、朝はねむたいし朝飯はあまり食べたくありません。お父さんお母さんは、ぼくがふとんに入ってからもゲームばかりしているので、朝も起きないし朝飯も食べないといっていつもおこります。ゲームばかりと言っても、ゲームで勉強することもできると言うのですが、分かってもらえません。漢字や算数や歴史など、いろいろ今ではたくさん勉強できました。
親はゲームをしないので、ゲームでの勉強をしんようしていませんが、遊びだけのゲームだけでなく勉強できるゲームがあることを、知ってほしいです。学校には仲良しの友だちもいるので、きらいではないけど眠くなることがおおいです。先生からは勉強じかんで寝ることが多いと注意されますが、そのことを親に言われるとおこられるのできらいです。天光寺では大人や子供が何人もいて、みんなでお寺の勉強をしています。眠くなることもありますが、がんばりました。
習字では、なんども知らないむずかしい字を書きましたが、自分が書いたものは自宅にもって帰って大切にするように、お寺の住職さんからいわれました。三日四日のお寺での勉強でしたが、大きな声を出したり同じお経をなんども勉強したので、むずかしいお経のことばをいくつかおぼえました。
テレビやゲームやマンガの本が、お寺ではなかったですが、お寺での勉強やお兄さんやお姉さんや、おじさんおばさんと話ができたことは良かったです。お父さんやお母さんと話をすることが少ないので、うれしかったです。
去年まで自衛隊で勤務していて、就職紹介で就職しましたが、高校を卒業して直ぐに自衛隊に入り、今では紹介された企業で勤務しています。自衛隊と違い民間の企業は、利益優先なので中々馴染めず、悩んだりすることもありますが緊張しながら頑張っています。
天光寺での体験修行は、勤め先から新入社員のための企業外研修との意味合いもあり、参加しました。総勢6名での体験修行でしたが、初めは寺院での研修と聞いていたので、何をするのかが分かりませんでしたが、修行をしていく過程で社会人としての基本を教え込まれました。自衛隊との違いは、民間なので大らかな修行体験ですが、節度ある体験修行でした。
内容は、挨拶に始まり所作に続き、お経の朗読や写経による心身の落ち着きを養うことや、瞑想による感情の落ち着きをも養い、お百度周りで足腰を使った走りこみの後の滝行で、全身を清める修行で体験した。
今回は体験修行と言われましたが、奥が深い修行であり中身は広い修行でもあると感じ、何か引き込まれる体験修行に、参加して良かったと思うばかりでした。出された食事も美味しくいただき、想像していた食事と違い微笑ました。
都会に行くと人が変ると言われましたが、都会に夢を見たわたしは学校を卒業すると、実家を後に都会に出てきました。都会で過ごす楽しさや、都会で知り合える人々とは多くの刺激や交流で、あっと言う間の経年が過ぎていきました。
私は今、三十路半ばになり振り返ることを知り、都会に出てきたころを振り返り当時の写真などを、アルバムの中から多くの思いを感じて感じ取っています。職場をいくつか変えたことも有るのですが、都会には都会人でなく地方の方の集まるところが都会という事を知り、真の都会人は少なく多くの地方出身者が蠢いている所が都会と言うのだと言う現実も分かりました。
心境の変化なのでしょうか、ふと田舎を思い出したり珍しく電話したり、今までのはないことをし始めました。三十路で独りからなのか以前違い、交流できる友人や知人も少なくなって来ていることや、鏡に映る自分の素顔を見るたび想う微妙な老いが出てきていることに、驚かされました。
ある著書で、人は外見でなく中身であると言うことを読んだ記憶から、以前であれば何も感じない心の中に芽生えた言葉を思い出したのも、体験修行を申し込む理由になりました。中身となれば、人間としての勝負と言われます。自分では果たしてどれだけの者なのかを知りためにも、体験を果たしました。体験は三泊四日でしたが、天光寺での体験では充実した教えや体験を通して、実のあるものでした。
今まで感じたこともなかった、決断力を積極性を五感を活用することなど、目から鱗でした。自分を信じることや、相手への思いでは見返りのない愛情から自分自身を癒すことなど、得るものがありました。またの参加を思いつつ、感じ入った体験修行でした。
今回私はこの体験修行を、夫婦で体験参加させて頂きました。結婚して6年経ちますが、今以上の結婚生活を維持するためには、何が足りないかを学んだり体験したりすることで、夫婦関係を見直す機会にしたく参加しました。
修行では声の出し方から始まり、挨拶の仕方と基本の所作をお教え頂きました。教え頂いたことで、今まで知り得なかった夫婦でも相手に感謝することや、明確な言葉の伝達でお互いを認め合うことなどを知りました。
私たちはお互いに仕事を持つ、共稼ぎ夫婦のため時差や行き違いがどうしても多くなる家庭でした。実のところ、住居のローンや今しか出来ない貯金等を考えた結婚生活なのですが、このままでは煮え切らないものがありましたので、天光寺の体験修行に参加した経緯があったのです。
妻とは友人の紹介で知り合い一年後の結婚しましたが、どうしてもまだまだ遠慮がある生活をしています。よく言えば新婚生活みたいですが、子供も居ない夫婦二人の生活で潤滑油ではありませんが、実質的に他人から夫婦としての在り方を考える時期と判断しての参加でした。
週末を利用した、わずか二泊三日の体験修行でしたが、初めて知るお互いの所作や行動に関心しました。妻も私の所作や行動や行いに興味を持ったのか、自然な笑顔を見せてくれました。他人同士が夫婦になるという事は、紆余曲折がありますが今にしてみれば体験修行で、分かり合えた様々から夫婦生活や家族生活に、頑張れるようなものになりました。
今回体験修行を体験させて頂きましたが、挨拶の作法で朝の挨拶や行の挨拶や食事の挨拶や就寝の挨拶と、声だし発声法や瞑想からお百度参りや滝行を体験して、更には写経や写仏や法話と盛り沢山の内容を消化してみて、今では誇らしく想っています。
初めは自信も無ければ、どのような修行であるのかも知らないままに、天光寺の体験修行に興味本位で申し込み参加しましたが、今は反省しています。住職からは、ありがたい法話を聞いては涙が流れましたし、挨拶にも様々なものがあり、一つ一つに意味があるという大切な挨拶でした。
体験での詳細は、人によって感じ方や考え方や一念が違うと思いますが、私の感じ入った修行体験では、お寺から一般社会に戻っても通用するものばかりだったので、リピーターになる覚悟もできましたし、今では天光寺は真言宗のお寺とのことですので、今までは無かった宗教的なことを含めた教学等も考えています。
腹から出す発声法も、相手に通じいる言葉も、食事も就寝も修行であり、お経を朗読するだけと想っていた宗教体験と違った、本物の修行を味わったことには感謝でした。話はそれますが、体験修行期間ですが、多くの方は一週間以内の方々が多いと聞きましたが、中には何らかの事情からか天光寺に数ヶ月から数年滞在しながら、行を行い外界から離れ体験でない本物の修行に入り、精進の志願をされる方も居て自身を磨き上げる方の存在に、感心しました。
俺は家族や子供達と別れ故郷も離れて、都会に独り上京して来た者です。都会では知り合いもいないので、できる仕事を何ヶ所か探し回り今の仕事に転職生活しています。都会に出てきた理由は、私個人のこともありますが、大きな原因としては災害(地震)に見舞われた田舎での生活を諦めたことで、家族内で言い争いになってしまったからです。
震災の復旧のめども立たず、呆然とした毎日に絶望感もあり、新天地を思いあまっての言葉から言い争いになり、むしゃくしゃした私は独りの決断で都会に出てきたのです。なれない土地と水で体調を壊したりもしましたが、今は生活に慣れるための頑張っています。
上京して既に約三年経つも、心の中に開いた風穴ではありませんが、無性に寂しさも感じたりしもたので、強い精神力を付けたいためにも体験修行に身を置きました。修行では、宗教的なお経の朗読だけと考えていましたが、実際には滝行や写経や法話や瞑想で、心身を修行で洗われました。
行では今までに知らないことばかりでしたが、こんなに素晴らしい教えがあったのかと感心し、今では何冊かの著書も読み、人としての歩みを考えたりもしています。家族や子供達との再会も、今では心なしか考えたりもしています。どのような結果になるかわかりませんが、私の人生内の出来事として、修行での教えを守り学んで行きたいです。
天光寺での体験修行は、頭(頭脳)だけでなく身体に教え込むような教えがあり、新鮮さもあり感動もしました。今後は心眼を開かせる、修行にも参加したいと想っています。
自分の不始末から、家庭崩壊し嫁や子供達と別れ数年立ちます。初めのうちは勢いがありましたが、10年近く日にちが経ち社会環境が変ってきていると感じたとき、ふと過去のことなど思いだりして殺風景な変化のない部屋の中を眺めていました。
仕事先も何社かかわり、身に付いた仕事先でのこともなく、人生流され組の一人といえました。
どうにもならないし勢いもない、孤独ではないと想っても話し相手がいない現実に、ため息ばかりが耳に吐きます。
今の仕事先は何かと面倒を見ていただける上司にめぐり合えたのか、業務環境も穏やかに過ごしていましたが、社内の打ち合わせで意識開拓する人材育成に、他社からもたらされた企画ですが誰か寺院で体験修行をしてはと、私に白羽の矢が立ちました。
今の職場も五年目になり、新人達に何かと先輩風を吹かして話をする機会があったせいか、指名されました。自分自身も仕事と言うより、自身を鍛えらるのかと言う気持ちがあり臨みました。ここは多摩の奥深い村にある、天光寺と言う寺院です。体験修行に毎年数千人が訪れる寺院で、厳格な体験修行では定評があり、有名な寺院でもあると聞きました。
どのような修行がなされるのかは、申し込み時に電話で幾つか聞き入れましたが、実際参加して体験した経験では、説明以上の感動がありました。挨拶に始まりお経の読経へ進み、初日から翌日に入るとお百度参りしてから滝行で冷水に打たれ、心機一転すべく静粛な本堂での写経で心の乱れを押し込みました。脈打つ自身の血液が分かるほど、写経では集中して文字を一字一字書き進めました。人生では初めての経験でしたが、これもまた派遣されたと想っていた自身の考えと違い、勤め先への感謝に変っていました。
修行先で知り合いになった方からも、新鮮な意見を拝聴できて、今までには感じたことない感動がありました。色々な方々が体験修行には参加されており、様々な一念を持っていることも知りえた体験修行でした。
なかなか思い込みばかりで、仕事にも家庭内でも行き詰まりを感じていた私ですが、体験修行を経験して、目先に明るさを感じることが出来ました。はじめはどちらかと言うと懐疑的でしたが、体験修行で得られた人としての基本である挨拶からも、お経を長時間朗読する修行でも過去に感じたことの無い、自分を目覚めさす効果に驚きました。
初めは只の発声法とだけ想っていましたが、対人や身の処し方など社会一般で通用する所作に、今更感じ入りました。俗に言う、学校では教えてもらえないことと言えばそれまでですが、その教えられたことを行うことで、社会生活が丸くなるといった功能があると聞き体験しています。
体験修行では、脱皮したと言えば分かり易いですが、社会の一員として過ごす中において、当たり前が出来ないもどかしさがあるという現実を感じていた私には、もどかしさが解消できるものでした。
人はどうしても、目先のことに左右されがちですが、左右されがちの中でも積極性があり向学心のあることに目覚めた者への見方が変ると言う、社会風潮があるということなどを初めて知りました。行き詰まりを感じていた私ですが、体験修行で指導されたことは単なる我慢ばかりではなく、奥深い信頼と癒される心のもち方にある、感謝する心でした。
簡単に言えば思いやりのことなのでしょうが、思いやりが今まで無かったとは感じていませんでしたが、甘えがあったのかも分かりませんでした。目覚めさせて、頂きました。自分の足元は見えづらいと言うことを、教えてもらった修行でした。
修行での所作には触れませんが、背筋がすっきり出来た修行の体験でした。
企業に入り中堅社員になるも、部下からの意見調整と上司からの圧力で、ここの所サービス残業も多く帰宅が深夜になることもあります。時には出張などもあり、気の休まる日にちが少ない毎日でもありました。
惰性に流される仕事先で、いまひとつ気持ちの整理を思い、今回体験修行を思い立ち予約することにしました。上司には精神修行充実で、今後の部下教育になりうると業務参加を打診して、了解を得ました。
業務参加であるため、体験修行の日程や修行内容の項目を体験後に提出しなければなりませんが、今回の参加では私費でなく業務参加なので、費用の面では助かりました。ただ、提出があり事後報告と今後の社内教育に使用できるかの、判断基準になるのかまで求められそうなので、無意識に仕事であることが露見してしまいました。
スケジュール的には、三泊四日であり項目的には所作や写経・写仏や瞑想と法話からなり、屋外での修行体験では、お百度参りからの滝行や川行が用意されておりました。さらに規則正しい時間の進み方から、積極性のある修行体験で観光ではありませんでした。
何のために修行体験するかなど、住職からの法話では気持ちの整理や平常心の自己改革もありましたが、主要なものは精神力の思考が重要であることなどが述べられました。
職場の人生も、戦う相手を求めるのではなく、挑む相手を自分の中に見つけたときに成長するといった価値判断なども挙げられました。仕事先では、体験修行で感じた意見した報告書で、企業研修も受けられことを発表し、社内研修にも有益ということを付け加えました。
今後お世話になる機会も考えて、私の体験修行は充実したものとして天光寺さんには、ご報告いたします。ありがとうございました。
私は集団での仕事に違和感を感じて、一人での仕事と決めタクシードライバーをして数年経ちます。お客様を乗車から降車までの、ひと時だけの業務の繰り返しだけで、それ以外の業務は存在しないことから転職組みですが、現在の私の仕事なのです。
お客様は、午前や午後や夜間や深夜では様変わりしますが、なるほどと感心しながら対処しています。中には、お客様らしからぬ方もいますが、短時間の我慢で済みますのでしこりも無く受け流しています。
そんな私ですが、将来は法人タクシーでなく個人タクシーを希望していて、諸先輩からもお客様あしらいを学ばなくてはならないと、助言されました。助言の内容の中には、個人としてお客様に合わさねばならない注意点や対処が多くあり、今の自分には出来かねるのではないかと思い悩むような助言もありました。
このまま法人タクシーのドライバーとして、生きて行くことも出来ますが、夢は夢として個人タクシーのオーナーとしての夢もあることから、今は夢追い人の一人としてハンドルを握っています。
タクシードライバーには個人主義の方が多いですが、個人タクシーになると責任や営業に対して、決断力や不満なども抑えねばなりません。ここ一番と言うときに、個人事業主としての遣り甲斐だけでない判断が要求されます。
学校では教えてもらえない、人としての社会で生きていく手法を天光寺で、絶対的な価値がある自分を仕事に反映出来るように、体験を通して知りえたこと体感できたことに感謝します。
写経や写仏では何度も助言を頂き、冷水の川行ではしった激励をもらい、今では体験できた喜びに嬉しさを感じています。
滝修行をさせていただきました。その節は大変お世話になりました。
あの時お話したように、「日々の喧騒を忘れたくて、非日常的なことを…」と思い体験させていただいたわけですが、「ただ単に滝にうたれる」ことを想像していた私は「入滝、出滝」の儀式に痛く感動いたしました。
挨拶、お清め、感謝などなど、日常軽んじていたことが荘厳に感じられ、本当に心の垢まで落ちた気分です。滝行後の精進料理、大変美味しく頂きました。ありがとうございました。
ぼくは、学校の先生からも、家庭でも「落ちつきがない、あきっぽい」と言われていました。 「4月からは中学生なのだから、この冬休みはお寺に行ってこい」と父に言われたときには、どう言う意味なのか、解りませんでした。父にしかられたあとだったので、「はい」と返事をしてしまいましたが、クリスマスの日に母から「修行に行くんだ」と聞かされた時には、とてもいやでした。
父の車に乗せられてお寺につくと、大学生の人と、父の年齢くらいの人が2人いました。 ぼくが荷物を片づけていると、お百度参りがはじまりました。お寺の人に言われてそばで見ることになりました。おしょうさんから明日は君もやるからよく見ておいてと言われたので、きんちょうして見ていました。
次の日、予定通りお百度参りをしました、冬なのに汗がでる位あたたかさを感じ、はじめ氷のように冷たかった足もいつのまにか、あたたかくなっていました。終わったあと、45分間もはしったり南無大師へんじょうこんごうも600回も言っていたんだと思ったとき、ぼくにもできるんだと自分が大きくなった感じがしました。
ぼくが修行のなかで一番うれしかったのは声を出すことです。長いときには2時間以上もあぐらをして背中をまっすぐ伸ばしたまま集中することができました。同じことを2時間以上も続けてできたなんて本当にうれしかったです。
4月からは中学校で部活に入って、勉強もがんばれると思います。おしょうさん、そしてお寺の人たちには、ありがとうございました。
夏休みにはまたお寺にきたいと思います。その時には滝行をしてみたいです。今回は滝行は見るだけでしたが、夏になればぼくにもできそうです。その時はまたよろしくお願します。自分が天光寺を初めて知ったのは、知人の紹介です。
今は普通ですが、会社で仕事をしていると、震えや自分が今何をしているのか分からなくなる事が頻繁にありました。このままでは不味いと思い、体験修行に参加させていただきました。天光寺に来て、何か切っ掛けがあればと思いました。初日は写経の練習をしましたが、習字を書いたのは小学校以来なので、懐かしさをかんじました。次に滝行の見学をさせてもらい、寒い中体験修行の方々が滝に打たれている様子見た時、最初は皆ガチガチに震えていました。次第に震えが収まっておりました。皆さんの身体の中で何かが起きたと思います。私も滝行を体験したいと思います。ただ出来るか心配です。
滝行からお寺に戻り、住職のお経が始まり、だんだん自分の身体が軽くなり、今にでもどこかに飛んでいきそうな不思議な体験をしました。お経が終わり住職のお話を聞かせていただきました。
一番印象に残っていることは人の縁です。人の縁がなければ自分は天光寺を知らずに落ち込んでいたと思います。これからは縁を大切にして、感謝を忘れないようにしていきます。明日もよろしくお願いします。この度は、滝行のご指導ありがとうございました。 以前除霊・浄霊をして頂いた際に、滝行・お百度参りの話をお聞ききしていましたが、まさか自分が行うとは夢にも思っていませんでした。
きっかけは、妻の一言、「IT企業に勤めていると色々な邪念や霊が憑きやすいから、一緒に滝に打たれて悪いものをとってみては?」、1人で行ってくればとと思った反面、ちょうとインターネットTVGyaoで放映されていた丁半コロコロさんの体験修行を見て、お笑い芸人でさえ、こんなに変わるんだと不思議に思っていました。
修行の日、まずは、腹式呼吸の練習からはじまり、御法号を唱えながらの練習をしている中、体の中の悪いものは痰等になって口から出てきますとの説明をうけ、弘法大師様の御法号である南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)を数え切れないくらい唱えたころ、本当に痰のようなものが沢山でてきました。これは、体の中にある悪いものがでてきているから、決して飲み込まないようにとの説明。やはり、妻の指摘通り、悪いものがたまっていたのかと思ったのと同時に、この腹式呼吸+御法号は、滝行の前に必ず行わなければならない行為だと感じました。
昼食をご馳走になり、行衣に着替えました。(本格的な行衣を着ると神聖な感じがします。)先生の運転する車に乗り、15分ほどすぎたころに、滝行の場所”龍神の滝”に着きました。TVでみる風景と同じです。 滝の前についた後、儀式がありました。これは、滝そのものに対して行われるもの(水の神、山の神様に対してのご挨拶)、滝行を行う者それぞれに対して行われるもの。このとき、インターネットで滝行を宣伝している様々なサイトのことを思い出しました。おそらく企業秘密のようなものだと思いますが、滝に入る前に儀式というものを行わないと効果がないのだろうと直感しました。天光寺さんではきちんとしたものを入念に行っていたので、非常に安心感を覚えました。(何も行わず入ると土地の神に祟られたり、ひどいときには、木々の枝や石のようなものが降ってきて大変危険だという記事を読んでいたので)
この日は、全部で5人。自分は最後です。妻は最初の方に終わってます。私の方に来て、小声で滝に打たれる前が本当につらかったと耳打ちしてきます。私の番になり、先生が気を合わせてくれます。恥ずかしながら、私は、妻にもできて、あのお笑い芸人にもできたものだから、簡単にできるだろうという気持ちがこころの隅にありました。いざ、滝に入ったあと(はじめの滝の手前で気の調節して頂いた箇所)、すぐに丁半コロコロさんのことが頭をよぎりました。「もう、無理」何が何だか分からないけど、「つらい」「すぐに出たい・出よう」と思った直後、「南無大師遍照金剛(ナムダイジヘンジョウコンゴウ)」と、先生からの御法号が聞こえました。そのときに、高尾住職がおっしゃっていた「滝と同調しなければ、滝にはいれない」という言葉を思い出しました。必死に呼吸を整え、滝と一心同体になるように呼吸をしていると、足下から体が温かくなってき、ついには(5分くらい経過したころ)、滝と同化してるような感覚になりました。とにかくとても不思議な感覚でした。
先生の「はい、もういいです」という言葉を聞いたとき、”もう少し、入っていたいな”という気持ちで、滝に入る前の”場違いなところにきてしまったな”という気持ちは一切なくなっていました。実は、滝に打たれている最中(後半)、2回くらい背中から”ボコっ”と何かが出て行くような感触があり、(実際、終わったあとも背中の中心がその日のうちは痛いくらいでした。)、後で理由をお聞きすると、滝のエネルギーにより、自分自身の不必要なエネルギー体が浄化したとの説明をうけました。
滝行体験直後には、もう2度と滝に打たれることはないだろうと思っていましたが、一晩たってからは、この仕事を行っていると定期的に龍神様(水、滝の神様)のお力をお借りして不要なものを浄化しなければと思うようになりました。また、季節が変わったらお邪魔したいと思いますので、そのときはご指導よろしくお願いいたします。
この度三日間の行では、大変お世話になり、深く感謝しております。多くの事を学び感じとることができました。忘れないうちにノートに書きだしております。特に「感謝すること」を身体で感じ取る事が出来ました。帰宅後の翌日、家の掃除をいたしました。 恥ずかしながら、今までに感じたことのない気持よさでした。結果をすぐ求めなくても、心の持ち方を実践していれば、とても楽になります。
家族、まわりの人を大切にし、いずれは社会に貢献できることを見っけていきたいと思います。本当にありがとうございます。
皆様方のご健康のほど、お祈りいたしております。また、多くの修業生の方々が多くのことを感じとられることもお祈りいたしております。天光寺様で行をさせて頂いたことは、私にとって大変意味のあるものとなりました。自分でも自覚していなかったストレスの原因をみごとに言い当てられ、現実に直面させられました。私自身、今まで現実とはっきり向き合うことを避けていたのだと感じました。
しかし「逃げていては問題は少しも解決しない」住職の厳しくも温かい教え、メッセージを受け「変わりたい」と強く思い修行に取り組むことができたと思っています。
川行を行い、少しではありますが自分が自然に生かされているということを感じることができました。
教えて頂いた「心の持ち方」まだまだ十分とは言えませんが、自然と心がそう動けるよう、日常の生活でも自分なりの「修行」の日々の送りたいと思っております。天光寺様にお世話になり、前向きに心穏やかに生きて生きたいと思えるようになりました。
一つ一つ、その時その時を一生懸命過ごし、周りに感謝して生きていきます。天光寺様で行をさせて頂いたことを、決して忘れません。本当にありがとうございます。皆様の益々のご健勝を心よりお祈りいたしております。
私は今回自分がかかえる心の病を直すべき天光寺の体験修行に参加させていただきました。 自分が考え、行動をおこしての参加ではなく、友人の勧めで半強制的な感じでの参加でしたので、行が始まるまでは不安と不満を感じながら、でも友人が私を思ってくれたうえでの行動である事を感謝しながら複雑の気持ちでいっぱいでした。友人と天光寺へ二人で訪れて、住職先生のお話を伺い私の抱える心の病「ギャンブル症候群」が単なる精神的な病気とばかり言えず、何か、目に見えない力に影響しこのような病気になる場合もあると聞きました。私にはそんな事があるのだろうかと思う反面、どうしてもこの病気を克服したい。しなければいけないので、この修行で精神的に強い自分になりたいと思いますし、前世、霊等の影響を受けてやっている行動ならば、自分の中からはきだしてこの先を進んでいきたいと思いました。先生のお話の中に今の時期では大変厳しい滝行があると伺いましたが、その行を受ける事で、私の中に溜まっている悪いものを洗い流しくれるのであれば、進んで行を受けたいと思いました。
十二月十六日から始まった、私の修行ですが、今日まで様々な体験をさせて頂きました。川行、滝行は大変厳しくつらいと感じることも正直ありましたが、この季節ですから寒いということを除けば、川に入った後、滝に打たれた後は、意外に何かがスッキリするという気持ちになったのが大変不思議でした。
それも川行を二回、滝行を二回受けさせて頂いたのですが、一回目よりも二回目が、一回目のつらさを覚えている分倍のつらさを感じるのかと思っていましたが、こういうのも慣れというものができるのか、案外受けた後の寒さつらさが少なかったのにも驚きました。何かの機会があれば、他の人へどんどんすすめてみたいと思った位です。また、私が今回の修行で一番感じたことは、お寺の修行という事で、厳しい修行が待っているのだろうなあと参加していたのですが(友人は、私が逃げ出す事を心配していたくらいです。)自分自身と向き合う時間が大変多いという事で特に就寝前の瞑想の時間が、私にとって大変お気に入りの時間となっています。
また、腹式呼吸と声出しの練習として設けられる午前中の時間が、太陽の光を浴びながら瞑想状態で腹式呼吸の練習をし、声出しの練習もする、この時間がまたお気に入りです。なぜお気に入りかと言いますと、瞑想の時間は、CDに収録されていた曲を聞きながら過ごす単純な時間のようなのですが、それこそ、学校の音楽の時間等は寝て過ごしていたような私ですが、眠ることなく、曲を聞きながら今まで過ごしてきた事、あった事、自分の子供の頃、学生の頃、結婚した頃、子供が生まれてきてからの事など、様々な昔の事が頭の中に浮かんできて、子供たちの顔が出てきた時は思わず涙が流れてきてしまった程、入り込んでしまった自分がいる事にびっくりしてしまった位でした。そして改めて、自分のしてきた事の過ちを反省し、これからの生活に生かしていきたいと思います。
また、午前中の腹式呼吸の練習が好きなのは、太陽の光を浴びながらやるこの練習は、十二月で寒いはずの外での練習なのに、太陽のエネルギーを受けてポカポカと暖かく、瞑想状態と同じようになれる事が最高に気持ちが良かった。
私は、この修行に参加できて、本当に良い経験をさせて頂いたと思います。厳しいだけの修行であれば、こうは思わなかったと思います。自分自身と向き合う時間が、自分を反省させ、次への糧となり、自分の中にできたモヤモヤを滝行、川行によってスッキリさせる。この二つがあったからこそ、私は参加させて頂いて本当に良かったと思います。
そして私は、こちらで学ばせて頂いたことをこれからの生活に生かし、償うべきものは償い、一日でも早く失った家族を取り戻せるよう頑張りたいと思います。
天光寺は、インターネットで調べて母の奨めもありますが、私も修行体験したいと思い、行きました。
住職さんの御教えを聞いたら、自分はマイナス思考なので、プラス思考になると思いました。修行体験に来られている方に話を聞いたら、色々様々な方がいらっしゃるんだと思いました。2日目の修行は、辛かったですが、耐えた事により、後が楽になりました。
自然の中での腹式呼吸は、良い空気が体を浄化されて生き返った感じがしましたし、喉は枯れましたが声が大きく出るようになりお腹の気が感じられました。お百度参りは、走りながらの南無大師遍照金剛は辛かったです。滝修行と川修行は、夏時でも水温の冷たさや水圧で、冬時の寒さに耐えられる感じがしましたし、水音に負けないくらい声を出しますので、良い発声練習になりました。写経は、集中力精神を鍛えて字の練習になりました。写経は書く事により、その人の精神が見えてくると言いますので良い機会になりました。瞑想は、過去を見つめ直したりストレスも無くなり心がスッキリしました。 ここに来てから、体内時計が規則正しい日常になり、自然の中での修行は、体内が浄化して精神的にも肉体的にも健康になりました。帰宅したら、親孝行をしたいと思いましたし、色々な事に挑戦したいと思いました。
私は8月4日(火)から修行に来て早々3週間が過ぎました。不安を持ちながら修行に来たのを今でも覚えております。家族に勧めれれて、自分自身が真人間になって欲しいという事で、自分も真人間になりたい思い、決意しました。
その間にいろいろな人間との出会いがありました。他の人は一泊や二泊で帰ってしまうため、寂しさも感じました。
一日一日が早く終わったり、短く終わったり感じました。初めての体験となった滝行、川行。滝に初めて入った時は、初めての事もあり、声がつまり、息ができませんでした。滝や川は初めて入った時は冷たく感じましたが、慣れてくる内にあたたかくなり、気持ち良くなりました。新聞やテレビが無い為、今、世間がどうなっているか分からず、断っていました。一緒に修行している仲間に話の種として「世間がどうなっている?」などと聞いていたりしていました。食事は、肉や魚が出ないのが寂しいですが、これも修行の一つとして、おいしく頂いております。
一日のスケジュールは朝六時に起床して六時半から約2時間掃除をします。掃除をしていると、気持ちも良くなるし、自分の中の悪い部分を掃除した気持ちになり、いいと思います。
その後、朝食。後は声出しの練習、滝、川行。
この3週間で自分自身が落ち着いてきたかなって思います。今までの自分は、何も出来ずに、なまっていました。時には帰ってしまいたいという気持ちもありましたが、そんな事を思っているようでは、人間にはなれないと言い聞かせて今も頑張っています。毎日、声出しをしているせいか、声が枯れて出ない時があります。喉から出すのではなく、腹から出すみたいです。修行中も、時々家族の事を考える時があります。皆、今どうしてるかなとか、頑張ってるかな等、時々さびしくなる時があります。修行初日に、先生に合掌してもらいました。約2時間くらい話を聞いて修行しました。3日に一回位、先生の法話があります。約1時間位ですが、話を聞いていると自分の為になる事ばかりです。時々、眠くなる時がありますが、修行の一つとして頑張っています。この文章を書いている今も、自分自身が何が足りないか、どうすれば真人間になるかを考えています。自分で言うのも何だが、この3週間で、少しずつ集中力がついてきたと思います。
残り約2週間残っています。トータルすると一カ月少々です。他の修行に来ている人からも「一か月以上もいるなんて素晴らしいですね」と励ましの言葉を頂きます。嬉しくなり、良かったなと思う時があります。一日でも早く真面目になり、帰ってから家族などに自分自身が成長した姿を見せてあげたいです。初めて東京に来たという事もあり、別の意味でいい経験になったと思います。
あと、約二週間、もう少し、精一杯頑張っていきたいと思います。
先日は体験修行をさせていただき、有難うございます。わずか二泊三日の体験修行でしたが、私はたくさんのことを得られました。
元々私自身、とても頭で考えてしまう人で、他人の顔色を見ながら自分の本能を押し殺して生きてきました。両親はやりたいことをやらせて下さるのですが、それが逆に拘束になっていたりして、夢もなく、ただ先の見えない未来へ迷走を繰り返していました。それでも中学時代はそれなりに勉強ができたため困らなかったのですが、高校時代は進学校ということもあり成績は中の下か下の上に加え、部活動では故障やスランプとそれによって躁鬱病気味になっていました。個人的にはスポーメンタルを学んでいたものの、故障時に最後まで自分を信じることができず、懸けていた部活では最終的には満足のいく結果を出せませんでした。そんな中で今回体験修行に参加させていただいたのですが、非常にたくさんのことを学びました。もっとも感じたことが、あるつもりでなっかたもの、たとえば根性や行動力などは自分ではあるつもりでも実は全然ありませんでしたし、自信過剰だなと思うこともたくさんありました。
スポーツメンタルで「すべてを認めろ」と言われて、その意味を自分でも理解していたつもりでしたが、自分の弱いところや非があるところは認めない節もあって、結局そういうところが部活動での負けにつながったのかなと今となっては思います。でも、こちらに戻ってきて忘れかけていたものも思い出しました。夢や自分の原動力、好きなことを思い出せることができました。
本当に感謝しています。また時間があればお伺いさせて頂きたいと思います。本当に有難うございました。
初めにここに来ようと思った時は8月の初め頃でした。その頃6年付き合っていた彼女と別れて、生まれて初めて心の苦しさを感じました。
ご飯も食べれず、寝る事もほとんどできない状態が2ヶ月ほど続いて、体重も10kgほど落ちてしまいました。その時、心の苦しさからここの寺修行を探したのですが、もう少し自分の力で乗り越えてみようと思った事と、夏より真冬、そして年末年始で来ようと思い、今日に至ります。ここに来た目的は、今まで生きてきた中で苦しめてしまったり、悲しませてしまった人達への懺悔です。ここに来る前に過去を振り返って考えていたら本当にどれだけの人達を苦しませて悲しませてきたか、生きる資格ないんじゃないかとさえ思ってしまいました。その事で親や友人、知人にまた迷惑や心配をかけて自分がどんどん嫌いになっていきました。なので全てを仕切り直し、前に進むために修行をしに来ました。
修行を終えて今思う事は、まずこのタイミングでここに来れた事への感謝の気持ちです。そして今でなければ出逢えなかった人達への感謝です。本当にいろんな方がいて、いろんなパワーを頂きました。中でも一番印象に残ったのは1月1日に行った滝行でした。まだ一日しか経っていませんが、今まで生きてきた人生を大きく変える程の出来事になりました。自分が悩んでる事がどれだけちっぽけな事で、自分がどれだけちっぽけな人間だったか、思い知らされました。想像も付かない心の苦しみを持っておられる方を目の前に心からそう思いました。必死でお経を唱えている二人を見てお経を唱えながら涙が止まりませんでした。二人が命をかけて戦っている様に見え、自分がどれだけ無力な人間か、悔しくて涙が止まりませんでした。自分がお経を唱えている時、少しでも、ほんの少しでもいいから二人の力になりたいと心の底から思い、寒さも痛みも忘れてただただお経を唱えていました。真剣に命懸けでやる事で、人の気持ちをこうも動かせるのかと感じる事が出来ました。見栄や格好、口先の言葉では人は動かないと確信しました。本当にありがとうございました。
今回3泊4日の修行を終えて、これからの心の持ち方、行動は、自分のことより相手のこと、人を思いやる気持ち、苦しんでいる人の手助け、嫌な事、めんどくさい事を率先してやる。言葉遣い、座る姿勢、常に全てに置いて感謝の気持ちを忘れない、日々修行。以上です。 最後にここに導いてくれた神様に感謝します。住職、スタッフの方、ここで出会った方々に感謝します。ありがとうございました。
今回この修行に来た目的は、己の弱い気持ちや、会社の役員としての自覚の無さを正す事を目的と致しました。
冬の寒さの中、滝に打たれることや、自然の中、規則正しい生活をする環境におかれる事により、自分自身が変われるのではないかと思いました。普段ならお酒を飲んで、子供と遊んでいるはずが、一日一日に修行に行く事の意味を深く考え、自分が変わり、良い方向に事が進めば、会社も家族も良くなると思いました。天光寺に来られる方々は、それぞれの考え、目的や目標、苦しみなどを持っており、自分の苦しみや悩みが、いかにちっぽけな事かと思いました。
また、自分の気持ち次第で、良くも悪くも考えられ、人それぞれの計り方の違いを感じることが出来たと思います。毎日毎日、仕事のことや、明日の予定、一週間、一ヶ月後、三ヶ月ごと、先先の事を考え、売り上げや経理、社員の事、家族と、頭がパンクするのではと思いました。電話も使えない、お客様の事も考えない、何も考えないで、今の自分だけを見ている様で、無の世界にいる感じも致しました。
この体験は、自分でしか解らないことで、人に伝えようとしても伝えられない様な気がします。次回は興味のある社員と一緒に来たいと思います。一泊二日の修行でしたが、滝に打たれている時、フワっとした感じがして、水しぶき一滴一滴が体に当たっているのが解りました。その時は、体の感覚もなく、「あれは何?」と変な気持ちになりました。また、女性の方が先に滝に打たれている時の苦しみが凄く印象に残っており、カルチャーショックを感じました。この経験を生かし、自分に厳しく、他人にやさしくなれる様努力していきたいです。一人では生きられない、助け合っていきます。 有り難うございました。
まずはこういう機会を天から与えられたことに心から感謝致します。日ごろ中々経験できないことを出来た喜びもさることながら、行のみに精進出来る環境の中、己を見つめ直す時間を持てたことが大変有意義でした。 息子の正確改善、前に出ようとせず、埋もれることで満足している為、自分を律して前進することが出来ない点を何とかしたく、HPで天光寺を知りました。当初は息子を入れることしか考えていませんでしたが、妻に「あなたも入って来たら?」と言われ、「正月をひとりぼっちで迎えるのも寂しいだろうから」という建前で入山することにしましたが、内心では自分を変える一つのきっかけになれば、と考えていた事も事実です。
昨年、人事異動があり、慣れない職場に転属、しかも時期リーダーにならなければならない状況は、自分の中では大きなプレッシャーでした。
元々一つのことを極めなければ人の上に立つことは出来ないと考え、以前の職場で自己修練に励んできたのですが、今回は年齢と立場で上に立つことになった訳です。下にはより有能で、人脈の広い部下がいる現実、元来、人に言われた事を気にしがちの自分にとっては、自分をどう演じ、どう振る舞うべきなのか、少々迷いがちでした。そんな中での今回の修行は改めて、自分にとって価値あるものとなりました。住職のおっしゃる「自分の人生の主人公は自分である」という言霊は、まさに自分の信じるところを遠慮することなく突き進めと言われている様に感じました。
今から二十年も前のことになりますが、テレビのディレクターとして、お昼のワイドショーの「人生相談」のコーナーを担当していたことがあります。
離婚、暴力夫等、悩みを抱えている視聴者からの依頼に、弁護士と共に解決法を探るものでしたが、この時に色々な例に触れさせて頂き、「人との関係を修復、改善するには、まず自分が変わらなければいけない」ことを学びました。相手を変えようとすることが甘えに過ぎない、自分が変わる事は自体を好転させたいからであって「敗北」ではない…十分理解していたつもりでしたが、自分の人生を振り返ると、自分を律することをおざなりにし、相手に対する不安や愚痴を重ねてきたような気がします。昨日の滝行で御宝号を唱えて水をかぶった時の爽快感、そして、今朝大日如来の前で手を合わせている時に感じた目の前が開けていくような感覚、いずれも今後人生を生きていく上で生き方を変えられるひとつの「期待感」を掴めたように思います。
その「期待感」はまだ曖昧な物で、こうすればたちどころに解決すると行った明確な輪郭を伴ったものではありません。 しかし迷った際に、仏前勤行集を開けばいつでもそこに戻れる「スタート地点」を確保することはできました。今まで十数年テレビドラマの仕事に関わり、数々の「舞台」と数々の「主人公」を構築してきました。しかし未だ自分の「舞台」と自分が「主人公」である物語の起承転結を考えたことはありませんでした。今回の修行はある意味で「転」となるものですし、またそうするべく日々前進していきたいと存じます。
改めて皆様との出会いを感謝いたします。貴重な体験、充実した時間をいただき、本当にありがとうございました。
申し込み当初は、昨年末から身近における諸事情によって、色々と考える事が多かったこと、自分自身と向き合う時間が無かったこと、自分の今後について具体的に考える時間を設けなかったことなどから、以前より興味のあった冬の滝行やその他の行を通して、何か変わるきっかけを見付けられたら…という思いでした。ただ、一日目の瞑想・お百度参り・川行。二日目の写経・お百度参り・滝行と通じて「あっ、自分ってこういうところがあるな」「今までの自分はこうだったな」と気づけた瞬間があって、行を進めていくうちに、何となく穏やかに温かい気持ちになっていきました。この感情は「嬉しい」に近い感覚でした。
そういう漠然とした気持ちが確信に変わったのは、住職さんの「法話」を聞かせて頂いた時でした。自分はこういう話に出会いたかったんだ、聞きたかったんだと分かった時、本当に幸せ(という感覚に近い)な気持ちになりました。 自分の『今後』を探しに行った時間だったのに、自分の中の自分と向き合って、自分の弱い部分を見付けたり、自分でも気付かなかった自分と出会えた時間になり、充実したものとなったと思っています。
ただ残念だったのは、住職先生とあまりお話ができなかったことです。というのも、先生にオーラというか、威厳を感じてしまって萎縮してしまったのです。今思うと、もっと積極的にぶつかって行けば良かったと思っています。
「積極的に生きるか、消極的に生きるかで、運や人生が変わる」のですから…。スタッフの方々、行生の仲間達にはとても親切にしていただきました。正直2泊3日という期間が不安だったのですが、楽しくあっという間で足りないくらいでした。(川行・滝行・正座は辛かったですが…)
長々と書きましたが、この2泊3日は、自分を高めていく為の第一歩として、大切な時間になったと思っております。
幸い、自分の周りにも、自分を戒めて下さる方もいらっしゃいますし、ハッと気付かされる瞬間が多く転がっています。少なくとも、その瞬間を見逃すことなく自分を高めていけるようにアンテナを広げて感受性の高い人間でいたいと思います。そしてそれでも何かに行き詰まり、滝に打たれたくなりましたら、また、住職の法話を聞きたくなりましたら、すぐにでも連絡させてください。宜しくお願い致します。
私は滝行、川行、その他にお百度参り、写経、写仏、先生の法話を聞かせて頂きました。明日にて終わりますが、大変短い間でしたが貴重な経験をさせて頂きました。帰りましても、ここでの経験を基に家族を大切に、実直な生活をして、妻を安心させたいと思います。
私は躁鬱病を患い、9年という年月が経ちますが、その間に双子(男女)の子が生まれました。
今回の修行で「今までで一番嬉しかったことを思い出して下さい」と問われた時に、仕事中何度も病院に行き、出産に立ち会い、10時間近くかかって、女児と男児が生まれたときの事を思い出しました。
明日7才の誕生日を迎えますが、あの時の喜びを忘れず、妻に感謝の心を忘れずに、残された子供への義務を第一の喜びにしようと思います。今回の川行と滝行でなにか今までと違い、シャキッとした感覚が持てました。9年間苦しんできたなにかがなくなった感覚です。本当に有り難うございます。話は飛びますが、そもそも病気のきっかけは仕事だと感じていましたが、今はそれはどうでも良くなりました。過去は変えられないが、未来は変えられる。自分ももっと強くなれば、病気は克服できると思いました。
今回の体験は、大変貴重で、だれでも出来るわけではないし自分でやろうとしても無理なものばかりでした。
特に川行と滝行は非常にエキサイティングなものでした。
川は非常に冷たく流れに打たれて自分自身の感覚が麻痺し、一種の解脱状態になります。滝行は滝に行くまでの登り道で息が切れてしまい不安でしたが、川とは違った自然の力を貰った様な気がしました。どちらが良かったかというと、私は川の流れでの感覚が一番残っています。又機会があればぜひ伺いたいと思います。最後になりますが、指導して下さった先生の皆様、ご住職に御礼申し上げます。本当にありがとうございました。 明日と言わず今から前に向かって前進していこうと思います。
ぼくは、いじめにあってから不登校になり、一年間家にいました。あるときお母さんが、天光寺のホームページを見付けて、ぼくはいくことにしました。それで天光寺に来ました。
最初は、大きな声を出したり、しゃべったりできませんでした。
でも、川行や水行などいろいろしていくうちに自分が変わってきたようなかんじになりました。
スタッフさんと話したり、同じ行をしている人たちと話したりすることができるようになりました。
大声出したりできるようになりました。
がんばるといろんなことができてうれしかったです。川行や水行はつめたくてがまんできなかったけれど何度もやっていくうちにすこしずつがまんできるようになりました。
天光寺で学んだことは、今年中学生になるので、いじめにあったり不登校にならないように学んだことを忘れずこれからいかしていきたいです。天光寺にきてほんとうによかったです。ありがとうございます。今回、私がこの体験道場(修行)に参加させて頂いた目的は、自分自身の心の弱さの克服であります。デフレ進行下、価格破壊が進み、価値観のズレを中々埋め合わすことができない世の中になって参りました。そんな中、商売上、中々上手く行かないことが多く、ストレスが溜まり、家族には相当の迷惑をかけていたかと思います。ふと我に返ると自分自身のことしか考えていない自分がそこには居りました。
長い間、家族旅行にも行っておらず、夕食も暗い感じになっておりました。このままでは、家の家族はダメになってしまうのではないかと思い、まず自分自身をもう一度再確認する為、そして自分が家族に対して何が出来るかを考える為、自分が大黒柱として、立派にみんなを明るく出来る様に、自分自身が変わらなければならないと思い、自分を磨く意味合いを込めて、やって参りました。
修行一日目、二日目と進むに連れて、普通に生活出来ている「尊さ」「ありがたさ」を痛感致しました。家では全て、女房まかせにしている自分を腹立たしく思うと共に、感謝の気持ちでいっぱいになってきました。そう私には人を気遣い、思う気持ち、そしてやさしさが足りなかったのです。天光寺のご住職、そしてスタッフの方々と接してみて、特にそう感じました。
人間はひとりでは生きていけない。皆さん、そして家族、友人、知人、恩人、ありとあらゆる方々の御力をお借りしなければ生きていけないのです。
今後とも難しい局面は多々あると思います。
そんな時には、ご住職の仰った不撓不屈の精神で無理難題に、情熱的に取り組んで参りたいと思います。決して後々を振り向かず、前を見て、陽転思考で、積極的に、明るく取り組んでいきたいと思います。と、同時にやさしい慈悲の心を常に持ち合わせていたいと思います。今回天光寺さんを訪れた目的は、日ごろついダメと分かっていても楽な方を選択してしまう自分の甘さ、弱さを正すために、転職によってもらった長期休暇を利用して渇を入れることです。
気合いを入れて、次の仕事はもちろん、私生活もより充実して過ごせる様にしたいと思いました。自分で言うのもなんですが、私はとても幸せな環境で生きていると思っています。両親、妻、友達、同僚、上司、出会う人皆、素晴らしい人ばかりで、みんな自分に優しくしてくれて、想ってくれて、何不自由なく生きてきたと思っています。
でも普段、その幸せになれてしまって、幸せを幸せと感じなくなっている時がある事に気付きました。こんなにも幸せにもかかわらず、だらだらとゲームをして過ごしてしまうことがよくありました。生活を充実して過ごすことで改めて幸せを感じる事ができるようにと思いました。
初日、お百度参りと川行をして、生きていることがどんなに素晴らしいことか、切に感じることができました。お経を唱えている間も、ほぼ無のような感覚になり、とても安らぎを感じました。
初日に行を行ったことによるものなのか分からないのですが、2日目の午前に瞑想をした時に今まで出会ってきた人達を思い浮かべて、みんなに感謝した時にあふれるほどの涙が止まらなくなってしまいました。今まで、どれだけ自分が幸せだったのか、心からみんなに感謝の気持ちが湧いてきて感じる事ができました。
今までは感謝はしていてもこんな気持ちになることはなかったのでとても不思議でした。2日目の滝行で身を清め、心がとてもきれいな落ち着いた状態になっているのが分かります。
瞑想をしている時に浮かんだ感謝の気持ちを忘れずに、明日からお世話になったみんなにちょっとずつ恩返しをしていこうかと思います。ちょっとした事で精神を乱されずに、人の事を考えながら充実した日々を送りたいと思います。僕は天光寺の体験修行をやって思った事がいくつかありました。
一つ目は集中力です。写経やお経を唱えたりとかして、けっこう集中力とかがついたんじゃないかと思いました。
二つ目は滝行や水行はすごく大変な事が分かりました。0度の水の時もあるので、すごくさむかったです。それに滝行や水行の前にやるお百度参りも百往復したりするのもいやになってくるけれど、それのおかげで結構我慢強くなれたなと思いました。
そして三つ目は天光寺の人達に礼儀が悪かったら悪かったと注意したりしてくれて、礼儀とか寺での作法などがすごく分かったので良かったです。お寺では祭壇に足を向けて寝たり、祭壇に向けて足を伸ばして座ってはいけないというのも天光寺に来て初めて知りました。
そして僕がここに来て思った事は、色々便利なものがなくて、いろいろな事に困ったりしました。だけれどここで暮らしていたらそういうのが昔だったら当たり前なんだろうなと思って感謝する事とかを出来たので来て良かったと思いました。
体験修行に行こうと思ったのは、転職の合間に何か自分を成長出来る事ができれば良いなと安易な気持ちでした。しかしながら本当は来るべきして来たのだと感じました。自分の事、自分が考えている事、自分自身を見失っていたのだと分かりました。
体験修行を通して何が変わったか、また何が成長できたのかは言葉に表現できません。一つ言えるとすれば、少しだけ自身が大きくなったと感じています。厳しい修行の一つ一つを乗り越える度に大変大きな満足感と達成感を感じました。修行中、何度も諦めそうになりました。『ここで諦めたら今までの自分と何も変わらない』の一心でふんばりました。ここぞという時の良い意味での開き直りと『俺は死んでも鯛だ!』と言う根性が自分にも有るのだと言う事に気付き、本当に嬉しく思いました。
これからもまた、生活していく上で様々な壁や問題にぶつかると思います。その時はこの体験修行を思い出し、集中すれば必ず乗り越える事が出来ると思っております。
最後にこれからも自分に正直に厳しくまっすぐに、そして真っ当に生きて行きたいと思います。現在大学三年生で、体育会の部活動に所属しております。自分が天光寺に体験修行に来た理由は、部活動で壁にぶつかり、その壁に負けかけている弱い自分を心の面で変わりたいと思ったからです。また、自分は精神面で弱く、些細なことを引きずったりとてもネガティブで、色々と嫌な事を溜め込んでいたので少しでもそれが張れればいいなと思っていました。
いざ、体験修行に来て初日、挨拶の面で自分はまだまだだと実感しました。声があまり出なく辛かったですが、何回も練習していく内にだんだん出るようになって来ました。その後、お経を読み、お昼御飯を頂き、初めてのお百度参りと川行を行いました。
お百度参りは裸足で行い、疲れたと同時に足の裏にマメがたくさん出来て、とても辛かったです。そして川行ですが、とても冷たくきつかったです。でも、だんだん気持ち良くなり、日頃の生活で溜まっていたストレスや嫌な事が全て洗い流されていく感じがしました。
夕食の後、法話を聞きました。その中で、先生がおっしゃっていた、思考が自分を作ると言う言葉には深く考えさせられました。自分はマイナスのことばかり考えたり溜め込んでいたので、これからは前向きに物事を考え、えっ曲的に生きて行こうと思いました。二日目、朝六時に起き、朝食まで掃除をしました。家の中が終わると外の道を竹ぼうきで掃きます。長時間ほうきで掃くのは辛かったですが、周りには自然がいっぱいで気持ち良く、掃除が終わった後の道を見ると、こんなにきれいになったんだと感動しました。朝食の後、二時間光明真言を唱えました。酸欠になり、おしりも痛くとてもつらかったですが、終わった後の達成感は凄かったです。
その後、三禮を百回やりました。物凄く辛かったです。でもこれをやりきった事は凄く自信になりました。その後、お百度参りと滝行を行いました。滝行は想像よりも遙かに過酷でした。痛い、冷たい、息ができない、本当にきつかったです。でも滝行が終わった後、凄くすっきりしましたし、滝からエネルギーを貰いました。三日目、朝起きると体中が筋肉痛におかされていました。特に腿、お尻は酷く、座るのが痛かったです。それでも、掃除と朝食のあと、また光明真言を二時間唱えました。凄い辛かったです。考えてみると普段なら絶対に出来ない事だなと思いましたが、それを二回やりきった事、それは本当に自信になったし、集中力がついたのかなと思いました。
午後には写経とヒーリングを行いました。写経では久しぶりに筆を使ったので、あまり上手に書けませんでしたが、自然と凄く集中しました。またヒーリングでは途中からぼーっとしてきて、眩しい光のような物が見えました。何か見えない力を感じました。終わった後はとてもすっきりして、肩が軽くなった感じがしました。そして最終日、掃除をして、朝食を済ませ、お経を唱え、今この文章を書いています。
振り返ると三泊四日はとても短い物でしたが、とても辛く、とても考えさせられ、また、とてもすっきりした充実した時間でした。色々な辛い事をやり遂げたからこそ、自分がこれから頑張っていく自信にも繋がりましたし、これからは前向きに積極的に毎日を少し、自分の壁を乗り越えたいと思います。
『思考が人生を作る』これを忘れずにこれからも人間的に成長していきたいと思います。ありがとうございました。私はこれまでの会社生活の中で、自分でも知らず知らずのうちに自分の中に蓄えてしまった垢(ストレスや凝り固まった考え方等)を洗い落とし、自分自身を一度リセットしたいと考え、今回体験修行に参加致しました。また、そうする事で、今後の仕事だけでなく人生全体にプラスになると考えました。
実際に体験修行に参加してみると、自分が考えていたよりもハードなものでした。川行・滝行では、水温は低く、特に初めての滝行では、これまでに経験した事のない寒さ・冷たさを前進に感じ、心から修行の厳しさを実感しました。しかしそれと同時に厳しいからこそ、自分の垢が取れる、新しい一歩を踏み出す力になる!と信じ一生懸命に修行に取り組みました。不思議な物で、二回目の川行・滝行では水の流れや岩との一体感を感じ、寒さ、冷たさを感じながらも平常心を保つことが出来、また徐々に自分の中の垢が水の流れと共に洗い流されていくような気持ちになることができました。
また川行・滝行だけでなく、毎日の掃除、食事の準備や後片付けなど全ての事が非常に尊い修行であったように思えてなりません。汚れ一つ、落ち葉一枚が全て自分の中の垢であるように感じ、一つ一つの作業にも手を抜くことなく取り組むことができたと思っています。
更に今回の体験修行では、自分でも思いがけない『気付き』を得る事が出来ました。座禅を組み、瞑想して、過去の自分の行い、出会った人達の事を思い返す時間を頂いた際に、過去の失敗や後悔が、全て自分の中の消極的な部分が引き起こしていた事を本当によく理解出来ました。それはまさに天光寺で教わった通りだったのです。またこれまで自分がいかに周りの方々に支えられてきたか、いかに恵まれていたかという事もよく分かりました。家族のことを思った時、自分でも驚いた事に自然と涙が出て来て止まりませんでした。
天光寺での体験修行を通じて、当初の目的である『自分のリセット』だけでなく、本当に多くのことを得る事が出来ました。厳しい修行を乗り越える事で、自分にも自信が付いたと思っています。今後はここで得た気付き、感謝の気持ち、自信をわすれることなく、更に一生を通じて自分を高める努力を続けて行きたいと考えています。そうすることが、自分の人生を豊かにし、これまで支えて下さった全ての方々の恩に報いることだと信じています。仕事に関しても、私の仕事は世界的に非常に競争の厳しい業界ですが、ここで学んだ事を活かし、一生懸命に精進することで、必ず世界中の人に慶んで頂ける商品を作りたいと思います。
最後になりますが、沢山ご指導頂いた天光寺の皆様、一緒に修行した皆様、六日間の短い期間でしたが、本当に貴重な経験と楽しい時間をありがとうございました。
私が今回天光寺の体験修行に参加した目的は「動じない強い精神力を身につける事」でした。昔から心配性で非常に細かいことで悩んだり、自分を追い込むことが良くあり、特にここ数ヶ月間は自分自身の知性、能力に自信が持てず、将来について本当にくよくよと悩んでいました。また、他人と衝突した場合などにおいても、その人からどう思われているか、今後どう接していったら良いかなど、長期にわたって悩み引きずり、精神的に疲れることが多々有ります。そんな気にしすぎ、心配性な性格を少しでも改善し、強く明るく前向きな心に少しでも近付けたらとの思いで体験修行に参加させて頂きました。
体験修行を通じて、自分なりに学び、感じた事を綴ります。
修行初日、まずはあいさつの仕方から始まりました。はじめに先生のお手本を見せて頂いた際、普段と変わらないあいさつ言葉ですが、いかにこれまで自分が挨拶に気持ちと力を入れていなかったかに気付かされました。「おはようございます」「ありがとうございました」これまでは、ただ何となくそれらの言葉を発するだけでしたが、今後は、腹の底から言葉を発声し、気持ちと力を込めて挨拶出来る様、少しずつ改善をしていきたいと思います。
三禮を百連続で続けた時の事、五十回を過ぎた頃から、膝も腕も赤く腫れ上がり、精神的にも相当キツくなった時「足の痛みも限界だし、ここで諦めてしまおうか」と何度も思ってしまいました。しかし、せっかくの修行の機会ですし、形が崩れても、途中腰を上げられなくなっても最後まで続けようと思い、結果最後まで続ける事が出来ました。通常の生活でもこの様な苦しい場面はたくさんあります。常に人生における修行なのだと心に留め、最後までやり抜く癖を付けたいと思います。
修行中は、他の方との共同生活ですし、一日の流れ、食事、就寝時間も決められたものだった為、いかに普段の生活が自由でありがたいものなのか改めて考えさせられました。今後は一日一日の有り難みを感じ、時間を有効的に使っていきたいと思います。
リーマン・ショック以後の就職氷河期と言われる中、就職活動を経て、私は社会人一年目を迎えました。これだけ辛い思いをして会社に入ったのだから、きっと充実し希望に満ちた日が過ごせるのだろうと思っておりました。しかしながら今感じるのは、日々の業務に追われる忙しさと、仕事しかしていない毎日に対する虚無感でした。つらいことしか無いという訳ではありませんが、自分の心持ちや言動に「余裕の無さ」が現れる様になっていることに気付きました。そこで夏期休暇のこの機会に心をフラットにし、余裕ある心持ちを取り戻そうと思い立ち、天光寺の体験修行を申し込みました。
私が行を通じて学んだことは「無心で物事に取り組むこと」「心の拠り所を持つこと」の大切さです。
読経、写経、写仏などの行においてはただ無心で一点集中し、取り組む訓練をさせて頂きました。それらの行は単純なものであるが故に手を抜こうと思えばいくらでも楽をすることができるものでありました。しかしそれを手を抜かず真剣にやり遂げることが精神力を鍛えるのだと感じました。これは人生そのものと同じで、いくらでも手を抜けるが真剣にやるからこそ意義があるのだと思います。仕事に置いてもあれこれ考えて妥協しないよう、まず目前の物事に無心で全力であたる精神力を持とうと思います。来週から仕事に戻りますが、今の自分の環境を悲観するのではなく、まず目前のことに妥協せず、全力であたり、何事にも真剣であることを心懸けようと思います。この二泊三日で学ばせて頂いた事を大切にして参ります。ありがとうございました。
僕はお父さんに対する態度が悪かったり、嘘をついたり、話を聞かなかったり、お父さんの財布からお金をとったり、お父さんの部屋に入ってパソコンを勝手にやったり、没収されたゲームを探してみつけて夜中にやってみつかって怒られたり、怒られて「どうして」と聞かれると、黙ってしまってまた怒られてしまいます。それで「お寺に入って反省してこい」と言われてこのお寺に来る事になりました。最初はどんな人がいてどんな修行をするのかと思って、とにかく泣きじゃくりました。その時やっと、やってしまったことの重大さが分かりました。そして、行くと決まってからやっと反省しました。もうさすがに懲りました。
僕はお寺に来た時とても不安でしたが、ここならちゃんと反省ができそうだと思いました。周りの皆さんが優しくしてくれて、「どこから来たの?」とか「今何年生ですが?」とか聞いてくれて、大人の方たちとも仲よく過ごせました。
でも修行の時はみんな集中して取り組む事が出来ました。ごはんのときは肉とか魚とかが無いと聞いて、本当に食べないと知りました。でも味噌汁とか朝はおかゆとかがおいしかったので全然平気でした。 僕はこれから何をすべきか、どうしたらいいか分かったような気がします。
このお寺に来て良かったことは、人との交流が多くにぎやかで、修行に行くときはピシッと切り替わるのでメリハリのつくいい生活ができました。早起きもできうようになったのでとてもうれしかったです。 僕はこの感想文を書くと言われていやだと思ってました。が、書いてるうちになぜかちょっとだけまじめに取り組めた気がします。文を書くのは得意じゃないけれど、書いてるうちにもうちょっと書こうという気持ちになれました。もしかしたらこのお寺でちょっと変わる事ができたかもしれません。
このお寺にこなかったらいつまでも変わらずぐーたら過ごして悪いことして怒られてまた悪いことして怒られての繰り返しだったかもしれません。このお寺に入れてくれたお父さんに逆に感謝しきれないほど感謝じゃあらわせないほど感謝しています。これからの生活、いつもいつも感謝して怒られたり、悪いことしたり、困らせたり、めいわくかけたりしないように、人として、一人の人間として生きていきたいです。
私が天光寺に来た理由はこの先の人生を考えた上で、今の自分には、自信を見つめなおす時間が必要である、自分を変えたいと思ったことがきっかけです。修行をして、自分を変えたいと、単純な気持ちで来ました。話が聞いても、考えるだけで変られるとは思いません。私自身も、どうしたら変わることができるのか分かりませんでした。今は自分が私の生活に戻り、変われる事に気付くことができました。気付くことできたのは、住職先生の教えであります。先生が何度もいわれている“反省”“感謝”“ざんげ”をしなさいと言われて、今まで一度も考えたり思ったりすることがなかったので深く考えました。
想ったりすることがなかったので深く考えました。この普通の事、考えればわかることを考えてこれなかったことによって人の想いを気付くことができなかった想い返すこともなかっただから人を傷つけて裏切ってうまく付き合っていくことができなかったのだと思う。
「愛にひそむ独占欲」の言葉は、先生とお会いした時に始めて言われた言葉であり、自分に一番気付かなくてはいけない所だと思います。彼女に対する言葉態度を改めて考え思い出さされました。これからは自分が認めて支えてあげようと思います。
今まで忙しさを理由に自分の身の周りの事ができなくなってしまっていたのも、変えなくてはいけない事であってここに来てゆとりの時間が必要だったことも気付かされました。
考える時間、何にも考えずにここを休める時間がないと人はすべてにうまくいかなくなってしまう。行をしたことによって、お経一つにも気持ちを入れてすることによって忍耐力をつけることができ、終わった後の達成感を味わえる例えば次に写経をして集中力を高めて達成感を感じる、一つひとつのメリハリも大事だけれど、仕事に置き換えても自分の気持ち一つで自分はいくらでも変わることができる。辛い時の自分に意識で勝つことができればその気持をこの先の自分にしっかり付けていきたい。「挑む相手を自分の中に見つけた時」道が開ける。天光寺で教わった事“教育”大人じゃなくて子供に対する教育大人には仕事での教育は完璧ではないがすることができるこれから自分が人の親になることになればしていかなきゃいけないこと、子供は素直だからダメなとこをすぐ出してくれるでも常に言ってあげないとすぐ忘れるなんで言われるのかをしっかりと伝えて理解した上でしてあげないと、甘えて泣くだけ、ここに来る子供たちの多くは親の甘えだと思う。かわいいからとはいえ甘えは人をダメにする。甘えさせれば、それは許されることだと認識していつしか甘えさせられることになれてしまって感謝の気持ちも分からない大人になってしまう、まさに自分の事を言っているようだ。子供に叱っている言葉が自分に返って来る時が何度もあった。子供の教育にも甘えさせるのではなく、良し悪しの区別をしっかりさせてあげて、最後はしっかりとほめてあげることが必要だと教育に対して考えさせられ勉強になった。
相手を想う気持ちが強い程、感情が高くなり、泣いたり怒ったりするそれがいつしか心に残って何かに気付かさせるきっかけになったりする、想える、想ってくれる最後は話し会える相手だから情が生まれる。互いに認め合えば、切っても切れない関係になる。
この先、そうなれる相手を探していきながらいろいろな人とのコミニュケーションとネットワークを取っていきたいと思う。人と人は支えあい情でつながる。人と人とのつながりを大切にして人生を歩んでいきたい。 天光寺のスタッフのみなさん一ヶ月という短い間でしたが親切にして頂き、本当にありがとうございました。住職先生、毎日ご多忙の中、親兄弟身内の相談まで聞いて下さり大変お世話になりました。ここで教わったことを何度も読み返し意識的に自分自身が成功できるよう毎日、懸命に努めていく所存でございます。
ほんとうにありがとうございました。
ぼくがこの天光寺に来た当初は、頭が混乱していました。母に連れてこられて、いきなり「修行をする」と言われたからです。それで、ぼくはここで修行をすることになりました。
最初は、「なんで俺が修行なんてしなきゃ」と思っていました。けれどもすぐに「ここに来た以上は修行をしなきゃな」と頭を切り替えました。もう十六歳になる男が嫌だ嫌だだなんて言ってられないので、とりあえずがんばってみることにしました。朝起きてから、掃除と言われて、掃除をしていましたら、いろいろと教えてくださるお兄さんに怒られました。「なんで怒られなきゃいけないんだよ」と思いましたが、聞いてみると自分ができていなかったことへの注意でした。他にも多々怒られましたが、全部自分が至らなかった点ばかりでした。
例えば、外を掃除する際にゴミを残さないようにしろと言われました。他の人が見逃したゴミでも、自分は見逃さないように、自分が見えたゴミはひとつ残らずはく、隙間に挟まっているゴミも見逃すな、などのことも言われました。ぼくは「何の意味があるんだよ」と思いましたが、こういう風なことを言われました。
「落ちているゴミを全部ひとつ残らずはくことは自分に負けない心を作る。」そこで、ぼくは今までの自分のことを考えました。自分は今まで自分に勝ったことがあるかということを考えました。最近は、自分の欲望ばから優先させて、本当にすべきことをしていませんでした、ぼくは今、高校1年生です。つまり、学生ということです、学生とは、学ぶじかんが 与えられている人と住職さんが言っていましたが、高校に入ってからのぼくは全く勉強をしていませんでした、勉強をしないで、スマフォをいじったりパソコンで遊んでたり、テレビを寝ながら見ていたりしてました。それら全ては自分の勉強をしたくないというただのわがままでした、ただ単に学業から逃避をしていただけでした。勉強をしたくないという自分に負けた結果、学校の成績はよろしくない結果に終わりました。
だから、自分に負けない自分を作ることがここに来た目的の一つであるとぼくは考えます。自分に負けない自分を作ることができたかと思うと、ぼくはできたのではないかと思います。今、本当にやるべきことをきちんと考えて、自分がしたいことは抑えていきます。それが自分に負けないことだと考えます。 そのお兄さんの話を聞いてて考えたことですが、ぼくは両親のいうことを全て聞いていませんでした。「勉強しろ」とよく言われていましたが、先に述べたとおり、全く勉強をしていませんでした。ウォークマンを聞いていて、母の言うことを無視するということもよくありました。ここに来てから頂いた紙に書いてありましたが、「親のいうことは絶対である」そうです。
「なんで聞かないといけないだ」と思っていましたが、ここにいる人たちの話を聞いていく中で理由がわかりました、親が言ってくれることの全てが自分を思ってくれて、言ってくれているからです。今まで自分が親から与えられていたものは自分を喜ばせるためのものであったと感じています、それを当然と思っていた時のぼくはとても恥ずかしいです、友だちが持っているからと言って、自分も持つのが当然と思っていた自分も恥ずかしいです、与えてくれたことに、感謝をしなければならないということもここで学びました、食事もそうですし、衣服や娯楽なども与えられていました。
しかし、ここでは食事はメニューが決まっていますし、衣服も今持っているものしかありませんし、娯楽はないですのでよく分かりました。親もそうですしいなくなってから気付くそのものの重要さですね。
食べたいものを言えば、作ってくれますし、着ているもの全て買ってくれたものでした。両親への感謝の気持ちを少しは分かったと思います。今生きていけるのは全て両親のおかげでした。ぼく一人では、何もできません、父、母がいてこそ、ぼくが生きられますから、両親に感謝の気持ちを持っていないといけません、ぼくは持ち続けられるようにします。感謝の気持ちが重要ということを考えさせられました。自分がここに来て、ここで修行をして、学んだことが多いですが、大きな二つが、今述べた、〈自分に負けない心〉と〈感謝の気持ち〉です。自分に足りないものが少しでも、学べたと思います。
思えば、ここ天光寺に来てからの修業は、正直とてもつらかったです。
まず、声出しです。思いっきり声を出すのですが、ぼくは声をあまり出さないので、最初はほとんど出ませんでした。今は昔よりも出せますが、それでも小さいです。瞑想は、ゆっくりと〈反省〉〈感謝〉〈ざんげ〉について考えることができました。第三の目は、うまく開くことができませんでした。
読経は、とてもしんどかったです。スタッフの方もおっしゃっていましたが、いくらでも楽できるので、弱い自分に負けないようにがんばれました。声が小さくなったりする時もありましたが、気合を入れてがんばりました、呼吸の仕方も腹式呼吸を使うので、慣れてなかったぼくはとまどいました。弱かったぼくは楽な呼吸法で途中までしていましたが、注意されて気付きました。楽なことばかりやってても、自分は強くなれないと分かってからは、つらくてもがんばりました、高校生なのに、あまり声が出ないと、よく言われました。それでも僕は大きな声をだせたと思っています。
お今日も大体は覚えることができました、最初、〈般若心経〉なんて覚えられないと思っていましたが、今では教本なしに唱えることができるようになりました。覚えられた時には達成感がありました。暗記できても、声が小さいと怒られたりもしました。声を出せる限り出すことは、疲れましたが良い修行になったと思っています。滝行は、初回は正直とても恐怖を感じました。一回滝に入った後に、あまりのきつさに出てきてしまいました。けれども、自分に負けてはいけないと自分を引き締めて滝に戻りました。
痛かったけれども、耐えきれました、終わった後は、頭がフラフラしていましたが、大丈夫でした。耐え切れたという達成感もありました。二回目も少し恐怖がありましたが、普通に入れました。慣れというものなのか分かりませんが、案外落ち着くことができました。
ただ、もっと昔から修行をしていた人に言われましたが、冬は滝が凍っていたり、春はもっと勢いが強く、冷たいそうです。今の時期は一番楽な時期と言われました。それでも、ぼくにとっては今の時期もきつかったです。川行も今の時期は楽だそうです。川は滝よりもきつくはなかったですが、それでは駄目とお兄さんに注意されました。ですので、二回目の川行は自分を追い込むために頭から水には入っていきました。
頭から水を浴びると、呼吸が全くできずにとても苦しかったです。呼吸ができなかったんですけど、お経を唱えて気合を入れました。終わったあとは清々しい気持ちになれました。滝行・川行の前に行うお百度参りは、体力に自信のないぼくでしたが、走り切ることができました。けがをしたりしました。声も大きく出せませんでした。でも、良い汗が流せました。
写経・写仏は、先が細かったので神経を使いましたが、ゆっくりじっくりと書けました。書道は得意ではないのですが、好きですので楽しんで写すことができました。書き終えると、やはり達成感がありました。正座をするのは足が痺れて少し痛かったです。
そして、一番つらかったのが三禮です。初回はとても苦しく挫折しそうになりましたが、ここで負けてはいけないと気合を入れ、がんばりました。汗も半端ないほど出ていました。それでも、自分に負けないように最後までやり遂げました。終了した後は、頭がくらくらしていて、ひざの皮が剥けていました。
終了した後は、頭が今にも倒れそうでしたが、何とか保ちました。二回目にやったときは、二回目というだけあって一回目よりも声が出せたと思います。正座して、立ち上がって、正座してを繰り返している動作ですが、けっこうきつく、つらかったです。けれども、がんばれました。修行はどれ一つ楽なものはありませんですが、我ながらよくがんばれたと思っています。厳しい修行の中で得られるものもありました。特に重要なのが、感謝であるとぼくは思います。正直、〈感謝〉という気持ちについてはよく理解はできませんでした。
けれども、ここで修行をし、修行しに来ている人たちの話を聞いているうちに理解ができたと思います。ぼくは親に感謝をしてないと言われましたが、今はそのことが恥だとわかっています。今、着ている服は親がぼくに買ってくれたものです。それに対して、ありがたいという気持ちを持たなくてはいけません。服を買ってもらえない人だっているかもしれないのに、僕は買ってもらえる、そんなことを当たり前と考えた自分が本当に何様だったのかと感じています。
でも、今の自分にはそれがどれだけ幸せなことなのか分かります。両親が仕事をして、お金を稼いでいるからこそ、こんな生活ができているので、ぼくが恵まれているということを深く感じました。それなのにぼくは、仕事をして帰って来て疲れている母に、何も思っていませんでした。それでも、食事を作ったり、家事をしている母を少しでもいいから手伝いをしたり、声をかけたりするべきでした。今手がそうできなかったのでこれからそうします。これからのぼくは、感謝の気持ちを忘れず、親のいうことをきちんと聞き、自分に甘えず、自分に負けないように来ていきます。ここでいろいろな方とお話をして気付いたことも大事に胸にしまっておき、すぐに引き出して思い返せるようにします。今までの弱い自分とは決別をして、少しでも自分に強い人間になれるようにします。努力をしてもっとより良い人間になれるようにしていきます。ここで教わったことを忘れず、ここに連れて来てくれた母、ここお世話になった方々に感謝をしてこれからもがんばっていきます。
私が一ヶ月天光寺に修行に来た目的は、今までの人生で、私に携わって頂いた人達、私の暇までの行動、人に対する態度、接し方など、大変迷惑をかけ、私は就職が決まっていた前夜に人間としてしてはいけない行動をしてしまい、妻、子供達には本当に夢や希望を一瞬のうちになくしてしまい、子供達が楽しみにしていた事まで、自分の行動で悲しませ、失望、傷付けてしまった事に罪を償う為の反省修行と自分自身、年々経ってもやる気なし、自信なし、消極的で我慢、辛抱なしの性格を変える、考え方、一青の関わり、心を強く前向きな人生になる為の人生向上の修行に来ました。
修行は毎日朝6時に起きて、掃除からはじまりです。他の修行者と協力して掃除の分担です。掃除機、風呂掃除、トイレ掃除、玄関の掃除など行います。修行を通して今まで家庭でいかに何もせずに協力出来無かった事が、情けなく痛感されました。外に出て、竹ぼうきで寺から1km先にあるバス停までの掃除では、落ち葉が道いっぱいにある時は、竹ぼうきでひたすら集めて、何十分経ち、道がきれいになった時は、今でも心がスーっとなった気分を覚えています。
お寺での食事では、本当に今までいただきます、ごちそうさま、と感謝の挨拶をする事がなく、ただ好き嫌い、贅沢をしてきて、作ってもらった人の思いも感謝、真心の挨拶も何もなくしてきた事を思うと、本当にありがとうの言葉でいっぱいになりました。食事のときの食器は、他の修行者と協力して洗う事をここでは勉強になりました。
私が天光寺に修行に来て、もしこの天光寺を知らないまま、もし先生に相談に来て居なければ、決して、この様な考える力がないと思いました。この修行で学んだ挨拶の作法、お客様への挨拶、朝の挨拶、お客様への挨拶、行の挨拶、食事の挨拶などでした。また心の持ち方。感謝のこころを持って、毎日積極的に生きていく、人生、社会にとって、色々な人生の道の正しい生き方を考えさせてくれました。本当にありがとうございました。
これから下山してからは、一日も早く就職先を見付けて、妻には本当に12年間、苦労のかけっぱなしで、生活の面でも、食事の片付けや、洗濯、何もしなかったです。本当に協力できず、すみませんでした。12年間、妻が私に仕事の時、朝弁当を作ってくれたり、いつの日か、スーパーの駐車場まで弁当を持ってきてくれた事がありましたね。本当だったらありがとう、いつも忙しい中、お弁当を作ってくれて本当にありがとうの言葉もなく、今思うと、妻に対する想いがなく情けなく反省しています。
私は一日も早く仕事を見付けて社会復帰をして、妻が12年間苦労・負担をかけた分、これから妻の分まで働いて、家野事でも協力してあげたいです。本当に妻には安定した生活をさせ安心させてあげたいです。
あと何年、何十年経つか分からないけど、早く妻と子供と一緒に生活がしたい、妻と子供達のにぎやかな生活がしたいです。そして妻の手料理が食べたいです。本当に先生、スタッフの人には大変お世話になりました。一ヶ月間お世話になりました。ありがとうございました。長い間うつに悩み、仕事を失い、家族に対しても、自分自身の中でも、自身の存在価値が分からなくなり、生きて行く道を失いかけていた。そんな時、天光寺との出逢いのきっかけを与えてくれたのは、友人だった。
「寺に修行でも行ってみたら」
その一言を受けて、修行が出来る場所を探し、自らの目的と合うと想えたのが、この天光寺だ。この選択は間違っていなかった、と今は自信を持って言える。
何気なく過ごしていた日常の中で、恵まれている自分の環境や、支えてくれる人がいる幸せに感謝することを忘れている、と最初に気付かせて頂いた。食前にもお経を唱え、感謝の言葉を口にする。一つ一つの作法に大きな意味があり、言葉を口にすることで、心の奥の方まで感謝の気持ちが広がっていくようになった。今まで、本来の「食べる歓び」や「食べられる幸せ」を噛み締めて食事をしたことはなかったように思うが、これからは自分自身だけでなく、子供達にもこのような感謝の気持ちを大切にするよう改めて教えていきたい。
食だけではなく、今がある。この今を与えて貰っていることに感謝する気持ちを忘れることなく、そして常に自然に「ありがとうと思えるように成長していきたい。私は、ついつい自分だけの事で精一杯になってしまい、周囲への気遣いや心配りを忘れてしまいがちである。また、力の入れ加減の調整が下手くそで、思い切りアクセルを踏み込んでしまうか、完全にアクセルから足を離してしまうかのどちらかしかできない。姿勢はしっかり保ちながら両肩をリラックスさせる、こういう身体への力の入れ方も上手くコントロールできず、力みすぎたり、ゆるめすぎたりしてしまう。「良い加減」で物事に臨み、余力を持ち、心にも余裕を持って視野を広げて生活することで、自分の限界を無限に伸ばしていくことができる可能性が生まれることを学んだ。
思い返せば、仕事がうまくいかなくなっていたのは、いつも全力で飛ばした後、息切れをおこし、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れたようになってしまった時だ。次に仕事を得られたら、この学びを活かし、余力を持って職務を全うしたい。
また、私は人に弱い所を見せるのが苦手で、悩みを相談したり、しんどい状態をさとられたりすることに抵抗を感じてしまうところがある。でも、それは結局ストレスを引き起こし「病気」につながってしまいかねない。また、自分の弱みを人に見せることで上手くいく人間関係があるということも学べた。相手と心からのコミュニケーションが取れる、たくさんの人と心を開いて友人になれる人間になるためにも、自分で張り巡らせてしまっている壁を少しずつでも打ち砕いていきたい。世の中はまだまだ広く、様々な人がいる。そんな中では私の悩みなど、ちっぽけなものに過ぎない。しかし、そんなちっぽけな事で悩んでしまう自分の情けなさを勇気を持ってさらけ出して、他人にも伝える事ができるようになりたい。当然、そこから悩みを乗り越え、自分に負けないようにしたい。
私の人生の主人公は私自身であり、舞台と役を演じなければならず、そのためには「自分に負けない」強さ、強い気を持っていなければならない。折れない、負けない、強くなりたい。今までの日常生活の中でもそういう思いを抱くことはあったが、今回の修行を通じて「強い」の意味や「負けない」意味や相手について、改めて思い直すことができたと思う。その意味は、まだまだ広く、今の時点で理解出来ているのは氷山の一角に過ぎないし、弱い私には、身に付けるべき「強さ」はたくさんあるが。
十日間だけで自分を大きく変えることはできないが、しかし、十日間で学べたことは数多く、書ききることができないくらいある。
日常に戻って、今回の修行で得たものを活かして、自分自身の中でしっかりと育てていきたい。そして一回り強くなって、また初心に戻るべく、ここに来たいと思う。自分は今までは嫌なことや苦手なことから、楽な方に逃げて、自分の好きなことや楽しいことばかりしていました。そのせいで、学校にも行かずにほとんど家にこもりがちな生活を毎日していました。
でも天光寺に来て、規則正しい生活をして、辛い行をするうちに、いくつか大切なことを教えてもらったり、知ることが出来ました。一つは親への感謝です。
天光寺に来て、一番つらかったのは、お父さんとお母さんに会えないことでした。毎日不安でさびしくて、会いたくて仕方ありませんでした。そこで、親には育ててもらっているだけでなく、心の支えにもなって貰っているんだと気付きました。 次に教えて貰ったのが、嫌な事や苦手なことに一歩踏み出して挑戦することです。自分は滝行の水が冷たくて苦手でした。毎回自分でブレーキをかけてしまって、滝のかなり手前で終わっていました。けれど、最後の滝行の日に座ってからだけど、気合いを入れて後ろに下がって、少し耐えることができました。それが終わった時の達成感はものすごく大きかったです。
他にも、自分から積極的に動くことも学びました。
自分は天光寺に来たはじめのころは、食事の後片付けの皿洗いなども他の人にまかせて、部屋のすみの方で、ただ立って終わるのを待っていました。でもしばらく過ぎたころから、自分から皿洗いなどの後片付けをやるようになりました。自分からやると、とてもすがすがしい気分になりました。それから、食事のありがたさも知ることができました。
たけのこ狩りに行った時も、はじめての経験だったので、たけのこを見付けるのでさえ一苦労でした。更にまわりの土を掘って、切り取るのも大変で、とったたけのこを持ち帰るのも重くて苦労しました。そのようなことをしていくうちに、普段食べているごはんの食材の一つ一つに人々の苦労がかかっているんだと思いました。
その他にも人とのコミュニケーションの大切さなど、さまざまなことを学ぶ事ができました。
だからこれからは、天光寺で学んだことを活かして、性格が明るく、自分から積極的に動く、人をひきつけるような人になりたいです。また、親に心配をかけさせたり、悲しませたりするのではなく、逆に喜ばせられるようになりたいです。 天光寺から家に帰って、学校に行けるかどうかは自分でもまだわかりません。でも行ける勇気を持った時は、滝行でやったように、一歩ふみだして行きたいと思います。
ここに来た理由は、親に迷惑をかけたからで、具体的には、友達関係、法に触れること、家に帰らなかったりもした。だからつれてこられた。
でも、親は自分によくなってほしいからつれてきたっていうのに気づいた。こんなに迷惑をかけたのに、大事に思ってくれていたんだと思う。ここに来て、行をやって、親に迷惑をかけたってこともようやく気づいた。本当に気づいていたら、こんな事できなかったと思う。そして、こんな自分を育ててくれた親、大事にしてくれる親に感謝しなくてはならないと思った。ここに来て電話があった。寒くなったけどいるものある?家にいても、自分のことを心配、気づかってくれていた。そんな親に迷惑をかけて自分は、バカだった。
だから、親に感謝の気持ちと、反省の気持ちを態度と行動で表したいと思う。そして、もう一つの問題は、高校に進学するかどうか。ここに来て住職さんやお坊さんと話をして、進学することに決めた。どんなに勉強が遅れていても本気になればすぐとりもどせるっていうのを聞いた。だから、とりあえず高校はどこの高校でもいいから行きたい。そして高校で勉強に集中して、悪い方方向に流れない。今、頑張って大人になってから、良い人生を送るようにしたい。
やっぱりこの年は未成年ということもあって、家族の支え、周りの人の支えがないと生きていけない。だからこれからは反省と感謝を忘れずに、今までとは違う人生をおくってく。
自分自身の弱さ、甘さが原因で十四年間勤めた仕事を辞職するに至りました。次のステップのスタートを切るためには精紳面を鍛えること、自分自身と向き合い、生活面から全て変わる必要があると思い、天光寺にて精紳修行することを決断しました。
相当厳しい修行になると覚悟して臨んで初日は川行からスタートしました。
十二月も半ばが過ぎ、気温も低い中、行着に下着一枚、素足の格好でお百度参りからスタートし、全速力でダッシュし、ひたすら無心「御宝号」を唱え、無我夢中で終えた時には、疲れよりもすがすがしさを感じました。川へ移動し、行った川行は、スタッフの方の教えである「水とケンカせず、一体となる」を意識しながら、入水しました。水も冷たくとても辛かったけれど、雑念を冷水に流される様で、終えた時には自然の強さ、偉大さを感じさせられました。初日の緊張と肉体的な疲れから、初日の夜は、午後七時半に就寝しました。天光寺での修行の一日のサイクルは、起床六時、声出し、瞑想、読経千回、昼食後、荒行を行い、写仏または写経を行い、夕食後、入浴し十時の就寝消灯まで自由時間となります。どの行を行っても当然楽ではありませんが、集中して行うことにより、自分自身と向き合い、過去の反省、自分が今後行うべきこと、進むべき道が少しずつ見えて来るようになりました。
荒行の中でも、滝行はとても厳しい行でありましたが、これほど体と心を清めてくれるものは他に無いのではないかというくらい素晴らしい行でした。明らかに入水前と入水後では表情も変わり、スタッフの方の「体の悪いものを流してくれる」という言葉には、いつわりはありませんでした。
私は二週間という短い体験修行ではありましたが、日常生活に帰ってからが、本当の修行だと感じています。結局のところ体験修行を一ヶ月行おうが、一年行おうが、自分で気付かなければ全く意味がないと思います。体験修行にて感じたこと、反省したこと、見えた事を常に念頭において生活していくことで、今までの自分を変えて行けると強く感じています。
最後に住職をはじめスタッフの皆様、修行を行う上で最高のサポートをしていただき、本当にありがとうございました。メリハリのきいた対応、安心して修行を行うことができました。次回、天光寺に伺う時には、以前の自分としてではなくパワーをもらいに短期で伺います。本当にお世話になりました。水(人生)の流れに逆らわず、自分が主役であるにはどうすべきかを常に自問自答し、生活していきます。
僕は不登校を半年ぐらい続けて、親がここへ連れてきました。正直、最初に住職の話を聞いた時は、この人何言ってる人だろうと思ってました。ここで、どれだけ過ごしにどころで学校なんて行きたくないと思ってました。最初の方はやる気はなかったです。でも行をしていくうちに、だんだんやる気が出てきました。
四日目で初めて川行をやりました。このときは、まだお百度参りを超めんどくさい茶番程度にしか思っていませんでした。そして、川行も正直余裕でしょ!くらいに思っていました。でも、いざ川に入ると想像を絶する冷たさにびっくりしました。本当「死んちゃうんじゃないの」というくらい冷たかったです。僕はすぐに出ました。出たら、さっきまで冷たかったはずの外がすごく暖かくて、ビックリしました。僕はこのとき「生きているんだな」と感じました。それでなぜか、すっきりした気分でとても不思議な感覚でした。
五日目は滝行でした。滝を初めて見た時予想よりはるかに少ない水量で「何だチョロイじゃん」と思いました。しかし、入ると昨日のような冷たさに加え、滝のしぶきが体全体に当たり、すごく痛かったです。何が何だか分かりませんでした。でもまた滝から出るとすごく暖かくて「生きてる」とまだ、感じました。
それとやはり数秒までは痛くてつらかったはずなのにすごく心がスッキリしている自分がいてビックリしました。学校へ行こうとしっかり考えたのは七日目の土曜日です。それまで、色々な行やって色んな人と話して、今僕がおかれているこの時代がどれだけ大切なのかが分かってきました。僕はここに来る前学校というものの価値観、そして僕がしている事への危機感が全くに等しいほどありませんでした。でも今は、前に比べれば、分かってきた気がします。今は学校で勉強することよりも、学校に行こうという行為そのものが一番重要な気がします。それは同世代の人と話ができるからです。ここに来た大人の人達によく言われたのが、「大人になってあんな上下関係なしに話ができるところはない」です。そう言われると学校に行って友達としゃべってるだけでも人生においては相当な財産かなと思えるようになってきました。それで、どのような人も「中学の勉強はそれから先の基礎だから、しっかりやっておいた方が絶対にいい」と言われて、勉強が遅れている事に関しての危機感も覚えました。なので今は学校に行きたいです。
そして、学校の事以外にも色々な事を学びました。まず、仲間や友達など、周りにいる人の存在です。
今まで意識した事はありませんでしたが、どんな時も常に周りに同じ事をしている人がいました。ここでも、最初の一週間はそうでした。いつもAさんがいてくれました。しかし、いざAさんや短期の人がいなくなり、自分一人になると、すごくさびしいです。今までは行が終わって言われた「おつかれ」や「キツかった」などの一言がないからです。何かを共有する仲間がいないのはこんなに寂しいかと思いました。ここに来て、あたりまえが、あたりまえじゃないことに気付き、周りの人への感謝も覚えました。その周りの人の中でもやはり、家族への感謝が特に強いです。ここに来て自分が変われたのも家族がここを見つけてくれて連れて来てくれたからだし、家族が働いてお金を出してくれているからこそ、僕はここにいます。それに正直いつでも会えた家族にこんな長い間会えないのは寂しいです。だから、僕は家族がいる事への感謝、その存在の大切さがよく分かりました。それと、生きていることへの感謝も分かりました。今までに「生きていることに感謝しろ」と言われても訳が分かりませんでした。でも今なら分かる気がします。川や滝から出た後のスッキリ感や、暖かさや、中に入ったいるときの冷たさ、痛さ、も生きているからこそ分かることです。それに、生きているからこそ、僕は今こうやって人生をやり直そうとしています。生きているというのは普通に考えたらあくまで大前提しかないですが、今こういう経験をすると、すごく大切なことなんだと思います。それに自分が自分を超える嬉しさも分かりました。今まで「自分を超えろ」と言われてもサッパリでした。しかし、今ではよく分かります。なぜなら、川行や滝行での目標が高くなっている自分がいるからです。最初はずっと最低ノルマでいいやとか思っていましたが、今ではタイムを伸ばすことを楽しみにしている自分がいます。チャレンジ精神ってこういうことかと思います。これから学校でも前に進み続けていきたいです。
僕は、天光寺にこれで本当によかったです。これからは周りへの感謝を忘れずに学校に少しずつでも行きたいです。ありがとうございました。
僕がこの天光寺に来た理由は自分自身を変える為に修行をしに来ました。最初、寺に行って修行をして来いと、家を出したのがじいちゃんでした。ここに来る前の僕は本当にどうしようもなく、ただただ自由に生きているだけの毎日でした。「面倒見切れない」という言葉をさんざん言われ続けて来て、正直どうでもいい生活をおくってきました。姉もその僕を見て「もう家にいないで」など色々言われて来ました。そんな中じいちゃんが「お前は変わらないとだめだ」と言い、親にむりやり連れて来られたのがこの天光寺でした。一番最初は不安でいっぱいで修行なんていやだって思っていました。
まず、修行と言われ感じた事は「18で修行ってあり得ない」「何で俺がそんなお坊さんみたいな事をしなきゃいけない」と色々思いながらここに来ました。
いやいやでこの場所に来たはずの僕が一ヶ月の修行をほぼ経えて今だからこそ言える言葉があります。
「この天光寺に来て本当に良かった」そう思えるでき事がこの一ヶ月間に沢山ありました。一日目はやっぱり不安だけでいっぱいだったので、何をすればいいのか分からないままでした。最初、受付を済まし、いきなり訳の分からない所に連れられ気付いたら、目の前でお経を唱えていたり、何だこれという事がありました。不安な気持ちから修行に入るというのは、ちょっと僕にとっては厳しい事で、いやになった時もありました。友達とも離れて生活するわけだし、どことなく寂しかった時もありました。中に入ったら、知り合いはもちろん一人もいないし、僕は親から一ヶ月間修行いってこいと言われ最初、だらだらやってたけど、ここでやっていく内に思ったことがあります。「一ヶ月やるなら、逃げずにきちんとやり切ろう」そう思う気持ちが徐々に出て来て修行に励む形になりました。まず、ここに来たら、一人でやっていこうと思った事、だれとも仲良くせずに修行一日終える事、この目標を立てて僕は修行に励むつもりでした。でも、この天光寺に修行しに来ている人達は僕の思う想像以上に優しい人達ばかりでした。ここに初めて来たのが1月26日、その日の人数は僕も合わせて7人いて自分はずっと一人行動でした。でも一緒に修行を行う事によって人と絶対しゃべらないというのは難しい事で、昼飯の時に向こうの方から話しかけてくれた事がちょっとうれしかったです。自分には一緒に行をしている仲間がいる。この場所に自分一人で立っているわけではない、という事を、行をしているときにあらためて感じました。
この一ヶ月で学んだ事はいくつかあります。色々なありがたみとか、色々な感謝とか、今まで出来てなかった事が天光寺に来てようやく出来るようになった気がします。僕はこの場所に来て感謝と礼儀正しさを覚えました。今までそういう事をしてこなかった時もありました。今までも俺の為にしてくれた人にも、あまり深くは感謝した事はあまりなかったし、これといった良い人生もあまりおくれてない時もありました。でも、ここに来てただ覚えるだけではなく、生活も大幅に変わりました。朝起きる時間6時、寝るのは10時いった規則正しい生活を続けていく上で見に付いてくるもの、こういったことも普段の生活とは違うので最初は全く慣れなかったです。天光寺では決まり事もきちんとあるし予定もきちんと立てているし、ここに来ると今までおくってきた生活もきちんと直していこうという気持ちにもなりました。人生をもう一度見直すところまではいかないけどある程度自分の中では、少しは見直せたと思います。自分が変わったか、どうかは自分ではあまり分らないが、他人から「お前変わったよ」と言われたら、すごくすっきりした気持ちになります。仲間がいれば修行もすごく楽しくなるし、コミュニケーションも取れやすくなって確実にいい方向に進んでいると今はおもっています。前まで、だらだらした人生が一気で変わったのがすぐに分かって水行が終わった後は生きている事が素晴らしく感じました。毎日生きて来て一日一日普通にだらだら過ごして来た天光寺に来る前の自分とこの一ヶ月間修行を終えた後の自分を思い出し見比べてみると自分でさえも変わったというのが分かります。この寺で過ごした時間は最初は遅い遅い思っていたけど、今思うと何だかんだ言って早く感じました。
僕はこの修行を終え、家に帰ったら、まず、やることが沢山あります。その中の一つに仕事が含まれていて、今やっている仕事をやめて、新しい仕事先を探そうと思っています。その時でもいいし、仕事している最中でもいいから、この天光寺で修行した事を全部思い出して、一からやり直し、生活態度も変えようと思っています。これでもまだ生きていく上で道を路み外してしまったら、また、あの時、あの時を、思い出し、やっていければいいと思っています。そして、それでもだめだったら、この天光寺に足を入れて修行を行えたら、もう一度してみたいです。ここで出会った行の仲間との思い出、辛かった修行、僕が変われたのも天光寺の皆のおかげだと思っています。
もう一度、出来る所からやり直してきちんとした生活もおくれたら良いと思っていますし、感謝の気持ちも忘れたくないのでこれからも、修行を終えてからも親にあまり迷惑かけずに頑張っていきたいです。
僕は、お寺に来て家族へ今までしてきたことがどれだけ情けないことなのかを理解しました。
また、何故自分がお寺に連れてこられたのか分かっていませんでした。僕は理由があるから連れて来られました。例えば、親に暴力や暴言を発することや、妹と仲良くしなかった事、お母さんのしている家事や仕事をバカにしていました。
本当に今では情けないです。何の理由があろうとも暴力や暴言は決して良くないですし、家族とは仲良くするもので、しかも、育ててくれているお母さんをバカにするなど本当にあり得ないことだという事にお寺の辛い修行を行ってきて深く感じました。そして、僕は家族を大切にしなかったから連れて来られたのだとしみじみ理解しました。それから、家族はいつでも仲良く大切にし合うものだという事も理解できました。最近では、家に帰ってから、家族と幸せに暮らすにはどうしたら良いのかを考えながら生活しています。例えば、家に帰ったらお母さんの洗濯物の手伝いをしたり、食事の準備の手伝いをしたり、挨拶を毎日したり、妹の勉強を教えたりしようといろいろと考えながら、生活しています。そして、早く家に帰るにはめそめそするのではなく、今を頑張ることが一番だと言う事も理解できました。
お寺に来て何よりも人は変われるものだという事を学びました。だらしなかった僕が今ではきちんとした生活を出来るようになったことなど。このことがお寺で一番の収穫だと僕は思います。
本日はお世話になりました。短い時間ではありましたが、行に触れる事ができて良かったと思っています。
今回の目的としては十分には目的を果たせていません。そもそも、日帰りでは、滝行体験でおわってしまうのかもしれません。最初に作法を教えて頂いたことは、良かったと思っています。普段から自分は出来ているつもりになっていたのですが、きちってした型、作法を持って行う事で、心すっきりとした気になれました。
食事に関しては、精進料理なのでしょうか?私は図体の割には、和食が好きで今回のメニューはとても美味しく頂きました。
お百度参り。人生初です。私はそもそもお寺、法事、お葬式などに参加しない、そういう環境で育っていましたので、経験がございませんがテレビでみたことはあります。走る事を、今日知りました。本日の時間の関係で100周は無理でしたが、良い経験になりました。
滝行につきましては、呼吸ができませんが、背中が強い圧力を感じ、体の中の邪念が外に出ているような気持ちになれました。
最初に目的は果たせなかったと書きましたが、日帰りでも体験する、まずは行動する事はとても重要だとおもいました。参加者方からも様々な話、考え方があり、それを聞くこと、スタッフの皆様の考え方はとても新鮮でした。自分にはない考え方を、聞き、それを素直に受け止める器を手に入れなければと思います。
文末となりますが本日はご指導頂きまして誠にありがとうございました。
ここ天光寺において、2泊3日の研修の中、とても貴重な体験をさせていただくことができました。この3日間の中で、仏教については、まだ正直ピンと来るものがありません、けれど、あいさつの仕方、声の出し方など、一般でも有用していけることも教わり、再確認することが出来ました。更に三禮、滝行、お百度参りなど、なかなか体験出来ないことをさせていただくことが出来ました。
特に滝行は、自分が想像していた以上に過酷で、そして素晴らしいものでした。入る前は、冷たさへの恐怖がありましたが入ってみると冷たさ以上に、痛みの方が大きいことに気付きます。首、頭、背中、両肩、耳の裏等に、まるで砂袋で叩き付けられるように水が襲い掛かってくるのです。これはかなりこたえました。正直滝から逃げ出そうとも考えました。けれどここで逃げ出すのもくやしいので、耐えることを選びました。そしてあぐらをかくころ、不思議なことに、叩き付けてくる滝の痛みが、体にまとわりついて、一体化するような感覚になりました。むしろ心地良いものに変わっていました。正直ずっとあたっていられると思ったくらいです。住職の弟子の方に出るように言われたので出てみれば、体の芯から熱を発し、頭の中がスッキリしている自分がいました。底知れぬ解放感が自分にありました。自分はあまり精神論のようなものは信じていませんが、この滝行には、何かあると思いました。
自分は、今の会社に入社して3ヶ月、まだまだ新参者で、先輩や上司には怒られながら、呆れられながらの毎日です。新人ですので仕方がないこととはいえ、やはり逃げ出したくなる時や、辞めたいなと思う時があります。これからもそういったことがくることだろうと思いますが、これからは、そのような辛いこと悲しいこと腹立たしいことがあった時、ここでやって来た修行、そして住職から頂いた誓いの言葉を胸に刻み、思い出しながら、これからの仕事、私生活,対人関係に一層励んでいきます。この3日間ありがとうございました。
私はここに来てから今までの自分自身を見つめ直す事ができました。
まず、今まで人と助け合うということを知りませんでした。しかし、ここに来てからいろんな人と接するうちに助け合う大切さを知りました。もう一つは、家族の大切さを改めて知ることができました。
以前までの私は、親が身の回りの事は何でもやってくれると考えていました。ここに来てから、食事の配膳や洗濯物の整頓など、自分でやってみて今までこんなに大変な事を毎日親がやってくれていたんだと、初めて親の苦労を知ることができました。
しかし、まだ自分には改善すべき点がたくさんあると思いました。まず、分け隔てなくたくさんの人と会話できる様に努力しないといけないと思いました。それに、挨拶も人と接する上で今の自分に必要だと感じました。
反省すべき点が多い自分ですが、ここに来てからいろいろと人として大切なことを教わりました。今まで自分は、困難に直面するとすぐにそこから逃げる癖がありましたが、ここに来て住職さんの法話を聞いて、『困難とは、神様が一人一人の人間に与えた試練であり、神様はその人に乗り越えられるよう一人一人の人間に困難を与えている』ということを知ることができました。この話は自分にとってかなりプラスになりました。
それと、正座でお経を読むのはかなり苦しいですが、今までよりも忍耐強くなれると自分自身感じております。今回ここに来て、自分にとって以前の自分よりもかなり成長できたんじゃないかと感じております。つらい毎日ですが、頑張っていきたいと思います。
自分がここに来た理由は、勉強もせず親に迷惑を掛けて悲しませていたからです。
まず、自分は野球部に居て朝練がだるく学校にも行かなくなって親の仕事にも迷惑を掛けて引っ越すことになりました。
その先でも上手くいかず、また同じ事をしてまた親を悲しませていました。
毎日を同じように過ごして外にも出ず、学校からの電話が前の学校の時と同じように親の仕事に迷惑をかけていました。また仕事が出来なくなったら自分は食べていけなくなるのに危機感を持たず怠けて過ごしていて、そんな自分を生活させてくれる親を傷つけていました。
塾にも通っていて個人指導なのでそこまで難しくもないのに行かなくなり、塾のお金もムダにしてしまいました。
家でも勉強をしていないのでどんどんついていけなくなります。
親も困り同僚の方から紹介された天光寺に行く事になりました。その時はそんな所もあるんだなと思いました。
その後、その話も忘れてまた、同じように毎日を過ごしていました。
天光寺に来る前日になって急に嫌になって暴れて、親を悲しませました。
ここに来るまで、正座を全くしていなかったので痛くて動いてしまいます。
一緒に来た親も帰ってしまい自分一人だけで集団の中に居ることに驚きました。
正座であいさつの練習をした時に泣いてしまってとても情けなかったです。
自分は掃除を親に任せっきりだったので自分でするのは疲れました。
トイレの掃除は汚いと感じてすみずみまでまでやる気がなかなか起きませんでした。
親にどれだけ迷惑をかけていたか分かってきました。もっと早く気付くべきでした。
今までの生活がどれだけ怠けていたのかを考ええると何をしていたんだという気持ちです。
自分はここでの生活が終った時にしっかりとした自分を見せたいです。早く帰りたいと思ってしまう自分に負けないよう頑張りたいです。
正座も出来るだけ我慢して長時間じっとしていられるようになりたいです。
猫背は親によく指摘されていたので体がしっかり一本の線のようになった自分を見せたいです。
ここでの生活が終わるまでに自分のよくなかったところを直して親に良かったと思われたいです。
汗をかいて、あんな家にずっと居る生活よりずっといいと思い、運動もできるようになればいいなと思います。
自分は、なぜここに来たのか考えてみて自分のよくないことがどんどん分かっていきます。
前の生活に戻りたくないです。ここでの生活が終わった時にまた前の生活の戻るかは自分がどんな風のするかなのでその時にしっかりとした事ができればいいと思います。ここに来てもう1週間たちました。長いようでみじかかったこの一週間。この1週間を改めてふりかえるとあんがい楽しかったようなきがします。
ぶっちゃけ、本当は四泊五日で土曜日に帰る予定だったけど、母親が迎えに来て車に向かう途中、母親が「やっぱり、あと三日、ここでがんばれば?」と言われ、最初は「はぁ? ふざけんな」などと反対しました。しかし結局、また三日ここでがんばることになりました。
本音を言うと、嫌でした。ご飯は美味しいけど、大好きな肉や魚が出ないし、食器洗いや洗濯は自分達でやらなくてはいけませんでした。それに、ほぼ毎日お経をとなえなければいけませんでした。
生まれて初めて見る滝はやっぱり迫力がありました。滝に入る前に体を清めるために塩と日本酒をなめさせられ、そのあとにしたのが滝の水をバケツに入れて自分にかけることでした。めちゃくちゃに冷たくて凍るかと思いました。いざ滝の中に入ると凍るどころか滝の水になるぐらい冷たかったです。しかも、滝に入って約二分後に座れと言われました。頭のすぐ上が滝の水で、回りの音が全然聞こえませんでした。
滝に打たれていると死ねるぐらい冷たくて、滝から出た時は体がキンキンでした。
滝行が終った後は自分の邪念がなくなったように思います。
体験修行に来ていた、色々な人達と話せたことはとても勉強になりました。僕が天光寺に来て、三週間と一日になりました。
僕は天光寺で変えていきたい事があります。
一つ目は、すぐに逃げるという事です。
今までは、嫌なことがあると、すぐに逃げてしまいました。天光寺に来てから、三週間で、その気持ちも変わってきました。お百度参りや三禮など、つらいことは沢山ありますが、逃げずにしっかりとやることが出来ています。あと何日居るかは分かりませんが、もっと変えていけるようにしていきます。
二つ目は、すぐにサボるという事です。誰かに何か頼みごとをされても、行わずにサボったりしていました。天光寺に来てからは、周りの人たちに頼みごとをされたら、すぐに行動してサボらないように心掛けることが出来るようになりました。今までは、面倒くさいとか、色々と思って、サボったりしてきました。でも、天光寺では面倒くさいと思わずにすぐに行動することが出来ました。これからはもっともっと出来るように心掛けていきたいです。
三つ目は、自分で考えて行動できるようになりました。いつもは、分からないことがあればすぐに周りの人に聞いて、一度行ったことのあることでも面倒くさがって、すぐ周りの人に聞いたりしていました。でも、天光寺では、一度教えてもらった事は、しっかりと覚えて、次からは自分で考えて行動が出来るようになりました。あと、以前は一つの事が終われば、次の事を頼まれるまでぼーっとしていましたが、一つの事が終われば、次の指示を待つのではなく、自分から聞くことが出来るようになりました。
これからは、もっと自分で考えて行動出来るようにしていきたいです。
四つ目は、積極的に行動するという事です。以前は誰か他の人やってくれるから大丈夫、とか、別に僕がやらなくても誰かがやるから大丈夫だと思っていました。ですが、天光寺に来て自分から積極的に行動できるようになりました。誰かがやるからいいやではなく、自分から進んで行うことが出来るようになりました。
これからは、もっと周りを見て積極的に行動出来るように心掛けていきたいです。
五つ目は、根性です。天光寺に来る前は、すぐに諦めたり、やめたりしていました。天光寺に来た初めに行った滝行でも、途中で諦めてすぐに出てきていました。でも、三週間で滝も以前よりはものすごく入れるようになりました。だからもっと、根性をつけて自分の弱い心に負けないようにしていきます。僕が学校に行けなくなったのは、小学校6年生の頃にいじめに遭っていましたので、学校に行くのが怖くなってしまい行けなくなってしまいました。いじめられた理由は、一人の友達だと思っていた人と喧嘩をしたら、周りの友達だと思っていた人が全員喧嘩した相手側について、集団で無視されたり体操着の袋で後ろから殴られたりして、突然みんなに裏切られて、人を信じるのが怖くなってしまい、誰を信じていいのか、よく分からなくなり誰にも相談せずに一人で色々と悩んで、何もかも嫌になり家に引き籠ってしまい、なかなか学校に行けませんでした。 学校なんて行かなくてもいいやとか、どうなってしまってもいいやとかなどマイナスなことしか考えなくなってしまいました。お父さんや友達に将来の為、とか言われてもよく分からず楽な方、楽な方という考えでした。嫌なことからすぐに逃げればいいという考えでした。今までは、先生が家まで来てくれたり、友達が家に様子を見に来てくれたり、お父さんが学校に行けるように色々してくれていたことに感謝の気持ちなど持たずに煩わしいというような気持ちしか持っていませんでした。
でも天光寺に来て、一か月居て考え方がガラリと変わりました。一番変わったのは、色々なことに感謝の気持ちを持つことが出来るようになった所です。
今までは当たり前だと思っていたことも天光寺に来て当たり前ではないという事に気付けるようになりました。お父さんには、特に迷惑を掛けてきたので、申し訳なさと、感謝の気持ちを持つことが出来ました。あとは、大変な事を避けても最後にはもっと大変な事があるという事に気付くことも出来ました。あと、一歩を踏み出す勇気を持つことが出来るようになりました。天光寺を出てからもこのことを忘れずに、学校に行き、今までもらった恩を一つでも多く返せるようにしていきます。