-
この度は、家族三人で体験修行に参加させて頂き、誠にありがとうございました。
私は現在も不眠で悩んでおりますが、今回の修行経験を通して、自らの意地の強さに気付くことができました。一年前から始めた空手も、自分を強くする良い学びとなっているのだと感じました。
娘は、興味の幅が広い一方あきっぽく聞かんぼうな面もありますが、彼女なりにがんばっている姿が見られました。滝へ行く道中もめげることなく山を登り、滝も最後まで打たれることができたことは、人としてえらいと感じました。
夫に関しては、「きちんと」「地道に」等普段していないことを経験してもらうことができ良かったと感じております。
私個人としては、修行全般を通し厳しいものだとかんじた反面、やりとげたことが自分をみがく結果につながっているのだと、自身がつきました。
思いが現実をつくるという教えを日々ふり返り、今後も困難に当たった際は考えの軸にして参ります。
一泊二日でお世話になりました皆様、誠にありがとうございました。
また機会がありましたらよろしくお願い致します。
空海様のお話を聞いて改めてすごい人であることが分かりました。どの場に行っても学問でも一位、中国のお寺でもその寺を継ぐ人と一目で人に認めてもらう事が出来る人、そのようなオーラがある人なのかと思いました。
また、人は生まれて一番に守護してくれるのは「ビッグバン」とのこと。宇宙の誕生から、今の人間、自然全てが繋がっている事、それが曼荼羅である事、全てが繋がっているので安心にもなり、何かの良い悪い自分がした作用が回りまわって自分にも影響してくると思うと全てをなるべく丁寧にしていくことが大切なのかと改めて感じました。
あとは意思強くポジティブに考えることで今も将来も現実になることで、日々良い思考で自分を満たしていたいと思いました。
他にも「朝」というので、人が生まれる「十月十日」が字の中に含まれているなど漢字の意味にも宇宙の本質が入り全ては宇宙の法則の中で日本の文化も生まれてきたのだと思いました。
宇宙の本質の理解、感じる事・・・
自然と一体になる時間を増やしつつ、その中で安心を増やして強い意志を持ち、何か徳を一日一つでも得ていけると良いなとしみじみ思うことが出来た時間でした。このVTRの後に、直接住職からもお話を聞いて「徳」は家族とかの血筋により元々の生まれた環境により量は違うのかもしれませんが、普通の家族に生まれた私ですが、少しでも家族全体の徳が上がり、増すように行動と言動に気を付けて日々過ごしていきたいと思います。
三日間の寺での生活、学び、寺の方々に感謝含めて有難うございました。日々の忙しさ、家庭でのこと、仕事でのこと。
めまぐるしい毎日で時間に追われていました。
私には子どもが三人おります。子ども達の教育資金や貯金を勝手に使ってしまった主人。
長女が大学入学した年に脳出血で倒れ半身まひの身体になりました。
私は大学入学と同時にパートをはじめ、今は職場のリーダーになりましたが、ねたみやしっとの目にも悩まされるようになりました。身体はもちろん心も疲れてしまい、もっと強い自分になるためにこちらで修行しようと思いました。
滝行に入る前、礼儀作法、呼吸法、瞑想を教わりましたが一つ一つに意味がありとても落ち着きました。滝行は思ったより滝に行くまでが険しくびっくりしました。滝に打たれた時は本当に無になりました。
お経はずっと発声しているのもつらく、お腹から声を出すのが大変でした。ふだんなにげなくすごしていますが一つ一つをしっかりこなすのは修行が足りないのかもと感じました。
自分を見つめる良い機会でした。ありがとうございました。
もっといろいろ伝えたいことがありますがうまく文章に出来ずすみません。私は天光寺に生活習慣を改善するためと感情をコントロールするために来ました。
二週間天光寺で修行してみて、人間として成長できたと感じています。以前は出来なかった朝一人で起きることや夜早く寝ることが出来るようになり、生活習慣を改善することが出来ました。また、瞑想を毎日行ったことでマイナスな気持ちや雑念を吐き出すことができ感情をコントロールできるようになってきました。家に帰った後もイライラした時や、心が晴れない時に瞑想をして自分をコントロールしていきたいと思います。
天光寺には毎日国籍を問わず多くの人が修行しに来ており、色々な人と関わることが出来てとても楽しく貴重な経験をすることが出来ました。
法話の中で先生が話していた、積極的な心を持ち生きる、努力と知恵を使え、何事も今の心に始まるという言葉が心に残り、私もそんな生き方のできる人間になりたいと思いました。
これからは人を傷つける言葉や悲しみなどの消極的な言葉は使わずに勇気や喜びを与えられる言葉を使っていきたいと思っています。また下を向かないようにして前を向いて頑張っていきたいと思います。
食事の前と後に必ず食前の言葉と食後の言葉を唱えるという決まりがありその言葉を毎日唱えることで食事の大切さや食べ物に対する感謝をより深く知ることが出来ました。これからも感謝の気持ちを持って毎食を大切にしていきたいです。
天光寺で学んだことを頭に入れ、これからの生活に生かしていきたいと思います。また学んだことをしっかり復習して、その先の新しい収穫や新しい物を発見していけるように継続していきたいと思います。天光寺に修行に来たことで悪いものがとれスッキリした気分になることが出来ました。以前の自分とは違った自分になれた気がしています。親への感謝の気持ちを忘れずにこれからも努力し、立派な人間になれるよう頑張っていきたいです。また天光寺で働いている人達への感謝も忘れずに生活していきたいと思います。今回二回目の体験修行でした。前回と同じくお百度参りと滝行、経行、写経をさせていただきました。流れが分かっていたので前回より心にゆとりをもって取りくむことが出来ました。滝行は前回より水は冷たかったですが、入ってしまうと体が温かくなり、自然との一体感がとても気持ち良かったです。経行も何度も読みこむと必ずよみまちがえる所があり意識して読むことでスムーズに読めるようになったのがうれしかったです。最後の言葉の響きが好きです。写経は前回よりもすみを濃くすることで見やすくなった感じがしました。
お寺での生活は、あいさつ、そうじ、早寝、早起きと一つ一つに意味を考えながら過ごせる時間がとても幸せだと感じました。普段の生活で当たり前に食べているお肉やお魚も一日食べないだけで食べられるありがたみを感じる事が出来ました。
法話では‘’人生の主人公‘’は自分でイメージしていくことが大切であり、そのための仏教の教えをヒントにしていけたら魂がみがかれていくと思います。
人生一度きりなので、自分らしく生きていけるように一日一日を生きていることに感謝して過ごしていきます。私が動くことで解決できればいくらでもがんばれます。しかし私がどうあがいても解決できず悪い方向に流れていってしまうものが私の周りにはたくさんあります。
昨日この体験に参加する前日の夜、夫から離婚だと言われました。だからこの体験に参加するのをやめようと思いました。とてもじゃないが何時間も電車を乗り継いで来られるような心境ではありませんでした。しかし、この体験は次男の希望で申し込みしたものだったので私は親の責務として参加しました。大げさに聞こえますが私は日々、この次男より中学校へ行くよう促した事を責められており、本人も中学校へ行った事により精神的に不安定になる事が多く、最近心療内科へ通院し始めました。その為、夏休みにどこか行きたい所を聞いたところ滝行をやりたいとの事でした。
本人が自分の中でリセットしたいといという気持ちだと言ってきたので、これは絶対連れて来なくてはと思いました。
実際滝行をしてみて本人の感想を聞いた所、体が軽く暖かくなったと笑顔を見せてくれたので連れてきて良かったと心から思いました。
次男は人とのコミュニケーションがうまく交わせない為、一泊二日の体験の中でお寺の方々とのやり取りがぎこちない感じではありましたが、厳しい規律、規則正しい生活、あいさつの大切さ、それを体験できた事は私にも次男にも貴重な体験だったと思っております。
最後の法話のビデオですが、会社を経営し、従業員を使っている立場の私には非常に有意義なもので、今後の人生に役立たせて頂きたいと思います。お寺に到着した時は何をするのか正直よく分からなかったです。
先生方のご指導のおかげで一日規律正しい生活を送ることが出来ました。子供達と食事、掃除、修行する機会があり、その際に歳や職業、生まれなどに捕らわれず、共同生活の中ではみんな一人一人、一つの労働力あるということを実感しました。滝行でも自然の前では一人の人間としてみんな同じなのだと感じました。また、日頃忘れてしまっている何事に対しても謙虚に前向きに取り組むことの大切さを思い出せました。あいさつや食事の片付けなど小さなことに対しても、そのような姿勢で取り組むことで自身の人生の軸もぶれずに生活していけるのかなと思いました。
一日という短い時間でしたが忙しい日々で忘れてしまったこと、自分と向き合う時間、有限の時間である人生をどう過ごすのかという基本の心の持ちかたを学べました。
この経験を修行体験という思い出にするのではなく、日々の生活の中で少しずつ取り入れていきたいと思います。呼吸を整える事や瞑想など、数分でも自分の心が整理できない時や仕事の合間など意識して取り入れていきたいと思いました。
短い間でしたがあいさつから修行のお手伝いまで色々とサポートして頂きありがとうございました。私はなかなか自立できない息子の将来を心配しつつもずっと突き放せずにいました。
でもここに来て数日間を皆さんと過ごさせていただくうちに自分がとても弱く心配性なのだと気付きました。ここで感じた事は、私自身にとってもとても貴重なものでした。そして息子にも家に引きこもっていた十数年分を、今まで経験できなかった大切なことを学んでほしい。そのためにも思い切って息子を外に出そう。中途半端な気持ちではなく本人が自分の人生を積極的に生きる(自立する)まで家には戻らせないくらいの覚悟を決めよう。そう自分自身にも言い聞かせ、私も前向きに頑張ります。4日間本当に有難う御座いました。今回の修行を通して、前の自分より強くなれたと思う。今まで辛い事から逃げてばかりで楽な道を選んできたけど、今回の修行はどれも辛くてキツくてしんどかったけど乗りこえられた時の達成感は凄く良くて気持ち良かった。これから先、ちょっとやそっとの事ではあの修行よりはましか!ぐらいでやっていけそうな気がする。年齢も境遇もバラバラのみんなで集まって色々な事を経験できて凄くいい思い出になりました。この修行を通して過去の自分を見つめ直す機会が多く、改めて前より精神的にも肉体的にも強くなって帰る事ができて良かったです。色々パニックになった時には、ここで学んだ呼吸法を思い出してリラックスして落ち着きたいです。楽しい時を過ごすよりも辛い時を一緒に乗り越えられた時の方が絆が深まったと思う。一緒じゃなかったら乗り越えられなかったし、この修行に誘ってくれた彼には感謝しかないです。
お寺はお墓参りの時か観光ぐらいでしか訪れたことがなく、キリスト教のプロテスタニト教会に通ったことはあるのですが、考え方があまり肌に合わなかったのでより日本人に身近な仏教に触れてみる機会が欲しいと思っていたところ友人が誘ってくれたので、今回天光寺に滞在させていただきました。
滝行や写経にも興味があって、実際やってみていい経験になったし楽しかったのですが、何度も繰り返したりお休みなしで六時に起きて、、、という生活をするのは本当にしんどいだろうなと思いました。
仏教徒の方も身近にはいないので、滞在中お寺の方と接する中で、仏門に入っている方と私のようにあまり詳しくない私ではお経や仏様に対する気持ちや見え方といったものが結構違ってくるんだろうなと思いました。滝行の時に山や川に唱える言葉もあまりピンと来なかったので、いろんなところに仏様や神様がいるという考えがあることを知ってはいたものの、実際に唱えてみて初めて実感しました。
初日に護摩焚きを見る事ができたのも貴重な経験だったのでとっても良かったです。
法話のビデオも面白かったです。(でもできれば修行の最初の方に見て仏教やお寺のことを知ってから行をしたかったです、、、)
滝行ですが、元々川や海に入るのが好きで、山の空気も好きなので少し楽しみでありつつ、水がとても冷たいと聞いて少し怖くもありつつ、いざ入ってみると確かに水は冷たく、滝に入ると水の勢いと冷たさで御宝号を唱えるのが想像よりもずっと大変で驚きました。考える事もままならないくらいの水にもまれることはもちろん初めてだったので、終わった後はすっきりして気持ち良かったものの、何度もできるものではないな、、、と思いました。
普段たくさん触れているインターネットや好きなものを好きなように食べることができないのはとっても不便で常に修行の生活を送ることはできないけれど数日だけでもそういう生活を送り、仏教を少しだけでも知ることができてとてもいい経験になりました。ありがとうございました。この二日間は、初めて知ることも沢山あり、久しぶりに大きな声が出せたり、色々な修行や経験ができて、美味しいと聞いていたお食事もいただくことができ、涙が流れるほど「うれしい」がいっぱいの、幸せに満ち満ちた奇跡のような時間でした。念願か叶って参加でき、実現して、夢のようでした。どうもありがとうございました。
法話にもあったように、宇宙とつながった仏様がいつでも必要な時に現れてくださる、というのが印象的でした。
特に滝行は、水が心から好きだと感じうれしかったです。勢いのある滝の中に入った時は、衝撃的な感動がありました。壮大な自然の中で畏敬の念を抱きながら、自然を大事に共存していくことの大事さをずっと感じていました。夜、窓から見た森林の真っ暗なおごそかさも印象的でした。空気も清らかで広々として、愛情と思いやりとよきものに溢れていて、安らげる空間でした。
一生に残る貴重な体験をさせていただいて、本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い致します。はじめにまずこの様な形で天光寺の皆様にお世話になっております事を心よりお礼申し上げます。突然の事でありながら受け入れて下さった事感謝致します。
法話を拝聴致しまして、改めて先生の博学と説得力のあるお言葉に深く感動致しました。一時間半という法話の全てをここでひとつひとつ感想の言葉を述べるのには限りがありますので心に響いた点をいくつか取り上げたいと思います。漢字がわからずひらがなの使用が多くなります事、お許し下さい。
ひとつ目は守護霊は宇宙のビッグバンであるという事。スピリチュアルの世界では「守護霊」はハイヤーセルフなどと呼ばれたり致します。私が初めて先生にお会いした時、先生の覚醒時の体験を聞かせて頂き大変おどろきました。先生ご自身の生き方また宇宙との深いつながりそのものが守護霊となったのだと改めて感じました。
ふたつ目には空海に関する事です。空海に関するエピソードは亡き祖母やいろいろな本、テレビなどから見聞きしておりましたが、先生の法話から空海は渡来人であるという言葉を聞きいままでなぞであった部分のパズルのピースがぴたりとあてはまりました。複数の言語を理解し短期間でサンスクリット語を理解できました事はまさに超人という言葉がぴったりでした。恵果和尚の「来ることがわかっていた」という言葉が何か胸に深く響くものがございました。今回、「体は高野、心は東寺」という言葉も初めて知りました。
三つ目に仏教はユングやフロイトに影響を与えたという言葉、そして仏教がさまざまな宗派に分かれている事は本来あるべき姿ではないとの言葉に「その通りだ」と賛同の気持ちが生まれました。
四つ目に前世の記憶です。私、初めて先生にお会いした折、前世の記憶について語りましたが覚えておられるでしょうか?私の頭の中に語りかけてくる霊能者達は私の前世の記憶を変えてくれました。
五つ目にテキストを全員で読むシーンがありました。その中で「信義を守る」が心に残りました。
私はいまこの戦いに勝たねばならないと思います。そのために夫と必死に頑張っております。本日はご住職様のありがたいビデオを拝聴させて頂きありがとうございました。
ご住職様のご指導が素晴らしく見習える部分は真似をさせて頂き、自分を守りつつ偽善者ではない真の心で接していきたいなと思いました。お釈迦様や仏教の理解はまだ全く出来ませんが会社経営の方々がこの天光寺にいらっしゃってたことにも驚きでした。
実は私の父も松下電器、松下幸之助会長の秘書をやっておりました。その父の躾も現代の私からすれば行きすぎかなと思うところが多々ありましたが、自分自身、父からの辛い躾も今となっては自然に行動に移せることも出来ているのかなと思いました。今では負の自分の方が強いです。
天光寺様で教わった教訓を思い出しながらこれからの人生を明るく生きていこうという所存でございます。
一泊ではありましたが皆と協力して助け合っていくことを少しは学べたかなと思っております。はじめは滝に打たれて五感六感を研ぎ澄ます事が目的で来たけれど一泊二日の内容は盛りだくさん。お百度参りやお経を読んだり写経をしたり瞑想や腹式呼吸の発声練習など初体験をたくさんできました。
楽しみにしていた時は思った以上に勢いが強くまだまだ自然と一体になるまで体感出来ずひたすら頑張った時間になりました。周りは大好きな自然や緑でいっぱいなのにそこを楽しむ余裕は無くて勢い強さに耐えるのに精一杯普段の生活でも何か頑張ってつらい時まわりにあるステキなものを見過ごしているのかもという気づきがありました。我慢して踏ん張ることも大切だけどその時にだけ見たり感じたり出来る事も見逃さないようにしていきたいです。
お百度参りが百回きちんとした訳ではないけど一番お気に入りでした。滝では何かを願う余裕はなかったけどお百度参りでは大好きなペットを想って走りました。一番集中できて優しいほっこりした気持ちになれました。意外と朝のそうじの時間も仏様の水を替える時に丁寧な気持ちでしたり、家や仕事場もお手洗いは一つなのでたくさんあるトイレ掃除が学生以来で楽しすぎました。今に集中する体験を一泊二日で数多く体験できてしっかり集中して楽しめたものもあるし、お経とか眠たくなってしまうのもあったけどとにかく新しい発見をいっぱい出来て嬉しかったです。もっと自然や緑を全身で感じながら滝に打たれるようになりたいのでまた来たいです。
近頃自分の本当にやりたいことや好きな事が分からず無気力で目標の明確でない日々を過ごしていました。インターネットでたまたま滝行の存在を知り、天光寺を知りました。直観で「すぐにやりたい」と思い、十分に自分と向き合えるように二泊三日での修行体験を申し込みました。結果的に、とても良い決断だったと思います。自分が今後どのような人生を歩みたいのか、そのために今何をやればいいのかが見えてきました。その大きなきっかけとなったのは滝行と写経、お寺での日常生活だったと思います。
滝行では、自分の恐怖心と向き合うことができました。修行中の三日とも滝行に参加しましたが、一回目と二回目では全く違う感覚になりました。一回目は、滝行の大変さが分かっていなかったため、ドキドキワクワクという感じでした。実際に滝に入る順番が来ると「怖い」という気持ちになり、無我夢中で耐えたという感じでした。それに対して二回目の時は滝に向かう時に緊張や怖さがあり、滝に入っている時は少し心地よさを感じました。滝と一体になっている自分を見ることができた気がします。この一回目と二回目の変化を感じた時に、私は今、人生において二回目の滝に入る前のようなタイミングなのだと思いました。本当はやりたいことが分かっているのに、怖くて見ないようにしていたのだと分かり、すごくスッキリしました。また、滝行の後に一時間ひたすらお経を唱える時間がありました。集中していたり、少し気が散ったり波がありましたが、頭がぼうっとして何をしているのか分からないような不思議な感覚になりました。その感覚でいる時に今後の理想の自分像が少し見えたり、やりたいことが浮かんだりして、楽しい気持ちになることもありました。ひたすらお経を読むことでよけいな事を考えにくくなるため、素直な自分の気持ちが分かるのかなと思います。
天光寺の宿泊中は、食事の用意や朝のそうじなどのお手伝いもさせていただきました。日常の事一つ一つを丁寧に行う事の大切さを感じ、自宅での生活にもいかそうと思いました。
一泊二日の修行を経て、自分の心が大きく変わりました。お百度参りでは何度も走り、「南無大師遍照金剛」と言うたびに強くなっている気がしました。そこで一つ大事な事にも気づきました。
お百度参りの終盤に一緒に来ている体験修行の方が「あと少し!がんばろう。」と声をかけてくれました。その言葉に救われました。応援されるということはすごく嬉しくがんばれる動力になります。滝行では、山登りの時点できつく、ここに来たことを後悔しました。そしてやっとついた滝では、順番も早く、心が出来ないまま、滝行に挑みました。水浴びの段階では、まだ余裕でしたが滝に入っていくと、正直な感想では早く出たい。手を前に出すか迷いました。しかし滝行に入る前に、同行した体験修行の方に言われた言葉を思い出しました。「なりたい自分を思い浮かべて」という言葉です。私は小さいころから全てお母さんにやってもらい、学生時代も友だちに頼りっぱなしで一人で何も出来ませんでした。他にもダンサーを目指して頑張っていた時も、何度もオーディションに落ち、周りの友だちが合格して輝いている友だちを見て私には何もできないと自信を無くし諦めてしまいました。また、去年の教員採用試験では、大阪府の試験に落ちてしまい、倍率の低い他の地域の教員に逃げてしまいました。私の人生は、諦めて、逃げて苦よりも楽をとっていた人生だと気づきました。だからこそ、滝行では逃げず諦めないようにしよう。そう意気込んで挑んでいたことを思い出しました。また、私は強くなりたい。その思いから滝行で最後まで頑張ることが出来ました。終わった後は、達成感でいっぱいいっぱいでした。私の頑張っている姿を見て体験修行の方は「泣きそうになった。がんばったね」と声をかけてくれました。着替えの場所に向かう際も「おつかれさま。」と沢山の人が声をかけてくれました。応援は本当に大きな力にもなり、独りじゃないんだなと思うことが出来ました。また滝行が終わった後は、心も体も軽くなり楽になりました。通ってきた道も一緒なはずなのに、怖かった岩場も軽やかに下山することができました。心も変われば体も変わるということがわかりました。この言葉は忘れないようにしたいです。夜の般若心経では、一日疲れていたのか無の感情になりすぎてしまい、美味しそうなご飯が浮かび上がってきました。すごい不思議な感覚でした。写経もずっとやってみたかったのですることが出来、夢が叶いました。
この一泊二日の修行でさまざまな経験ができたと同時に新しい自分に出会い、もっと自分が好きになりました。ネガティブな自分を滝行で流すことも出来、明日からはポジティブで人を応援し、応援してもらえるように精進してまいります。この恵まれている環境に感謝し命ある限り人の為、自分のために頑張り、一つでも多くの夢を実現できるよう努力していきたいです。私は幸せです。二日間お世話になりました。ありがとうございました。
私は天光寺に落ち込みやすい自分を変えたいと思い参りました。きっかけが家族のすすめだったこともあり、最初は四日間修行についていけるか不安な気持ちがありました。しかし修行を終え、来る前の自分と比べると、少し自身が持てるようになっていました。
以前の私は、自分を甘やかしていたのだと、滝行を通して気が付きました。初めて滝行に参加させていただた日、始めに滝行された方を見て、とても私にはできないと思いました。水の勢いに負けず、ハキハキと「南無大師遍照金剛」とおっしゃっているのを見て、私にもできるのか不安になったからです。いざ入水すると、経験したことのない冷たさと、まわりの人に見られている緊張で、呼吸が上手くできませんでした。滝に打たれると、呼吸は荒く動悸は激しくなり、過呼吸で手がしびれるまで泣いていた日々を思い出しました。滝行を中断したい、もう辛いことはしたくない、と一度滝から出ようと身体を前に出すと、押し戻されました。今思い返すと、あの時逃げていたら私は泣きじゃくっていた時から一歩もすすめずにいたと思います。滝から出た時、私はまだ水が冷たかった、息がうまくできなかった等、目の前のことしか見えていませんでした。しかし、一緒に滝行に参加された方が晴れやかな顔で「スッキリしたね!」と声をかけてくれたのです。「思考が人生をつくる」という言葉がふと浮かび、自分自身でふさぎ込んでしまう原因をつくっていたんだと気づきました。
二回目の滝行、トップバッターはもちろん緊張しました。それでも昨日のことを思い出し、自身を鼓舞すると、とても落ち着いて滝行にいどむことができました。「良かった」とおほめの言葉もいただけて、前向きに残りの時間を過ごすことができました。天光寺を訪れたときの不安は消え、今は明るい気持ちで帰ることができます。「思考が人生をつくる」この言葉を常に意識し、落ち込んでしまった時は腹式呼吸、瞑想を行い、昨日よりも少し成長した自分を考えながら生活していこうと思います。
大変お世話になりました。ぜひまた滝行だけでも参加させていただけたらと思います。ありがとうございました。
まず最初に、三日間大変お世話になりました。ネット検索すれば天光寺のことは出てくるものの、実際の生活は想像も付かず、親切なお寺の方々や先に修行で来ていた人達に色々と教えてもらいながら無事過ごすことができました。次に滝行で自分を変えたくて来たにも関わらず、頭が割れてしまいそうな痛みに耐えられず、結局滝に入れなかったことを本当にくやしく思っています。気持ちで乗り越えられると思っていたのですが、いざ滝に打たれると頭が本当に中から吹っ飛んでしまいそうなのにどうしても続けることができませんでした。私の人間力、忍耐力の不足であり、いつかまた挑戦したいと思っています。毎日規則正しい生活をし、瞑想や読経をすることは、大変な癒しでした。昨今頭を悩ませていたことを一旦完全に頭から出すことができ、再度同じ悩みに向き合うこととはなりますが、今度は積極的な言葉で自分の答えを作っていけると思います。
休暇をもらって行に参加させて頂きました。職場の上司からは、今の状況になった原因や理由を考えて、仕事の取り組み方を根本変える方法や思考に至らないまま職場に戻ってほしくないと言われていました。私自身は、体は元気なんだから、早く戻らないといけない、仕事につまずいて思い悩むことなんて誰にでもあることだ、と思ってしまっていました。この思考のまま仕事に戻っても、同じようことが起こるだろうと、今は感じます。
先生が御講和の中で仰っていたことや書物にあるお教えは、当たり前のようだけどなかなか実践できていない、普通のことだけど常に意識するのは難しい、でも大切なことばかりです。現代社会、また日常生活においてつい忘れがちな、人として重要な基礎的なことを十分に実施できるよう、日々謙虚な気持ちで生きていきたいと思います。
お寺に来て、色々な御縁を感じることもできました。因果あってお会いできた方々だと思います。またどこかでお会いできることを楽しみにしております。ありがとうございました。
ご法話拝聴させて頂きありがとうございました。身体が疲弊しすぎていて掃除をしていても、立てない、立っていられないくらいへにゃへにゃで、この疲労の根本をずっと考え悩んでいるのですが、分からなくて困っていました。この三日間の内も、疲労・疲弊は止まらなく、修行する体力・気力さえないんだと、病院のベッドが自分には似合っているな。。。というのが今の心境です。朝が一番だるく、床から起き上がれない程の気だるさと共に一日が始まっています。自分でも気合を入れ、手を合わせてから起床するのですが、気持ち良く起きることが出来ません。ですが、あきらめない、ちょっとやそっとのことでくじけない、負けない、どんなだるさも慢性的な疲弊も、くじけず、あきらめず、立ち向かい、勝つことが出来たら良いなと思いました。私は勝ち負けというのが嫌いだったのですが、自分に負けることをいとわなかった結果が今だなと思うので、「勝つ」という「気合い」のそのまた上にある結果、visionを大切にしたいと思います。私にはもう仏心は残っていない、生きているうちに成仏はできない、汚れた心、もうあの当時の純粋な愛をもった自分には戻れない、自分は愛の表現ができない、とやさぐれてはいけない。愛がある!!愛を表現できる、体から愛がにじみでている人間になりたいから、やっぱり打ち勝っていきたいなと思います。今回ここに来た理由として小さい時に不登校・対人恐怖がありさらに幼少期は、自家中毒という、この世間のプレッシャーに、機能停止の自分がいました。その時の自分にできることとして自分が神の子であるというあたたかな気合いと、寺での時間が必要だったであろう。と思い体験修行に来ました。規律正しい生活ですが、言霊と、愛にあふれた時間でした。一人一人が、自分の仏心・仏性をみがく為にいるという高い目標を持っているというその場の一人でいられることにとても安全で、ありがたい場所どと思いました。普段の生活ではなかなかそこまで高い目標をもって生きている人にはあえませんが、率先して、高い目標をもって生きていきたいです。自分の気合いは、文章の中だけで、実際問題そううまくいかないと思います。ですが、今回の宿泊を通して、得られたことがあると思うので、生かしていきたいです。元気な姿で戻ってこれたらいいなと思っています。天光寺を造られました先生、ありがとうございました。一月の寒空の下の修行のお話びっくりしました。先生は強すぎます。数々の事業のお話も尊敬です。頭が良いのも。私も自分ができる努力をします。皆様ありがとうございました。
今回、宿泊体験をして、まず前向きに、前よりもなれた気がします。前は、明日からどうしよ、どういう作戦でいこう・・・。と考えていたのですが、今はもう流れに身をまかせてしまおう。と思いました。そして、思考が人生を作るという言葉を聞き、私が一番悩んでいた友人関係ですごくそれが大切だなと思いました。自分が悲しんでいる言葉、ネガティブな言葉、他人を悪くする言葉、全て私は友達に言っていました。だからこそみんな離れていってしまうし、自分が何をされてもその人達を相手にしてしまったらもう負けです。そういう時は一度しっかり冷静になって発する言葉など頭で考えてから発しないとな。と学びました。自分の言った言葉で自分が影響される。これ本当にその通りです。何をされても自分が反応しなければいいのに、いつも反応してしまいます。そして私は他人の事を悪く言って態度に出してしまい、ハブられてしまう。というケースも多いです。相手が私の事を言い、反応してしまい、言ってしまうというのもあります。絶対に大切なのは自分の口から相手の事を悪く言わない、ネガティブ発言しない、それがすごく大切で大事な事だと学ぶ事ができました。そして滝に入った事によってまだ一回なんですけど、忍耐力がついたかなと思います。正直私はなんでも逃げてしまうくせがあります。同じ事を何度も繰り返し、してしまうくせもあります。(同じまちがい)そういう事をこくふくしたくて、今回宿泊体験をしに来ました。滝に入っている最中や入る前の水を頭にかけた時、本当に冷たすぎて、もうこれからどうしよう。滝に入るの怖いなと思いました。そしていざ入るとすごく冷たくて、体はぶるぶるふるえるし、今でもその時の冷たさを覚えています。ずっともう出たいと考えていましたが、途中から深く深呼吸をして、でもここで出たら、また学校でも負けてしまう。ずっと弱い自分だ。と思いずっと深呼吸をしながらたえていました。すると、もう終わりが見えていき、ぶじ最後までしっかりと滝に入る事ができました。滝から出たしゅんかん、達成感や心がすごくスッキリして入って良かったなと心から思いました。ですが、私が入った時間は約一分間、先生とお話をしている時、乃木坂はマイナス5度なのに1人5分間入ったなど中学一年生の女の子が15分間入ったと聞き、しょうげきてきでした。1分間ですごくキツイのに、そんなにもこのみんなは入っていて頭から血とかでないのかな?ケガをしていないのかな?とずっと考えてしまいました。1分間入れた事に満足しないで次は何分、次は何分となるべく伸ばしていきたいなと思いました。本当に今回色々な事を学べて、本当に良かったです。ありがとうございました。また来る時があると思うのでその時はよろしくお願いします。
数年前より、お百度参りと滝行に興味を持ち、自分の誕生日に滝行を邪気やお清めをし、クリーンな身体で迎えたいと思って今回志願いたしました。実際やってみると、行を行うではなく全てが飛んでしまって自分自身がテンパってしまい、正しく行を行うことすら出来ない自分がいて情けなかったです。一日泊まっての中で、本当の意味で自分と向き合う行はとても難しいことだと思いました。だから修行されてる方達が何年もかけてされてる中の意味も分かる気がしました。
先生もビデオも、不思議に思っていた事、私の好きなブッダの教えや空海の話が聞けて良かったです。普段生活をしているといろんな出来事に流されてめまぐるしく生活してますが、自分と向き合い、自分を強くし、人のせいにはせずに今まで自分が思っていた心のもち方の答え合わせが出来ました。私にとって全てが為になる事ばかりで、自分自身また息詰まった時は時々参加したいと思ってます。ありがとうございました。
先月、旅行先で何故か急に滝行とワードが思いつき滝行に行ってみようと、サイトで探し、こちらのお寺、天光寺さんに出会う事ができました。滝行は知っていましたが、絶対イヤだと思っていましたので、まさか今回行う事になるとは私自身びっくりです。滝行だけではなくお百度参り、写経なども行えるので一泊でお世話になりました。滝行は、水圧がすごく、冷たかったですが、終わった後は体がすっきりし清められました。呼吸法やめいそう、写経など、どれも無になれるので心が落ち着きとても良かったです。また機会あれば天光寺さんで行を学ばせていただきたいと思います。
ご住職をはじめ、スタッフの皆様お世話になりました。ありがとうございました。
一度で良いから滝行をやってみたいという軽い気持ちで今回滝行をやらせて頂いたのですが、実際にやってみると滝に入ってすぐに息の仕方がわからなくなり恐怖を感じました。滝行に行く前に「入ってすぐに苦しくなったりする事もあるし、頭が痛くなる事もある、だけど入って少したら辛くなくなるかもしれないからすぐにあきらめて滝から出るのはもったいない」という話を聞いていたので何とかふんばる事ができました。自然の恐さをこんなに身近に感じたことは今までになく、あきらめずにやりとげられた事の嬉しさ、滝行が終わった後の体のすっきりした感じや清々しさ、様々な事を自分の肌で感じる事ができました。
めい想も聞いた事はあったのですが、実際にやった事はなく、きれいな空気を吸っているイメージで、吐く時は過去のあやまちや反省を思いながら吐くのを続けていると、終わったあとに体の芯が温かくなってきて気持ちも落ち着き、滝行の時の様な清々しさも感じられました。呼吸一つ意識するだけでこんなに気分が変わるものなんだなぁと思いました。これは普段でもできるので、少しの時間を見つけてこれからも自分の心身の為にめい想をやっていきたいと思います。その他にも、法話など貴重なお話をたくさん聞けました。中でも心に残っているのが「消極的に生きるのと積極的に生きるのでは、運も人生も変わる」「努力と知恵を使って、人脈を大切に、人に感謝して生きる」「発する言葉がことだまとして残ったり耳に響いたりするから、プラスの事を発する。発言で気持ちが変わり、考え方が変わると行動が変わり、行動が変わると人生が変わる」「人に認めてもらえない事を不安に思うのではなく、相手を認められない事を不安に思え」です。仕事をしていく中や、日々日常を生きていく中で、教えて頂いた言葉を大切にしていければ今よりももっと人生を豊かに、清々しく、強く生きていけると思いました。
他にもみなさんとても優しく接して頂き、とても楽しかったです。食事も、いつもは白いごはんにおかず一品だったので、ここでたくさんのおいしいおかずやスープを頂き、心身ともに健康になった気がします。ここに来なければ体験できなかった事、感じられなかった事がたくさんありました。これからも、自分が興味を持った事ややりたいと思える事に積極的に取り組み、何か問題が起きた時も、消極的になるのではなくどうしたら良いのかプラスになる為に積極的に生きたいと思います。とても貴重な体験、ありがとうございました。
一泊二日、お寺で修行をさせていただいて、これまでの生活や学んだことを振り返るきっかけになりました。
今年の四月から、社会人になり小学校の先生をしていますが、この一学期は、何事も初めてで、やりがいを感じながらも本当に苦しかったのが本音です。夏休みに入り、仕事に余裕ができると「子ども達の為に何ができたのか」担任としての反省点は多く、改善するという向上心を修行を通してさらに与えてもらいました。礼儀の大切さも、分かっているつもりでも、大切さを丁寧に教えていただくと、大切さの意味を理解し自ら取り組もうという気にもなりました。子どもに対しても「あいさつをしなさい」と言うだけでなく、なぜ大切なのかを伝えながら、自主的に行動する子どもを育てたいと思います。
滝行では、仲間の頑張りを見て、頑張ろうという前向きな気持ちになれたり、応援されることでこれまで以上の自分の力を出せたり中高生時代の部活動がなつかしくなりました。また、それぞれの想いや考え、悩みを持った方が、何かを変えようとして参加しているのだなと思い、自分だけではなく他の人もいろいろなことを抱えて生きているんだなと、心強くなりました。現代社会にはおいても、孤独を感じている人が増えているように感じます。
学級をもつ私にとって、クラスに一人でもそのような思いをする子どもがいないように、中高生時代での部活動や滝行をしたからこそ子どもに伝えられることもあると思います。今回の修行で感じたことを、そのままにせず、次は教育現場の子ども達に伝えていきたいと思います。
講話でもおっしゃっていたように、ポジティブ思考、向上心はとても大切だと思います。私自身も大切にしている生き方です。生まれつきそのような思考ですが「ことだま」本当にあるなと思えました。「できる」と思い続ければ、何でもできるし、そのように思える自分は、普通だけど最強なんだなぁと自信がつきました。本当に、周りの友達や上司には恵まれており、孤独とおもうどころか、やっていること目指していることが違えど、高め合える存在で感謝の気持ちでいっぱいです。その感謝も気持ちだけでなく、言葉や行動でさらに相手に伝えていきたいと思います。この修行を通して、自分を振り返るきっかけになっただけでなく、初めての経験をしたことによる新しい考え、感情、自分にも出会うことができたと思います。
一泊二日という短い時間でしたが、ありがとうございました。
法話を聞いて特に印象に残っていることは、新しく生まれ変わった人間になるために、積極的に行動するということです。自分の中で悩んでいた何事も上手くいかないというものを根本からくつがえされたような感覚でした。そもそもネガティブな結果ももたらし、さらに悪化していくと法話で学びました。新しい出会いや人脈を見つける為にも、色々な所に行って、感じて、学んでいける人間になりたいです。その出会いによって今まで負けてばかりいた人生がガラリと変化したらいいなと思っています。また人脈を作るために、感謝や礼儀が大切だということも学べました。名刺の裏に感謝など、ちょっとした気遣いで、信頼ができるものだと知れました。気遣いで良いなと思われるような人になりたいです。この二つは私が今までできていなかったものばかりです。これらを積極的に行い、新しくポジティブな人になっていきたいです。
法話をきいて、これから「どのように人と、そして自分と関わりを持っていくべきなのか」の道すじがはっきりしたように感じました。この法話で印象に残っているのが、人生の主人公か負け犬どっちになりたいのかという言葉でした。法話の始めと終わりで2回この問いがでてきたのですが、一回目に聞いたときに私はどちらでも構わないと思いました。「負け犬」という響きは良くない言葉でも人生何をしても失敗ばっかりだった私にとっては、負け犬の人生でたとえそれが辛くともそこには学びがあってそれが糧となり「人間力」の底上げにつながっているという思いがあったからです。しかし、先生の話を聞いていると、この法話での「負け犬」とは、ネガティブを口にし、消極的に生きる人のことでした。それとは真逆の生き方をしたいともがいている私は「主人公」になりたいのだと気づくことができました。何があっても負けないぞという強い心をもち、ネガティブは口にせず、何事にも積極的な姿勢で生きていこうと思えました。最近は人との関わりもほとんどせずに生きていたので、積極的に関わりを持ちたいと思いました。
23年ぶりの一人旅、二泊三日で天光寺様へお世話になりました。
大日如来様と不動明王様
滝行・ヒーリングにひかれて・・・
最初、お寺に入り、大日如来様・不動明王様の仏像様の前に座った時、肩・背中がジワジワと不思議なエネルギーを感じました。良い意味でお力を頂いたとポジティブに思っていてお百度参りと滝行も二回ずつ経験させて頂きましたが、あっという間に時が過ぎ、滝行は冷たかったけど、必死に願い事を唱えているうちに、激しい滝にもなんとか、耐える事ができ、思い出に残るように写真・動画も撮って頂き、感謝の気持ちいっぱいです。おかげ様で、一人旅でも充実し、良い経験・思い出ができました。
食事もおいしく、規則正しい生活・睡眠もたっぷりとれ、携帯見て寝れなくなるという事もなかったです。(笑)普段から規則正しい生活を心がけ、ポジティブな気持ちで、前向きに何事にも取り組んで行きたいと思います。いろいろ経験させて頂きありがとうございました。天光寺での一泊二日の体験をしてみて、修行をしてみたいと思った理由は、滝行をしてみたいという理由でしたが、修行を通して修行の大変さや瞑想などを行うことで心が落ち着くことを知りました。
滝行は初めて行いましたが、行っている最中は息がしづらく、頭も痛く、辛いものだと思いましたが、終わった後は体から嫌な感情がとれたように感じ、すっきりとした気分になりました。
お百度参りでは唱えて走りを繰り返し、最初は楽でしたが、どんどん辛く感じてきました。これを百回も行うのを考えると、お百度参りはとても大変だと感じ、終わった後は走ったのも久々で、大きい声を出すのもあまりないので凄く気持ちよく感じることができました。
般若心経を一時間唱えるのは、声を出すのが途中から辛くなってきたり、足がしびれてしまったりと、一時間がとても長く感じましたが、唱えている間は余計な事をあまり考える時間がなく、終わった後は心が落ち着いたような体が軽くなったような感じがしました。
写経では般若心経を写しましたが、筆で文字を書くのは中学生ぶりでしたが、文字を書くことは心が落ち着くような気がし、丁寧に書いてみようと思いました。
二日目では掃除から始まり、掃除は家であまりすることがなく学校でするくらいでしたが、掃除をすると、部屋がきれいになるだけではなく、心まできれいになっていくように思いました。
瞑想では腹式呼吸で鼻から息を吸い、口で息を吐くとすごく心地が良く、心が凄く落ち着きました。
法話では積極的な心を持つことが大事だと知りました。消極的な発言は控えるようにし、前向きな言葉を発するようにしようと思いました。また、舞台と役者を演じる事や努力と知恵を大事にすることが大切だという事を知り、今後は活用していこうと思いました。
我慢をする事と困難に立ち向かう事が大切だと知り、あまり我慢をする事が得意ではなかったのですが、少しでも意識するようにしたいと思います。
一泊二日、お世話になりました。ありがとうございました。
一泊二日でこちら天光寺に来ました。滝修行をやりたくて申し込みました。理由は心機一転したかったかたです。4月から大学2年となります。大学は講義が難しいです。辛い思いなどに耐える精神力を鍛えたく申し込みました。実際やってみるととても辛いです。冷たい水を顔にかぶった時、なぜ私はこんな事をやらなければいけないのかという思いになりました。滝の中になると、実際に声を出さなければ大変でした。寒いし水で何も見えないし、戸惑ってしまいました。しかし、やりとげると達成感が生まれました。やってみないと、自分が向いているかどうか分からないからです。体験して良かったです。自然の力はすごいですね。滝は自然の中で流れていくので自然を壊さないようにしようを思いました。
写経をしました。とても字が小さく細筆で書くのはとても難しかったです。小・中・高と書道はやりましたが、漢字が多く、小さな文字を沢山書くことは初めてでした。書いてみると集中力がしっかりしていたのか早く終わることができました。
寝るとき、仏様の近くで寝ることは緊張しました。しっかりと眠ることができて、朝六時には起きられました。規則正しい生活はとても良いことですね。朝起きて挨拶をして、掃除をすると、とてもいい朝が始まりました。インターネットを使う日々でしたが、ここに来て良かったです。ネットなしでも過ごせるという事を改めて知ることができました。
瞑想も初めてしました。腹式呼吸をして、無の状態になりリラックスできて心がすっきりしました。できる機会がありましたら、やろうと思います。
法話聞きましたが、生老病死という事を初めて知りました。四苦の苦しみから逃れる事は不可能です。しっかりと生きていくには仕方がないので、もしそのことになりましたら、立ち向かって頑張ります。
精進料理を初めて食べました。肉なしと聞いていましたが、とても美味しかったです。毎食完食できました。作って下さりありがとうございました。
一泊二日と修行しました。とても為になる日々でした。ありがとうございました。
私は今回初めて、一泊二日で修行を行いました。正直来る前は滝行などをやってみたいという気持ちもありつつ、心のどこかで不安な気持ちもありました。ですが、実際にこの二日間で体験したことはそのほとんどが人生でやった事のないものばかりで、なおかつ、その一つ一つが自分と向き合う、雑念などを取り払い、前向きに何かを取り組むための修行のように感じ、本当に有意義な時間でした。
具体的にはこの二日間で、瞑想、書経、お経を唱える、お百度参り、滝行、寺全体の掃除、そして先生からの教えを学ぶなどを行いました。実際にこれらの事を体験し、自分が何か困難なことや苦しい事があった時にも背中を押してもらい、前向きになれるものであったと思います。また、先生からの教えで特に印象深かった部分として①人生を積極的に取り組むか否かで運を左右する。②人間力とは困難に立ち向かう力のこと。③マイナスの事を考えたり発言などはせず縁(人脈)を大切にする。の三点です。実際に今を生きている中で決して今の状況に不満を抱いている訳ではありませんが、今回修行の目的でもあった「今の自分を磨き、人間として成長したい」という目的を果たすための今後の考え方を学べたように思います。
実際にこれまで24年生きてきた中でも、自分が何かに積極的に取り組み行動した時、また困難な事に挑戦した時に、大きな成長が出来たと思い、今後も自分自身の人生をより良いものとできるように、仕事面では独立開業等でより自分らしく生き生きとしていきたいと思いました。また、仕事面にも関連することでもあり、今後関わる人との人間関係に恵まれるかどうかに関係しますが、自分の発言や姿勢など他の人から見ても素敵だなと思われるような、良い縁に恵まれるような人間にこれからも成長し続けたいと思います。
長くなりましたが、二日間で学びを得た事は非常に大きかったです。本当にお世話になりました。ありがとうございました。
今回の法話を聞いて、大きく分けて二つの事を考えました。
一つ目が「徳を積む事の大切さ」二つ目が「努力することの大切さ」です。
まず、「徳を積む事の大切さ」についてですが、お話の中にもあったように天光寺での教えである「きくばり」、「礼儀」、「ふるまい」などその一つ一つの行動や言葉が人間を作り上げているのだなと行を通じて思いました。はじめこちらに来た時は緊張しており、修行僧の方々と話すだけで精一杯でしたが、夕方以降はルールを教えて頂いたり、会話も多くなり、おひとりおひとりのお人柄を知る機会も増えました。私が何をすればよいか分からず立っていると優しく教えて下さったり、そうじの際も先に一通りやり方を見せてくださいました。言葉で指示するだけでなく行動を見せてくれることでとても安心できましたし、親切心や優しさを肌で感じることが出来ました。全ての行動が丁寧で、愛が宿っている気がして一緒に過ごす中で、自分がいかに時間を言い訳にして丁寧さを失っているかをひしひしと感じ、恥ずかしさまで感じるほどでした。人間というのは誰しも自分と他人を比べながら生きるものだと私は考えます。昨日たった一日ですが、実際私は修行僧の方と自分を比べました。生き方の違い、発言の違い、心の余裕の違い様々な角度からです。比べて感じたのはやはり「時間の使い方」でした。仕事においてもプライベートにおいても自分ばかりを優先して、周りの人に時間を使えていなかったと、そしてそれが原因で自分の人間力が下がっていたのだと感じました。小さいころから両親には「徳を積みなさい」とさんざん言われていたのに、すっかり抜け落ちていたのです。天光寺へ来て、きちんと挨拶をしたり、洗い物やそうじをしたりと、普段の生活に応用できることを沢山教わりました。ぜひ今回学んだことを人のために使えるような人間になりたいと思います。
そして、二つ目の「努力することの大切さ」についてですが、お話の中にあった空海の修行法である、死と隣り合わせになりながら洞窟の中で修行するというのが、昨日体験したお百度参りと滝行と重なりました。滝までの急な坂道、ドドドと音のなる強い水圧の滝です。
困難に立ち向かい、負けない精神力を持つこと、それが努力だと私は考えます。滝を見た時、一瞬やめようかなと怯みましたが、終わった後は非常にすっきりして、達成感がありました。社会人になり、人間関係や、立場、場所など選択肢が広がり、「楽に楽に」と自分を持って行ったように感じます。お百度参り中、息が上がって来た時、「辛い」、「苦しい」という感情になったのは果たしていつぶりだろうと思いました。中学生の時に体育の授業で行った12分間走のことを思い出し、頑張るだとか、努力するようなことがここ数年無かったなと実感しました。そして、努力することでこんなにも心が晴れやかになることを感じ、これから何事も努力を惜しまずに積極的に挑戦していきたいと思いました。法話の中で「前世-現在-来世」全てつながっているというようなお話がありましたが、徳をつめばつむほど来世の自分の魂は輝くでしょうし、努力すればするほど、来世の自分は幸せになれると思いました。
この度は、貴重な体験をありがとうございました。次回来るときは子供を連れてきたいと思います。
近頃自分の本当にやりたいことや好きな事が分からず無気力で目標の明確でない日々を過ごしていました。インターネットでたまたま滝行の存在を知り、天光寺を知りました。直観で「すぐにやりたい」と思い、十分に自分と向き合えるように二泊三日での修行体験を申し込みました。
結果的に、とても良い決断だったと思います。自分が今後どのような人生を歩みたいのか、そのために今何をやればいいのかが見えてきました。その大きなきっかけとなったのは滝行と写経、お寺での日常生活だったと思います。
滝行では、自分の恐怖心と向き合うことができました。修行中の三日とも滝行に参加しましたが、一回目と二回目では全く違う感覚になりました。一回目は、滝行の大変さが分かっていなかったため、ドキドキワクワクという感じでした。実際に滝に入る順番が来ると「怖い」という気持ちになり、無我夢中で耐えたという感じでした。それに対して二回目の時は滝に向かう時に緊張や怖さがあり、滝に入っている時は少し心地よさを感じました。滝と一体になっている自分を見ることができた気がします。この一回目と二回目の変化を感じた時に、私は今、人生において二回目の滝に入る前のようなタイミングなのだと思いました。本当はやりたいことが分かっているのに、怖くて見ないようにしていたのだと分かり、すごくスッキリしました。
また、滝行の後に一時間ひたすらお経を唱える時間がありました。集中していたり、少し気が散ったり波がありましたが、頭がぼうっとして何をしているのか分からないような不思議な感覚になりました。その感覚でいる時に今後の理想の自分像が少し見えたり、やりたいことが浮かんだりして、楽しい気持ちになることもありました。ひたすらお経を読むことでよけいな事を考えにくくなるため、素直な自分の気持ちが分かるのかなと思います。
天光寺の宿泊中は、食事の用意や朝のそうじなどのお手伝いもさせていただきました。日常の事一つ一つを丁寧に行う事の大切さを感じ、自宅での生活にもいかそうと思いました。
一泊二日の体験修行をおこなってみて感じたことは、目的として「スッキリ」したいという気持ちと、今の自分と向き合いたいと思って申し込みをしたのですが、スッキリを超え、新たな自分に出会えました。
一日目は、あいさつやお百度参り、滝や般若心経などびっちりでした。どの行も初めてでした。発声練習では、なかなか声が続かず苦労しました。何度おこなっても長くできず。暑い中のお百度参りは久しぶりに走りました。心を込めながら10分。あっという間でした。
みんなで車に乗り、30分間かけて行った滝行。初めて会った方々でしたが、みなさんとても良い方ばかりに恵まれ、みんなで助け合い支え合いながら滝に打たれました。スタッフの方が近くにいてくれ、細かく指導してくれたので安心できました。2分間だったそうですが、長く感じました。8月下旬でしたが、打たれた後は涼しいを通り越し寒いくらいでした。
その後の夕飯。とっても身体に染み渡りました。全てが先生の手作りだと聞き、主婦の私は少し反省しました。
お腹いっぱいの後の般若心経、疲れもマックスだったので辛かったです。全てが終わりゆっくり寝られるかと思いきや、良く眠れず朝を迎えました。疲れが抜けないと思っていましたが、朝の声出しや瞑想をしたらスッキリしました。
日常から離れ、仕事のことも今まで考えていたことも考えなくてもよいという事がどれだけ楽で、逆にそれらがどれだけストレスなのか改めて分かりました。正直、一日では何もかも足りず、また帰って日常に戻りたくないのが本音ですが。ポジティブな言葉を発して積極的に行動し、自分を愛しながら過ごしていけるように少しずつ変われたらと思います。
先生をはじめ、みなさん本当に優しく温かい方ばかりで本当に来て良かったなと思っています。ありがとうございました。次回は、体験修行も良いですが、ヒーリングの勉強などもできたらなと考えています。その際はまたどうぞよろしくお願いします。
2日間ありがとうございました。
呼吸法や発声法にはじまり、お百度参りなど様々な修行を体験させて頂く中で、あいさつの大切さと繰り返しやり続けることの大切さについて学ばせて頂くことができました。
「あー」という1つの音を出すのにしても思っていたより全然息が続かなくて驚き、だからこそ先生方の安定感のある、心地よい音がどうやったら出せるんだろうどれくらいの時間をかけて体得なさったんだろうと鳥肌がたつ思いでした。
お百度参りでは、コンクリートの熱さに、最後まで続けられるか不安でしたが、皆と一緒にがんばっているという連帯感のおかげでやり遂げることができました。
般若心経をとなえ続ける修行は、正直一番辛かったです。時間がとても長く感じて「もうやめたい」という自分との戦いでした。その反面、何度繰り返してもなかなか覚えられないことがくやしかったり、やっぱりここでも「継続は力なり」を実感し、私今まで何か1つでも自分の納得いくまでやり続けて達成した事はあったのかな?今やっていることも、もっと努力をできることがあるはずだと気付くきっかけになりました。また修行ではありませんが、今回宿泊させて頂く中で、ご飯や掃除など日々の生活のひとつひとつに心を込めること、与えていただいてるものに感謝することの大切さにも気付かせていただきました。心を込める余裕のある生活をしたいです。
ご飯とっても美味しかったです。
本当に貴重な体験をありがとうございました。「本当にしんどい時は笑える」「日常こそ修業の場」この2つが、今回修業に参加して得た私の学びです。元々、天光寺は半日滝行に参加した友人に話を聞いて知りました。そこで昨年からどうも完治し切らない心身の不安定さの解消と、今年始めた琥珀ジュエリーのプロデュース事業成功を願って参加を決めました。最も楽しみにしていた滝行で冒頭一つめの学びを得ました。まさかのトップバッターとして滝行に臨んだのですが、水に入る時、かぶる時、自然と恐怖心はなく目の前の水に対してほぼ『無』の状態で滝を浴び始めました。結果、笑いが止まらない状態になり、水圧が強くなればなる程どんどん笑ってしまう自分がいました。この時「本当にしんどい時、私は笑える人間なのだな」と思えこれからの人生における困難な事も怒る前から恐れる事なく只受け止め、渦中になったら笑いながら乗り越えようと決意しました。二つめは、この期間で「繰り返し作業」を繰り返しながら感じたことです。私自身、自分の中に怠惰な性格を自覚していた為、つい「面倒くさいな」「まだ終わらないかな」という気持ちでやってしまった時に、意識してとにかく『無』になる事(集中すること)や願い事で心の中を満たすようにしました。こういう気持ちになることは日常においても掃除や皿洗いなど多々あります。そういう時でも「面倒くさい」に負けず、只行為に集中することで日常にも修業の場をつくることが出来ると感じました。特別な時だけ調子の良い時だけでなく、日常辛い時にこそ心身を鍛えるチャンスがあると教えて下さった天光寺の皆さまにこの場を借りて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
今回、初めて体験修行に参加させてもらい、一番得たいと思っていた煩悩からは少し離れられたように感じます。また、仏教の教えから、気持ちが穏やかになったように思います。
どうしても人と比べてしまい、努力不足なのではないかと自分を追い込み、結果につながらないことが多くあります。他人をうらやむ気持ちがとても強く、気持ちが乱れてしまい、目の前の大事な事に集中できず焦ってしまい悪循環になってしまいました。瞑想や滝行など時折違うことを考えてしまったこともありましたが、全体的には目の前の行に集中することが出来、自信になりました。また、一泊二日と短い期間でしたが、仕事から離れ、今まで当たり前だった食事や生きていることへの感謝をもう一度見直す機会が得られ、気持ち的に余裕が出来たと思います。もっともっととどうしても欲を限界なくもとめてしまい、欲と現実の差に苦しんでおりましたが、現状もとても幸福であり、あまりにも自分が消極的な思考で生きていたと感じました。努力はこれからももちろんしいていきたいと思いますが、方向を間違えず、自分の圧に苦しむことはないよう感謝の気持ちを忘れないように生活して参りたいと思います。ほかにも細かい事ですが感じたことはいくつかありました。一度経験したいという興味本位から参加させていただきましたが、仏教のことは殆ど勉強したことがなかったので、今までの想像と違う点がいくつかありました。教えや行から努力をする、辛いことが有っても負けない精神力を得る事が出来るんだなと思いました。
一泊二日の体験修行を終えて、努力をする所はしっかり努力して、自分の日常人生をよりよくしていきたいです。また、滝や空気等自然から力を与えてもらったのも事実でしたので、苦しみや辛さを感じた際には自然に触れエネルギーを頂きたいと思いました。短い期間でしたが天光寺の皆さま、素晴らしい機会を与えて下さりありがとうございました。
滝行に申し込みをしたのは、強くなりたいと思ったからです。いじめられています。陰口を言われているのを分かっています。言い返さないので気に食わないし、つまらないのかひどくなっているように感じます。滝行をしたからって、いじめがなくなるわけではないけど、気持ちを強くしたいと思ってきました。親にはいじめられているなんて言っていません。滝行に興味があるので行きたいと伝えて送ってもらいました。自己紹介や南大師金剛遍照を大きな声で言えました。滝行に行く山も前の人に続いて登れました。滝にうたれながら、自分の親のことを考えていました。一人で悩まないで相談してみようかなと思いました。親に言う勇気、友達に反論する勇気がわきました。帰りの車で、今日あったこと、学校でのことを話しました。母が変わらないようだったら一緒に動いてくれると言ってくれました。次に学校に行ったときには、今までの自分とは違う姿を見せられると思います。次は母と来ます。
彼氏に振られ、ずっとずっと引きずっていました。辛くて辛くて泣いてばかりいました。こんなんじゃダメだと思って、滝行を申し込みました。弱い自分を受け入れつつも、変わりたいと思いました。リサーチ不足で、いきなり滝行かと勘違いしていましたが、指導者の説法が心にしみました。お百度参りも良かったです。いよいよ滝行です。心願は「自分を磨いて、ぜったいに幸せをつかむ。」でした。今は自分のことで精一杯ですが、きっと相手の幸せをのぞめる日が来るような気がします。ありがとうございました。
やっと予約が取れました。娘が結婚して家を出るため、家族の思い出作りとエールを込めて6人で参加しました。本堂での教養、大変素晴らしかったです。下手なセミナーに行くより、よっぽど実りある日になります。お百度参りは私だけクタクタでしたが、自分自身の心願ができ、家族が元気いっぱいでしたので良しとします。山の中と言えど、大変暑く、しんどさは否めなかったです。続いて、滝行。滝まで行くのもこれまた大変でした。しかし、今日は弱音を吐かないと決めていましたので、前の人に続き山を登りました。普段運動している人なら大丈夫です。滝場について、いよいよ私たち家族の順番が巡ってきました。娘の姿に成長を感じ、また少し寂しくなっている自分に気がつきました。主人、義理の息子、長男、次女、最後は私です。感想は「来て良かった。」その一言につきます。娘にエールを贈るつもりが自分が励まされました。天光寺の滝行、あの日あの時、あんなことをしたなと一生忘れない思い出ができました。また来ます、体力をつけて。
高校に進学してから、娘の素行が悪くなった気がしていました。付き合うお友達の影響もあり、年頃なのでおしゃれをしたり、冒険をしたりは目をつむることはありました。主人と相談して、まだまだ大丈夫だろうと安易な考えでいましたが、なんだか様子がおかしい。性格は暗くなる一方で、学校やお友達の話をしなくなりました。学校も休み、部屋から出てこない。お友達との間で何かあったのかもしれません。このままでは、学校を辞めてしまうのではないか。不安は的中し、学校には行かないと言うようになりました。自分の子供なので、元気で生きてさえいてくれればいいと思っても、社会に馴染めなくなってしまっては、私たち親がいなくなった後が心配です。親ばかですが、やはり、子供は可愛い。どうにか軌道修正のきっかけにしてもらいたく、夫と娘と3人で天光寺の修行にきました。夫も私も娘と一緒に何かをする、挑戦するというイベントは考えてみれば久しぶりだったかもしれません。とにかく、今日は修行に集中。娘は自己紹介で声が小さいと注意されましたが、お百度参り、頑張っていました。いよいよ滝行です。ある程度までは車で行き、そこからは山道を歩きます。白い着物を着て滝に到着しました。娘の番です。滝の威力は結構ありました。痛いといいますか、呼吸もしんどいです。主人、私、娘の順番で挑みましたが、一番のできは娘でした。親には言えない相当の悩みがあったんだと思います。帰りの車の中でいろいろと話しました。お友達のことで悩んでいることを知りました。体験修行がきっかけかと思いますが、娘がふっきれたこと、親に話したいと思ってくれたことが進歩です。解決の糸口は模索中ではありますが、きっとだいじょうぶでしょう。娘に親との絆を証明できた気がします。また3人で来ます。
天光寺、以前から気になっていました。50代のおばさんが修行に行くなんてと夫が笑っていました。
当日は武蔵五日市駅からバスに揺られてきました。東京都とは思えない景色でした。そこがまたいいのですが、おさるさんの親子にも遭遇して、嬉しかったです。
「〇〇から参りました〇〇です。」と自己紹介。決意表明したからには頑張ると決めました。滝場までの道のりに不安がありましたが、私でも登れました。滝行、高尾さんに見守っていただきながら、長くは入れませんでしたが、己の気持ちに克てた気がしました。写経、瞑想、護摩焚きも気になっています。
沢山の土産話ができたので、次回は夫と参加します。
一度申し込みをしたのですが、勇気がわかずキャンセルしました。でもやっぱりの気持ちが強く、申し込みました。結果、とにかく良かったです。
当日は、他にも4名体験修行の方がいて、初対面でしたが、すんなり打ち解けられました。一人で参加を躊躇している人がもしいらしたら、ぜんぜん心配はいらないと思います。お百度参り、声が小さいよりは大きい方が良いと、中学生以来の大声を出してみました。滝行、爽快でした。マイナスイオンすごいですね。
自分を変えたいと参加してみましたが、友達や会社の人の反応がとても楽しみです。でも、周りの反応に左右される生き方はやめようと思ったので、どうでもいいですが、とにかく参加して良かったです。ありがとうございました。
今まで特に大きな壁にぶつかったわけでもなく、のほほんと生きてきました。ありがたいことに身体も健康体です。不満もなく過ごしてはいましたが、檜原村で滝行ができる天光寺を見つけて参加してみました。爽快、刺激的、精神統一ができたと言うのが感想です。来て良かったです。友人を誘おうかと思いましたが、自分が良いと感じたら誘うつもりで単独で申し込みました。無論、次回は友人と来ます。
中学2年生になる息子、反抗期真っ盛りです。したいようにさせておりましたが、最近会話も減ってきました。以前はまだ会話があったので、救いと感じていました。
檜原村、滝行、夫婦で行きたいと思っていました。ダメ元で息子に天光寺に行く提案をしてみました。答えは「YES」。正直、行くことをすんなり受け入れてくれるとは思っていなかったので驚きました。
家族以外にも参加者がいらして、少し緊張気味でした。大きな声で自己紹介をし、お百度参り、滝行と家族3人で体験。思春期で恥ずかしがると思いきや、杞憂でした。むしろ、イキイキしていたように感じます。
息子の意味があってのプチ引きこもり、反抗期。聞いてはいけないと思い聞きませんでしたが、息子の場合は逆で自分に関心をもってもらいたい、話を聞いてほしいと思っていたようです。久しぶりの車内での会話、楽しかったです。
これからも沢山反抗期街道を歩むと思いますが、息子にとっても、私たち夫婦にとっても今後の希望をもてる良い機会となりました。
ホームページを拝見し、数年前に体験した天光寺の体験修行。月日が経過し、自己成長を確認すべく再度体験修行に申し込みました。滝行はやはり爽快です。自分と向き合う時間って必要だなと改めて再確認しました。百歩は進んでいませんが、十歩は進めたように感じます。仏門に触れることは、天光寺の修行に参加するまでは正直ありませんでした。私生活に沢山活かせる教えを大事にまた自己成長の確認を楽しみに参加させていただきます。ありがとうございました。
夫婦喧嘩がたえず、子供も言うことをきかないのでイライラの日々でした。自分の精神を落ち着かせて、写経に打ち込む体験修行を申し込みました。手を合わせて般若心経を唱えます。ゆっくりと筆を動かしながら一文字一文字無心の境地で進めていきました。周りで早い方がいらして、少し焦りそうになりましたが、自分は自分と言い聞かせられました。お恥ずかしい話、主人のことも、子供のことも、どこかよそのお宅と比べていた自分にハッとしました。特に天光寺さんから言葉をいただいた訳ではありませんが、勝手な解釈かもしれませんが、日々の生活の歯車が狂っているのは、私自身の行いにも原因があったのではないかと反省しました。家族に出会えたこと、喧嘩できるくらい元気なこと、おいしい空気、お水をいただけること、ぜいたくなくらい恵まれていると気が付きました。体験修行で写経を選びましたが、次回は、主人と子供と滝行をしてみたいです。この度はありがとうございました。
雑誌でこちらの滝行が紹介されていたのを見て、プライベートで色々あり鬱々としていた気分を新年度までにどうにか発散したかったので、思い切って申し込んでみました。
一人で行く勇気はなかったので会社の同僚と供に挑戦しました。
2月の檜原村は都心に比べてとっても寒くチラホラと雪が残っている中での滝行はとても辛く、水温も凍てつくようで痛かったです。終わった後は震えが止まらなかったです…(笑)
しかし頭の中も体もスッキリしており、大げさですが自分が生まれ変わったような気持ちになりました。
また東京とは思えない自然豊かな環境に身を置くことでリフレッシュでき、自分の悩みは長い人生の中でほんのちっぽけな事なのではないか?と考える事が出来ました。
自分の凝り固まった固定観念をほぐすいいきっかけになりました。
半日体験修行をさせていただきました。
本当は滝行に挑戦したかったのですが、持病の為ドクターストップがかかってしまったので、こちらを申し込みました。
半日修行では、 写経+瞑想、 密教座禅、 密教ヒーリング、 護摩焚きの中から一つ選べるとのことで、私は瞑想を選びました。
写経は長い時間集中して同じことに取り組むということが無かったので、中々落ち着かなく、雑念ばかり考えていました。私の頭の中はこんなに雑念ばかりなんだなぁ…と自分で呆れてしまいました。
いつか雑念を取り払い写経出来るようになるまで、これからも続けてみようと思いました。
瞑想では自分の中の意識に気がつくことができるようになりました。
写経と同じく何も考えずにっていうのはやはり難しかったですが、
瞑想の最中に雑念が浮かんだ時に、「あ、今余計な事考えてる。」と気付き
再度自分の呼吸に意識を集中させることができました。
今回写経と瞑想の半日修行を体験して「今、目の前にある何かに集中する」
ということに気付くことが出来ました。
写経も瞑想も自宅で出来るのでこれを機に続け集中力アップを目指したいと思います。
本日は有難うございました。
平成のうちに結婚するぞ!と意気込み20代後半は婚活に精を出していましたが、いいところまでいくも中々成婚には結びつかず平成も終わり令和に入ると共に三十代に突入し、一度婚活を中止しこれまでの自分と向き合い振り返る為に写経をしてみようと思い、色々探し天光寺さんのHPを見つけ、応募してみました。
当日は電車とバスを乗り継ぎ緑が沢山ある綺麗な場所に天光寺さんがありました。必要なものは全て天光寺さんで用意してくれているので身軽に行くことが出来ました。
まずは道場内を綺麗に掃除をし、お線香、灯明を灯し、手を洗い、口をすすぎ、着衣を整えます。
写経の為に使う墨も自分で磨るのですが、墨を磨っていると自然と心が落ち着いていきました。学生時代の習字では自分で墨を磨ることなんて無かったので、新鮮な気持ちでした。
手を合わせ「般若心経」を唱えてからいよいよ写経の始まりです。
最初は使い慣れていない筆や墨の量が思うように調節できず字が太くなったりかすれたりしてしまいました。
また、正座を同じ姿勢を長時間続けるのは最初はきついと感じましたが、お経を一文字、一文字丁寧に書いているうちに無の境地に達し、落ち着いた心で自分と向き合う事が出来ました。
鉛筆と違い筆と墨で書くものは間違えても消すことが出来ず、まるで人生のようだなぁと書きながら考えていました。
写経をしているとすごく冷静になれ、今まで違った視点で物事を考えることが出来るので、悩んでいる事の解決策が見つかる気がしました。
一泊二日の修行をさせていただきありがとうございました。滝行にて自らの心の汚れを流したいというのが主な目的ではありましたが、宿坊をさせていただいたことにより思わぬところで沢山の学びがあり、大変有り難い時間をすごさせて頂きました。体験させて頂いた一つ一つの事を振り返ってみたいと思います。
まずは滝行に行く前の真言のとなえ方やさまざまな作法。全く知らないことばかりでしたが一からゆっくりお教えいただいたおかげで教本を見ながらですが口にすることができるようになりました。そしてそのご真言などを用いたお百度参りや滝行。心と体は一つなのだと実感いたしました。素足で外を歩き大地の感触を感じるというのは何年ぶりだったでしょう。ぬくぬくとした生活をしているせいか体のセンサーが弱くなり、弱くなっているなと感じました。やはり人間の体は使わないと段々おとろえていくと感じました。また、逆に普段何気なく使用している服やクツなどの有り難さを知りました。滝行でも感じましたが心のもち方で身体がある程度コントロールできるのだと思いました。これは病や普段の気の持ち方の参考になりました。更に、もし一人であの滝行をやりなさいと言われたら・・・?今回は多くの参加者の方、お導き下さったお寺の方がおられたので完了することができました。冷たい水の中での皆の声がどれほど力になったことか。仕事においても、自分一人の力で行うことは限りがありますが、皆のサポートや皆の力でなしとげる方がより大きなことが出来るのだ・・・と思いました。自分は、一人の方が早い、他の人にまかせるなら自分がやった方が早いと思いがちですが気を付けたいと思います。また、山の神様、滝の神様に今回の滝行を見守っていただき、出来たことも大きなことでした。目には見えませんが、お守りいただいていることを感じることができました。
今回は年末年始の護摩焚きにも参加させていただきました。正直な所、日中の疲労が体に出ており、一分でも早く寝たかったのですが、その待ち時間で、本当はいつも時間はあるのに、スマホやパソコンなどで無駄な時間をすごしてしまっているのではないかと思いました。
今回修行中は電子機器はあずけさせて頂いていたことがこの気付きにつながっています。いつも無意識に電子機器を手にとってしまうため、今後は手にする前に「今本当に必要なのか」を一瞬でも考えてから手にとりたいと思いました。そして、この待ち時間も、実はお寺の方々は忙しく動いておられました。何か出来ること、お手伝いをさせていただきたいとお声がけすれば良かったと後悔しています。自分が「お客さん」になってしまっていました。このような所が普段の生活でも出ていると気付きました。自分が良いと思ったらまず動いてみればよいのにそれをしない、他人がどう思うか?とか断られたら嫌だな・・・と思ってしまう。もったいないことを今回はしたと思いました。
大人になると本当のことを言ってくれる人がとても少なくなり、段々と自分が傲慢になってしまうような気がします。しかしお寺では、良いことは良い、悪いことは悪い、としっかり口に出し相手を軌道修正して下さっていました。とても有り難い場であると思いました。
お写経、お写仏は心の平安を取りもどす時間をいただけたと同時に、自分のクセのようなものを発見しました。「めんどうくさい」と思うと、適当になってしまう・・・ということです。集中力がないためあちこちに目移りしてしまうので直したい部分です。しかし今回気が付いたのは「めんどうくさい」と思ったら一度休憩を入れて気分をリフレッシュすれば良いのだ、長距離も一歩一歩なのだと思いました。更には、一日一日を一瞬一瞬を大切にすごして行こうと思いました。時々顔を出してお話をいただいた住職様のお話からも多くの学びをいただきました。一泊二日という大変短い期間ではありましたが本当にありがとうございました。ここ数年は仕事に夢中で心も体もガチガチになっていると感じ、大きな仕事がひと段落したタイミングで、何か心身共にリフレッシュできることをしようと思い天光寺さんのヨガと体験修行が目にとまり、参加することを決めました。
仕事人間だった私は自分のケアに今まで無頓着で、ヨガレッスンが始まり随分呼吸が浅くなっていたことに気付きました。こんなにゆっくり呼吸をし、自分を見つめる時間を持つのは一体いつぶりだろう…と考えながら、これまで酷使してきた自分自身をもっと労わらないといけないな、と思いました。体をのばす痛みも心地よく、非常にリラックス効果が得られました。
午後は滝行に向かいました。曇りの天気と相まって水温が非常に冷たく、入水の瞬間は「ヒッ」と息をのむほどでした。想像していなかった水量から怖気づきすぐ出ようと考えましたが、心を落ち着かせ耐える事ができました。
終わった時は心も頭もスッキリし、体が軽くなった気がしました。
また時間があいた際にはリフレッシュも兼ねてこちらにお邪魔したいと思います。本日は有難うございました。
私は良く言えば共感能力が高く、悪く言えば周りの影響を受けやすいところがあります。
周りの環境が良いものばかりなら問題が無いのですが、人付き合いをしていく上で中々そう上手くいくことも無く、人のネガティブの言動に引っ張られる所があります。
今の職場は決して良い環境とは言えず、人の悪口・噂話が飛び交っています。
私は何も知らないのに人から聞いた話で偏見を持ってしまったり、人の悪口を聞く度になんだか自分がゴミ箱になったような気持ちになったり、何かが擦り減っていく気がし、そんな自分を変えたく今回天光寺さんにご相談させていただきました。
修業の中でお百度参り、写経、滝行などを行いましたが、それらはきっと他の体験談も沢山あるでしょうから省かせていただきます。
何よりも私は先生の法話にとても心打たれました。
自分自身を変えるには、自分を愛し「自分を知る」こと、困難に負けない精神力、意識改革、善と悪の分別する心、積極的に生きること。お話のどれもが人間力を上げるためには必要なものでした。
こちらでの修行を経験したことで、「私は私」と心を強く持てるようになりました。
いや、正確にはまだなってないのですが、そう思えることが私にとっては大きな成長なのです。
この気付きを大切にし、もう少し今の職場で頑張ってみようと思います!
今回初めて、仏教について初めて深く学ぶ機会となりました。これまでは、仏教を信じてる人たちが行っている事の意味を知りませんでした。でも、様々な修行などを通してどんなことを大切にされているのか、少しですが理解する事が出来たように感じます。
例えば、お百度参りは、何も知らない人から見れば、ただランニングして、お願いをしているように見えます。しかし、「何度も何度もお願いをする事が大切」という考え方があり行っている事を知るととても意味のある行為になります。行為はとても大切ですが、行為はあくまでも象徴であり、大切なことを忘れないためのものなのではないかと思います。
他にも修行前後に行うあいさつや食事のあいさつは、言葉を言う事が大切というよりも、安全であることや食べられる事など当たり前に思えてしまうことがとても恵まれていることであったり、いつも見守られている感謝を忘れない為の行為の様に私には思えました。
多くの事を学んだ二日間でありましたが、同時に楽しい時間でもありました。特に、神様が作られた本当に美しい自然の中で滝に打たれたり、冷たい水に触れたり、緑の木々を見たりするのは、本当に心地よいものでした。また様々な方と何気ない話から人生のちょっと深い話まで色々な事を聞くことも楽しみであり幸せな時間となりました。やっぱり人と人は温かい食事を頂いたのも私にとってとても幸せな時間となりました。やっぱり人と人は温かいですね。
ある日テレビで天光寺さんを見て、滝行面白そうだなー。と思いずっとやってみたかったんすが、中々仕事が休めず忘れかけてた頃に今回長期休暇が取れたので小旅行がてら東京まで足を運び、滝行の予約をとりました。
天光寺は東京にもこんなところがあったんだと思うほど山々に囲まれた緑あふれる場所にありました。田舎のおばあちゃんの家を思い出しました。
前日に雨が降ったのもあって滝は水量が増えてて最初は入るのにとまどいました。
入ると見た目通りの勢いと轟音で潰されそうな感覚になりましたが、必死で真言を唱えました。
唱え続けてると終了の声をかけられて時間の経つ早さに驚きました。
終わると仕事のストレスが軽くなったみたいに清々しい気分になりました。
滝の周りはマイナスイオンをたっぷり感じられるし、心身共にリフレッシュになりました。
遠くて中々来れないのが残念ですが、機会があればまた挑戦したいと思います。
有難うございました
約三日間本当にお世話になりました。ありがとうございました。この三日間様々な経験をさせて頂きましたが、滝行が得に心に残っています。滝行ではトップバッターに立候補できたのが自分の中での大きな第一歩でした。私はすぐに周りに流されたり、回りに合わせてしまうような傾向があります。そんな中で滝行を最初にやるという事はかなりの不安でした。ですがこのお寺での生活で「一歩踏みだす勇気」を頂けたのでトップバッターで滝行が出来ました。実際近くで滝を目の当たりにした時は緊張と不安でいっぱいでしたがいざ入ってみると予想以上に楽しかったです。声を出すことで日々の色々なストレスが発散され悪い事が放出されたような気持になりました。勇気を持って行動することで得られるものがあるという事を学びました。今までなら絶対避けていたことを果敢にチャレンジする価値があると今なら挑戦できるかもしれません。
この経験以外にもたくさんのことを経験させていただきましたがその全てに共通するのが「積極性」なのだなと考えました。講話なども話して頂きましたが「積極的に行動することで運も回って来る」という言葉が凄く自分の中に響きました。私の母は何事にも消極的な人です。思考も後ろ向きでいつもなにかあると「私のせいだ」と言うようになりました。いつの間にか母はうつ病を抱えていました。今はもう完治しているのですが母が病気だったころは家の雰囲気もどんよりとしてしまっていて私の心もあまり元気ではなくなってしまっていました。それからというもの、テスト。友人関係、習い事など私の身の周りの全ての調子が狂っていしまいました。今思えばこれは悪い気が溜まっていたのだというふうに捉えられますが当時はなぜ急にうまくいかなくなってしまったのかと更に消極的になってしまいました。この経験があったからこそ積極性の大切さが分かりましたし逆に言えば自分の積極性で誰かをいい方向に持って行くことだってできると感じました。積極性は誰もがやらないことを最初にやる、つまり一歩踏み出す力が重要であると考えます。そのためにも滝行のトップバッターや思った事をすぐに質問したり、そのような足掛かりをこの三日間で少しでも作ることが出来ました。
この三日間自分を見つめ直しチームで励まし合い、得られたものがたくさんありました。それは指導、サポートして下さった皆様のお陰です。本当にありがとうございました。普段絶対に出来ないような貴重な体験を決して無駄にはせず社会人に、そして今後の人生に活かします。この三日間本当に有難うございました。
以前から修行に興味がありました、興味があるといってもどのようなことをするのかが修行なのかというのはわからず漠然と、制限のある生活といったイメージを持っているだけでしたが・・・。その一環として滝行も併せて経験しようと思い今回、一泊二日で参加することにしました。
お寺に入るとすぐにお線香のにおいがしました。これは結構好きです。それから、一緒に一泊する人たちとの対面。気さくな人たちでしたので、ご飯や入浴等の時間も楽しめました(笑)
滝行は想像より辛くなく、安心しました。大きい声が出せないのは残念でしたが、冷たさと滝にうたれるのに我慢するのは意外といけました。でもやっぱり一人では無理だったかも。まわりの人の応援が励みになります。
お経を読むのもやりました。一時間も二時間も読み続けるなんてびっくりです。時計もないので、今どれくらい経っているのかわからず、唱え続けるしかなかったです。
二日間、淡々とやることをこなしていく感じでした。
ケータイもなく、食べたいものも食べられず確実につらさはありましたが、でも、これもいいなと思いました。今後はもっと長めにやってみたいです。
ありがとうございました。
今回は滝行を経験したく応募しました。宿泊するプランもあり、せっかくなら色々な修行を体験したいと、1泊応募することにしました。
滝行に向かうときは、様々なエピソードを聞き、少し緊張していました。滝のところについた時には、山をのぼったのと、少し緊張と、かけ声を出していたので滝に入る直前は少し息が苦しかったと思います。少しびびっていたのもあり、あまり奥まで入れませんでしたが、みんなの声とお坊さんの声が聞こえたので頑張れました。最初の数秒は息ができないと思いましたが、だんだん慣れてきて冷たさもすぐになくなりました。本格的な滝で滝行ができ良い経験ができました。
お寺での修行や、お食事前のあいさつなど、普段はあまり意識できていなかった事を改めて強く印象づけできたと思います。同じ体勢でずっと般若心経をとなえたり、発声をしたり、習字の筆で文字をずっと書いていくのは正直辛く、すぐに体勢をくずしてしまったりしたので、忍耐力が全然ないんだと気づくことができました。
お坊さんはお食事の時も様々な話をしてくださり、1泊2日楽しく過ごすことができました。
まだファイルの中の紙を全て読めていないので、家でゆっくり読みたいと思います。
ありがとうございました。
滝行に興味があり、学生最後の夏休み悔いのないように挑戦しようということで、女一人で一泊二日申し込みました。不安もありましたが、他の参加者の方たちとも仲よくなることができ、とても充実した二日間になりました。滝行は、気温や季節も丁度よかったため、私が想像していたよりも苦ではありませんでした。ただ、滝に入った瞬間のゾッとする冷たさと、滝のすさまじい水圧に圧倒され、最初の5秒間くらいは息ができませんでした。しかし、しばらく滝に当たっていると、温度にも水圧にも慣れていき、心地よくなっていきました。
滝行は、入る前の気合いが大切だと思います。滝に入ってしまえば、お坊さんや周りの参加者の方たちが、かけ声をかけて下さるので、大丈夫です。滝行に挑戦するか迷っている方がいれば、ぜひ参加してほしいです。根性がつきます。私も今度は真冬に挑戦したいです。
滝行以外にも写経や写仏、瞑想など様々なことを体験することができました。ご飯も健康的でとても美味しかったです。とても勉強になりました。二日間ありがとうございました。
とても充実した時間が過ごせました。ありがとうございます。滝行は以前から興味があり、体験ができてよかったです。お寺の方がよく面倒を見てくれて助かりました。住職さんにアドバイスを頂けてとても勉強になりました。
自然の中で日常からはなれて心身ともにとてもリフレッシュできました。
修行仲間もとても良い方々で出会ってお話ができてとてもよい刺激となりました。人生が活性化すると思います。修行仲間の一人は昨日は親に無理矢理つれてこられた感じでしたが、一日で態度が良い方向にかわりおどろきました。次回は息子に修業させたいです。
先生のお話はとても興味深く勉強になりました。先生の食事はとても美味で料理教室をひらいてほしいです。
声出しをした後はとても気分がよくなりました。家でも実行したいと思います。滝行は苦しかったですがとてもすばらしい体験ができました。
最後に皆様、色々とありがとうございました。
。
近日、目標が特になくやる気がなくなって、どんどんマイナス思考になっていました。何か自分にとって刺激が欲しく、たまたま天光寺の修行体験のHPを見つけました。即座にこのプログラムに参加し、精神を鍛えようと決意しました。
一泊二日の貴重な体験の中、最も印象に残ったのが滝行でした。人生初の滝行でしたが、冷たい水を水圧に負けなかったことで自分の殻を破ってやったと思えました。だからこそ、今後人生でつまずいた時は、この日のことを思い出したいと思います。私はできるんだ!と自信を持てたし、「何も不安など無い」「心配などいらない」「決意したことは揺らぐことない」と、身を持って確かにしたのは私だから。直後邪気が飛んでいくかのようにすっきりしました。「積極的な言葉を使おう」と試みてはいても、なかなかうまくは続かないのも悩みの種でした。それはきっと不安や迷いから来る揺らぎが影響していたのだと思います。
前述のとおり、私はもう自信を持てているのだから、クリアになりました。これからは何があっても積極的に明るく生きていけます。多分それにも日常において訓練が必要になるので、本日学んだ瞑想を習慣化します。二日目の朝の瞑想、正座で唱える13仏真言、普段味わうことの無い貴重な体験をさせて頂きました。このように修行をしていらっしゃるのだと考えると、並みならぬ体力、精神力をお持ちなのだろうと身を持って考える事が出来ました。日常生活で楽を選んできている私が恥ずかしくなり、日常を改める機会とさせていただき、本当にありがとうございました。
一泊二日間、お寺で修行させていただき、仏様についての知識も深まりました。
元々漫画などを通じて興味は持っていましたが、それぞれに真言があることや、まさか自分がお経を唱える側になるとは夢にも思っていませんでした。
お食事も健康的で美味しく、最近不健康気味だった食事内容を改める機会となり、心も体も浄された気分です。
健康は食事から、本当にその通りだと思いますし、また明日から普段の生活に戻っても、この修行での経験を忘れる事はないと思います。これはもう仏様に誓います。
最後になりますが、このプログラムで共に励まし合いながら過ごしてくださった住職のみなさま、ありがとうございました。今後人生に迷った時もそうでもない時も決して自分を甘やかすことなく美しく生きていく事を決意出来ました。貴重な体験させていただき、心より感謝いたします。
一泊二日という限られた短い期間ではありましたが、優しさをもって接して頂き、また多くのことを教えて頂き本当にありがとうございました。また普段おろそかにしてしまいがちな礼儀、作法の重要さを再確認できました。
今回、修行に参加させて頂いた理由は、自分自身が家庭、職場などの人間関係に悩みを持っていたからです。自分は怒りによって自分の感情をコントロールできなくなってしまったり、そうならなかったとしても、怒りによって他人のことを悪く思ってしまいます。そんな自分に対して自己嫌悪してしまい負のスパイラルに入りこんでしまっていると感じました。なんとか嫌なこと、自分にとって理不尽だと思うことも素直に受け入れられるようになりたい、怒りの感情が先に出てくるような人になりたいと思っていた所に、友人から今回の修行の誘いを受け、自分の悩みの答え、ヒントでも見つければいいなと思い参加させて頂きました。今回参加させて頂き、正直これが答え、これでもう大丈夫というものは見つかりませんでしたが、たくさんのヒントを得ることができました。まだ自分の中で消化、飲みこみきれていないものも多く、今の段階で心に残っているものをいくつか書かせて頂きます。
まず、今回の経験で自分に一番必要なものは「積極性」だと思いました。自分の中で問題点はわかっているが、解決法がわからず、解決法がわからないのであれば自分にはどうしようもないと悪い開き直りをしてしまっていたと思います。今回の修行体験も友人の誘いですが、今後は受動的にいるのではなく、能動的に動くよう変わらないといけないと思っています。
問題点がわかっているが解決できないなら、その問題から逃げずに、乗り越えられるまで努力を続けることが大事だと思い、今後行動に移す勇気をもらえました。長時間の読経や滝行も辛いと感じる瞬間はありました。しかしそこで諦めずに自分なりではあるけれども歯をくいしばって耐え続けることで達成感がありました。今後も辛くて嫌だと思う事があると思いますが、やり切ることで得られるものが絶対にあるとわかったことで勇気をもらえました。
どうしてもここに書いておきたいことがもう一点あります。
それはお坊さんがして下さった「成仏」の話です。仏を敬うことは誰しもがすることだけれども、人間もどんな人でも敬うべきなんだというお話です。
死を迎えると人間は成仏する、つまり仏に成る、だから現世の生きている人間は必ず仏になる存在なのだから敬うべきだと言われ、感動しました。正直、自分の中でどうしても敬うことができない人や嫌いな人がいます。今まではその人たちと接していると負の感情を抱いてしまいそんな自分に自己嫌悪してしまっていましたが、今後過ごしていく上で素晴らしいヒントになりました。
教えて頂いたことに対して感想文の内容がともなっていなければ申し訳ありませんでした。それでも今回のことは自分にとってとても重要なことでした。
短い間ではありましたが、本当にありがとうございました。
この二日間を一言で表すと「内省」であったように思う。余計なこと情報や雑音が一切ない中で苦しい修行を通して自らを見つめ、願うというこれまでにない貴重な経験は、私にたくさんの新たな気づきをもたらしてくれました。
そもそもの修行の目的は大きく2点あった。一点目は、前職で受けたパワーハラスメントのトラウマから逃れ、負の感情から解放されること。二点目は、周囲の人々へのいら立ちや疑心を抑え、受け入れる心を手に入れる事。
数々の修行を通して、目的は概ね達成されたように思う。魂は転生を繰り返し、ようやく人間になってまだ日が浅いかもしれない。私にハラスメントを行っていた人も例外ではない。だとすると、その存在にとらわれ、憎しみに縛られて自分らしい生き方が出来ないのは何と勿体ないことだろうか。それならば私は徳を積み、より価値のある人生を送ってやろうじゃないか。負けてたまるか。
自分のこだわりをもちすぎていないか。それを他人に押し付けていないだろうか。何も聞こえない、意固地になっていないだろうか。私にはどうにも耳の痛い話であった。社会人として、人として年を重ねるにつれ明らかにこだわりが強くなり、「こうすれば効率がいいのになぜしないんだろう」「なんて無駄なことが多いんだろう」と感じる事が非常に多くなった。しかしそれも自らのやり方、考え方に固執した結果であり、万人が同じ思考回路ではない。そして何より、すべて大したことではない。いらだち、疑心を感じたときに一歩立ち止まり、自らの感情を分析する習慣を身に着けよう。これらは全て修行を通した「内省」の結果得られた解である。とはいえ、すぐに足がしびれてしまったり、瞑想に集中しきれなかったりと甘く反省すべき点は多い。次は、ぜひより厳しい冬の修業を経験してまた新たな自分に出会いたいと思う。二日間本当に有難うございました。
振り返ってみると、あっという間の一泊二日だった気がする。修行とは何か、どのような事をするのか、よくわからないまま始まった。
合掌や挨拶などから教わり、一つ一つにちゃんと意味があることを学ぶことが出来たと思う。単語だけ知っていた言葉や聞いたことあった言葉についてちゃんと知ることが出来たものあった。だがまだまだよく分からない部分も多く、もっと知ってみたい、学んでみたい、という気持ちが大きくなった。
昨日言った滝行は、自分の中で悔しさが残る。滝の水、勢いに思わずやられ、滝から少し離れた位置での修行になってしまった。次回、リベンジを果たしたい。そして、これはあくまで五感が感じているだけである。という認識、考えをしることが出来た。これは私にとっては大きな発見だ。肉体が感じているだけであり、魂とは別のものだ。肉体からの情報はもちろん大切だが、それに左右されないようにすること、あくまで肉体が感じてるだけだ、という認識を持つことで忍耐力や強さ、精神力を高め、大きく発揮できる可能性があることを学ぶことができた。自分の気持ち、感情について再確認し、その感情をもたらすこだわりは何か原因はなにか、という思考の過程を踏むことは、現在の自分が行う思考の方法と似ている部分もあると思った。自分の中でこういう考え、価値観があるから、このような感情になっているんだといったものだ。
今回、色々な事を体験させていただき、非常に良い経験ができた。この学び、経験をこれからの生活、思考に反映してみるなど活かして行きたい。ありがとうございます。
一泊二日、体験修行をさせていただいた中で、印象に残った修行は三つありました。
一つ目は、滝行です。気温が高く、前日雨が降ったわけでもなく水量が多いわけではなかったため、それ程過酷ではないのかもしれないと思っていました。しかし、実際に滝行をしてみると、水温は低く、頭に降りかかる水の力強さが予想を遥かに超えており、その中で大きな声で念仏を唱えようとすると意識が飛びそうになりました。
このような厳しい滝行を通して感じたことは、滝行は邪念を取り払うことのできる修行なのだということです。私は滝行をするまでの間、常に過去の辛い記憶に囚われ悩み、苦しい時間を過ごしていました。しかし滝行を終えた直後から、気持ちが軽くなり、嫌なことを考える時間が少なくなりました。一つのことに集中し、やり遂げようとする精神を持つことで、前に進む上で障害物となる邪念を取り払うことができるのだなと学びました。
二つ目は、発声練習です。私は普段集中力が足りず、中々物事に持続して取りかかることが苦手でした。発声練習は四十分という長い時間の間、声を出し続けなければならないため、最後までやりきれるのか不安でした。しかし、声を出し続けていると、全身のエネルギーを使ってお腹から声を発するという感覚を徐々に覚え始め、集中して取り組むことができました。気づいたときには全身汗をかいていたため、これだけ全身のエネルギーを使うことができていたのだと、自分でも大変驚きました。
三つ目は、瞑想です。この体験は、自分の弱点を改めて知らされる印象的な体験でした。初めは集中しようと、自分の呼吸の音に耳を傾け、吸う息吐く息が同じ長さになるよう、意識をしていました。しかし、時間が経つにつれ、足の痺れや肩の凝りに意識が傾くようになり、次第に集中力が切れてきました。また、気がつくと歯をくいしばったり背中に力が入っており、力を抜いて取り組むことが出来ていませんでした。このように「無」の境地に中々たどり着くことが出来ず、徐々に邪念が入るようになり、考え事をし始めてしまっておりました。
この体験を通して、心を「無」にすることは大変難しく、思う通りに取り組めなかったのが一番心残りでした。講師の方は、邪念があると霊に憑りつかれやすいとおっしゃっていたので、私は危険な状態であることに気づかされました。一泊二日という短い期間ではありましたが、私は様々な体験を通して多くのことを学ぶことができました。日常生活の中では中々体験することのできない貴重な時間を過ごせました。今回学んだことを活かして、前に進み続けるエネルギーを蓄えていきたいと思います。ありがとうございました。
二日間という短い間でしたが、日常生活では経験できないことばかりで、大変濃く、貴重な時間を過ごさせていただきました。
今まで自分にとことん甘く、自己中心的であり、忍耐力や自制心、他人を思いやる心など様々なものが欠けており、それらがツケとして今回一気に大きな大きな困難な問題となってしまいました。その上、その問題に立ち向かおうとせずに逃げていました。
そのような自分を変えたいと思い、体験修行に参加しようと決めました。直近の申込みにもかかわらず、快く受け入れてくださり、この二日間で自分を見つめなおし、一つでも多く学びとろうとしました。
二日間で般若心経や十三仏真言を読んだり、腹式呼吸、発声、瞑想、写経、滝行、を体験したりしました。その中でも一番印象に強く残っているのは、やはり滝行です。人生初の滝行で緊張もありましたが、夏にもかかわらず水温がとても冷たく感じ、その寒さでふるえてしまい、声が大きく出せませんでした。それでも何とかやりきり、水の神様、山の神様に感謝した後は、とてもスッキリとした気持ちになりました。気持ちを強く持ち、やりきることの大切さを学びました。
また、一泊したことで掃除や食器の片付け等、自分の身の周りのことをも見つめ直せたり、職員さんから様々なお話を聞かせていただいたりと、本当に貴重な時間となりました。
今回の修行を通じて、教えを受けても、自分自身が変わろうとしなければ、当たり前のことですが、何も変わらないため、教えや学んだことを忘れずに、目の前のことから逃げずに立ち向かっていき、自立できるよう日々努力していきます。
1泊2日で修行をさせて頂きました。目的は積極的に行動することで、より自分自身を高めたいと思い参加させていただきました。
正座は普段は慣れていないのですぐにしびれてしまう上に背中や腰も痛くなりました。
また腹式呼吸での発声は汗をかくほど熱くなります。光明真言や般若心経は発声すればするほど心地よく感じました。
滝行は以前は私は違う場所で1度経験しておりましたが天光寺の滝はとても重たく強く感じました。打たれた後のたとえようのない解放感は最高でした。写経や写仏も集中力が養われました。これもやればやるほどより、自分を高められると思いました。
何と言っても、1番印象に残っているのは先生が自ら作っている食事はとても美味しかったです。
また機会があったら天光寺に来たいと思います。その時はより大きくなった自分になって功を積みたいと思います。次回はお百度参りを108回挑戦したいと思います。
1泊2日と短い期間でしたがとても勉強になりました。本当に有難うございました。
今回体験修行に応募したきっかけは、三十代になる前に今しかできない事、やりたい事をやっておきたいということが一番の理由でした。結果的に、一泊二日の中で、自分の悩み、不安、目標についてじっくりと考えられる、貴重な時間を過ごすことができました。念願の滝行は勿論ですが、発声、挨拶、写経、先生の法話、お経の唱和、瞑想、写仏と、すべての行から気付きを得ることができました。
今年に入り、占いでは「十二年に一度の絶好調期」と言われ、とても期待していたのですが、終わりの見えない仕事がどんどん降ってくる、恋人には「結婚できない」と言われる、妹の離婚、先輩からの八つ当たりと、あまりよくない事ばかりが続き、毎日後悔と不安で頭がいっぱいでした。とにかく一人になると悪い方にばかり考えてしまい、なんとなく自分の口から出てくる言葉も負のオーラをまとったものが多く感じていました。行を体験させて頂いたこの二日間、大自然の中で生活し、仏様と一緒に過ごしたことで、後悔と不安をいつまでも考える事は無駄であり、それならばそれらと向き合って、今を大事に生きていこうと思えるようになりました。過去と未来ではなく、現代のことを一番に考えていきたいです。
いつもの生活に戻ったら、また負のオーラに負けてしまいそうになるかもしれません。その時はまた、修行に来たいです。一つの事に集中して過ごした後のご飯、とても美味しかったです。いつもよりヘルシーメニューなのに、食べ終わると満腹でした。あれなら毎日でも食べられます。食事中の何気ない会話も面白かったです。また色々お聴きしたいです。
貴重な機会をいただきまして有難うございました。人間力を磨いて、絶対幸福になります。
今回一泊二日の修行体験を終了して思う事は、今このような経験ができてとても良かったという事です。
滝行は、テレビで見た事しかなく、また番組内では罰ゲームとして演者が滝に打たれていました。実際に滝行を体験して感じた事はとても神聖な行であることです。滝行を受けるまでに様々な事を学ばせて頂きました。空海様の話、お百度参り、滝までの移動、とても良い経験となりました。
私は今回滝行をメインとして参加させて頂きました。
私は病院に勤めて6年経ちますが、自分の言動、感情の表現の仕方、行動を思い返すともっと改善できる点がたくさんあることに気付かされました。意識的に行ってきたことも、また無意識に行ってきた行動も正直怖いです。「今目の前にいる人はいつか仏となる存在。」と考えるだけで、考え方が大きく変わりますし、結果自分自身が大きく変われる気がします。
職場では積極的に仕事をしてきたと思っていましたが、住職の話を聞いてまだまだ足りないと感じ、今から仕事に対する熱い気持ちが溢れてきそうです。今まで考えたことが無い感覚があり、明日への活力、今を大切に生きる事の大切さが分かった気がします。
食事の挨拶をとっても、ここまで深い言葉であることは知りませんでした。食べる事の喜び、感謝の気持ちを改めて考えられました。
霊障の話はとても驚きました。病院では「鬱病」と診断されている方の中には霊障の方がいる事を知りませんでした。また、世界にそのような症状で苦しんでいる方がどれほどいるのかとても気になります。それだけとてもとても重要な職種であると感じました。
また、スマートフォン等の電子機器の無い生活を経験して、自分が依存していたことも分かりました。話を聞いて、分からない言葉をすぐ検索していたと思いますし、無いからこそ仲間と「どういう感じなんだろうね?」という会話をし、頭の刺激になりました。時間も気にせずスマートフォンを向き合っていた時間を考えるととても悲しく勿体ない事をしてきたと強く思います。
これからは、スマートフォンやPCではなく。人ともっとコミュニケーションをとって大きな人間になりたいと思います。
今回この体験の機会をくれた先輩、天光寺の皆さんに本当に感謝しています。もっともっとこれからの人生前向きに明るく積極的に生きていきたいと思います。本当にありがとうございました。
平成から令和へと時は流れ、10連休をどう過ごすか…
仕事が休みなだけで、いつもとたいして変わらぬ日々を過ごし無駄に時間だけが過ぎてゆくというのが今までの私。
なので、今年は何か一つでもこれをやったという充実感のある休日にしようと思い一泊二日体験修業を行うことにしました。
予報に反し初日の天候は小雨の降る中、お百度参り、滝行など行いましたが、暖かい日よりも少し寒い日に行う事で更に修行となるのではという気持ちでした。とは思いつつ、息も白くなるし、どのくらいの間滝に入っていられるのか、30秒くらいしかもたないのではないかという不安もありました。
でも、誰に言われた訳でなく自分の意志でここまでやって来たのだから出来る限り、やれるだけやるしかない。
普段あまり大きな声を出すこともないのですが、必死の思いで「南無大師遍照金剛」を唱え5分程は滝に入っていられました。一緒に参加した方々の応援がとても有難かったです。本当に一人では5分もいられなかったかもしれません。
かなりの勢いで滝が頭に当たり、血管がぎゅーっと縮むような感覚、あと一回お経を唱えたら手を挙げて辞めよう…と何度も思いました。が、あと一回あと一回と続けるうちに「ラスト」の声がかかり、なんとか一つやりきったと満足しています。
滝から出ても手のしびれ、震えがしばらく止まりませんでした。
私の中の悪いものが少しでも洗い流されたと同時に、何か一つ、どんな小さな事でも成し遂げられたという喜びが自信にも繋がるのだと思いました。
朝や食事、1日の終わりの挨拶も大きな声ではっきりと。当たり前のようでいて、出来ていないことが多いので、これからは「積極的」に取り組んでいきたいと思います。
人として人間力を高める努力が必要だと思いました。普段の生活の中でちょっとした事に気づきさっと行動する気配りだとか、自分の目の前しか見えていなかったり、人に迷惑をかけてしまうことも多々ありますが、意識して今までの習慣や考え方を変えていかなければと思いました。
非日常体験をして色々考えさせられました。楽しいお話、お経のお話も沢山聞けて良かったです。本当にいい経験になりました。
色々お世話して下さった聖覚さん、天光寺の皆様、一緒に体験した皆様、有難うございました。
今回は、一泊修行を体験させて頂き、ありがとうございました。
最初は半日滝修行だけを予定していたのですが、ホームページや動画等を見ているうちに、一泊修行を体験してみたいと思い申し込みました。
申し込んだ理由として、現在うつ病を患い、休職中なのですが、うつ病になる前は好奇心の塊のように何にでも興味があり楽しく過ごせていたのにうつ病を患ってからは仕事も趣味も、とにかくあらゆる事に興味が持てなくなり、一日でも早く以前の自分を取り戻したいという思いからです。
とは言え、修行はとにかく初めてで何も分からないので、この日が来るのがとても不安だったのですが、終わってみたらやはり来て良かったと思いました。
まず、一番心に残ったのはやはり滝行で、梅雨のこの時期は水量が多いのだろうなとは思ってはいたのですが、私が滝行を行った日が最も水量が多いと聞かされ、先生からも「あの水量じゃ死ぬよ」と脅され、ビクビクしながら行きましたが、本当に半端ない水量でした。
しかし、ここまできて滝行をやらずに帰っては来た意味がないと思い、思い切って滝に飛び込みました。
入ってすぐはあまりの水圧で声も出ず、本当に死ぬなと思いましたが、何回か唱えてるうちに声も出るようになり、座ってからは更にたたきつける様な滝に襲われましたが、時間がたつほどに心地よくなってきて、出てからは、もう少し打たれていたかったと、物足りなささえ感じました。
山から降りる時はとても清々しく、機会があれば又滝に打たれたいと思いました。
声出しも、普段大きな声を出すという事がないので、最初は少し恥ずかしかったのですが、腹の底から声を出すという事がとても気持ち良くて、自分の中にある悪い物も吐き出せた気がします。
写経と写仏は、まず墨をする事が本当に久し振りで、何も考えずひたすら墨をすっている時間や、夢中になって経や仏様を書き写している時間が、とても贅沢に感じました。
あとは何と言っても食事は美味しかった事。
野菜だけなのに物足りなさを全然感じず、どれもこれもがとても美味しくて、特にドレッシングが毎回味付けを変えてあって作り方を教えて頂きたい位です。
私は調理の仕事をしているのですが、調理場があまりに本格的なので、それもびっくりしました。話を聞けば、先生が料理の仕事をされていたとの事。やっぱりなー、と妙に納得してしまいました。
今回の修行で学んだ事、人としてどんな生き方をすれば良いのかや、プリントや法話をきいて、色々教えて頂いた事を、早速実践しようと思います。
又、機会がありましたら是非修行したいと思います。その時は又よろしくお願い致します。
色々とお世話になりました。どうもありがとうございました。
もともとあまり滝行には興味なかったが、テレビ番組で参加者がとても良かったと発言しているのを見て「なんだかつらいだけの苦行かと思っていたけど、そうじゃないのかな」とイメージが変わり、一度体験してみたいと思うようになった。番組を見たのは冬だったが冬にやるのは心臓に良くなさそうだと思い、先ずは夏にチャレンジすることを決めた。ネットで検索したところ何か所も施設が出てきた。何となく天光寺に惹かれるものがありどうせなら宿泊して都会から離れた自然やお寺の気分を味わおうとここに決めた。日帰りよりもさらに色々と体験できると思ったのも一因である。
いざ滝行を体験してみるとこんなに山を登らないといけないのかというか滝場に行くまでの道の傾斜が急なことに驚いた。道も岩を乗り越えなくてはいけない箇所も幾つかありこういう舗装されていない場所を通ることも日常生活ではそうないだろう。正直滝行よりも私にとってはこの山道を登り降りする方が修行になった気がする。滝行は最初は軽く考えていた。皆が入滝している様を見るにつれだんだん不安になってきたがいざ入滝してみると思ったより辛くない事に驚いた。普段から水風呂に入る習慣が合った為か水の冷たさには慣れていたようだ。滝に入っている最中に急に視界がはっきりしてくるときがあった。応援の声もこんなに近くなのに滝の爆音の中ではほとんど聞こえなくなってしまう事も知った。
さらにいままで不動明王だとか薬師如来だとかそういう名前は聞いたことがあったがどういう違いがあるのかよくわからなかった。それぞれつかさどる分野が違い、13体ごとに真言があることも驚きだった。
今回の宿泊で仏像に関する知識と人生初の滝行経験を得られた。次回は冬にチャレンジしてみたい。
平成から令和へと時は流れ、10連休をどう過ごすか…
仕事が休みなだけで、いつもとたいして変わらぬ日々を過ごし無駄に時間だけが過ぎてゆくというのが今までの私。
なので、今年は何か一つでもこれをやったという充実感のある休日にしようと思い一泊二日体験修業を行うことにしました。
予報に反し初日の天候は小雨の降る中、お百度参り、滝行など行いましたが、暖かい日よりも少し寒い日に行う事で更に修行となるのではという気持ちでした。とは思いつつ、息も白くなるし、どのくらいの間滝に入っていられるのか、30秒くらいしかもたないのではないかという不安もありました。
でも、誰に言われた訳でなく自分の意志でここまでやって来たのだから出来る限り、やれるだけやるしかない。
普段あまり大きな声を出すこともないのですが、必死の思いで「南無大師遍照金剛」を唱え5分程は滝に入っていられました。一緒に参加した方々の応援がとても有難かったです。本当に一人では5分もいられなかったかもしれません。
かなりの勢いで滝が頭に当たり、血管がぎゅーっと縮むような感覚、あと一回お経を唱えたら手を挙げて辞めよう…と何度も思いました。が、あと一回あと一回と続けるうちに「ラスト」の声がかかり、なんとか一つやりきったと満足しています。
滝から出ても手のしびれ、震えがしばらく止まりませんでした。
私の中の悪いものが少しでも洗い流されたと同時に、何か一つ、どんな小さな事でも成し遂げられたという喜びが自信にも繋がるのだと思いました。
朝や食事、1日の終わりの挨拶も大きな声ではっきりと。当たり前のようでいて、出来ていないことが多いので、これからは「積極的」に取り組んでいきたいと思います。
人として人間力を高める努力が必要だと思いました。普段の生活の中でちょっとした事に気づきさっと行動する気配りだとか、自分の目の前しか見えていなかったり、人に迷惑をかけてしまうことも多々ありますが、意識して今までの習慣や考え方を変えていかなければと思いました。
非日常体験をして色々考えさせられました。楽しいお話、お経のお話も沢山聞けて良かったです。本当にいい経験になりました。
色々お世話して下さった聖覚さん、天光寺の皆様、一緒に体験した皆様、有難うございました。
一泊二日という限られた短い期間ではありましたが、優しさをもって接して頂き、また多くのことを教えて頂き本当にありがとうございました。また普段おろそかにしてしまいがちな礼儀、作法の重要さを再確認できました。
今回、修行に参加させて頂いた理由は、自分自身が家庭、職場などの人間関係に悩みを持っていたからです。自分は怒りによって自分の感情をコントロールできなくなってしまったり、そうならなかったとしても、怒りによって他人のことを悪く思ってしまいます。そんな自分に対して自己嫌悪してしまい負のスパイラルに入りこんでしまっていると感じました。なんとか嫌なこと、自分にとって理不尽だと思うことも素直に受け入れられるようになりたい、怒りの感情が先に出てくるような人になりたいと思っていた所に、友人から今回の修行の誘いを受け、自分の悩みの答え、ヒントでも見つければいいなと思い参加させて頂きました。今回参加させて頂き、正直これが答え、これでもう大丈夫というものは見つかりませんでしたが、たくさんのヒントを得ることができました。まだ自分の中で消化、飲みこみきれていないものも多く、今の段階で心に残っているものをいくつか書かせて頂きます。
まず、今回の経験で自分に一番必要なものは「積極性」だと思いました。自分の中で問題点はわかっているが、解決法がわからず、解決法がわからないのであれば自分にはどうしようもないと悪い開き直りをしてしまっていたと思います。今回の修行体験も友人の誘いですが、今後は受動的にいるのではなく、能動的に動くよう変わらないといけないと思っています。
問題点がわかっているが解決できないなら、その問題から逃げずに、乗り越えられるまで努力を続けることが大事だと思い、今後行動に移す勇気をもらえました。長時間の読経や滝行も辛いと感じる瞬間はありました。しかしそこで諦めずに自分なりではあるけれども歯をくいしばって耐え続けることで達成感がありました。今後も辛くて嫌だと思う事があると思いますが、やり切ることで得られるものが絶対にあるとわかったことで勇気をもらえました。
どうしてもここに書いておきたいことがもう一点あります。
それはお坊さんがして下さった「成仏」の話です。仏を敬うことは誰しもがすることだけれども、人間もどんな人でも敬うべきなんだというお話です。
死を迎えると人間は成仏する、つまり仏に成る、だから現世の生きている人間は必ず仏になる存在なのだから敬うべきだと言われ、感動しました。正直、自分の中でどうしても敬うことができない人や嫌いな人がいます。今まではその人たちと接していると負の感情を抱いてしまいそんな自分に自己嫌悪してしまっていましたが、今後過ごしていく上で素晴らしいヒントになりました。
教えて頂いたことに対して感想文の内容がともなっていなければ申し訳ありませんでした。それでも今回のことは自分にとってとても重要なことでした。
短い間ではありましたが、本当にありがとうございました。
息子は中学校にいけなくなりました。
朝も起きられなくなりました。
息子は学校に行っても何にも面白くなく、勉強もわからないし、友達もいないのです。
特にいじめとか、そういうことではないのですが、特に仲の良い友達はいません。
このままでは、社会に出れなくなる不安でいっぱいでした。
ご近所の目も気にする日々で、なんとか息子に当たり前の生活ができるようになるように、
そして何でもいい小さな事でいいので、自分なりの目標に向かって努力できるようになって欲しい、、、、と願うばかりでした。
天光寺様に修行を申込み、私達も、息子自身も最後のチャンスとばかりにお邪魔させて頂きました。
息子は、はじめはなれなかったようですが、だんだんに挨拶も大きな声で出来るようになってきた様子で、ときどき天光寺様から送ってきてくださる息子の感想文を読むとそのような事が書かれており、私達はとても嬉しく涙が出る思いでした。
ひと月ぶりに会った息子は、寝てばかりいた時とちがって、心なしかたくましくなり、きちんとした正坐でおりました。
私達も、息子に甘く、親として毅然とした態度、失敗をおそれてチャレンジすることを諦めていたところがありました。
このたびは、高尾住職様、天光寺のお世話になりました皆様、本当に本当にありがとうございました。
久しぶりに大切なものを思い出させて頂いた2日間となりました。私が感じた大切なものは、以下6点です。
- 人に感謝を伝える
- 礼に始まり礼に終わる
- 鍛錬する事、あきらめないことの大切さ
- 手をかけて作られたお料理はとてもおいしい
- 一つ一つの動作に手間をかける
- 鉛筆は文字を消すことが出来る。パソコンなどの電子文字で伝えられないことが伝わる
私には息子がおります。2歳9ヶ月です。子を妊娠してから今日まで、4年1ヶ月自分自身を顧みる余裕もなく、バタバタと毎日を過ごしていました。ちょうど1年前の1月に2回目の起業をし、お店をオープンさせてから4月14日で1年になりますが本当毎日バタバタしていたと思います。日々の雑踏の中で家族や友人、仕事仲間いらしてくださるお客様に向き合う自分自身の立ち振る舞いを考えるきっかけそして時間となり本当に良かったです。
- 人に感謝を伝える。これは滝行の時に強く感じました。正直想像以上に冷たく自分は一人では何もできない、ちっぽけな存在で、皆様の応援があったから越えられたと感じました。滝から出た後は心の底から皆様への感謝の声がでたのですが、次の日たくさんの人に支えて頂きお世話になっているこのことを滝から出たあの時間のようにもっと伝えるべきだし、伝えきれていないひとがたくさんいるなと感じました。
- 礼に始まり礼に終わる。中学生の頃から武道の精神が好きで剣道をしていました。人に挨拶する、あいさつだけでなく気持ちで届ける意味が言霊にはこもっていると感じています。一挙動一挙動自分の立ち振る舞い所作を心のこもったものである自分でありたいです。
- 鍛錬すること、諦めない事の大切さ。全ての行を通じて感じました。一つのことをやり遂げる事集中して取り組むことが最近まったくできていなかったので、人の手をお借りせずとも、集中してものごとに取り組む時間と意識ができると単発の集中力も上がると思いました。
- 手を掛けられて作られたお料理はとてもおいしい。文字通りですが、とてもご飯が美味しく幸せな時間でした。ついつい時間がない事を理由に出来合いのものばかり取り入れてしまう。食事に対する感謝も栄養素もかけていたと思うので、お家に帰り季節のお野菜や彩、味付け鮮やかな食卓にしたいです。
- 一つ一つの動作に手間をかける。当たり前の事かもしれませんが、靴を脱いだら整える。扉を閉める。当たり前のようで辺り目に出来ていなかったように感じます。「礼に始まり礼に終わる」に通ずるものだと思いますが、一つ一つ丁寧に手間をかけることの大切さを学びました。
- えんぴつは文字を消すことが出来る、パソコンなどの電子文字では伝えられないことが伝わる。ボールペンばかり使ってました。日々に鉛筆を手にしましたが、消しゴムで文字が消えることに感動しました。何度でも書き直すことの出来る素晴らしいお道具ですね。また写経している時に一つ一つの文字の意味が頭に思い浮かびました。パソコン文字も便利ですがゆっくり写経する時間を1文字1文字大切にする大切さを学びました。
初めは、滝行半日体験のみを申込差し上げましたが色々なお話を負うかが出来、先生、天光寺の皆様たまたま一緒になりました、男性お二人にたくさんのお気づかいや気づきを頂き、良き2日間となりました。本当にありがとうございました。また今度は仲間も連れてお伺いします。
私は今回の研修でまず人とのつながりの大切さを学びました。今までは同期の中でも特定の人との会話が多かったり、あまり話したことのない人とはあいさつ程度しかできていなかったりしたのですが、今回二泊三日の間同じ屋根の下で朝から夜まで生活を共にし、何かの作業の時にはお互いに声をかけあって協力したり、起床してから廊下などで会った時あいさつ以外に少し世間話をしたりと同性異性関係なくかなり交流を深められたように思います。顔と名前もしっかり覚えることができ、それが声をかけるきっかけになったりもしました。今まで会話をしたことがある人とも、一緒に過ごす時間が長い分いろいろな話をして、今まで知らなかった一面を新たに知ることができたりしました。研修が終わり、会社に戻ってからも同期のみんなとたくさん話ができたらいいなと思います。
次に私が学んだことは、協調性と積極性の大切さです。短い間とはいえ家族ではない人達と生活を共にするにあたり、普段以上に気を遣ったり、考えなければいけないこともたくさんありました。例えばお風呂の順番だったり、寝る場所だったり、ご飯を食べる時の役割や座る場所だったり、普段家では深く考えなくていいようなことがほとんどです。どうしたら効率良く、みんなが納得した上で気持ち良く事が進められるか、正直考えてもわからない事やはっきりしない事もたくさんありました。そこで、周囲の人と話し合ってみたり、自分からとりあえず動いてみたり、できるだけ臨機応変を心がけながら行動したり発言したりしました。その結果スムーズに作業を進行できたり、良い感じに事が済んだりした時はとても嬉しかったです。これから仕事をしていくにあたり、今回学んだ協調性や周囲の人と協力すること、自分から積極的に行動を起こすことはとても重要になってくると思うので、今後もこれらを忘れずに仕事に励みたいと思います。
大人数での共同生活に加え、お寺という慣れない環境、普段常に持ち歩いているスマートフォンが長時間手元にないという不安感、今まで経験したことがないくらい長い時間の正座、写経、写仏、読経、お百度参り、滝行の際の山登り、各時間のあいさつ、三禮、ヨガといった初めての体験など、二泊三日とは思えないくらい濃い時間を過ごし、筋肉痛や関節痛もひどくて正直かなり疲労感も溜まっていますが、それ以上に自分の中で得たものも多いように思っています。先述した人同士の関わりに関しても得たもののひとつですが、それ以外にも仏教に関する説明や法話を聴いて、自分自身の内面や考え方などを見直すきっかけになったように思います。私は元々あまりポジティブではなく、自分自身に与える影響の大きさについてだったり、積極的に生きることの大切さだったり、自分自身を認めること、信じることの重要さについて学び、一度今までの自分を振り返って、考え方や行動を改めたいと思いました。
私は、今回のこの研修に参加して、自分はいろいろな面で少なからず成長できたのではないかと感じています。ですが、まだまだわからない事だらけで未熟な面も多くあるので、そういった面は今後、今回の研修で学んだことや得たものを最大限活かして、学び、補い、成長させていけたらいいと思っています。これから先、仕事に関しても私生活に関しても、立ち止まったりつまずいたりする事はきっと多くあると思いますが、そういった時はこの二泊三日の事を思い出して乗り越えていきたいと思います。
2泊3日の間、大変お世話になりました。
本当に有難う御座います。こちらにいる間、修行を重ねる中で、自分が生かされていることのありがたさを身をもって感じました。自分が不足しているところは、陰でいつも誰かが補ってくださっている。目に見える世界においても、そうではない世界においても。いつも誰かに支えられて私のような一人では何も出来ない人間が幸せに生きることが出来ていることに、瞑想をして仏様の声を沢山きく中でありがたくて涙が止まりませんでした。こちらでさせていただいた修行は本当に苦しかったです。しかし心の中にたまっていた自分の犯した罪に対する罪悪感はもっと苦しかったです。こちらでの修行は、私の中の苦しさを未来への希望に変えてくださいました。二度と同じ過ちを繰り返さないようにすることを誓います。
最後になりましたが、先生、職員の皆さん、一緒に修行して下さった方々、本当に有難う御座います。この感謝の気持ちを恩返しできるよう自分の心を常に正しく持って生きます。
二泊三日の修行体験をしてみて、感じたこと、考えたことが主に二つある。
一つは、自分自身と己との付き合い方について、もう一つが仏教の道徳的指南のすごさだ。
まず、自分自身との付きあい方について。これは、自分を客観視して弱さを見つけた際にどうするか、ということだ。長年、私は度を過ぎた我慢をし、頑張り過ぎてしまう傾向にあった。例えば、自分が感じているストレスに気がつかないまま何かをやり続けてしまったり、様々な場面で本当の自分を出さずに場を取り繕ってしまったりだ。
最近になって自分を客観視したり、セルフコンパッションについて考えたりできるようになり、そこで、自分のストレスや負の感情とどう向き合うかが大きな課題になっていた。
今回、修行を通じて、まずは自分自身の弱さ、感情をしっかりと認識することと、気長に精神を続けようという心持ちが大切だと痛感した。自らの負の感情も自己の一部であるため、無視をしてはいけない。しかし、それによって悲観したり、それを一瞬で直そうとりきんでも本末転倒である。変化は長期的に訪れるものだ。
今回経験した行も想像以上に長く、辛いと思うことが幾度もあった。しかし、それはそういうもの、と捉え、あくまでも前向きに生きる心と向上心を持ち続けること、それが大切だと実感した。
しかし、どんなに前向きに生きようと思っても何が「良い」のか分からなければ元も子もない。向かう先が分からなければ進みようがないからだ。
私はここに来る前、自分の道徳的根幹をどこに見出すかで悩んできた。今回の修行で、仏教から私が学べることはたくさんあるようだ、と認識できた。
滞在期間中、仏教について様々な話を聞かせて頂いた。中でも心に残っているのが、六道と精神の話だ。どこまで何を信じるかはさておき、仏教は人と人の関り方を円満にし、互いを思いやる心を育てるのだ、ということを再確認した。
私は、自分の人生の中で、建設的な存在でありたいし、建設的な関係を他人と築きたいと思っている。仏教はその礎になり有るものだと学んだので、これから先もより深く、仏教の語る生き方について学びたい。
他にも、考えたこと、学んだことは色々ある。
瞑想では度々訪れる空の瞬間とそこに入り込む雑念を経験できたし、滝行でも普段は見えない自分の恐れや弱さを見ることができた。
何より、一般的に「質素」といわれる寺院での生活でも自身が満足していたことが自分でも印象に残っている。これが「知足」なのか、と少しだけ世界を理解できた気がした。
最後に、そんな小さいことに気がつくために寺院まで足を運ばなければならない自分の未熟さに反省の念を込め、今回の滞在と日々の生活に感謝をここに表したい。
一番体験修行の中で大きかったことは、三禮を108セットやり切れたことです。途中から頭がクリアになっていき、三回ずつの回数が意識して数えられるようになってきました。自分ではあと何回と数えることはできませんでしたが、気付いたら終わっていたのでもしかしたら意外と根性があるのではないかと自信になりました。三禮が終わった時にロウソクのロウが見たこともない形になっていたり大きい炎になっていたり驚きが多く不思議な事や目に見えないものはちゃんとあるのだなと思いました。
また朝に掃除をして仏様のお水を交換するお仕事も、毎日の日課として生活を規則正しくしているとわかり、自分も生活のリズムやルーティンを大切にしたら良い暮らしができるのではないかなと思いました。
自分の性格で、人と比べてしまって物事の実行が遅いことに自分自身がいら立ってしまう・・・と相談した時には、まずは人と比べないと成長はないから比べることも大切と教えて頂きました。また人は執着しすぎるから怒るというプロセスを知り、自分が何にとらわれているかをわかることが大切と教えてもらったことがとても心に残りました。
社会に出る前に自分とちゃんと向き合おう、と思って修行に来てみて正解だったなと思いました。自律した人間になりたいという気持ちで来たので、その気持ちを四月からも自分を律することが出来るように今後も精進したいです。
二日間ありがとうございました。
今回の参加は二回目になりますが、前回と同じくとても良い経験になりました。
今回は私の姉とその彼氏の三人で参加させていただきましたが、二人とも喜んで満足してくれたみたいで、私も嬉しく思います。
今、感想文を書いている時の私の精神はとても元気になりました。というのも、参加するのは一月から決まっていたのですが、ここ最近は精神が不安定だったからです。
特に過食、寝不足、仕事が出来ないことを会社の人に病気ではないか?と言われてから、
一週間いろんな事をネットで調べて、自分はADHDという発達障害なのではないかと疑うようになりました。
それからというもの仕事でミスをしたり、家が片付けられない、過食をしてしまうのもADHDのせいだ、と無意識に思うようになってしまいました。
その結果、自分の行動を全てADHDの責任にしてしまい、改善しようとする意欲がなくなり、気持ちが落ち込んでいきました。
自分では何が正しいのか分からなくなり、精神科の病院に行くと、うつの症状が少しあると判断されました。私生活に支障をきたすような時は病院に来るように言われました。
その次の日から天光寺さんで修行を行いました。
夜の先生の講話を聞ていてハッと思ったのです。
私は自分でADHDだと潜在意識で思ってしまったのだと。それで調べていくうちに無意識に思うようになってしまったのかもしれません。
それを聞いてからは、絶対自分は病気だと思うことは辞めよう・忘れようと思いました。
そして先生がおっしゃっていた「腐っても負けるな」という何にでも負けない、成し遂げようと心の中で決意している自分がいました。
今回、強い意志を持ちたいと思い参加しましたが、今は、自分は意志が強いと思うようになりました。
まさに、滝行では強い意志を貫き通すことが出来た素晴らしい経験だったと思います。
前回は去年のクリスマスに参加させていただきましたが、三十秒という短い時間でした。
その時の目標は、そもそも滝行を経験する事だったので、それはそれで気付けることがありました。ですが、今回はもっと多くの時間、限界まで入りたいと強く思いました。
自分はやれば出来る強い意志を持つには長い時間耐える忍耐力が必要だと思ったからです。
実際に入ると、まさに自分の意志との戦いでした。
前回同様、声を出すのもやっとな状況で三十秒頃で体はギブアップでした。
ですが、ここを乗り越えれば、これからの人生何だって出来る、今困難の壁も乗り越えられる、と思ったんです。
今までの人生でこんなに耐える経験は初めてでした。
途中から頭痛がしたのですがここまで来ると止められませんでした。
その後周りの方達には迷惑をかけてしまい、無理をした為に申し訳ないことをしたなと思いました。
ですが、今までの頭痛とは違い、スッキリとした感覚でした。
一緒に参加した方にもすごいと言われて本当に嬉しかったです。
また何かあったら参加したいと思いました。
腹式呼吸や発声練習も心が落ち着きます。私は普段声が小さいと言われるので、腹式呼吸を意識して声を出すようにしようと思いました。
瞑想の時間は、自分でもすんなりと無になる事が出来ました。
前回は色んな事を考えてしまって無になるのは難しいと思っていました。
今回は呼吸することにとにかく集中しました。途中、足が痛くなりましたが、それでも呼吸に集中しようと、そこに思い出したのは「負けるな、成し遂げろ」と先生がいおっしゃっていた言葉です。
ここで負けたら終わりだ、とにかく一時間、時間は忘れてとにかく呼吸することだけに集中しようと思ったら出来るぞ、というプラスな気持ちになれたのです。
そこでまた元気になれたのは、滝行で自分は成し遂げることが出来ると強く思ったから
気持ちも元気になったのだと思います。
瞑想の後の十三仏真言も、全く同じで、途中から眠気と、集中力がなくなってしまい、
本来だったらだらけてしまいますが、「私は成し遂げられる」と
負けないぞ、と 強く思ったら元気になったのです。
すごく自分にとっては不思議な体験で、やる体験全て意味があるし、やる時の精神的な気持ちでこんなにも違って見える。やり終えた後の感覚に達成感があるのが実感できました。
来るたびに感じることがあって、
都会から離れた環境でこうゆう体験をできるのは貴重だし幸せなことだと思いました。
また、ぜひ機会があったら参加したいと思います。
どうもありがとうございました。
天光寺さんで一泊二日の修行体験をしようと思ったきっかけは、妹が去年体験修業をしてきたという話をきいて、私もやってみたいと思ったからです。
昔からマイナス思考で失敗したり、些細なことで不安になってしまったりと、気持ちが落ち込んでしまうことが多々ありました。
嫌なことから、すぐ逃げてしまうなど、精神的にも、あまり強くなく、どうにかしたいと思って生きてきました。
お経や挨拶など、言葉ひとつひとつに、大切な意味があることを知りました。
いつも普通に生活している中では気が付かなかったけど、朝起きた時、ご飯を食べる前と、後、行を行う前、行った後、夜寝る前、など一つ一つ敬意を持って挨拶し、すべてのことに感謝すること。これを改めてやってみて、いつも普通だと思っていた事を幸せに感じました。
いつも朝食は時間がない中で、慌ただしく食べていますが、朝おかゆをみんなで食べて、とても幸せを感じました。
今までこんなに朝食が待ち遠しく、感謝しながら食べたことはありませんでした。お昼も夜ご飯も、二日目のパスタもとても美味しかったです。レストランや、お店で食べるご飯よりも、何倍もおいしく、お腹だけではなく、心も満たされた感じがしました。
いつもストレスで甘いものや、体に悪いと分かっていても、ジャンクフードや、スナック菓子をたくさん食べてしまうのですが、ここにいると、そのようなものが欲しくないことに、私もびっくりしています。
他にも携帯電話やテレビなど、いつも夜遅くまで見ていたり、携帯がなくても、全然平気で、むしろそのようなものがない方が気持ちはとても前向きであり、一日が充実していて幸せを感じました。
朝の掃除も、いつもは自分の家の掃除が面倒で、いやいやながらやっていて、少し汚れていても見ないふりをしていました。今回掃除をしてみて、とても気持ちがよく、朝の日課として家でもやってみようかなという気持ちになりました。
滝行の時も、私は寒がりで、気持ちも強くないので、私にできるだろうかと、不安な気持ちがあったのですが、バスから降りて、先生や職員さんに迎えられ、不安な気持ちがやわらいだ気がしました。
滝行に行く前に、仏様にあいさつし、お百度参りをしたことで、仏様に見守られていることを強く感じ、安心感と勇気がわいてきた感覚を強く感じました。
今までお経は眠くなるし、何のためにやるんだろうと思っていましたが、今回、お経の意味や、写経、仏様のことを知ることで、瞑想をしたり、お経を読んだり、聞いたりすることで、気持ちが落ち着き、前向きになり、守られているような、不思議な感覚を感じることができました。
家でも仏壇には、毎回お線香をあげ、自分の願いと共に、仏様や周りの人、またいつも生活していくうえで、当たり前だと思っていたこと一つ一つ感謝をしていきたいと思います。
心の持ち方、姿勢もとても元気をもらいました。
これから気持ちが落ち込んだ時や、不安な時、人生が上手くいかないとき、この言葉を胸に刻み、生きていきたいと思います。
これから先、何があっても前向きで生きていける、そんな前向きな気持ちと、大きな希望で満ちあふれています。この体験は、私の人生での宝物になりました。天光寺さん、仏様、先生、職員さん、一緒に体験に来てくれた方にとても感謝です。
ありがとうございました。
この度は、このような貴重な修行体験を味わせてくださり、ありがとうございました。
今回応募させていただいたのは、友達に誘われたことがきっかけではありましたが、自分の中で悩んだり迷ったりするようなできごとが1月、2月に多かったり、競技かるたへもより一層磨きをかけたいと心に思ったりと、自分の精神・内面に意識が強く向いており、一度自分自身に静かに向き合う時間が欲しいと思ったことが大きかったです。
また以前から私は「精神」「無意識」「魂」といったものに深く興味を持っており、修行内容や先生のお話、資料から、今まで自分が考えたり、見聞きしたりしてきたことが、改めて思い出されました。
今回、滝行をする、ということを主な目的として参りましたが、実際一泊二日の修行を体験して学んだことは、むしろ生活の細部に宿るものでした。
何をするにも始めと終わりにはしっかりとあいさつをし、読経をする。
このことは、いかに私が日頃、物事の始めと終わりというものをおろそかにしていたかということを気付かせてくれました。
食事の前に皆で読む食前の言葉は、栄養のあるバランスの良い食事を満足に食べられることがいかに有難いことか、改めて思い出させてくれました。
今後、このようなあいさつや読経や言葉を続けるとまではいかないにしても、今回感じた気持ちは忘れません。
また、朝ごはんの前に掃除をするという習慣は是非見習いたいと思いました。
自分自身の内面を見つめる、という意味でも、今回の修行は大きな収穫がありました。
滝行やお百度参りといった肉体的修行は、むしろ我を忘れていましたが、
写経、瞑想、写仏では、一度心を無にした後に浮かんでくるものから、今自分が本当に必要としていることが見えてきたように思います。
瞑想や腹式呼吸は、集中しなければならないときの直前などによく行うのですが、今回はまた違った経験ができました。
最後に、天光寺と日テレとの間に起きたことを高尾先生がお話しくださいました。
このことについてもっと詳しく知っておきたいと思ったので、家に帰ったら情報を探してみるつもりですが、やはり感じたことは、ただひたすらに悲しいということでした。
壊れた仏像を見たとき、心が泣きました。
社会に出たら、こんなに汚いことが待っているのかと思うと心から悲しいです。
でも、その壊れた仏像を見て涙を流した80歳の女性の方のお話を聞いたとき、何か救われたような気持ちになりました。
私は、この80歳の女性でありたいし、高尾先生のように、不正義に立ち向かう人でありたいと思います。
私は、競技かるたに行き詰まったときに、精神面を鍛えたいと考えていて、滝行を思いついた。
何故精神を鍛えようと思ってすぐ滝行が浮かんだのかは分からないが、寒いであろう水の中で耐え抜くこと、心を無にすることは精神を強くすることにつながるのではないかと考えた。
一月下旬の競技かるたの大会で負けた後、一緒に行こうと言ってくれ、すぐに予約を取ってくれた同行の二人には、感謝してもしきれない。
滝行以外の修行もしてみたいということで一泊二日の予定としたが、その中で競技かるたにつながる一番の発見は、集中することの難しさと意義、である。
競技かるたにはどこに集中をおくか、どれだけ集中できるかが非常に重要な競技だ。
今回の修行の中で、最初に行なったお百度参りでは、声を出し願を請うことに集中しようとしたが、足が痛くなったり喉が枯れてきたりする方に意識が向きがちだった。
滝行でも足が冷たいことに意識が向いて、結局一分も保たずに出てきてしまった。
お風呂に入りながら、これでは何も得られないと思い気合を入れなおして臨んだのが写経である。
墨をすり、最後の文字を書き終えるまでひたすらその文字を丁寧に書くことに注意した。すると、少しだけ、文字を書く意識すら消えて、脳内が真っ白になる瞬間があった。
法話のビデオの中で聞いた言葉を用いれば、無意識になった瞬間だったのだろうと思う。
また、二日目の瞑想では、数字を数えながら呼吸をすることで、空気や床と、自分の境界線が曖昧になる時間があった。
雑念であふれている中で集中することは難しいが、集中していることすら気付かない集中は、頭の中を空にし、人間としての自分と向きあえる意味のある時間だった。
特に数字を数えて、呼吸を調える方法は性に合っていたので、続けたい。
競技かるたからはずれて、自分が生きていく上でとてもためになる話だったと感じたのは、法話のビデオの中の積極的に生きること、自分を愛すること、という言葉である。
私は、自分のことがあまり好きではない。自分の良いところはなかなか思いつかないが、悪いところはたくさん思いつく。
今まで、自分で自分の悪いところだと思っている部分に対して、どうにかしなければと焦ったり、なぜ変われないのかと自分に怒ったりすることばかりだった。
しかし、ビデオを見て、悪い部分も自分であるのだとまず認めてあげることも大切なのではないかと思うようになった。
ひたすら否定して、否定しまくっていたらそもそも何が悪いのかすら分かっていないことと同義ではないだろうか。
まず認めてあげて、受け入れて、今まで積み上げてこなかった自分以外の価値観や考え方も受け入れて、すぐに愛することは難しくても少しずつ自分を好きになっていきたい。
また、私は競技や勉強など人と競うことには負けず嫌いを発揮し、積極的になるが、
どうしても一人のときや、特に誰かと競わないとき、楽な方へ流れてしまうことが多い。
しかし、今自分が意識している生の中で、自分らしさを見つけられず、なあなあになってしまうのはとても勿体ないことだと思った。
たくさん様々なことを見聞きし、経験して、本当に自分のやりたいことを見つけられるように、そしてそれを達成できるように、日々過ごしていきたい。
二月二十三日から二十四日にかけて、天光寺で修行をさせて頂き、ありがとうございました。
私は、大学に入ってからサークル活動で競技かるたを行っています。
今まで、集中力を持って無心に札を取り続けていたことで、練習・大会で良い結果を出せていたのですが、ここ最近人間関係で悩むことがあり、かるたを集中して取れない時期が続いていました。
どうにかこの気持ちを整理し、今一度かるたに真摯に向き合い強くなりたい、と思ったことがきっかけで、今回体験修行に参加させて頂く次第となりました。
この体験修行を通して考えたことは多くありましたが、主に二つのことについて、感想を述べようと思います。
一つ目は、「自分自身の気持ちに正直でいることの重要性」です。
写経、写仏をしながら今の自分の思いを心にめぐらせていましたが、自分に嘘をつくことは自分を一番傷つけることになるのではないか、と感じました。
どんな時も自分の気持ちに正直でいて、その気持ちを大切にしていきたいと思いましたし、その考えが芽生えたことで今悩んでいる問題が少し楽に捉えられるようになったので、この経験に心から感謝しています。
二つ目は、「努力することの大切さ」です。
努力することは、とても難しいことだと私は思っています。
なぜなら、壁にぶつかる可能性が高いからです。
時につまずき、めげそうになる中でも、その試練を乗り越え、常に高きを目指すことは容易ではありません。
法話のビデオで、りんごの木の真ん中に実っているりんごが腐っていた場合、高いところのりんごを手にする必要があるといったお話があったと記憶しています。
常に高いところを目指して努力することの大切さが分かった一方で、私は、たとえ真ん中あたりに実っているりんごが腐っていなかったとしても、てっぺんのりんごを取りにいく姿勢を大切に、貫いていきたいと思いました。
私はどの物事に立ち向かっても、ゴールはないものだと思っています。
だからこそ、途中で妥協することなく、平均を目指すわけでもなく、常に高いところを目指して努力して自分なりに物事に向き合っていきたいです。
ここまでに記した二つのことが、私がこの体験修行にきて数多く学んだことの中でも、特に印象が深く、自分に影響を与えられた事柄です。
また、私は実家暮らしなので、あまり家事をしませんが、洗濯や掃除といった日頃母親が行ってくれていることを自分でしてみて、改めて母に対する感謝が芽生えました。
家で当たり前のように洗われた衣服があったり、綺麗な部屋で生活したりできることは本当に恵まれていることだと思うので、これからも感謝の気持ちを忘れず、そして時には手伝って生活していきたいです。
お寺での修行は、自分で申し込まない限り体験できないもののように思います。
今回の経験は貴重であり、今後の人生を豊かにしてくれるように感じています。
この体験修行を忘れることなく、日々研鑽を積んで参ります。
二日間、本当にありがとうございました。
今回私が滝行体験に参加したのは、春から新社会人になるのでここで気を引き締めて新生活を頑張っていくためです。
無我夢中で就職活動をして、勝ち取った第一志望の企業で働けるというのに、大学の授業も終わり春休みに入ってからモチベーションを上手く保てなくなり、なんだか自分に甘えた生活を送るようになってしまいました。
このままずるずるとした気持ちで社会人になったら、これから始まる40年以上?の社会人生活が気持ちよくスタートすることができないと思い、怖くなりました。
そこで友人にこの話をしたら、友人も同じような気持ちを抱えていて、友人と話をしていくうちに、今までに体験したことのない事に挑戦してみたい!という話になりました。きっと働き始めたら毎日が挑戦になるから、今ここで大きな挑戦をして、新たな気持ちで4月を迎えたいと思いました。
滝行体験はとある雑誌で取材されているのを見て以前から知っていました。まだまだ寒い時期で水もとても冷たいだろうし少し躊躇してしまいましたが、挑戦をするために行くんだから!と改めて決心して挑みました。
いざ滝行がはじまるとなると、とても緊張しました。足だけ水に入った時に、背筋がゾワッとするぐらい冷たくて、思わず水から出そうになってしまいましたが、お寺の方が声をかけてくださったのでまた心を入れて、滝に近付きました。
滝に打たれている時間は短かったようですが、私は長い時間滝の中にいたような気がしています。無我夢中というか、必死というか・・・煩悩がなくなりただただ滝と向き合っていれた時間でした。
思っていた以上に爽快感もあって、寒さももちろんありましたが、とても良い時間を過ごせたと思いました。
友人も来て良かった!!と笑顔で爽やかに話していました。
新社会人として、これから一生懸命がんばって行きたいと思います!またリフレッシュしたいときには滝に打たれに来ようと思います!
ありがとうございました。
先日スピリチュアルカウンセラーの先生が書いた本を読んで感銘をうけ、そういったスピリチュアルな体験がしたいと思って参加今回こちらの寺院の体験修行に参加させていただきました。
本に書かれていたことは、『龍を下ろす』など、一見まるでファンタジーの世界のようで、友人に話したら笑われてしまいそうなのですが、本を読み進めていくと、私たち人間は、もともとは野生生物だったのだから、祖先が経験だけでなく、カンを頼りに生きていたこと、その“カン”こそ“魂”そのもの、スピリットってことなんだということが書かれていました。
これには深く納得が行きました。現代人がストレス社会を生き、ウツなどで苦しんでいるのは、“スピリット”で生きていないからなのだと気付きました。
滝行をやっていて、まず感じたのは、『龍を下す』と書いた本に影響されたこともあるかもしれませんが、本当に山の神様の声が聞こえた気がして、とても寒い日だったのですが『あ、私いま、守られている。あ、私は大丈夫なんだ』と不思議と思えたのです。
そして滝に打たれている間、まるで宇宙空間にでもいるような感覚でいました。時間はあっという間におわり、本当に不思議な体験をさせていただきました。
桧原村の自然いっぱいの中で貴重な体験をさせていただき、心がスッキリと整理されました。また、参加したいと思います。ありがとうございました。
何も不自由なく生きてきて、社会人になるという節目に、何か自分に試練を与えたいと思い体験修行に参加してきました。天光寺さんは知り合いから話をきいていたので、知っていて、そういえば体験修行ができると思い出し、参加を決めました。
日々の生活のありがたさや、当たり前のことに感謝すること、自分を見つめ直すことなど、たくさんのことを学ぶことが出来ました。写経やお百度参りなど初めてのことも多く、このような修行があるのだと人生の学びになりました。やりたくないことをやる、辛いとわかっていることをやる、など普段では踏み出せないこともこの機会に経験できたので、参加した甲斐があったなと思いました。
滝行は一番興味があったのですが、いざ滝を目の前にすると怖くて、やり遂げられるか不安になりました。自分で参加して、リタイアするのは悔しかったので、思い切って入ってみたら、スッキリとした気持ちになれました。
これから、どうしても嫌なことがあったり、できないことがあったり、辛い思いをしたり、どうにもならないことがたくさん出てくると思います。そのようなことも全て経験ととらえ、乗り越えていくことが大事なんだということを肌で感じました。
普通に生活しているだけでは、この気持ちを得られなかったと思うので、参加して良かったと思うし、この気持ちを忘れないように社会人生活を過ごしていきたいと思いました。
頂いた精進料理がとてもおいしくて、また食べに修行に来たいと思うほどでした。立ち止まってしまって初心に戻りたくなった時はまたお世話になりたいと思います。ありがとうございました。午前中に到着し、作法・真言などを始めに教わりました。随分前にも滝行は経験していたので、正直似た様なものかと思っていましたが、全然違い、初めて教わる事ばかりでした。
私は今回の体験修行を通じて、精神力を鍛えたいと思って申し込みをしました。そして実際に経験をして感じた事は、自分の甘さを痛感したという事です。
まず、お百度参りでは寒さに負けそうになりました。それでも続けていくうちに寒さを忘れ、無になるはいかないまでも、いつも心の中にある雑念は少し消えていた気がしました。その後はついに私が経験したかった滝行です。正直、滝を見たときは案外大丈夫かもと思いました。ですが、実際に入ってみたら想像以上の冷たさに、すでに声を出す事が出来なくなっていました。出せても声は震え、まともに発生・発語する事が出来ない状態。滝に打たれた途端に、耐える事が出来なかったです。なのであっという間に滝から出てしまい、自分としては不本意な結果になりました。
本当は自分の意識を手放すような感覚を得たいと思っていたので、自分の甘さに負けたせいでその感覚を得る事が出来なかったのはとても残念でなりませんでした。
また滝行をする際には、もっと長く滝に打たれる様に頑張りたいと思います。私が今回参加したきっかけは、会社の上司が自分の子どもと滝行に行って良かったと聞いたからです。頭がスッキリして見方が変わるといわれて興味を持ちました。今までの私は、周りの人に何かをすすめられても、関心が持てなかったのですが、天光寺さんの修行の体験は興味を持ちました。というのも、サイトを見た時に、まさに私が行くべきところだと思ったからです。私は、とても意志が弱く、人に流されやすいがために、だまされた経験があります。また、自信もなく、努力が嫌い、すぐに諦めてしまうなど、基本的な人間力が身についてないと思っていました。もちろん、今までの人生、こんな感じかなと損していると周りに言われながらも生きてきました。そんな自分でも、変わりたいと常に思っています。良い人生にしていきたいと思うだけで行動、実践は出来ないでいたのです。ただ、何事も経験だと思って思い切って参加を決意しました。
結果、言葉では言い表せられないぐらい良い経験が出来たと思っています。全ての経験で特に感じたのはやればできるということです。一番楽しみでもあり不安でもあった滝行は、とても寒がりな私には出来るか心配でした。前日のお家のお風呂に入るときですら凍えていたので、無理かなと思っていたのでした。それが、少しの時間でしたが、実際に出来た時すごく感動したのは今でも忘れられません。終わった後は、視界がクリアで頭がスッキリしました。感覚的には、これからの人生何でも出来るとポジティブな思考になりました。それとお百度参りはとにかく足が冷たくて痛かったのが辛かったです。ですが、途中から慣れてきたのか、痛みを感じなくなりました。その感じが慣れると良いんだなと思い、、諦めない気持ちを持つことが出来ました。写経、写仏は集中力が続かない私には、最後まで最後まで書くのが大変でした。いかに集中力を付けた方が良いか、集中力が途切れてしまうと字も雑になったと思いました。また、、なにか違う考え事をしていても字が上手く書けないなと思いました。これも一つの経験ですが、これを通して普段字を書く気持ちがなかったと思いました。これからは丁寧に一字一字書けるようにしていきたいと思いました。修行中は当たり前のことを教えていただいたのですが、私にとっては学びだなと思うところがいくつもありました。部屋を出るときは電気を消す、食事をするときに感謝の言葉を言う、片付けた食器はあった場所に戻す、清掃は上から行う、といったことが当たり前のように修行の時には行うのですが、ここ最近の私は忘れていたなと思いました。当たり前のことだけど、仕事の忙しさで出来なかったり、後回しにしてしまったり、結果だらけてしまうなど悪循環な感じになってしまいます。それがこの基本的な事をやるだけでも、なぜか頭が整理されたり、出来るとポジティブになれたりそのような感覚がありました。清掃はやっている途中から心もきれいになっていくなという感じがしました。目に見えて綺麗になっているのが分かるので気持ちも晴れるし何よりトイレに行く時もルンルン気分な楽しい気分で行っていると気付きました。全ての体験に無駄なものはないんだと思う二日間でした。
今回一泊二日の体験をして、同じ日に体験された方とも仲よくなれたのは、良い出会いだなと思いました。目的は違えどいろんな考え方を共有できたし、新たな受け取れるものもありました。どんな場所であれ、ご縁は大切にしたいなと思う二日間でした。これから人生が楽しみだなと思うし、また何か不安なことがあった時や落ち込んだ時には修行をしに来たいと思います。本当に貴重な体験をどうもありがとうございました。私は今回天光寺さんにて体験修行を受けさせて頂きました。
体験修行で一番心に残っているのはやっぱり滝行です。そもそも滝行が目当てで受けに行ったので一番心に残るのは当たり前の様な気がしますがそれ以上にとても印象に残りました。
まず、見た目。滝って本当に水が落ちているのですね。大量の水が、落ちてきているのが見ただけで分かりました。少し、恐怖も覚えるほどでした。
次に、音。これは、とても大きい音でとても水の音だとは思えません。
これから、この中に入ってあれを受け止めるのかと思うと恐怖を隠せませんでした。
意を決して入ってみると思っていたよりも優しかったです。そして、入っているうちは気付かなかったのですがとてもリラックスできていました。自然の中で日常では触れる機会のない滝にあたり心身共に癒されました。
また、ここに来てみたいと思える修行でした。ありがとうございました。
一日体験修行に参加しました。滝行を体験してみたいという気持ちから申し込んだ体験修行でしたが、想像以上で、参加してよかったと思いました。実際の滝行体験は、前日に雨が降ったので水量がすこし多いと伺って、始まる前に恐怖を感じてしまいました。やっぱり好奇心だけではなくて、覚悟も必要でした。それでもお寺の方や一緒に体験修行に参加していた他の方にもお声がけを頂いて、きちんと気持ちを作ってから滝行に挑戦できました。何秒ぐらい滝に打たれていたのか自分では定かではないですが、声掛けがあるまで滝の中にいることができたので満足です。滝行以外にも、お百度参りや写経を体験しました。お百度参りは日頃からランニングをしているのでそんなに苦ではありませんでしたが、普段いかに雑念を持ちながら走っていたのか分かったような気がします。心がスッキリする感覚でした。写経は集中して文字を書く事を久しぶりにしたので疲れはありましたが、貴重な経験でした。興味心からの参加でしたが、日常では体験できない様々なことをすることができて大変貴重な良い経験となりました。今後、モヤモヤすることなどがあったときにはまた体験修行に参加したいと思います。ありがとうございました。
前回一度滝行を受けさせて頂くために天光寺さんに訪れたことがあるのですが今回は、写経写仏を受けさせて頂くために訪れました。
前回の修行後は、メリハリがつきすべてのことが順調に進んでいました。
ですが、最近多忙からか体調を崩すことが多くなってきていて心を休めるためにもまた受けたいなと思っていたのですが季節的にも滝行をやるのは辛いし、体力がないのでお百度参りをやるのもなんかなと思っていたところ写経写仏をやる修行があることを知りすぐに申し込みました。
改めて天光寺さんを訪れてみて思ったのは自然のパワーを感じるところだなと思いました。
前回同様受付を済ませ、まずは礼儀作法です。前回受けているので大まかな流れは分かっていたのでスムーズに出来ました。
次はいよいよ本題の写仏写経です。前回の修行の時にも体験したのですがその時に一番楽しかったのは写仏写経でした。元々、幼い時に習字を習っていたので筆を使うのは得意だったのでうまくできてうれしかったのも今回受けようと思った理由の一つです。前回の修行の時から筆を使って書く機会はなかったので久しぶりに筆を持ったので上手く出来るか不安だったのですが自分的には満足のいく出来で良かったです。筆で字を書いていると心がとても落ち着きます。日々の疲れを忘れて目の前の文字だけに集中できるからかも知れません。後半のほうになってくると、頭で考えずとも手が勝手に動くようになり集中力が極限まで高まっているような気がしました。自分でも集中力は高いとは思っていましたがここまで集中できるとは思っていませんでした。多分環境も大きく関係していると思います。自分が思っているよりも早く終了の時間が来てしまいました。あっという間でした。
終わった後は、疲れ切った心はいつもどころかいつも以上に元気になっていました。
また、来ようと思えるいい時間でした。
マンネリ化した日々をどうにか脱却したいと思い、最近話題の滝行に挑戦してみることにしました。いざ滝を目の前にすると大きな音や水しぶきで怖くなってしまい、足が震えました。大迫力の滝に向かっていくのは正直怖かったけど、自分を変えるという意味でもやってやろうと決意できました。水圧がすごくて、飛ばされそうになりながらでしたが、なんとかやりきることができました。終わった後は、スッキリしてとても気持ちが晴れやかでした。身体についていた余計なものが流れていったような軽さに驚きました。たまにやって、身体をリセットしたいと思います。
最近は瞑想も人気だと知って、天光寺でもやっているとのことだったので体験してみることにしました。滝行とはまた雰囲気の違った修行で、静かに、指導されるがまま…といった印象です。エネルギーが体の中をめぐっていくような感覚と、内から何かが出てくるような感覚がありました。慣れるともっといろんなものを感じられるようなので、また修行に来たり、普段からも瞑想の時間を設けようと思いました。
最初は、週末を利用して母と二人で高尾山に登る予定でした。
そのついでにまわれるところや、美味しいものをネットで探していたところ、天光寺さんの体験修行を見つけて、少しためらい気味の母を説得して急遽予定変更で天光寺さんの体験修行にお邪魔しました。
私は昔からパワースポットが大好きで、色々なお寺巡りをしてきましたが、檜原村にこんな素敵なお寺があったなんて驚きでした。
そして体験修行の内容というのがこれまたすごく女性向きと言いますか、ヨガもあり、お寺の精進料理を頂けて、お百度参り、滝行ととても大満足な内容でした。
今までもヨガはやったことがありましたが、お寺で、しかも禅ヨガという身を清めてから行うヨガは初めてで、とても神聖な気持ちになりました。
精進料理は前にも別のところで食べたことがあったのですが、基本的にいつも肉や魚を食べている私にとってはあっさりし過ぎていて物足りなかったので、今回もあまり期待していませんでしたが、ここの精進料理はとても精進料理と思えないような内容で味付けにもこだわっているのかとても美味しくいただきました。季節によっての地元野菜などを使っているとのことで、また違う季節の精進料理を食べてみたいと思いました。
そして、母がためらっていた滝行ですが・・・これが思っていた以上の大迫力でやる気満々だった私でさえ躊躇ってしまいました。しかし、ここまで来たからにはと意を決して滝に挑みましたが、水圧で飛ばされそうになる勢いでビックリしました。しかし本当に身が清められたというか、身体の中すべてが洗い流されたというか、ただただスッキリの一言につきます。
母も「やってよかったー!すごく気持ちいい!」と私以上に大満足でした。
そして、天光寺さんのお風呂に入らせてもらい、護摩祈願もしていただけましたし、最高に充実した週末を親子で過ごすことができました。
このほかにも色々な体験プランがあるみたいですので、今度は父も連れて泊りの修行を体験したいなと思っております。
貴重な体験をさせていただきありがとうございました。また行かせてもらいますので、宜しくお願いします!
25歳になり、生まれて初めて修行と宿坊体験をして、短い期間ではありましたが、なんだか生まれ変わったように心と身が軽く、清められた気分になりました。最初はとてもドキドキしながら来ました。五日市自体訪れるのは初めてで、そこからまた長くバスで揺られて辿り着いたのが天光寺、イメージしていた感じの静かな佇まいで身が引き締まる感じでした。中に入り、所作やあいさつ、いろいろと学び食事や行動を共にしていく内に、同じ体験の方と交流でき仲良くなれてお坊様とも会話がリラックスして楽しく出来るようになり色々なお話を聴けたのが嬉しかったです。メインの滝行は、私の持病から少し緩やかにしていただきましたが無事体験できて本当に良かったです。滝に打たれるなんて滅多に出来はしないのでとても貴重で人生の良い思い出になりました。友人や家族にも話、興味を持ってくれたら今度は誰かを連れてまた来てみたいなと思います。もう夏ではないので水は冷たくて勇気が入り、頭から受けると骨折してしまう危険もあると聞いた時は帰りたくもなり、正直、山登りの時点からきつくて運動やハイキングをあまりしたことがない私はギブアップしたい気にもなりました。けれど、いざやりきるとスッキリし達成感があり2日目もやる気になりました。残念ながら体調が優れず写仏をしながら待っていましたが、五体の仏様を写すことができ、こちらもまたかなり達成感を得られ、集中力が磨かれたと思います。集中力はわりとあるほうなのですが、趣味で競技カルタをしているため更なる集中力をみにつけなくてはならなくて、その目的も理由の一つとしてきました。本格的に活動をしていて、全日協の所属会を通じて正月には武道館の大会に出場したり、連覇をかけた和装試合等も毎年あり、来月も控えています。同じ真言宗のお寺でも以前カルタイベントや貸し切り試合でよくお世話になっていました。真言宗とはそこからもご縁があったのではと思います。
我が家は、先祖から代々、天台宗の檀家でそのお寺のご住職は幼稚園も経営されていて、私はそこに通っていました。幼いころ、私は今よりずっと病弱で通うことが本当にできず、友達も少ない大人しい子でした。けれど、その和尚様が先生であり友達でもあり遊んでくれたり、友人との輪を広げて機会も設けてくれたり私に大切なことを教えてくれました。
人生の糸が強く太く、カラフルに結ばれた感じに思えました。それからも、私は短大に入学するまではずっと休みがちの学生生活でしたが、友人は多くなり、沢山の人に支えられてきました。大学、社会人になってようやく体力がつき治療も経過観察だけになり自由に何かを忘れたように出来るようになりました。思い立ったらすぐ行動で今までの反動からか大分アクティブになりました。その分家族はよく心配させてしまい申し訳ないのですがたまにうっとうしくなり仕事で疲れ持病から人より疲れ方やエネルギー消費が酷いので誰が悪いわけでもないのにあたってしまいがちになったり、自分の経験から病院の仕事に就いたので、時間に追われる内容ばかりでせかせかしてしまったり家でもろくに話をせず生返事、聞かれても答えずにさっさと支度をして家を出ることが多くなりがちでした。何のせいでもなく私の心の持ち方だと分かったのですが、ここでは、時間で動くけれど、あまり時計がないため、解放感と共に少し心配もありました。携帯も同じです。便利だけれど、時には面倒。連絡を溜め込むと返すのが大変になり相手もいることですから一つの人間関係手の中に納まるネットワークです。しかし、預けたことにより、ないなりには過ごせましたが、やはり物足りなさがあり、依存気味だったのだと分かりました。明日からは、いつもいじるばかりではなく家族とも話、いじるときは有難く使い、優しい気持ちにで、またコミュニティーを再開しようと思います。それから、時間を大切に、でき自分の心のゆとりとコントロールも忘れずに、いつどんな時も、と思います。家族だからこそ何でも言ってしまうことがありますが、この体験に来てから私には珍しく家族がちょっと恋しくなりました。全く連絡も取らないのは初めてだからかもしれません。ホームシックなんて子供の頃からなく柄でもなく
どこかへ出かけたり宿泊をしてもこんな気分にはなりませんでした。私は、いつも頼ってばかいで甘やかされてワガママだったかもしれません。感謝と反省の気持ちです。帰ったら口できちんと沢山話したい。伝えたいことが改めてあります。仕事も引き続き好きで選び多分今が板につき一番楽しいので気を抜かずやっていこうと胸躍る気持ちになりました。生と死の現場、目まぐるしいですが。そして、私の病は父からの遺伝で完治はないですがまだ救われている点がたくさんあります。仏教を改めて学ぶきっかけは、かるた繋がりの他に、幼稚園の先生と父のがんが重なり切ない気持ちになり、ふと友人から誘われた寺カフェに行き、そこから癒され、更に求めイベントや色々なものに参加し、修行と宿坊もしてみたくなりました。一発でこちらが検索したら目に飛び込み、巡り巡って本当に縁を感じました。来れてよかったです。ありがとうございました。
私は四泊五日間、とても短い時間であっという間だったと感じました。
一日目、初めてこのお寺に来た時、とても緊張しました。
正座はとても足がしびれて疲れました。けれども様々なお経が知れて良かったです。
お百度参りはかなり疲れたけど、終わった後には達成感がありとてもいい経験になりました。
滝行は、最初とても水が冷たかったけど後からだんだん温かくなってきて慣れました。
とてもいい経験になりました。
寝る時には、年下の子とたくさんお話をして、とても盛り上がって楽しかったです。
二日目は、仏様にお供えしました。とても片付けが大変だったです。
朝起きた時後の掃除は、普段あまり朝早く起きないのでとても気持ち良かったです。
食事は、朝昼晩精進料理で、バランスよく食べられたと思います。
私はこの四泊五日でとてもいい経験ができ、いい思い出が出来たと思います。
またこのお寺に来たいと思いました。
私は、短気で売られたケンカはすぐに買ってしまうところがあります。
そんな自分が嫌いなはずなのにやめられなかったです。
ここへ来た目的は、自分では気づかないところにありました。それは、自分の嫌いなところを自覚する・・・というものです。
今回の修行で、私は自分がとてもワガママで、ただの甘ったれちゃんであることに嫌でも気づかされました。
挨拶の声の小ささや、お行儀の悪さ、さらには、何をするにも「面倒くさい。」という気持ちがつきまとっていました。
しかし、朝の掃除をしているときに、自分が汗を流して一生懸命やっていることに気付き、すごく驚いたし、嬉しかったです。
知らず知らずのうちに、楽しくなっていました。
何事にも積極的に行動するというのは、こういうふうに、面倒くさい事でもやれば楽しくなるとかもしれないし、自分の新たな発見が得られるチャンスなのだと感じました。
私はここで得ることができた1つ1つの学びを大切に持ち帰り、日常で参考にしながら、生活をしたいと思います。
失礼なことをたくさんしたと思います。
本当にごめんなさい。
次回はもっと人のために行動する志を持って参りますので、ご縁があったらまたよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
今回初めて寺で修行体験で、緊張しましたが、普段生活していく中で、携帯を扱うことが多い中、預けたおかげで参加者との交流が出来ることがとてもうれしく思いました。
写経をすることで集中力を得ることが確立できました。
小さな文字を小筆で書くことで、ゆっくりと時間を費やして書くことができました。帰宅後も新聞や書道をすることで、「無」の時間を増やしていきたいと思いました。
「病気平癒」という四字熟語を選んだのは、今年は、身近にいる人が素直になっていない人が多くストレスを感じていました。
家で、食欲を失い、ペットに慰めてもらい、家族に感謝する年でした。
お百度参りでは、体力がないことに気付き、大声を出すことがないので自宅ではご近所迷惑になるので、カラオケで出していくことを誓います。
滝行をした際に、「日本語分からないの?」と言われたことにより、漢字検定と読書をすることに決めたいと思います。
自分だけで生きていけないということが分かりました。皆と協力して生活することで楽しむことが出来ました。
今回初めて天光寺さんにて、2泊3日の修行をさせていただきました。
普段は長時間正座をすることもないので、久しぶりに辛い思いをしました。
御宝号を初めて習いました。この8文字の力は素晴らしいと思います。
何度も繰り返していると、自然と身体の力が抜けて心安らかになります。
「南無大師遍照金剛」と唱えながらの滝行では、水と一つになろうと頑張るのをやめた時、つまり思考がストップした時に、これまた力が抜けて身を任せることでうまくいきました。
読経、写経、写仏もいい経験となりました。
日頃、仕事で集中するのとは違い、人里離れた大自然の中、自分と向き合う形で一つ一つを丁寧にこなしていくことで、色んなものを浄化できたように思います。
大変お世話になりました。
感謝致します。
私は今回夏休みを利用して天光寺の滝行に参加しました。
私が滝行に来た理由は、受験に打ち勝つためです。
よく、夏を制すものは受験を制すと言いますが、そうなるように、まず夏期講習が始まる前に滝行に来ました。
私にはどうしても入りたい高校があり、そのためには死に物狂いになって勉強しなければいけないので、気合を入れるために滝行をしました。
まず、般若心経を唱えることですごく集中力が高まったと思います。
もしこれから、集中力がなくなった時には、一度心を落ち着かせて般若心経を唱えてみたいと思います。
お百度参りは、私は運動が苦手なので結構きつかったです。でも、繰り返し最後までやり遂げるということに意味があるんだなということがわかりました。
滝行は、最初に、一緒に滝に行った大人の人が入ったのですが、それを見る限り、楽にできそうな気がしましたが、全然そうではなくて、水の冷たさに息ができなくて腰が抜けそうになりました。
何度も出たくなりましたが、それではここに来た意味がないと思い耐えました。
水圧も強く、何度も倒れそうになりましたが、その肩にあたる水圧こそが、気合を注入してもらってるように思いました。
どれもすごくいい経験でした。
気持ちがスッキリして、いろいろ頑張れる気がします。これから嫌なこともいっぱいあるかもしれないけど、この修行を思い出して打ち勝っていきたいと思います。
受験合格したら、また来ます。
今回、会社の年間行事に「修行」とだけ書かれており、初めてのことですし、緊張と不安でドキドキしていましたが、皆様のおかげで修行に集中することができました。ありがとうございました。
“お寺”自体は、幼稚園がお寺だったこともあって、少し懐かしい気持ちもありました。
お百度参りは、写真で見るより過酷な環境で、正直なところ始まる前まで「辛そうだ・・・」と言う意識でいっぱいだったのですが、いざ始めてみると不思議と辛くなかったです。
とは言え、辛かったのですが、この修行の目的、意味を考えると耐えることができました。
後半、足の裏が痛みましたが、頑張って走り、大きな声で唱え、伝わるように、伝わるようにと思いを込めました。
外に出た時曇っていたのに、始めの挨拶をした直後に晴れたことが「みて下さっている!」といる気がして感動しました。
滝行は、水の冷たさに息が出来ず、御宝号も口に出てこず、一瞬どうしようと思いました。
しかし、滝にあたり続けると逆に落ち着いた気持ちになり、気付いたら五分経過していました。
滝の流れはこんなにも激しいのに、滝つぼの水は優しく、途中暖かさを感じた気がします。
終わってから、気持ちの変化が顔にも出ていたようで、周りからも言われました。
確かに滝行前と後では、世界が百八十度変わったような(言いすぎでしょうか?)何とも言えない清々しさと、これからの日々を力強く生きていけそうなパワーをもらいました。
時間があれば、二日目もまた入りたかったです。今度はどんな気持ちになるのか・・・。
写経。これはとても良い経験でした。一文字一文字に集中し、ゆっくりと時が流れていく感覚です。書いている間、不思議と何も考えずに、まさに無でした。
最後に仰っていた「魂がこもっている」と言うのは、こういうことかと納得でした。
ご住職様のお話では、明日より生きる力をもらいました。と、同時に、色々な意味で「良い人」になろうと思いました。
忙しい、忙しいと毎日駆け回って周りが見えていなかったなと思います。
人を思いやり、穏やかな心で過ごしていきたいと思いました。
そしてご住職様のように、優しくも厳しくもある(更に、お料理が上手い)そんな人間になります。
神様も見ていてくれるのでしょうか?
二日目、スッキリと目が覚めました。
瞑想をしていると、何も意識していないのにサーカスのようなにぎやかな人々がたくさんいるような絵が頭に浮かび、それが段々と真っ白な絵に変わっていき、最後にはガラスのような澄んだ無色の絵になり、とても落ち着いた気分になりました。とても不思議でした。
そして特別に読経もさせて下さりありがとうございました。
二日間、お世話になりました。きっと一泊二日では入門中の入門なのでしょうけれど、とても貴重な二日間でした。
また来ます。ありがとうございました。
この二日間、これまでに経験したことのない修行生活を送り、昨日の自分よりも少し成長したように感じる。
特に印象に残ったことが二つある。
一つ目は、お百度参りだ。声の大きさと歩く速さが神様への敬意、気持ちの強さを表すとのことであったため、自分なりに全力で行った。
何度かお参りするうちに、頭の中にあった雑念が消えていくように感じた。
その中で、今自分が何を願い、何を必要としているかがはっきりとしてきたため、きっと願いは叶うのではと思われる。
また、私が趣味で行うマラソンにおいて、長時間一つの物事に集中して取り組むという部分で共通点があると思った。
今後、一回のマラソンごとに目標を決め、それに向け集中して取り組むことで今まで以上の結果を出していきたい。
二つ目は、滝行だ。身を清め、無心で滝に打たれることで、日常で抱えていた雑念が消え去ったように感じた。
滝に入った瞬間は冷たいと感じていた水も、時間の経過と共に清々しく思えた。
何事も慣れが重要になってくるのだろう。
日々の生活の中で少々辛いと思うことがあっても、今後は踏ん張ることで乗り越えていきたいと思う。
以上のことから、日々精進して生きることが大切だと気付かされた二日間だった。
しかしながら、私のような凡人は時々怠けてしまうこともあるため、俗世があっていると言える。
太陽の光や山の緑、川を流れる水など、天から与えられたものに感謝しながら、私は自分の生き方を探し続けたい。
正座は修行を行う上で欠かせない座り方であるが、なぜあの座り方なのか。
空海様は、幼少のころから神童と呼ばれていたと教えていただいたが、どの分野(漢文、数学、理科)において優秀だったのか。
修行を続けるとどうなるのか?など、疑問に思うことが多々あり、今後本を読むなどして勉強しようと思った。
東京にもこんなにも自然豊かで、川や緑がキレイな場所があることを知れた点、お百度参りを体験できた点、滝行を体験できた点、写経を体験できた点、里芋の根っこを使用したおかずとスープが美味しかった点、友達の良いところ、尊敬できるところを再確認できた点、以上六つの点が今回、この二日間の体験に参加して良かった点である。
今回二日間の体験を通して、何事も体験、経験してどのようなものなのか知ることが大切だと改めて実感した。
これからも多くのことに挑戦して、自分が好きなことやモノをたくさん見つけたいと思った。
私は大学入学と共に上京し、勉強、サークル活動、バイトなどで、なんとなく多忙な毎日を送っていました。さらに3年生になると就活が始まり、目まぐるしい日々になり、「あれ、私このままでいいのかな?」と漠然とした焦りや、不安に襲われるようになりました。
そんな中、ふと雑誌で目にした”滝行“…。その二文字にビビっときて、友人を誘って天光寺さんで半日滝修行をさせていただくことにしました。
ただ最初は何となく、滝に打たれたら、身も心も洗われてなにか変われるんじゃないかという気持ちでしたが、私たちの想像を超える体験をさせてもらいました。
まず白装束の行衣に着替え、基本の指導を受けて、その後にお百度参りをしました。
熱いコンクリートの上をとにかく走り、途中何度も辛い!熱い!足が痛い!と思いましたが、不思議とやめたいとは思いませんでした。
その後、滝までのかなか険しい山道を歩き、滝行に向かいます。いよいよか…と段々不安が募ってきましたが、滝を見た時のド迫力は凄かったです。
滝に入る前に、桶で水をかぶりましたがそれだけで、息が止まりそうなぐらい冷たくて・・・
ついに滝の真下に入った時には、もう、冷たいより痛い!
とにかくすべての煩悩を流してください!と心の中で強く思いながら、「南無大師遍照金剛」と唱えるのに必死でした。
不思議と体が冷たさに慣れてきているのか、それとも新たな境地に立つことが出来たのか?体の力がふっと抜けたような、心がまっさらになったような感覚にとらわれました。
本当に身も心もスッキリ!というのはこういうことを言うんだと改めて思いました。
友人と一緒ということもあり、最初は少し安易な気持ちで臨みましたが、この修行を終えた後の達成感は言い表しようがないです。
すごく自信がつきましたし前向きな気持ちになれました。私のような悩める学生さんにも本当にお勧めしたいです。
また社会人になり、困難に遭遇した時は是非お世話になりたいと思います。
ありがとうございました。
私は30代後半の女性です。滝行に参加しようと思ったきっかけは、職場の人間関係に悩んだからです。人と接するのが怖くなり、人の顔もまともに見ることが出来なくなったことで、このままではマズい、もっと強くならなければと思い、己と向き合い強靭な精神を養うために天光寺さんでの滝行に参加させてもらいました。
今は若い子たちの中でも人気なようですが、私にとっては藁にも縋る思いで臨みました。
滝を目の当たりにしたときは、思っていたよりも迫力がすごく、周りの空気も一気にひんやりとし、とても神秘的で後光がさしているように見えました。
その時点で私には何の迷いもなく、自ら滝に進んで入ることが出来ました。
きっとこの滝が私を変えてくれる!と思い、冷たい、痛いなどと感じることは不思議となかったです。無心になり、滝に打たれながら「南無太師遍照金剛」と唱えていたら、この滝が今までの私の悩みをすべて流してくれたのではないかと思うぐらい、気持ちが軽くなりました。
終わった後のすっきりさ、まっさらな晴れ晴れとした気持ちは本当に生まれて初めてでした。
悪霊を取っていただいたわけでもないのに、滝行だけで人ってこんなに変われるんだなと思いました。私のように人間関係で悩んでる人とか、なにかうまくいかないとか、気持ちを切り替えたい人は是非体験してほしいと思います。これ体験した人しかわからない素晴らしさがあると思うし、絶対にやってよかったと思うと思います。
私をもう一度やり直すきっかけをくれてありがとうございました。
私が今回体験修行に参加した理由は、友人からの誘いでした。
この頃、疲れが溜まってきて些細なミスが増えてきていたのでリフレッシュにちょうどいいと思い申し込みました。
お百度参りという走りながらお経を唱えるということを108回行う修行では、私はもともと運動が出来る方ではなく普段もどちらかというとインドア派なのでとても疲れました。
終わった後はすごい汗をかいていました。なんだか汗で身体の悪い成分が抜けていくような感じがしました。
その後の滝行は、想像を超える辛さでした。漫画などで描写されているそのままでした。
入ると、火照っていた身体が一気に冷やされビックリしました。
体感時間では30秒ほど入っていたつもりでしたが、5秒も入っていなかったそうです。
死ぬかと思いましたが、爽快感を味わうことが出来ました。
写経は、文字を書くというより絵を描くという感覚でやっていました。絵は昔から好きだったのでとても楽しかったです。あっという間に終わりました。自分でも驚くほど集中していました。周りが静かなのもあるけど、些細な音も一切聞こえないほど集中していました。
1日体験修行は、とても充実していました。とても濃い一日であっという間でした。
家に帰るとぐっすり眠れました。
仕事もミスが減りうまくいくようになってきました。やはり、人間こうしてリフレッシュすべきだなと思いました。
住職さん、スタッフの皆さん
ありがとうございました。
仕事で上手くいかないことが続き、上司に勧められ一日修行に参加しました。修行体験をさせてもらった今思うことは、あらゆる問題を人のせいにしている自分や嫌なことから勝手に逃げている自分がいたということです。
住職の法話のなかで「人間力」のお話を聞き、自分に今一番足りないものだと感じました。いつからかマイナス思考になり、何事も後ろ向きに考えていました。そして仕事で思うような成績や結果が出せなかった時には周りのせいにして自分を正当化し守っていたように感じます。すべては自分が傷つきたくなかったからだと気づきました。
お寺での修行はどれも自分自身を見つめる時間になりました。自分の頑張りだけで結果が見えるお百度参りも滝行も、今の自分にはとても厳しいものでした。逃げようという気持ちを抱いてしまう自分にショックを受けました。それでもお寺の方や周りの方の姿を見て、自分だけ逃げるのは嫌だと思い最後までなんとかやり遂げることができました。
今の自分には積極性や自分を信じる力が足りないと教えられたように感じます。
一日という短い時間ではありましたが、自分が知らない自分に出会えたように感じとても感謝しております。とても美味しい精進料理もありがとうございました。
今後、部下に私と同じような子が現れた時には、この修行体験を必ず勧めたいと思います。
また自分も参加できればと思います。ありがとうございました。
今回、一泊二日の体験修行に参加させていただきました。住職、お寺のスタッフの皆様、ありがとうございました。
テレビで芸能人の方が滝行を体験されているところを拝見して、興味を持ち天光寺についてインターネットで検索しました。その際に滝行だけではなく体験修行が出来ると知り、せっかくの機会なので参加してみようと思い申し込みました。
泊まり込みの体験修行に女一人で参加するのはとても緊張しましたが、他にも女性の方がいらしてお寺に着いてからは無駄な心配をすることなく修行に専念することができました。
最初、様々な仏法関連のお話を聞きました。興味はあるものの知識がなかった私には難しい言葉が多く、一つ一つの単語をすべて理解することはできませんでした。もっと知識を増やしていきたいです。
その後の精進料理は、肉や魚の無い料理を食べることが日常でないので、味気なくないのかと不安でしたが、野菜のうまみを堪能でき、とても美味しく全て戴きました。
お百度参りは普段事務作業しかしていない私にとって、最もキツイ修行でした。他の方に付いていかなきゃと考えれば考えるほど足が重たく感じました。しかし他の方の必死な姿を見て、辛いのは自分だけじゃないと感じそこからは集中してひたすらに修行に打ち込むことが出来ました。
その後の滝行は、お百度参りをやりきれた気持ちから強気で挑むことが出来ました。滝に打たれた瞬間はグッと体にかかる水の勢いの強さから体の力が抜けそうになりましたが、必死で立ち続けました。本当に気持ちがよく、リフレッシュできました。
写経は、普段パソコンばかり使っていてペンを持たないことも相まって、思った以上に筆で書くことが難しかったです。それでも、一日の疲労もある中、想像以上に集中することができました。
二日間はとても短く感じました。いつもの生活の中では体験することができないたくさん貴重なことばかりでした。今回修行を体験できたことをとても感謝しています。
次は、友人を誘ってぜひ参加したいです。
本当にありがとうございました。
私は幼い頃から人間関係に悩み続けていました。苦手な人や関わりたくないと思うとすぐに逃げてきていました。しかし来年から社会人になるので、少しでも自分自身を変えたいと思い、天光寺での修行を決意しました。
天光寺での修行は挨拶や作法を学ぶところから始まりました。仏法に対して何の知識もないので不安もありましたが、丁寧に御指導くださり、私も全力で挑もうと思えました。
お百度参りはゴールが見えず無限に続くような感覚にもなり、始まってすぐにくじけそうにもなりました。しかし、ここで逃げたら今までの自分と何も変わらないぞと自分に言い聞かせ続けました。途中からは辛さを感じなくなり、とても集中して無心になれました。
その後の滝行は、もう春を迎えた4月とはいえ水温はとても冷たかったです。見た目の想像以上に水の勢いが強く、必死に立って呼吸をしないといけませんでした。自分の体感的にはとても長い時間に感じましたが、実際は短かったのだと思います。それでも必死に滝に打たれた後は身体と、心が、軽くなったというか要らないものが水と流されたような感覚になりました。
貴重な経験をさせて頂き、とても感謝しております。ありがとうございました。
私は滝行に興味があり、雑誌で見かけたことのある天光寺さんで体験修行することに決めました。初めての修行体験にドキドキしながら参加したのですが、高尾住職やお坊さん方も親切で、他の参加者の方たちともお話する機会があり、とても有意義な時間を過ごせました。みなさんそれぞれ思うところがあって参加されているからか、真剣に修行体験に向き合っていました。
お百度参りは走って行うもので、5往復したあたりから、すでにしんどかったです。あと何往復あるのだろうという思いが、ちらちら頭をよぎりました。しかしできるかぎり目前のことに集中して、先を考えないように、とにかく遅れないように頑張りました。かなり疲れましたが、走り終えたときは爽快な気分で、自然と笑顔になれました。
楽しみにしていた滝行は、滝を見た瞬間、水圧が強烈そうでタジタジしてしまいました。この滝の中に入るのかと思いながら、住職の説明を聞いていました。滝に入ると、水の衝撃が強くて、流されるのでは?と思うほどでした。水の冷たさや水圧もすごかったですが、息がしづらかったです!これほどまでとは思っていませんでした。たぶん1分くらい入っていたと思いますが、1分入り続けるだけでも、生半可な気持ちではできないと思います。
滝から出た後はさっぱりし、ものすごく達成感を感じました。わたしは普段は事務仕事をしているので、仕事での達成感というものが感じられません。それに趣味もないので、何かに挑戦するということもありません。たまには自分を追い込む、こういった非日常の場もいいものだなと思いました。一度体験するとクセになる人も多いと思います。住職とお坊さん方には、とてもお世話になりました。体験修行をさせていただき、ありがとうございました。
10年前にうつ病を発症しました。
原因は離婚後に発覚した、元旦那の子供への虐待。
酒吞みで、私や物を壊すことは度々ありましたが、
子供には暴力は振わないと思っていたので、この事実を知った時は
心が一気に叩き潰されました。
その当時は、仕事をしない元旦那に代わり3つ仕事を掛け持ちしていて
どうしても、子供を元旦那に預けるしかなかったのです。
今思えば、子供たちの為にと、良くなるはずも無い元旦那に「いつかは。。。」と改心
してくれること願いながら生活しましたが、どんどん生活が困窮していき
元旦那との結婚生活に終止符を打ちました。
資格を取り、その資格で就職が決まり子供たちと3人で新しい生活をスタートして
間もない頃。。二番目の行動に異変があり気になっていきました。
仕事で、偶然に「子供支援センター」に立ち寄る機会があり掲示板を眺めていると
職員の方から声をかけてもらいました。世間話、離婚の事。子供の気になる事を
話したら「一度つれておいで。」と言われたのが発覚するきっかけになっていきました。
事実を知って心が裂けたのを感じながら、頑張って仕事を続けましたが、膀胱炎で一ヶ月
寝てしまい、そのままうつ病が重くなりました。
当時子供は6歳と7歳子供を守らなければ。育てなければ。と思えば思うほど悪くなり
何故、気づかなかったのかと自分を責め、最後は死んでしまおうかという言葉がよぎる
そんな生活を10年していました。
ある日、友人から滝行が出来るお寺があるよ。と教えてもらったのが天光寺でした。
気持ちが向くまで中々申し込めずにいましたが,意を決し申し込みました。
当日は気持ちが追いつかず嫌々きました。ご住職が沢山お話してくれました。
自分の心を強く持ちなさい。といわれました。初めは、それが出来たら苦労は無い!と
腹の中で思いましたが、この思いは帰りには無くなる事になりました。
話すのも嫌なのに発声法や挨拶を教わりました。
滝行は全身が縮むどと冷たく痛かった。でも、自然に囲まれ清らかな水に入り
清清しく感じました。
そして、写経。何年ぶりにこんなに文字を書いただろうか。
住職の手料理も戴きました。
ふと、こんな美味しい手料理を私はいつ頃子供に食べさせていたのだろうか?
こんな穏やかな気持ちになったのは何年ぶりだろうか?色々な感情がどんどん出てくる。
広いお部屋で就寝。とっても静かでした。
翌日は、瞑想。住職の「心を強く持ちなさい。」と言われたのが過ぎりました。
その時に、私の心は弱いのか?私は病気に負けているのか?
病気にしているのは自分なのか?と自問自答していました。
傷ついているのは私ではなく子供たちだ。と気づきました。
そんな、単純な事に気がつかなかったのです。
先に、書いたとおりこれまでの私は何かというと「そんな事が出来ていたら。」と
言い訳をしていた事にも気づかされました。
本当に、来て良かった。
まだまだ完治は先ですが、自分の心を強くもって行ける様に努力していきます。
教えてくれた友人。
ご住職、スタッフの皆さん。本当にありがとうございました。友人に誘われて一泊二日で体験修行の参加しました。
私と友人は、外国で仕事をしていて長期休暇が取れたので参加しました。
私は、一番大変だったのがお百度参りでした。
足は上がらなくなるし、息は上がるし、数が分からなくなったりと
肉体的に大変でした。大人になってからこんなに走る事はありませんでした。
ですが、終わってみると達成感で清清しい気持ちになったのです。心地良い筋肉の疲れもありその後の滝行は今度は最高の体験になりました。
入水時間は滝の水が冷たくてすぐに出てしまいましたが、一瞬のうちの
疲労した筋肉を落ち着かせてくれました。
その瞬間、心の疲労も取れる感覚がありました。滝に打たれるって思いましたが癖になりそうです。
食事は住職が出汁から取って作る本格的で大変美味しかったです。
貴重な体験をさせて頂きました。
また、日本に帰ってきましたら是非参加したいです。ありがとうございました。
一泊二日で友人と二人で修行体験しました。
私たちは日本人ですが、仕事先は他国になります。
長期休暇を使い参加しました。やはり、他国での仕事や人間関係はとても難しく心が疲れて来てしまっていた所に
こちらのホームページで滝行があることを知りました。
お経を唱えるのは初めてで、恥ずかしくて中々大きい声が出せず、、、
二日目にはちゃんと声を出せました。
お百度参りでは日々の運動不足もありへとへとになりました。
滝行は、水の冷たさに身も心も引き締められ、すっきりした気持ちになりました。ご住職のお話も大変面白く為になりました。
お食事もとてもシンプルですが美味しかったです。
ご住職が一人でお作りになっているそうです。
お料理の勉強をなさったそうです。また、是非参加したいと思います。
ご住職さまとスタッフの皆様大変お世話になりました。
ありがとうございました。私は、五泊六日体験修行で天光寺に滞在させて頂きました。
気持ちの弱い自分が嫌になり、無気力の状態を脱するため意を決して申し込みを
したはずでしたが、天光寺に向かうまでの道中も「行きたくない」「失敗したらどうしよう」
そんなことで頭がいっぱいでした。
いざ修行が始まっても、一日目と二日目は初めてのお経がさっぱり覚えられず大苦戦。
正座では足は痛いし、滝行も寒さと痛さにすぐギブアップ・・・
情けなくて落ち込み、六日間もつのだろうかと不安でいっぱいでした。
気持ちが徐々に変り始めたのは三日目からでした。
全く覚えられる気のしなかった御鷹号や光明真言がなんとなくですが自分の中に
なじんできて、唱えることに前向きになってきました。
また修行それぞれの中に気持ちがすっきりする。これ好きだなあ。といった所を
見つけられるようになってきました。私が特に好きになれたのが写経と滝行です。
写経は墨をする所から気持ちが落ち着き、書き写している最中の集中し無になる
感覚がとても心地よかったです。滝行では、お百度参りで声を張り上げ全力で走る
滝に打たれて身を清める。そんな日常ではあまりしない体験ができとても達成感が
ありました。
また、お寺の掃除や食事等の後片付けを手伝わせてもらったのも気持ちが変化した要因
の一つではないかと振り返ってみて感じます。
毎朝一時間半ほどかけてお寺のお掃除をしたり、ご飯の準備、洗い物等をさせて
もらったことで、何事も誰かの時間と労力があって始めて成り立っているのだなと
分かっているはずだけど、ふと忘れてしまいがちなことを身に染みて思い出しました。
そのおかげで以前よりも様々なことに感謝の気持ちが湧いたように感じます。
五泊六日という滞在時間は自分の中でも勇気のいるものでしたが、この長さにした
おかげでたくさんの日帰り修行の方ともお会いする事ができました。
初めての体験で目を輝かせている人。何度も通われているベテランさん
除霊の延長として身を清める目的で来ている人・・・たくさん良い刺激を頂ました。
自分の気持ちを強くするという意味ではまだまだ修行は足りていないと思います。
ただ、日常では絶対にできないかけがえない経験をさせてもらい今はとても気持ちが
すっきりしています。
お忙しい中、衣食住の世話をして頂いた先生、スタッフの皆様
本当にありがとうございました。いつも優しく接して頂きありがとうございました。以前フェイスブックの知人の投稿を見かけて、初めて天光寺の滝行について知りました。そのときは、こんな体験ができるお寺もあるんだなぐらいに思い、気にとめていませんでした。むしろ知人のことを物好きだと思っていました。
しかし最近仕事がうまくいっていないこともあり、自分の将来について悩むことが多くなりました。自分を変えたいという思いがあり、自己啓発本を読んだりもしましたが、何かしっくりとしません。本に書いてある内容は、読んでいるときはなるほどと思えるのですが、読み終えるとすぐに忘れたり実践できなかったりします。そこで、何か少しでもこれから先の考え方や、生き方のヒントになればという思いで、天光寺の修行に参加させていただくことにしました。
私はとくに滝行を楽しみにしていたのですが、あまりの水の冷たさと勢いの激しさに、最初はすぐに出てきてしまいました。しかし滝行目当てで来たのに、これではもったいなくて帰れないと思い直し、再度挑戦しました。同じ体験修行の参加者の方たちが、声を上げて応援してくれていたことで勇気をもらえました。そのおかげで2回目は数分程度だと思いますが、念願の滝行を行うことができました。
滝行では悩み事や、体の中の悪いものを、滝が一緒に流してくれたかのように感じました。滝から出た後は、不思議と空気が暖かく感じられました。気持ちが良い疲労感と達成感に包まれ、修行の疲れもあって、朝までぐっすりと眠れました。
1泊2日ですごく変われたかはわかりませんが、少なくとも自己啓発本よりかはずっとためになりました。自分で行動して体験として得るものは、やはり重みが違います。高尾住職の法話もとても興味深く、これまでの自分を見つめ直す良い機会になりました。
翌日の朝食のおかゆはとても美味しく、普段あまり自炊しない私にとっては、体に良いものが食べられてうれしかったです。1泊2日という短い体験修行でしたが、今度はもう少し時間を取って参加したいです。住職を始め、天光寺の方々には本当に感謝しています。貴重な体験をありがとうございました。
私は以前から仏教の体験修行に興味があり、一度参加してみたいと思っていました。ネットで調べたところ、天光寺なら本格的な体験修行ができると知り、思いきって参加してみることに。
最初は会社の有給を利用して3、4泊の修行にしようと考えていました。でも自分の体力に自信がなく根性もないので、軽い気持ちで行くと途中でリタイアすることになるかも…と不安になり、日帰りコースに申しこみました。
体験修行はどれも、思った以上に密度が濃かったです。とくに走りながら往復する、お百度参りが一番辛かったです。途中から脇腹が痛くなり、正直リタイアしたくなりました。でも私よりかなり年配の方も一生懸命走っていて、私もがんばらないとという気持ちにさせられました。終わったときにはフラフラでしたが、なんとかみんなと一緒に走り終えることができた爽快感は忘れられません。滝行は夏だし気持ちがいいだろうと甘くみていたのですが、想像以上に水が冷たく、また水圧が強烈でした。
普段小さなことでクヨクヨ悩んだり、過去にあった嫌なことを思い出しては腹を立てたりしている私ですが、修行中は苦しくてそんな雑念はちらりとも浮かびませんでした。仏教の「今ここに在る」という感覚を体感できたような気がします。
心というものは常にあちこちに揺れ動くものです。好きにさせておくとすぐに腹を立てたり、悲しんだり、落ち込んだりとキリがありません。今回参加させていただいたことで、そんな心の持ちようを学ぶのが修行なのだと実感しました。常に目前のことに一心不乱に集中することで、心から怒りや悲しみ、迷いを消せるということを体感できました。
1日の終わりにはホッとしたのと同時に、少し寂しさを覚えました。わりと軽い気持ちで参加しましたが、想像していた以上に学びがあったと感じています。今回の体験を、普段の心の持ちように少しでも活かしていきたいです。本当にありがとうございました。
二泊三日でお世話になりました。
過去のトラウマとうつ病で数年間悩んできましたが、今回は逃げずに人生に立ち向かって自分のためになんとかしたいと思った上で、
天光寺の体験修行に参加することにしました。
最初はとても不安で「本当に来てよかったかな」と思いながら天光寺に参りましたが、お寺の方々と会った瞬間に不安感がすぐになくなりました。
最初からお寺の作法をしっかり教えて頂き、とても勉強になりました。私は外国人でクリスチャンの環境で育てられましたが、仏教と似ているところがあると思いました。お経を覚えるのがとても大変でしたが興味深い経験でした。
滝行と川行もできて体も心もスッキリしました。私にとっては、滝行よりもお百度参りの方が大変でした。運動が苦手で体が弱くて、これは絶対できないと思っていましたが、チャレンジできて本当に良かったです。最後の日は体調が悪かったですが、痛みを超えて最後まで走れて最高の気分でした。「頑張ればできる」、「痛みというのは超えられる壁だ」と分かって自分が強くなった気がします。
瞑想もとても大変でした。「無」になることも出来ず、考え過ぎてしまい、心がとても疲てしまって、落ち込んでいました。あの時は先生に密教ヒーリングをしていただき救われました。言葉で表現できないぐらい感謝の気持ちで心が溢れました。誠にありがとうございました。
お寺の方々の優しさとご配慮にとても感動して、本当に色々助けていただきました。皆様のおかげで心も落ち着いて体験修行を無事に終わらせることが出来ました。食事の時間も片付けと掃除の時間も楽しく過ごせてたくさんの貴重なお話も聞くことが出来、心から感謝しております。また、食事は大変美味しかったです!毎日楽しみにしていました。
この三日間自分にチャレンジしたという気分が強くて、できないと思っていたことがたくさん出来て、何よりも自分と向き合うことが出来て本当に良かったです。
新しい自分を見つける準備もでき、学んだこととお寺の方々と修行の仲間にもらったものを宝物にして前向きに進みたいと思います。
貴重な経験をさせて頂き、誠にありがとうございました。Merci beaucoup !
お百度参りは、近くの人の声が耳に入って来てしまい、気にしないようにと思う程、気になり、これが普段からの集中力のなさなんだと思いました。その中でも途中、走って唱えるに集中でき、言葉もハッキリ言える場面もありました。日々、沢山の雑念があり、そこに引っ張られていることに気づきませんでした。滝行は、思ったより、水が冷たく、待っている間、そして、桶の水を頭からかぶった時には、震えるほどでしたが、滝に入ると寒さはなく、慣れてきたのもあると思いますが、滝に包まれて、あたたかさを感じました。何とも言えないエネルギーに涙がこみ上げられてきました。
お経と写経は、まず正座を続けることがつらく、そこをクリアしないと次の段階にはいけない気がしました。しかし、どちらも精神統一が出来るものだと感じました。
2日間の体験修行で、劇的に自分の変化があった訳ではないですが、日々の中で、この2日間のことが活かせるような気がしました。ごはんはとても美味しかったです。
瞑想の時の音楽が少しメロディアスというか、ヒーリングミュージックぽすぎて、私には気になりました。
出来れば、先生のお説法を生で聞いてみたかったです。とは言え、楽しい経験になりました。有り難うございました。
最初は興味本位で滝行をしたら、今までの自分が生まれ変われるかなという軽い気持ちでした。お百度参り、滝行、瞑想に参加し、日々の時間を忘れて、何かに集中することで雑念が消えた気がします。日頃、仕事などで、上手くいかず落ち込んでしまったり、何かのせいにしてしまったり、誰かにこう思われているかもしれないと疑ってしまったりすることがあります。自分では良くないと思っていても思考を変えられず苦しいです。ですが心の持ち方で変えられる。自分もまず知ることが大切だと思いました。貴重な体験、お時間有難うございました。
今回1泊2日で天光寺で体験修行をさせて頂き、普段は体験できないようなことを体験できて良かったです。学生の頃から滝行に興味があり、滝行すれば何が変わるかなと思っていました。実際に行ってみて正直なにかがすぐに変わったと感じられませんでしたが、とでもきちょうな体験ができて良かったです。仕事で上手くいかないなどですぐに悩んでネガティブになってしまうので、『心の持ち方』
の言葉はとてもいいなと思いました。住職さんの法話でも「積極的に行く。自分を信じる」という言葉が心に響きました。自信がなくてくよくよしてしまうことが多いのでもう少し自身がもてるようになればいいなと思いました。もっと色々な感謝に気付けるようにしたいと思いました。今回の体験を忘れずに過ごしていきたいと思います。ありがとうございました。
お百度参りはとても苦しかったので体力をつけようと頑張ります。
読経は始めはテープの音に合わせていくことに精一杯で、足も痛く、のども痛くなっていき、お経を読むということがこんなにもつらいことだと思っていなかったので驚きました。法事の時にご住職方は動作も含めてなさっていることを思い出してすごいなと思います。
なかなか覚えることは難しいのですが、ずっと読経をしているうちに歌を歌っているかのようにも思って、少しずつですが、お腹からも声が出せるようになり、スタッフの方から声を掛けられるまで集中して楽しくさせていただき、二時間があっという間でした。お経を読むことの楽しさが何となくわかって良かったです。
お百度参りはホームページの動画を見て皆様頑張って走っているイメージでした。説明を聞くと全力疾走で百往復するというものでこれもつらいものだと思ってしまいました。今回は十三人の人でやったこともあり、自分がくじけそうになると他の人が頑張っている姿に勇気をもらって私も頑張れて良かったです。全力で精一杯、しかし、転んだら他の人に迷惑がかかるので転べない。
回数を数えることさえわからず、精一杯がんばって走り抜けました。
滝行はお百度参りとても温まった体を冷やせる夏場だから大丈夫だろうなと軽い気持ちでしたが、滝へ向かうまでの道のりの冷たさに驚きました。連日雨で水量も多くとても冷たい。滝の水圧の圧力の凄さに驚きの連続でした。とても痛くて冷たかったですが、終わった時の達成感はとても大きく自身が持てた気がします。
法話ビデオでも多くのことを教えて頂きました。逃げるな!壁にぶつかっても乗り越えられないものは用意されていない。苦しくても絶対に乗り越えられる。その先にすごいプレゼントが待っているんだということがとても心に染み込みました。自信が持てない、心配症である私にどってとてもはげみになりました。積極的に生きて行こうと思います。人脈、ご縁も大切にすれば色々ことにつながっていくことも改めてわかりました。
今回の体験で百聞は一見にしかずということが、経験しなければよさがわからないことを改めて学びました。とても有意養な時間をありがとうございました。
企業研修とは新入社員が受ける研修とばかり思っていた、入社十数年目の私に受講することに成ろうとは思いませんでした。
社内での企業研修は体験もしたことはありましたが、社外でしかもお寺での研修とあって、どの様な研修になるのかと内心不安でした。
上司からは、選ばれた人材であることと、部門からの推薦を受けた者として、頑張って来いと言う指示で参加しました。はっきり言って自ら進んでの参加ではありませんでしたが、後になって気が付いたことは素晴らしい人材構築の基本が学べ、体得できたと言う感想です。
研修の内容は、素晴らしく多岐に及んでおり、頭と声と身体を使うものであったり、心の感受性を感じるものであったり、多岐に及んでいました。
研修を顧みて流れからの自己紹介ですが、きちんとした自己紹介が出来なければ、何度も繰り返し行い、その際の声の出し方も小声でなくハッキリしたもので無ければ繰り返しでした。本当のあいさつをするという事は、とても重要であるものの大変でもありました。
初めて聞く、挨拶での腹式呼吸法や発声法には厳格な所作があり、驚きに始まりでした。
つづく、お経の練習(般若心経・光明真言・御宝号・三禮)でも、常に集中して行い、遊びが無いものでした。食事においては精進料理であり、配膳・片付け・整理整頓を全員で協力して行い、積極的な心を育てるものでした。
回数的なお経のものとしては、般若心経の連続50回,三禮の連続300回、御宝号の連続500回、光明真言の連続1000回と、すさまじい研修になり思い出だけでなく夢にも出てきそうな、研修で無く、修行として位置付けられたものでした。
そのような天光寺での企業研修でしたが、中身が濃く充実していましたので、嫌になることはありませんでした。そして、次から次に行われる修行の研修ですが、一番気に入ったものとしては、瞑想や写経でした。
初めて知った般若心経ですが、以前から知っていた訳でもないのに、吸い込まれるようにお経通読も、お経書き込みもスムーズに行えました。感動的なものでした。
最終日には、住職からの講和があり、意味深で迫力あるもので感動ものでした。
企業研修を振り返り、天光寺様には感謝致します。
有難う御座います。
「体験修行を終えて」
「滝行をしてみたいんだよね。」友人とそんな話をしており、今回こちらの天光寺の行に参加させて頂きました。
私は修行というものに参加するのは初めてのことでしたので、少々緊張していたのですが、挨拶の作法から教えていただき、安心して参加することができました。
行についてですが、お百度参り・滝行共に、自身で考えていたより数十倍の労を感じました。百聞は一見にしかずと言いますが、実際に経験してみないと語れないことは沢山あるのだと実感しました。
特に滝行においては、私が最も苦手な蛙がおり、参加を辞退しようと思ったほどではあったのですが、スタッフに助けていただき、行を終えることができました。人はどこに居ても誰と居ても、支え支えられ生きているのだと思いました。
さて、私が行に参加しようと思った本来の目的ですが、私は自分の人生を積極的に生きることができていないと、日々感じていたからです。人間関係においても、上辺をなでたような付き合いかたしかせず、明確な目標もなく生きてきました。しかし、住職先生の法話で、「人間力」のお話しをきき、もっと自分の人生を積極的に生きてみようと思うことができました。
人生は我慢であり、苦痛もたくさん伴うものだけど人との繁がりを大切に、また、今回の経験を胸に留めて豊かな人生にして生きたいと思います。この度は、住職先生を始めスタッフの皆さんには。多大なる感謝を申し上げます。ありがとうございます。
「体験修行を通して感じたこと」
私が今回、体験修行に行こうと持った理由は、もともと滝行というものに興味があったからです。そして、せっかく滝行を体験させて頂けるのであれば、他の修行も行ってみたいと思い、一泊二日と言う日程にしました。
挨拶の仕方から始まり、昼ご飯の準備・お百度参り・滝行・ヒーリング・夜ご飯の準備と、一日目は心身ともに心地良い、疲れで満たされました。
お百度参り・滝行はとてもつらく、めげてしまいそうな瞬間もありましたが、修行の為と心を強く持ち最後までやり遂げることができました。これは行の挨拶をし、向かったからには途中で辞める訳にはいかないと言う、思いからでした。
行をやり遂げたあとには、普段あまり感じることのできない達成感を味わうことができました。そして、心がとても明るく穏やかになったような、気がしました。行の他にも、住職先生とのお話やスタッフとの生活の中でもとても学ぶものは多く、また楽しい時間を過ごすことができました。
体験修行が終了したあとも、今回の経験で学んだ人への感謝・思いやり・強い心を忘れず、日々に活かして生きたいと感じました。
住職先生はじめ、スタッフの方々にはとても感謝しています。貴重な体験をさせていただき、本当に有難う御座いました。
初めて滝行という修行を体験し、滝の水の冷たさや落ちてくる水の圧力に驚きました。
普段は耳にしないカワセミの鳴き声や、雨露にぬれた森林の匂い霞がかった山の緑が、
どれも新鮮に感じられて五感を通して触発されました。
また、住職のお話に出てきました人が持つ潜在能力について、私の仕事柄無意識に働きかけることの大切さは、
日々気をつけておりますが、こちらのお寺でも同じような話をされていましたので、
「思考力の持つ力」とは自然の摂理なのだなと改めて思い知らされました。
二日間の短い時間ではありましたが、こちらでした経験を実社会へ活かすことができるよう意識して行動したいと思います。
お百度参りでのお願いが叶うことを信じて上を向いて歩いて行きます。
ありがとうございました。
今回私は、二泊三日でお世話になりました。
初めての体験修行、それも女一人で滝行もある内容だったため、とても緊張していましたが、一緒に体験修行されていた方や、駐在されている皆さんのお陰でとても有意義に過ごさせて頂きました。
私は千葉県在住で、結婚式場にて人材管理の仕事をしています。
素敵な職場で、やりがいもありますが、やはり仕事である以上辛いことも多くあります。日々仕事ばかりで、「自分」と向き合って会話する時間が無く、いったい自分は何がしたくて、どんな将来を生きたいいか、そんな妄想をするばかりでした。
そんな時に、宿泊修行が出来る天光寺さんの存在を知り、自分を見つめ直すきっかけと、自己成長のために、参加を決意しました。参加させて頂いた日程は、平日だったこともあり初日は私を含めて3人、二日目以降は私のみと、ゆっくりマイペースに過ごさせて頂きました。
初対面の方とでも、お百度参りや滝行を通して打ち解け、達成感を分かち合い写経や瞑想では、ゆっくり自分自身と向き合い、精進料理で身体の中から栄養を頂きました。普段ばたばたと過ごしていると、気づけない風の音やヒグラシの声、人工的ではない山の冷たさや水の冷たさ、無理な調味料が加えられてない、身体を想った料理にすっかり心も身体も、デドックスされた気持ちです。
駐在されていらっしゃる方々に、とても優しく、若いのに視野広く様子を見て下さる方や、ひょうきんな話で和ませて下さる方など、とても心温かく受け入れて下さいました。この三日間で、学ばせて頂いたことを忘れずに、日々の生活への感謝を持って過ごして参ります。
日々に疲れ、温泉旅行を計画されている方がいましたら、身体だけでなく心も癒される、体験修行を強くお勧めいたします。本当にありがとうございました。
修行体験を通じて、感じたことがあります。修行の流れから、私の感じた修行の様々なことを書きしるします。
挨拶:食事の前に手を合わせて「いただきます」と言って、食事をしたのはいつだったか分かりません。天光寺の美味しくボリュームある食事をしながら、改めて感謝の気持ちを持って挨拶することの大切さを再確認しました。普段は、私は社会人生活の中で会社の先輩から、挨拶が暗いと言われます。今晩、天光寺で練習した挨拶の作法を思い出し、暗いと言われた挨拶を変えていこうと思います。
行:滝行・お百度参り・写経・写仏・瞑想・・・全てを通じて、心を無にすることの大切さを学びました。そして同時に、その難しさを実感しました。
滝行やお百度参りは、強制的に心を無にすることが出来ます。そのことより、行を終えた後の邪念が無くなり晴れやかな気分になりました。写経・写仏・瞑想などは、どうしても行中に色々な考えが頭の中を駆け巡ります。しかし、瞑想中に腹式呼吸を意識しながら一点を見つめ、頭の中を無にしようとした時間は、とても落ち着きました。
今後の生活の中で、忙しくも時間を見つけて心や頭の中を無にする、時間を作って生きたいと思います。
住職:法話を聞いて、住職が実業家であったことに驚きました。住職のお話を聞いていると、自由でいいなと言うように感じました。私が思ったのは、お寺なのに料理でキムチや春巻きが出て来たときにお寺の料理のイメージを裏切られました。しかし、住職の生い立ちを聞いているうちに韓国と親交が有ったことや、料理店を経営してたことを知り納得しました。
お寺だからということに縛られず、積極的にある程度は自由にやっていくことが、気を病まない秘訣ではないかと思いました。もちろん、自由すぎるのはよくないかと思いますが、住職に習った積極的なマインドを持っていきたいです。
短い間ですが、大変お世話になりました。ありがとうございました。
人生初めての修行は、都内に住んでいる私にとってアクセツの便利さで選んだ天光寺だった。安易に予約したが、いざ訪問してみると線香の匂いと広間の真正面で静寂の中、存在感を放っている観音様に圧巻された。ここでようやく身の引き締まる思いと緊張感が出て来て、二泊三日乗り切れるか少し不安になった。
だが、案内してくれるスタッフが気さくで、面白おかしく説明してくれたので、すぐに心配は打ち消された。受付用紙に名前や動機希望を記載後、さっそく修行がスタートした。まずは基本の挨拶から、叩き込んでもらった。とても大事なことで、日頃の多忙な生活ではついつい忘れがちである。
私は今の職場に勤めて約一年が経つが、毎日の残業や上司の厳しい指導を受ける新人として、毎日を過ごしている。私はガムシャラにとりあえず仕事をこなすことだけが、精一杯だった。仕事の内容も特別やりがいの感じられるものではなく、ただただ会社に使われている機会人間のような気分でもあった。そんな私にも娯楽は必要であり、私の場合は飲酒であった。ここ一年、連休や平日や昼夜関係なく飲みに出ていた。
仕事に遅刻したのは当たり前で、お金も無くなって行くし親しい人も離れていった。一年経った今、ふと去年の自分と比べると、いろいろ遣った年だった。小さなプラスになることを日々積み重ねて、大きな成長を成し遂げる人生を送りたいのに、このままでは真逆の道を歩むことになると気づき、今回の修行を決断したのだった。
数ある修行体験のうち、最も印象に残ったのは「滝行」でした。一日目、負けないと覚悟を決め滝に入るも数秒でリタイアしてしまった。二日目は悔しかったので、腹式呼吸と「滝と一体化する」と言う、指導員のお言葉を胸に再チャレンジすると、宜しいと言われるまでずっと滝に入っていられた。このことが一番、自分で目に見えて分かった成長であり、嬉しかった。
ケンカするぞと言う気持ちで滝に入ると、打ちのめされる様に人生もまた同じで、帰宅したら周りの人々をもう少し注意深く見つめ、同調する気持ちを大事にしてみようと思った。二泊三日、ありがとうございました。
学校を中退して、実家の商店を手伝いながら通信制の高校に学んでいます。知り合いから、学校に行かなくとも大学が受けられる方法がいくつか有ると言うことで、通信制の高校とか大学受験検定とかで、大学進学を考えています。通信制はスクーリングがあり検定は受検するだけなのですが、実家に負担もかけさせたくないので、自分なりの方法で仕事と学業を平行させています。
実家にいると、旧友が時々遊びにきますが、最近の旧友がやたら子供に見えたりする変化に、分からずも感じています。半分社会人になっているせいなのか、生徒として旧友は過ごしてばかりなので幼いのか、同じ歳のはずの旧友が別の空間にいるような感覚になりました。
実家の仕事は思ったより忙しく、仕事時間の変化も多くあって、両親の忙しくしている姿に今までは想わなかった感謝する気持ちになりました。
天光寺で体験修行することは、町内会で体験修行を経験した方から、昔と違い今では女でも確りした計画を持ち意識を固めるためには、学校ばかりでない寺院等での体験修行を通して、早く成長した方が良いと聞き、場所や連絡先や簡単な修行内容を聞き申し込みました。
実家からは、電車とバスで4時間以上かかりますが、両親からも背中を押され参加しました。私の参加することには、両親も初めは驚いていましたが、賛成してくれました。
寺院に到着して挨拶して申し込み受付をして、順次体験修行者数名での修行を開始しました。初めは作法挨拶から始め、お経の朗読に入りさらに光明真言に入り三禮と、進んでいきました。同じく体験をする方の中には、同年代だけでなく年長者もおり様々な方が来ているのだなと感心しました。翌日からは早朝から起床洗顔掃除と、続けざまに行を行い全てが修行であるとの教えから、食事も布団の片付けもと、全身全霊で短期の修行ですが、出来ることへの挑戦と思い頑張りました。
写経では何枚か書き記した般若心経を持ち帰り、滝行では冷水の中で感じた無心を思い出し、法話や瞑想では思いもしなかった現実と安楽と苦悩を、教えを思い出しました。帰宅したら両親からは、なんと言われるのかを楽しみに体験修行を終了し、帰宅します。
ノイローゼなのかと思い、天光寺に電話して住職と話をする機会を得て、その中で体験修行することで我が身を落ち着かせてはと助言され、体験修行に参加しました。
体験修行では挨拶の所作から始まり、作法として挨拶や腹式呼吸発声法、お経の練習、三禮を行いました。
中でもお経の般若心経では連続で100回唱え、南無大師遍照金剛の御宝号は500回も唱えました。実のところ翌日には、1000回唱えました。それ以外には、光明真言を1000回唱えて無心になることで、頭の中のもやもやが消えて行くような感覚になり、翌々日にはお百度参りをしてから滝行に打たれることで、気持ちもすっきりした状態に変っている自分に驚きました。
初めは言われることだけを行う体験修行でしたが、徐々にお経のありがたさやお経を書き進める写経では、書いた字に心が表れると言われ神妙になり書き進めました。
中でも光明真言は、発音したことのない発音なので初めは上手く発生できませんでしたが、習いながら始めると少しづつ光明真言の流れがつかめ、少しづつ連呼することが出来ました。連呼では、お経も御宝号も光明真言も、何かの効能があり伝わって来ているのか、不思議な感覚になり体験修行に参加したことに、医院への通院することなく解決できると確信できました。
自分の将来も考えて、確りしないといけないと言う意識で、体験修行に参加して良かったとも電話で相談したときを思い出し、感謝しています。
高校を卒業して、一度は生活してみたいと想っていた都会に、就職を理由にして来ました。私の故郷では、大きな建物もなく車も多く走っていませんし、街中でも人々の往来は少ないのに、都会は全てにおいて建物も車も人も多く、驚きの連続でした。
昼間は会社で仕事をして、帰宅しては会社の独身寮で過ごす、典型的な地方出身者のお定まりでした。休日は同僚と買い物に行ったりもしましたが、慣れない日々の勤務から休みは寝て曜日になることが多いです。衣食住ですが、会社の制服に始まり社員食堂で栄養を取り、寝入る先は会社の独身寮と、全てが会社関連で便利にも、都会を感じさせないで過ごせる環境でした。
就職して一年が経ち、少しの仕事先での余裕も出てきたかに思えた先月に、会社から新人の体験修行で選出された何名かが、天光寺で体験修行を体験し社会人として成長する機会を与えるとかで、参加することになりました。参加では、大人数の企業研修というものでなく少人数の体験修行と言うものでした。私たちは体験修行が、仕事の一環でもあると釘打ちされ、神妙な感覚を持ちながら参加しました。
社内には先輩で体験修行された方もいましたので、天光寺で行われる体験修行の内容を聞き漁り、心の準備と予測できない環境の準備をしました。そして、大まかな体験修行経験者から聞いた内容は、お経朗読に滝行に法話と聞いていましたが、実際には多くの抜け落ちた修行があり、内容も濃厚でそれはそれは驚きの連続でした。
般若心経の朗読は100回、御宝号の南無大師遍照金剛は100回から500回に1000回と、
光明真言は1000回と腹式呼吸を利用しての声出しと、ハードな体験修行でした。就寝では全員が、吸い込まれるように寝入りましたが、早朝起床では、跳ね起こされました。
滝行川行では、弘法大師像の前でお百度参りを行いすぐさま滝行に赴きましたが、冷水の滝行で
今までに体験したことのない水圧とお経の連呼で、意識が少し薄らいだのを感じました。さらに修行は、食事も睡眠も清掃も体験修行とあって、聞くと体験するでは大きな違いが有ったと感じました。
そうこうして体験修行は終了しましたが、終了後に感じた爽快感とお経朗読の余韻で、今回の体験修行に参加できたことに感謝して、体験で知りえた行を次回に結び付けたい感覚になりました。
ありがとうございました。
家の関係で進学できず中学を卒業してからは、昼間は工場で働き夜は定時制の高校に行って、仕事と勉強を一緒にしています。来年は何とか頑張った定時制の高校四年間を卒業して、社会人だけになります。社会人になってからは一つの夢があって夜間大学か通信制大学に進学して、初め家の関係で進学できなかったことで悩みましたが、将来は工場仕事から違った仕事で頑張りたいと想っています。
今回の天光寺での体験修行は、現在勤めている工場で、工場長から何人かが推薦された一人として参加したものです。短期三泊四日間の体験修行で、社会人として生きていく上で大切なことが学べると案内されて、推薦を受け了解しました。
体験修行では、午前中に天光寺に一同が参加集合して、早々に修行開始になりました。社会人として重要であり修行する上でも大切な、諸々の挨拶から始まり静寂の中に私達の声だけが響き渡り、緊張感も重なり気持ちも引き締まりでした。
つづいては、腹式呼吸や発声法やお経の練習をして、さらに三禮を行いました。昼食後には、般若心経を連続で100回唱えたり、大きな声での挨拶を練習し、御宝号「南無大師遍照金剛」を500回唱えました。夕食では配膳し食事し食器洗い片付けを全員で行い、その後写経を私語厳禁で正座して行いました。就寝は午後10時で、速やかに寝入るものでした。
翌日は午前中に光明真言1000回唱え、午後からはお百度参り後に滝行を行いました。お百度参りや滝行では、南無大師遍照金剛を常に唱え山の神滝の神への挨拶も行いました。夕食後には、写仏と言う仏様の絵を習字の筆を使い描きました。日々繰返させられる体験修行では、天光寺の住職から多くを教えられました。
滝行以外に川行と言う行があり、川行も行いましたが滝行と違い川に入水して、ただただ自我を清める行でした。
今回の体験修行では、多くを学び多くの行を行い多くのお経文を唱え、最後に「何のために生まれてきたのか、なぜ積極的に生きなければならないか、舞台と役者の演じ方、努力と知恵の使い方」の有難い法話を拝聴して、短期ではありましたが体験修行を終了しました。感想では、積極性と向学心を忘れず、常に前を見て頑張らなければならないと言う教えを受けました。
ありがとうございました。
中学生になって、小学生の時とは違い学園生活に面白みが感じられず、通学したり自宅にいたりしていて親からは不登校にならないように注意されたことで、天光寺での体験修行に参加して気持ちを引き締めるため数日間過ごしました。
初めての自宅以外の場所で、食事したり寝たりするのは初めてでしたが、何人かの同じ体験をしている方などから話を聞いたり少し話したりで、今までは感じなかった知らなかった世の中と言う世界を感じ知りしました。
体験修行では朝が早く、その後の寺院内掃除やゴミすてなど大変でしたが、頑張りました。朝飯を食べてからは、瞑想と言う静かな音楽が流れている薄暗い部屋で、静かに気持ちを落ち着かせ自分を見直す体験を全員でしました。
瞑想が終わると大きな部屋に移り、写経と言う般若心経の書道の書き込みをして、同じように気持ちを落ち着かせる修行をしました。午後には、お百度参りしてからの滝行をして、冷たい水に入り手足の先が冷たくなりながらも、南無大師遍照金剛を何回も言いながら頑張りました。
夕食後は、住職さんの法話を聞き人としての、色々あることを聞きました。寝る時間は午後10時でしたが、少し時間があり同じ体験修行をしているお姉さんやおばさんと話ができました。私だけでなく、何人もの人が来ている天光寺ですが、私のような子供から大人の人までいて、数日間一緒に生活しながら体験する修行では、家では感じないことが多くありました。
親に言われていたことですが、何人もの他人の大人に聴いた話から、学校には行かないと後で苦労することになることなど教えられ、少しですが分かるようになりました。学校で教えてもらうことよりも、天光寺で教えてもらったことは大人になっても通用することなので、良い体験でした。
体験修行は、自分の不登校から親が捜してきた心を改心するための、体験修行でした。私は、進学したものの進学希望する学校には行けず、進学するだけの学校と言うだけでの進学だったので、学校にも興味も持てず友達も出来ず、学業にも向学心が消えたような進学でした。
朝になるとお腹が痛くなり、発熱などもあり学校に行くことを体が拒否している毎日でした。学校の先生の家庭訪問などもありましたが、話ばかりを聞いても思って居るような話にはなれず、先生が帰れば頭から布団に入り込むような、不登校生徒でした。
天光寺での体験修行では、不登校の児童や生徒や学生が親に勧められて来ている人も、何人か居ることを自分が参加してから聞きました。ただしここは、旅行先や林間学校ではないということでした。自然多い天光寺では、早朝6時から起きて夜半の10時には寝るので、自宅の生活と違いテレビも新聞もスマホも観れず読めず使えない場所でした。体験中は世の中のことは分からず、体験を連日行うことで、住職からは積極性が出るように頑張りなさいと言われましたが、時間が過ぎて行くだけでした。
今の学校は行きたかった学校ではないので、通学する気持ちが出ないんです。この頃では、学校よりも就職してから学校に行っても好いのではないかとさえ、思う時があります。ただ、体験修行では、学校では教えてもらえないお経や体験が出来たことは、嬉しかったです。
修行内容は、写経に所作に挨拶の仕方や、お百度参りに滝行と自己責任で頑張りました。食事の時や寝入るときでも修行と聞いて、緊張しました。今は落ち着いています。
進学で都会に、出て来ました。憧れの都会に出て来て、憧れの大学生活を過ごせる夢一杯で喜んでいました。ひとりで生活するのも初めてのことであるし、新しい友達との交流もワクワクする毎日と想い、キャンパス・ライフを過ごしていました。少しの五月病も有りましたが、友達と学業にサークルに楽しく忙しく過ごていました。
天光寺での体験修行は、私の所属するサークルで行われた進入部員歓迎の、体験修行でした。今回の体験修行では、サークル内の融和と個々人の精神修行でした。親からも教えられたことのない、社会での挨拶や声出しや、修行なのでお経朗読や写経や瞑想をして、異空間での修行を体験しました。同じく体験した、サークル仲間とはこれから過ごす過程での、相談などもしました。
天光寺での体験では、他者の参加者も大勢居て様々な意見交換もできました。始めて知る、学外の方々との交流も出来たことには、想いもよらないお土産になりました。
滝行では初めにお百度参りをしてから、順番に滝に入りますが冷水と水圧の凄さに、竦んでしまった方も居て、自分の順番では確りしようと入りましたが、同じく竦んでしまいました。手足の冷たさで、温水シャワーを浴びるまでは生きた心地がしませんでした。滝行初体験では、滝を浴びた方全員が寒さで震えながらも、全員が爽快感で清められ感動しました。
今回の体験修行では、社会に出てからの方が多いらしいと聞きましたが、中には私達のような大学生も居れば、中には小学生や中学生や高校生も居たり、定年後の第二人生を始める前の自己確立で、参加される方も居ると知って驚きました。
ささやかな驚きでは、天光寺で出された食事なのですが、精進料理と聞いていましたので、想いの他期待していませんでしたが、美味しくお替りまでして完食しました。
最後に、修行で般若心経や光明真言など教えられ、大人の仲間入りするきっかけを頂いたような気もしました。
高校生です。両親の許可を取り、天光寺での体験修行を受けました。三泊四日の体験修行ですが、実家で過ごす日常とは違った体験で、進学問題とか交友問題とか生活習慣問題とか、親に心配をかけない成長する自分になるために体験しました。
どちらかと言えば大人しいと言われる私ですが、両親から言うと私はわがままで言われたことが素直ではないと言うのです。親は友人に関しても、いい友だちと交際しなさいと言いますが、今の友だちは悪い友達はいないのですが、親は誰かと誰かとは良くないと言うのです。友だちには言えないけど、気になり顔に出るのではないかと不安です。
体験修行では、心を落ち着かせたり滝行で私の中に有る邪念を祓うなど、初めての経験で驚きました。読めない漢字が多い、般若心経ですが写経ということをして、気持ちを落ち着かせる書道をしました。久しぶりの書道なので、指先が想うように動かなかったりしましたが、頑張りました。
天光寺の住職の話された法話では、人としての有り方やものの考えなどを習いました。分からない話も有りましたが、後になってから分かるような話もあり良かったです。
食事は全て精進料理でしたが、好き嫌いの多い私ですが全てきれいに残さず食べて、自分でも驚きでした。寝るときは数人のお姉さん達と同じ部屋で、睡眠して熟睡しました。
朝は早朝6時に起こされて、普段なら起きれない時間でも起きてしまったことに、実家ではないことなのか緊張していたのか、不思議でした。
起きた後には寺院の掃除をしてから、お粥を食べました。その後に、瞑想の部屋に数人で訪れ瞑想が始まり、静かな音楽の中で自分について考えたり、家族や友達のことを考えたりしました。体験修行の方は、私よりも若い中学生もいたし両親よりも年齢の上の方も居て、同じ修行を時には静かに時は声をできる限り大きく発生して、お経や御宝号を唱えました。これから帰宅しますが、また天光寺に来て自分のためだけでなく、家族のためにも精進したいです。
天光寺さんの体験修行に申し込んだのは、誰かからの誘いや序ではありません。少しばかりの著書なども読みましたが、伝わってくるものがなくヤキモキした結果、行き着いたところが天光寺さんでした。
何も知らない私ですが、数日間の体験ではなく一週間の休暇を貰い、体験修行に参加しました。案の定、初めは何も分からない異次元の話ばかり聞かされて、右往左往しました。当然なのでしょう、今まで信心も宗教心もない私には別世界の言語ばかりで、住職さんより易しく説明されなければ、外国語でしかありませんでした。
多くの意味が有り教えがあるお経に驚き、お経の朗読には息が続かず、写経ではどうしても毛筆の動きが叶わなくなり、冷や汗ばかりの毎日でした。少しづつすこしづつ修行を進めるに、数日間過ぎて分かる安堵が出てきたことに、感動を感じたことを覚えています。
けして優秀な体験修行者ではありませんが、自分では自分なりにささやかな喜びとして感じ取りました。体験修行では、さまざまな修行が項目されていますが、私の性格からは写経や写仏や瞑想で、心が洗われる思いでした。写経では心が表れるとされ、写仏では心の乱れが分かるとされ、瞑想では心情追求がなされるとお聞きました。
修行では個々人の様々な心理作用が浄化され、還元され落ち着きをより戻すとされるなど、今回の体験修行では、感謝に耐えません。ありがとうございます。
私は中国から結婚で、来日した者です。当初日本人の旦那さんとの生活も順調であり、これと言った問題も有りませんでしたが、2年3年と日本に滞在しながら結婚生活をしていると、どうしても国民性からか自分の培った習慣や常識が優先してしまい、旦那さんとの間に溝ができるようになりました。また、会話言葉の問題では短い会話はいいものの、家族以外の方との会話で上手く表現できず、勘違いされたこともありました。
生活では料理の味付けに、旦那さんから意見が出て困り果てたこともあり、国際結婚の難しい現実を見ました。そんなことから半年前に旦那さんとは離婚し、今は独りで部屋を借りて生活しています。帰国も考えましたが、帰国しても面子のことなどがあり、中国の両親からも帰国しないでくれとまで言われ、日本での生活を続けています。
仕事は、お定まりの夜の接客の仕事をして、夕刻から深夜まで仕事をしています。私の待ちでは、中国人お友達も居ないのでストレスがたまり、仕事先でも飲酒し過ぎて倒れたこともありました。店のオーナーからは、健康のことで友好的なことを言われますが、店を出れば他人のようです。相談する友人も居なく、お客さんに相談できることでもないので、体調も優れず生理がない月もありました。
天光寺の体験修行は、お店に来ているお客さんの話の中に出て来たことから、内緒で申し込み参加しました。日本文化を知るには好いことでも有るし、仏教には親しみもあったので、参加しました。お経は漢字が多く意味は分かりましたので、発音は違いましたが受け入れることができました。
参加している日本人からは、友好的な同じ参加者ということもあって、日本で初めての友人ができた思いでした。滝行では終始、驚きの連続でしたが、清められました。写経や瞑想では、帰国したことなど想い、少し涙が出てしまいました。住職の法話は難しいことが多く、直ぐに分かることが少なかったですが、法話の前後の話から幾分か雰囲気で感じとりました。
今後は日本で生きていくことを決めているので、多くを知り学び体験して行きたいです。
謝謝。
四十路の女が体験修行するきっかけは、過去の離別とか現在の運気向上とか、これからのささやかな幸せをつかむための、お清めが多いらしい。私が体験修行に参加して、これ見よがしに言えることは年増の女と言われ中年の女と言われても、自分の内なる信念を見返りのない愛情と言われても、現世において楽しめれる生活ができれば感謝し喜べると想うのです。
人は死んでしまえば、何も残さず消え去るだけと聞きました。寂しさも、有ったものではありません。世知がない人生であっても、今を楽しく生きることとして、体験修行して自分を見つめ直すことができればと、参加しました。
私の10代は何も変化なくすごし、20代は仕事に流されてばかりで、30代は結婚しないキャリアウーマンと陰口を言われ、気が付けば40代半ばでした。同じマンションに住んで約20年経とうとしています。小奇麗なマンションですが、訪問者も居なく只帰宅して寝入るだけの箱部屋でしかなくなりました。
都会には私のような女が多いと聞きますが、通勤で見る多くの同年代と思しき女性を観ても、何ら代わりがない様子ばかりでした。人生一歩先を歩きたい、そんな乙女チックも有ってか体験修行で、気持ち気分を高揚できるのであればと風変わりな申し込みでした。
体験先には様々な方が居て、様々な思いで修行をされていましたが、私のような者は居ませんでした。しかしながら、体験修行を消化していくうちに、今ここに居る方々には一念があり一心不乱に取り組む姿勢に感動し、我を失くしました。
写経であり写仏でありお経朗読で、わき目も振らず直視された経本に入魂していたのです。美しくも有り、感動さえ伝わってきた空間でした。修行では、お百度参りや滝行なども用意されており、精神統一には持って来いの経験になると確信しました。今私が、この実益感動を多くの方に知らしめて、精神修養できる天光寺での「所作」や「行」を体験して欲しいです。数日間でしたが、感謝に耐えません。
意味も無く彷徨っている者は居ないことは分かっていても、もしかしたら自分がその彷徨っている者ではないかという、社会から突きつけられた課題なのではないかと想うようになっていた私に、天光寺の体験修行で学んだ所作等々で、「人は何故に修行をするのか」を教え込まれました。
生育段階で学ぶ学校と違い、天光寺で行われる修行では、人間が生きる目的とか自身の浄化とか自分で作る因果力などを、法話やお経朗読の合間に住職より拝聴できたのは、ありがったです。
糸が切れた蛸ではありませんが、行き先不明になりがちの昨今でしたが、体験修行を通して感じえた価値あるものでした。
また、様々な老若男女の参加がおり、自分一人ではない環境での体験では協力し合う喜びも感じ、あっと言う間に短期の修行が終わってしまいました。体験者同士の懇談では、自分の知らない現実を聞いたり、なるほどと言う価値観のあり方を知り、自分には不平不満があり真の大人に成らなくてはいけないと反省することもありました。
さらには、私から人々への発信力とでも言いましょうか、今までの自分には無かった勇気や喜びや失望させない、対人間での言動に責任を持つことなども知りえなました。
女性はどうしても受け手になりがちですが、女性や異性に対してもはっきりした物事への勇気を持つことや、自分自身を愛し自分自身が変ることの重要性をも大切にしなければならないと、お互いに話し合えたことは有益でした。
自分自身を救うのは、自分自身であると教えられたときは、大きなショックでした。
海外に憧れ、或る外国で青春を過ごし帰国しました。私が海外に出たころと昨今では、国内事情もかなり変り海外よりも国内での生活や仕事を、優先する時代になっていました。海外での生活は多くの新鮮な刺激もありましたが、反対に個人主義の外国ならではの寂しさも感じ取れました。
言葉や習慣や物の考え方の違いは知り得ていましたが、私の加齢からかなのか幾分か、考え方の変化を感じています。私は帰国子女では有りませんが、服装や化粧や雰囲気が周りの方からは異なものに感じられたのか、受けいられないことも多々ありました。
初めに心に決めた志を最後まで貫き通すことが、海外生活ではよしとして生活していただけに、帰国後の違和感として私には感じられ苦痛になることもありました。このままではいけない心境から、天光寺での体験修行を受け心身を清める、修行参加となりました。
修行では多くが知りえなかった所作や行で、数日間を過ごしました。数日間の中では、心身ともに教えをいただき、感心しました。写経では心の乱れを洗われ、滝行では肢体の感覚から自我を目覚めさせ、瞑想ではてひたすら思いにふけ入り現在過去未来など、物思いにもふけりました。
自己自問では、答えは出ないものの精神修行になる、きっかけを味わいました。教えられた瞑想ですが、瞑想の神秘性を感じ法話で聞いたことなども思い出し、体験修行の醍醐味を感じました。
体験修行では複数の体験者がおり、様々な方との懇談では知らない生活や環境や立場の世界にも触れました。実体験では、重みの有る修行であり体験でした。
私の存在を私自身が分からなくなったといえば、何かに疲れた者として簡単に流されてしまう次代ですが、勢い錦を飾って故郷に帰る気持ちを持って出てきた私としては、今のままでは錦のことなど口に出せない現状に、頭を抱えていました。職場やサークルでの人との交流や遣り取りで、時として放り投げてしまいたいと言う感情に責めつけられ、ため息を付くことも多々ありました。
天光寺での体験修行は、もっと自分を成長させたり体験の中で、感じ取れるものがあればと思い申し込みました。数日間の期間ですが、自分をさらけ出して無心になれるような体験ができればと、参加する前は少し甘えた心持でした。
しかし、天光寺のインターホーンを押して中に入り、修行が進むにつれて私の甘い考えが消えうせ、規律と他の方との共同作業や基本所作で、初日が終わりました。起床は朝6時で、普段の私の時間と違いオロオロしましたが、その後の寺院内の掃除や自分が就寝に使用した布団の片付けなどもあり、緊張する早朝からのスタートでした。
朝食後は瞑想の時間があり、個々人が瞑想して自分を見直す自分の存在を見詰める行を行い、異空間での真剣な思考でした。それから次々に決められた行が進み、書き読み写しを繰り返しました。体験修行は只の作業ではなく、自分の絶対的価値判断を浮かび上がらせることを知りました。今回の参加では、自分の可能性や多くの克服などを自分から積極的に向かわなくては、物事が開かない教えを頂戴することができて感動もありました。
重たい女と言われ、異性との出会いがあっても長続きしません。天光寺で体験修行をして、自分お気持ちを整理して本当の縁ある異性との出会いを求めて、身を清めにきました。
私にも夢や希望が有ったのですが、度重なる縁のなさや身の回りで起きる失敗で、ここの所落ち込んでいました。身を清め今までの生き方を改めて、修行を臨んだものです。数日間の体験修行で、すぐに変ったりすることでもないですが、何かのきっかけを掴み同じことを繰返さないため、縋るような体験でも有りました。
早朝に起床し寺院内の掃除をして肢体に血液の流れを導き、朝食後には瞑想にして自我を顧みる体験もしました。その後にもさまざまな行があり、所作の挨拶を基本にお経の朗読や御宝号や光明真言の暗唱をかさねました。午後には、お百度周り後に滝行にて身を清めたりもしました。
さらに、夕刻には食後の住職の法話を拝聴して、穏やかな気持ちになりました。そのような体験修行を数日間過ごし、私の中に芽生えた少ない変化を感じ就寝しました。
今思うに、身勝手なわがままがあったことを指摘され、以前の行いを改める心境にもなりました。
天光寺での体験修行では、今回全てを体得できませんでしたが、次回の参加を心に決めるきっかけにして、下山しました。ありがとうございました。
人間不信から、天光寺で体験修行を行い、思い込みや自己否定を浄化し鍛錬したく、申し込みました。今回の体験修行で感想と言えば、今までの私の経験しなかったことばかりなので、初めは驚き馴染めませんでした。
しかし、住職から言われた法話や同じく体験修行をしている修行者との会話などで、固まっていた心が少しづつ解ける糸のように、所作や修行内容に浸透することができました。心が表れる写経ではいみじくもお経であるものの深層心理までわかってしまうといわれ、書き進めながらオロオロしてしました。
般若心経や光明真言では、朗読の中に感じた信仰の有難さを感じ、多くの挨拶を行うときの呼吸一つを上げても、一般社会でも通じる基本があると感じました。天光寺の体験修行に参加している多くの方は、何がしらの目標や思いを持って来ていますが、体験修行をすることで自我に目覚め明るい顔になり帰宅していく姿まで含め、問題の浄化が解消されたり薄らいだことでの感謝している会話に、心温かくなりました。
人間不信とは、相手を受け入れることが出来ないことから始まると聞きましたが、不安を取り除くために自ら入り込んでいく積極性を育てることなど、心機一転しなければならないなども体験できて、思考も目覚めました。
女ばかりの職場では、どうしてもいがみ合いが起こり、仲間はずれになった者は退職していく流れが多い現実です。私は高卒と共に看護学校に入り卒業して、地元では有名な大きな病院に就職することができ、将来を嘱望されて曜日も忘れる毎日を過ごしていました。勤務して9年経ったときには、看護班長にもなり新人教育も任される職責勤務になりました。そのような時、今のところは順風漫歩と想っていた矢先に、私の班長としての職責に何処からとなく陰口が入り始めました。
時の総婦長に相談しましたが、これと言った解決策もなく提案もなく、同僚にも話を聞いてもらい解決策がないかと右往左往しました。私への陰口の発信元はわかりませんでしたが、初めての事でもあり体調が優れず寝込んでしまいました。数日間の休養を頂き、職場に復帰したのですがまだまだ体調が優れず、夜勤勤務では倒れてしまい他の職員を困らせてしまいました。
総婦長から呼び出しが会ったのも、そんな時でした。多くを心配してか、私に向上心だけでなく人生の主人公になって欲しいことや、いい意味で開き直る勇気を持つことなどアドバイスを頂きました。いくつか話を頂いたアドバイスの中で、親戚で体験された修行があることをを促されました。
東京は多摩の山村に、心身修行が受けられる寺院があり体験修行を受けることで、親戚がしっかりしたと言うのです。修行先では、さまざまな修行があるが「自己コントロール」「人との調和」「自身を癒す方法」など、体験できるとのことでした。
わたしは数日間の休暇申請をして、体験修行の予約をいれ参加する運びになりました。四泊五日で、何か得られるものがあればいいと言う期待ではなく実益を考えました。寺院修行先には、数人の方が先に修行していたり、私の修行中にも新しく修行をする方が見えられ、年齢も性別も様々でしたが、一緒になって体験修行を学び教えられ体験できました。
項目的には、お経朗読や御宝号の意味と発声、光明真言での有難さや仏様への感謝や写経や写仏や瞑想を寺院内で修行し、屋外ではお百度参りから滝行や川行を体験しました。仏門の体験だけに会得したものは少ないですが、少なからず体感して脳裏に納めたことがあり、喜びでした。
住職からは「私には、絶対的な価値が自分の中にある」と積極的な自身の生命を大切にすることを教えられ、胸が熱くなりました。ありがとうございます。
私は社交業でも、風俗の仕事をしています。社会的には夜の女としての仕事をして、生活させて頂いています。様々なお客さんが居る見返りの無い愛情を売る仕事です。時には開き直る現実もあり、想われている以上に精神的に経済的に充分ではない仕事です。
日々変る仕事内容とお客様に合わせた仕事ですが、浮世に流されることもあり足を洗えば済むと思いつつ今の仕事にしがみ付いています。
お姉(先輩)さんからは、早く今の仕事を卒業して、太陽の下で生きていける仕事や生活をするように言われていますが、年を重ねることに仕事から来る甘えなのか、踏み切れませんでした。
風俗の仕事ではどうしてもお客さんとの駆け引きがあり、余計な力を入れてしまい嫌みや嫉妬を受けることがあります。さらに、未練や愚痴や価値のない事場に惑わされることがあり、一つとして同じことがありません。悩ましく精神疲労の多い、仕事なのです。
職場にあった雑誌に、精神修行をして仕事にプライドを持ち、天職を全うする気合を見つけるための諸々の助言というものがあり、その中でお経の朗読とか滝行があると取材されてありました。
特定の行き先や施設先は書いてありませんでしたが、仕事中にお客さんから幾つか参考になりそうな場所を聞き、奥多摩にある天光寺での精神修行・体験修行に参加することが出来ました。
修行先では私を含め数人での体験開始でしたが、午前中に集合して寺院での所作や挨拶に始まり、昼食後には写経やお百度参りから滝行と、新鮮かつ初体験する行を初日から受けました。就寝も午後10時であり、今までの私の体内時計ではこれからと言う時間の就寝で寝付けず、翌日には睡眠不足にもなりました。つづけられる修行もあり、瞑想や写仏での落ち着きと外部からの刺激を排除した修行では、時間の忘れる集中が要求され最も厳しいものでした。
しかしながら数日間が過ぎ、住職からの法話や修行者同志の意見交換などがあり、今までの自分とは体験で改まった、参加前には無かった感じたり考えられる思考を持てるようになりました。
ありがとうございます。
一人で卒業から、実家を出て憧れの都会に引っ越してきて、半年が過ぎたころでしょうか。如何にも判断できない、分からない落ち込みが目立つようになりました。
職場での仕事も覚えたばかりでしたが、仕事に対しての不満もなくどちらかといえば楽しく、遣り甲斐さえ感じて来ているころでした。
学生時代には感じられなかった、行き詰まりでもない体調不良に、社内の診療室でも問題無しでお墨付きをもらい、只の疲労なのかと自問自答していました。
違いと言えば、好き勝手を行っていた学生時代と違い、規律正しくしなければならない社会人として、睡眠不足や通勤疲労で若干の疲労感はありましたが、私だけではないと言う現実からそのままにして置きました。疲れなので、栄養ドリンクを飲めばいいぐらいで、これと言った対処もせず数ヶ月過ぎました。
物事原因があって結果があるはずなので、社外の医院にも行きましたが、結果は同じでした。これは何かの取り越し苦労なのか、自分で思考を改めなければならないと天光寺の体験修行に参加して、自分の有りのままを見詰めようと思いました。
修行では、挨拶に始まり挨拶に終わるような、厳格で神妙な修行であり他には写経や写仏したり、お百度参りや滝行で精神統一したり本物の修行でした。教えの中には、積極的であり向学心を持ち決断力など、自分を成長させる意識変化を身を持って指導されました。
さらに、不平不満を言わない消極的にならない、精神を鍛え精進することなども伝授されました。
自分を信頼し自分を愛することができて、人生の主人公になれと力強い指導には、感動しました。
初めての就職で、初めて知った社会の洗礼に会い右往左往していた私が、職場の先輩から聞かされた、先輩も体験して来た天光寺の体験修行に参加したのは、縁を感じたからでした。
家族の居ない独りでの生活の始まりには、嬉しさもありましたが多くは不安でした。さらに仕事となれば、自分を押し殺さねばならないことも連続で、帰宅すればそのまま倒れこんだこともありました。
先輩もそんな過去を持ち、経験者にしか分からないことなのでしょうか、休憩時間のときに私の変化が見えたのでしょうか近寄り言葉少なく心配して、相談にのってくれました。その相談のなかで、自分で人生の主人公になる楽しさと嬉しさと喜びを、お話下さいました。
先輩はすでに何回かの体験修行されており、体験修行先の出来事や自分の変化や新しい刺激になったことなどを、教えて頂きました。初めは先輩と一緒に参加と希望していましたが、仕事の都合で私一人の参加になりました。見るもの聞くもの全てはじめてのことや物ばかりでしたが、三泊四日の体験修行を無事に終えることができました。
先輩からも、私の頑張った賞賛を受け、感じ入るものが体験者でないと分からない実感として、分かち合えました。修行ではやはり鮮明に残るものとして、滝行で身震いしながらも頑張った実感があり、先輩共々見詰め合って感想を言い合いました。
写経で書いた書は自宅に飾ってあるとか、瞑想時に感じた感想は何か今でも一念として残っているかとか、話がつきませんでした。次回は一緒に参加することを決め、今では私の右往左往も消え楽しく日々を送っています。
天光寺を知るきっかけは、知人の企業で天光寺での企業研修をしたことを聞かされ、その中で団体で無い個人での参加ができっる体験修行を聞き入れたことです。体験修行は三泊四日行われ、早朝6時から夜半は10時には就寝する、かなりハードな体験修行とのことでしたが、個人の参加では企業研修とは違い個々人に体験を通して、メリハリのある体験修行から行のあり方を、体験して貰うものと聞き予約を入れ、申し込みました。
期間は三泊四日を希望して、週末と有給休暇で確保できました。都心から3時間はかかりましたが、奥多摩にある山里深い天光寺に到着して、受付を済ませ修行申し込みを済ませ、外界と離れ参加しました。参加に当たって、先に来ていた方や申し込みをした後に来られた方と挨拶して、早々に修行衣に着替え修行が開始されました。
はじめは自己紹介や挨拶の仕方や発声法に始まり、午後には写経による心の表れ方を含んだ経文を行い、一枚二枚と般若心経を書き記し精神統一等も推し量るものでした。写経では体験者数人でありますが、私語を慎み書を進ませる体験をしました。
体感では、お百度参りを行い無心になり滝行を行い、身を清め冷水で肢体も清め気合を入れ、真言や経、祝詞を唱えました。心なしか感じ入ることが湧き出してきて、神妙になりました。就寝では暗闇に広がる無音でしたが、自分を見直す時となりその後は朝まで何も分からず、熟睡してしまいました。
修行は今まで経験の無いものでしたが、今後はリピーターとしても参加して、住職から発せられる人としての有り方など心の持ち方を、積極性あるものとして生甲斐にさえしたいと思いました。
雪が降りそうな空を眺めつつ、武蔵五日市駅からバスに乗りました。これからどんな処で、どんなことが始まるのかな、と不安が一杯でしたが、バス停まで優しいお兄さんが迎にきてくださり、山道を歩きながら歩いている内に、寒かった心が暖かくなりました。
お寺に到着後、すぐに払沢の滝に連れて行って頂き、荘厳な景色を見ながら大自然のエネルギーを沢山頂き心洗われるおもいでした。午後のお経の時間におばあさんが一緒に来ていて、頑張らなくいいとおっしゃっていますよと言われ、なぜか方の力が抜け、不思議と心が軽くなっていく自分がありました。
夜のヒーリングの時間では、花や蝶になって宇宙を舞っている気分で、心と身体がますます軽くなり、心も身体の悪いものが皆でて行く感じでした。次の日のお百度参り・水行体験では「お大師様」導きとエネルギーを感じ取ることが出来、何とか百度参り、水行が達成することが出来、生きる自信になりました。冬の水行はお勧めです。
御住職様を始め、天光寺の皆様方が一人ひとりに対して、とても丁重に心を込めて対応してくださる姿に触れ、心暖まる2日間を過ごさせていただきました。ありがとう御座いました。緑がきれいな頃に、また伺いたいと思います。
多くの学びをありがとうございます。私がこちらに来させていただくきっかけになったのは、対人関係がうまくいかずに抑うつ症で悩んでいたことです。 1年前から薬を服用し、仕事も2度変わりました。2度目の仕事も1ヶ月前に辞め、自宅で悲壮感に悩まされ、生活のバランスをも崩しています、毎日食べて、寝て起きてのくり返しです。このままではいけないと感じ、インターネットを通じて、天光寺の修行体験の存在を知り、本来の自分を取り戻そうと思いこちらにきました。
お寺の修行は基本の挨拶、腹式呼吸、発声法の練習を行いました。特に発生の練習と百度参りで「南無大師遍照金剛」と声を出すごとに気持ちが軽くなっていくのを感じました。滝行でも大きな水の流れに身をまかせることで、自然の力一体になる事ができました。
天光寺での2泊3日の時間を通して、人としての生きる力を再び得る事が出来たように感じられます。 今回の修行で学んだことを忘れずに頑張りたいと思います。生きることに悩んだらまた修行に来させて頂きます。本当にありがとうございます。
3週間という長い間、滝に入ったり、川に入ったり、お百度参りをしたり…いっぱい寒い思いをしました。最初私より早く滝に入って行く人たちを見て、「よく生きてられるな」と思っていました。実際に滝に入った時は、もうバケツの中の水に手を入れた瞬間「こりゃヤバイ、死んじゃう」と思って滝の中に入るのがめちゃめちゃ嫌でした。
でも、いざ入ってみると少しポカポカと体が温まってきて「寒い」よりもしだいに「痛い」に変わり足もマヒして何も感じなくなり、このまま意識が飛んでいきそうでした。滝から出た頃にはもう歩いている気がしなくて頭がぼんやりして着替えるのが大変でした。川は、滝の後に行ったので「死にそう」とは思いませんでしたが、時間帯が遅くて真っ暗だったのでめちゃめちゃ怖かったです。肩まで入る時は寒くてしかたがありませんでした。けっこう流れそうで大変でしたが滝よりも長く入る事ができて良かったです。滝や川以外にもお経を唱えまくったり、大声出したり、写経をしたり、普段の生活では体験できない事ができて良かったです。最初お経が全然読めなくて周りにおいつくのが大変でしたがいつのまにか「般若心経」や「光明真言」「御宝号」を覚え、仏前勤行集を見なくても唱えられるようになりました。お経を2時間ずっと唱える行は、すごくつらくて、頭がボンヤリして酸欠状態にもなりました。でもその次からのお経の行は苦にならなかったので、行の成果かなと思いました。「声出し」はなかなかお腹から声が出せなくてのどが痛くなったりして大変でした。「写経」は1年ぶりに筆を持ち、初めて自ら墨を作りました。「般若心経」は漢字が難しくて、見た事のない字もあり少しあせりましたが、長時間の正座にもなんとかたえながら書く事ができました。
「写経」に込めた願い事が叶えばいいなと思っています。「写仏」はすごく楽しく取り組める事ができました。書いているうちに足のしびれを忘れ、おもいっきり集中する事ができて良かったです。でも、もう「曼荼羅」の写仏はしたくないなと思いました。細かすぎて目が点になるかと思いました。でも、なんとか完成させる事ができて良かったです。
修行は決して楽しいものではなかったものの一緒に行をした仲間達や温かくて優しくて楽しいスタッフさん達、おいしいごはんのおかげで3週間を乗り越える事ができ、とても感謝しています。行をした仲間の方々からも、おもいがけないプレゼントをもらったり、応援の言葉をもらい、ここまで頑張ることができて良かったです。 天光寺での修行で得たものを糧に、これからの人生頑張ろうと思います。 3週間ありがとうございました。
天光寺さんに来るまでは、かなり不安があり、自分で本当に寺の修行など無理だと決めつけており、落ちつかない気分が大半でした。 自分のこの不安な気持ちを和らげるのと最初から何事もやる前から自分の心の決め付けを直していく。そして自分を強くしていくと言うのが今回の修行に参加することになった根本でもあります。
まだ一日過ぎたばかりなので、まだわからない点が多いですが、一日目に行ったあいさつの作法から基本を学び、お百度参りは最初とても足が冷たく、体も寒かったのですが、行を実際にしている時は、足の冷たかったことも忘れ、体がかなり温まっていることを終了した際に実感しました。
滝行ですが、これを実体験するまで、自分にはこの寒い季節に水の中に入ることはとてもできないんじゃないかと思っていましたが、他の行生の方を見ていく中で、自分もがんばらねばという思いが出て来て、何とか滝の中に入ることが出来ました。これも他の行生や先生方の力を借りて滝に入ることができたと思いました。
実際に生きていく中で、一人では生きていけないということはわかっていましたが、改めて仲間意識とか家族の大切さを認識しました。まだ期間も残されていますので、残された期間自分の中にない部分を十分吸収し、自分を見つめ直し、自分の目的達成に向け着実に力を他の行生、先生方からも吸収し確実に自分のものにしていきたいと思います。 これから生活をしていく上でも、つらい時や楽しい時もあると思います。つらい時ほど、その事実から逃げたくなるのが本音ですが、つらい時には、天光寺さんで体験修行をさせて頂いたことを思い出し、実体験を乗り切りたいと思います。こういうことも全部含めて、自分の気持ちの切り替え、成長を確実にしたいと思います。
私が今回、修行体験をしようと思ったのは、日常に流されている中で、一度自分を見つめ直すと共に、違う環境・空間に身を置いてみたいと思ったからです。
よく座禅をするとか瞑想をするとかを耳にするけれども、どうしたら心がすっきりするのだろうと思っていました。ここへ来て、作業の間に必ず休憩があることで、日々時間に追われ、常に頭を回転させ、体を動かしているリズムになれていた事に気付かされましたが、一息つく事は大切なんだなと改めて実感しています。
忙しい中にも、ほっと一息つくことで、余裕が生まれることは、心と体を楽にしてくれるなと思いました。また、普段何も意識していない呼吸ですが、腹式呼吸や声出しをした時に、喉だけで出していると(表面的なもの)お経を唱えるのにもとても苦しくなってしまいますが、お腹から声を出す様にすると、肩などに力も入りにくく、体もあたたかくなってくる感じがあり、呼吸も大切なんだなと感じました。
同じ動作で動かずにずっと同じ事を繰り返すのは、とてもエネルギーがいることだと感じましたが、繰り返すことで、知らず知らずに体が慣れ、集中できる事も感じられました。
日常を流されているととらえるのか、日々繰り返していくことが大切であると捉えるのか、自分自身の捉え方で変わるのだと感じました。この修行体験で何も音のない、情報が入らない時間と環境を作ることは大切であるという事を学べました。
天光寺でお世話になった三日間、色々な方と触れ、色々な話をして頂き、私の悩みを丁寧に聞いて下さったことを心より感謝致します。
私は、人一倍マイペースで、人一倍頭が悪く、人一倍焦りやすく、何をやっても失敗ばかり。毎日失敗続きで、どうしようもない自分を責め続けることしか出来ず、泣いてばかりの自分でした。途方に暮れた時に、インターネットで『相談・寺修行』の文字を拝見し、この今の自分を何とかしたいと思う一心で、ダメ元で前夜に電話しました。 こちらに来てから、信じる事、念ずる事、仏様や宗の事について深く知る事が出来ました。
座禅を組んで、お経を唱え続けた2時間、雪の中、足を冷たくして走り続けたお百度参り、滝、自然を一体となり行を終える事が出来た事、ここで教えて頂いた全てが私の自信となりました。
自分に出来る事がある、達成する事が出来る。負けそうな時には、ここでの日々を思い出して、自分を奮い立たせていきます。最後に、ここまで来れたのも、今自分自身を強く持っていられるのも、ここで出会えた、支えて下さった皆様のお陰と思います。本当に感謝致します。
何かあるとすぐにマイナスに考え、弱音を吐いてしまう自分の悪い癖、弱い根性を叩き直す為に今回修行に参加する事を決心しました。 今までも何度も変えようと試みていましたが、結局何も変わらずここまで来てしまいました。
たった3日修行を受けるだけで変わる事なんて出来るのだろうか、変われなくてもせめて少しでも変わる切欠になればそれで良い、そんな思いを抱いていましたが、3日間の修行を終えた今、自分の中で何かが大きく変化している事に驚きでいっぱいです。
こんなにも自分自身と素直に向き合えた事は今まで一度もありませんでした。向き合おうとしても結局言い訳ばかりで、これが私なんだから仕方無いと逃げていました。そんな自分が大嫌いでした。
行はどれも精神的にも肉体的にもきついものばかりでしたが、辛い、辛いと思えば思う程強くなりたいと言う思いも強くなりました。今は、絶対に強くなってやる!と思っています。何事にも前向きに積極的に生きて、もっともっと自分を愛せる、そして人を愛せる人間になりたいです。どんな事にも負けない強い心を持った優しい人間になりたいです。ここに一人で来て、弱音を吐かずに行を受けられた自分の力をもう少し信じてみようと思います。
負けそうになったら、ここでの事を思い出して頑張ります。先生達から頂いたお言葉、絶対に忘れません。今の気持ち、絶対に忘れません。ありがとうございました。天光寺に来て三日目。まもなく修行も終わります。
私がここへ来たのは、色んな気持ちを抱えていたからです。今の自分の状態を変えたくて、どこか切羽詰まっていた矢先でした。自己啓発など様々な本を読みあさっている時、こちらのお寺の事をホームページで知りました。見た瞬間、あ、これだと思ったんです。修行体験はまさに私が求めていることそのものでした。自分を変えたい、強くなりたい、ネガティブな自分を少しでも前向きにしたい、自信を持ちたかったからです。非常に不安ではありましたが、今の私はその不安よりも、現状を変えたい気持ちの方が強く、勇気を出し、天光寺へ行く事を決めました。
修行の初日は、慣れない環境と日頃経験しないことが辛く、正直無事二泊三日を乗り切れるだろうかと不安しか感じる事が出来ませんでした。
そして二日目、一番怖いと感じて滝行はとても辛かったです。最初は息が出来ず、このままやめてしまいたいと本気で考えたけれど、ここで逃げたら何も変わらない、と自分に言い聞かせてやりきりました。終わった後、生きている事をとても実感して、普段の生活がいかにありがたいか本気で考えさせられました。滝行の後から、よし、残り今日と明日、最後まで頑張ろうとやっと思えるようになりました。最終日、今日の瞑想の最中で涙がこみ上げて来るような感じになりました。
今まではあまり感じる事のできなかった感情が自然と湧いてきたのです。以前は憎い気持ちや、やるせない思いを持つ事もあったけど、ここまで育ててくれた両親に感謝の気持ちや色々な気持ちが出て来ました。普段生活していると、仕事や日々の生活に追われ、なかなか自分と向き合う時間が持てなかったと思います。もう少しで三日間の修行体験も終わります。今は心からここへ来て良かったと思います。ここへ勇気を出して来た自分の事も少し、認めてあげようと思えました。
法話を聞いて前向きに生きる大事さをとても知ったので、このお寺を出た後から今より前を見て、進んでいきたいです。人を憎んだり、起こったりするより、今ある事に感謝して、人に優しい、そんな自分でいつもありたいです。本当にお世話になりました。ありがとうございました。この経験は忘れません。
結婚して私自身の自分への甘さや考え方の違いなどから喧嘩が絶えず、お寺で修行することを勧めて貰いました。私も数年前から自分が弱くなり何に対しても逃げ腰になっているのを感じていたので、自分でも一度修行してみようと思ったこともあり、こちらで一週間修行させて頂きました。
バス停から歩いて寺の入り口の坂の所まで来た時、ちょうど通りがかったこちらの肩に大きな声で丁寧に挨拶して頂き、背筋を正される気持ちになりましたそれをはじめに、声の出し方、挨拶の仕方、心の持ち方などを指導頂きました。滝行などの修行ももちろんですが、私にとってその挨拶や心の持ち方のお話はとてもためになりました。お陰で体力的や精神的に辛い数々の修行において、自分の弱さをまず認識し、そこから全力で精一杯、行を行い、やり遂げることで段々自分に自信を取り戻せる様に成り、自分が強くなっていくのを感じました。また、初日などは子供達がさぼっていたりすると、自分が一生懸命やっているのに…などと腹を立てていたのですが、私は自分自身の為に修行しているのだ、と思ったり、誰にでも自身に甘えたい時や疲れている時、辛い時があるんだと思いやれる余裕と優しさを段々と持てる様になったことで、人に優しくなれ、自分の修行にも集中出来る様になりました。
また、毎日の掃除、食事の準備や後片付け、洗濯も家ではどこか、心の中でやらされているような気持ちでやっていたのも否定できませんでしたが、こちらでは、修行させて頂いていると思えば本当に心から自ら動いて、進んで出来、そこでも甘えていた自分と、出来る自分に気付くことが出来ました。掃除などをしているといっても私達がしていた事はほんの一部で、毎日毎日食事の準備や身の回りの世話を頂いた先生方、本当にありがとうございました。人に食事を作って頂くありがたさ、食べる物があるありがたさを「食前の言葉」を唱える事によってもとても痛感しました。 また夕食が終わった後にリビングで先生方や他の修行されている方にいろんな話を聞かせて頂いたり、相談を聞いてご意見を頂いた事も私にとってとても大きな財産となりました。
こちらでの修行は一週間という限られた時間でしたが、人生は一生、毎日毎日一瞬一瞬が自分の為の楽しい修行だと思います。自分を磨くことでかけがえのない物を得る事が出来るのです。私はその事をいつの間にか忘れかけていました。また、自分がいい加減な生き方をして自分に自信がなくなっていたことで、自分の大切な笑顔を忘れかけていました。こちらで精一杯修行を行う事で自分に自信をもって笑顔でいることが出来ました。先生方に、いつもにこにこ笑顔だねって褒めて頂けた事も嬉しかったし自信になりました。私の、私はこれだ!と言える物は「笑顔」だと言えるようになりました。笑顔は周囲の人を幸せにします。元気にさせます。これからも私はまず自分自身が強く優しくあって間笑いの人々に元気を与えられる人を目指します。
皆様本当にお世話になりました。ありがとうございました。
私が修行に参加したいと思った切欠は、28歳になり、このまま今の仕事を続けていて良いのか、自分の進みたい道はどこなのか前が見えなくなってしまい、このままだと流されてしまうと思ったからです。
今の生活が不満と言う訳ではありません。仕事も更なるステップアップの場を与えて頂き、有難いと思っています。ですが、新しい仕事の量と内容を考えると、どうしてもマイナスな事を思ってしまいます。
頑張るしかないのは分かっているのですが、頑張ってもお給料が上がるわけでもなく、自分が本当にやりたい事なのか分からなくただ流されているのでは?と考えてしまいます。「このままでは自分がダメになる」と思いました。こんな事をふつふつと思っている時、たまたま見ていたインターネットでプチ修行と言う書き込みを見ました。そこから色々調べこちらの天光寺体験修行のホームページを見付け、自分と見つめ合う為参加しようと思いました。
二泊三日と短い期間でしたので、何か変わるきっかけが作れれば良いなと言う位の気持ちでした。
ですが実際二泊三日を終え、得た物はとても大きなものでした。滝行では、堪え忍ぶことと気持ちをしっかり持つと言う事、禅は心の平常心を保つこと、写経は丁寧さと集中心。その他にも声出しやお経、お百度参り等、普段の生活からでは経験できない事が出来、普段の生活に活用できる事が沢山ありました。修行をしたからと言って、私の仕事がうまくいく訳ではありません。保障もありません。ですが、根本的な考え方が変わり、仕事を行う際の気持ちの持ち方が大切なんだと気付きました。
出来ないかも…と考えるのではなく、前向きに立ち向かう心が大切です。千回を唱える時に感じたのですが、どんなに先が長く辛くても、必ず成し遂げることが出来ます。下手でも息が続かなくても、必ず終えることが出来ます。終えた時は最後まで頑張って良かったと、心から思う事が出来ました。気をしっかり持ち、目の前のことを少しずつでも良いから行えば、結果はちゃんと付いてくるのだと思います。
修行は大変で楽ではありませんでしたが、私はとても楽しかったです。同じように何かを得たくて修行をしに来た方々とお話出来、皆同じように何かしら悩みがあるんだと知りました。
お寺の作法も修行の行い方も全く分からない素人の私に優しく一から教えて頂きお寺の皆様にも感謝しております。 自分らしく生きる事は簡単ではないけれど、自分に負けず生きる事は出来るのではないかと自信が付きました。
流されるのも良いと思います。そこにちゃんと「自分」があれば流れ着く先は自分で決める事が出来るのだと思います。二泊三日の修行体験ありがとうございました。