企業研修の感想文・体験談
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私は、天光寺で多くの学びをえた。
1つ目に、挨拶の作法、ただ大きな声で言うのではなく、おじぎをするのにもゆっくり丁寧にというように教えてもらいました。
また、来店された時、「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました。」退店する時、「ありがとうございました。お気をつけてお帰りくださいませ。」とういように一言付け加えるだけで、また来ようと思わせる事ができます。
基本的な事ですが、人と人とが最初に行う動作なので、1人でもお客様に喜んでもらえる接客をします。
また、お寺でしか学べない作法なども取り入れていきます。
2つ目は、滝行と三禮です。
お寺にくる前はただ辛いものだと聞かされていました。
ですが、辛いものではなく自分にとって意味のあるものだと理解しました。
というのも、悪いものを水に流すことによって、新しいものを取り入れられそうな気がしました。
たしかに水は冷たいですし、行くまでの山登りは体力的に辛かったのかもしれません。
ただ、自然にふれて汚い心がきれいに流されることができました。
三禮では、神の足をもらうという意味があり、324回、分かりやすく言うとスクワットを行いました。
ただやらされているだけではなく、フォームや気持ちを込めて行いました。
そして、辛さに負けないように自分に言い聞かせてすべて終わらせることができました。
やり切った後の達成感は今でも忘れません。最後の最後まで、楽しんで行えたので筋肉痛も辛くありません。
これもすべて一緒に行った皆と、お寺の方の協力があったからできた事だと思います。
日常的に体験できない事が行えてとても楽しかったです。
3つ目は、メンバーとの協力についてです。
会社から課題が出されました。それは、「成功の誓いの詞」を29秒で言い切ることです。2つのチームに分けて覚えて発表することが課題になり、私のチームは3人で行いました。
最初は個人で覚えて言えるようになって自分のパートはどれくらい時間がかかるのかタイムを計りました。
本来であれば、8秒で終えなくてはいけないものを、14秒もかけてしまい、問題としては覚えが甘く、かんでしまう事でした。
ただ1人で練習する事では、チームとしての意味がなくなってしまいます。
とりあえず、通しでやってみようという事で、ひととおり発表したが、おぼえられていなくボロボロでした。
そんな時、メンバーのひとりからのアドバイスで、チームでやる意味を理解しようという所から、最初の人から後の方にパスする時、言い切ってから始めるのではなく、終わりの言葉にかぶせて言うとタイムが縮められると教えていただいた。
何度も挑戦してやっと成功した時のタイムが26秒でした。
他のパートでもお互いアドバイスしあい、3人で1人のように発表できたのが成功した理由です。
この3日間、あいさつやさまざまな体験、チームでの協力について、学ぶ事ができました。それは、お店にもどっても生かせることだと思います。
DTPと営業2つの役割があり、協力があってこその売上なので、お寺で学んだ事、あいさつをていねいに、またお客様が期待と思えるように、さまざまな経験による精神的に強くなった事で、さまざまな困難をも乗り越えられます。
そして最後、チームとしての意味。なぜDTPと営業で売上をあげる事ができるのか考えて店舗の売上を達成します。日々、意味のないことは変えたいという気持ちがあれば、人は変える事ができます。
そうする事によって店舗の皆が幸せになってくれる事が私にとっての喜びです。
会社の仲間を誘って20数名で天光寺に参りました。冒頭に感想を述べますと、「企画して良かった、来て良かった。」の一言に尽きます。
新型コロナウイルスの影響もあり、運動不足が生じている体には、お百度参りはきついと感じましたが、誰一人文句も言わず、走る、手を合わる、唱えるを繰り返しました。当たり前の昨今、感謝の気持ちを忘れていたように感じます。会社があり、一緒に働く仲間がいること、身体が健康なこと、今日こうしてみんなで来れたこと、これって当たり前ではなく特別なことですよね。
マイナスイオンたっぷりでしたね。滝に打たれる、応援しあう、本当に最高でした。普段見られない仲間の表情、性格を垣間見られました。私の解釈の範囲では一致団結したと思っています。
檜原村、遠いですが、仲間と集える場所を見つけました。また来年もお世話になります。ありがとうございました。
私の人生の中では天光寺のようなところに来たことがありませんでした。すべてのことが初めてであり、たくさんのことが学べました。なんでも携帯やパソコンに任せてきた人生でした。楽で生きてきた私は24時間もインターネットからはなれて、新しい生活をしてました。すべてインターネットから離れて、新しい生活をしていました。すべて、インターネットに頼ることが正しいわけではないと思いました。私が生まれたころから体が弱いので天光寺での滝行や三禮がするのが大変でした。皆最後までやり切った所がえて自分が出来なかったことに少し反省し、負けたことからも学べることがたくさんあるということが考え直しました。未来が失敗することもあるだろうが今まで頑張って経験したものを失敗しても向上にして失敗したところから学んでいく事が大事であると理解しました。天光寺での3日間でたくさんのことがみんなと仲間にしてしよくじしたり片付けしたり、三禮したり色々の活動することで積極的な作業を出来ました。天光寺の研修で学んだ事が人生が全て楽でありません。辛い事もあります。辛い事にも頑張って乗り越えればいいことがある。この辛さが社会にあって諦めずに頑張る。それこそ、幸せになれる。誓いの言葉が学ぶことと学んだ事を行動してみることができました。余計な力を入れずに何事に取り組んでいきたいです。努力と知恵を使うことが何の作業であっても必ず結果を出すことができる。できないというところもやればできる新たなことに挑戦できると言葉が心に残っています。
社会に出て学ぶべきことがたくさんでてきます。新たなことに挑戦しながら自分を幸福にしたい、自分の周り自分のチームや会社の皆を幸福にしたいそれで社会を幸福であるように努力をします。自分の中でなおしてみたいところがたくさん見つかりました。
人間は言葉を発する前に頭で考えて言葉に気を付けると自分の思考を浄化に繋がるとことが理解できました。人を傷つける言葉、勇気を失くす言葉や、人を悲しみの言葉を言わないようにすることが大事であることも学びました。
自分が変えるのは自分である。自分を変えるのに自分自身を愛して自分を知って理解し、判断して人とのかかわり方にも効率的に出来る。そして幸福になります。天光寺で学んだことの全てのことを今後とも活用しながら生きたいと思います。3日間ありがとうございました。
沢山の事が学べたことに感謝しています。
今回の研修を通して、「忍耐力」や「やり切る力」がついたと感じています。部活をやめてからは、そのような気持ちになることがありませんでしたが研修をしたことによって再度自分の中にめばえさせることができたのでよかったです。研修をする前は「キツイキツイ」と言うけれどそこまでじゃないと考えていましたが進んでいくにつれキツクなっていきなめていたと感じました。
一日目のお経をずっと唱えるのは、足が痛く立つたびにがくがくだったことを覚えています。お経を唱えていると法事などで聞くものに少し似ていると感じました。
写経はやったことがあり、わりと好きなので辛くなかったですが、ひさびさにやってみると難しかったです。
二日目での「お百度参り」は、体感では本来の数の半分くらいだったと感じました。なので、思っていた以上辛くはなかったです。お百度参りを考えひろめたような人は、今後でてこないような気がします。
「滝行」では水がつめたく三分つかることができなかったのが一つ心残りです。でも、水から出ると身体が軽くなった気がしたので滝行をした意味がありました。また、経験することが出来たのはこれからの力になると考えています。
そして、二日目で一番辛かったのが「三禮」でした。しゃがんで立つ動きがこんなにも体にふたんをかけていたと知りました。三回で一。
私は、数回休んでしまったけれど、一回も休まずやり切った同期の人はすごいと感じます。
「写仏」では、不動明王を写し、名前と内容を知り仏が多くいると改めて思いました。
三日目の住職の「法話」では、これからの社会人人生に役立つことが多くありました。
「人脈」やネガティブなことは言わず「ポジティブ」なことを言うなどこれからはマイナスなことは口に出さず生活していきます。
研修を通じて学んだことを今後につなげていきます。
休日には神社・お寺巡りをし、御朱印を集めたり、パワースポットに行くのが好きな私は研修の内容に滝行があるのを知ってお寺での研修をとても楽しみにしていました。
しかし実際は体力的にも精神的にもとても辛い二泊三日でした。しかし沢山の学びがあり、自分を見つめ直す事が出来ました。「私は株式会社○○○から参りました〇○○です。出身は○○です。よろしくお願いします。」と普段ならサラっと済ませてしまう自己紹介も、こちらでは大きな声ではっきりと喋り、相手を思いやり一回の礼に時間をかけて頭を下げる事を教えて頂きました。
第一印象は出会って数秒で決まるといい、視覚が55%、聴覚が38%、言語が7%と言われていますが、こちらで教わった大きな声で挨拶をする。というのは聴覚38%に働きかけ働く上で自分を好印象に見せるためにはとても大切だと思いました。二日目は険しい山道を登りいよいよ楽しみにしていた滝行でした。先に滝に打たれている人を見ると思ったよりも苦しそうで少しひるみました。自分の番になり水を被った瞬間に想像以上の水の冷たさに体中の血が止まるような感覚になりすぐ出ようと思いましたが、何とかやり遂げる事ができました。
終わった後は、寒さや疲れが吹き飛んだかのようになんだか無性に清々しい気分になり、これが滝行か…。と少しハマりそうです。光明真言千回も、同じ言葉を2時間かけて千回唱える。途中で先生の数珠を何度も気にしながら『本当に終わるのか』と気が遠くなりました。でも仲間の声が聞こえみんな辛く苦しいなか、頑張っているのだと自分を奮い立たせました。時は経ち、どんな事も必ず終わりが来る。良い事も悪い事も、楽しい事も苦しい事も、必ず終わりはくるのだなと光明真言千回を終えた後はしみじみ感じました。
先生のお話にあったように常に積極的な心を持ち、現場に出ても失敗を恐れず行動し挑戦し続けていきたいと思います。そして自分の人生において「私が主人公だ!」と胸を張って言えるような人間になると決心しました。
今回の研修を受けさせていただく前は他人の目ばかりを気にしたり、自分の人生をなぜか、自分じゃなく他人が歩いているように思っていました。
私は自分の人生を自分の意志で進んできたという実感がありませんでした。
「人が何かをしたから一緒にしよう」とか「みんながやってるから」など他人を軸にして物事を考えるのが多かったからです。
物事に対して積極的ではなく消極的で自分から進んで取り組む事がなく誰かの後ろに立っている時に「自分は必要なんだろうか」や「自分がいてやることがあるのだろうか」と考える事がありました。
やっぱりそれは、自分の中に絶対的な価値がなかったりなどマイナスなことばかり考えていたからだと今回の研修で知る事が出来ました。
今まで生きてきた中で「責任」という言葉を深く考える事がなかったり、自分自身がいろんな事から逃げる事が多々ありました。
研修で「責任」や「自覚」を学ぶ事ができました。
生きる目的を持つことがなく、流れるままに生きてきて、今も自分の意志で生きているわけではなく、ただやりたい事するわけでもなければ、見つけることもなく、時間がいつのまにか過ぎているという何の生産性もない日々を過ごしてきました。
研修の内容で一番やり遂げたと思った事は滝行で、今まで逃げてばかりだった自分の中で逃げたいと思っても逃げずに最後までやり遂げた数少ないものの一つだからです。
滝行をしている時、最初は冷たいと感じたのですが、座ってからなぜか水が暖かく感じたのは自分でも不思議に思っています。
自分自身を一新して、これから社会人としての自覚と責任を持つことと、何か目的を持って生きていこうと思います。
私は自分にあまり自信がありませんでした。二十二年の人生の中で「嫌なことから逃げ、なるべく楽な道を」と正直何度考えたか数えきれません。この企業研修に参加する前もそうでした。「寒いのかな…まだ皆とそれほど仲良くないのに不安だな…滝行つらそうだな…」とマイナスの感情ばかり抱えていました。
お寺に着き、配られたファイルの中で見つけた言葉、「私は、自分を信頼できます。」誓いの言葉の中の一節でした。始めて見たとき、「こんなこと言えないなぁ。」と思ったのが正直な感想です。修行が始まるとそれは私が想像していたものをはるかに越えていました。正座はつらいし、声を出しすぎてのどは枯れるし、一日目で疲労困ぱいしてしまいました。
しかし、何度も何度もお経を唱えていくうちに、私の中で何かが変わり出したのを感じました。明らかにそれを感じたのは二日目の滝行です。「人数が多いからマックス三分ね、どうしても無理な人は出てね。」と言われた時、「頑張れるだけ頑張ろー。」と、軽い気持ちでいました。しかし限界まで頑張る皆を見ていたら、「自分もそんな甘えたことは言っていられない。絶対に三分耐えるんだ。」と考えるようになりました。いざ自分の番が回ってきて、足首まで入っただけで「これは無理だ…」と諦めそうになりましたが、先にこなした皆の姿を思い出すと最後までやり遂げることができました。終わった後にすれ違う度に「頑張ったね。」「声大きくてここまで聞こえてたよ。」「お疲れ様。」と声をかけてくれる度に、やりぬく達成感をひしひしと感じました。
そして二日目、一番つらいといわれていた三禮の日。一日目、二日目の疲労が蓄積した中での行。「どうしても無理なら止まってもいいよ。」という言葉にもう甘える私ではありませんでした。熱くても痛くてもつらくても、となりで同じように苦しんで、頑張っている仲間がいる、私は一人で頑張っているわけではないという事実は私をとても勇気づけました。そして一度も休むことなくやり抜くことができました。終わってから自分の体を見てみると、手はカーペットにすれて両手共摩擦火傷で血が出ているし、両ひざ共あざだらけだし、汗まみれでとてもキレイな状態とは言えないけれどその傷を見る度に「これだけ頑張ったんだ。」と証のような気がして嬉しくなりました。皆で筋肉痛の足をひきずりながらも笑顔で「いたいよー。」と笑い合ったこの瞬間をいつまでも忘れないでいたいな…と思います。
この感想文を書いている今、もうすぐ修行の終わりが来ることを少し寂しく思ってさえいる自分がいます。ご法話の最後で読んだ誓いの言葉の一つ、「私は自分を信頼できます。」という言葉を三日目やり遂げ、皆で支え合った今なら自信をもって口にできます。
この筋肉痛が消えてしまっても、もしこれから皆と争ってしまうことがあっても、この企業研修の三日間を思い出すことで乗り越えていける気がします。そして、この達成感や支え合う姿勢をこれからの仕事にも活かしていきたいです。三日間お世話になった住職をはじめとするお寺の方々、お忙しい中引率して下さった村野さん、今川さん、貴重な経験をありがとうございました。
私がこの三日間で思った事は、前向きに人生を歩くのが自分にとって一番良い事だということです。最初の正座してお経を読んでいる時につらい、痛い、などの感情が出てきてしまってマイナス思考だったけれど、読み終わったら飯が食べれるなどプラスの考えをする事によって耐えることができたりと、会社で嫌な事があったとしても、これが終わったら何か自分にプラスになる事なんだと思えるようになりたいと思いました。
二日目では仲間の大切さや一致団結のすごさを感じました。お百度参りでは、仲間と大きな声を出して、つらくても走り続けれたり、お互いを盛り上げるような雰囲気で鼓舞したり、滝行でも「南無大師遍照金剛」と唱えて、皆で乗り越えられたのが一致団結ってすごいなと思いました。
三禮では二日間で感じた事を胸に皆で声を出し合って一致団結してひざをすりむいてもやり切る気持ちで頑張って乗り切ることができて、すごく達成感を得る事ができました。
三日目は、今までの二日間と違って、身体に優しい感じだったのですが、初めてヨガをやり前日にすりむいたひざが悲鳴を上げてヨガでさえ耐えねばならない時が来るとは思ってなかったのですが、しっかりとやり、皆と楽しくできて仲も深まり、良かったです。
全体的には現代に生きている事が本当にありがたい事なんだな、という事をあらためて実感することができました。電子機器を使わない生活がこんなにも厳しいとは思っていなく、現代っ子の悪い所が垣間見えたなと思いました。
三日間の最後に聞いた話で、人脈が大切と言われ、これから関わっていくお客様や、先輩などと、人脈を大切にし、さらに居酒屋などで何気なく知り合った人とも前々からの友人との人間関係も大切に生きていくことができたらなと思いました。
実家暮らしなので、お皿を洗ったり鍋を洗ったりすることが少なく、今までしてこなかったので、これからは親の手伝いなども積極的にやり、一人暮らしを始めた時にも困らないようにしようと思いました。
最後の昼飯のカレーがめったに出ないと聞いて、私たちの頑張りを認めてくださったのがすごくうれしかったし、国宝級の美味しさでした。
普段はあまり辛口のカレーを食べないので、辛口のカレーも良いなと思いました。
これから生きていく中で、何事にも積極的に自分から行動していきたいです。
同期の皆と仲を深められて良かったです。
企業研修の三日間天光寺で過ごしましたが、慣れないことばかりでした。
一日目の夜には風呂場の使い方について注意を受けました。お寺で修行させていただいているという意識が足らず、ホテルのように全てスタッフの方に頼りきっている感覚だったのだと思います。小学校の林間学校を思い出しました。
この一日目の注意をきっかけに、ろうかや部屋にごみが落ちてないかなど身の回りを特に清潔に保つように気を付けるようになりました。
お経を読んだり写経、写仏をするのも初めてでした。
声が枯れるくらい長時間唱え続ける経験は今後あまり無いと思います。
腹式呼吸法など、お寺で沢山練習したことを生かして、会社に戻ってもお客様に気持ちのいいあいさつができるように心がけたいと思います。
今回一番のメインであった滝行には、体調の関係で参加することができませんでした。
正直、研修に来る前は滝行なんて絶対にやりたくないと思っていましたが、いざ滝に打たれている皆を見ていると、参加できないことがすごく悔やまれました。
すごく体は冷えるし、呼吸もできなくなると皆から聞いたし、見ていて実際しんどそうだと思いましたが、他にプライベートで滝に打たれることは無いと思うので、すごく残念です。
お百度参りは、最初の方は思っていたより余裕だなと感じていたのですが、走って叫んでの繰り返しはけっこう体力が削がれました。法話で、この修行は住職さんの発案だと聞いておどきました。あれだけ「南無大師遍照金剛」と叫んだので少しでも願の成就に近づくといいなと思います。
研修に来る前は滝行にしか気が回ってなかったのですが、修行の中で一番しんどかったのはやはり三禮でした。最後の方は崩れ落ちるだけだった気がします。
「もう少し!」の声から終わりまでがなかなか長くて心が折れました。
何度か立ち上がれなくなりましたが、最後まで続けようという気持ちになれたのは、周りの皆も必死に三禮をしていたからだと思います。
本当に体力的に限界でしたが、終わったあとは達成感がありました。
その後の夕食では、つらいことを一緒に乗りこえたことで団結が生まれたのか、各テーブルいつもより話が盛り上がっていたように思います。
三日目のヨガは、三禮による筋肉痛が響いてしまいました。
三禮の直後にやっていたら丁度よく筋肉が伸びて気持ちよかったのかもしれません。
でもヨガのおかげで気持ちがすごくリラックスできました。
先生の優しい声もヒーリング効果があったように思います。全員で木やプロペラのポーズをした光景が印象的です。
法話は、仏様にまつわるお話を聞くものだと思っていたので、天光寺が出来るまでの経緯や住職の人生観も聞けたのは貴重な経験だったと思います。
私自身ネガティブな考えばかりしがちなので、誓いの言葉全部を守るのは難しくても、二、三個から初めて、実行できることが多くなるよう努力していきたいと思います。
精進料理は正直自分の想像以上においしかったです。
でもやっぱりカレーライスにはテンションがあがってしまいました。
住職の食へのこだわりにとても感謝しています。
三日間の研修を経て、つらい修行もありましたが、前向きな考え方に切りかえて、培った団結力と共に仕事を頑張りたいと思います。
私はこの寺へきていくつかの学んだ事があり、特に学んだと実感したのは「忍耐」
の部分についてです。ここへ来る以前の私は、中学生、高校生、大学生といやなものからはとことん逃げてきました。それが最初は、自分がやりたいと思ったとしても。ですが、この寺にきて、まずお経を長時間唱えた時、まず、「足が痛い」「終わらないお仕置き」といった負の感情に捉えられていました。初日のこの場面では企業研修だから最後まで乗り切ろうと思っただけで「苦しみ」などの負の感情は一切ぬぐうことができてはいなかったです。
私に少し変化が現れたのは、初日の夜写経を行っている時の事でした。その時私は朝早く起きて道中の長旅、重い荷物、一日の修行で疲れがピークまで達しており、猛烈な眠気に襲われていました。このままここで寝てしまおうかとも考えましたが用を足して帰ってきたら不意に頭の中に「こういった極限のギリギリの場面」でこそ頑張るべきなのでは?「それこそが忍耐であり今までないがしろにしてきたものではないのか?」といったことが浮かんできました。私はこの先何をするにしても「ここで耐えられないようでは何もうまくいかない」と思うようになり、正直最初は乗り気でなかったこの寺での新人研修も最後まで真剣に取り組み、何かをつかもうと思うようになっていました。次の日以降忍耐だけでなく、積極的に掃除や食後の片付けと言ったものをやろうと考えました。
2日目では、特に滝行の際、学べる部分が多いと思いました。冷たい水に足から浸り、その後体、顔に3回水をかけ、最後に頭から水をかぶるのですが、一緒に研修を受ける他社の者も含む仲間たちが頭から冷水をかぶった時私は自然と大きな声を出してその仲間を応援していたのです。今までの間大きい声を出すのが恥ずかしいと思っていました。また、今までそんなに仲間と思っていなかった人間に対して感謝の心などが湧いてきました。そして、同僚に対しては、冷水に顔を付ける様子を見てより強く仲間を励ましたいと思う気持ちになりました。私は、寒いのがものすごく苦手なので、初日の時点で耐えられるか不安でした。これでも最後まで続けず途中でリタイアしてしまおうと考えていました。そんな中、同僚の一人が寒さに震えながらその滝行を最後までやりとげました。その様子を見た私は「これは負けていられないな」と思い苦手を乗り越え、最後までやり切ろうと考えました。しかし、いざ自分の番になり、頭から水をかぶった時「あっこれ無理」と心の中で思い滝に入った時にはもう座る前にリタイアしてしまおうかなと思いが心の中に浮かんでいて、さっそくもう忍耐の心が折れかけていました。しかし、同僚の頑張る姿を思い出して、皆同じことができていたのに私だけ出来ないのは情けないという思いが強く出てきて、また、逃げてきた自分を変えたいという最初の思いが混みあがり大声で叫びながら、なんとか忍耐の心と負けない気持ちで滝行を終えることが出来ました。
その後、三禮を324回行うという身体を使った大変な行を行ったのですが、私は途中で体力が切れ限界にまで達していました。もう逃げてきたことはこれで辞めようと心に決めていたので、ひざにあざを作りながら最後までやり切りました。私は修行前にこの寺のことを調べてきたのですが、正直ネットの評価はあまり良くはありませんでした。ですが、実際この寺に来てみて住職の法話を聞き、それは間違いであることを思い知らされました。そして、インターネットはそういったものがあふれているという事を知りました。
社会人生活頑張ります。ありがとうございました。
私は身体が弱く運動をするたび体調を崩すことが多くありました。中学生の時に剣道部で、練習をして食欲をなくして最後に体をこわすことがあり、それ以来運動をしなくなってしまいました。中学校を卒業した後も剣道をやる機会には恵まれていましたが、また体を壊すのではないかと不安になりなかなか出来ずに今まで来てしまいそれを後悔していました。
今回寺で行って来た事に滝行、三禮があり自分の体の弱い部分を見つめ直し運動が楽しいともう一度想い起こりました。具体的には、滝行ではまず他社さんや同期よりも早く一番を名乗り出て入る決意をしました。最初ということもあり誰もやっていない恐怖と一番という注目が集まる中、足を一歩踏み入れ冷たい滝の中へと入りました。春先とは言えまた水温は決して高くなく、お経を絶叫するように唱えて打たれ続けました。時間にして一分かそこらの時間でしたが、やり遂げ滝から上がると何か自分の中で成功した達成感が得られました。上がってしばらくするともう一度どこかで滝行をやってみたい気持ちになりました。今思うと体の不調もあと少し達成感が足りていれば続けられたのではないかと少し思いました。三禮は地獄だのなんだの言われるほどきついと聞いていました。実際に行ってみると言われたとおりきつく、屈伸運動に似た動きで普段運動をしていない私には半分行かずにギブアップしてしまいました。しかし周りには300回というとてつもない回数をやりきった人がいて自分もあそこまでやりきりたかった、勝ちたいと思いました。
私は体を壊した事によって運動をすることが怖くなってしまいました。しかし今回合宿の滝行での達成感、三禮での悔しさが良い経験になりました。運動にチャレンジしたいと思えました。
会社でもこの感動に似た熱意をぶつけていきたいと思いました。
人生を振り返れば、逃げ出してきたことばかりでした。初日に先生から伺った、自分の人生の主役をやれているかという問いに、私は首を横に振ることしかできず、それまで送ってきた人生の時間を殆ど無為に過ごしていたことを、三日間の修行を通じて心より恥じ入る次第です。夢を追いかける苦難ばかりを見て、自分の力を信じ切れず、努力も充分にできてはいなかった過去から、頂いた教えを通して理解した積極的なマインドを胸に、これからの人生を歩んでいく所存です。
初日で教えていただいたあいさつの仕方は、これから社会人として人生を歩むに当たって、どこに行くにも必要となるものであり、指先にまで全神経を払うこと、礼をする適切な速度や声の大きさといったことを厳しく御指導いただいたのは、得難い体験であったと思います。また、精神修養としてお経を唱えたことも日常では決して体験できるものではなく、普段運動が不足していることもあって非常に苦しいものでしたが、苦しさの中で次第に痛みなどの雑念が消えて、思考がクリアになっていく感覚はとても新鮮なものでありました。何かに没頭することで余計な不安などがなくなっていくという気付きにもつながるこの修行での経験を元に、これから挑むであろう業務にも、まずは一挙手一投足に至るまで全力で臨み、気付いた頃には自然な所作として余計な力を入れずに業務をこなしているような、そういう人材になってみせます。そのために、日々精進を重ねてゆく次第です。
二日目は、大きな後悔が残った一日でした。なぜならば、滝行を最後までやり遂げることができず、途中で音を上げてしまったからです。元々、すぐに逃げる自分を変えたいという願望を持って修行に臨んだものの、そうした悪い自分を捨てることができず、変わるための場においても同じことを繰り返してしまったというのは非常に恥ずかしく、ただ反省するばかりです。
しかしながら、学ぶことも同時に多くあった一日でもあることもまた確かです。一念岩をも通すという先人の言葉の通り、強く意志を持って挑む御百度参りや、私は恥ずかしながら最後までやり遂げることができませんでしたが、大自然という空間に身を置き、冷水に身を浸すという苦境に自ら身を置いて金剛大師の御名を一心に唱えることで、何かこの世に満ちる大いなる意志の一端に指先が触れたような感覚が一瞬胸の中から湧き起こってきたのが不思議でこそありましたが、身も心も洗われたような感覚でもありました。
三禮は非常にハードで、忘れられない体験になったと思います。やはり普段から運動をすることの大切さを実感すると同時に、足をつりそうになりながらも精一杯やれたことは一つ、大きな達成感を得られたと思います。しかしながら、途中で止まってしまったことには大きな後悔が残ったため、今度に備えてこれからは身体を鍛えていかねばならないと痛切に実感いたしました。今後、努力していきます。
三日目で最大の印象に残ったことはやはり先生の法話です。真言宗という宗派の成り立ちから宗教観に生の言葉で触れることができたのは非常に感慨深く、御自身のサクセスストーリーから得た人生に重要な考え方は、私の人生観を大きく揺さぶるものであったと感じています。冒頭の通り私は自分の夢からも逃げて、何となくで人生を送ってきたような人間でした。だからこそ、今日に至るまで後悔という後悔ばかりを積み重ねており、まさしく「負け犬」と呼ぶに相応しい人生であったと思っております。だからこそ、法話を通して思い至ったことは人生を取り戻したい、自分という主人公になりたいというもの一心であり、その為にはこれから、今までネガティヴなことばかりを考えていた自分を捨てて、積極的に「これからの夢」を追いかけていこうと思います。貴重なお話をいただき、本当に感謝の念が尽きません。
この三日間の修行を無事に終えられたのは、決して自分一人の力ではなく、同期の仲間や他社の人々とも力を合わせられたことが非常に大きいと思っています。共同作業や修行を通して、人との関係性の大事さを実感できたこともまた、大きな気付きであり、得られた成果の一つです。三日間を通して学んだことと得たものを活かし、まだまだ半人前ではありますが、明日からの業務に全力で挑んでまいります。
私は天光寺で二泊三日の企業研修を終えて、三日間のなかで行った事が全て初めての経験でとても印象に残っており、沢山のことを学ぶことが出来たと思っています。
今回の研修は、正直もう少し楽なのではないかと思いながら天光寺に行きましたが、実際は思っていた何倍も辛い修行で、一日目は早く帰りたいとばかり考えてしまい、とても消極的だったと思います。
正座は長い時間行い、足がしびれて、もうやめたいと思い、周りの方をみたら全員辛そうにしていたので、もっと頑張らなきゃと最後まで続けることが出来ました。
その時に一緒に頑張ると、一人でやるよりも続けられると考えました。これから辛いことは沢山起こると思いますが、今回の研修のことを思い出すとやりきれると思います。
企業研修では3社合同で行いましたが、私の会社は女性が一人で最初はとても不安でしたが、他の会社の方に声をかけ、仲良くなれたので良かったです。
私が今回の研修で一番心に残っていることは滝行です。
滝行をやったこともなし、まだ寒いのに本当にやるのかと思いましたが、滝行を行う直前で、「もうやるしかない」と思い、水に入ってみたら予想していたよりも冷たくて痛かったです。
滝に打たれると、口の中にも水が入り、息をすることも難しかったです。
水の中に入ってしばらくすると、冷たさも感じなくなり、ただひたすら痛かったです。
しかし、途中で終わりたくなかったので、何も考えないように心を無にしていました。終わった後にはやり切ったという達成感が強く、自信がつきました。
三禮では、最後まで頑張ろうと思い行いましたが、途中で何回か休んでしまい、悔しかったです。途中休んでもう一度やろうと思い続けられましたが、全てやりきりたかったので、本当に悔しかったです。
このような体験を通じて、忍耐を培うことができたのではないかと考えています。
これから色々なことがあるけれども、以前よりもこなしたりやり切ることが出来る自信があります。
住職の講話を聞いて、自分をもっと愛するとこれからの考え方、周りへの見方が変わると思い、自分を愛そうと心がけるようにします。
また、自分だけができること、自分が誰にも負けないことが私にはまだないので、これから様々なことに自分から積極的に取り組み、見つけていきたいです。
今回、二泊三日の研修でたくさんの修行をしましたが、どの修行もそれぞれ行う意味が込められていると思いました。
私は社会人としても、人としても成長できたと感じています。
普段できないことばかりでとても良い経験になりました。ありがとうございました。
今回、第一回半期ノルマ未達でこのような行事に参加させて頂きました。
来る前は、いくつか案件があり参加を拒んでしまいましたがノルマは○○だというこを忘れ自分の中の甘えを出しておりました。いざ、お寺での修行が始まるとつらいことや
苦しいこと、非日常的な生活で新鮮で心が磨かれていくような感覚に落ち入りました。
ただし、お寺の中はストーブがついているものの非常に寒く普段の生活がどれだけ豊かを思い知らされました。食事も普段食べているようなものではなく、美味しかったです
が、質素なご飯でした。そのため、より普段の生活がよいか心の底から痛感致しました。
普段の普通の生活をするには、やはりお金が必要です。お金を稼ぐためにこの会社に入社致しました。現状、今期立てた目標は全く逆の方向に進み結果を何一つ出せておりませ
ん。その結果を出すにも、今のところやるきさえあればどうにかなるたち位置です。
今回、修行を行いこのようなことはもうしたくないと思いましたし、また自分がコミット数字をやらなければ信頼も得られません。なのでまた明日から気合を入れ直して
仕事に取り組みます。今までなんとなく甘い考えがあるなと感じておりましたが、今回ではっきりと理解ができたので妥協を捨てストイックに精進して行きます。
滝行を通じて。
私は今回三通のノルマ未達により、この滝研修に参加させて頂きました。
今まで私は、仕事もプライベートもまたこれまでの人生すべてにおいて中途半端であった気がします。何か自分の中で限界を決めてしまっておりそれによりある程度の
ところであきらめていました。それはとても楽なことですが結果としてそれなりの結果やそれなりの内容で終わってしまっていました。この会社に入社をする際も自分のために
頑張りたい、稼ぎたい、もっと成長したいという気持ちがあったのにも関わらず今となっては今日この日まで忘れてしまっていました。まさになまけた毎日を送っていました
しかし、今回の研修でそういった日々の積み重ねが自分をつくるのだと感じました。社長がいつも選択するのは自由。毎日が選択の繰り返しっとおっしゃっておりますが
本当に普段の選択が自分をつくり全てが自己責任なんだと思いました。また、限界は自分が勝手に決めているだけでどれだけでも越えることはできます。
同じ限られた時間の中で、みんな働いているのであれば最高のパフォーマンスをして過去の自分の悔いのないような生き方、働き方をしたいと思いました。
いつも、おっしゃっている過去は変えられない。
未来も今の自分の行動、言動でできている。
変えられるのは今現在だけであると強く意識しました。
今回の貴重な研修をしっかりとこれからの行動に活かし変えていきます。
勤め先の会社は、8割が女性の会社です。それだけに甘いところがあり、企業意識や従業員意識を充実するために、中堅幹部の企業研修を天光寺で行うことになりました。
企業研修と聞きますと、どこかの観光地のホテルで行楽を含めたように思われがちですが、今回の天光寺での企業研修では、二泊三日ですが私たち6名が未だかって経験したことの無い、本物の研修ということを知らされました。
同じことをするにしても、数回とかではなく精神と肉体とを兼ね備えた修行になり、一生の思い出にもなりました。
初めの自己紹介でも、できない場合は何回もやり直したり、挨拶にしても、声出しの挨拶であり腹式呼吸や発声法まで網羅したものなので、大変でした。
続いて、お経の練習なのですが、般若心経・光明真言・御宝号・三禮とあり、それはそれは凄いもので、500回や連続1000回の唱えなければならないことがあり、足腰や声がフラフラになりました。
食事は全て精進料理で、配膳・片付け・整理整頓を、研修者(複数の方がいました。)全員で協力し行いました。
話を戻して、お経の般若心経は、わずか連続50回を唱えるので、初日は驚きましたがすぐになれました。挨拶にしても普段では発しない大きな声で正確に行わなければ、何度も繰返すと言った凄い研修でした。
般若心経は、声に出しお経を唱えるだけでなく、写経と言われる書道で書き進め研修するもので、新鮮な経験でした。女性が8人揃ってお経を唱え、一人づつでしたが滝行に一緒におもむき滝を受けたことで、団結心が出来たりもしたことに今回の研修は、思わぬ効能がありました。ただ、三禮では足腰に大きな疲労と脱力感が後になって出て、困りましたが良い思い出になりました。
忘れられない研修のもう一つとして、滝行もありましたが、その前のお百度参りでは「南無大師遍照金剛」を大きな声で唱えながら、往復108回走ってお参りをしました。
今までのことを忘れず、身体に沁み込んだ体験を忘れれずに、これからの会社でも自分の生活でも頑張ろうと思いました。
最後に、住職から受けた法話では、感じ入る法話で全員が感動しておりました。
ありがとうございました。
私は休日にもなると神社やお寺で御朱印帳を頂いたり、近郊の低い山へトレッキングしたりとしておりますので、自然の中のお寺に行けることもあり楽しみにしておりました。会社から30名ほど参加する人のほとんどは同期や同僚でしたので、ちょっとした修学旅行のような気持ちで参加しました。
結論から言いますと2泊3日の研修はとてもつらかったです。が、私はつらいとは思いませんでした。つらかったのですが、気持ちの持ち方を変えると楽しく過ごせたという言い方のほうがしっくりくるかもしれません。
例えば、修行の中には真言を連続1000回唱えるといったものがありました。どうしてそれをしなくてはならないのかと考えながら修行をすると苦痛だったのですが、途中から今は目の前の修行に一生懸命打ち込もうと決めて行うようにすると、意外と楽しく取り組むことができました。
結構辛そうにしていた同僚に、「集中するといいよ」と教えてあげたところ、帰りにお礼を言われました。集中している間は時間があっという間に過ぎるるのと、集中することによって試行錯誤しながら、前向きに取り組めるようになるのだと感じました。
ただ、このような長時間何かを行う修行は集中すればいいのですが、滝行は集中してもつらかったです(笑) 水が想像以上に冷たいのと、水量が想像以上に多いです。それもつらいのは最初だけで何回かやるうちに慣れました。
普段やらないことをやるのは苦痛です。でも、しなくてはいけないなら、いやいややるのではなくて楽しみながらやる工夫をすることが大切だと思いました。私の場合は集中する事でしたが、そこはみなそれぞれ違うんだと思います。
楽しく、辛く、目新しい経験をさせていただいた皆様に心よりお礼を申し上げます。
ありがとうございました!
私の勤める会社は、毎年天光寺で2泊3日の社員研修を行っています。今年も例年通りに天光寺での研修があり、私も参加させていただきました。私にとっては2度目の研修です。バス停から歩いて寺に向かうまでの間、これからまた厳しい研修が始まると、気持ちを引き締めました。今回初めて修行に参加した社員の中には、厳しい研修に驚いている者もいました。私は以前の研修で少しは体が慣れて楽に感じるかと思いましたが、あいかわらず修行は厳しかったです。
お経はなんとなく覚えており、初参加のときを思い出して、懐かしい気持ちになりました。食事も相変わらず美味しく、お代わりまでいただきました。滝行は心の準備ができていたためか、今回はそこまで大変だと感じませんでした。声をかけていただくまで滝に入っていることができ、満足しています。滝から出た後には、日頃の思考の垢が取れたかのように、さっぱりとした気分になったのが印象的でした。
今回はとくに、朝の掃除の心地よさが印象に残りました。掃除は寺の中だけでなく、バス停から寺までの道も掃除します。研修で疲労した体に朝の光が大変清々しく、自然の恵みを感じるとともに、今ここにいられる感謝の念が浮かんできました。また徹底して身の回りの掃除をすることにより、自分の心の中も一緒に掃除されていくような、そんな感覚を覚えました。普段、朝掃除をすることはおろか、掃除自体妻に任せきりですが、たまには一緒に掃除をするのも良いなと自然と思えました。天光寺の皆様には、大変お世話になりました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
今回のお寺での修行をすると聞いていて、正直つらいのだろうなとマイナス的な思考から入っていました。日が近付くにつれて、内容はやったこともないことばかりだと思ったので、体験することで何か気付いたりすることもあるのかなと、興味や好奇心も沸いてきました。
学生時代の部活以来、体を酷使したり精神を鍛えるようなことは何もしてこなかったので、いい機会であると思えました。
修行当日、実際に寺に向かうにつれ、どんどん山奥に入っていく道中に不安の方が大きくなりました。自分の日程として初日に滝行があったのですがあんなにつらいものであるとは思いませんでした。見た目から厳しそうではありましたが、やってみたらたいしたことはないのではとタカをくくっていました。自分の番で入った瞬間に、全く間違っていたと気付きました。入ったと同時にやめたかったのですが何とか少しは体験し、忍耐をためそうと数分間ですがやることができました。やっている間はまさに自問自答のくり返し、自分との闘いであったように思います。数分ではありましたが、思い出深い行の一つです。
他に「三禮」は、聞いてはいましたが、想像を絶する肉体酷使で、数日間に渡り筋肉痛になやまされる内容でした。
この時もやっている間、常に自問自答、やめて止まるべきか、ひたすら続けるべきかの連続。正直まともにはついて行けなかったものの、やり終えることができました。久々に達成感のような気分を味わった気がします。ただできれば二度味わいたくないつらさがありました。汗だくになり、床に水たまりを作りながらやったこの三禮も思い出深いものの一つです。また修行の間、基本的に自分のことは自分でやるという根本的なものがあり、ご飯を自分で用意し、自分で片付け、自分で布団を敷き、自分でしまい、自分で用具を出し、しまいということを繰り返してきて、忘れてしまっていた色々な事に気付かされた感じがします。
自分で気付くことで、この先自分の糧や職場での人の接し方も少し変わるのかなという気もします。特に自分の子供への教育という部分でたくさんの知恵やヒントを与えてもらったように思います。最後の住職からのお話もそうでした。自身のこれからの人生やこれからの人と接し方、また自分の子供たち未来へつないでいくということの役割、重要さを再認識させられました。
仏教というのは日本に深く根ざしていますが、宗教心を持った日本人は少ないように思います。自分もその一人です。
あまり宗教的な事は嫌だなという気持ちが最初はあったのですが、堅苦しさや、押し付け的なことはあまり感じられず、恐らく無意識な部分も相まって、すんなりと自分の中に受け入れられた気がします。様々な場面での読経など、さもあたり前であるかのように終盤では特に感じられました。
短い間ではありましたが、この修行では日頃しないことが多くあり、肉体的にも精神的にも辛いところがありましたが、得るものが多々あったように思います。「ひと回り成長しました」とまでは言えないものの、今後の日常での何気ない一言、言葉のちょっとした語尾などを気をつけることで、大きな変化に繋げられればと思います。住職、天光寺の皆様には大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
天光寺研修を初めて体験しました。私が来る前に第一班、第二班とグループ会社の者が来てましたが、きついと言う話を少しばかり聞いていただけでしたので、なんだかんだ私は若いから、気合と根性がないからそんな事言っているのではないかと思ってました。
いざ自分が体験してみると、どの修行もとても厳しく、また性格的に手を抜く事ができない私は、とにかく一つ一つできるだけの事はしようと努力する程、やはり気持的にきつくなっていきました。同じお経を繰り返し繰り返し唱える修行も、いかに心を無にして時間を気にしたり、周りの雑音も排除する様に心を持っていこうと思いますが、しばらくすると集中力が散漫になり、まだ半分も行をしていないなとか、雑念にとらわれました。そういった幾つかの修行を、短い二泊三日の間で経験できたのは貴重な体験だと思います。
良くテレビや雑誌では拝見してましたが、見るのと自分が体験するのとでは大違いでした。この修行を終えてこれからの体験に生かしたい事はとにかく辛抱、集中力を持つ事、そして考える事、行動する事、落ち着いた心を維持すること、物事がうまく行かない時でもそれを乗り越える心の強さを持つ事、それらの気持ちを、忘れずにこれからも仕事に精進し、家族との関わり方にも心を持って接したいと思います。
この度はありがとうございます。この度、天光寺で人生初の寺修行を体験しました。二泊三日の日程で甘くみていた分、精神的、肉体的に厳しい結果になりました。
只とてもつらい三日間でしたが、私の人生はまだ長くこれから色々なカベにぶち当たると思います。
又、この度の体験で色々な事を考え、見つめ直せたと思います。
私はグループの一法人の代表取締役を任されております。
その中での私の役割、司令責任を考えました。住職のお言葉でもありましたが主役と舞台の差を再度、見つめ直したいと思います。
更に外でも内でも人と人とのコミュニケーションを大事にしたいと思いました。仕事とスキル、自分に負けない気持ちなども強めていきたいと思います。
この度は3日間の辛い時間でしたが、これからの長い人生を悔いなく有意義な人生を送るよう頑張りたいと思います。
ご指導ありがとうございました。私は、この研修に来る前までは人との接し方を表面的にとらえて考えていました。住職のお話を聞き、あいさつの大切さや、人との触れ合いの重要さを改めて学びました。
自分自身の今まで行っていたあいさつの作法では、人との表面的なコミニュケーションはとれていても、より親密な関係までは発展していなかったと思います。
住職より教わったあいさつの方法は人の目を見て自分が考えていたよりもかなりゆっくりとお辞儀をし、そのお辞儀を倒した時と同じスピードでゆっくりと戻す方法です。
その際、親しい関係の人の場合は肩に手をそえる等、軽いスキンシップを入れるとより良い習い、自分の場合はどの様にしていたかを思い出してみるとスキンシップが足りなかったと思います。
また「いらっしゃいませ」や、「ありがとうございました」なども同じ言葉の意味であっても言いまわし方法を変えるだけで相手に伝わる気持ちが大きく変わることを学びました。「いらっしゃいませ」も「ようこそお越し下さいました」「ありがとうございました」も「また、お越し下さいませ」に変えると確かに「多くのお客様」というイメージから「一人のお客様」に変わり、心が伝わりやすくなったかと思います。
また、連帯感が生まれたと思います。今までは個人的な考えが多くみうけられ「自分が出来れば良い」と思っていましたが、会社という関係上、自分だけが出来ていても仲間ができなくてはいけないと考えを改められたと思います。あいさつの作法では全員がキチッとしたあいさつが出来ない限り、他の人達は全員正座で待っている為一人ひとりが気を抜かず、集中して本気で取り組んでいるのが伝わりました。
自分の番の際は緊張してしまい、言うべき内容の出身地を言い忘れてしまい「他の皆に迷惑がかかってしまう」と思い「次で絶対に終わらせるぞ」と知らず知らずの内に自分の中にも連帯感が生まれたのを実感出来ました。
その他の修行でも「自分だけがギブアップするわけにはいかない」と思い日常ではギブアップするだろう場面でも更に頑張れたと思います。
正直な所「今回の修行は二度とやりたくは無い」と思いましたが、自分で考えていた限界は実は甘えであって本当の限界では無かった事がわかったので少なからず成果があったと思います。
最後に行った誓いの言葉も共感出来る内容も多々あったので、自分になりに見直し自身に役立てるところは使っていこうと思いました。
二泊三日と長い期間ではなかったのですが、この研修で学んだことを無駄にはしたくないので「あいさつ」と「連帯感」を忘れずに今後に生かしていきたいと思います。修行の目標、目的は普段より落ち着きのない自身の心にゆとりを持つ事、持てる事になる様になる事でした。厳しい修行を通じて自分なりの言葉の大事さ、物のありがたさ、人とのふれあいの大切さを、身をもって実感した次第でした。
常に気持ちを前向きに保つ為、発する言葉から前向きにし、自分自身を後退させない様に後ろ向きの類の言葉を発しない、一度発した言葉は言霊として力を持ち作用するというお話や、修行を共にする仲間達とする食事のありがたさ、三度の食事を用意して頂いていた方々への感謝とふれあい等、自分一人では決して乗り越えられなかったであろう事を再認識し、改めて人とのふれあいの大切さを感じました。
数々の修行を経て、少なからず乗り越えた事による生まれた自信が、これからの自身の生活に仕事に家族とそれに関わる全ての人達に、ゆとりの気持ちを持ち感謝の気持ちを持って接する事が出来る様な気がします。今後どの様な形で自分の変化が現れるのか、見ることが出来るのか、自分自身でも楽しみな面でもあります。
修行を通じての再発見として、どの様な悩みや問題も自分自身を見直し、再認識することより始まり、人々との協力を借り解決していくという事です。
少しばかりではありますが、私自身に生まれたゆとりを持って、これから出会う人達に少しでも手を差し伸べる事が出来たらと思います。またそうする事によって自身の成長を助け、人との縁を作り自分自身の土台、舞台を大きくしっかりとしたものにしていきたいと思います。改めてこの機会を与えてもらった会社と、この修行の場で出会った人たちと共に乗り越えた仲間たちに感謝すると共に、感じ得た気持ちを持ち帰り、明日より生活に生かしていきたいと思います。
3日間という短い時間ではありましたが、大変にお世話になりました。有難うございました。私は今回天光寺さんに来ることで集中力の向上、自分自身の成長につながる様精進できればと思っていました。自分に対するコントロールや禁欲に関してはある程度できていると自負していたつもりが自動販売機もなく限られた時間内でしかとれない食事の中で甘い考えを持っていたことを痛感させられました。さらに精神だけでなく肉体においても未熟であることを痛感させられ、心身ともに鍛えなければいけないと感じました。
そして、滝行やお百度参りなど普段体感できない事を体験できたことが非常にいい勉強になり、今後自分の糧となり自分の更なる成長につながることを望んでおります。
住職の話の中でいくつか印象に残った話があり、自分の人生の主人公になれているのか、自分を愛することができているのかと言う内容がありそれを自分自身に問いただした際に、すぐ答えが出せなかった事が悔やまれます。しかしそんなことを糧にし、前向きな気持に切り替えることを今回天光寺さんに教えていただくことができました。
さらに、「自分自身を評価するのは自分自身」という言葉に目からウロコでした。今までは周りの目ばかり気にしていた部分があるので、これからは先ず自分自身を評価し、見つめ直し、自分を客観視する必要がると感じました。この二日間はとても規則正しい生活ができ、早朝からの清掃は大変な分、結果が出る上、とても清々しい気持ちになり心が洗われるようでした。
あの時間はとても自分に余裕があり、時間がゆっくり流れる様な気持ちになりいろいろと物事を考える事ができました。そんな余裕を仕事に持ち込み、会社にも貢献できたらと願っております。